逃避行③
時間なくて見直し無しで投稿しまつ!
「…ご、御指導有難う、御座い…ま、した―。う、う、麗しきフィアお、くぅ…。お嬢様。凛々し…い、ぐがが…。ヒルダひ、ひ、姫様」
砂浜にボロ雑巾のように蹲る物体から、魂を絞るようなか細い声が聞こえた。心無し屈辱感に塗れているような気もするが、多分気のせいである。
満足気なフィアとヒルダに見下ろされた物体は、『教育』の名の下に暴虐の限りを尽くされた直時の残骸であった。自業自得であったことは否めないが…。
ミソラは自らのとぐろの中に頭を突っ込んで震えている。
「ふう。汗かいちゃったわね。身を清めて来ようか?」
「そうだな。頼めるか?」
フィアとヒルダは頷きあって近くの森へと足を向ける。
「覗いたら息の根を止めるからね」
振り向いたフィアの恫喝にも、答える程の元気が無い直時は息も絶え絶えで頷いた。
森へと入ったフィアとヒルダは、周囲に気配がないのを確かめた後、衣服を脱いで手近の枝へと引っ掛ける。
露わになったのは背丈はあるものの、細く繊細なフィアの肢体。白い肌ではあるが、あくまでも柔らかい雰囲気を崩さない仄かな薄い肌の色。対照的に、存在感のある胸に引き締まった胴、豊かな腰へと緩急のついた体型のヒルダ。肌は同じく白くはあるが、真っ白な中にほんの少し墨を垂らしたような灰色。硬質な印象である
木漏れ日に煌めくのはフィアの白金の細い髪と白い肌、ヒルダの白い髪と竜鱗である。
「風の精霊、水の精霊、我等が身を清め給え―」
フィアの声に二つの裸身が優しい水の渦に包まれる。汚れを落とした後は、風が濡れた身体を瞬く間に乾かしてしまう。
「炎の吐息で汚れを焼き尽くすより心地良いな」
「貴女、そんなことしてたの?」
ヒルダの呟きに呆れたようなフィア。炎に耐性の強い竜人族ならではの清め方である。
「あれはあれですっきりするんだがな」
「そんなの貴女達(竜人族)しかできないわよ」
やってみるかと微笑むヒルダにあくまでも固辞するフィアであった。
身綺麗になった二人は、身に付けていた衣服もフィアの精霊術によって洗う。風に乾かされる間、美しい裸身は惜し気もなく晒されているが、それを眼にする幸運な者はいなかった。
「(おにーちゃん…大丈夫?)」
鬼達が立ち去った後、直時へと這い寄ったミソラが心配そうな様子で聞く。
「だ、だいじょーぶ…。精霊達、癒しを―」
治癒術を行使した直時から、瘡蓋がぽろぽろとこぼれ、全ての傷が完治したことを告げた。
「(これ、ミソラもやってもらった! 同じ! おにーちゃん元気なった!)」
一転して嬉しそうなミソラ。直時の頬も自然と緩む。
(意思疎通できるだけで、蛇っ仔をこんなにも可愛いと思ってしまうとは…)
地球にいた時には考えられないことだと直時は思っていたが、実のところそうでもない。犬猫牛馬羊等哺乳類は言うに及ばず、爬虫類でも産まれたばかりの仔蛇を掌に載せては眼を細めていたし、小さな蜥蜴やヤモリ、蛙にも可愛気を感じていた直時である。害の無い毛虫や芋虫を腕に這わせて、その感触を楽しんでドン引きされていた事もあった。
「……しかし、魔女どもめっ! 好き放題やってくれやがりましたね…。いつか! いつか絶対ギャフンと言わせてやるからなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
万が一にも森に届かないように、眼の前の大海原へ向かって叫ぶ直時であった。
傷は完治した直時であるが、全身血塗れ土塗れである。フィアとヒルダは森の中で汗を落としているのだろう。女性の身嗜みは時間が必要との判断から、以前から試したいと思っていた計画を実行に移すことにした。
「先ずは『岩盾』の魔法陣を用意して―」
幸いにも周囲に人気は皆無であり、ヒルダには先程事情を説明したから問題はない。砂地に座り込んだ直時は、魔法陣を展開する。
発動することなく宙に浮かぶそれを、ミソラが興味深そうに眺めていた。
「形を将棋の駒から箱型に変更して…。これじゃ大き過ぎる。もう少し小さく。でも脚が伸ばせる広さは欲しいな。どうせ屋外でしか使えないからそんなに小さくなくていいか。表面はなるべく滑らかに…。角はRをつけておこう―」
魔術回路の成形に当たる部分を描き直していく。供給魔力量は必要に応じて増やす。
頻りに何これ? と、問いかけるミソラに、直時は出来てからのお楽しみと笑いかけていた。
「土は石に 石は岩に 『岩盾・方舟』!」
新しくアレンジした魔法陣を編み、呪文を唱える。砂地から生えるように現れたのは2メートル四方の箱型の岩。厚みは15センチ程だろう。先程の呟き通り、縁も中も角は全て丸くなっている。
「(おにーちゃん! 四角のが出てきた! すごい! )」
「ふふふ。ミソラよ! ここからが本番だ」
ドヤ顔で水の精霊に働きかけた直時は岩の容器に水を満たす。砂浜にでんっと鎮座した物体は大きな浴槽であった。庶民に入浴の習慣が無いことからこれまで我慢に我慢を重ねていたが、漸く実行する機会を得た直時である。
「ここまでは計算通り! じゃあ、お湯にせねばなっ」
念のため距離をとり、ミソラは自分の背後まで退がらせる。直時は一番初めに教えてもらった攻撃魔術である『炎弾』の魔法陣を編んだ。
「焼けつく炎 『炎弾』!」
直線ではなく放物線を描いた炎の塊は、狙い違わず水を湛えた浴槽の中央に着弾した。
―ボフッ!
瞬間、辺りは猛烈な水蒸気に包まれる。直時とミソラが待機している場所まで水蒸気を伴った風が届いた。
「うわっぷ!」
流石に熱はあらかた無くなっていたが、蒸気の凄まじさに驚く直時。
確認のため覗き込んだ浴槽にはほんの少し熱湯が残っていただけだった。
「……まさか水が弾け飛んでしまうとは」
初級とはいえ攻撃魔術を放ったのである。手っ取り早いと思った手法であったが、水蒸気爆発を起こし、肝心の湯を沸かすということには失敗だったようだ。
「(無くなっちゃったよ?)」
「ぬぅ」
ミソラの前で格好良くきめようとした直時だったが、裏目に出たようだ。
「やはり制御という点では、生活魔術の改造の方が良いということか…。ちょっと待ってくれよー。すぐになんとかするからなー」
ミソラの視線に羞恥に染まりながら、使えそうな生活魔術脳内検索する。
(くぅーーーっ! ここにあの二人がいなくて良かった! ミソラは良くわかって無さそうだけど、あいつらがいたら絶対に弄られてたな)
不幸中の幸いと思うしかない直時。いくら女性の身嗜みに時間が必要とはいえ、あまり時間を掛けることはできない。
(お湯、お湯かぁ。水の精霊ぷるちゃんに頼んだらなんとかなるかもしれんが、ここは自力で乗り切りたい!)
良いところを見せようとして失敗した。それが原因で、不必要なこだわりが頭をもたげる。
「んーっと。ひとつのことに拘るからいかんのだ。人魔術は複数系統を組み合わせている魔術もあるんだし…。『出水』に火の術式を組み込むか…。煮炊き用じゃ火力が低そうだけど、広域はヤバイし、鍛冶屋用だと強過ぎる。どうすっかなぁ」
直時のイメージ的には給湯器である。水を通す過程で適度な加熱が加われば良い。検討結果、『出水』の水線の周りに熱風(適度な炎の術式とそれを纏わりつかせる風の術式)を組み込むことで温水とする方式にする。
いじった魔法陣を何度か発動させ、直時好みの温度より少し高いくらいに設定し(自然放熱や、浴槽が熱を吸い取るのを見越したため)た新たな魔法陣を満を持して編む。
「温かな水の恩恵 『出湯』!」
呪文も新規一転である。編まれた魔法陣の中心からかなりな勢いで温水が注がれる。
砂浜の砂を材料として構築された『岩盾・方舟』に、今度こそ満々と湛えられるお湯。腕を捲くりかき混ぜながら温度を確認する直時。
「うむ。良い塩梅だ! やっと…。やっとお風呂に入れるぜ!」
お風呂は身体と心の洗濯である。日本人にとってこれは譲れないところだ。ミソラは、拳を握り締め感動に浸る直時を不思議そうに見ていた。
全裸の直時は、岩風呂の横で鍋を手桶替わりに掛かり湯をする。その姿をミソラが注視していたが、フィアとヒルダから産まれ立ての幼生であると聞いていたため、さして気にもしていない。
「ふぅーーーーーっ」
湯に身を浸した直時は、久し振りの感触に満足の吐息を漏らす。
「(おにーちゃん、気持ち良いの? ミソラも同じことやりたい!)」
直時の至福に満ちた表情を見たからだろう、身をくねらせアピールするミソラ。
「おう! 入る前にちゃんとお湯を被るんだぞ? これはお風呂に入るための礼儀だからな!」
「(うん! ミソラちゃんとする!)」
浴槽の傍らに真面目な面持ちで屹立したミソラに湯を掛けてやる直時。熱くも無く冷たくも無い温度に、心地良かったのか、ふはぁと息を吐く。
「うむ! 入ってよし!」
「(わーい! ミソラえらい? )」
「ちゃんと出来たな! えらいぞっ!」
湯船の縁に肩を載せた直時の笑顔に飛びついてくるミソラ。器用に水面を泳いでいる。
「(ぽかぽかして、ほわほわして気持ち良いね!)」
頭部だけは湯に漬けないで直時にからみついたミソラは、初めての入浴に御機嫌である。気に入ったようだ。
ゆっくりと湯に浸かりたかった直時だったが、無邪気にはしゃぎ湯面を泳ぎまわるミソラと戯れるのも悪くない。飛沫を掛けられても怒る気は起きず、心からこの時間を楽しんだのであった。
ちなみに汚れた衣服は水と風の精霊にお願いして洗濯し、乾燥まで任せっきりである。浴槽から少し離れた空中で、水の精霊ぷるちゃんが汚れを分離し、風の精霊ひーちゃんが乾かしてくれていたりする。
「…裸でなにやってんの?」
戻って来た魔女その1、フィアが湯に火照った直時に問いかける。それまで奔放にはしゃいでいたミソラが上目遣いに直時へと寄り添った。余程怖かったようだ。
「これは俺の故郷の風習で『露天風呂』と言う。空の下で温かい湯に浸かり、身を清め、身心を癒す習慣だ。ちなみに普通の風呂は各家庭に備わっていて毎日入る」
「これは人魔術で作ったのか? 屋外用の浴場か、面白いことを考えたものだな。私の実家にも大浴場はあるが毎日入る事は無いな」
「ヒルダの実家って…。族長とか言ってたわね」
浴槽でふんぞり返り風呂文化を誇る直時を特に意識する様子のない二人。実は平静を装いながらも、直時が瞬きをする瞬間に視線が下へと向いていたりするが、そのような神業を見破れるわけもない。
(自分の裸は見せないけど、男の裸はなんともないのか? まあ、そんなもんか)
見た目が妙齢の女性達であったが、先程のやりとりで実年齢を思い出した直時は遠慮をかなぐり捨てた。彼女達にとっては男性の裸などもう珍しくもないだろう。恥ずかしいと思う気持ちが無くも無いが、『露天風呂』だと開き直る。
「フィアの郷には入浴の習慣は無いの?」
「沐浴ならするけど、お湯に入る習慣は無いわ。でも、気持ち良さそうね」
「今日も天気は良いようだ。野営で、同じものを作ってもらおう。それはそれとして、そろそろ用意しろ。移動するぞ」
「了解。ゆっくりしたかったけど、実験が成功ってことで満足しとくか。ミソラ、上がろう」
「(えー? もっとー!)」
余程風呂を気に入ったのか、駄々をこねて直時に巻きつく。裸体に悶える大蛇(実は産まれ立て)という、第三者から見れば誤解を招きかねない光景に、フィアとヒルダの頬が染まる。
現実は駄々っ仔をあやすの図であったりするのだが…。
「おねーさん達が怒るよ?」
直時の囁きに身を強張らせるミソラ。
「(ミソラ、良いコ! もうおしまい、わかった!)」
この手は使えるな、と満足気に頷いている背後に二人の魔女の影。
「はっ?」
気付いた時には遅かった。作り笑顔のこめかみに青筋を立てたフィアとヒルダは、直時の頭を鷲掴みにしてお湯の中に沈めるのであった。ぶくぶくと口から立ち昇る泡が『ババァ…』と弾けていたのは秘密である。
身綺麗になった一行は、それぞれの荷物を纏めて空へと舞い上がる。浴槽は直時が魔法陣を逆操作で砂に戻し、野営の痕跡を消していた。
「あれ? なんかミソラの色変わってなくない?」
直時が出合ってから今まで、ミソラは明るい白茶色をしていた。それが今は青灰色になっている。
「多分保護色じゃない? さっきまでは砂地にいたけど、今は空の上だしね」
空の色と雲の色を模しているのだろうとフィアが答えた。羽が魔力製で半透明なのも目立たないためなのだろう。
「へぇ。何気に凄いな。自動迷彩かぁ」
「(ミソラすごい?)」
「おう! 凄いぞ! 格好良い!」
直時の言葉に大喜びである。自転車の周りをくるくると飛び回っている。
「準備は良いな? では『リネツィア』へと急ぐぞ」
ヒルダの声に皆が頷く。一行は一路東へと空を翔ける。
自転車に跨った直時。そのすぐ傍には6枚の羽から風を生み出し飛ぶミソラ。少し後方からは直時と同じく風の精霊に身を任せるフィアと、竜翼を広げミソラと同様に風を媒体に推進の風で飛ぶヒルダ。ある意味移動力に特化した集団である。その移動速度は並の冒険者が『地走り』等の移動系魔術を行使しようとも追いつくことは敵わないものだった。
(打ち合わせ通りヒビノがまずリネツィアの街の上を通過。なるだけ目立て。ミソラは街を迂回してヒビノと合流。二人はそのまま東進。越境し、『フルヴァッカ公国』の街『リジェカ』の手前の海岸線で待機。あの辺は紛争が絶えないから街へは近付くなよ?私とフィアはミソラの件をギルドへ報告し、ヒビノの情報をわざと聞いてから追跡という形をとる)
高速での移動中につき、念話での会話となる。中継は何故か押し付けられた直時だ。相手を指定しての双方向は別だが、集団での連絡は直時が受信してそれを同時通訳のように皆に飛ばすのである。リメレンの泉でリシュナンテが担っていた役割と同じだ。
(ミソラ、おにーちゃんと一緒が良い!)
神獣にも問題無く届いているようだ。安心する人族一同であるが、やはり問題はミソラである。
(街の上を過ぎるまでだから。ミソラは街の上飛んだら、また痛いことされちゃうの。だから隠れて飛んでくれる?)
(やだやだ! 独りだと怖い…。おにーちゃんと一緒が良い!)
事前のヒルダの説明もフィアの言葉もミソラには効かないようだ。
(そうだ! 服の中に隠れるなら大丈夫なんじゃない?)
直時は何回も巻きつかれている。
(ミソラ、街の上だけおにーちゃんが抱っこしてあげるから、じっとしてられる?)
(抱っこ? ミソラ抱っこ好き!)
不安そうな念から、途端に喜びへと変わる。
(ちょっと来てみな)
東進を止め、滞空する一行。直時の襟元からミソラが身をくねらせて入っていく。飛行骨は器用に折り畳んでいる。胴を螺旋状に這い、全身を直時の服の下へ潜り込ませると襟元から頭をピョコンとのぞかせた。
「これで大丈夫なんじゃない?」
滞空しているため声が届く。念話でなく直接声にだす直時。
「ミソラ、街の上はそれで良いわね? 外に出たら駄目よ。我慢できる?」
フィアが念押しする。
「(ミソラ、これが良い! おにーちゃんあったかい。ずっとこれで良い)」
「虚空大蛇のイメージが…。竜族と並ぶ大空の覇者なのに…」
ヒルダが額を押さえている。
「ミソラの鱗すべすべだなぁ。気持ち良いかも…」
「子供に言うな! 変態!」
直時の呟きにフィアの拳骨が後頭部に炸裂する。空中で一回転しながら、久し振りの普通のツッコミに安心する直時。
「……ふむ。ヒビノは鱗が気持ち良いのか…」
危険な発言をするヒルダに一同の視線が集まる。
「なんだ?」
「人を特殊な趣味を持つかのように形容しないでください!」
直時はあくまでも元の世界においての判断で叫ぶ。爬虫類フェチと思われるのは心外である。
「だが気持ち良いのだろう?」
「それはミソラが可愛いからです!」
「私はどうだ?」
「普通に綺麗ですよ? ……怖いけど」
見目は麗しいと言わざるを得ない。但し、後半は小声である。相対したときの圧倒的な力が頭を過ぎる。
「そう言えば普人族のようであるが、普人族とは何の関係も無かったのだったな」
何かを納得するようなヒルダである。フィアは胡乱気な様子だ。
普人族は欲は強いが排他的である。リナレス姉妹の耳や尾を切り落としたことからも判るように、自らと違う特徴を嫌う傾向が強い。
しかし、直時からすれば自分達には無い魅力的な特徴である。小説、漫画、ラノベ等でしかお目にかかれない実物が眼の前に存在するのだ。感動以外の何物でもない。
「うむうむ。これは育て甲斐がありそうだ。是非とも竜人族並に鍛えてやろう!」
何を納得しているのか判らないが、直時に死の特訓が課されることとなる。
「なんでそんなに張り切ってるんだ…」
脂汗をかく直時を気の毒そうに見るフィアとミソラであった。
その日の午後、マケディウス王国の街のひとつ、『リネツィア』上空を横切る影があった。見たことのない銀色の乗り物に跨った人影はその姿を人々に見せつけるかのようにゆっくりと街の上空を巡る。
緊急出動した駐屯地の空中騎兵が近付くと、大きく手を振りながら街を後にした。銀色のその乗り物と、見たことのない風に靡く漆黒の髪。それはしっかりと街の住人の眼に焼き付いた。
彼が空中騎兵を振り切って飛び去って一刻後、高名な冒険者が街を訪れた。『晴嵐の魔女』ことフィリスティア・メイ・ファーンと『黒剣の竜姫』ことヒルデガルド・ノインツ・ミューリッツである。
西門前に舞い降りた二人は、時間を惜しむかのように冒険者ギルドへと足を運び、支部局長へと面談を申し込んだ。通された部屋で何が語られたかは憶測を呼んだが、すぐに噂は広まった。
『黒髪の精霊術師』を追っている。
どういった経緯で戦友とも言える二人が彼を追っているかは判らないが、先の戦は人々の記憶に新しい。噂は噂を呼び、尾ひれ背びれがついた話が国内を問わず各国へと駆け廻った。直時達の思惑は当人達の予想を上回る速度で広まったのだった。
ヴァロア王国の南部、『ラィリオン』。リスタル侵攻軍司令官が治めていた街である。領主の戦死により、家督相続の混乱が吹き荒れている中、僅かに生き残った生還兵の中に参謀の姿があった。
本来なら生き残りの上位者として責任の可否を問われてしかるべき立場にあったが、ヴァロア王国は彼を保護し此度の戦の聴取と分析をしていた。
「つまり、彼は風だけではなく、水と闇の精霊術にも精通しているということですね?」
「私が眼にしたのは風と水の精霊術ですが、その後の経緯を鑑みると闇もですね。しかもあれだけ広範囲に展開できるとなると普人族にあるまじき魔力量であると判断出来ます」
彼と同じく生き残った諜報部の者が立ち合った上での聴取官とのやりとりである。
「ロッソから逃走したというのは本当ですか?」
「間違いない。うちの諜報員を袖にしたことで他国へ走ると思われたが、カールもシーイスも我が国と同様逃げられたようだ」
参謀が顎に拳を当て考え込む。
「…情報が必要です。リスタル滞在前のことも…。あれ程の使い手が今まで無名であったことが不自然です」
「それは既に指示してある。今判明しているのはリスタルには例の『晴嵐の魔女』と共に訪れたことが判っているだけだ。あとはロッソから東へ向かったということくらいか。イリキアかリッタイトが目的地らしい。マケディウスの『リネツィア』上空を通過したらしいから既に越境しているだろうがな。交渉を再開しようにも相手を捕捉できん。中継を駆使してイリキアの諜報員には連絡はいっているが、リッタイトには侵入も潜入も出来ておらんからな。頭が痛いところだ」
参謀は直時の正体に疑問を持ったようだが、情報部に属する聴取官は現在の動向に捕らわれているようだ。
「追跡は?」
「相手は空中騎兵を平然と振り切る輩だぞ? 予想進路上の街へ遠話を中継するのが精いっぱいだ」
ヴァロア王国も各国に諜報員を潜入させているようだ。他国も同様である。
「イリキアより東へ逃亡されてはどうしようもないですね。ですが、還ってこないのであればやっかいな要素が無くなったと見るべきでは?」
欲しい人材とは言え、それが近隣諸国に渡らないのであれば実害は無いと言っている。
「それはそうなんだがな。王室がこだわってるんだよ」
フィアの懸念が当たったようだ。実害はなくとも利用価値を考えると地の果てまでも追いかけたいらしい。
「それで私に何を?」
敗軍の参謀にここまで恩赦を与え、事情を話すということは問わずとも判っている。
「『黒髪の精霊術師』の捕捉と取り込みだ。彼の者の脅威を身をもって知る君ならその重要性も理解できるだろう? 王室の横やりも激しいのでな」
「……判っている各国の対応は?」
「シーイスは諦めたようだ。カールは追跡隊を放っている。マケディウスはどこから嗅ぎつけたのか特別部隊を編成して追わせたようだ。各国とも追跡には足が追いついておらんようだがな。なんせ移動が早すぎる」
溜息を吐く聴取官を苦笑しながら見る参謀。
「そこまで判っていて自分に情報を話すのは何故ですか? 諜報部長殿」
下っ端の聴取官を装っていたが、ばれているのは始めから判っていたため参謀の言葉にも驚きは無い。
「阿呆な司令の補佐にと有能な参謀を推したのが私だったからだ。結果は散々だったがな。まあ、罪滅ぼしとでも思ってくれ」
「それなら年金付きで余生を送らせてもらえそうですけど、そのような気配は全くないのは何故でしょう?」
「恩に着せるつもりがお見通しか…。考課表の通り嫌な奴だよ、全く……。サミュエル・ペルティエ少佐! 君は軍籍を剥奪される! 所属は諜報部へ異動。君の弁舌で『黒髪の精霊術師』を我が国へと引き入れるのが任務である。期限は私が上司でいる間は有効だ。金も女も交渉に必要なら全て使え。権力なら王族に連ねる用意がある。ここまで破格の条件を貴君に委ねるのだ。必ずたらしこめ!」
「拝命いたします」
敬礼するサミュエル。真面目な顔は諜報部長と同時に苦笑に変わった。
(王様のわがままに付き合わされることになるか…)
有能な新たな部下に苦笑を返す上司であった。
ヒルダさん、ちょっとだけデレた?