冒険準備
盆地と周囲の山岳部が国土の大部分を占めるシーイス公国の標高は高い。初夏に差し掛かりつつあるとはいえ、明け方はまだ気温が低く肌寒い。。
異世界に来て初めて屋根のある場所で眠りについた直時は、寝心地良いとは言えないベッドであったがその温もりに包まれて熟睡していた。
「朝よ。起きなさい」
フィアの声にも反応が無い。朝と言っても、漸く空が白み始めたばかりである。町の通りも人の気配はない。
野宿中は太陽とともに起きだしていた直時も、固い地面や夜露を気にせずに済む寝床に昨夜の酒も手伝って、起きる兆しは全く見えなかった。
数度声をかけても寝息のリズムさえ崩さない直時にフィアは実力行使を敢行した。魔法陣が描き出される。
「凍てつく息吹 『落霜』」
主に食材等を低温保存する場合の魔術である。
「――っ!」
声にならない悲鳴を上げて跳び起きる直時。
昔、休日の惰眠を貪っているところへ、妹に寝巻の中へ氷を放り込まれたことがある。それを遥かに上回る攻撃である。
「なっ? なっ! なぁっ?」
真っ黒な髪と眉毛と睫毛が霜で真っ白、鼻毛からは小さな氷柱がぶら下がった。
「時間が無いんだからさっさと支度する!」
有無を言わさぬフィアという名の鬼がいた。
リスタルの町からかなり離れた森の中で、フィアの魔術教室が始まった。
「先ずはどんな魔術か見てみなさい」
フィアが右手を前に突き出す。
「焼けつく炎 『炎弾』」
極短い呪文と共に掌から現れる魔法陣。その中心から火球が出現。十メートル程先の岩へ飛んでいく。炎が揺らめいて視認し難いが、炎の核となっている部分は人の頭ほどの大きさである。
標的となった岩へ着弾後、炎が対象を包み込むが、五秒ほどで消えてしまった。
「……火炎瓶より威力無いじゃん」
初の攻撃魔術を教えてもらえると、期待していた直時の肩が落ちる。
「文句言わない! 攻撃魔術の基本術式なんだからね! 使いこなせるようになれば次の魔術を教えてあげる」
「ぬう。了解」
「目にした後だから、イメージは出来るわよね? じゃあ、魔法陣を憶えなさい。どんどん撃つから、構築される魔法陣をよく見て」
フィアが間を置きながら三回の炎弾を放つ。
「だいたい憶えたから見てもらっても良い?」
「え? もう? まあ、間違ってると思うけど試しにやってみなさい」
「了解」
「焼けつく炎 『炎弾』」
直時はフィアの数度の攻撃で焼け焦げた岩に、見事火球を当ててみせる。
「おお! あれだけしか見てないのに凄いじゃない!」
寸分違わぬ魔法陣を編んでみせた直時に称賛を贈るフィア。
「構成が簡単だったしね。これくらいはやれるよ。でも、わざわざ炎弾撃たなくても魔法陣だけ見せてくれればよかったのに」
「……はぁ?」
直時が言う魔法陣を見せるというのは、羊皮紙か何かに描いて教えてくれということだと思ったフィアは諭すように答える。
「魔法陣を描いて見せても、大雑把な形ならある程度構成を憶えられるだろうけど、魔力の流れを感じられないとなかなか憶えられないのよ? 陣の大きさや構成する線の太さも正確じゃないといけないし」
「だから魔法陣だけをこうやって見せてくれたら憶えやすいよ?」
直時は今しがた憶えたばかりの炎弾の魔法陣を眼の前に編んで見せた。が、術は発動しない。
魔法陣は構築されると、自動的に術者の魔力を吸い上げ即座に発動する。そして、発動後すぐに消えて無くなる。魔術の発動と魔力消費の効率化、合理化を極めたためである。人魔術の当然の現象が、フィアの目前で覆されていた。
「……何をどうやってるの?」
茫然としたフィアに気付かないまま、直時は編んだ魔法陣を難しげに見ている。
「それにしてもこの『炎弾』って攻撃魔術、炎の速度は遅いし威力も微妙だし実戦で使えるの? 離れたところから撃っても普通に避けられそうだよね? あの盗賊が使った氷の槍みたいに複数発射で面を制圧するような魔術にするか、せめて速度だけでもどうにかしたいところだよなぁ。でさ、魔術回路の此処が発射速度決めてる部分でしょ? この部分に風系の加速術式を組み込んで、あと火力も風速で消えないように上げて……って、どうしたの?」
魔法陣を発動させないまま維持している事も驚きだが、魔法陣の改造までしはじめた姿にフィアの口はポカンと開いていた。
「――とりあえず改変してた魔法陣でもう一度やってみて?」
「思いつきで触っただけだから、チェックしてないよ?」
「いいから!」
「怒らなくてもいいじゃないか…。じゃあ、いくよ?
焼けつく炎 『炎弾・改』!」
照準をより明確にイメージするため、人差し指で標的の岩を示す。描き変えられた魔法陣の中心から、通常の炎弾とは較べものにならない速度で炎が飛び出した。その形は球形ではなく、速度で引き延ばされ葉巻型になっている。
――ヒュンッ!
当たっても、燃え広がらずに着弾点に炎が集中する。約五秒後、炎が消える。着弾点の岩は軽く溶け、小さな窪みを作っていた。
「うんうん! これなら実戦でも役に立つかな? でも魔術回路にまだまだ無駄があるみたいだな。消費魔力の総量の割に威力が上がらなかった気がする。俺の魔力量は規格外みたいだし、多少燃費悪くても問題は無いか」
満足そうに頷く直時にフィアが無言で近寄る。
「――ぐぼっ!」
フィア渾身のボディブローが鳩尾に決まって崩れ落ちる直時。
「……なんで?」
「いやぁ。何故か理不尽な怒りが込み上げて来ちゃったのよ。ごめんね?」
テヘっと可愛く謝る姿に、
「その仕草が許容される年齢じゃないだろ……」
禁じられた言葉を聞かれた直時は、笑顔の踵落としを頭頂にもらって沈むのであった。
「出発前にしっかり教え込まなきゃって早起きしたのにあっさり習得するわ、低威力の魔術で無茶な行動を抑制しようとしてたら高等魔術に書き換えちゃうわ、おまけに魔法陣の術式発動無しの維持までしちゃうし! あああああああ! もう!」
「何か変なことしたかな?」
「禁止事項に魔法陣だけを編むっての追加よ! 普通あんなこと出来ないんだからね?」
「あはははは。なんかごめんね?」
激高し混乱するフィアにとりあえず謝る。このあたり、なぁなぁまぁまぁな日本人のスキル発動である。
初めての攻撃魔術を魔改造しちゃいました。