逃避行⑦
話が進まないorz
「よし。夜も更けた。本日の訓練は終了だ」
爽やかな声を足元に掛けるヒルダ。
仰向けで激しく胸を上下させている直時は、なんとか自力で治癒術を施せたのか、汗まみれではあるものの傷は残っていない。
「あり、がとう、ござい、ました―」
不自然に言葉が切れるのは、合間に呼吸を挟んでいるからだ。
「治癒、しても、しんど、い―。疲れ、たー」
「身体を治しても体力の回復はある程度しかしないからね。仕方ないわよ」
フィアの言葉に眼を剥く直時。初耳だ。2刻の間に合計5回の治癒術を掛けねばならなかったが、傷が癒えたにもかかわらず、疲労度は蓄積していったのである。
「食べて寝れば大丈夫だ。夜食の獲物は私が狩って来よう。それまでに『露天風呂』で汗を流しておくがいい」
直時の上達具合にヒルダは上機嫌で島の中央の森へと分け入る。竜人族は夜眼も利くようだ。
本来の目的は直時の基礎体力向上であったが、必死に動くようにと追いたてたヒルダは、彼の対応速度に眼を見張ることになる。勿論手加減しての攻撃であったが、最初の3回ダウンはフィアが治癒を施さねばならなかった。しかし、後の2回は自力での治癒ができるくらいの回避を見せたのだ。
ヒルダの剣先は視力だけで捕捉するのは困難だったが、剥き出しの肌が敏感に感じ取っていた。文字通り『肌で感じる』という感覚を身に付けはじめたのだ。
体力向上と武術の訓練を同時にできることに満足感を抱くヒルダである。直時にとっては災難であるが…。
(叔父さんのしごきを思い出すなぁ。容赦のなさは段違いだけど…)
精霊術や人魔術という新しい知識故にそれに頼り切っていたが、直時としては今夜の訓練は、働き出して遠ざかっていた体を動かす感覚を取り戻す切っ掛けとなった。
「…なんだか訓練前より細くなってない? 本来ならもっと筋肉が付くはずなんだけど」
フィアはほぼ裸の直時の身体を値踏みするように眺めて言う。
「今は無駄な肉が落ちたところなんだと思うよ? 疲労はあるけど身体は軽くなった気がするからね。それと―」
「……あまり見ないでくれる?」
「……ゴメン」
褌にスニーカーという今の自分の姿を思い出し、泣きそうになる直時から慌てて顔を背けるフィアだった。
直時が『露天風呂』で汗と汚れを落としている間に、ヒルダが雉に似た野鳥を捕獲して戻って来た。日本のそれと較べて3倍ほど大きい。フィアが人魔術で手早く血抜きを済ませ串焼きにする。炙られた肉は淡白そうな身からは想像できないほどの脂を滴らせ、香ばしい匂いを漂わせる。
手拭いを首に引っかけた直時が着替えを済ませてやってきた。薄手のシャツに裾を膝下まで捲りあげ、素足に革のサンダルを引っかけ竈前へと座る。
「良い具合に焼けてるわよ」
フィアが塩と香辛料をまぶして焼けた肉を手渡してくれる。
「お! ありがとう! 美味そうだ。ヒルダさんもありがとう」
二人に礼を言い、焼き立ての鳥肉に齧り付く直時。
激しい運動の後だが、体力回復を身体が求めるのか夕食をきちんと摂ったにも拘わらず次々と平らげている。
「ヒビノ。今日の私からの教えは人魔術の転写よ」
「おっ! 攻撃系?」
「そう。攻撃系を含めた私が知る魔法陣全てよ」
「あの……。全部はちょっときついんじゃないかなぁー。少しずつが良いんだけどなぁ」
転写の頭痛は馴れたとはいえキツイことに変わりない。
「予備知識がない状態ならね。でもあんたは魔法陣の改造まで出来る。構造を理解できるようになっている。だから、レパートリーが増える程度の影響しかないはずよ。たぶん」
最後の一言に、納得できるような出来ないような顔の直時。転写による初回の印象が強過ぎたのかもしれない。
「鼻血出ないなら…」
消極的な同意を得たフィアは早速転写を行った。
直時の脳は大量の情報流入による負荷で悲鳴を上げる。しかし、それ以上に脳裡を舞う魔法陣の数々に圧倒される。攻撃魔術を始め、高度な支援魔術、応用による便利な生活魔術、多種多彩な職業魔術。ひとつとして同じ形の物は無い。直時は雪の結晶や万華鏡を見る思いで脳裡に描かれる魔法陣に魅了された。
「「あ…」」
フィアとヒルダが声をあげる。転写による副作用ではなく、新たな知識に興奮した直時の鼻腔から血が垂れていた。
「いやー。これは興味深い! 流石は異世界だわ。科学技術じゃなくて魔法技術かぁ。魔力が動力とか電源で、個人が蓄電池持ってるようなもんだな。普人族は容量少ないから出来る事に限りがあるけど、魔力の多い種族と協力し合えたら一大魔力文明が築けるだろうに! 神様も色々手伝ってくれりゃ良いのにねぇ」
眼を輝かせて妄想する直時。
火力発電所を務める火竜、水力発電を担う水竜や水の神霊、フィアやヒルダ、自分もできる安定した風力発電のエネルギー供給。魔力を電力に変換することで、社会全体で使用できるエネルギーが増えるはず。巨大建築物も自分は知らないが土の神霊や、土の精霊術の得意とする種族に頼めば短期間で完成するのではなかろうか? 食糧生産も光魔術を活用した植物プラントで大量生産も…。
(火竜の旦那さんが「火力発電の交代いってくるよ」とか言って通勤したり! ぷぷっ)
擬人化しすぎだとは思うが、そんな世界に発展するのも楽しそうだと夢想する直時。他の生物や自然と共に暮らす種族のことを忘却しきっている。
「刺激が強過ぎたかしら?」
「さあな? でも楽しそうだぞ」
妄想の中とはいえ、自分達の世界を改造されているとは思わないフィアとヒルダであった。
「とりあえず落ち着け」
ヒルダは直時へ果実酒の杯を押し付けた。
明け方。直時はすっきりと目が覚めた。昨夜の疲労が嘘のようだ。運動後の夜食で満腹になり、寝酒ですぐに深い眠りに落ちたことが、体力回復と快調な眼醒めをもたらしたのである。
倒れ込むように寝た直時のために、フィアとヒルダが寝床をしつらえ運んでくれたのも快眠の理由であった。
二人を起こさないよう、直時は闇の精霊術で気配を消す。ミケが使っていたことを思い出し、真似たのだ。
離れた場所で入念にストレッチを始める。終わった後、腕立て、腹筋、幅広腕立て、背筋、スクワットジャンプ、V字腹筋等、思い付くメニューを10回ずつこなしていく。3セットを消化し、最後に限界回数プラス1回の腕立て、腹筋で終了。治癒術を施す。
身体の軋みが消えたことを確認して、島の外周ランニングに入る。砂地や岩場、マングローブという地形にたちまち体力を消耗する。倒れそうになるのを我慢して最後に砂浜を全力疾走。力尽きるまで走る。敢え無くダウン。2度目の治癒術で酷使した筋肉を癒す。
「朝はこんなもんで良かろ…。あとは朝食用に魚でも捕るか」
先日のこともあり、下着(越中褌を細くしたような下着。リスタルでもロッソでもこのタイプが多かった)のみ着用し、沖まで風の精霊術で飛んでから海中へとダイブした。
探知強化を掛け忘れたため、獲物を探すのは水の精霊にお願いし、水中で気配を探る。半透明の水滴のような水の精霊が右の海面近くに注意を促した。サンマに似た細身の魚群が現れる。直時の狙いはその群を狙うように周りを泳ぐ1メートル程の回遊魚だ。
(マグロかカツオみたいなでっぷりした紡錘形だな。今日の朝食はあれにしよう)
狙いを定めた直時は水流を操り魚雷のように突進。周囲の海水ごと捕獲して海面に躍り出る。リスタル上空で空中騎兵を閉じ込めた風の檻の、水の精霊術版だ。魚の入った水球を、風の精霊で空に浮かべたまま一緒に浜辺まで飛んで帰る。
「絞めた方が良かったんだっけ? でも締める場所なんて知らないからなぁ。闇の精霊よ、久遠の眠りを―」
漁師が手鉤で頭付近と尾付近を刺すと活きの良いまま締めることができるのは知っているが、正確な知識が無い。一瞬の死であるなら闇の精霊術で良かろうと使用する。水球の中で激しく暴れていた魚が動きを止めるのを確認し、水を解放。魚は微動だにせず砂の上に横たわった。
少し顔を顰めた直時は、軽く頭を振って脱いだ衣服へと袖を通す。嫌な記憶を思い起こすような精霊術を敢えて使ったのには理由があった。
心機一転する! そう決めたからだ。体を鍛え始めたのならば、心も鍛えよう。そう思った直時だった。
リスタル戦の悪夢を忘れることは出来ないし、忘れるつもりもない。自分の不用意さ故に、多くの者を殺し、殺されかけもした。あの血の海は生涯夢に見る事だろう。
(フィアもヒルダさんも強引だが、好意で色々教えてくれようとしてるんだものな。俺もそれに応えないと!)
気合が入っているようだが、直時は何もこの世界を良くしようとか、発展に寄与しようと思っているわけではない。昨夜のことは自分が勝手に思い描いた妄想だと承知している。
「まずは、誰を害するでもなく自分のポジションを確保すること! それが最優先だ!」
拳を握って朝日に誓う言葉は、各国が追う『黒髪の精霊術師』としてはあまりにもささやかな決意だった。
朝餉を囲みながら3人は今日の予定を話し合っていた。
直時が獲ってきた魚は思った通り赤身で、味はカツオというより淡白なマグロという感じであった。ポン酢も醤油もないため、刺身や叩きにせず塩焼きであったことに直時は落胆した。だが、魚醤のような調味料を『高原の癒し水亭』のオットー氏が使っていたことを思い出し、和風調味料を探すことを今後の目標に入れようと決意するのだった。
「今日の予定も昨日と同じ。ヒビノは東方海路に沿って飛行、商船に姿を誇示すること。野営地向きの島があったら早めに着地しておいて。私達は一刻後に後追いするから野営地からの念話はそれを念頭に置いてね」
フィアの確認に首肯する直時。魚肉の串焼きを頬張っていたヒルダが不意に問いかける。
「以前から疑問に思っていたのだが、ヒビノの名はタダトキだろう? フィアは何故姓で呼ぶのだ?」
「おっ! ヒルダさん一発じゃん! フィアは発音し難いって言ってたけど」
「う……。ヒルダまで噛まずに言えてるぅ」
フィアが悔しそうにヒルダを見る。
「タードァートゥーキー。ターダートーキー。まあ少し言い難いが、そんなでもなかろう?」
「なんかカクカクしてない?」
「確かに意識しないと発音し難くはあるな」
「…ひとの名前を悪く言わないでくれ」
アースフィアの言語では言い難いようだが、ちゃんと発音できる人もいた。というか、ちゃんと呼んでくれる人の方が多かった。
「ミケが普段呼んでいた略称があったな」
「ああ! タッチィー!」
「それで良いのではないか?」
「却下! あれはミケさんが呼ぶから良いんだ! フィアが語尾伸ばしたって可愛くない!」
思わず本音をこぼしてしまった直時。
「な・ん・で・す・っ・て?」
「フィア御嬢様は可愛い系じゃなくて綺麗系ですからっ! 凛とした美しさですからっ!だから間延びした呼び方はその美しさに似合わないんじゃないかなーっ!」
笑顔のまま青筋を浮き立たせたフィアに必死のフォローが入る。
「ふむ。じゃ、タッチィにしておきましょう」
「……あんまり変わらない気がする」
ギロリ睨むフィアに慌てて口を押さえ、直時は首を左右に振る。
「じゃあタッチィで決まりだな」
ニヤニヤしながら楽しそうなヒルダ。
「「タッチィ」」
二人の溢れんばかりの満面の微笑みに「ハイ」としか言えなかった直時だった。
真っ青な夏空。ところどころにむくむくと聳え立つ真っ白な積乱雲。眼下には深い海の藍色、点在する島の緑、砂浜の白、環礁のエメラルドグリーン。溢れかえる世界の色に、自転車に跨り空を往く直時は風除けのサングラスを外す。一層際立つ世界の鮮やかさに口元が綻んでくる。
「何度飛んでも気持ちいい!」
オープンカーや単車でもこの爽快感は得られないと思う直時。
自転車で飛んでいるわけではないが、操縦している気分で車体を傾ける。大きく倒した車体の頭を斜め下へ向け、海面に向かって背面で緩降下。ぶつかる寸前ロール。姿勢を真っ直ぐに戻す。海面すれすれを風を切って飛ぶ直時。ときどきうねりの先端がタイヤに当たり、飛沫を飛ばした。
風で白い軌跡を波間に残し、疾駆する自転車。直時の目前に一際大きなうねりが海面を持ち上げる。咄嗟に上昇、後輪が波を切り裂いて盛大に水を弾けさせた。
高度をとった直時は、右へ左へと錐揉みを繰り返し濡れた車体と身体から滴を飛ばす。目まぐるしく変わる景色の中に3筋の航跡が見えた。商船だ。
「御挨拶、御挨拶っと」
縦列で東から西へと進む商船へ向けて高度と速度を下げて近付く直時。各船の縫うようにスラローム飛行。それぞれのメインマスト上、見張り台で驚いている船員達に手を振りながら飛び去る。
「これはサービス!」
3隻から良く見えるところで大空に大きな弧を描く。3連続宙返りを別れの挨拶として、さらに東を目指す。
「煙幕出せたら綺麗だったんだけどな」
今無いものは仕方無いが、無ければ作れば良いと考えた直時は、今夜にでも魔法陣を弄ろうと思うのだった。
「あれが『黒髪の精霊術師』か。とんでもねぇ早さで飛んでやがるな。念話が届く範囲にうちの船はいたか?駄目か…。しゃーない、日付と時間、容姿と乗り物の絵を添えて伝書飛ばせ。進路も忘れるなよ」
船長の指示に連絡用の海鷹が2羽(1羽は予備)空へと放たれる。その足にはマケディウス王国の大商人、グラツィアーノ家への連絡筒が括りつけられていた。
直時はその後も出合う船全てに自分の姿を印象付けて、東へと飛び去った。一刻遅れで後を追うフィアとヒルダは、じわじわと差が広がっていることを情報収集するため舞い降りた船から訊き、午後の追跡では降りる船を絞って飛行に重きを置く旅程となった。
一方直時は、たまには甘い物が欲しいなぁということで午後に見つけた大きな商船へと降り立ち、野菜と果物をはじめ数種の食糧と、黒糖と香辛料を交渉して買取った。少なくなった酒も忘れなかったのは言うまでも無い。
航路近くに5つの連なった無人島を発見した直時は、少し早いが着陸。航路と反対側の砂浜で野営準備を調え始めた。今までは石を積み上げた簡易竈であったが、『岩盾』の元になった土木錬金術系魔術である『石化』を改造。火を効率良く使えるよう本格的な竈を作りあげる。
「そういや薪集めしなくても煮炊き用の火系魔術あったよな? でもまぁ時間あるし直火のほうが雰囲気出るもんな…」
一度足を止めたが考え直した直時は、乾いた流木を集め始めた。ある程度集まったら縄で縛って『浮遊』を掛け、引っ張りながら薪集めを続ける。
竈の中に火を熾し、太い流木に火が移った時点で下ごしらえを始める。先ずは荒挽きされた大麦のような穀物を『石化』改造で作った土鍋へ投入。乳脂(バターに似た脂)の塊を、流木を削って作った木べらで透明になるまで炒める。香草のみじん切りと磯で獲った貝の身を入れ、塩と香辛料を適当に振りかけたあと、水を入れて蓋をした。
「米は無かったけど、パエリアみたいに出来あがったら良いんだけどな」
水加減が適当なので期待は持てない。それでも白米を食べたくて仕方がない直時の代用創作料理である。
次は普段から使っている鉄鍋にみじん切りしたオルニオン(玉ねぎもどき)を入れ、乳脂でキツネ色になるまで炒める。小麦粉を少量入れて茶色になるまで更に炒める。火から下ろし、別の鍋に乳脂と塩漬け肉をぶつ切りにして投入、軽く焦げ目が付いた時点で水を入れる。塩と香辛料、香りのキツイ野菜と固く繊維が多そうな野菜をぶつ切りにして放り込み、灰汁を取りながら暫く煮込む。先程炒めたオルニオンと小麦粉を投入し、だまにならない様溶かし、『石化』で成形した石板で竈の穴を塞いでその上に鍋を置く。直火にさらさずじっくりコトコト煮込むためだ。
予備の鍋が無く、石化で土鍋をもう一つ作る。リンゴのような梨のような果実を多めに買ったので、生食分は別にとっておいて数個の皮と芯を取り除き土鍋に入れ、水をひたひたにしてから黒糖を水の10分の1くらいを煮ながら溶かす。果実に火が通ったのを確認した直時は火からおろして蜜が果実に浸み込むにまかせる。
そうこうしている間にパエリアもどきが噴きこぼれている。飯盒なら放置するのだが、ご飯でないだけに少し不安だった。しかし、『赤子泣いても蓋とるな!』という言葉を思い出した直時は噴きこぼれるまま放置。収まったところで火からおろして蒸らす。
「こんなもんだと思うがヒルダさん良く食うからなぁ。俺も訓練後は腹減るし、何か狩ってくるか…」
鍋をかき混ぜて焦げ付いていないことを確認し、シチューを火にかけたままにする。直時は一応確認のため念話を飛ばしてみるが、まだ感知できる範囲ではないようだ。服を脱いで海へと入る。
十数分後、鮭のような2メートル程の魚を仕留めた直時が海から上がって来た。水の精霊術で塩水を洗い流し、風の精霊術で身体を乾かした直時は念話をフィアとヒルダへと飛ばす。
(ヒルダだ。野営場所は決まったか?)
(夕飯の用意も出来てますよー)
(やったぁ! もうお腹ぺこぺこよ)
(商船から酒も買ったよ。航路右手に島が5つ連なってるところがあるから一番大きな島に来て。航路と反対側の浜にいる)
(了解だ。ふふっ。酒付きとは気が利いているじゃないか)
(急いで行くわ)
(ヒビノ了解。待ってる)
念話を切った直時は魚を三枚におろして片側の身を適当な大きさに切り塩と香辛料を振って小麦粉をまぶして待機。残りの身には塩だけ振って作成した石皿に放置。こうしておけば後で何にでも使えるだろう。もったいないくらい身が付いていたが、骨と頭は面倒くさいから海に捨てる。すぐに何かが寄ってきて餌になる。
「お疲れ様」
しばらくして空から舞い降りてきた二人を迎える直時。周囲には既に芳しい香りが充満していた。
「なんか御馳走みたいね」
「うむ! でかした!」
「二人には訓練でこれから世話になるからね。まあお礼の一部ということで。俺も久々に調理らしいことができて楽しかったしね」
石化の応用で砂浜の砂から作成した石製の食卓と椅子、食器の前に二人を招く。
「早速人魔術の改造?」
「これは『石化』を改造したものだけど、魔法陣の脳内検索してみたら造形の職業魔術で似たようなのがあったみたい。フィアの知識多過ぎだよ」
「良い結果を導くことが出来たなら、回り道であってもその過程は決して無駄ではないぞ」
直時の苦笑にヒルダが言う。
「とりあえずどうぞ。今日仕入れたお酒。前に買った奴ほど美味しくないけどね」
二人の杯に果実酒を注ぐ。
「直ぐに食事にするからちょい待ってね」
予め加熱していた石板に乳脂をたっぷりと乗せ、溶けたところに先程の小麦粉をまぶした魚の切り身を乗せる。脂の爆ぜる音と小麦の焦げる香ばしい匂いが立ち込める。
魚肉を取り分けた皿に残った脂で炒めた野菜を添える。直時は自分の杯と二人へおかわりの果実酒を注ぎ、あらためて席に着く。
「「「乾杯!」」」
三人の杯が重なる。
「じゃあ食べようか」
「うむ。御馳走になる」
「どうぞ召し上がれー」
フィア、ヒルダ、直時がお互いを見やって野外にしては本格的な料理を口にする。
直時の手料理は思ったより好評であった。魚のムニエルもどきは淡白ではあったが乳脂が浸み込んでこってりとした味わい。材料不足のシチューも塩漬け肉が柔らかく煮込めていた。パエリアもどきは少し焦げてしまっていたが、お焦げもまた美味であった。
フィアとヒルダが特に喜んだのは食後のデザートとして供されたコンポートもどきである。直時としてはバニラビーンズやシナモン等で香り付けしたかったが無い物は仕方無い。蒸留酒を少量ふりかけただけだったが、野営がメインでは甘い物自体が果物か干し果物しか口に出来ないので、これはこれで御馳走であったようだ。
フィアとヒルダが嬉しそうに一口ずつ味わっている姿に自然と笑み崩れる直時。料理を作る側として、喜んで食べてくれる人がいるというのは大きな喜びだなぁと、改めて思うのであった。
食後の話題は直時がどんな生活をしていたかが中心になった。フィアが地球の文明に強い興味を示していたこともある。
「良くも悪くものんべんだらりと過ごしてたよ」
苦笑しながらも遠くを見るように話す直時。
生活のため働く毎日。隙を見つけて捻じ込む自分の楽しみ。美味しいお酒。地域のしがらみ。家族との悲喜こもごも。文化背景は判らないが、命のやりとりをするような争いの少ない国に生きていたのを窺わせる話であった。
「じゃあ今度はアースフィアの話ね。ここ100年くらいで私が見聞きした出来事を…話してたら時間が無いわね、転写で!」
「情緒が無いな!」
「私も吟遊詩人だから弾き語りしたいんだけどね。今は早く知識が欲しいでしょ?」
「仕方ないか…。それじゃ、それと各種族の関わりとかも知ってるだけで良いから教えて。祖先がどんな神様だったとか、どの種族がどの種族と友好的だとか、逆に反目してるとか、理由は何故だとか。俺の世界じゃ、神の存在があやふやなせいで色々と解釈があってそのせいで戦争も虐殺も起こったんだ。その辺りの違いも認識しておきたい」
「あくまでも私の知識でしかないわよ?」
「200年以上生きてるんだろ? 逆にお願いしたいね」
他意のない言葉だったが、フィアとヒルダの表情が微妙に強張る。
(あれ? 地雷踏んだ?)
直時の背中を悪寒と冷や汗が伝う。
「うん。判った。私が知る限りの事を教えてあげましょう」
「竜人族が伝え聞くことも私が教えてやろう」
「ああ、うん。アリガトウゴザイマス。でも二人とも何故そんなに本気の眼なのですカ?」
ところどころ台詞がカクカクしてしまう直時。訊くまでもないこととはいえ、身の危険を感じる。
「それはね。タッチィが本気で知りたいとおもっているからそう見えるだけなのよ」
「ヒルダさんは転写なのに何故指を鳴らしているのデスカ?」
「それはね。タッチィの身体に教え込むからだよ」
「二人ともどうして大きなお口で笑いを堪えているのデスカ?」
「「それはね。これから教えてあげることが楽しいからだよ」」
頭では無駄な逃走だと理解していたが、本能が直時へ逃げろと命じた。風の精霊術を駆使した疾風の如く飛び立った直時を即座に捕獲した二人は『教育』をはじめるのだった。
―合掌。
追跡グループがもうひとつ出て来ました。
料理って面白いですよね? 時間があったら一からビーフシチュー作ってみたい。