宴の後
扉の破壊音とダナの叫びに直時は迅速に反応した。改造途中のものは惜しかったが、部屋中の魔法陣を残らず消して、集まってくるだろう人達に備えたのである。
消えた魔法陣に困惑する豹人族の姉妹を何とか黙らせた後、事後の収集へと頭を回転させる直時。
「魔法陣のことは他言無用。説明は後でします。今は言い訳を考えて欲しい。自分はラナさんが窓から入ってきて、ダナさんが扉を壊して入ってきた事実だけを言います」
狙っていたと思った魔法陣が消失したことで多少落ち着いたものの、二人とも涙目で顔が青い。
予想通り、騒ぎを聞きつけたのだろう、部屋の入口へと人が集まってきた。
「どうされました?」
壊された扉に眼を丸くしてアイリスが入ってくる。後ろから覗くのはミュンや他の宿泊客や食堂の客、ミケとブラニーの顔も見える。
「ごめんなさいっ!」
ラナが勢いよく頭を下げた。
「姉とヒビノさんが扉越しに押し問答していたので、開けてもらおうとこっそり窓から入ったんです。でも、ヒビノさんに賊と間違われてナイフを突き付けられてしまって……。もちろん私が悪いのですけど、びっくりして思わず悲鳴を上げてしまったんです。姉は私の心配をして扉を壊してしまっただけなんです! 本当にごめんなさいっ」
口をパクパクさせているダナを余所に、実に滑らかな言い訳をするラナ。これには直時も余程意外だったのか、眼を丸くしていた。
「ほら、姉さん! 私も悪かったけど、姉さんも!」
「ああ、取り乱してしまった…。皆、お騒がせして本当に申し訳ない。アイリスさん、扉を壊したこと、心より謝ります。すみません!」
「タッチィに謝りに行くと言ってたけど、謝る相手が増えたニャー」
平謝りする姉妹に、ミケが呆れたように言った。
「と、ともかく先ずはヒビノ殿に詫びを入れねばならないので、お叱りはその後で! 扉の弁償も責任をもってさせていただきますのでこの場は!」
ダナはアイリスに深々と頭を下げた。
「皆様、お騒がせをいたしました。このような次第なので、後は後心配なさらず御寛ぎ下さい。ダナさんとラナさんは必ず受付に寄ってくださいね?」
アイリスは背後の野次馬に声をかけ、姉妹に念を押す。
「俺らも食堂で飲み直そうぜ?」
ブラニーがわざと大声でミケに言うと、まだ物問いたげだった者もその場を後にするのだった。
「ちゃんと謝るニャー」
ミケが片手をひらひらさせて階下へ向かった。
「さてと……」
壊れた扉をなんとか入口に戻した直時が口を開く。
ビクっと肩を震わせた姉妹は、並んで床に座り込み両手を着いて頭を深々と下げた。
「申し訳ないっ!」
「ごめんなさいっ!」
見事な土下座であった。
(この世界にもあるんだなぁ)
感想を胸の裡で呟きながら、姉妹の土下座を眺める。
直時はしばし無言で二人を睨む。ダナとラナは微動だにしない。許しが得られるまで続けるつもりらしい。
溜息を吐いた直時は二人に声を掛ける。
「詫びは受け取りました。もう顔を上げて良いですよ」
「許してもらえるだろうか?」
「とりあえずは」
迷惑しか被っていない直時からすれば当然である。
「ダナさん。思い込みが激しいって言われませんか?」
「ああ。いえ、はい。その通りです」
「ラナさん。考え無しだって言われませんか? 言い訳は見事でしたけど」
「――はい」
改めて確認してみた直時だが、この姉妹に口止めが有効だとはとても思えなかった。
(素直に謝るところ、悪い人達じゃないんだろうけど、悪気なくてもボロを出しそうだな)
頭が痛いところである。
「先ず先程の魔法陣ですが、自分は人魔術の研究をしています。その改良中だったと言えば判りますか?」
「おお! なるほど! そうでしたか」
疑問もなく信じるダナ。
「じゃあ、あの岩の壁も?」
「うむ。そうだろうな。我々の知る人魔術ではなかった。新たに開発されたと見るべきだろう。ヒビノ殿?」
「自分の試作魔術です」
リナレス姉妹に直時が頷く。
「しかし、発動無しに魔法陣を描くなどとは……」
「研究上の極秘事項です」
ダナの疑問をみなまで聞かず、力強く言葉を被せる。
「お二人とも、魔術の開発が各国のパワーバランスにどのような影響を与えるかお分かりになるでしょうか?」
眼に力を込め静かに語る(騙る?)直時からは、異様な圧力が感じられた。
「新しい人魔術が手に入った国は、その魔術の対抗術が開発される前に他国に攻め入るでしょう」
闘争は生存の本能ゆえ、どの種族も認めるところであるが、普人族の過剰な我欲による戦争は是としない。姉妹は直時のその場限りのハッタリに呑まれ、戦慄に身を震わせる。
「ご理解いただけましたか? くれぐれも他言しないようお願いします」
真摯に頷く姉妹だが、直時としてはどうしても信用しきれない。
(どうせ漏れる秘密なら、適当に嘘も混ぜておくか)
「二人とも自分が精霊術を使えるのを不思議に思われていたでしょう?」
「ああ、そうだ」
「あの治癒術はすごかったね」
「実は自分にはエルフの血が流れているのです。所謂、混血です」
「しかし普人族と混じっては魔力も多くは……。もしや隔世? それにしては耳が?」
(混血云々はマズったか? それに隔世って何だ? 隔世遺伝か? とりあえず誤魔化そう!)
「耳には普人族の血が色濃く出たのでしょう。ここに来るまでに色々ありました」
「――お察しする」
堪えるように俯く直時。勿論芝居だが、目頭を押さえるダナと涙ぐむラナに多少後ろめたさを感じる。
(本当に、悪い人達じゃないんだけどなぁ。でも念には念を入れておくか)
悪意が無いからと言って害が無いわけではない。直時は声を低くして続ける。
「自分はここまで正直に説明しました。これに何をもって応えてもらえますか?」
「我等はヒビノ殿に不利益をもたらすことを一切口外しない。森の神ビラコチャに誓おう!」
「私も誓います!」
「有難うございます。でもそこまでの信頼を貴女達に持つことはできません」
「くっ! ではっ! ではどうすれば?」
ダナは直時に必死な眼差しを送った。
(そろそろかな?)
直時は少し考えるように間を置き、姉妹にとって信じられない言葉を吐いた。
「自分は貴女達に何も期待はしません。ですが、これだけは覚えておいてください。もし自分の情報が漏れていたとしたら、豹人族はそれ以降自分の敵と見做します。盗賊に対した時のように容赦なく狩ります。何故かと聞かれたら、あなた達が自分の敵にまわったからと答えましょう」
無表情に姉妹を見下ろし、最期通牒を突きつけた。
何かを言おうとして、何も言えずに項垂れるダナ。ピンと張っていた耳も萎れてしまっている。ラナは涙ぐみながらも、姉の肩を抱いて立ちあがらせ、扉へと身を寄せたまま歩く。
結局二人は何も言えないまま直時の部屋を出た。
階段を下りる足音が聞こえなくなると、直時は盛大に溜息を吐いた。
(まさか異世界に来てまでこんな面倒くさい演技するとは思わなかった)
のろのろと荷物から煙管を取り出し、椅子に腰を落ちつけて燻らせる。ぼんやりと夜の町を窓越しに眺める直時だったが、その窓の外、すぐ傍で聞き耳を立てていた影に気付くことはなかった。
呆けていた時間は意外に長かったのか、ノックの音がするまで火の消えた煙管を手に持ったままだった。
「タダトキさん。よろしいでしょうか?」
アイリスの声だ。
「――どうぞ」
「失礼致します」
壊れた扉を開けようとするが、なかなか上手くいかないようだ。直時が内側から扉を持ちあげて部屋の中に下ろす。
「有難うございます」
アイリスが微笑みかける。
「扉は明日中に修理しておきますので、今夜のところは御容赦いただけますか?」
「わかりました。宜しくお願いします」
「大変……。お怒りだったようですね?」
「そうですね」
「お二人とも宿を換えたいとおっしゃいまして……」
「すみません」
後ろめたさがあったので謝ってしまう。
「今夜は遅いですし、そのまま泊っていただきました」
「――そうですか。アイリスさんにはご迷惑をおかけしました」
「まぁ! タダトキさんが悪いわけではないのですよ?」
「原因の一端はありますから…。それと、明日から遠出しますのでしばらく留守にします。それとなくあの姉妹にも臭わせておいていただければ有難いです」
直時が不在にするのであれば、宿替えを思い留まるかもしれない。
「あらあら! 依頼ですか?」
「はい。ノーシュタットまでの往復なので部屋はこのままでお願いできますか?」
「勿論です。お代を頂いていますからね」
「有難うございます」
「では、今日も遅いですしお休みになって下さいまし」
「はい。お休みなさい」
「お休みなさいまし」
ニッコリ笑って出ていくアイリスを見送って、直時はガタガタと扉を入口にはめ込んだ。
「様子見かな? 心配懸けたかな?」
大きく伸びをして欠伸をひとつ。
「っと、寝る前に防犯防犯っと」
流石に扉が壊れたままでは不安である。窓からの侵入も経験したばかりだ。
「適当な魔術は無いなぁ。仕方ない」
探知強化の魔法陣を編み、知覚の強化で対応することにする。
「うわぁ。思ったより煩いなぁ」
眠れるかどうか、眠れたとしても咄嗟の対応が出来るかどうかは判らないが、何もしないよりは良いだろう。そう思って知覚を強化したが、予想外に多くの情報が送り込まれてくる。休む時に使うべき魔術では無いようだ。それでもそのまま寝床へと潜り込み目を閉じた。
窓の外の影は既に姿を消しており、直時の探知にかかることはなかった。
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