退却後
描写について多くの御感想いただきました。
あまりに配慮が足りませんでした><
今回もエグイ描写があります。苦手な方は飛ばしてください!
「兄がいたんだ。空中騎兵に」
そう直時に言った12、3歳の子供。
精霊術に腰を抜かし、手の武器を地面に落とし、庇おうとした仲間は逃げ、家族の死に涙する少年。
まともな会戦であれば、ただ魔力の供給源として、死ぬまで魔術を行使するだけだった少年兵。
直時にとって、なまじ言葉が通じたことが裏目に出た。地球での紛争地域でライフルを構えた少年兵ならまだしも、貧弱な装備の彼等に対して精霊術という圧倒的戦力を有していたことも油断に繋がった。
怯えていたこと。悲しんでいたこと。言葉を交わすことで彼に戦意が無いものだと判断してしまった。何より直時の半分にも満たない年齢であったことが保護欲をかきたて、警戒心を消してしまった。
近付いて嗚咽を堪える、か細い肩に手を置いた。彼の兄を殺した自分に出来る事は、その死を美化してやること、その勇戦を褒めることだけだと思ったのだ。
しかし、そんな直時の言葉は少年にとって強者の驕りと感じられた。彼の心を不意に襲った殺意、敵意、怨讐は激しかった。次の瞬間自分が殺されることさえどうでも良かった。
いや、少年兵にそこまでの意識はなかったかもしれない。ただ、教え込まれたことを実行しただけ…。『敵を討て!』それだけだったのかもしれない。
直時の腹腔を貫いたのは短いナイフだった。最初は鋭い痛み、その後は熱さを感じた。そして四肢を負傷したときとは違う深い喪失感が襲う。力が抜ける。
「あ…」
気の抜けた声が漏れる。
直時の反撃が無いことに、自分の力が届いたと思った従兵エミールは、刺さったナイフを引き戻し逆手に持って振りかぶった。引き抜かれた傷口から血が噴き出す。そして、自分より少しだけ高い直時の顔面に刃先を叩きつけた。
「つっ!」
力が抜けていく感覚に茫然とする直時だったが、視野に真っ赤に染まった刃先が迫る。咄嗟に庇った左腕にナイフの刃が激突する。
皮膚を破り、筋肉線維を千切る音。刃先の骨を削る痛みが頭の芯まで響く。
「いけるぞ!仇をとれっ!」
血に塗れる敵の姿とエミールの声に、へたりこんでいた少年達も手に武器を取り直時へと突進する。
子供用のナマクラと笑われた短い剣を精いっぱい突き立てた。切っ先は敵の精霊術師の捩った腹を貫いた。力の限り振り下ろした剣は血にまみれた左腕を折り、頭部へも打撃を与えた。喉を狙った剣は右腕に遮られたが、掌に突き刺さった。
次々と襲う激痛に、精霊へ治癒術を願う余裕は直時には無かった。ただ、生存本能のまま、致命傷を避けるために肉体を傷付けながら避け続けた。
(痛い熱い痛い痛い熱い熱い熱い痛い!)
直時の声無き悲鳴は念話となって周囲に撒き散らされる。
(なんで?なんで?なんでだ?死ぬ?痛い!死ぬ!)
血を噴き出し、悲鳴を上げる事も出来ず脳内を巡る疑問と痛みと死への予感。
(死にたくない!殺される!殺すっ!死ねええええええええええええ!)
そして死が弾けた。
ミケは直時と遠話で繋がっていた。それ故、悲鳴の念を一番最初に察知した。直ぐに踵を返し、『高原の癒し水亭』へと疾走する。
ヴァロア軍の少年兵に囲まれ、血塗れの直時を見つけたのは、宿から走り出たリナレス姉妹と同時だった。
駆け寄るミケは、闇の精霊が直時へと集まるのを感じる。それは尋常な密度ではなかった。昼間にも拘わらず周囲が闇に呑まれていく。
危険を察したミケはリナレス姉妹を捕まえて直時から離れようとする。抗う二人は直時へと向かおうとするも、ミケが無理矢理足元の影へと引きずり込んだ。ダナとラナの頭を押さえつけ、影に潜む。その寸前に感じたのは、師匠であるダークエルフ、リタが多用を禁じた闇の精霊術の大規模発動であった。
リスタル上空へと辿りついた二つの人影があった。竜の翼を背に、その魔力を風として推進力に変え空を駆るヒルデガルドと、彼女に抱えられながらも風の精霊術で更なる移動補助をしていたフィアである。
二人の術の相乗効果は丸一日で首都『ヴァルン』と『リスタル』間の飛行を成し遂げた。
そんな規格外の二人にも眼下の光景は信じられなかった。リスタルの町が夜に呑まれて行く。高空から眺める限りでは、ある地点を中心として半円球に広がっているのは夜としか言いようが無かった。
未だ陽が高いにも拘わらず、包まれた空間には影が存在しなかった。光が遮断された状態だったから影が出来なかった、いや、影しか存在しなかったと言うべきかもしれない。
リスタルの町とその周辺までを呑み込んだその影は、不意にその濃さを増した。もはや闇と呼ぶしか無かった。
町に侵入していたヴァロア兵、逃げ切っていなかった冒険者義勇兵、侵入を町のすぐ傍で待っていたヴァロア前衛、そして草木、花、戦争など関係の無い虫や小動物達、闇に包まれた全ての存在が訊いた。
(死ね)
動物はその場で地に伏せ、眠りについたかのように命の灯を消した。植物も光合成を中止、導管は水を送ることを止めた。そこに在った魂は、闇の精霊によって全て冥界へと送られた。残ったのは生命活動を停止した遺骸、魂の抜け殻、物体となったモノと血に塗れた異世界人だけだった。
死の闇が去ったことを感じたミケは、潜んでいた影からリナレス姉妹ごと飛び出した。直前に見た直時は大きな傷を負っていたはずだ。
「タダトキさんっ!」
仰向けに崩れる直時が石畳に叩き付けられる寸前に抱き止めるミケ。
「ミケラさんっ!ヒビノ殿の容体はっ?」
ダナが駆け寄る。妹のラナはビクビクしながら周囲を見回している。
「タダトキさんっ!精霊術をっ!治癒しなさい!」
ダナを無視して、朦朧としている直時の頬を叩くミケ。虚ろな瞳は焦点を結んでいない。
「私は闇の精霊だけ……、治癒術はできないのにっ!タダトキさんっ!起きろ!」
ミケが直時の耳元で叫ぶ。反応は薄い。負傷によるダメージと出血、それに加えて闇の精霊術の広域発動で体力も魔力も気力も使い果たしてしまったようだ。
「聖霊よ 此の者に癒しを…」
天空より舞い降りたのは白金の髪を風に靡かせたエルフ、フィリスティア・メイ・ファーンであった。直時の傷が塞がり、欠損部位が修復されていく。
「…フィアさん。どうやって?」
突然の援軍にミケが茫然と問いかける。
「うむ。私の御蔭だな」
フィアの傍らに舞い降りる竜人族、ヒルデガルド・ノインツ・ミューリッツが口の端を上げて微笑する。
「私の風の御蔭もあるでしょうがっ!」
喰ってかかるフィアを軽くいなしつつヒルダがミケに問う。
「先程の闇の精霊術はヒビノか?」
この期に及んで言い訳は出来ない。フィアも苦い顔で頷いている。
「そうです」
「フフッ。面白い。面白いな」
「ミケちゃん。この馬鹿頼んでいい?ちょっと鬱憤晴らししてくる」
フィアは、直時に命の別条がないことが確認できたことで生き残っている町外のヴァロア軍の方を見た。今ならあと一押しの攻撃で崩せるだろう。
「同道させてもらおう。カールの件もある。短期で事を収めるならヴァロアを叩くのが一番だろう」
「カール?リシュナンテから何か聞いたの?」
「奴は何も言わないさ。ただ、カールの狙いはシーイスじゃない。同盟国だしな。まあ私に関係無いとは言え、いらぬ戦乱は無い方が良い。だろ?」
「わかった。じゃあ往きましょう!」
ここに晴嵐の魔女と黒剣の竜姫が、ヴァロア軍リスタル侵攻軍へと牙を剥くこととなった。直時の攻撃に混乱を極めてしまった彼等に抗う術は無かった。
司令は討死。空中騎兵は全滅。リスタルに侵入した部隊は連絡途絶の上、町の外周に待機していた部隊も原因不明の死亡。
本陣で生き残っていた参謀副官が、残余の部隊を掌握。再編と偵察を命じたところだった。
そこに切り込んだ伝説級の魔女二人に、ヴァロア軍は壊乱した。
リスタル侵攻軍を囮として、マケディウス王国の最大交易都市である『ロッソ』を奪う。その算段であったヴァロアの意図は挫かれた。囮役のリスタル侵攻軍は、大きく数を減じて自国へと逃げ戻った。
ロッソ侵攻のため、国境南部へと集結していた軍団に、攻撃命令が下されることはなかった。
侵攻を企図していたカール帝国も、ヴァロアへの侵攻作戦を中止せざるを得なかった。
予定では、ロッソへの侵攻を待って作戦が発動されるはずであった。ヴァロアのリスタル侵攻軍が町を占拠した後、Sランク冒険者の義勇兵とシーイス公国空中騎兵団が攻撃。在る程度の損害を受ければ増援がなされる。ロッソ攻撃が主の軍は割けない。更なる戦力がヴァロア国外へ移動することになる。その隙を突く作戦だった。
王城での二人の足止めに失敗したリシュナンテの進言は、ヴァロア領への早期進軍であった。しかし直時の暴走により、リスタル侵攻軍の壊滅があまりにも早かったため、実現しなかった。ヴァロア軍の敗走を決定付けた晴嵐の魔女と黒剣の竜姫の名は、さらに勇名を馳せることになった。
シーイス公国は戦災を被る代償として、カール帝国からの無償借款を約束されていたが、ヴァロア領への侵攻作戦自体が中止となり、借款は減額されてしまった。
しかし、二人の魔女の活躍の影に隠れていたものの、リスタル住民を無傷で撤退させた黒髪の魔術師の情報を得ることが出来た。ノーシュタットに避難した殆どの住民が、直時の魔術支援を施されていた事実が明らかになり、無限の魔力を蔵する人族として、公国首脳部に知れ渡ることとなった。空中騎兵団を全滅させた、風の精霊術師でもあったため、何としても自国に引き入れたいと各国の暗躍が始まる。
直時の行方を、シーイス公国、その情報を分捕ったカール帝国、大きな損害を与えられたヴァロア王国の情報部は血眼となって探していた。各領内へ散っている諜報員にも通達される。
ノーシュタットへと、最期の住民を率いて撤退した冒険者ギルドリスタル支部局長は、両国政府の恫喝に屈せず、直時の情報の詳細を明かさなかった。恩義に報いたというより、冒険者ギルドの名を貶める結果を恐れた故であった。皮肉にもそれが、組織の管理職として彼の評価を高めたのは余談である。
傷が癒えたものの、意識が戻らない直時。彼が眠る宿屋は、ノーシュタットではなく当初の目的通り、マケディウス王国の交易都市『ロッソ』にあった。
距離的に近いことでもあったし、移動する面子に普人族が皆無であったのも越境を容易くした。国家に属する者がいなかったのである。ミケ以外、他国に渡ることに異論は無かったし、当のミケも、カタリナからの遠話で直時を獲得しようとするシーイスとカールの情報を聞き、ロッソ行きを翻意したのであった。
フィアとヒルダは時の有名人であり、目立つという理由から別の宿をとっていた。直時と宿を同じくするのはミケとリナレス姉妹である。直時とミケ、リナレス姉妹でそれぞれ1部屋ずつを借りていた。
あの戦闘から5日。包帯で顔を隠されたままの直時はまだ眠り続けていた。
「うちは冒険者ギルドで情報を仕入れてくるニャ。もうすぐフィアちゃんが来るけど、ダナちゃん、ラナちゃん、それまでタッチィーのこと頼んだニャ」
「我等の命に代えてもお守りする。安心してお出かけください」
姉のダナの気負いに逆に不安になるが、フィアがもうすぐ顔を出す。大丈夫だろうと判断したミケは、冒険者ギルドロッソ支部へと向かった。
「こんにちはー。様子はどう?」
予め遠話での確認を済ませていたため、直ぐに扉を開くダナ。フード付きのローブで顔を隠し、安物の長杖を手にしたフィアが入ってくる。宿屋には治療師だと伝えてあった。客の一人が一度も姿を見せないことから、直時は傷病者だと思われている。
「相変わらずです。呼吸は安定していますが、意識が戻る様子はありません」
「そっか…。暫く見ていてあげるから、あんた達はご飯食べてらっしゃい」
「では配膳の注文をしてきます。3人分で宜しいでしょうか?」
「食堂行かないの?」
「はい。ここの方が落ち着きます」
ダナの返事にラナが小さく安堵の吐息を吐く。
(まだ駄目みたいね。こればかりは時間が頼りか…)
ラナの様子にフィアの瞳が曇った。
「判ったわ。それと言葉使いどうにかならない?何度も言うけど堅苦しいのよ」
「高名なフィリスティア様への敬意の表れですので如何ともできません。料理は何を?」
「日替わりのおすすめ料理。果実酒も1壺付けてね」
テーブル用の酒壺で、ピッチャーのようなものである。
「昼間から飲むんですか?まあ、気分を変えるのも良いかもしれませんね。では注文してきます」
「あ。私は隣から椅子をもう一脚持ってきますね」
ダナにくっつくようにラナも部屋を出ていった。
「早く起きなさいよ?」
寝床の傍にあった椅子に座って寝顔を覗き込む。
心配ではあったが、傷は癒えている。意識が戻らないのは、魔力が枯渇するまで使ったからだろう。未熟な頃のフィアも、このような状態に陥ったことがあった。
出会ってそれほどの時を過ごしたわけではない。長命なエルフの感覚でなら一瞬とも言えた。異世界からの侵入者。最初はメイヴァーユ様の御言葉から、直時の監視役として行動を共にした。
見た目は普人族そのままなのに、その突拍子の無い行動から色々と振り回された。腹が立ってフィアが振り回すような行動を取ったことも多々ある。
害意が皆無であり、本人も意識して目立つことは控えていたので、一時別行動を取ったこともあったが、やはりやらかしてくれていた。その結果、メイヴァーユ様の御言葉が監視を指していたわけではないと判った。同行する理由は無くなったはずだった。
それでも一緒に行こうと思ったのは、この異世界人といることが楽しかったのだ。馬鹿で考え無しのおっちょこちょい。簡単な魔術に驚くくせに精霊術が使えたり、妖精人のエルフにも、気にしたふうもなく遠慮なしに会話出来る普人族(の様な人族)。
長命種は数々の積み重なる経験から、感情が希薄になりただただ穏やかに生きるようになってしまう。フィアの故郷の長く生きた者達も、薄い笑顔を崩さず淡々と毎日を過ごしていた。フィアはそんな生きているか死んでいるかわからない人生は嫌だった。だから故郷を出て、世界を見て廻った。
普人族の世界は刺激に満ちていた。彼等は短い命を燃やし尽くすかのように性急に生きていた。欲望が行動の原動力であるならば、普人族は人族の中でもっとも行動力に満ちた種族だと思った。
過ぎた欲の暴走に、悲劇が繰り返されるのを何度も目撃したが、制御できるなら見習うべき点でもある。感情を鈍化させないためにも、エルフの中では否定的に取られる欲望にフィアは注目した。
フィアが、自分の中に燻ぶる欲望の中から解放を選択したのは『知識欲』だった。好奇心が強かったこともあり、この選択は間違いではなかったようだ。人魔術を修めたのもその一環だった。知ることは喜びだった。
そして出会った異世界人。彼の地の文化はどんなものなのだろう?彼の眼にこの世界はどんな風に映っているのだろう?新たな知識欲を刺激する存在だった。それにも増して、直時が引き起こす馬鹿な騒ぎに笑ったり怒ったりする毎日が楽しい。
「早く起きなさい…」
そこに異性としての感情があるかどうか、齢200を越えたフィアにもまだ判断ができなかった。
穏やかな寝顔に反し、直時の夢は血色であった。
(痛い…。苦しい…。殺してやるっ)
直時の攻撃にズタズタになり、血を流しながらにじり寄る敵兵の群。動かない身体が引きずり倒され、血の涙を流した少年達がのしかかる。
小さな手に握られた剣が振り下ろされる。全身を貫く刃。
(何が守るためだ!お前がやったのは殺しただけさ!)
亡者の一人が直時の髪の毛を掴んで周囲に顔を向けさせる。半分浸かった血の池からは、恨めしげな顔をした死体が浮いては沈んで、呪いの言葉を吐き出す。
(お前にできるのは殺すことだけ。誰も何も己すら守れるものかっ)
亡者の群がダナとラナを囲んでその姿を覆い尽くす。
(よせっ。やめろっ!)
直時の叫びに嘲笑を返し、亡者達はフィアをミケをアイリスを覆い隠していく。
(やめろおおおおおおおっ!貴様等っ!殺してやるっ)
夢の中で放った風の刃が、全てを断ち切った。後に残るのは真っ暗な空と、どろどろの血の池に這いつくばった直時だけ…。
(……やっぱり殺すんだ)
眼前の血の中から浮かんだのは、エミールと名乗った少年兵だった。
闇と血の世界で、直時は眼を精いっぱい見開いた。
次の瞬間、赤と黒の世界は光に包まれた。窓から差し込む陽射しが眩しい。
「…あれ?」
直時の眼醒めの第一声は、呆けた疑問形だった。
フィアとリナレス姉妹の昼食が、フィアの絡み酒に移行しそうな時だった。
「…あれ?」
直時の抜けた声が聞こえた。
「「「ヒビノ(殿っ・ダナ)(さんっ・ラナ)!」」」
3人が寝床に駆け寄る。
「お、おはよう?」
3人の剣幕に驚いた直時は、とりあえず無難な台詞を返すことにした。脱力した3人はそれぞれ深い溜息を吐いた後、ほぼ同時に口を開く。
「従兵ごときに殺されかけて!」
「貴方が死んでは恩を返せないではないですか!」
「大丈夫ですか?ごめんなさい!ごめんなさい!」
寝起きにこの三重奏は正直拷問である。
「お、お休みなさい」
直時が上掛けを頭まで被ったのは防衛本能であったが、たちまちフィアにひっぺがされた。
「二人ともとりあえず待ちなさい。ヒビノはこれ飲んで。気付けよ」
押しつけられた杯を口にするため、上体を起こそうとする直時。
身体にうまく力が入らないが、ラナが素早く身を支えてくれる。直時の脳裡にリスタルでの出来事が甦った。
(恐怖の対象になるだろう俺に…。ううう、罪悪感が…)
あんなことがあった後だ。男性に嫌悪と恐怖を感じているはずであろうラナに気を使わせてしまった。
「大丈夫大丈夫!」
頭がくらくらするが強がるしかない。へらへらと笑いながら、なるべく接触をしないよう身を起こす。
フィアから受け取った杯には、果実の醸造酒が半分ほど入っていた。甘酸っぱい香りは地球でのベリー系のようだ。直時は甘い酒は苦手だったので、味わうことなく一気に飲み干す。アルコールの刺激は弱いが、久し振りの侵入に胃が踊る。
口元を手の甲で拭った直時は、そこに赤褐色の液体が付着したのを見た。先程までの悪夢が頭をチラつく。きつく閉じた瞼に血の池が甦る。嘔吐感に口元を押さえ、皆から顔を背けた。
「洗面器っ!」
叫ぶフィアを手だけで制止した。喉を逆流する胃液も、記憶の血の臭いも、全てを飲み込む。
「……ふう。もう一杯もらえる?」
「大丈夫なの?」
「口直しだよ」
直時は、フィアの疑念に片眼を瞑ってみせ、空になった杯を差し出した。
新たに注がれた果実酒。色を確かめ、香りを嗅ぎ、その甘酸っぱさを味わいつつ喉へと流し込む。何度かに分けて杯を空にした直時は、改めて3人に向き直った。
「助けてくれて有難う」
今こうして無事にいられるのは、ここにいる人達に助けてもらった以外にない。直時は深々と頭を下げた。
「まあ、言いたい事とか、話さなきゃいけないことがいっぱいあるから関係者を呼んでからにしましょうか」
やれやれと言った風情のフィアが、遠話でミケとヒルダへと連絡をはじめる。直時には誰と会話しているか判らなかったが、黙って待つことにした。
ダナが部屋の隅から大きな荷物を引っ張って来た。
「ヒビノ殿。貴方の荷は無事持ちだせました。確認してください」
「あ!有難う!そうかぁ、持ち出せたんだ…。本当に有難う」
「あの状況下で取りに戻られるなら、大事な物なのでしょう?我等姉妹もその御蔭で助かったようなものです。お運びするのは当然です」
誇らしげなダナに、調子に乗るなと言う鋭い視線がフィアから送られる。
「あのあの!何が入ってたんですか?」
剣呑な気配を察したラナが、直時へ質問する。ぽやっとした雰囲気であるが、意外と気が回るようだ。
「んー。形見…かな」
「御家族のですか?」
「家族は生きてるよ。多分ね。これは……俺の過去の形見ってところか」
ラナとダナは何が何やら判らないようだ。
引き寄せた荷物から文庫本を取り出した直時は、その題名を軽く指でなぞる。愛おしそうに何度も何度も…。
続編を眼にすることは永久にないだろう。つい最近発売された新刊が、既に過去のものとして、想い出の品となっていたのだった。
直時のそんな様子を横目で見るフィアの顔には、少しの心の痛みと理由の無い苛立たしさがあった。
「全員集まったらヒビノを吊るし上げるからね!」
「……なんで?」
フィアの無慈悲な宣言に涙目になる直時。
空腹時に飲んだ果実酒が直撃したのか、寝床に突っ伏してしまう。くぐもった呟きは誰にも理解されない日本語だった。
「……梅粥食べたい」
誰が何故そう思って行動したのか?
毎回ちゃんと読み返して更新しないとですね;;
同じ過ちを繰り返す私はアフォです。