宴の夜
リスタルの町に宵闇が訪れ、そこかしこに魔術の光が灯りだす。多くの飲食店や遊戯場では、その日を精一杯過ごした者達の笑い声が溢れていた。
冒険者、商人、職人、貴族、軍人、官僚、勤め人。成果があった者は素直に喜び、無かった者は明日への糧に、それぞれが今日の終わりを楽しんでいた。
ここ高原の癒し水亭でも、ささやかな成果を祝い、またそれを肴に杯を重ね、料理に舌鼓みを打つ者が集まっていた。
「では、タッチィの本日の成果を祝して、かんぱーい!」
「乾杯っ!」
「乾杯。有難うございます」
直時の酒の誘いを即座に了承したミケが音頭をとり、三つの杯が重ねられる。
威勢よく杯をぶつけてきたのはベルツ戦具店店主である、ブラニー・ベルツ氏である。彼もこの食堂をときどき利用しているそうで、直時が食堂に顔を出したときに、特大の炙り肉に齧りついていたのである。
大テーブルの一角に直時を挟んで右にブラニー、左にミケが座っている。
「お待ちどうさまっ」
兎人族のミュンが新たな皿を追加していった。斑土蜘蛛の脚のボイルであった。
「どんだけ食べるつもりですか?」
三人の前には、討伐依頼で市場に溢れた食用魔獣の様々な肉料理が並べられている。出された食事は残さずを旨とする直時としては、是非食べ切ることが出来る分量に抑えて注文してもらいたい。
「がははははは! そう言うな! おめーさんの祝いじゃねぇか」
既に出来上がっていたブラニーは上機嫌で直時の背中を叩く。酔っ払った大男の勢いに任せて叩きつける掌に麦酒を吹いてしまう。
「そうニャ! ぱーっといこう!」
ミケが再び杯をぶつけてくる。
「そうですね。じゃあ頂きましょう」
ご機嫌でピコピコ動く猫耳に顔を綻ばせながら麦酒を呷る。こういう場も偶には悪くない。
「しかし、たった二日でなかなか稼いだようじゃねぇか? そろそろうちにも買いにきてくれよ」
「武術とかまるっきりですよ? 自分も欲しい武器はありますが、正直分不相応だと弁えてますから迷ってしまいますね」
「タッチィはどんな武器が欲しいのかニャ?」
「おう! 言ってみな。分相応だろうが不相応だろうが、使うべきときに使うモンが無けりゃあ、どうしようもあんめーよ」
「でも宝の持ち腐れになってしまいそうで――」
「そうとも言えねーなぁ。お前さんうちで見繕ってた様子から見るに、何かやってたんじゃねぇか?」
「剣道と杖術を少し。でも、真剣は使ったことないし、どちらも齧った程度です」
これは本当である。
伯父が警察官で、家に寄ったときに手ほどきを受けていた。高校の体育の格闘技が剣道で、同じクラスの剣道部主将の鼻を明かしたいと教えを請うたら、後悔するほどの修練を受けた。その結果、三本に一本は取れるようになったが、逆にその同級生に対抗心を燃やされて授業の度に相手をさせらることになる。
杖術は伯父が機動隊に所属していたとき、憶えておけと叩き込まれたものである。
どちらにしても、真剣で実戦を繰り返しているアースフィアの者達に較べると、やはり齧った程度になってしまうだろう。
「杖術って何かニャ?」
「あんまり聞かねーけど、対人戦じゃぁかなり有効だそうだぜ? ただの木の棒っ切れだが、呼吸や間合いを取り難いらしいんだ。剣を叩き折ることも出来るそうだ」
ミケの質問にブラニーが応える。
「おめぇさんが刃無しの槍を使ってるのはそういうことかい?」
武器での直接戦闘など怖くてやりたくもないが、とりあえず頷く直時。槍術は習っていないし、ましてや刃を立てての戦闘なぞ望むべくもない。遠距離から突くだけならば何とかなるかもという素人考えも入っている。
「なら欲しい武器ってのは剣だな? どんな剣が欲しい?」
「いやいやいや! まだまだ生活費稼いでる段階なんですよ? 扱えるかどうかもわからない武器なんて贅沢は出来ません」
「冒険者なんだから、その生活費を稼ぐにも武器が必要だろうが? いいから言ってみな」
さらに催促をされる。
(確かに命懸けの商売だもんな。持ち金が減っても設備投資は先行投資として割り切るか)
死んでしまっては元も子もない。
「――切れ味に主眼を置いた片刃刀で、少し反りがあれば嬉しいです。なければ直刀でも構いません。刃渡りは七〇センチから九〇センチくらい。振り回してみないと扱えるかどうかわかりませんが、お願いできますか?」
「ふむ。盾はいらんのか?」
「必要ありません」
「見繕っておこう。明日寄ってけ」
「有難うございます」
直時は頭を下げた。
三人は杯を重ね、料理は減っていく(主にベルツ氏の胃の中に)。そんな中、新たな客が食堂へと入って来た。二人連れだ。片方がミケの背に声を掛ける。
「そこの猫人族の方、良い宿を世話してもらった。感謝する。有難う」
ショートカットの女性が礼を述べ、半歩後ろのおさげの女性がピョコンと頭を下げた。
声に振り返った三人。そこには豹人族の姉妹と思しき二人の女性が立っていた。
「ああ、お二人さん! 気にすることはないのニャ。持ちつ持たれつなの……ニャ?」
ミケがにこやかに応える。町に来たときのフィアと同じようなやりとりがあったようだ。しかし、二人はミケを見ていなかった。直時を見て息を呑んでいる。一方当人は何とも言えない居心地の悪い表情で眼を泳がせていた。ブラニーが説明を催促する視線をミケに向け、ミケが宿を紹介しただけだと答えた。
「お二人さんも一緒にどうかニャ? 大勢のほうが御飯も美味しいニャ」
喫茶店での直時の話と三人の様子からピンときたのか隣の席を指す。
「ご相伴に与ります」
直時の拒否の視線を無視してミケの隣に座る二人。
「ダナ・リナレスと言う」
「ラナ・リナレスです。妹です」
金髪に黒のメッシュが入ったショートヘアが姉のダナ。同じ髪を長く伸ばし編んで背中に垂らしているのが妹のラナである。二人が名乗り、三人も自己紹介を済ませる。
五人で新たな乾杯をすると、料理の皿が二人の前に次々とまわされた。
「遠慮なく食え! 今日は薬草取り名人の奢りだ!」
ブラニーが告げる。
「ま、まあ、祝ってもらってるみたいだしね。はぁ…」
お祝いなのだからてっきり奢ってもらえると思っていた直時は、ちょっと引き攣り気味だった。アースフィアでは、喜びを分けるといった意味で、祝われる側が振る舞うようである。
ミケが直時の脇腹を突つき、何か喋れと促す。作り笑いを顔に貼り付けた直時は仕方なしに話題を振った。
「お二人は何処から来られたんですか?」
「――答えねばならないか?」
「嫌な質問だったのなら謝ります。すみませんでした。プライバシーは『大切』ですからね!」
身も蓋も無い。あまりといえばあまりの素っ気無い返答に気分を害した直時は、笑顔のままで何も言うなとの含みを持たせた。
ダナの剥き出しの警戒を余所にラナは黙々と料理を平らげていた。妹の方が図太いのかもしれない。失敗したとばかりにミケは苦笑いする。そのまま直時へと会話の矛先を向けた。
「タッチィ。次の依頼は何にするニャ? そろそろ共通依頼以外も受けてみないかニャ?」
「まだ二日しか経ってないですよ? 共通依頼を卒業するには経験不足じゃないですか?」
「二日でそれだけ稼げてんだから、もっと割の良い仕事選べよ! それで、うちでもっと良い武器を買え!」
「ギルドとしては初心者さんには経験を積んでもらって成長して欲しいのニャ。でもタッチィは何かニャァ?」
初心者という言葉にダナは訝しげな顔をする。ラナはせっせと口を動かしながら、チラチラと覗き見ていた。
「なるべく安全な依頼でお勧めとかありますか?」
「うーん。ちょっと遠いけどノーシュタットへの物資輸送依頼が複数件出てたニャ。タッチィは移動系魔術は持ってるかニャ?」
「速度が上がる術ですね? 残念ながらありません」
「あれは冒険者やるなら持っておいた方が良いぞ? 俺の武器は後で構わんから先に買っちまいな」
ブラニーが武器より勧めるということは余程便利なのだろう。
直時の場合、高速移動は風の精霊術に頼るのが一番早いが、人目を避けて使う必要があった。だが、人魔術であれば大ぴらに使っても問題ない。移動速度が上がればそれだけ活動範囲も広がる。魅力的な話であった。
「値段はどれくらいでしょうか?」
「初歩攻撃魔術よりは安いはずニャ」
購入決定である。
「ノーシュタットじゃぁ、近くのリメレンの泉の加護祭で人がごった返しているらしいぜ。とにかく物が足りないんで方々の町にまで輸送依頼を出しているそうだ。移動魔術さえ買っちまったら、何とか祭りが始まるまでには着けるだろう。ついでに見物して来い」
「それは楽しみだなぁ。やる気が出てきましたよ!」
ガラム隊の依頼内容を聞いていないため、フィア達がいるのを知らずにいる直時だった。
「ダナとラナは冒険者かニャ?」
「ああそうだ。ちなみにランクEだ」
「姉さん、何か依頼を受けて稼ぐ?」
「ギルドに来たときは喫茶店に寄って欲しいのニャ。美味しいお茶を御馳走するニャァ」
「武器、防具ならベルツ戦具店を頼むぜ! 南大通りにあるからよ!」
ミケに便乗してブラニーが店の宣伝をしていた。
「有難う。是非寄らせてもらうことにしよう」
怜悧な美貌に微笑みが浮かぶ。それを見た直時は、ブラニーとの扱いの差に理不尽を感じてしまった。
リスタルの町は他の普人族の町と較べると獣人族におおらかなところがある。町の雰囲気を肌で感じたリナレス姉妹は、住民であるブラニーにも自然と気を許しはじめていたのだ。
一方、直時は命を助けてもらったものの、精霊術を使い、素性を隠す普人族の冒険者。警戒するなと言う方が無理な相談である。
微妙な空気に居心地の悪さを感じる直時は、明日の準備があるからと宴席を抜け出した。ミケは苦笑いしながらもゆっくり休めと言ってくれる。
「それではお先に失礼します。皆さんはどうぞごゆっくり」
主賓である直時が抜けることでお開きにならない宴席を確認して席を後にした。ミュンに今までの飲食代を聞き、少し考えて五割増しの代金を渡した。続く宴席への代金である。理不尽な気もするが、それは日本での感覚でしかない。この世界の宴席の常識は貰った知識に無かったので、とりあえず無難に乗り切るため、会計は引き受けることにした。
「余ったり、足りなかったら明日の朝言ってください」
直時はそう言って、二階への階段を上っていった。
「あの男は何者なのだ?」
「タッチィは良い子――良い男ニャ」
実年齢を思い出したミケが言い直した。
「目を見なかったのニャ?」
「目?」
盗賊との戦闘。ラナの負傷。死の覚悟。初めて目にする変わった人魔術。生への安堵、そして精霊術。ダナは、あまりに急だった状況変化に相手をしっかりと見ていなかった気がする。
「――普通だった」
ラナがぽつりと呟いた。
「私達を見る目が普通だったの」
ダナが驚いたように妹を見る。ミケとブラニーは笑っている。
「あの時は姉さんに釣られて嫌な顔しちゃったなぁ」
「私のせいだと言うのか?」
「ごめん。違うよね。私達のせいだよね」
「まあ、もともとの原因は俺達普人族のせいだからな。お嬢ちゃん達の気にするこっちゃねぇよ」
ブラニーが慰める。
「タッチィは良い男なのニャ」
ミケが片眼を瞑ってもう一度言う。姉妹は困惑しながら、食堂の出口に眼を向けるのだった。
部屋に戻った直時は、まず懐具合を再確認する。薬草の報酬と、最初の盗賊との戦闘後に死体の財布から失敬した分を含めて、金貨二枚、銀判貨三〇枚、小銭を含めた残り全部を銀判貨換算で一七枚分であった。
「金貨一枚を残しておけば、とりあえず大丈夫だろう。移動魔術と、出来れば雷か風の攻撃魔術が欲しいな。あとブラニーさんの剣か……」
残り全てを魔術と武器に充てることは出来ない。生活雑貨や替えの衣類、旅の諸道具も重要だ。
「精霊術をおおっぴらに使うわけにはいかないし、風系攻撃魔術は改造すっかー」
魔術は移動系のみ購入することにして、風の生活魔術を見繕っては魔法陣を展開する。
「送風の術式。服乾燥させるのに使ったな。これに集束するよう魔術回路を弄って……。駄目だ! ドライヤーにしかならない! えーっとカマイタチ作るにはどうするんだ? うーむ、参考になる術式が無い……」
次々と浮かぶ魔法陣。しかし、イメージ通りの魔術がなかなか出来ない。
フィアに転写してもらった人魔術の魔法陣はその構成と意味が知識として付随していた。そのため組み合わせたり、出力を描き変えたりとアレンジは出来るものの、カマイタチを出す、雷を出す、といった基となる式を知らない場合、直時にはどうしようもないのだ。
床に座り込み、魔法陣を大量に並べてあーでもないこーでもないと呟いていたそのとき、不意に誰かが扉を叩いた。
「ヒビノ殿、ダナだ。少しよろしいか?」
まさかの豹姉の訪問であった。
「申し訳ないですが、明日の準備で散らかってまして。御用はまた後日にお願いしたいのですが」
ベッドにはお金が、テーブルや床には散乱した持ち物。何より部屋中に改造中や参考用の魔法陣が浮かんでいる。招き入れるには不都合が多すぎた。
「気分を害されているのだろう。先程までの我等の態度は問題だった。きちんと謝らせて欲しい」
「こうして訪ねて来てもらったことだし、もう気にしていません。自分も良い態度だったとは言えないですから。こちらこそ申し訳ありませんでした」
胸のもやもやが晴れた直時だった。ところが相手はそうはいかなかったようだ。
「そう言ってもらえると有難い。しかし、けじめは着けなくては! 我等はヒビノ殿に命を救われた。せめて直接礼を言わせていただきたい」
「お礼ならあの時にも言われましたよ。しっかりと受け取ってます」
「いやいやあの時は失礼なことばかりを……」
「いやいやもう充分ですから……」
両者の終わりそうにないやり取りに、業を煮やしたある人物が大胆な行動に出る。
姉と連れだっていたラナだが、身軽さを生かして廊下の窓から外へ出た。そして直接、直時の部屋の窓から侵入したのである。直時が微かな着地音に窓を振りむくと、ニコニコとしたラナの姿があった。
一瞬後、周りの状況を理解する者と誤解する者。
直時は再度の口止めに頭を抱えたが、ラナの場合はそうはいかなかった。
「ヒィッ!」
恐怖の悲鳴を上げてしまう。
「ラナっ!」
ダナが悲鳴に反応し、鍵ごと扉を破壊して入ってきた。
身を竦ませる妹を見つけるが、ダナも身動きが出来なくなってしまった。部屋中に浮かぶ多数の魔法陣。そのあまりに異様な光景は、今しも攻撃せんと待ち構えていたと判断されてしまったのだ。
「謀ったなああああああああああっ!」
ダナが泣きそうな顔で叫んだ。
ニャーも会話を省略することで減らしてみました。