イワニナの災い
序盤は馬鹿な暴走しました。だが、反省も後悔もしない!
閑話のようで続きのような回です。
「さあ! 脱いで下さい」
女性陣によるお披露目が行われた直時の部屋では、包みを手にしたオデットが迫っていた。
「短パンなんぞ試着するまでもないでしょ? それに穿くとしても皆の前で脱ぐ意味がわからんぞ!」
「タダトキ様ご所望の短ズボンを見立てたのは私です。大きさに間違いはありませんが、ジャストフィットさせるには少々手を加えねばなりません。ご安心下さい。実家が革製品の加工を営んでおりして、調整はお任せください」
「何故革? 使い潰すんだから安物で良かったのに…。それに大きさなんていつ測った?」
「見れば分かります」
オデットはしたり顔で頷いている。確かに海で下着姿を見せた憶えがある直時だが、開放的な無人島とは違い、狭い部屋で女性4人に見られながら脱げるはずもない。
にじり寄るオデットに部屋の隅へと追い詰められていく。
対峙する直時の額から一筋の汗が流れ落ちる。滲む右目の視界。次の瞬間オデットの姿が消えた。
床近くまで体を沈み込ませたオデットは直時の懐に潜り込み、電光の速さで伸ばした両の手に獲物をがっしりと掴んだ。
「獲ったぁ!」
「いい加減にしなさい」
屈んだことで低くなった紺色の頭頂にエリアの手刀が垂直に落ちた。
貞操が守られた直時はエリアに礼を言って、それでも引き下がらないオデットに試着を了承する。勿論着替え中は退室するという条件は飲ませた。
(親には見せられないな)
嘆息して下着姿になる。今日のものは更に隠れる面積が少なく、男性用Tバックと言ってもいい。サミュエルに聞いたところ、布地の節約と有尾種族に対応した作りであるとか…。
着替えた革パンもローライズであった。ヴァロアや更に西の普人族国家でも褌様の下着が主流だが、トランクスタイプもあるらしい。下着は馴染んだ品が欲しい直時は、イリキア第二の都市という『ティサロニキ』に望みをかけるのだった。
入室の許可を得た女性陣は目を爛々とさせたオデットを先頭に再度入ってくる。Tシャツ革短パン姿の直時が苦笑しながら迎えた。
「ぴったり。問題なし! オデットちゃん、選んでくれて有難う。じゃあ、そういうことで…」
「お待ちください」
近付いたオデットが直時の腰を左腕で抱える。男女逆であれば、踊りのエスコートをしているように見えないこともない。
掲げた右手の白手袋。その指先を噛んで取り去る執事姿のオデット。素手となった掌で直時の左腰の裏側から下、左脚との間。つまり左右に割れた左側のお尻を握りしめた。
「あらあら。緊張なさっておいでのようですね」
目を白黒させた直時の耳元で薄笑いを浮かべながら囁く。臀筋の筋を確認するかのように強弱を変えて揉み撫でる。
「おいコラちょっとマテ!」
「運動用なのでしょう? 動きを阻害せず、且つ快適な穿き心地の調整のためです。次は力を抜いてくださいませ」
「本当だな? 信じるからな?」
勿論と返したオデットは力を抜いた柔らかいお尻を撫で回す。
(硬く引き締まっていた肉が今はこんなにも良い弾力を…)
徐々に息が荒くなり頬に朱が刺してきた。
危機感に駆られた直時は救いを求める眼差しを他の3人に送るが、フィアとヒルダは笑いを堪え、エリアは申し訳なさそうにしながらも視線を泳がせているだけだ。
「また力が入ってます。そうですね、次はもっと力を込めてください。ハァハァ。か、硬いっ!」
興奮の極に達したオデットが直時の革短パンの下に手を突っ込むという暴挙に出て、漸く拘束に動いた3人。引き摺られ、連行されるオデットの表情はそれでも満足気であった。
結局、革短パンの仕立て直しがされることはなかった。
その夜、イワニナのとある豪商の元へ一抱えもある琥珀が運び込まれた。樹液の化石であるこの貴石は、太古の虫等が閉じ込められている場合がある。直時なら地球で放映されたある映画(琥珀の中の蚊が吸った血からDNAを採取して恐竜を復活させる名作)を思い出したかもしれない。
その巨大な琥珀の中、黄色味がかった飴色に透けて見えるのは蜂の幼虫と覚しきものだった。大きさは人族の赤子程。50~60センチくらいだろう。頭部周辺は気泡が入っていたのか、空洞になっているようだ。
「どうだね?」
「これだけ大きな琥珀は例がありませんね。大変貴重でございますよ? しかし、この気泡はいけませんね。価値が下がります。虫入りというのもそこそこ珍しいので買い手は付くでしょうが、割って別々にした方がよろしいでしょう。幸い虫と気泡は端のほうですし、加工は簡単かと思います」
鑑定を依頼された宝石商が問いに答える。
「ふむ。そうか。職人たちを呼んできてくれ」
使用人が貴石加工に携わる数人を連れて現れる。宝石商の助言を元に、切り離す箇所に注文をつける。
「もうちっと大きく削った方が良いんじゃないですかい? 気泡が入ってる箇所は弱いですぜ。割れちまったら虫入りの方は売り物になりやせん」
一人の職人が注意を促すが、純琥珀の方をなるだけ大きく残したい宝石商と豪商の主人は、そこはお前たちの腕の見せ所だと譲らない。
慎重に石目を吟味した職人たちは、切り出す角度や位置を微修正した。そして原石を切りだそうとした瞬間、中の虫が身震いした。
落胆の声と共に、気泡から幼虫に沿って割れた琥珀が剥離する。途端に香る甘い匂い。今まで嗅いだどの香水とも異なる、甘く蠱惑的な香りに陶然となる一同。
ボタリと落ちた幼虫が細かく痙攣した後、久し振りの外界に深呼吸するように大きく身じろぎした。驚きも束の間、幼虫も売り物になると捕獲を命じる主人。この状態で生きていた生命力の強さ。その珍しさ。捕まえられた幼虫が身を縮こまらせると、匂いが強くなる。発生源はこの虫だったのだ。
この匂いを香水に出来ればそれも大儲けできるだろう。そうも考えた主人は早速心当たりの調香師に連絡を取るよう動く。琥珀の中で生きていた程だからと、幼虫は頑丈な大箱に厳重に密閉された。
残り香は屋敷から吹き散らされ、街上空へと舞い上がり、風に乗って山々を巡る。希釈されたその微かな匂いがとある岩山へと届いた。暫くしてその山は唸りを上げる。山全体が震える原因は、数えきれない蜂の羽音のようであった。
曙光が山々を照らし出し、高地の澄み切った空に現れた黒点。それはたちまち数を増やし、やがて一方向へと向かい始める。その先には『イワニナ』の街があった。
オデットの夜襲を警戒し、闇の精霊術で厳重に部屋を封印していた直時は、すっかり習慣になってしまった早起きで夜明けと共に目を覚ます。深夜の娯楽が酒くらいしかない世界では仕方が無い。
闇の精霊に礼を言いつつ封を解き、昨夜の革短パンTシャツ姿で着陸用岩板へと向かう。
増設したとはいえ、山肌から突き出た部分はそれほど長くない。材料とした土を岩へと圧縮変換し密度を高めた結果、山腹に空洞ができた。そのため、設備自体は外から内部へと拡張することになった。その補強の『岩盾・塊』で更に空間が広がり、厩舎や宿泊部屋はそこにつくられていた。
直時は上下左右斜めと林立する石柱の間を抜け、補強した壁面に亀裂が無いか確認しながら歩く。地質調査や強度計算、たわみ具合等必要だが急造でどうしようも無かったため、些か過剰なまでの補強を施したが不安は晴れないようだった。
朝日を浴びながら柔軟体操をしていると途端に慌ただしい空気が流れ、斜め頭上の発進用岩板から数騎の騎獣と有翼の種族が空へと舞い上がり、イワニナから来たのか着陸のため接近する騎獣の姿もある。
(タッチィ! イワニナの街が空襲されてる! 冒険者ギルドから街守備の義勇兵要請が来たわ!)
何事かと思いつつも早朝訓練のための柔軟体操を続けていた直時にフィアが念話で知らせてきた。
(盗賊?)
(いいえ。飛翔生物よ。土竜蜂の大群らしいの!)
脳内情報を検索する直時。
土竜蜂。体長1メートル。強靭な顎と神経性の毒針を持ち、直接攻撃だけでなく毒針を撃ち出す事もできる。山岳部に生息し、高山の岩場に穴を穿ち地中に無数の巣部屋とトンネルを作る。山一つが巣になることもある。獲物と認識されるか、巣穴に近づかない限り攻撃されることは少ない。狩りは単独で行うが、劣勢になると仲間を呼ぶため敵対した場合は速やかに殺すか、逃げること。
(ヤバイ相手みたいだけど、イワニナで何かやった奴がいるのか? 巣穴をつついたとか?)
(冗談を言っている場合ではないぞ! 街では既に死傷者も多数出ているらしい。冒険者義勇兵も参戦している。私達も行くぞ!)
状況を飲み込めていない直時にヒルダの叱咤が飛ぶ。弾かれたように自室に戻った直時は革ズボンと旅装シャツ、革の上着を着てナイフ等を吊るしたままの革ベルトを装着、槍を片手に発進用岩板へと走る。
(ヴァロア組、白烏竜はここで待て。危険と判断したら即時離脱。飛翔準備は整えておけ。それとタダトキは正体を隠せ。特に髪は見せるな)
ヒルダの指示に各人が肯定の念を返す。その中で直時はフィア、ヒルダグループの念話で再確認する。
(俺がイリキアに来たってことをアピールしなくてもいいのかな?)
(派手な戦闘で目立ったらイリキアからも注目されるわよ? ここの建設だけでも噂になりそうだし、これ以上目立つのは駄目)
(うむ。自重しろ。目立っても良いが正体は隠せ。準備が調えば上部岩板に集合だ。急げよ)
了解の念を送り即座に部屋に戻り、包帯で頭を隠しながらフード付きマントを掴んで走る直時。何故自分が見知らぬ街のために出陣しなければならないのか? そんな疑問が一瞬頭を過ぎるが、フィアとヒルダが言うのだ。その判断に己を任せることができる程の信頼は既に持っている。ならばゆくのみ。
「ご武運を!」
サミュエルを先頭に、騎兵がヴァロア式の敬礼で見送る。エリアとオデットの姿がないのは、寝起きの女性であることを考慮にいれて然るべきかもしれない。フィアとヒルダは既に準備を整えていたが、規格外の存在を比較対象としてはいけないだろう。
ヴァロアの4人に消防団式の答礼で応えながら、先に地を蹴ったフィアとヒルダに続いて離昇する直時。山を回りこんですぐのイワニナ上空には、遠目にも大きな黒点が飛び回っていた。
「なんて数だ…」
呆然と呟く直時。
街上空を覆う土竜蜂の群れ。その羽音は街を覆い尽くし、差し始めた朝日を遮っている。
高速で飛び回る1メートルの飛翔物に、守備兵の対空装備は大した成果を上げているようには見えない。むしろ敵対行動を取ったことで、毒針の犠牲になった兵が屍を晒し、対空射撃の数も散発的になっていた。
その中でも活躍しているのは個体能力の高い冒険者義勇兵である。チームを組んで防御、回復、攻撃、支援と効率的な迎撃を行なっていた。だが、全ては焼け石に水。あまりの数の差に倒れていく冒険者も多い。
(無闇に殺しちゃ駄目よ! 余計に反撃が激しくなるからね!)
(あの数だ。殲滅なぞ考えるな。来襲の原因を取り除かねばならない)
(でもどうやってっ? 倒れてる人があんなに!)
一人、また一人と毒針に倒れ紫色に染まって痙攣する。土竜蜂のさらに上空から様子を探る探知強化を施した直時は、眼にとまる惨劇と、耳に届く断末魔、悲鳴に焦りだけが募る。
(探査の風。憶えてるわね? あれを広く街全体に。あんたの魔力量なら出来るはずよ)
(こんなときに訓練かよ!)
(私にはこれだけ広範囲には無理なの! でもあんたの魔力量なら出来る! 今やらなくてどうするのっ?)
(探知強化は解け。風の精霊術に集中しろ。識別できたら蜂だけを上空へ吹き飛ばせ)
「好き勝手言ってくれる…」
直時は探知強化をキャンセル。目を閉じて意識を周囲の風と同調させる。
(根拠のない信頼だけど、やるだけやってやろうじゃないの。でも駄目な場合の次善策はあるのか?)
(余計なことは考えないで集中! 精霊に教えてもらうのをすっ飛ばして、風の精霊と一体化、魔力を流して。風はあんたの眼であり耳であり手足よ。感覚を手放す、広げるイメージ)
(次善策は考えてある。任せろ)
ヒルダの言葉に肯いた直時は、フィアに言われた通りのイメージ。風が描く周囲の光景。自分を取り巻く風。フィアの操る風。ヒルダが発する風。
(感じる? 次はその範囲を広げるの。ゆっくりでいいから。自分の魔力を行き渡らせながらその分意識を広げていくの)
明瞭な自分周辺と違い、ぼやけた認識の境界がある。魔力を風にのせ、その境界を押し広げていく。ゆっくりと、確実に塗りつぶすように。
眼を閉じ集中している直時。その体から溢れる魔力量に、頭では理解しているはずのフィアとヒルダも改めて目を瞠る。周囲に満ちていく濃密な魔力。しかし、それが突然消えた。
(駄目か…。仕方あるまい。次の手を…)
(いいえ。待って…)
ヒルダが残念そうに念話を発したそのとき、突然彼女等は飛翔の制御ができなくなった。立て直そうとしても思うように飛べない。
(大丈夫。落とさない。もうちょっとだからそのまま待ってて…)
直時の念話と共に姿勢が安定する二人。
(魔力が必要ない…だと?)
ヒルダが驚愕する。魔力を風に変換し竜翼から巻き起こして飛んでいたのだが、制御できなくなった時点でそれを止めた。原因を確かめるためだ。自由落下するはずが、風が支えてくれている。フィアも同じだ。
直時の魔力は消えたのではなかった。それは風の精霊との完全同化。風を魔力で操るのではなく、風が直時そのもの。そして、直時そのものとなった風は、イワニナの街の隅々まで吹き渡る。
(俺の風が触れ得る全てが、俺が触れ得る全て…。今、蜂達を引き剥がす)
街中を埋め尽くす蜂の一匹一匹。弩弓の矢。人々が手にした刃。乱れ飛ぶ毒針。奔る攻撃魔術。その全てに風がまとわりつき、軌道の変更を強制した。
(蜂達は一旦街の外まで退かせる。抑えておくからギルドへ対策を)
蜂達は思うように飛べないのに、何が何でも街へと近付こうとしている。彼等をそうさせるのは何か? 早急に調べ、対応してもらわないといけない。フィアとヒルダにギルドへ向かうよう頼む直時。
(二人の風は邪魔しない。いくよ? 今!)
直時の合図とともに落下するが、フィアもヒルダも直ぐ様自分の位置を取り戻す。
(力技だけは敵わないわね。でも、風の精霊術師として大事な感覚は掴んだようね。ヒルダ、ギルドへ急ぎましょう!)
多数の目標認識も、同時個別対応も、フィアに言わせれば魔力にモノを言わせた力押しである。尤も、風の精霊との同化は評価していた。
(しかし、こんな大規模襲撃など原因が考えつかないな…)
ヒルダの経験でも聞いたことがない。直時の言ではないが、巣をつつかれた程度ではここまでの襲撃にならないし、怒らせたのなら街まで逃げるのは不可能だ。蜂類に持久力は無いが、短時間の飛行速度はとてつもなく速い。
(蜂達が特に集中してた屋敷があった。そこを調べれば手がかりがあるかもしれない。場所は――)
直時が二人に伝えた。フィアは冒険者ギルドへ、ヒルダはその屋敷へと急行する。
「まだ増援が来るか…。いつまで支えきれるか…」
襲撃していた蜂達は風で拘束して街の外で抑えているが、何処から飛んでくるのか後から後から増えていく。直時の風の支配範囲に入った途端自由を奪われるが、諦める様子は全くない。
土竜蜂の大群に覆われた空が陰りを増し、直時の不安は膨れ上がっていくのだった。
冒険者ギルドの扉を蹴破らんばかりの勢いで入ったフィアは、義勇兵への指示や負傷者の治療で慌ただしい最中の職員に支部局長を呼び出させる。
現在、蜂の群れは仲間(直時の名は出さない)が街の外で押し止めていること。稼いだ猶予の間に対応するため、蜂が集まっていた屋敷住人の素性と土竜蜂の詳しい習性の即時調査を要請した。
屋敷についてはイワニナにおいて名の知れた豪商のものであるとすぐに判った。ヒルダが既に向かっていたが、応援にギルド職員と護衛の冒険者を向かわせる。
同時にここ数日での依頼を確認。すると、昨日護衛依頼の終了がされており、荷の確認をするが貴石の原石であるとのことで怪しい点は無かった。
(ヒルダだ。屋敷の主人は死亡。しかし、生き残りの使用人から気になる話を聞いた。昨夜、琥珀の原石から生きた幼虫が出たらしい)
フィアは更なる聴取を頼み、支部局長が呼んだイワニナ周辺の魔獣に詳しい職員に説明する。
「琥珀から? とてつもない生命力ですね…。幼虫とのことですがどのような?」
フィアはヒルダに催促の念話を送る。
(人族の赤子程の蜂の仔だったらしい。琥珀から出た時と、捕獲した時に何やら甘くて強い匂いがしたようだ。その後、売り物にするつもりで密閉して地下蔵へしまったと言っている)
追加情報を伝えると、若い男性職員は何かに気付いたような顔で捲くし立てた。
「土竜蜂の女王蜂の仔では? 甘い匂いはきっとフェロモンです。それに惹かれて集まっているんです。我々には感知出来ない程希釈されても彼等は感じます。それが強いと感じるほど放出されたなら…。それよりも幼虫は生きているんでしょうね?」
「今確認させてるわ。屋敷は蜂の襲撃にひどい有様みたい。地下蔵は無傷。――幼虫発見! 大丈夫、元気だって!」
「良かった! すぐ群れへ渡すようにしないと…。街から離れた所へ誘導して放置すれば、あとは勝手に保護して帰るはずです。でもあの大群を抜けるとなると…」
土竜蜂の報復という最悪の事態は避けられそうだが、穏便に収める手が無い。街中で幼虫を取り戻させれば、その仔を守るために余計に攻撃性を増すだろうと予測された。
「それは何とかするわ。私とヒルダが運んで、今、群れを抑えてる仲間のフォローもあれば大丈夫でしょう」
フィアは支部局長と職員を安心させ、直時とヒルダに予定を念話を伝えている。
その時、サミュエルからの緊急念話が3人へと響いた。
ヴァロア組は仮設発着場内ではなく、その上空に退避していた。状況によっては直ぐに逃げるよう言われていたからである。
組み合わせは直時追跡時と同じで、1番騎を先頭に三角形の編隊でゆっくりと旋回しながら上空待機していた。
それを最初に見つけたのはオデットであった。『遠視』で強化した視力で周囲を警戒していたが、街に後続する群れの中に一際密度の濃い部分がある。注視する瞳に、他の蜂に隠れながらも別種か? と、思う影を捉えた。
(特務大尉殿。北北西、街へ向かう集団。群塊の中に別種らしき形状を視認)
(なにっ?)
(…大きい、ですわね)
直時の様子に気を取られていたサミュエルより、エリアが確認する方が早かった。その指摘に目標を視認したサミュエルが目を凝らす。少しの沈黙の後、血の気が引いた顔でイワニナに向かった直時達に念話を飛ばす。
(こちらサミュエル! 新たな群れがイワニナに接近中。女王蜂と思われる! 決戦を臨む可能性大! 至急対処されたし!)
巣穴の奥深くで守られている女王の出陣。その事実は総力戦と判断したが故の緊急念話だった。
(女王蜂? え? 女王蜂って飛べるの?)
直時の疑念は地球での常識でしかない。巣を作りはじめてしまえば、群れを維持するために卵を生み続けるのが役目となり腹部が肥大化する。そのため飛翔能力が失われる。
しかし、ここアースフィアでは違う。物理的に飛ぶに適した体型でなかろうと、固有術による魔力変換で飛翔が可能な種であるなら、問題になるのは魔力量だけなのだ。
(拙いな。私は幼虫を伴ってイワニナから離れる)
(じゃあ、私はその支援ね。タッチィは私達の離脱後、群れの全部がこちらに来るのを確認してから追いついて。街へ向かわないのを確信できるまでそこを離れたら駄目よ?)
あくまでもイワニナの街を守ることが目的だと釘を刺すフィア。
(大部分がそっちを追うなら俺はヒルダさんとフィアの援護にまわる。多少街に向かっても冒険者義勇兵で対処できるだろ?)
彼女らの意志は尊重するが、直時にとってはフィアとヒルダの方が大事である。イワニナを見捨てるつもりはないが、何もかも面倒を見るつもりもない。大部分を引きつけることができれば、後は彼等の対処に任せる。それは直時の意志だった。
(私達を誰だと思ってるのよ? でもまあ、それで問題ないかな。ギルドへはその旨連絡しておくわ。それと……ありがと)
最後の念話は小さかった。ヒルダからは鼻で笑うような返答だった。しかし、どちらも嬉しそうだった。
結果的にその心配は杞憂だった。甘いフェロモンを放出する幼虫を無視する蜂はおらず、群れの全てが追い始める。サミュエルからの連絡で女王蜂も進路を変えたと判った。
直時はせめてもと、未だ息のある人達に精霊術による『治癒』を施す。その後すぐにフィア達を追跡した。
追いついた後は、壁役となり殿を務め、フィアは援護から支援に。ヒルダへ風と人魔術による加速を施す。3人の必死の逃走を余所に、イワニナの街から蜂の黒雲は去り、静まった街路に人々が顔を出し始めていた。
早朝から始まった防衛と追跡は昼近くに終焉を迎える。イワニナから充分距離を取ったところで、追跡してくる女王蜂を待つことにしたのだ。山間の比較的広い地を見つけ着地した3人は、蜂の群れに囲まれた中で休息を取る。
当初の予定では幼虫を放置して土竜蜂が勝手に助けるのを待つつもりであったが、女王蜂が出てきたとなってはきちんと保護した上で直接渡した方が良いとの判断だった。放置して他の魔獣の餌になってしまっては困る。
蜂の仔を抱いたヒルダ、周囲を警戒するフィア、風の障壁で土竜蜂を寄せ付けない直時の3人は視界を埋め尽くす群れの中、平然と女王蜂を待つ。
「うわぁ。蜂が9割9分に、空が1分…。気持ち悪ぅ」
…訂正。直時は蜂しか見えない視界を閉ざし、風の感覚に身を任せ周囲の地形などを調べてなんとか気を落ち着けようとしていた。
「来たか」
ヒルダの呟きに同意するフィア。それまで3人を覆う緩やかではあるが力強い竜巻に、何度も突破を試みては上空へと吹き飛ばされていた蜂達がおとなしくなりはじめた。
やがて包囲していた蜂の群が左右に別れ、道を作り、地に降りた蜂は傅くように頭を垂れ、宙を飛ぶ蜂は控えるように後ろに退く。
現れたのは他の蜂達より顎と腹部が二回りは大きな蜂達。兵隊蜂である。その後ろには女王蜂。通常見られる土竜蜂の約5倍。だが大きさが違うのは腹部のみで、頭部、胸部は働き蜂とさして変わらない。羽の大きさは逆に小さいほどである。
だが、その溢れんばかりの魔力量は女王の威厳をまざまざと魅せつけ、ゆっくりと、しかし真っ直ぐに近づいてくる姿は風格に満ちていた。
(風の障壁を解け)
(えっ? 大丈夫?)
(相手は一族の長なのよ。まずはこちらが礼を尽くさないとね。でも、油断だけはしないようにね)
ヒルダの指示に疑問を呈する直時だが、フィアの補足に納得する。全てを中へ巻き上げる風を女王蜂の接近に合わせて緩やかにし、目前に到達したとき完全に霧消させた。周囲の風の精霊とは無論同化したままで、即座に防御、逃亡。もしくは攻撃に移れるようにしている。
「先ずは人族の御無礼、お詫び申し上げます。御子の保護を優先したためこのような遠来への御足労を強いてしまい、重ねてお詫び致します」
ヒルダの謙った口上に驚きを隠せない直時。
「御子はこの通りご無事です。どうぞ御身の元へ…」
胸に抱いていた幼虫をそっと差し出しながら頭を下げる。
近付いて前肢と中肢の4本を伸ばす女王蜂。兵隊蜂の緊張と直時の緊張が高まる。おくるみに包まれた幼虫は、無事女王鉢の胸に抱かれ、ヒルダとの間に兵隊蜂が数匹割り込んで壁となる。周囲の蜂達の殺気が高まったその時―。
(控えよ。我が種の仔が無事であった。それで良い)
女王蜂からの念話が辺りに響いた。驚くのは直時だけで、ヒルダとフィアはその言葉に頭を垂れる。
(え? それで納得するの? イワニナじゃ死人も出てるんだろ? 不可抗力じゃないか。せめて事情説明くらいしても…)
(蜂の仔が琥珀から生きて現れたってことまでは良いわ。でもそのあと売り飛ばそうとして閉じ込めてたのよ? どうなるか判る?)
(いや、しかし!)
(無知故というならお互いだろう。そして向こうは一族の存亡をかけての奪還だ。殲滅戦を望むのか? お前が彼等の敵になるなら私はお前の敵にまわるぞ)
(…っ!)
フィアとヒルダに絶句しか返せない直時。踵を返す女王蜂の後ろ姿に内心の苛立ちをついついぶつけてしまった。
「ひとつだけお聞きしても宜しいでしょうか?」
「莫迦っ! やめなさい!」
「なにもかも台無しにする気かっ!」
フィアとヒルダが慌てるが、直時は槍を地面に置いて片膝を折る。どうしても聞きたかったのだ。
(申してみよ)
幼虫を胸に抱き振り返った女王。すかさず取り巻く兵隊蜂。
「御身は人族と意志を交わすことができます。人族の街にいきなり襲い掛からず、包囲しての交渉も可能であったのではないでしょうか? さすれば双方に犠牲は出なかったかと愚考する次第です。是非ともお考えをお聞かせ頂きたい!」
直時の案では交渉ではなく脅迫であるが、同族に犠牲を出さないなら有効な策である。
(人族が我等と同様に統率がとれているのならば良策かもしれぬ。しかし、お主らは個の利益を尊び、求め、同族同士で騙し合い殺し合うではないか? そのような輩の中から我が種族の赤子が助けを求めたのだ)
激昂するでもなく高慢でもなく、無知な存在に言い聞かせるような口調だった。
(争いの後、傷つきながらも我の子の少なからぬモノが生きておった。今、息のある子はおらぬ。あの街に我の子の息吹は絶えた)
傷付き、死んでいったのは何も街の住人や冒険者だけではない。一族の仔を救おうとした土竜蜂達もそうだ。そして、傷つきながらも生き残っていた彼等は人族の手によって全て殺されていた。
人族の治癒には気を使った直時であるが、土竜蜂に対してそんな配慮は欠片も思いつかなかった。正直、害獣として認識していたに過ぎないのだ。そんな存在にお互いの配慮などと感情のまま言い放った。
それに気がついたとき、竜人族のヒルダ、エルフのフィアと共に旅して、魔狼や虚空大蛇のミソラ、白烏竜達と心を通わせることができていたと思っていた自分がとてつもなく恥ずかしく、卑しい存在に思えた。
地球で忌々しく思っていた『動物愛護団体』の有り様そのままであったと自覚してしまった。自分が基準にしていたのは可愛いか可愛くないか。そんな卑近なことだったのではないか?そう思い知った。
(人の子よ。我はそのことを責めておるわけではないぞ。お前たちはそうある存在である。我等はそれを理解している。故にそのように対処したまでだ)
断定される言葉。お前たちはそういう呪われた存在なのだと言われた気がした。普人族の暴虐に憤慨しながらも、自分も同じ穴の狢であったのだ。
何も言えない直時にこれ以上言えることは何も無いと判断した女王蜂は再び踵を返す。しかし、直ぐに足を止める。
(だが、お主はそれを是としないようだな。なら、普人の民を変えるくらいの力をつけよ。我が言えるのはそれだけだ)
女王蜂が去り、それに付き従った群れが去っても直時は地面に眼を向けたままだった。
まだまだこの世界に馴染み切っていないことを思い知った直時…