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シーイス公国動乱⑯


 リスタルにある別邸地下へと『影の道』を繋げ、飛翔するより短時間で辿り着いた直時。彼は身に纏った風をそのままに、玄関を蹴り破って飛び出した。

 鼻孔に焦げた臭いが届く。あちこちから黒い煙が立ち昇っている。風の精霊が耳元で囁いた。町の空気が張り詰めている。


(駐屯地は軍の仕事。後回しだ。それよりも!)

 直時は町の上空へと舞い上がり、目的の建物へと一直線に降下する。


 既に見て判っていた。『高原の癒し水亭』は猛火に包まれ、黒煙を上げていた。消火に当たっているのは、周辺の住民達だけである。治安維持から防災までを担う衛兵は、同時多発したテロにより忙殺されており、姿が見えない。

 焦燥に駆られながらも、直時は諦めていない。火の粉が舞い、焼けた壁が降りしきる中庭へと突っ込んだ。息を止め、風で熱風を遮断している。向った先は井戸だ。

 貯まった井戸水だけでは消火出来ないが、その下には地下水が流れる層がある。水の精霊術で操れば、一気に消火出来るはずだ。


(厨房の食糧庫、地下倉庫、他に部屋もある! 人魔術はアイリスさんもおやっさんも使える! 生活魔術でもなんでも使って耐えていてくれてればっ!)

 強引に地下水を引っ張り出し、全方位から放水しようとした瞬間――。


 ――ガゴォン!

 大きな音の後、二階の梁が焼け落ちた。

 太い黒杉は二階の客室部分を崩しながら、一階までを押し潰した。吹き上がる炎と火の粉に周囲から悲鳴が上がる。消火していた住人が逃げ散った。


 直時は、目の前の崩落に一瞬硬直した。が、直ぐに水を噴射した。水蒸気が立ち昇り、煤と共に視界を奪った。それらを消え残った火もろとも風で巻き上げ、燻る宿屋へと直時は踏み込んだ。


「クソッタレ! 残骸が邪魔だ!」

 撤去しようにも、片付ける場所が無い。やむを得ず、土の精霊術を発動。大きな竪穴を作り、慎重に、且つ迅速に焼け落ちた瓦礫を風で持ち上げて放り込んでいく。

 再び集まった住人達は、皆諦めたような、悲壮な表情だった。黒くなった柱が焼け残っただけの現状、当然だろう。だが、直時は最後まで諦めていない。


(戦闘用じゃなくたって、馴れた人魔術なら! 濡らせた毛布とか! 冷蔵保存魔術とか! いくらでも応用出来る! おやっさんは商売で火も水も使うし、アイリスさんはしっかり者だ! 生きてさえいてくれれば、治癒術がある!)

 直時のそれは、楽観論でも希望的観測でも無い。祈りだった。

 一般人、いや、職業人であろうとも、最後まで諦めない。災害で助け合う隣人、地元消防団、警察、消防、自衛隊の人達を見れば、人として根本にあるだろうことは理解わかるだろう。


 だが、現実は往々にして非情である。直時は、受付カウンター辺りで一人の遺体と対面した。

 玄関に近く、避難する余裕はあったはず。なのに、逃げ遅れた。理由は背中に突き立てられたナイフだろう。無言でしゃがみこんだ直時は、うつ伏せだった顔をそっと持ち上げる。微かに聞こえた詫びの声は、動かすことで損傷する身体と、恐らく女性であろう相手の変わり果てた姿、それを見られることを嫌がるだろうことへの謝罪だった。

 床に押し付けられていた半面は炎に焼かれていなかった。見間違える訳もない。看板娘のアイリス嬢だった。


 やや離れたところで、恰幅の良い男性だろう遺体があった。こちらは仰向けだった。顔は焼けて判別がつかない。厨房の入り口付近であることから、宿の主であるオットーだと思われた。首には投げナイフのような小さな鉄片が刺さっていた。


 その後も直時は生存者を探した。耳をすまし、瓦礫をのけ、動く者を探した。火が消えたことで他の住民も作業に加わった。

 生存者はいなかった。毛布などの大きな布に包まれ、街路まで運びだされた遺体は八人を数えた。グノウ親子以外にも凶器の跡があり、宿は襲撃後に燃やされたのだと判った。


 並んだ遺体を前に、直時は暫し黙祷を捧げた。住民達も弔いの言葉を呟き、手を組んでいる。


(この世界に来て、初めて人心地をつくことが出来た宿屋……。アイリスさん、一発で俺の名前を発音出来てたよなぁ。昆布の干物も此処で出された料理で会えた。初めての冒険で食べた、おやっさんの弁当……。肉の昆布巻きは残念な味だったよなぁ)

 いつも穏やかな笑みを絶やさないアイリス。狭い厨房で忙しく動きまわるオットー。清潔な寝具、温かい食事、賑やかな食堂……。直時はそれらを胸のうち反芻はんすうした。


 ――ヒュン!

 短い矢が至近から放たれた。矢は直時の背中へ深く刺さる。

 しかし、襲撃者に成功の喜びは無く、焦りながら攻撃魔術の魔法陣を編む。矢は、不自然な軌道を取り、急所から外れていたのだ。


 直時は、僅かに身体を揺らせただけで苦鳴も上げない。黙祷で垂れていた頭をそのままに、ゆっくりと体の向きを変える。前髪の下から覗く目が開き、襲撃者の視線と重なった。


「――ヒッ!」

 何を見たのか、悲鳴と共に攻撃魔術『爆炎』が放たれた。同時に彼の眼前で地面が盛り上がった。石畳の街路から、岩壁が出現したのだ。直時得意の『岩盾がんじゅん』である。無詠唱のため、発動が早い。


 襲撃者の放った炎の魔術は、岩壁に着弾、至近距離で紅蓮の花を咲かせた。自らの魔術に焼かれ、地面を転がる男。余波で済んだため、致命傷ではない。

 服の火を消し、伏せたまま荒い息を吐く男に影が落ちた。直時がしゃがみこんだのだ。


「お前がやったのか?」

 低いひび割れた声が聞こえた。無理に感情を殺した声は、歪な響きがあった。

 地面に転がっていた男は、無言で飛び退ろうとして――、出来なかった。手足はいつのまにか石畳と同化した石枷に捕らわれていたからだ。土の精霊術である。

 見上げる目には、怯えがあるが敵意は衰えていない。直時を睨む。


「アイリスさん達を手に掛けたのはお前か? 仲間もか? 何人だ?」

 直時はゆっくりと訊ねた。答えは無い。


「んっ! 背中が引きつるなぁ。取り敢えず矢を抜く間だけ、返事を待ってやる。早く思い出せよ?」

 言葉とは裏腹に、右手でナイフを抜いた直時。男が僅かに動揺を見せた。


「ったく、面倒くさい場所に当てやがって……。っと、これで影に入るか?」

 背中の傷口へと布を被せる。あれでは血を拭うことも出来ない。怪訝な襲撃者を無視し、直時は右手のナイフをゆっくりと足元の影に突き立てた。刃先は地面で止まらず、影の中へ沈んでいく。


 刀身は何処へ消えたのか? 疑問はすぐ解消された。


 直時が刃を沈めるスピードと同じく、男が放った矢の鏃が直時の右胸を突き破って出たのである。出血は少ないのは、治癒術を発動しているからだ。

 息を呑む男を余所に、直時は眉間に浅い皺を刻んだだけで手を緩めない。


 ――カラン。

 直時の背から胸へと抜けた矢が、硬い音を立てた。矢の後から、ナイフの刃先が現れた。それは、直時がナイフを足元から抜くと同時に胸の中へと戻っていく。傷はすぐに塞がった。

 そう。直時は、闇の精霊術で届かない背中へと影から刀身を転じ、矢筈やはずを切っ先で押し込んで無理矢理貫通させたのだ。それも、ナイフごと。


「ふう。気持ち悪かった」

 当然である。見ている男の方が青い顔をしている。直時は、影から引き抜いたナイフをそっと男の首筋に当てた。


「さて。もう一度だけ訊く。『高原の癒し水亭』を襲ったのはお前か? 他に仲間は何人いる?」

 直時の問いに、男は歯を食いしばったまま首を左右に振った。努めて無表情だった直時は、すうっと目を細めた。男が身を強張らせる。


「はぁー」

 大きな溜息を吐いた直時は、あっさりナイフを鞘に収めた。安心した男の周囲で土の精霊が踊った。


 数分後、大通りをゆっくりと歩く二人の姿があった。片方は小柄な黒髪の男、言うまでもない直時である。

 もう片方は呻き声を上げながら足を引き摺って歩く襲撃者。だが、その姿は惨憺さんたんたる有様だ。体中に火傷や打撲傷を負っている。自らの魔術で負った傷と、直時が殴る蹴るした結果だ。

 頑として口を割らない男に拷問を考えた直時だが、効果的な自白を促す拷問方法など知っている訳ではない。殺そうかと思ったが、とある活用法を思いついた。


「直接襲ってくるってことは、暗殺命令でも受けているのだろう? お前は失敗したけど、お仲間にもチャンスを与えてやろう」

 直時は歯を剥き出して言った。

 下着一枚フンドシに剥かれた男は、石の手枷足枷をはめられ、腰縄を打たれ大通りを歩くことになった。ご丁寧に空気穴の空いた丸石を咥えさせられている。アブノーマルな大人の遊びに使う様な口枷だが、目的は自殺防止と詠唱妨害だ。


 直時は縄を持って男の後ろを歩いていた。剣も構えず無防備に見える。実際は反対で、常に魔力を風の精霊へと供給し、広範囲で空気の乱れを監視していた。


 通りに立ち止まる人垣から、ちょっとした路地裏から、矢や吹き矢が飛ぶ。

 悉く狙いは逸れ、前を歩く囚われの男へと刺さる。

 襲撃者は風の刃で手足の腱を斬られた上で、竜巻により直時の前へと引きずり出される。


「――にぃ、さん。三秒耐えたね。エライエライ。じゃあ治癒してあげよう。さて、お二人さん、『高原の癒し水亭』の襲撃に加わったかどうか、または加わった奴を教えてくれる?」

 最初に捕まった男は直時の身代わりとして攻撃を受け、三秒後に治癒される。嗚咽をあげ涙を流し、それでも首を横に振る。新たに捕まった襲撃者は敵意の篭った目で睨むだけ。


「あー、アンタさ。今、話すなら生き残れるよ? 彼と交代。その場合、彼は処刑するけどね。どう? ……そうか、職業倫理かね? 俺としては人の倫理にも目を向けて欲しいところだったんだがなぁ。アンタのせいでカール帝国にマイナス1ポイント。忠実に職責を果たして、祖国へ不利益をもたすかもしれない結果を噛み締めてくれ」

 手足の腱を斬られ、地を這う男の頭を踏みつける。足裏から闇が広がり顔を覆い視覚と聴覚を奪った。恐慌をきたす男の頭は石畳へと沈んでいく。土の精霊術で頭だけが地面の下へと拘束された。

 殺してはいないが、音も光も無い密閉空間で叫び続けた男は、事後、シーイス軍によって身柄を拘束されるが精神に異常をきたしていたという。

 他にも襲撃者はいた。だが、彼等に直時の慈悲は無かった。


「呪文詠唱確認。風よ、切り裂け」

 風の精霊に広範囲を掌握させていた直時は、躊躇いもなく攻撃した。離れた場所から攻撃呪文を放とうとした襲撃者達は問答無用で殺された。周囲の住民をも巻き添えにして暗殺を敢行しようとしたためである。


 リスタルの町の中心、総督府へ辿り着くまでに、生き埋め(殺していない)にされたカールの諜報員は六名。血の海に沈んだ諜報員は十名を数えた。


 リスタル総督府へと攻撃を加えていたのは、工作員により脱出を果たしたカール兵の捕虜だった。獣人族の入植地へと攻め込み、味方騎獣の暴走で負傷。直時の治癒術で一命を取り留めた者達である。

 工作員が伝えた本国上位者からの命令のため、脱獄後指示に従うしかなかった彼等だ。しかし、直時にはテロに加わったとしか見えなかった。許せなかった。彼等を助けたためにリスタルで大きな被害が出たこと、何よりもグノウ親子と『高原の癒し水亭』を失うことになった自分の甘さが許せなかった。


《アー、アー。聞こえるか? こちら『黒髪の精霊術師』ことタダトキ・ヒビノだ。只今からカール帝国の破壊工作活動を行う者を殲滅する。一度は助けた。二度目は無い。投降する意思のある者は、武器を捨て――》

 大出力でもたらされる広域念話に、カール軍の元捕虜が動きを止めた。皆、「あんな化け物を相手にやってられない!」と、青褪める。そして、続く言葉に彼等の顔は土気色になった。


《――利き手を切り落とし抵抗を止めろ。嫌なら戦って死ね》

 あまりにも非情な宣告に硬直した。『黒髪の精霊術師』の圧倒的な力を経験したカール兵が聞いた最期通告である。恐怖に震え、動きを止めたがために、討ち取られた者が多数出た。

 最終的に自らの利き手を落とすか、使用不能(半ば千切れたり、骨折)にした者が十数人いたが、残りはシーイス兵と直時によって殲滅された。


 同様の事態がリスタル駐屯軍と剣を交えるカール兵との間でも起こり、援軍を待たずにリスタルの破壊活動は鎮圧された。

 直時は冷ややかな表情で、リスタル総督府及び駐屯する守備隊へ治安維持を厳にするよう求めた。彼等に信を置けなかったため、ギルドへ取って返し『カール間諜の掃討』を破格の報酬で依頼し、リスタル別邸の地下へと身を翻した。


 直時は戦場へと戻る。

 胸の裡に行き場のない炎を宿したまま。




《ミケちゃん、シーイスの方針は決まったの? 最後までやっちゃって良いの?》

「先鋒だけを潰しても退かないな。面倒臭い」

《あと少しで軍務卿が来るそうニャ。もう少し待って欲しいニャ》

 ミケから念話が返った。突撃しそうになるヒルダをフィアが辛うじて御している。アルテミアは背後で何も出来ず見守るだけ。時折誰かと念話を交わしているようだが、今のところ口を挟んで来ない。


 フィアとヒルダは迫るアインツハルト領軍を迎え討っていた。但し、チマチマと。

 空中騎兵の出鼻を挫いた後、フィアとヒルダは直時が穿った影の道の入り口を守っていた。緒戦で空中を制したため、残る空中騎兵は千華雪隊の雪竜が各個撃破。組織的な反撃を許さないまま蹂躙じゅうりんし、休息のため後退した。

 惨敗した空中戦を余所に、主力の地上部隊は陸上騎兵が突撃を敢行。しかし、至近距離で竜吐息ブレスと精霊術で壊滅。その後も散発的に重装歩兵の急襲や軽装歩兵の機動襲撃があったが、全て退けられた。

 アインツハルト領軍は、撤退こそしないものの、士気はどん底に落ちていた。


《軍務卿が指揮所に入ったニャ。今はシーイス軍に命令中。ウチらへの指示はもっと後になるかもだニャ》

 ミケから続報が入った。


《タダトキからは連絡無し? リスタルの続報は?》

《リスタルからじゃあタッチィの念話でも流石に届かないニャ。あっ、ギルド経由で連絡! リスタルは鎮圧したそうだニャ》

《ふむ。ならば、本格攻勢に出るとするか?》

《……ヒルダっち。タッチィが行くまで待ってて欲しいニャ》

《何故だ?》

《リスタル鎮圧はタッチィがやったニャ。だから、直ぐにそっちに行くニャ》

《やっと戻ってくるのね。折角の神人デビューなんだから、我慢してやった甲斐があったってものだわ》

《っ……》

 ミケが念話に苦悩のニュアンスを乗せてきた。言葉は無い。


《どしたの?》

《――アイリスちゃんとオットーさんが……死んだニャ》

 ミケからの念話はか細かった。フィアとヒルダは顔を見合わせた。驚きと悲しみと……そして、怒りを確かめ合った。


《タダトキは?》

《直ぐ戻るって――》

「ただいま~」

 穴蔵から飛び出した直時。間髪入れず、精霊獣達が飛びついてじゃれついた。


「あはははは。なんだよお前ら? 直ぐに帰ってきたじゃないか?」

 風獣フーチと炎獣ホトリが頬ずりし、闇獣クロベエが頭の上で髪に身をぐりぐりしている。土獣ゲンは足に首を伸ばして擦り寄って、水獣チリは静かに背中へ張り付いていた。


 明るく振る舞う姿に、不自然さを感じるフィアとヒルダ。先程のミケからの報告もある。気後れしたように「早かったな」とだけ言った。


「待っていてくれたんだね。二人とも有難う。もしかして、既に『敵』軍を追い返してるかと思ってたからなぁ。良かったよ、『敵』が残ってて――」

「タ、タダトキ殿? アインツハルト侯爵は確かに我ら共通の敵となりますが――」

「ああ。アルテミア殿下。そのことなんですが、やはり自分は思い違いをしていたようです。示威行動は必要悪ですね。中途半端な対応だと、関わった人に迷惑を掛けるだけになってしまうようです」

「あ、あのな? 『高原の癒し水亭』のことは――」

「ヒルダ姉! っと、ごめん。大きい声を出した。普人族国家群が完全に手を退く程度の損害って、どれくらいの規模なのかな?」

 纏わりついていた精霊獣達が見を縮こませた。遮られたヒルダに代わってフィアが答える。


「……近いところの例を出せば、虚空大蛇みたいに王城破壊ね」

「ふむふむ。支配者層への懲罰ね。封建社会において最高責任者は王族なんだから、当然の選択肢だよな」

「タタタタダトキ殿っ? それについては前もって事情を説明してっ――」

「ア―――ルテミア・で・ん・かっ? カール帝国とシーイス公国との交渉事に、俺達は関与してません。こちらが一方的に配慮しただけです。それとも何か有益な見返りって提案されてましたっけ?」

 アルテミアはぐうの音も出ない。実際に、「どれだけ損を被らないよう配慮するか」だけが、取引材料として上がっていただけなのである。一国の王族である傲慢さが盲点となっていたことに、アルテミアは改めて血の気が引いた。


「とは言っても、無駄に戦渦を広げるつもりもありません。実際、フルヴァッカの王城が消し飛んだせいでカール帝国が侵略をしたのでしょうしね。民にとっては治める者が必要とのことも理解しているつもりです」

 気に食わない者をぶっ殺してそれで終わるなら、これほど楽なことはない。直時としては、関わった人達が今以上に危険に晒されることを避けたい。そのための知識、この場合、周辺国の事情やらこの世界の普人族国家の事情やらが不足している。それは自覚していた。

 現場では感情に流されることが多いが、一歩引いて全体を見る心構えも持ってはいた。ほんの少しではあるが……。


「空中騎兵が壊滅したことだし、進軍速度が遅いでしょう。一応、俺達はシーイスの義勇兵として出張ってますし、防衛陣地で腹を割った『話し合い』と行きましょうか?」

 ミケからギルサン軍務卿が指揮所に入ったとの念話を確認した。直時を含む『ヒルダ隊』、それとシーイス公国、カール帝国の実務者で調整を図ろうというのである。


 戦時と意識しているシーイス側にとって「何を呑気な!」と思う提案だが、「いつでも殲滅可能」というヒルダ隊の言質と、アルテミア王女の懇願により場がもたれることになった。因みにジュリアーノ公王は、ギルサン軍務卿に今回の件を全幅の信頼を持って委任したそうである。




「という訳で、アインツハルト領軍が迫っています。限られた時間で落とし所を見つけないといけないので、各々の思惑をぶっちゃけて下さい。時間切れの場合、自分は独自の行動に移ります。以後、一切の協力をしませんので悪しからず」

 のっけから脅迫めいた言葉で場を支配する直時。

 臨席する者達には『神人』(異世界の存在ではなく、神子としての存在)として周知されている。ただ、本当の所、どれだけの力を持っているかは判っていない。そのため、野戦天幕の中では値踏みする様な目もちらほらあった。


「先ずは、此度の原因となったカール帝国を代表し、方々へお詫び申し上げる。雪竜の郷への侵犯、アインツハルト侯爵の狼藉を予測出来なかった事は第一王女である私の至らなさが原因だ。申し訳ない」

 アルテミアが口火を切った。一番に謝罪することで、誠意を示す。口調は王女としてのものに改まっていた。

 カール帝国を代表してとは言うが、責任をアルテミア個人へと誘導している感がある。例え責任を取った結果が死であったとしても、継承から外れた王女の一人である。国力が削がれるよりは有益であると判断したためだった。


「アルテミア殿下の謝罪、確かにお受け致しました。しかし、シーイスとしては遺憾であるとしか申せませぬ。御国とは親しき間柄なれど、我が国は雪竜と盟約を交わす国です。どのような決着であろうと、彼等の意志を蔑ろには出来ませぬ」

 ギルサン軍務卿もシーイス公国を背負って此処に居る。おいそれと退くわけには行かない。


「ギルサン殿。それは重々承知致しております。アインツハルトへの懲罰はシーイスのもの。我らはそれに形だけでも加えて頂ければ――」

「殿下。形だけでもと仰られるが、アインツハルト侯爵も帝国の懲罰部隊も我らにとっては同じカール帝国軍。更に雪竜の郷を侵したのは別軍ではありませんか?」

「シュレシュタイン隊はフルヴァッカへの輜重護衛が主任務。アインツハルトの謀略とは言え、賊の国境往来を許すのは如何なものか? 実働部隊の獣人族にはシーイス公国を中心に活動している者も多かったと側聞しておりますぞ」

 どちらも自国の失点を棚に上げ、少しでも有利に交渉を進めようと重箱の隅をつつくようなやりとりである。怒鳴り合いにならず、冷静に話し合っていることだけが救いだろう。

 主張自体にはシーイスに分がありそうだが、カールとは国力が違う。当たり前だが、弱小国がどれだけ正論を声高に唱えようと、それが通ることは無い。


 ――ゴンッ。

 大きな音にギルサン軍務卿とアルテミア王女の応酬が止まる。

 配られた茶を飲み干した直時が、空になった器を乱暴に置いた音だった。


「時間が無い――そう言った筈ですが?」

 直時は愛想笑いを貼り付け、出来る限り丁寧な口調で言った。

 彼は胸の裡で充満する黒々とした感情を押し殺していた。国を代表する二人に、遠慮をしていた。自分には無い能力、為政者としての彼等に敬意を払っていたとも言える。

 外交交渉とは胡乱で迂遠で慎重に慎重を重ね、硬軟取り混ぜた神経戦だとは理解している。しかし、戦場を間近にして全権委任されたはずの権力者が、即断即決を避けるような舌戦をする。判ってはいても、事前に刺した釘を無視されて我慢の限界に達した。


「お二人が戦後処理のため、自国の利益を優先され努力されていることは理解しましょう。私が個人であるのに対して、お二人は国を背負っていらっしゃる。それも理解しましょう。ならば、以後の事態にはそれぞれ御国毎に対応して下さい。私が此処にいる必要は無いでしょう」

「タダトキ。私『達』、だ。ヒルダ隊としてシーイス公国の依頼は果たした。義勇兵として参加はしたが、頭の方針が判らなければ動きようが無い。私達は離脱させてもらう」

 直時の申し出をヒルダが訂正した。隊の責任者は彼女である。ヒルダなりに直時だけへ敵意が向かないよう配慮したのだ。


「―っ! 待って下さい! 条件をっ」

「シーイス公国を中心とした周辺国の安定です。中長期的な平和とか高望みはしません。取り敢えずで良いです。その後はそれぞれの努力目標ですよね?」

「報酬はどのように?」

 引き止めたのはギルサン軍務卿。すかさず対価を訊ねたのはアルテミアである。シーイス公国にとって直時達が離れることは大きな損失になるし、逆に関係の薄いカール帝国にとっては大枚を叩いても繋がりを得たい。


「あまり抽象的な目的は良くないわ。タダトキ、何が欲しいのか言ってやりなさい」

「フィア、これだって大義名分って訳じゃないんだよ? 個人的な要求はアインツハルト侯爵の首が欲しいですね。知人の仇ですから。まあでも、カール側の反逆者処刑とか、責任おっかぶせて処罰とか、シーイス側の侵略者の首級を取って戦果を喧伝するとか、そういった利用価値に無理矢理横槍を入れるつもりは無いです」

 無茶苦茶ぶっちゃけた話である。続けて口を開く。


「執行者には拘りませんが、アインツハルト侯爵の処刑は絶対条件です。これがひとつ。次にカール帝国間諜についてです。アルテミア殿下。確認させて頂きますが、その全貌を知る権限をお持ちですか? そして、命令権は?」

「帝室や本領軍直轄ならばある程度知ることは出来る。他の貴族共が放っている者については知り様が無い。直接顔を合わせれば下知出来ようが、知らぬ相手にはどうしようもない」

「まあ、間諜の性質上、仕方無いでしょうね。では、ギルサン軍務卿。シーイス側で取締まりを厳にすることで対応可能ですか?」

「努力はしているし、リスタルを襲われた以上、更に力を入れる所存です」

「努力目標で実際の効果、即応性は不明ということで宜しいですか?」

「………お言葉通りです」

 元々答え難い情報である。直時の容赦の無い突っ込みに二人は黙った。


「ふむ。ではこちらで対応する他無いですね。ギルサン軍務卿。リスタルで破壊活動を行った間諜については、数名を捕縛し守備隊へ身柄を渡しています。彼等への尋問を要求します。アルテミア殿下。貴女には知り得るカール帝国間諜から、今回の工作へ加わった者の情報を望みます。これらは、直ぐにでも始まるアインツハルト領軍主力への攻撃参加の対価としてお考えください。勿論、我々が先頭に立つつもりです」

「タダトキ、あまり時間がありません。他の懸念事項への言及もお願いします」

 後方でヒルダ隊の連絡を統括していたミケである。普段とは打って変わった凛々しい仕事モードである。


「了解、ミケ。探り合いに時間を取られる訳にいかないので、進行させて頂きます。両国だけで解決出来ないだろう雪竜のことです。盟約を結んでいる以上、シーイス公国だけの判断は出来ないのでしょう? 雪竜側の代弁者は何方どなたかいらっしゃいますか?」

「千華雪隊の騎士隊長が控えております。彼を通じて雪竜側の要求を聞いて頂きたい」

 この辺りのやり取りは事前に打ち合わせ済みだったりする。ミケの手腕だ。


「シーイス公国独立近衛空中騎兵千華雪隊、ジーク・ザウエル少佐、出頭致しました」

 年の頃は四十前後。巨躯といっても良い一九〇を越える背丈。防寒飛行服の上からでも窺える強靭な肉体に、無骨な武人の顔が乗っていた。クセのある栗色の髪は長く、飛行帽の跡が残り、モミアゲから顎、鼻の下までこわい髭が覆っていた。


 愛騎である雪竜との念話は、遠く白乙女山地の祖竜を中継し、彼の口からその要求が伝えられた。


「――以上の理由から、煽動したアインツハルト侯爵、及び侵入したシュレシュタイン領軍の撃滅と、輸送隊の糧食全てが条件となります」

 雪竜達にとって、侵入者が最も罰を得る立場である。アインツハルト侯爵を許すつもりは無いが、主敵はシュレシュタイン領軍の護衛隊なのだ。そして、糧食については、雪竜の活動期である冬を目前にして、牙を収めるに足ると判断したようだった。


 この条件はアルテミアに苦悩をもたらした。アインツハルト侯爵の粛清に否やはないが、フルヴァッカ攻略中のカール帝国にとって輸送隊の荷は生命線である。最優先で確保すべきものだ。

 しかし、雪竜を蔑ろに出来ないシーイス公国にとって譲れない。越境攻撃という事実もある。場に重い空気が落ちた。


「――カール帝国第一王女である私の身で、シュレシュタイン領軍と輜重品は見逃してもらえないだろうか? いや、それだけでは済まぬな。護衛隊の指揮官にも責任を取らせよう。どうだろうか?」

 アルテミア決死の提案だったが、非情にも答えは否であった。

 雪竜にとって、普人族二人より食料の方が魅力的だったし、シーイス公国にとってもアルテミアの犠牲は、カール帝国との軋轢を強くするだけと判断されたからである。


 ここで直時が口を挟んだ。


「アルテミア殿下。護衛隊と荷のどちらを優先しますか?」

「どちらも――とはいかぬのだろう? フルヴァッカで勇戦する兵への食料だ」

「それは雪竜が許さない。となれば、代案です。マケディウスからの補給が滞ってるようですね? そちらを我々が支援しましょう。勿論対価は頂きますがね」

 海戦の影響で海棲魔獣が集まり、船舶での輸送がままならない。そのしわ寄せでシーイス国内でも流通が滞っている。

 周辺国の安定という直時の目標に、物流の正常化は必須事項でもあった。


 この後、最低限必要な話を詰め、直時達は天幕を出た。


「よく我慢したわね?」

「慣れてるからな。その分彼等には八つ当たりさせてもらう」

 フィアが労った。


 直時が睨む先に砂塵が舞っていた。敵軍が近い。


 会戦である。


本格戦闘は次回にて!

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