リスタルの町②
階段を上がると左右に分かれる廊下があり、右手に大部屋が三室、左手に個室が八室ある。木の扉にはそれぞれ種類の違う花が彫り込まれており、鍵に付いたプレートに彫られた花と合わせてあった。
「うーーーーんっ!」
荷物をそれぞれのベッドの傍らに置き、二人して大きく伸びをする。
部屋の広さは八畳程。扉の反対に窓が一つ。ガラスではなく木製で観音開きになっている。ベッドは窓を頭に、部屋の左右へ配置され、中央には木製の小さな丸机が一つ、椅子が二脚ある。ベッドの足側、入口付近には外套掛けがひとつ。大きめの洗面器が置かれた木の台が一つ備えられていた。
「身だしなみを整えるから、ちょっと部屋を出ててね」
流石に男の目の前で着替える気は無いようだ。フィアが言う。
「じゃあ、俺も顔とか洗ってくるよ」
直時は、鞄から手拭い(街道で死んだ家族の荷物から拝借した)を取り出して部屋を出た。
洗面所の場所を聞こうと、受付へと降りていく。先程の女性がカウンター内から町の様子を眺めていた。
「すいませーん。顔を洗いたいんですけど、洗面所の場所は何処ですかー?」
手拭い片手の直時が声を掛ける。
「洗顔ですか? それなら裏庭に井戸があるので、そちらをご利用ください」
「わかりました。有難うございます。えーっと…」
「アイリスです。アイリス・グノウ。この宿の主オットー・グノウの娘で仕事を手伝っております」
「改めまして、アイリスさん。御世話になります。自分はタダトキ・ヒビノです。連れはフィアと言います。宜しくお願いしますね」
フィアの本名は言って良いのか判らなかったので、愛称のみを伝える。
「こちらこそ宜しくお願いします。井戸へは階段横の勝手口からどうぞ」
「有難う」
自己紹介を済ませて、礼を言い井戸へと向かった。
「あれ?」
井戸には雨水避けの屋根が付いているが、汲み上げ用のバケツも手押しポンプのようなものも無い。あるのは洗面器と大きめのタライだけである。
「ああ! そうか、生活魔術か。掌を水面に向けてっと……『給水』」
直ぐに気付いた直時は、取水の魔法陣を編み水を捕まえる。そっと持ちあげた水球を洗面器へと解放する。
「便利は便利なんだけど、道具が少ないってのは寂しいなぁ」
異世界人としての感想が漏れた。
顔を洗った後の水を排水溝へと流し、少し考えた直時は新しい水を汲む。服を脱いで、よく叩いて旅の埃を落とし、木の枝へ引っ掛けていく。洗濯は後日するつもりだ。上半身を露わにし、緩く搾った手拭いで旅の垢を拭う。
もらった知識を検討した結果、残念なことに殆どの国で平民の入浴習慣は無く、水浴びか、お湯や水で身体を拭くだけのようである。
ついでとばかりに、パンツ一枚になって身体を綺麗に拭いた直時は、身も心もさっぱりして部屋へと戻った。入室前にキチンとノックをしたのでお約束は無しである。
「先ずは、夕食前にヒビノの服を買いに行きましょ」
フィアはローブと革鎧を脱ぎ、普段着なのか萌黄色で膝下までのワンピース、短い丈の革の上着(デザイン的にはGジャンのような)を着ている。革帯とポーチは旅の間身に付けていた物と同じだ。
直時の今の様相はお世辞にも見栄えが良いとはいえない。破れた肘や膝は布を巻きつけていたので、関節部など窮屈な思いをしてもいた。直時は、大きく頷いて早速出かける準備をする。といっても、鞄を肩に引っ掛けるだけであるが。
「少し買い物に出てるけど、夕食には戻ります。近くに古着屋はありますか?」
フィアがアイリスに鍵を預けて訊ねた。
「北へ八軒のところ、通りの左側の店ならまだ開いてると思います」
「有難う」
「いってらっしゃいませ。フィア様、タダトキ様」
ニコリと声を掛けるアイリス。フィアが怪訝そうに直時を見る。
「さっき自己紹介しといた」
アイリスに軽く手を振ってフィアの視線に応える直時。
「名前呼んでた…」
「名字じゃなくて名前で呼ぶのが普通なんだろ?」
「ちゃんと発音できてた…」
「そりゃ、商売だからだろ?」
「――ふんっ」
不機嫌そうである。
アイリスの言葉通り、店はまだ開いていたが閉店直前だったので慌てて買い物を済ませる。
とりあえずの調達だったので、安い布の服(灰色)と丈だけ合わせたズボン(焦げ茶色)を購入した。合わせて銀判貨二枚と銀貨一枚だった。直時の金銭感覚では宿泊料と比べると高過ぎる。古着の値段に眉を寄せていた。
そして、彼の体格の関係上、大き目の女性物であった。フィアにからかわれた直時は少し落ち込んでいたようである。
宿に戻った二人は、直時の着替えを終わらせ早速食堂へと向かう。
夕食時の『高原の癒し水亭』の食堂は大きな賑わいを見せていた。十人掛けの大テーブルが五つ。二人掛けの小テーブルが壁際に四つ。カウンターには八人分の席がある。
既に八割がた席が埋まっていた。二人掛けも空きが無い。幸いカウンターは二人連れの客が端にいるだけだったので、反対側のカウンター席に座る事が出来た。
「食べに来てるお客さんは、宿泊客だけじゃないね」
「そうね。料理が評判のお店なのかな? 夕食は期待できそうね」
何気ない会話をしつつも、直時は時折向けられる視線を背中に感じる。座る前にざっと見まわしたが、普人族らしき人は直時を含めて3人だった。
(お客は酒も入ってるし、食べたら早々に部屋に引き揚げた方が無難だろうな。久し振りのお酒、飲みたかったなぁ。ルームサービスってしてもらえるのだろうか?)
出来る限りトラブルを避けようと考える直時だったが、隣で大声を出す人物がいた。
「おねーさんっ。とりあえず麦酒二つっ!」
フィアが料理を運ぶ兎耳の女給に声をかける。
(しまった! この酔いどれエルフを忘れてた……)
軽い頭痛に襲われる直時。
フィアは、久し振りの町泊でテンションが上がり満面の笑みだ。この笑顔に諫言なぞ出来ようはずがない。直時も異世界で初めての外食である。もう良いや! 楽しもうと気分を切り替える。
「おまちどぉ!」
先程の兎耳の女給さんが二人の間に泡の立つ大きなジョッキを勢いよく置いてくれる。
「来た来たーっ!」
フィアが歓喜の声を上げる。
「ありがとー」
フィアの様子に微笑みつつ、兎耳さんに礼を言う。
そんな直時を少し驚いた眼で見る女給。獣人族に対して丁寧に接する普人族が稀なためである。そんな視線に気付かず、オーダーを告げる。
「えーっと、注文良いですか?」
「あ、はい! どうぞ」
「肉料理のお勧めを二品、野菜のサラダ一品、あと野菜が美味しいんだっけ?」
「はい! 水が美味しいので野菜も美味しいですよ!」
「じゃあ、野菜料理のお勧めを二品。以上でお願いします」
「かしこまりました!」
「おかわりっ!」
「はえーよっ! 乾杯もしてないじゃないかっ?」
直時の突っ込みをまあまあと抑え、すぐにお持ちしますからと兎耳さんは厨房へ取って返した。
「改めて! リスタル到着! かんぱーい!」
「乾杯!」
フィアと直時の陶器製ジョッキがぶつかり、良い音を立てる。
(ふむ。日本のビールよりはちょっと酸味がきつくて癖も強いかな。地ビールでこんな味のやつ飲んだことあるかも。まあ、美味しいから良いや)
一気に半分ほど飲み干し、残りもハイペースで干していく。直時が二杯を空け、フィアが五杯目を注文したときに肉料理がきた。
ひとつは少々臭みのある肉を大量の香草と一緒に炒め、甘辛い特製のタレを絡めた肉野菜炒め。もう一つは塩と香辛料が良く効いた手羽先(三〇センチくらいある)のグリルだった。
どちらも麦酒に良く合い、二人の食も進む。サラダも鮮度がよく、しゃきしゃきと歯に心地良い。美味い料理と久し振りの酔いにご機嫌の二人。その背中に突然声が掛かった。
「見かけによらず、良い飲みっぷりじゃねぇか」
野太い声の主に顔を向ける直時。フィアはお酒と料理に夢中(主に酒)で完全に無視である。
「美味しい料理なのでつい飲み過ぎちゃいますねー」
無難な作り笑いは日本人の必須スキルである。上辺の友好的な笑顔の裏で直時は相手を観察する。
(大テーブルの五人連れ。虎系獣人族。身長一九〇、絞った筋肉質から力と速さ兼備。丸腰。仲間は、同じ虎系女性1。竜人族? 蜥蜴系? 女性が1。んで妖精族ドワーフかな? 背は低いけど体重は俺の倍くらいあるおっさんが1。それと魔術師っぽいけど……。へぇ。普人族みたいだな。顔に不自由してなさげな優男。こいつ敵だな。が1と……)
一部主観的な判断を混じるが、なるだけ平穏無事に切り抜けれるよう考える。
「ここらじゃ見ない顔だが、旅人か?」
「はい。今日この町に着いたばかりなんですよー」
居酒屋で酔っ払いに声を掛けられた時の対応を続ける。相手の言うことには逆らわず、気分良くお帰り願うためだ。無論、質の悪い絡み酒はこの限りではない。
「にぃちゃん、普人族にしちゃあ珍しい毛色だなぁ? 生まれはどこだい?」
そうなのである。旅の間はエルフのフィアと二人であったし、襲ってきた盗賊も暴力を生活の一部とする人種であるから体格良いなーとしか思ってなかったが、リスタルの町に着いて直時が思ったのは、
(まんまファンタジーワールドじゃん! ヨーロピアンぽい普人族ばっかじゃん! 髪の色は別として! 東洋系いねーっ!)
で、あった。
直時は既に三十路を数えていたが、小柄な体格と起伏の少ない顔立ちだ。地球に於いても東アジア系は実年齢より下に見られることも多い。
絡まれている直時を完全放置でフィアは酒を飲み続けていた。口元に軽い笑いが浮かんでいるのは、良い酒の肴だと思っている節がある。
「あー、自分はこの大陸に来たばかりでして、生まれは遠い東の島国なんですよー」
適当に虚実を織り混ぜて応える。フィアへは虎男に見えない様に隠れてジト眼を送るも、黙殺される。
「ほう! そりゃ、はるばる遠いところから良く来たな! ようこそユーレリア大陸へ! 俺は見ての通り虎人族で、ガラム・ガーリヤってんだ」
「自分はタダトキ・ヒビノと言います」
ガラムは窺うようにフィアを見た。先程から直時と話しながらもチラチラと視線を向けていた様子から、本命はフィアにあったようである。彼の仲間達の様子からも興味があるのはフィアのようだ。
放置された腹いせから、どうするよ? と、でも言うようにフィアに顔を向ける。
「フィリスティア・メイ・ファーンよ」
仕方なしに応じたフィア。彼女の名乗りに食堂中が驚愕のどよめきに包まれる。
「やっぱりか! 風の女王の加護持ち、晴嵐の魔女…」
ガラムが畏怖と憧憬の声で呻いた。
「……酒乱の間違いじゃ?」
微かな直時の突っ込みだったが、フィアの左に座ったのが運の尽き。テーブルの下でワンインチパンチが正確にレバーに突き刺さる。
「ぐふぅっ!」
椅子から転げ落ちる直時であった。
いきあたりばったりの連続更新より、まとめて書いた方がいいのかなぁ。あまりの雑さに自己嫌悪です。