侵略④
序盤説明が続きます。不快な方は飛ばしてください。
後半グロい描写があります。苦手な方は飛ばしてください。
リスタル駐留軍の遊撃は失敗した。後方部隊への奇襲を企図したものの、ヴァロア軍の空中騎兵による攻撃に壊滅したのである。
反撃されにくい空中からの遠距離攻撃魔術が歩兵部隊へと降り注ぎ、防御魔術で対抗するも徐々に数を減らされた。風系攻撃魔術や『推進』を施した矢で弾幕を張るが、高速移動する敵騎に殆ど効果はなかった。
歩兵部隊が隊形を維持できなくなる寸前、獅子胴鷲の編隊が降下突入し、強靭な爪でシーイス軍の兵を蹂躙した。
地上に降りた空中騎兵に、周囲へ散っていたシーイス騎兵が突撃を敢行するも、空中からの援護攻撃、乗騎の魔獣の力の差から軽微な損害を相手に与えただけだった。
この戦闘においてリスタル駐留軍は数騎の騎兵が逃れただけで、残りは全滅。対するヴァロア軍は獅子胴鷲隊6騎が負傷、翼蜥蜴隊2騎が喪失(対空射撃で翼の被膜を破られ墜落)、5騎が負傷、躯大烏隊8騎が負傷であった。
なお負傷した騎獣、騎兵の半数は後方で治癒を受け復帰可能であった。
リスタル西部に展開中のヴァロア侵攻軍1万2千の編成が、冒険者の隠密偵察により明らかになった。
正面に布陣するのは全身を厚い鎧で固めた重装歩兵3000。武器は長大な槍である。穂先の下には叩き潰すための分厚い斧の刃や、尖った鎚が付いている。普人族では扱えない重量であるが、今は『浮遊』が掛かっている。振り下ろす瞬間に解除するのだ。
両翼には胸甲と兜に短槍を携えた突撃軽装歩兵1000。盾と剣を装備している者もいる。移動魔術による高速移動で戦地を駆る。陸騎兵に次ぐ機動力を誇る。
重装歩兵の背後には遠距離攻撃を得意とする攻性魔術師隊500と、矢に様々な付与魔術を施す弓兵隊500。
陸騎兵隊2000は騎獣の種類ごとに500ずつ両翼と後背に展開。両翼は突破力を重視した三叉黒犀隊と兜蜥蜴隊。本隊後方には機動力を重視した一角馬隊と八脚馬隊が突撃を待つ。
補術兵1000は本陣前に軽装で待機し、要請次第で様々な支援魔術を掛けることになる。治療術もこの部隊が担っている。
その他に本陣を守る司令部付が500。後方から離陸し、上空に編隊を組む空中騎兵500(直時との戦闘とリスタル駐留軍との交戦で戦力を減じ、出撃騎数は350。残りは予備)。
特筆されるのが従兵と呼ばれる10代を少し過ぎたばかりの少年兵が2000もいたことだ。彼等は薄い革鎧姿で短い剣を腰に吊るし、前衛の重装歩兵に付き従っていた。彼等の役目は転写により刷り込まれた魔術をひたすら行使することのみである。重装歩兵の振るう武器への『浮遊』とその解除である。
ヴァロアでは高価な魔石より安易に入手できる魔力源として、国民の三男以降の男子を12歳で徴兵していた。戦地に送られた従兵は使い潰されるのが通例であり、同規模の軍との会戦において生還率は1割を切った。
最後に輜重兵1000。兵や騎獣に必要な兵糧、替えの武器防具、各部隊ごとに管理される魔石(溜めた魔力は本人しか使用できないため、戦死者の出にくい攻性魔術師、弓兵、補術兵のための物が殆ど)の管理と配布、物資の輸送を行う。
以上がリスタル前に展開中のヴァロア軍の編成だった。対するリスタル側には町中に潜んでいる冒険者義勇軍が約200名。
リスタルからの撤退を聞き、義勇兵登録を解消した者は100。ギルド支部局長の予想より残った数は少し多かったが、較べるのもおこがましい戦力差であった。
侵攻を直前にした総督府前では騒動が持ち上がっていた。時間切れで翌日避難に回された住人が集まったのだが、職員数人が残っているだけで総督府は空になっていたのだった。
「つまり昨日の日没後に総督をはじめ、殆どの職員はリスタルを脱出したということですか?」
吊るし上げる皆を宥めたギルド支部局長が、咳き込む総督府職員に問いかける。
「・・・そうです。国民がほぼ脱出したからには、多くの避難民を指揮しなければならないと・・・」
悔しさに涙を滲ませている若者は、怒りに拳を震わせていた。それでも残ったということは職責を全うしようとしたに違いない。
「では、最期の撤退は冒険者ギルド、リスタル支部が指揮をとりましょう。最期の抵抗が冒険者であるならギルドも無事では済まない。共に避難しましょう。ギルド職員に通達!住人の全てを引き連れて撤退します!」
支部局長の宣言にギルド職員が慌ただしく駆け出す。
リスタルに取り残されていたのは、住人237名。国民義勇兵78名。ギルド職員54名。総督府職員6名だった。『高原の癒し水亭』の面々に加え、ブラニーの顔も見える。僅かに残った国民義勇兵の中にいたのだ。
「まだいたんですかっ!早く避難してください!」
威力偵察の空中騎兵を退けた直時が駆けてくる。最期の確認と思って様子見に戻ってみたのだが、まだ出発していないことにイラつきを隠せない。
「あ!タッチィー!」
紫紺の髪の女性と話をしていたミケが手を振る。
「ミケさんっ!避難だって!」
「うちらはここで足止めニャ。タッチィーは聞いてないニャ?」
「義勇兵登録し損なってたんで詳しい話は知らない」
ミケに走り寄った直時は、冒険者義勇兵が町でゲリラ戦を仕掛けて時間稼ぎをすると聞かされた。
何人かの冒険者がギルド職員と打ち合わせをしている。逃げた総督の指示は無視するようだ。足止めの時間と撤退のタイミングを確認していた。
「ヒビノ君だったね。昨日からの魔術支援の連続を感謝します。無茶なお願いだとは重々承知の上なのだが、彼等にも魔術支援をお願いできないだろうか?残った者全てに施術する魔力が不足しているのだ」
「貴方は?」
「冒険者ギルドリスタル支部局長を任じられているエドモンド・オルグレンと言います。君には余計なクエストで迷惑をおかけした。申し訳ない」
「今はいいです。それより準備が終わった人から並ぶよう指示してください。『浮遊』と『推進』を掛けます。自分で掛けられる人達はすぐにノーシュタットに向かってください」
「有難う。恩に着る。それと、クエストの完遂はミケラ嬢から確認しています。報酬は今は無理ですが、どこのギルドでも受け取れるよう手配いたします」
エドモンドが直時に深々と頭を下げる。直時は彼が余計なことをしてくれた張本人と判って複雑な表情だ。姑息な工作をする割に、非常時には堂々としている。乱に生きる人物なのだろうか?
直時から離れたエドモンドは紫紺の髪の女性職員をともなって指示を飛ばしはじめる。ミケが言うには彼女がミケの恩人で、カタリナ・ベルティと言うそうだ。
「それよりヴァロア軍の最新情報があるニャ。転写するけどいいかニャ?」
「有難う。宜しく頼む」
直時とミケの頭上に魔法陣が描かれ、ミケが把握している敵情報と冒険者義勇兵の作戦の詳細が、魔法陣を通って直時の脳裡に焼きつけられる。
(圧倒的な戦力差だな。奇襲をするとしても開けた場所じゃ自殺と同じか。確かにリスタルへ誘い込んで隊列を維持できないところを攻撃するしかないな。・・・それにしても使い捨ての少年兵か・・・魔石の代わりだと?)
転写された内容と転写の影響が相まって頭痛が増す。
「タッチィー、PTに入ってないなら『遠話』の設定しておくニャ」
「俺、その魔術持ってない」
「今はうちから設定しとくから大丈夫。――我が声と汝が耳 汝が声と我が耳を繋ぐ 『遠話』」
転写の魔法陣より小さい魔法陣が直時とミケの頭上に現れて消えた。一瞬であったが忘れないよう記憶に刻みつける直時。
(あーあー。聞こえるかニャ?)
眼の前のミケが声を発しないで問いかける。
(こちらタダトキ。ちゃんと聞こえるよ。それにしても声が聞こえないのに声の質?みたいな特徴も念話に混じるんだね。ミケさんっぽい念だわ)
(ふふふ。じゃあうちは持ち場に戻るニャ)
(気を付けて!)
直時は、音も無く駆け出すミケの背に無言で手を振る。
離れた所から直時を呼ぶ声がする。準備が出来たようだ。魔術支援をするべく、並び始めた列の先頭へと向かう。
「支援をもらった人はすぐ東門からノーシュタットへ出発してください!」
「次の人!荷物はそこに!『浮遊』を掛けます。終わったら荷物をもってください!『推進』!」
「荷物は最小限です!大きな荷物は置いていってもらいます!」
ギルド職員と直時が声高に指示を出し、身軽になった者から順に走り出していく。
「上空!敵空中騎兵多数!」
悲鳴のように報告が叫ばれる。
遂に攻撃が始まった。残りは数人の住人と殿を買って出た国民義勇兵、それとギルドと総督府職員だ。
(間に合わなかった!いや、まだだ!)
焦る心を無理矢理抑えつけながら、直時は魔法陣を編む。残った人達を囲むように数十の魔法陣が出現する。
「土は石に 石は岩に 『岩盾』!連結!」
魔法陣を改造するのではなく、使用法をアレンジする。
地面から並んで生えた五角形の岩壁。その岩壁に被さる様に次の岩壁が生えていく。瞬く間に岩のドームを形作り、避難を待つ人々をその中に包み込んだ。出入り口は3方向に開いている。
「上空からの攻撃にはとりあえずこれで大丈夫!支援がいる人はこっちに!自分で掛けられる人は少し離れて準備して!」
唖然と口を開けた人々の反応を敢えて無視し、大声で指示する直時。殿を買って出るだけあって、国民義勇兵の殆どは自力で移動魔術等を掛けはじめる。
突然現れた岩のドームに驚愕したのはヴァロアの空中騎兵も同じだった。高度を保ち、警戒しながら攻撃魔術を放つ。
―ズズゥン
直撃するが、炎の矢も氷の槍も雷の刃も岩の盾を崩すことはできなかった。
侵攻軍の空中騎兵の中では一番頑健なのが獅子胴鷲部隊である。反撃が予想される中、先程の波状攻撃より更に高度を下げ、魔術攻撃を試みる。それでも攻撃が通らない。
地上部隊が町に侵入をはじめたと念話で聞いた部隊長は、岩のドーム入口から直接攻撃するべく部下へ念話。低空へと降下姿勢を取ろうとした矢先に地上から高速で射出される小さな影を捉えた。直時だった。
「全員準備は終わりましたね?離脱の援護をします。ブラニーさん、後詰宜しく!空中騎兵は叩き落としますから、脱出の機会を逃さないように!」
人々を一通り眺めた直時は出入り口のひとつへ駆け出した。
(ミケさん、こちらタダトキ。避難を援護するため、空中騎兵を迎撃する)
(こちらミケ。私達も接敵した。地上部隊への迎撃を開始。お互い無事で再会しましょう)
(俺は他PTと連携できない。単独で動く。撤退時期だけ教えて)
(了解。タダトキさん、一言だけ聞いて!考えて戦えないなら、反射的に動いて!絶対に躊躇わないように!留まらないように!)
(了解!じゃあ後で!)
直時はミケとの念話を打ち切り、風を集めて空へと飛び出した。
降下姿勢を取ろうとしていた獅子胴鷲隊の編隊にすれ違いざまカマイタチを放つ。翼や手足を切断されて、5騎が血飛沫を上げて墜落する。上昇しながら右手の2編隊の動きを竜巻で封じる。
周囲を警戒しながら、竜巻に捕えた敵編隊を盾に回り込む。風の檻と化したそれを地面に向けて加速させ、石畳に叩きつける。砕け散った騎獣と騎兵の血肉が赤い花を咲かせた。
本気モードのミケの忠告のまま、高速で移動を繰り返す。右旋回、左旋回、急上昇、加速しながら緩降下。攻撃を防ぐため常に周囲の風を乱しながら飛行する直時。
(大きな術を放つには間合いを把握しないと俺には出来ない。でも足を止める事になる。このまま動き続けて、俺が掴める間合いに入った敵を攻撃するしかない)
爪を立てた翼蜥蜴が左右入れ違いに襲いかかってくる。錐揉みと風の壁で避けつつ、すれ違う瞬間にカマイタチを放つ。3騎が墜ちるが、2騎は掠っただけで逃してしまった。
リスタルへと全軍を上げて侵入したが、抵抗の少なさに怪訝な様子のヴァロア本陣。午前の威力偵察が全滅したことも影響して、激しい抵抗が予想されていたからだ。
打撃部隊とは別の哨戒空中騎兵の報告によれば、リスタル総督府は町を放棄したようで、僅かな集団が町の中央広場で確認された他は、町に人の気配は皆無とのことだった。
「早々に尻尾を巻いて逃げよったかっ!腰抜け共めっ。楽しみが減ったわ!」
不機嫌な司令を他所に、参謀はあまりにも鮮やかな撤退に内心舌を巻いていた。しかし、リスタルの占領が楽になったことは参謀にとっては僥倖であった。戦力を温存したままならば、本国のロッソ侵攻軍の囮という危険な任務も安全性が増す。安堵の息を吐こうとした矢先、連絡兵が身を強張らせた。
ヴァロア軍本陣に精霊術師見ゆとの報告が入った。
「囲んで殺せ。予備も投入しろ」
司令は短い命令を発した。
命令を達せられ、リスタルの空に散っていた空中騎兵が直時一人に群がった。四方八方どころか、全周からの攻撃だ。
「航空戦力が全部狙ってきてるのかっ?」
加速した直時は追撃を振り切って、前方を囲もうとする敵騎の隙間へと強引に身を捻じ込んでいく。
襲う騎獣の爪から逃れた直時を騎兵の長槍が襲う。近過ぎて避け切れないと判断。手にした槍の柄で敵騎兵の穂先を擦りながら捌く。すれ違いの瞬間、切っ先の狙いを相手の喉へ。両手に激しい衝撃の後、荷重がかかるのを無視して包囲を突破。
編隊へ接近した際、周囲へ風の刃をばらまくのも忘れない。狙いをつける余裕などない盲撃ちだったが、数騎が被弾して血飛沫を飛ばす。
離れたところで槍先に刺さったままの騎兵を投げ捨てる。直時の身は返り血に染まった。
「風の精霊よ!もっと速く!」
直時の望みを精霊達が叶える。前方の大気は道を開け、身体を運ぶ風は勢いを増す。追いつける敵騎は既におらず、前方へ回り込もうにも速度差があり過ぎてタイミングを掴めない。
ヴァロア軍空中騎兵団は、周囲を高速で移動する直時へ散発的な攻撃魔術を放つ以外に何も出来ず空中を右往左往しはじめた。
(対峙したら負けだ。動き回って1対少数に持ちこまないと!)
数で包囲されかけていた直時は、逆に速度で空中騎兵団をリスタル上空へと釘付けにする。その様子は狩る者と狩られる者、大きさは全く逆であるが、鰯の群れを逃さずに周囲を泳ぐ海豚の狩りのようであった。
直時が空に描く輪が徐々に小さくなり、次第に敵騎を掠めるように飛ぶ。その都度接近された敵騎が2騎、3騎と散っていく。
数を恃んで優位に立っていた筈が、劣勢に追い込まれたヴァロア空中騎兵団長は、焦りから機動性を無視した陣形を組む。
球形陣。その場で騎位を保ちながら球形に密集。背中を突き合わせ全騎が外側を向く。指揮官の命令の下、統率された一斉攻撃魔術が放たれた。全周に散っていく火炎や、氷槍、雷矢。陽の下であったにもかかわらず、リスタルの空は鮮やかな花火が咲いたようだった。
直時は一斉に現れた魔法陣を見て、空中に描く円の径を大きくとった。次の瞬間ばらまかれる攻撃魔術。放射状に放たれた様々な攻撃魔術は、射程を超えると途端に減衰、消滅するか、失速して落下していく。
次の攻撃魔術を放つ暇を、直時は与えるつもりはなかった。
「都合良く固まってくれたか。済まないが、終りだ」
弧を描く軌道を鋭角に切り、敵騎が集まる球形陣に突っ込む。接近することで精霊術の間合いを把握した直時は、垂直方向に進路を取り急制動をかけ宙に留まった。
「風の渦よ 我に仇なす輩の監獄となせ!」
直時の魔力を大量に消費しつつ、風の精霊達が巨大な竜巻でヴァロア空中騎兵団の全てを包む。中心部は無風であったが、慌てた数騎が脱出を試みて猛烈な風の壁に内側へと弾き飛ばされる。逃げる事は不可能だった。
今まで咄嗟の攻撃で相手を殺してきた直時だったが、逃げる事も出来ず捕えられた敵を一方的に殺すことに、一瞬だけ深い罪悪感を覚えた。
「今更だな。・・・・・・風の刃よ 全てを切り裂け!」
自嘲に歪んだ顔が、殺意に引き締まる。風の精霊に命じたのは、渦の中の存在を切断すること。切り刻むこと。
精霊達は忠実にそれを実行した。風の渦は瞬く間に血の渦へと変わった。
直時はその血肉で出来た赤い渦を、リスタル上空で解くことはなかった。空中を移動させたそれを、リスタルに侵入しつつあるヴァロア軍の真上で弾けさせた。
(制空権を失った事実を知らしめてやれば、地上軍は動揺するはず。数の上では大した損害じゃないけど、利用させてもらう!)
気の利いた威嚇的な台詞が言えれば良かったのだが、生憎と直時にそのようなスキルは皆無である。前衛部隊へ空中騎兵の血と肉片を振り撒いたあと、返り血で染まった全身を敵前の空中へ晒し、傲然と睥睨するだけで精いっぱいだった。
味方の血によって、直時以上に赤く全身を染めたヴァロア軍前衛部隊の一部。驚愕と恐怖がその眼に移るのを確認した直時は、血飛沫を被らず未だ戦意に満ちた部隊へと大きく槍を振りかざして見せた。
「風の精霊 水の精霊 切り裂き 吹き飛ばし 呑み込み 砕け」
風の精霊がカマイタチを纏った竜巻を作りだし、水の精霊が周辺から水を呼びその竜巻に合流する。風の刃と水の激流の化身となった竜巻が、直時が向けた槍の切っ先方向へと奔る。
重装歩兵の分厚い金属鎧も、咄嗟に出した防御用人魔術も何ほどの抵抗にもならなかった。彼等が踏みしめた大地ごと切り刻まれ、砕かれた。後に残ったのは辛うじて人体の一部だと判る残骸と、防具の部品が幾つかと、血の泥濘だった。瞬く間に100人程の命が潰えたのである。
乾きはじめた返り血で赤黒く斑に染まって判らなかったが、直時の顔からは血の気が音を立てて引き、唇は真っ青になっていた。
立ち込める血の臭い。それだけではない。人と騎獣の糞尿、腸の生臭さ、内臓が分泌していた体液の鼻を刺す臭い・・・。狩りの後の腑分けとは全く違う酸鼻極まる臭気。そしてそれを現出したのが紛れもない自分であること。
この地獄を生みだしたのが直時自身の意思であること。誰かからの命令でもなく、依頼でもなく、直時個人の考えを実行した結果であることに全身が震えだす。訳もなく叫び声を上げたくなったが堪えた。
(まだだ!まだ終わってない!)
力を入れ過ぎ、槍を握りしめる指が真っ白になる。
眼を背けそうになる惨劇を意識して視界から外さない。しかし、そこに映った光景が直時の精神を直撃した。
精霊術の範囲ぎりぎりにいたのだろう。右手と右足を失い、血と涙にまみれた少年がいた。10歳をいくつも過ぎていないように見える。その子は突然泡を吹き、がくがくと全身を痙攣させる。次の瞬間身を硬直させ、眼を開いたまま動きを止めた。死んだのだ。
その子だけではない。大柄な鎧姿に混じって、多くの従兵が悲鳴をあげ、泣き喚き、力尽きていく。
直時の胃から熱いものが逆流してくる。我慢できなくなった瞬間、高度を上げリスタルの町中へと逃げるように飛ぶ。
降下、着地した直時は誰も見ていないにもかかわらず路地裏へと走り込み思い切り吐いた。昨夜の美酒、オットー氏らの手料理、自分の創作料理、全てを吐きだした。息を吸う間も無い、胃の引き攣るまま吐き続けた。
喉を焼く胃液のためか、酸欠のためか、涙と鼻水が止まらない。それ以外の理由であってはならない。吐く合間に、自分にそう言い聞かせ荒い息をつく。
胃の内容物を全て吐き切っても、まだむかつきは治まらなかった。黄色い胃液と唾液が混じって口から滴る。最後には赤いものが混じったが気にする余裕はなかった。
(タダトキさん!ギルドから撤退が通達されました!大丈夫ですかっ?撤退です!)
突然ミケから遠話が届く。
(町の人達はもう大丈夫なんだね?)
情けなく息を荒げている様子を悟られずに意思疎通ができる。直時はこの魔術に感謝した。
(空中騎兵が全滅したため追撃の危険が無くなりました。タダトキさんの御蔭です。陸騎兵は町の反対側ですし、迂回しての単独行動はないでしょう。今の距離なら避難民の安全は確保されたと判断したようです)
(そうか・・・良かった)
(冒険者義勇兵にも撤退が指示されました。離脱しましょう)
(損害は?)
聞きたくはなかったが確かめざるを得なかった。
(・・・・・・約200名のうち、連絡がとれなくなったのが57名です)
(そうか・・・。で、撤退は出来そうなの?)
(侵入したのが前衛2個大隊約1200と陸騎兵が250といったところです。歩兵を振りきるのに問題はありませんが、陸騎兵の機動力は厄介です)
(わかった。じゃあ俺はこれから敵本陣に一撃をかける)
(駄目です!)
(敵航空戦力はもういない。一撃仕掛けたら直ぐに離脱する。混乱に乗じて撤退してくれ)
(タダトキさんっ!)
(ミケさんも早く撤退してよ?逃げ足は俺の方が早いからね。なんせ風の精霊術師だよ?)
(・・・・・・くれぐれも)
(無茶も無理もしない。死にたくないからね。じゃあ、また後で!)
念話では明るく振る舞ったものの、相変わらず顔色は最悪であった。
懐から出した布切れで口元を拭った直時は、再度風を纏って空へと舞い上がる。
力は強くても使い方は悪い。
精神力も弱い主人公。堪え切るか壊れるか・・・。