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シーイス公国動乱⑨

 ヒルダ隊一同は、晩餐会の後にギルサン軍務卿と対面していた。格好こそ華やいだ正装のままであるが、浮ついた様子は微塵も感じられなかった。酒豪揃いのため、酔いも見られない。話の内容は、シーイス公国からの指名依頼の件だった。


「先ずは感謝の意を。品不足の中、物資の提供を有難う御座いました」

「現物徴税の事か? こちらも手間が省けた。それより、ノーシュタットに滞在する者達の名簿は受け取ったが、王都で保護されている者達のものを渡してもらいたい。同時に、彼等の健康状態だ。護衛依頼以前に、そもそも移動に耐えられるのか確認が必要だ」

 頭を下げる軍務卿に、ヒルダが代表して口を開いた。


「必要な治療と処置は完了しております。今は入植に備えて英気を養っているところ。移動には一部を除いて問題ありません」

「ノーシュタットでは酷いものだったがな。この目で見ねば安心出来ん。それと、『一部』とは?」

「ノーシュタットは収容数が多く手が回りませんでした。いえ、不手際があったことは事実です。判りました。確認出来るよう計らいましょう。そして、一部の者ですが、治癒術の限界で完治しなかった者と、高齢者です。健康に問題はありませんが、移動には幾分支障をきたすでしょう」

 王都ヴァルンでは軍務卿の目が行き届いており、保護された者へ適切な処置が為されていた。それでも使用された人魔術は治癒の中位まで。ヒルダ達の魔力と精霊術による治癒ならば、完治する者もいるだろう。こうして、訪問は認められた。

 また、ギルドへ依頼書の提出を督促した。未だ正式に請け負った訳ではない。しびれを切らして先に動いたが、契約後なら気兼ねなく行動に移ることが出来る。軍務卿は明日の午後にはギルドへ届けると約束した。

 従卒が持ってきた名簿は軍務卿からヒルダへ、ヒルダからミケへと渡された。これで、各種族への引き取り人数が確定出来る。


「ところで軍務卿。カール帝国の第一王女は、シーイス公国のお膳立てですよね? 彼女の意図は何なのですか?」

 直時が思い出したように言った。お手洗い前で待ち伏せされた上に、お供無しの直接面談だ。気にならない訳がない。そもそもシーイス公国のお膳立てがあるはずなのに、何の言及も無いのだ。

 会話の内容が重大なものであれば納得行くが、誰からも聞かれたような事ばかりである。アルテミアの真意が不明だった。


「申し訳ございません。なにしろ突然ヒビノ殿と直に言葉を交わしたいとの御要望でしたので……。我が国といたしましては、アルテミア殿下の御意向を蔑ろにする訳にいかず、斯様かような次第となりました。事前に御連絡出来なかった事、お詫び申し上げます」

「アルテミア王女の気紛れ……と、思って良いのですね?」

 念を押す直時に肯く軍務卿。実際は事前に公王との謁見で決まっていた事である。


「まあ、強引なお誘いがあったわけでは無いし、お気になさらず」

 大国の姫君の我が儘だったと結論付ける直時。軍務卿は、その答えに安堵の息を吐いた。彼の本心には誰も気付けなかった。




 時は少し遡る。


 シーイス公王ジュリアーノに謁見するカール帝国第一王女、アルテミアは形ばかりの敬意を表した後、用件を切り出した。再び開いた口調は傲慢ですらあった。両国の力関係では致し方無い。


「うちの馬鹿貴族がシーイス攻める」

 いささか自嘲が混じる軽い口調であったが、公王はもとより居並ぶ重臣達に衝撃が走った。当然である。


「アルテミア殿下は、宣戦を布告する使者として参られたか?」

「そんなわけはなかろう? ただでさえフルヴァッカ攻略に手間取っておるのだ。戦線拡大など愚の骨頂」

「なれば殿下の、いや、カール帝国の思惑は如何に?」

「其奴はそれなりの大物でな。軽々と処分するわけにもいかぬ。名分が必要だ。よって、同盟国として協力を頼みたいのだ」

 相手は建国以来の大貴族。アインツハルト領は帝都の直ぐ隣である。領内運営に専念していれば良いものを、権力欲が大きく、己のためであればカールに乱を呼ぶことも躊躇わない。いや、底の浅い謀略が祖国にどれほど損害を与えるかも判別出来ない愚物。そうこき下ろした上でアルテミアはジュリアーノに協力を請うた。


「奴がどのような大義名分を掲げたとて、御国へ一歩でも踏み入った瞬間、逆賊として討つ段取りだ。皇帝陛下の勅令も内々に頂いている」

 アルテミアの言葉に公王は即答出来なかった。胸中には黒々とした屈辱感が渦巻いている。先の戦の時と同様属国扱いで、カール帝国の囮となれと言われているのだ。


「まあ、信用出来ないであろうな。しかし、良好な関係を保つには我が国も誠意を見せねばなるまい。国へは影武者を帰し、私はシーイスへと留まろう。どうだろうか?」

 自身を人質にと言外に含めた。出来るか否かは置いて、公王の面目も保たれる。アルテミアとしては、シーイス公国への手綱を緩めるつもりはないが、無闇に反感を買うつもりもない。


「アルテミア殿下の望みとあれば、出来得る限り叶えて差し上げましょう」

「御厚情、感謝する。それと、諸国にはない初の試み、見せてもらっても?」

「黒髪ですか?」

「我が国の誘いを袖にした男だ。一度見ておきたい。しかし、それだけではない」

 アルテミアは直時と会う機会を望むと共に、ヒルダ隊への指名依頼である護衛対象、獣人族入植の見学を求めた。


「殿下は獣嫌いと聞き及んでおりますが?」

「だからこそ貴国の試みに興味が湧いた。隔離して利用し、尚且つ従属させる――画期的ではないか!」

「あくまでも保護です」

「うむ。益々感嘆した。まつりごとの表には美しさが必要だ。たとえ、裏面にどれだけ黒いモノがへばりついておろうともな!」

 苦々しい様子のジュリアーノ公王へ、さも楽しそうに答えた。




 翌朝、ミケは冒険者ギルドに詰めて各種族への連絡に当たった。既に迎えを送った種族もいるとのこと。日程や手順の再確認が必要だった。

 特定の冒険者にギルドがこれほど関与する事は珍しい。ミケがギルド付き冒険者ということを差し引いても破格の協力だ。あるいは、創設者である神々の一柱、エルメイアの意向が入っているのかもしれない。


 フィアと直時を伴ったヒルダは、ギルサン軍務卿との約束通り王都ヴァルンで保護されている獣人族を見舞った。今回、手土産は無い。軍務卿の言葉を端から疑う訳にもいかない。適切な待遇を受けているという前提である。敢えて土産と言うならば精霊術による治癒だろう。


「軍務卿の言葉は嘘では無かったみたいね。皆、元気そう」

「ノーシュタットよりはるかに体調が良いな」

「こっちは男性も多いね。大きな古傷を抱えているけれど……」

 フィアに同意するヒルダ。しかし、直時にだけ不安が見えた。男性には肉体を欠損した者が多かったからだ。負傷したフィアを治癒しきれなかったことが脳裏を過ぎる。


「『肉体再生』は禁止。精霊術だけだからね?」

「何度も言われなくても判ってる」

「アンタは何度でも言わないと判らないから言ってるのよっ」

 しつこい程に念を押される直時だった。

 この日の施術で傷病者の七割が完治した。栄養状態さえ良ければ、獣人族の生命力は容易に治癒術を受け入れる。


 正式に依頼を受けたヒルダ隊は、誰憚ること無く王都ヴァルンとノーシュタットを行き来して治癒を続けた。

 当初、普人族と直時を警戒した獣人族だったが、真摯しんしに傷を癒しに通う彼に見る目を変えた。高名なヒルダとフィアのお供と思われたことや、ミケと冗談を言い合いじゃれあう姿も一因だったが、一番の理由は子供達だった。


「ほーらっ、捕まえたーっ! 捕まった奴はモフモフしちゃうぞぉ」

 暴れる子供を背後から抱き上げた直時は、頭を撫でくり回し頬ずりする。元の世界では確実に捕まってしまう所業であるが、周りの目は好意的だった。普人族が嫌悪するはずの、獣人族の耳と尻尾に目尻をだらしなく緩めていたからだ。

 鬼ごっこで逃げまわっていた他の子も、誰かが捕まると直ぐに寄ってくる。鬼である直時の服を引っ張ったり、背中に飛びついたり、そのままよじ登ろうとしたりと傍若無人だ。黒髪が珍しいのか、髪を引っ張る子もいる。


 最初は、所在なげにしている子へ竹とんぼを作って渡したり、こっそり使った土の精霊術でビー玉代わりの石球を作ったり、縄跳びを教えたりしていた。物珍しさに、他の子も集まってたちまち我も我もとねだりだす。

 人数が増えれば皆で遊べること、鬼ごっこが定番だ。ワァワァ歓声を上げて逃げ惑う子供達を、直時は同じく愉しそうに追いかける。何故か、いつまでも鬼をやらされている。

 また、捕まえた。高い高いをして悲鳴をあげさせ、抱き込んで頬擦りする直時。再び集まる子供達。


(猫耳、犬耳、兎耳……。ふわふわ尻尾に、ぽわぽわ尻尾……。天国だねぇ)

 もみくちゃにされながら、実に幸せそうな直時。


「あああ! もうっ、食べちゃうぞう!」

 腕の中のふかふかお耳に向かって口を開けると、後ろから頭を捕まえられた。


「そこまでニャ!」

「何故止める!」

「お子ちゃまに耳パクは刺激が強すぎるニャ! タッチィ、やらしいニャ」

「やらしくない! エロい心は一欠片も無いぞ! それに、この子は男の子――」

「余計駄目ニャあ!」

 微笑む周囲の獣人族とは違い、ヒルダとフィアは生温い目で見守っていた。




 彼等の健康回復と並行して、食料となる魔獣狩りにも出かけていた。

 森の奥で大きな破壊音がして地面が揺れた。騒ぎながら飛び立つ飛翔魔獣。続いて木々を揺らしながら森の切れ目から飛び出す魔獣の姿。

 『鎚手熊つちのてぐま』が小山の様な巨体を揺すって現れた。

 ――名前の由来である極度に発達した前腕は、より大型種である『緋背縞羆ひせじまひぐま』の倍の長さと太さを誇り、その一撃は『硬骨猪こうこついのしし』の太い首をも叩き折る――。

 土煙を上げ四足で疾走する巨獣。その前にはちっぽけな人影がひとつ。右手に短い剣を携えている。


「行ったぞ、タダトキ! 攻撃に使っても良いのは剣だけだ!」

「そんな無茶なっ」

 見るからに凶暴な鎚手熊であるが、実はヒルダに追われて逃げていたのである。叫ぶ直時を恐れないのは、見るからに狼狽えている様子が判るのと、撹乱魔術『アスタの闇衣』で大き過ぎる魔力を感知されないようにしているからだ。


 さしたる障害と認識せず、鎚手熊は直時を襲わずそのまま踏み潰そうとした。

 衝突前、彼の足元で魔法陣が光り、その姿が魔獣の視界から消えた。移動系高位魔術『地走り』である。直時は右手に逃れ、方向転換。鎚手熊に追いすがり並走する。


(さて、どうしたものか。ヒルダ姉さんや獣人族みたいに固有術で肉体強化は出来ない。これだけの巨体に斬りつけてどうこうなるものかな?)

 無視されていることを幸いに、柔らかそうな脇腹へと近寄った。右手の剣を左肩口へ振り上げ、上半身を捻る。呼吸を止め、体ごと右横の巨体へ飛ぶ。前体重を乗せた斬撃。


 ――グオオオオッ!

 怒りの声を上げた鎚手熊が、首をよじって直時を睨んだ。


(なんだっ? 思ったより刃先が入らない! 体毛に魔力を通して強化してるのか?)

 異様な手応えに驚くが、直時は即座に飛び退き距離を取る。彼の一撃は、ほんの切っ先が肉に届いたに過ぎなかった。


 しかし、敵として認められたようだ。土煙を上げて巨体を急停止させた鎚手熊は、大きく威嚇の声を出して後ろ足で立ち上がった。太い両腕は大きく振り上げている。


(狙うなら体毛が薄い場所。手足の付け根の内側に、下腹部くらいか。全部正面から行くしかないだと?)

 『地走り』をキャンセル。直時は魔獣の正面、間合いの外で睨み合う。


 後ろから追っていたヒルダは、いつの間にか空にいた。距離を取って両者の闘いを見守っている。


 直時の周囲で風が渦巻いた。移動補助に風の精霊術を使うようだ。今度は剣を右肩に乗せて構えている。片手で上段に構え続けるには重いからだ。

 ゆっくり近付くその頭上から鎚手熊の両腕が振り下ろされた。熊掌ゆうしょうは地を打った。直時の姿はさらに内側、振り下ろした剣は左脚の付け根に血を吹き出させる。


 ――ギャオオオゥ。

 苦鳴と共にのけぞる魔獣。その隙に直時は再び距離をとる。

 ズシンと座り込んだ鎚手熊は、横目で睨みながら傷を舐める。


(さっきよりは深く入ったが、致命傷には遠い。一撃離脱で同じ箇所を狙うか?)

 剣を構え直した直時。


 鎚手熊が、突然跳ね起き片腕を振り下ろした。直時には届かない。しかし、振るった爪は大地を深く掬い取り、土砂礫を霰弾のように直時へと浴びせた。


「ぐぅ!」

 顔を腕で庇った直時へ、魔獣の巨腕が襲う。

 土煙を鋭い爪が裂く。風の唸りに直時が反応する。右側。飛び退きながら剣で受け流す。寸瞬後、左からもう一撃。風で弾く。重い魔獣ではなく、自分の身体を。僅かに間に合わない。

 爪の一本が左肩へ入った。後ろへ逃げるがそのまま左腕の肉を削る。直時の顔が歪む。最後に篭手を引き千切って抜けた。


「精霊達っ!」

 激痛は治癒術により抑えられ、骨まで見えていた左腕は即座に傷を塞ぎ肉が盛り上がる。


「やばかったが、仕切り直しだ。直接攻撃が剣なら姉さんも文句はないだろ」

 剣の訓練なので人魔術、精霊術は出来るだけ控えていた。生きるための剣技習得とはいえ、死んでしまっては本末転倒だ。直時の周囲でこれまで以上に風が吹いた。

 風は砂塵を巻き上げ、鎚手熊の顔面へと叩きつけた。返礼である。剣先が走り、鮮血が宙を舞った。


「そろそろ止めを刺してやれ」

 見守っていたヒルダが傍に舞い降りた。

 肯いた直時は返り血に塗れ、肩で息をしていた。鎚手熊は戦意を失っていないが、牙を噛み鳴らすだけで動けない。


「風よ、断て――」

 風の刃、カマイタチが疾走り抜けた。魔獣の首が落ち、鮮血が溢れた。

 直時が休息をとっている間にヒルダは解体、持ち帰る部位を分けた。そして、何を思ったのか内臓や廃棄部位をそのままに、血溜まりを風の精霊術で周囲に撒いた。


「ヒルダ姉さん、何やってるの?」

「うむ。いきなり大物過ぎたかと反省している」

「反省するのと血を撒くことが繋がらないんだけど?」

「次は適当な大きさの獲物を相手に選んだだけだ。そろそろだな。荷物は私が預かっておくから、心置きなく闘うがいい」

 座り込んでいる直時をそのままに、大量の肉をぶら下げて再び空に舞い上がるヒルダ。

 程なく周囲でモゾモゾと動く影。血の臭いに誘われた魔獣達だ。斑土蜘蛛まだらつちぐもをはじめ、地虫系魔獣が地面から沸き出した。蜈蚣ムカデ鋏虫ハサミムシ、団子虫等々……。


「うぇ……。気持ち悪い……」

 数匹なら平気な直時も、うぞうぞと集まる多脚生物の大群に顔色が変わる。


「頑張れ!」

 ヒルダが片目を瞑ってみせた。


 草原には少し質の違う悲鳴が響いた。




 その頃フィアは、ミケを連絡役として迎えを寄越してくれた獣人族との会合点へ向かっていた。引き取られる者達への護衛としてである。

 迎えは、それぞれ種族の郷で過ごしている者達なので、普人族の街まで来ることを嫌がった。女子供が多いため、彼等だけで会合点まで行かせることに不安がある。


「おねーちゃーん。ありがとう! またねーっ」

 手を振る子供達に、頭を下げる大人達。この先は、郷から来た男達が守ってくれる。フィアは後ろ姿を暫く見送ると、風を纏って空に舞い上がる。帰路は一人、空を移動する方が早い。


(これで約二割程は保護してもらえたわね。近親種族も引き受けてくれて助かったわ。タダトキ達はどうしてるかなぁ。ヒルダったら、無茶させてないでしょうね……)

 フィアは速度を上げた。いつの間にか心配性なお母さんのようになっていた。




 ノーシュタット政庁へ、鎚手熊の肉と斑土蜘蛛の脚を大量に運び込んだヒルダと直時。程なくしてフィアも姿を見せた。


「タダトキ、ボロボロじゃないっ!」

「剣の修行だ」

 大声をあげるフィアへヒルダが事も無げに答えた。直時は精神的にも疲れた様子で、何も言わずに食料を配りに回る。

 顔色が悪いのは、地虫系の大群を相手取った心的障害トラウマが軽く残っているためだ。好物である蜘蛛脚も今日は遠慮したいと言っていた。


 魔獣の返り血は魔術で落としていたが、破れた服や装備はそのままであり、最近懐いてくれていた子供達は少し怯えているようだ。直時を遠巻きにしている。


「――おてて、痛くない?」

 か細い声が直時の隣から聞こえた。篭手を壊され剥き出しになった、先の無い左手を見て涙ぐんでいる。犬系獣人族で五歳くらいの女の子だった。金色に近い明るい茶毛の耳と尾が垂れている。


「怪我したのはずっと前だから大丈夫だよ。服が破れてるからびっくりしちゃったかな? 全然痛くないからねー」

 しゃがんだ直時は目線を合わせて、安心させようと右手で頭を撫でる。そのままいつものように、耳の後ろをさわさわすると女の子は気持ち良さそうに目を細めた。


「あっ!」

 突然身を強張らせて飛び退いた。直時の右手が虚しく宙を掴む。


「もう、だめなの!」

 両手で小さな拳を胸前で作って威嚇する子供。直時は呆然とする。


「黒い髪の人はえろいから、気持ち良くなったら食べられるって! 猫のおねーちゃんが言ってたんだもん!」

 あまりのことに大きく口を空けてしまう直時へ、周囲の子供達から「へんたーい!」の合唱が起こる。


「おおおぉぅ……ミケぇ。子供になんてことを教えやがるんだ……。呪ってやるぅ!」

 木の枝で突かれエンガチョ扱いされ、呪いの言葉を叫んだ。

 血涙を流しそうな直時だが、好意的にいじられているようであったという。


 入植地への移動は、工兵部隊の設営終了を待って開始される予定だった。それまでヒルダ隊は保護獣人族の健康回復と、随時訪れる同族への引き渡しを続けていた。

 冬が近付き、朝晩の冷え込みが厳しくなる中、ノーシュタットでは大半がテント生活を余儀なくされている。体調を崩す者が出始めていた。治癒術は外傷の治癒には適しているが、病には効果が薄い。治癒に必要な体力の回復を同時に行う必要があるのだ。


「やっぱり仮設住居も作った方が良くないか?」

 気を撮り直した直時はフィアへ訊いた。


「これ以上変に目を付けられると厄介なのよね。ほら、あれ」

「アルテミア王女か……。カールの第一王女が何の用だろ?」

「視察らしいけど、何を見に来たのやら――。タダトキが土の精霊術を習得した事は知られてないから、使っちゃ駄目よ」

 晩餐会でも軍服を着用していたが、普段着も同様らしい。背の高い身体に騎士のような軍服姿が似合っている。控えている護衛のカール騎士はさておいて、説明をしているシーイスの役人が小男のように見える。


「改造済みで構わないなら人魔術があるけどね。『岩盾がんじゅん』派生の術がいくつかあるから、組み合わせ次第でどうにでも出来るぞ?」

「何棟か欲しいけれど、長居する予定じゃないし勝手に作るのも拙いかもしれないわ」

「ま、態々見せる必要もないか。じゃ、俺は治癒の方へ行ってくる。王女が帰ってからでいいから、仮設住宅の許可をヒルダ姉に貰ってくれって伝えてくれる?」

 ヒルダは各竈へ火を熾しに回っている。薪も無いのに、火の精霊に頼んでいるようだ。炎の吐息ブレスを吐くくらいだから、当然と思われているようだ。

 了承したフィアへ右手を上げて、直時は治療途中の者が待つ場所へと向った。


 アルテミアはシーイス官僚の話を聞き流しながら、視界の隅に映る直時に意識を向けていた。


(複数の精霊術を使い、底知れぬ魔力量を誇ると聞いたが……。あの左腕、自身の治癒も出来ぬのか? 報告に誤りがあるのか? しかし、獣人族への治癒は人魔術のそれをはるかに凌ぐというし――訳が判らんな。それにしても政庁にこれだけの獣人族を入れるとは……)

 眉を顰めたくなるのを我慢する。泰然とした態度を崩さない。


(差し当たっては黒剣と晴嵐か。まぁ、大勢に影響は無い。腐った手足の始末は奴等に任せれば良い。リシュナンテの奴には己の道は己で切り拓いて貰うか。切り抜けられなければ奴にも価値はない)

 胸中で独りちていると、正門で騒ぎが上がった。ちらりと目をやるアルテミア。お付きの官僚が慌てるが気にも掛けない。


 場を収めたのはアルテミアも見覚えがある猫人族の女性であった。ミケである。

 ミケは後ろに獣人族の男性を連れてヒルダとフィアを大声で呼んだ。


「お客さんなのニャー!」

 彼女の後ろで虎人族の男が手を挙げた。

 彼の名は、ガラム・ガーリヤ。少し前に、ヒルダとフィア、更にリシュナンテと共に『水の加護祭』で隊を同じくした男だった。


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