イワニナ事変後
2話分を読み直したり削ったりしてたら短くなったのでまとめて投下。
エフハリスト岳山麓、イワニナに面した反対側に突如築かれた空中騎兵と有翼種の仮設発着場。日も高くなった頃、その着陸用岩板へと3人の人影が舞い降りた。
ひとりは白金の髪を風に舞わせたエルフ、ひとりは白髪を靡かせ紅玉の瞳に強い意思を秘めた竜人、最後のひとりはどんよりとした雰囲気で、顔に包帯を巻いた小柄な男だった。素で闇の精霊が周りを漂っている。彼が呼んだわけではないが、精神状態を心配したようである…。
「お疲れさまです。イワニナ防衛は成功ですね」
サミュエルが代表して労うが、フィアとヒルダは軽く手を振るだけ。直時に至っては目を伏せたまま自室とした部屋へ向かう。実質3人で解決したことは、誰に誇っても良い偉業である。それなのに微妙な雰囲気だ。
「私とフィアは報告のためイワニナギルドへ行く。街の様子も確認しておきたい。まあ、奴のことは気にするな。それより、遅いかも知れんがこの砦の利用者には釘を差しておけ。建築者のことを伏せるようにな。ヴァロアとしてもその方が良いのだろう?」
「勿論、既にそのように―。利用者は26名。全員に口止めをしておきました。喋らないとの保証は出来ませんが…」
「抜かりないわね。今日は此処で一泊。明日出発するわ。イワニナは今混乱してるだろうから、輸送依頼等の空中騎兵は可能な限り受け入れるように。今は…、あれ(・・)は放っておきなさい」
ヒルダとフィアの言葉から何かあったと思ったが、とりあえず今回の経緯を訊ねたサミュエル。
説明に耳を傾けながら考える。わざわざ事件が解決されそうな時に直時が余計な発言をしたのはいただけない。しかし、戦術(土竜蜂側からして)としてはどうだろう?
(土竜蜂がとったのは急襲。大群を以って攻め、目標を重点的に探索攻撃、他は攻撃を受けた場合の応戦のみ。大群故に最小限の応戦だけでもイワニナの手は一杯になる。情報の寸断が可能。土竜蜂の目的は隠される。しかし目標の早期発見、確保に失敗。女王蜂が全戦力で出陣。…もしかしてタダトキ殿が言う戦術をとろうとしていたのではないか?)
今となっては仮定の話でしかない。
サミュエルが問うような眼差しを向けるが、それをうやむやにしたままヒルダとフィアはイワニナへと向かった。直時は自室である。腑に落ちない点はあるが、ヴァロアにとってこれは好機といえた。
(タダトキ殿は先の戦いで参っているようです。元気づけてあげては如何でしょう? 無論祖国の利益にもかないます)
念話に首肯したエリアは直時の許へ足を向け、オデットが後に続く。
何か精神的な負荷を受けているならば、付け込むチャンスである。慰める過程で情を交わすことが出来れば大きな一歩となるだろう。エリアを向かわせた後、騎兵達と発着場利用者への誘導を打ち合わせ、ひとり部屋へと向かうサミュエル。確認したイワニナ防空戦の推移と関与した直時の報告を、連絡員のトマスから本国へと報せてもらわねばならない。
「―――――っ!」
岩造りで隣室との防音が完璧なのを良いことに、「の」に濁点を点けて部屋の床で悶え転がっていた直時。部屋の端まで転がっては壁に頭を打ち付け、また反対側へと転がる。
(やっちまった! メイヴァーユ様の前でそんな気は無いって言ってたのにぃ! 違う! 俺は断じて『勇者』とか気取ったんじゃないっ! ……んだけど、そうだったのか? 何様のつもりだ俺! 身の程をわきまえろおおおおおおっ!)
一種の躁状態なのは心の自己防衛である。蜂毒に侵された住人の死体やら、四散した蜂の死体やらを思い出すと、全てが自分のせいでそうなったかのように思えてしまう。
(それに意思疎通出来る種は他にもいるんだろうな。今まで深く考えないで狩りとかしてたけど、この先喋る生き物を狩ったりできるんだろうか?)
盗賊やリスタルでの戦闘はあくまでも自己防衛による殺傷だ。罪の意識はあるが、納得はしている。しかし、獲物として人を対象に出来ないように、喋る猪や鹿、鳥と出会った時自分は狩ることが出来るのかと考えてしまう直時。
(仔魔狼の丸焼き…、ミソラの蒲焼き…、白烏竜の手羽先! で、出来んっ! 俺には不可能だあああああ)
再び苦悶しながら部屋中を転げ回り、止まっては頭をぶつけている。
元の世界でも脳天気を公認される直時とて、今まで『欝』状態になったことが皆無ではない。顔に縦線を引いて日々を過ごしたこともある。その精神状態からの復帰が難しいのも経験済みだ。だからこそ意識的に派手な葛藤の最中であった。
「タダトキ様。入っても宜しいでしょうか?」
そんな中、闇の精霊で封じてある入口から声が掛けられる。エリアの声だ。ピタリと動きを止めた直時は何事も無かったかのように椅子へと座る。咳払いをひとつ。
「あー、今開けるよ」
入り口の闇が去り、オデットを伴ったエリアが入ってくる。空中で哨戒待機していたため、初めて会った時の飾り気は無いが、凛々しい出で立ちだ。
「お邪魔致します。お加減は如何ですか?」
心配そうなエリアの後ろではオデットが薄眼で窺っている。
直時は苦笑を禁じ得ない。色仕掛けが少しでも効果有りと思えばすかさず仕掛けてくる。
(自分の顔付きはアースフィアじゃ平坦、体格は貧弱、珍獣扱いでないならやっぱり『精霊術師』という価値が評価の対象でしかない。となれば、サミュエル君の差金だろうな)
リスタル、ノーシュタット、ロッソとこの世界の街を歩いたことは少ないが、それでもそこを歩く平均的な普人族と自分の容姿を比較することぐらいは容易い。
除隊して間もないためか、貴族の子女にしては短い白茶の髪はともすれば少年のように見えるエリア。凛々しさの中にも女性の気遣いを見せる美しい娘である。
だからこそ、自分に見せる好意は別の意図によるものだと判断してしまう直時。
あと、オデットの変態行動は判断不能として深く考えないようにする…。
「ご無事のようで安心致しました。あら? 額が擦り剥けていますよ?」
「えーっと。3点倒立していただけ。ご心配なく」
恥ずかしい行動だったので、直時は自分の奇行を隠した。微妙な言い訳だが…。
「お疲れでしょうから、治療は私に任せて下さいな」
「いや、大丈夫。そんなに疲れてないから」
それでも座っている直時の額をよく見ようとエリアが屈む。
「エリア様っ!」
オデットがいきなり声をあげた。大声に驚いたエリアが何事かと問う。
「申し訳ありません。このオデット一生の不覚でございました! 絶妙なタイミング、見事な位置取り。嗚呼! 昨日のお召し物であれば完璧であったものをっ!」
己の失敗を心底悔いているオデット。
「あー、あの胸元パックリの服ね」
直時の呟きに、エリアが顔を真赤にした。
ヴァロア主従の諍いを生温かい目で直時が見ていた頃、フィアとヒルダはイワニナへと向かいながら直時のことを話していた。飛行中のため、念話同士である。
(奴はその場の感情に飲まれすぎだな。ロッソで各国への対応を見た限りでは、そう感情的とは思わなかったが…)
(最近、力をつけてきたから調子に乗っているんだと思う。自覚は無さそうだけど)
(そうなのか? 使い方はともかく精霊術はもとから使えたのだろう? あれだけの魔力量なら技術が無くとも力技でそうそう引けは取らないと思うが)
(貴女もヒビノの知識を転写されたでしょ? 精霊術も人魔術もアースフィアに来てから身につけたものよ。元の世界ではただの民草だったそうよ)
直時の前では「タッチィ」と呼んでいるが、いない場では以前のままだ。
(魔力ではない力か…。えねるぎーとか言ったな。私にはよく判らなかったぞ?)
(私も得た知識を完全に理解できたわけじゃない。ヒビノに聞きたいことは山程あるわ。それと同じ。ヒビノも知識だけは詰め込んだけど、きっと理解し切れて無い。そして、あいつはアースフィアに来て大きな力を手に入れた。最初こそ警戒して慎重だったけど、ヴィルヘルミーネ様に「自由にすれば良い」と言われた。自重こそしているものの、既に枷は無いのよ)
(ふむ。そう考えると調子に乗っているとは言え控え目だな。加護や神器を得た普人族達には酷い迷惑をかけられたものだったしな)
(でもひと度、箍が外れるとリスタルの再現よ? アレには焦ったわ…)
リスタルの町を呑み込んだ闇の精霊。陽の下の生を包み隠した死の夜。フィアとヒルダの表情が引き締まる。
(判っている。それをさせないための訓練だ。力の制御を教えねばな。私は一旦離れるが後は頼んだぞ?)
(勿論よ。でも、ヒルダも物好きね。莫迦に付き合うのは疲れるでしょ? 放っておいても良いでしょうに…)
(フィア程じゃない。それにあの手の莫迦は嫌いじゃない。可愛いじゃないか)
苦笑気味のフィアへヒルダはニヤリと笑いかけた。
イワニナは朝の混乱から立ち直り、死者の埋葬、防空設備の補修、物資の調達と前に向かって活動していた。
直接ギルド前へと着陸することもできたが、敢えて正門から徒歩で移動するフィアとヒルダ。
彼女らの活躍で事態の終息を得たことを知った者は、口伝てにそれを広め畏怖と憧憬の眼差しを向けるのだった。
「あの規模の襲来があったにしては被害はそれほどでもないな」
「ヒビノが頑張ったのもあったし、土竜蜂が殲滅戦を仕掛けなかったのが大きかったと思うわ」
「女王蜂の出陣をどう思う?」
「……同族の仔を保護するだけでは説明がつかないわね」
疑念を残しつつ、街の様子をつぶさに見ながらギルドへと向かう二人。好奇の視線に晒されるのは慣れているが、度々(たびたび)礼に寄ってくる者達には参った。主に瀕死の状態で治癒を施された当事者や、その家族である。
治癒術を施した直時は姿を晒さなかったため、目立ったフィアとヒルダの行いだと思われたようだ。お礼を言いながら近寄る者も多かった。
無碍にはできず、丁寧な返答をしながらの移動となり予想以上にギルド会館に着くのが遅れてしまった。
ギルドの話では意外に住人の被害が少なかったとのことだった。逆に防戦に集中したイリキア兵と冒険者義勇兵の犠牲が多かったことが判った。
土竜蜂達の目的が判ってさえいれば減らすことが出来た犠牲であるが、今となっては詮無いことだった。
冒険者ギルドに直時から同意を得ていた案件の仮設発着場の管理を打診。イワニナ政庁に託すよりはギルドへ任せた方が良いとフィアとヒルダも判断していた。
ギルドから即答は無かったが、視察調査するとの答え。使用に耐えるか確認してからのことになるのだろう。何も言われなかったが建設者の正体は直時だとバレていたようである。ギルドの情報網は伊達ではない。
ひとつ、興味深い話が聞けた。魔獣達の生態に詳しいギルド職員からである。樹液が化石となるほどの古から生き永らえていた幼虫である。その生命力と女王蜂が出てきたことから始祖に繋がる存在であったかもしれないとのこと。
笑いながら「妄想ですよ?」と念を押した職員の言葉に戦慄を禁じ得ないフィアとヒルダであった。
始祖直系といえば、いみじくもヒルダが発した『御子』が当てはまる。
混血に寄る変種変化は地上界で多く見られるが、己と全く異なる種との交配、新たなる種への結びは神々から連綿と続く神聖な行為である。
本来、混血に適さない種族同士でも神々の祝福を得てそれが可能となる。その新たな種の第一世代を『御子』と呼ぶ。
通常の出産とは異なり、『御子』は数百の赤児としてアースフィアに新生まれる。保護された結界内か、神域で一定の成長をしたのち地上へと放たれ、新たな種族としての誕生となる。はじまりの種として最低限の保護が与えられるのだ。
件の蜂の仔はその『御子』である第一世代の仔であったのかもしれないと、ギルド職員は躊躇いがちに語った。
イワニナからフィアとヒルダの二人が戻る。しかし、ここで一騒動が持ち上がった。
直時が白烏竜のブランドゥへ、兄弟と一緒にヒルダと同行しろと言い始めたのだ。
「思うところがあってティサロニキで調べ物したいし、その後は各種族の集落を訪ねる日々になると思う。正直他に気を回せる余裕はない。偉そうなことを言った舌の根も乾かないうちで申し訳ないが、先ずは自分の知見を優先したい。俺は阿呆だから知らなければならないことが多過ぎるんだ」
今回の件で普人族側の意識。弱者としての歴史を調べたいと思った直時。歴史に置いて、編纂する側の都合が盛り込まれる場合は多々ある。しかし、それを承知で読み解くならば何を大儀にして何を敵としていたか、実情もある程度読みとれるのではないかと考えたのだ。
直時が元の世界で目にしていた「3行で要約」という言葉。膨大な文章から核心を抽出するその技術にはいつも感心させられていた。それを自分も試みるつもりだった。
(それは私も同じです。タダトキ様に従うことで知見を広めることが出来ると考えておりましたが……同じなのですね。私もタダトキ様も…。それは嬉しいことかもしれません。いえ、嬉しいです。是非とも御一緒して、同じものを見てどう感じるか…。共感と疑問を共に得たいと思います)
直時の説得にも意志を変えないブランドゥ。共感だけを得ると言わない辺り、直時より何気に理知的であるかもしれない。
「お前はブランドゥに新たな世界を指し示したのだろう? ならば見せてやらんでどうする」
ヒルダが叱る。直時にとってアースフィア自体が新たな世界であるのを承知である。どことなくフラフラと流れて行ってしまいそうな直時に錘を付ける意味合いもあった。
これが契機となり話は直時不利のまま推移した。ブランドゥの同行は決定であった。
ヒルダを始めとして皆に責められていた直時の様子に、ブランドゥが更に攻勢を強める。
(私からひとつお願いがあります。タダトキ様の『刻印』を頂けないでしょうか?)
「『刻印』? どっかで聞いたような…」
「神々や精霊の『加護』にあたるものよ。尤も、そんな大それた効果は無いんだけどね」
直時の疑問にフィアが答える。以前、リスタルの『高原の癒し水亭』の給仕である兎人族のミュンにフィアがねだられたこともある。
(フィアは前に断ってたよね?)
(「縁」が出来るってだけだから、そんな深く考えないでも良いわ。私は自分を誇示してるようで嫌だからしなかっただけ。ブランドゥは人族じゃないし良いんじゃないの?)
一応念話で確かめた直時。問題はなさそうなので『刻印』の情報を脳裡に浮かべる。
「独自の紋章を魔力で描いて相手に焼き付ける……。焼き付けるっ?」
「いやいや。痛みとか無いからね。ちょっとピリッとするだけよ?」
「びっくりするよ。この知識ちょっとおかしくないか? でも焼き付けるのかぁ。ブランドゥの真っ白な身体に変な紋章付けたくないなぁ」
気が進まない様子でブランドゥの首筋を撫でる直時。
「それに独自の紋章って言われてもどんなのが良いか判らないし…」
「何でも良いのよ? 名前から一字取るとか」
「精霊の文字でも良いのではないか?」
「いえいえ! 此処は黒を意味する紋章が!」
フィアとヒルダにオデットが割って入る。
「小さく力強い感じの紋章が良いですね」
「いっそヴァロアの国旗から…」
エリアとサミュエルまで口出ししてくる。
(名前かぁ。「直」とかカクカクし過ぎだよなぁ。漢字はボツだな。家紋は…なんか黒地に白抜きか金色のイメージが…。ブランドゥの純白の身体には付けたくないな。日章旗や旭日旗は戦闘機っぽくなるな。なんか違う…。うーん)
好き勝手な事を言い合っている一同を尻目に、考えこむ直時へブランドゥは期待に目を輝かせている。
「ちっこくて良いんだよね? あと目立たない処で…」
「小さいと「縁」も小さくなるわよ?」
(私はタダトキ様と大きな縁を結びたいです! それに隠すようなことはしたくありません!)
思いも寄らない強い口調に思わず謝ってしまいそうになる直時。
ブランドゥは右の主翼を大きく広げ、ここに『刻印』を! と言う。白烏竜達のように、空を舞う種族にとって翼は存在意義そのものだ。オロオロする直時へ向けられたのは一行の意地の悪い笑い声。ウフフとクククとフフフとニヤニヤだった。
ちなみに「ウフフ」はフィアとエリア、「ククク」はヒルダで、「フフフ」はオデット、残りの「ニヤニヤ」はサミュエルである。
(もうあれで行くしかないな。あれならブランドゥにも似合うだろう)
紋章の形に悩んでいた直時が漸く動いた。
直時の魔力を吸い込んで空中に描き出される紋章。それが広げたブランドゥの翼へと『刻印』として焼き付けられる。副作用なのか当然の現象なのか直時には判らなかったが、その瞬間眩い光がブランドゥの翼を包み、薄れた後には掌大の『刻印』が顕れた。
白烏竜の純白の翼を汚すこと無く浮かび上がった一枚の花弁。淡い桃色の桜の花弁を模した紋章は、あたかも雪原に舞い散った桜の一枚のようだった。
直時の刻印を貰ってご満悦のブランドゥ。傍目にも昂揚しているのが判る。その横顔を吹き込んだ風が撫で、彼の視線が宙に止まった。
(あ…。羽?)
その呟きに即座に反応したのはフィアだった。
(タダトキ! 風の精霊に反応してる! 相互念話設定してるなら黙らせて!)
(了解! って、今、タダトキって言ったよね? 言えたよねっ!)
(余計なところに反応するなっ! 今はそれどころじゃないから!)
念話は発音しているわけではないが、自分の声を元に発念している。実は直時からの日本語の転写により習得していたようだ。
恨めしげに横目でフィアを見つつ、ブランドゥとの個人念話を開く直時。
(ブランドゥ! それは風の精霊だ。今は黙っておいてくれ。訳は後で話す。だから皆には秘密!)
(兄弟達にもですか?)
無用の混乱を避けるため頷く直時。ブランドゥは不満気ではあったものの、ヴァロア組がいることで警戒する必要に同意する。黙ったものの視線はどうしても風の精霊を追ってしまっていた。
ヒルダは察したようだが、殊更騒ぐこともなく今後の予定を話し出した。
イワニナはまだ混乱から復帰していないので本日はこの仮設発着場で宿泊。翌朝出発。ヒルダがブラナン、ブラントロワを連れ実家の銀竜山地へ。ヴァロア組はフィア、直時、ブランドゥと共にティサロニキへ。以後の行動は別。
「では解散。サミュエルとアラン、ジョエル、ポールはイワニナからこちらに回される者達の誘導と事情説明。エリアとオデットも補佐してやれ。我々は休む。ブラナン、ブランドゥ、ブラントロワも充分に休んでおけ。明日はいっぱい飛ばねばならんからな」
口頭での指示とは別に、念話で白烏竜達へ通達する。厩舎内にて情報共有を促し、精霊についてはフィアから助言を得るようにと念を押した。
休息と言った3人が集まったのは直時の部屋であった。直時が入口を闇の精霊術で封じた途端、フィアとヒルダの静かな怒声が低く響いた。
「あんたの魔力をアテにしたのは認めるけど、あれは過信じゃない?」
「調子に乗るな。お前の力など、まだまだ我等の足元にも及ばないのだぞ」
活を入れる意味合いもあり、自然と厳しい声音である。言い訳を始めるだろうと思っていた二人は直時が無言で土下座したことで不意をつかれてしまった。
「自分の浅はかさでフィリスティアさん、ヒルデガルドさんはもとより、イワニナの人達にとんでもない迷惑を掛ける所でした。申し訳ありませんでした」
改まった様子に面食らう二人。直時は続ける。
「謝れば許されるとは思いません。せめて、自分の手持ちの財産をイワニナで犠牲になった人達へお見舞いとして使って下さい」
元々、各国から集った結果の財産である。直時に惜しむ気持ちは無い。それに殊勝な様子だが、いざとなれば冒険者ギルドで依頼をこなせば良いと考えている。日本と違い、裸一貫でも大金を得る機会はあるのだ。命懸けではあるが…。
「別にイワニナの被害はあんたのせいじゃないでしょう? 守ったんだから。それよりあんたの意識が問題なの。「守る」ことは「敵の皆殺し」と同義じゃない。判るわね?」
「我等とて人族だ。お前が他種族より人族を守る気持ちも判る。無論、その気持ちも持っている。ただ、人族「だけ」を守る事は無い。魔狼の仔を守ろうとしたお前なら判るだろう?」
直時の反省した様子と、その出自を改めて認識した二人は、問うように言い聞かせる。つまりは考えろということだ。フィアにもヒルダにも直ぐに答えを出させる気はなかった。
「質問があります」
正座したままの直時が二人に手を挙げる。
「良い加減に座れ。そして普通に喋れ」
ヒルダが鬱陶しそうに言いフィアと並んで寝床に腰掛け、直時は肯いて椅子に着く。
「フィアもヒルダさんも意思疎通できる他の種族と戦った…、殺し合ったことはあるの?」
「人族の他にってことね。普通にあるわよ?」
「数えきれないほどあるが?」
「理由を聞いても良い?」
「利害の不一致…かな?」
「お互い譲れないときがある。そんな時は最後まで戦うしかない」
「依頼とかじゃなく食べるため…、捕食対象としては?」
聞くのが怖かったが、直時は質問を続けた。
「私は無いわね。他に食べるものはいっぱいあるもの」
「食料目的ではないが、倒した後、結果的に食べることはあった。討伐依頼の大型魔獣とか、住人総出で解体してたしな」
「ああ! そういうのなら私もあったな。高位魔獣だったけど好き勝手畑やら荒らして、こっちの話を全く聞かない奴。食糧難になってた町の食材にしてやったことがあるわ」
一度は否定したが、ヒルダの話に同意するフィア。直時としては、食材として狩ろうとしたわけでなく結果として食材になったのならば有りなのか、幾分ほっとした様子だ。
「自分が食べるために狩る獲物としては無いってことで良いのかな?」
念を押す直時に二人が返した言葉は「わざわざ話せる相手を選んで食べない」とのことだった。
高位の魔獣や神獣は会話が可能だが、それ故に相手も人族を餌にすることは滅多に無い。彼等の逆鱗に触れさえしなければ攻撃されることはなく、普人族の人口増加は対抗し得る天敵しかいなかったことが理由の一因とされていた。
その後はブランドゥの話題となった。風の精霊を視認したことで精霊術を使える可能性が高くなった。精霊達と意思の疎通が出来れば風の精霊術を使う白烏竜の誕生となる。原因は直時の『刻印』としか考えられず、刻印がこれ程劇的な影響を示したことは例がなかった。
「此処だけの話だけど、内包する魔力量も他の2頭より多くなってるみたいなの。たかが刻印なのに、私がメイヴァーユ様から加護を授かった時と同じようなものなのよ」
直時は実感が湧かずふんふんと頷くだけだが、ヒルダはフィアの言葉の重要性に気付いたようだ。難しい顔をしている。
「ブランドゥが精霊術を使えるようになるなら、フィアが俺の時みたいに指導してやってくれないか? 風の精霊に反応してたのなら適役でしょ」
直時は自分が引き起こしたことよりブランドゥのことが気にかかる様子で、すぐにでも助言をしてやって欲しそうだ。
「あんた、自分が何やったか判ってる?」
「『刻印』だろ? んで、たまたまブランドゥが風の精霊術に目覚めるかもしれないから、晴嵐の魔女の異名を取るフィアが教えることができる偶然に感謝! ってことじゃね?」
風と水の精霊と縁が持てたのはフィアのお陰だと思っている直時は、今回のことも遠因としてフィアがあると考えていた。
「タダトキ。お前の刻印、私にもくれないか? それなら検証も可能だ」
「ちょっと! 貴女、次期族長でしょう? 普人族扱いされてるタダトキの刻印なんてバレたらどうすんのよ!」
少し考え込んでいたヒルダの発言にフィアが喰ってかかる。誇り高い竜人族にとって普人族からの刻印などもってのほかである。
「そうは言ってもフィアは既にメイヴァーユ様の加護を得ている身だ。刻印は無理だろう。それに私の実力ならば同族でも折り紙つきだぞ? 文句は言わせん」
高位の約定である加護を得ているフィアが刻印を貰うことはメイヴァーユへの冒涜に当たる。まあ、そう考えるのは神霊に尊崇の念を抱いているからで、当のメイヴァーユは笑って終わりにしそうであるが…。
そして、ヒルダにとっては竜人族のプライドだけの問題で、力でねじ伏せる自信が在る。良くも悪くも実力主義なのだ。
「だが目立たないようにはするべきかもしれん。ちょっと待て」
そう言って後ろを向いたヒルダが着衣をはだけはじめる。直時は慌てて目を背けるが、ちらちらと視線を向けてしまうのは致し方ないところだろう。その度にフィアの不機嫌度が上がっていくのに早く気付くべきである。
ビスチェ風の鎧を外して上半身をすっかりはだけてしまったヒルダに、フィアがあーでもないこーでもないと刻印の位置を話している。
直時は高鳴る鼓動を隠し、決死の覚悟でチラ見した。眼に焼き付いたのは魔力が通っていないため飾り程度に小さくなった竜翼と、それに掛かる真っ直ぐな白い髪。引き締まった腰の後ろ姿と、鱗に覆われた尻尾だった。たったそれだけのことだったが、深い満足を得たのだった。
「よし。此処に決めた。タダトキ! 『刻印』を頼む」
振り返ったヒルダが、両の胸の頂きを左上腕で隠し、右手で指し示したのは左乳房の下半分。所謂、「下乳」と言われる部分であった。
ヒルダのあられもない姿にすっかり慌てふためいてしまった直時。耳まで赤くしながら後ろを向くべきかどうか迷いつつ視線だけを斜め上に逸らせている。
「……早くしろ。私だって恥ずかしいこともある」
「……スミマセン。と、取り急ぎ、対処させてイタダキマス。って、本当に良いのでショウカ?」
ヒルダの赤面する様に、余計取り乱してしまう直時。
「さっさとやる!」
フィアが直時の頬に人差し指を突き刺して指示する。不機嫌そうだ。
「ふぁい。いきまふ」
細い指先に容赦無くぐりぐりとされながら答えた直時は、桜の花びらの形に魔力を込め、ヒルダの左胸へと刻んだ。
ブランドゥの時と同じように光が迸り、収まった後には桜の花弁を模した親指大の『刻印』がヒルダの左胸下部に浮かび上がる。
仄かに青さのある鱗肌に刻まれた薄い桜の花弁は、その美しさを損なうことなく『刻印』された。直時とフィアは思わずほぅっと見蕩れてしまう。
後ろを向いて直時の視線から逃れたヒルダは、左胸を持ち上げて確認した。
「小さいな?」
何やら不満そうだ。
「いくらヒルダさんの胸が大きいといってもバランスがあるでしょう? でかでかと刻印は出来ませんよ」
直時が必死で弁解する。
「いいから早く服(鎧)着なさいよ」
フィアが不機嫌そうに促した。
「じゃあ、精霊を呼んでくれないか?」
身なりを調えたヒルダが要請する。フィアが風の精霊を。直時が水と闇の精霊をそれぞれ呼び集めた。
「ほう! これが精霊の姿か。透き通った羽のようだな」
「他には見えない?」
早速精霊を視認するヒルダにフィアが問う。
「他か…。そうだな、黒いモヤモヤした精霊がいるな」
「闇の精霊ですね。水滴みたいなのはいますか?」
直時の問いに首を横に振る。ヒルダに適正がありそうなのは風と闇の精霊のようだ。
「ブランドゥで判ってたとは言え、刻印直後に精霊が見えるとはね…」
フィアが溜息を吐く。
神々や神霊の加護ならともかく、普人族(厳密には違うが)の刻印程度で精霊術習得の可能性が得られるとあっては一大事である。このことが知られれば、直時確保のための競争が過熱しそうだと頭が痛くなるフィアだった。
「魔力も漲ってきたな。はっきりとは自覚できないが、上限が増えた上に補給もされたようだぞ?」
「確かに…。5割増しくらいになってるわ」
魔力に敏感なエルフであるフィアには明確に感じられる。唯でさえ大きな魔力を保持していたヒルダの姿が大きく見えるほどだ。
「ブランドゥは他の子達の倍ほどになってたし、なんというか……。本当に規格外ね」
「俺の魔力を分け与えたような感じ? 減った気がしないんだけど?」
「あんたの場合魔力量が多過ぎて減ったのかどうか判らないわね。戦闘前に例の力を魔力に変換して溜めたでしょ? それもかなりの量を」
「イエッサー」
寝起きの呼吸法は既に日課となっていたが、イワニナに向かう際にかなりの量を魔力に変換した直時だった。
「まあ、まだ精霊が見えるだけだ。精霊術が使えるかはわからんからな。ブランドゥも呼んで試すことにしよう」
ヒルダの提案に肯いたフィアは、直時とブランドゥを促して邪魔の入らない空へと場所を移した。
高空で再確認したところ、ヒルダは風と闇の精霊、ブランドゥは風と水の精霊を認知できていた。フィアの教導により両者は風の精霊術を身に付けることが出来た。魔力を風推進に変換して飛翔していたこともあり、すんなりと覚えることが出来たようだ。
水と闇の精霊術に関しては、両者とも苦戦していたが、ブランドゥはなんとか水の精霊術を小なりとはいえ身に付けることが出来た。これにより精霊による治癒術も可能になり、ブランドゥについては高位の精霊術師としての開眼をみることになった。一方ヒルダは闇のイメージが固められず、精霊に意思を伝えることが出来ないようで、闇の精霊術を会得するには至らなかった。
「そろそろ切り上げましょう。ブランドゥ、くれぐれも精霊術のことは他言無用よ? ヒルダも判ってるわよね?」
「うぬう。闇、闇か…。もう少しで何か…。夜まで頑張れば!」
「駄目よ! 明日は別行動でしょう? 次に備えるか、ミケちゃんにでも教えてもらえば?」
フィアのキツイ言葉に不承不承頷くヒルダ。
「風と水の精霊術はフィアに教えてもらったけど、闇は独学なんで教え方が下手で申し訳ない」
直時がヒルダに頭を下げる。空が茜色に染まりつつあり、長時間飛翔し続けていた疲れもある。ただ、集まった面子は空を飛ぶことに関しては苦にならない一行ではあった。直時とフィアは教え疲れである。
ブランドゥの風の精霊術はなかなかの上達振りで、今も緩やかな竜巻を起こして、それに身を任せて大喜びで空を旋回している。水の精霊とはあまり意思疎通が上手くいかないようで雨を降らせたり、霧を作ったりする程度だった。
ヒルダも風の精霊術に関しては目覚しく、真空の刃や多重竜巻等は容易く身に付けた。しかし闇の精霊には苦戦してしまい、認知はできるものの闇の精霊に意思を上手く伝達できないようだった。リスタルで直時が発動した大規模な精霊術を眼にしたことで、精神的なブレーキが掛かっていたのかもしれない。
「むぅ。仕方ない。風呂を振舞ってもらうことでよしとするか」
「え? 仮設発着場で風呂ですか?」
「それは良い提案ね。気苦労掛けさせられたんだから私達を労ってくれて当然よね?」
「そりゃ、やれと言われればやるけども、他にも人がいるんだよ?」
「問題ない。口封じは任せろ!」
「口止めです!」
物騒なことを言うヒルダであった。
悩んでは切り換え、その繰り返しの主人公です。