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シーイス公国動乱⑮

こっそりと更新…。


「列強の脅威が低い今、内憂の排除ねぇ。支配者は大変だ」

「王族の義務ですから」

「そんなの普人族だけでやってくれる?」

 直時は肩越しに背後を見た。甲冑に身を固めたアルテミア王女が雄々しく、では無く、虚勢が剥がれて震えていた。返った声も幾分か細い。

 彼女は、新調した直時の外套を両手で握り締め恐る恐る眼下の光景を見ていた。


 彼等の現在位置は、シーイス王都ヴァルンの北東、カール帝国との国境近くだった。高度五百メートル。遥か下方に、アインツハルト軍が見える。


「なんかグチャグチャだな」

「情けない。あれで戦をしようなどお笑い種だな」

 軽く羽ばたいたヒルダが失笑した。

 軍勢の足並みは乱れている。頭上を守るはずの空中騎兵が近寄れずにいるためだ。

 直時、フィア、ヒルダが風の精霊術で広い範囲に乱気流(などと生易しいものではない嵐)を起こし、空を制していた。


「ミケちゃんから連絡来たわよ。シーイスが千華雪隊だけは参戦させて欲しいんだって」

「えー? 俺達だけで良いよ。直接攻撃に加わったりしたら、カールとの停戦とか休戦とかで揉めるんじゃないか?」

 フィアの報告へ直時が眉を顰めた。戦闘も犠牲も最小限で抑えておきたい。今回の攻撃手順にも最後まで難色を示していた。

 ミケは戦闘には参加せず、シーイス公国との連絡役である。


「タダトキ殿、お気遣いは嬉しいが、シーイスの顔も立てねばなりませぬ。雪竜の怒りが鎮まらねば、矛を収めることが出来ません。最悪、全面戦争になるやも……。何卒、御承諾下さりますようお願い致します」

 意外にもアルテミアが理解を示した。

 直時は、目の前の被害を気にしているが、アルテミアは更に先を見ていた。


 当初、直時は本陣急襲に際して、アインツハルト侯爵の暗殺を提案した。神器『影櫃』ほどではないが、今の彼なら闇の精霊術での単独潜入、奇襲が可能である。確かに、この戦闘『だけ』に限れば、最も少ない犠牲で済む。

 これに異を唱えたのはアルテミア王女であった。真正面からの実力行使を主張したのだ。曰く、「血を流さねば、判らないこともある」とのこと。

結局、力押しの強行突破となった。

 某戦国魔王の一城皆殺しを彷彿とさせる。アルテミアの提案に、結果的に犠牲が少なくなると判断したフィアとヒルダは作戦を受け入れた。

 問題は誰が元凶の止めを刺すかということだ。カール帝国のケジメとしてアルテミア自身の手で行うか、シーイス公国の功と為すか、軋轢緩衝として第三者であるヒルダ隊に委ねるか……。


(リスタル戦役では、一万二千のヴァロア軍を敗退せしめた三人だ。その力、確かめさせてもらう。)

 アルテミアは、ヒルダ隊(主に直時)の能力を自分の目で確かめてから対応を決めるつもりだった。もはやカール軍の敗退は織り込み済みである。帝室に連なる者として、その後を見極めねばならない。

 アインツハルト領軍へは、強大な力への恐怖を反抗ではなく屈服へと誘導するつもりだ。指揮系統を失った大軍の混乱を避け、統制ある撤退へと導きたい思惑もある。そのためには、各部隊の指揮官に戦況を敢えてわかり易く見せてやった方が良い。


(アインツハルトの愚か者め。貴重な兵を……。この犠牲は必要な犠牲なのだ! 彼等の多くを救うためにも! だが、状況次第では彼等をも生贄として捧げねばならぬ。無論、この私もだが……)

 アルテミアは、湧き上がる激情を抑えカール帝国にとって最善となる決着のため、全てを駒として割り切った。


「了解。じゃあ、雪竜の空中騎兵――千華雪隊を待って攻撃を開始しよう」

 仕方無く頷いた直時は、ミケへ了承の念話を返した。


「もう少しさがりましょ。正面突破なら、間合いも必要よ」

 偵察を兼ねて示威行動のために敵軍直上へと来ていたのだが、フィアが後退を提案した。

 頷いた直時達は、千華雪隊を待つためにも後方へ退いた。アインツハルト軍は直掩の空中騎兵が戻ったことで勢いを盛り返し、進軍の速度は上がった。ただ、手もなく抑えられてしまった空中騎兵隊、及び参謀の一部に、濃い不安を残した。




「ふはははは。シーイスの山猿兵は山岳部へ散っておる。防衛戦を張ったところで所詮は多勢に無勢。一気に踏み潰してくれようぞ!」

 シーイスへと攻め入ったアインツハルト領軍。その本陣で当の侯爵が、報告を聞いて高笑いを上げた。部下の追従する声が続く。

 侯爵と取り巻きを余所に、一部の参謀と部隊長が小声で話し合っていた。


「――実際の彼我戦力はどうなのだ?」

「シーイスだけなら注意すべきは雪竜だけです。しかし、義勇兵として参戦してきた彼等は……」

「侯は黒髪を軽んじておられるが、奴には『晴嵐の魔女』と『黒剣の竜姫』がついている。確認もされたのだろう?」

 この時点で、直時が『神人族』との報に接してはいない。功を焦るあまり、進軍を急いだからだ。同時に、アルテミア王女が画策した本国の誅伐部隊はアインツハルト軍を捕捉出来なかった。これだけは、彼等にとって僥倖だった。


「――はい。上空に現れた人数は四。不明な一名を除き、黒髪と晴嵐と竜姫でした。直掩の空中騎兵を無力化した上で、しばし滞空。我が軍の全貌は既に知られているかと……」

「くそっ。それでシーイスの迎撃部隊は?」

「情報では小勢です。我が軍二万五千に対し地上部隊は義勇兵を除き約三千。空中騎兵の投入数は掴めておりませんが、小国ゆえ全力を集めるに苦労は無いでしょう」

「最悪シーイスの全空中戦力が迎撃に来るか……」

 空中騎兵担当の作戦参謀が顔を曇らせた。彼の見積もりでは、千華雪隊が出てくれば四分六で不利と判断していた。

 地上部隊では圧倒的とはいえ地の利はシーイスにある。アインツハルト軍は輜重隊等、支援部隊を含めての数だが、シーイス側は純粋な戦闘部隊の数だ。


「それでも主力の数は我が軍が圧倒的だ。空中騎兵は護りに徹し、残る地上軍で王都を陥落させれば良い!」

 最終的にまとまった作戦であるが、そこには数のゴリ押しという普人族国家特有の考えがあった。そして、意図的にヒルダ隊の戦力を慮外に置いていた。


「おい、貴様達。儂が無策と思うてか?」

 隅に固まる者達へ、アインツハルト侯爵が声を掛けた。一様にビクリと見を震わせた後、恐る恐る主の顔色を窺う。懸念事項を列挙し、散々怒鳴られた後である。萎縮するのも仕方が無い。

 しかし、ニヤリと笑った侯爵が自信満々で言った。


「シーイスの山猿共が全軍をもって抗うことは出来んのだ。忌々しい黒髪共も他に心をとられるかもしれんぞ?」




 ヴァルン王都に接するエルツゥル湖。その東にシーイス公国軍は布陣していた。冒険者義勇軍はその前方で遊撃と伏撃を担う。王城の練兵広場では爆撃機や攻撃機と見紛うような大型種の空中騎兵隊が出撃を待っている。

 王城本郭から、その緊張溢れる様子をジュリアーノ公王が厳しい目で見ていた。


「儂の代で叶えばと思っていたが、機会をこうも早く迎えることになるとはな。ヘンリー、お前も征くのか?」

「はい。陣で指揮を執ります。本来ならもう少し準備が欲しかったところですが……。しかし、今なら雪竜の力も当てに出来ます」

「振り回されるな。盟約があるとは言え、シーイス公国を名乗るは我らなのだ。それに、カールとの開戦に懐疑派も多い」

「護国のために申す者なら一考に値します。彼等を蔑ろにせぬようお願い申し上げます」

「他は?」

「カール他への内通派に対しては、既に処理班が待機しております。アインツハルト領軍への攻撃と合わせて排除します。後背の敵は厄介ですから」

「我が国もカールも同じか……。内憂にはキリがないな」

 深い溜息が聞こえた。今回の騒動で、城内に巣食う虫が炙りだされた。他国と通じる事を一概に裏切りと断じているわけではない。国のために独自の外交ルートを築いていた者も存在している。

 今回処分される者は、確定した売国者の中でも目に余る者だけで、見せしめだ。ギルサン軍務卿は、意図的に見逃している者達もいる。二重間諜として活用するためだ。勿論、役に立たないとなれば、即刻始末するつもりである。


「アルテミア殿下は彼等に同行されたか。危険は無いのか?」

「フィリスティア殿とヒルデガルド殿がご一緒ですから、問題無いかと。それにしても、ヒビノ殿が『神人族』であられるとは、思いもよりませんでした」

「不興を買っておらねば良いのだが……」

「獣人族への計画は、見直しが必要ですな。ヒビノ殿の事もありますが、報告通りなら残った住人が少な過ぎます」

「彼等への待遇に不満を持たれたのだろう。入植は白紙に戻すしか無いのう」

「建設された砦はどう致しますか? 残余の獣人族では維持できないでしょう。直轄地ですし、接収いたしますか?」

「馬鹿を言え。ノーシュタット政庁での一件は聞いておる。平地に戻されるだけだろう。これ以上方々の機嫌を損なう訳にはいかぬ。戦功次第だが、譲渡も考えておる」

「破格過ぎませんか?」

「元はただの野っ原ではないか? 何も損にはならん。それよりも、目の前の戦を頼んだぞ」

「お任せ下さい。今こそ、奪われた誇りを取り戻して見せましょう!」

 ジュリアーノ公王とギルサン軍務卿の目には、強い決意が浮かんでいた。




「おー! 若竜とか言ってたけど、雪竜ってでっかいなぁ!」

 直時が嬉しそうに言った。待ちわびていた千華雪隊が頭上を通過したのだ。参戦を渋っていたのに現金なものである。

 白烏竜のブランドゥより二回りは大きく、二枚の翼長は倍ほどもある。直時のイメージする西洋竜そのままの姿であるが、鱗は見られず白く長い体毛が全身を覆っている。周囲が霞んでいるのは纏う冷気が大気中の水分を凍らせているためだ。

 彼等に近付く小さな影がある。挨拶に向ったヒルダだ。


「ヒルダが呼んでるわ。私達も行きましょう」

 頷いた直時は目を輝かせてフィアと共に空へ翔けあがった。戦闘前で塞ぎ込みがちだった様子が一変した。フィアの口元が緩む。心配していたようだ。


 シーイス公国が敷いた防御陣の更に前方。そこで待機していたヒルダ隊(アルテミア王女を含む)に千華雪隊五騎が加わった。

 初撃はこの少数の航空部隊だけで行われる。


「敵の空中騎兵は体勢を立て直し、主力上空で防空に付いているだろう。最初の獲物はそいつ等だ。往くぞ!」

 指揮を執るヒルダが声を張り上げた。




《敵騎発見、正面に五騎。さらに小さい影が四――いえ、人です! 黒髪共です!》

 アインツハルト主力の前方へ突出し、前衛哨戒の任にあたっていた空中騎兵から念話がもたらされた。


《追跡し逐次報告せよ》

了解ヤー

 応答の前に、彼は愛騎の手綱を引いていた。右へと大きく旋回しながら上昇する。


(敵前で尻を向ける羽目になるとは! 狙われたら終わりだぞ!)

 凍えそうな空の上で、脂汗が滲むのを感じた。必死で愛騎を叱咤する。見失うまいと、吹き荒ぶ風と旋回重力に逆らって首をねじ曲げた。ケシ粒のようだった騎影が見る間に大きくなる。「来ないでくれ!」と、必死の祈りが通じたのか、五騎と四人は進路を変えること無く彼の眼下を素通りした。

 騎首は百八十度、敵の進行方向と同じ自軍主力方向へ。高度を稼ぐことで速度を落ち、追走することは不可能となったが、騎体を傾け敵をはっきりと視認した。彼は、再び念話を送った。


《雪竜五、人四。正面より直進。正面に障壁を展開。接触まで五分!》

 拾った命を噛み締める間もなく、高度を下げることで速度を上げた彼は、命令を忠実に守って追跡を始めた。幸か不幸か、彼の愛騎では追いつくことは叶わなかった。


 アインツハルト軍は不意を突かれた。

 シーイス空中騎兵団は、防御陣と連携し攻撃を受け止めると判断していたからだ。普人族の国家間戦争で慣れきった、会戦主義が裏目に出てしまった。一部参謀からは、航空戦力による先制攻撃に懸念を上申されていたが、大部隊の一斉出撃が無かったため、意見具申は無視されたのである。

 ヒルダ隊と千華雪隊による小勢での先制攻撃に対応出来たのは、その脅威に前もって晒された空中騎兵団だけであった。

 耐久力のある大型騎獣が主力部隊を覆うように低空へと騎位を下げ、速度に優る騎獣を中空へ、攻撃力に優る騎獣を高空へと配置した。低空部隊は主力の盾、優速部隊は攻撃を受け止めながらも足を生かして損耗を減らし、打撃部隊が高空より一撃を加える。

 空中騎兵の指揮官は有能だった。兵もそれに能く応えた。しかし、現実は非情であった。


 千華雪隊の雪竜五騎が、楔型編隊のまま高度を下げた。狙いは主力部隊を守る低空の空中騎兵である。雪竜の口から五筋の白い吐息ブレスは放たれた。

 空飛ぶ要塞と言われる青銅甲虫だったが、耐性の無い雪竜の凍てつく吐息ブレスとは、相性が最悪だった。体内の水分を瞬時に凍らされ、暗藍色の外骨格を白く染めて次々と落ちていった。跨る騎兵が必死で防御の魔法陣を編むが、所詮は人魔術。竜族の吐息ブレスには無力であった。

 中空、高空部隊は黙って見ていた訳ではない。優位な上空から雪竜へと攻撃を敢行した。


「くそっ! 硬い!」

「どうしてあんなでかい岩や氷が飛んでやがんだっ!」

 放った攻撃魔術や、騎獣の爪や牙を阻んだのは、滑らかな表面をした岩の盾と氷の盾である。


「性に合ってるといえば合ってるんだが、俺ってこんなのばっかりだな」

 呟いたのは雪竜の頭上を守る直時である。彼の背後にもう一人鎧姿の騎士がいるが、兜に隠されて顔は見えない。

 覆い尽くす程の障壁ではないが、攻撃方向が絞られているため、盾を動かし全ての攻撃を完璧に防いでいる。


 周囲では優速を誇る猛禽騎獣や、急降下してきた一角翼竜が黒焦げになったり、ズタズタになったりして落下していた。ヒルダの炎とフィアの風だ。彼女達は雪竜と直時の周囲を薙ぎ払っていた。目標を変えた敵騎兵だが、炎とカマイタチによる殺傷範囲に近寄ることすら出来ずにいた。


 死と破壊で空中騎兵の布陣に大穴が空いた。抜けた雪竜は大きく翼を打ち、上昇へと転じる。


《後ろは任せてくれ》

 ヒルダが念話を飛ばし、くるりと反対を向いた。直時とフィアも制動をかけ、ヒルダの両側へと位置する。大型の飛翔種よりも小回りが効くのだ。


「それじゃあ、先頭まで突っ切ろうか」

 フィアが追いすがってきた編隊へと左掌をかざした。ヒルダが大きく息を吸い込み、直時は操っていた盾を砕いた。

 岩と氷の塊がフィアの風に吸い込まれ、横方向への竜巻となって撃ちだされた。同時にヒルダが炎の吐息ブレスを風に乗せ、直時も炎と風の精霊術を行使。三本の風の渦が新たな大穴を空中騎兵の群れに穿った。

 赤黒い残骸が地上へと落ちていく上を、アインツハルト軍の先頭へと飛んでいく。

 ヒルダは軽く鼻を鳴らし、フィアは憂いを込めた溜息を漏らし、直時は眉間に深いしわを刻んでいた。そして、直時の後ろ。風に操られるまま、何も出来ないでいた騎士、アルテミアは、兜の下で歯を食いしばっていた。




 直時達が敢えて無視した最後尾に、戦場にあって不自然な程華美な獣車があった。重厚な装甲に態々精緻なレリーフを刻み、故意に防御力を落としているとしか思えない玻璃窓や、薄衣のカーテンが揺れている。この超重級の紫晶角犀が六頭で引く大型獣車が、アインツハルト侯爵のいる移動本陣である。


「たった九騎の敵に初撃だけで空中騎兵が三割喪失だとっ? ええい! 無能どもめ! どれだけ金を注ぎ込んで育ててやったと思っている!」

 飲みかけの高級酒が唾と共に飛び散った。罵声を吐いた太い唇の端と、たるんだそこここの肉が震えている。

 アインツハルト侯爵は憎しみの篭った目で周囲を見回した。どいつもこいつも自分の足を引っ張る無能に見えて仕方がなかった。どれだけ良策を与えても、その通りに動くことが出来ない馬鹿ばかりだ。


(この遠征が終わったら、残らず一兵卒、いや、反逆罪で牢にぶちこんでやる! それが嫌なら妻でも娘でも差し出させるか? そう言えば、帝室がどうのこうとの五月蝿い馬鹿次席参謀の妻は器量良しとの評判だったな。奴の減刑とチラつかせてやれば、直ぐに尻を振るに違いない。尤も度量は較べるべくもない。甲斐性のない無能な亭主のことなど、直ぐにでも忘れるだろうがな。フヒヒ)

 部下の能力は把握していないが、血縁の綺麗どころだけはしっかりと記憶している。この時点でもアインツハルト侯爵は、自身の勝利を疑っていなかった。




 混乱をきたし、足の鈍ったアインツハルト軍。その前方にヒルダ隊は舞い降りた。はるか上空では、千華雪隊が空中騎兵の掃討を行なっている。凍りついて落下する敵騎兵は後を絶たない。


「ここまで力を見せつければ、もう充分じゃないか? 後は大将だけ討てば退却しないか?」

 直時が落ち着かな気に言った。右掌を握ったり開いたりしている。特に根拠も何も無い。ただただ嫌なだけなのだ。


「主力の地上部隊が丸々残ってるから駄目ね。最低でも先頭潰して足止めして、それから本陣かな?」

「フィア、甘やかすな。ここはシーイス領内なのだぞ。それだと敗残兵共が散って後々面倒なことになりかねん」

「そこはアルテミア殿下に頑張ってもらってさー」

 直時はそれでも血を流すことを回避したい。


「いいえ! 我が軍が雪竜の領域を侵したことで、穏便に終わらせることは既に不可能です。シーイスでさえ、これで矛を収めることは出来ないでしょう。上で雪竜達が見ております」

「竜繋がりでヒルダ姉さんから何とかならないか?」

「難しいな。彼等には彼等なりの法がある」

 恨めしげな直時にヒルダが断言する。ある程度期待したのだが、話に聞く限りでは神々や神獣の場合、法だの理だのよりも気分で処理している気がする直時は、深い溜息とともに都合の良い解決を諦めた。

 その時、ミケから叫ぶような念話が届いた。


《みんなっ! リスタルが攻撃されたニャ!》

《何処からっ? いや、被害は! アイリスさんとおやっさん、ブラニーさんはっ?》

《タダトキ、落ち着け。ミケ、被害と敵兵力は?》

《北区駐屯所と総督府に被害。初期戦力は少数の工作員ニャ。でも、脱出したカールの捕虜が合流。守備軍と交戦中で膠着状態らしいニャ。それと……》

《なんだ?》

《『高原の癒し水亭』が襲われたニャ!》

「くそがっ!」

 直時が感情のまま吐き捨てた。

 激昂する彼に、フィアが近付いて肩に手を置いた。ビクリと震えて振り返ると、険しい顔のエルフが真っ直ぐに見ていた。


「――行きなさい」

 はっきりと強い声だった。


「でも、作戦中……」

「何のためにシーイスまで戻って来たの?」

 少し昔の言葉でエコノミックアニマルと称された日本人。その性である仕事優先という意識が直時の躊躇いだった。しかし、フィアはそれをバッサリと断ち切った。「目的を見誤るな!」と。

 遠い『ソヨカゼ』から直時がのこのこと舞い戻った理由は、親しい人を案じたから。ただ、それだけの筈だ。獣人族の件も、シーイス公国からの依頼も、謂わば成り行きの結果引き受けたに過ぎ無い。


「ここは私達に任せておけ。お前がおらずとも敵将はとっ捕まえて雪竜の餌として引き渡してやるさ」

 ヒルダも傍に来た。直時の黒髪を乱暴にかき回す。


「方々(かたがた)、どうされたのですか? 戦の最中ですぞ?」

 一人、状況を理解できないアルテミアが戸惑って訊ねた。


「ヒルダ姉、有難う。後は頼む。フィア、王女殿下は任せるよ? ホトリ! フーチ! 姉さん達に従え!」

 紅い鳥、炎の精霊獣と、細身のイタチ、風の精霊獣が何処からか姿を現し、ヒルダとフィアに寄り添った。

 二人に頷いた直時は垂直降下。着地し、しゃがんで右掌を地面にあてた。土の精霊術。足元に洞窟が穴を開いた。いつもの趣向を凝らした造形は皆無だ。黒々とした穴があるだけである。


「ゲン、クロベエ、チリ。侵入を許すな」

 岩亀、黒毛玉、水蜥蜴が洞窟の周囲に布陣した。土と闇、水の精霊獣である。魔力を集中し洞窟入り口へと桜の刻印を施す直時。即座に『影の道』をリスタルの別邸地下へと繋ぎ、闇の中に身を躍らせた。


「何があったのですか?」

「カールの間諜がリスタルで事を起こした」

 アルテミアの疑問にヒルダが簡潔に答えた。兜の下で王女の顔から血の気が引いた。


「向こうの結果次第ではタダトキ――いえ、私達とカールは完全に敵対することになるわ」

 直時を飲み込んだ闇を見つめていたフィアがアルテミアを見ようともせず言った。




 焦燥に身を焦がしてリスタルへと戻った直時が目にしたのは、火の粉を上げながら焼け崩れる『高原の癒し水亭』だった。


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