シーイス公国動乱⑧
各パート半分くらい削ったのに進まない……;;
昼を回ったノーシュタットの街の外。街門近くで商隊とは異なる者達が、物資を山のように積み上げていた。大きな荷列を魔術で引っ張って来たのは黒髪の男、新鮮な魔獣の肉をぶら下げて来た白髪の竜人族女性だ。
出入りする商人や旅人達は、足を止めて暫くぽかんと大きな口を開けた後、再び歩き出す。何度も振り返っては大きな溜息を吐いていた。
そして、幾人かは荷を狙っていた。衛兵が睨みを効かせているため、物騒な意味ではない。買取を目論む商人、貴族やその関係者達だ。交渉を試みるが、件の二人は首を横に振るばかり。業を煮やし高圧的な言動を取った者は、貴族だろう。竜人族の怒気をまともに浴びて、腰を抜かしてしまった。
遠巻きになった周囲の目を知ってか知らずか、二人が談笑していると風の精霊術師と思われるエルフの女性が舞い降りてきた。待ち合わせていたようである。三人は親しげに声を掛け合った。
やがて街門から政庁の高官が一隊の兵を伴って現れた。竜人族の女性と挨拶を交わし、背後へ命令を下す。兵達は素早く荷の周囲を固めた。
竜人族が黒髪の男へ頷くと、彼女が持参した大量の魔獣肉の下へ魔法陣が編まれる。重量軽減系魔術の最高位『浮遊』が、およそ普人族では有り得ない数で同時に起動された。次いで、周囲のどよめきをかき消すように風が肉を宙へと浮かばせる。人魔術ではない。精霊術だ。
「――黒髪の精霊術師」
ノーシュタットの街中へと進む一行の背に、誰かが畏怖を込めて呟いた。
街の中心部、ノーシュタット政庁の塀の内側では、ヒルダ達と役人との間で揉め事が起きていた。持ち込んだ荷の徴収分、三割五分の内訳についてである。
「持ち込まれた物資全てに、同じ割合でシーイスが徴収ということのはずです。フィリスティア様がお持ちになった薬についても同様です」
「だからこれは差し入れじゃないって言ってるでしょう? 治癒術を施す上での必需品であって、触媒みたいなものなのよ。私物よ、私物!」
殆どが、直時とヒルダが狩って来た食料の山に圧倒される中、目敏くもフィアの小荷物に気がついた役人がいたのだ。何気なく問うた返答が、『薬』であり、途端に役人の顔色が変わったのである。
食料と薬についてはカール帝国の遠征へと供出されたため、特に品薄で大問題となっていたのだ。役人としては、何が何でも確保したい。
《フィア、その薬の効果は? ソヨカゼの海藻薬より上?》
《勿論! エルフの薬師の特製品よ》
直時が念話で確かめる。他にも内緒話をして地面に下ろした背嚢から薬壺を取り出した。
「まあまあお役人。フィアが持ってきた薬は獣人族用の少々キツイ薬でしてね。普人族ならこちらの方が安心ですよ? 人魚族直伝の黒影海産海藻薬で、海の恵みがたっぷり! シーイス人に不足しがちなミネラルも豊富です! 自分の常備薬ですが、特別にこちらをお分けしますよ? 量もこれだけありますから、少ない薬の三割五分を徴収するより多人数へと行き渡ります」
壺の中には、青緑の薬丸がびっしりと入っていた。役人が目を丸くする。
念のためソヨカゼから持ってきたのだが、重傷者には効果の高いフィアの薬の方が良い。直時は、交換条件として海藻薬全てを引き換えとして持ちかけた。
「しかし、希少な薬を欲しがる方々が……」
思わず漏れた役人の小さな声。国内事情云々は建前で、地位のある者へ媚を売ることが本音だった。ヒルダとフィアの表情が険しくなり、直時の眉がぴくりと動いた。
「皆、早かったのニャぁ! お疲れ様なのニャー」
剣呑な空気が漂いそうになった時、明るい声が聞こえた。ミケである。彼女はぎりぎりまでギルドで連絡を取っており、その後もリタの伝手で集めた衣服と包帯代わりの布や大小の手拭い、入手可能な食料を調達していたため遅れたのである。
「フムフム。薬の徴収で揉めてたニャ。ふぅん。――そう言えば、政庁にはギルドから薬丸等の差し入れがあったはずなのニャ。ギルドから受け取り確認をもらって欲しいと言われたのだけど、『ギルド付き』冒険者が世話人として来ているから呼んで欲しいニャ」
事情を聞いたミケの発言に、役人の顔が強張った。焦りが見える。
「ひ、必要無い! 確認は政庁が責任を持って行った。受け取りは私が書いてやる」
「何をおっしゃいますニャ? ウチもギルド付き、ギルドの確認はウチらでやるニャ。お役人のお手を煩わせることも無いのニャ」
大仰な仕草で断るミケ。慇懃な言葉だが、鼠をいたぶる猫を連想させる。
《役所で暴力沙汰はご法度なのニャ。こういう相手は弱みを突いて、こっちの言う事を聞かせるニャ》
ミケが得意そうに念話で言った。
「このっ、――獣人風情がっ」
追い込まれた役人が、感情を抑えきれなかったらしく吐き出した。ミケの目が細められ、瞳の中で瞳孔がすぼまる。
(拙いっ! ヒルダ姉達が切れる! それにミケだけが悪者にされるかもっ)
「今の台詞は――」
「ヒルダ姉さんっ、ちょっとこの人に提案があるんだけどっ」
直時が慌てて間に入る。
《今、騒ぎは拙いって! フィアも抑えてよ? それとミケ! 追い込み過ぎだ。最優先は重傷者の迅速な治癒だよ?》
ヒルダ隊の皆を念話で抑える。ここは役人の本拠地で共犯者がいても不思議ではない。彼が不正を行おうとも周囲がそれを認めているかもしれない。最悪、政庁ぐるみの横領かもしれないのだ。隠蔽された挙句、保護されている獣人族達にどんな嫌がらせがされるか判ったものではない。
直時は荷台のひとつから覆いを取った。
「まぁまぁ、ところで、この魚肉は何の肉だと思います?」
「む? 知らんな」
機嫌を損ねた役人は、ぞんざいな口調になっている。直時は彼の小物振りに内心で笑った。思ったよりちょろそうだ。
「これも黒影海直送でしてね。槍魚なんですよ」
「何っ? あの獰猛な海魔かっ? 確かこれの頭部は――」
「おお! 良くご存知ですね。武器や魔具の素材として高級品です。食用ではないため落としてありますが、仕入れの時に手に入れましてね。自分で売るにしろ、加工に出すしろ時間がなくて積んで来ているのですよ」
そう言って、違う荷台の覆いも外す。下からは鋭く尖った槍魚の頭部が現れた。役人は驚きに目を瞠る。大量の頭部は一財産となる。
「これは差し入れではないので、持ち帰る予定です。当然、徴収対象にはなりません。でも、話によってはいくつか荷から転げ落ちてしまって、自分もそれに気付かないかもしれないですなぁ」
「話? さて、何の話であったかな?」
役人は小狡い目でわざとらしい台詞を吐く直時を見た。何を要求されたのか窺っている。
「フィアの薬は量が少ない上に、普人族には毒かもしれない。それを、大量の安全な海藻薬と交換するとは、お役人の手腕ですなぁ。大したものです。次にギルドの受け取り確認ですが、重傷者の治癒が上手くいけば、ギルド付きの方々も文句は無いでしょうねぇ。うむ、慧眼です。――それで知人の方は、怪しげな薬と高価な槍魚の頭部、どちらを喜ばれるのでしょうね?」
「そうか……。何も問題無い。いや、問題ありませんね。私の勘違いだったようです。いや申し訳ない」
役人の言葉遣いが冷静さと共に元に戻る。責任回避と美味そうな餌。目の前だけの損得勘定を意識してくれる方が、直時にとっては扱いやすい。
「最後に食料ですが、ご覧のとおり大雑把に運んで来ました。これは数量の確認をお願いしなくてはなりません。いくら支援魔術が得意とは言っても、一度で大量には運べません。同様に、槍魚の頭も多くは持ち運べない『はず』ですからね」
「うむうむ。それはご尤もなお話ですな。では、私が責任を持って荷の確認と査定をさせていただきましょう」
「宜しくお願いします。自分も帰る際に、荷は少ない方が良いのでね。そこのところ、充分にご理解頂いていると確信しております」
実に欲の皮が突っ張った木っ端役人である。熱心な振りをしながら荷の確認を始めた。これで持ち込んだ食料を可能な限り少なく報告してくれるだろう。
交渉(?)を終えた直時は、爽やかな顔で他の三人の傍へと寄った。フィア、ヒルダ、ミケは仏頂面である。
《どうしたの? これで薬と食料は可能な限り獣人族へ渡せるぞ?》
《その点に文句は無いっ。無いが……、奴については言いたいことが山程ある!》
《そうよ! 本当に腹が立つ!》
《ギルドからの物資横領は放置出来ないニャ!》
《やったことの責任は追々とってもらうよ。軍務卿には嫌味のひとつや十は言ってやるつもりだし、あいつの横流し先と合わせて密告するつもりだし……。大体あの男、槍魚の頭なんて大きな代物をどうやって目立たず持っていくつもりだろうね?》
ククク、と、人の悪い笑いが直時から漏れた。
後にノーシュタット政庁では大規模な摘発が行われた。公国の緊急時に横領を働いたことで公王の怒りを買い、何人かの職員に国家反逆罪が適用され極刑に処せられた。横流し品を受けていた貴族達も厳しい処罰があり、身分剥奪、財産没収等、悲惨な末路を辿る。
あまりの厳罰に、密告の首謀者である直時は自責の念に駆られることになるが、それは後のお話である……。
役人から許可を得た一行は、大量の物資を携えて世話人達と合流した。彼等の協力を得て、それぞれが保護された人達の間を忙しなく回った。
フィアは女性の世話人と共に重傷者へ薬の処方、ミケは衣服や包帯の交換、直時は精霊術による洗濯の後、炊き出しを担当した。細かな作業が苦手なヒルダは警備である。運び込まれた物資をちょろまかそうとする兵や、差し入れを羨んで絡んでくる兵がいたためだ。実力行使は無かったが、竜人族の怒気をもろに浴びた兵達は腰を抜かし泡を吹いていた。
この日、保護された後も暗鬱としていた獣人族達は、充分な食事と清潔な衣類を初めて得ることが出来た。すぐに希望へと繋がりはしなかったが、直時達が運び込んだ物資を目にしていたため、暫くはこの幸運が続くことに安堵したようだった。
お腹いっぱい食べたことで満足そうな獣人族達が寛いでいる。彼等のことをヒルダとミケに任せ、直時は重傷者達のところへと向った。
「具合はどう?」
「良いわね。持ってきた私が言うのもなんだけど、凄い薬よ。もう治癒術を施すことが可能な人もいるわ」
生命力が強い種族程、劇的な効果が表れている。
早速治癒を行おうとした直時であったが、容態が安定して眠ったばかりであり、明朝に持ち越すことになった。
「もう、やっちゃ駄目だからね?」
身体を欠損した者達をやるせない目で見る直時へ、フィアが強く念を押した。彼女を治癒するため自身の身体を触媒としたことを思い出したのだ。
右腕で左腕を抱くフィア。癖になってしまったその仕草に、直時は自責の念に駆られた。
(心配懸けてるなぁ。優先順位を間違えないよう、自重せねば!)
フィアへと神妙に肯いた。
ヒルダ隊は、その日、宿に帰らなかった。
保護された中には、重傷者以外にも傷を負ったままの者がいた。彼等への治癒のためである。
交代で仮眠を取り、精霊術による治癒が行われた。ミケ以外は精霊術の治癒については問題無い。ただ、細かい施術が苦手なヒルダは主に軽傷者を担当した。ミケは仮眠もそこそこに、三人の治癒を見学、真剣な様子で魔力の流れを読んでいた。単独で活動する冒険者にとって、治癒の術が生死を分かつ。いつものお茶目さは微塵もなかった。
早朝、恒例であるヒルダとの訓練中に怪我をした直時を実験……、――練習台に精霊術による治癒をものにしたミケであった。
「これで入植するにしても、同族の郷へ引き取られるにしても移動に問題は無くなったな」
ヒルダの言葉に明るい顔で肯く他の面々。斯くして、ヒルダ隊はシーイス公国からの本依頼前に懸念されていた問題を潰していった。
直時達が招待された晩餐会は、シーイス王城で大々的に催された。
リスタル防衛戦で活躍した義勇兵、直時とフィア、ヒルダを労うという建前以上に、『黒髪の精霊術師』が、シーイス公国に滞在しているという周辺国への牽制の意味合いが在った。召抱えることが出来なかったとは言え、シーイス公国は他国より親密な関係を築いたとアピールしたのである。
当然、この催しは諸外国へ伝えられ、友好国(損得勘定を前提としているが)へも伝えられた。移動時間を鑑みない日程は失礼に当たるが、直時達は諸国を放浪する冒険者であるため看過される。
そして、シーイス公王の目論見通り、『黒髪の精霊術師』に強い興味を持つ、それなりの『力』を持った者達が招待に応じたのだった。
「はぁー。嫌だなぁ。王侯貴族が出るような晩餐会なんて、宮内庁の職員じゃねーんだし礼儀作法も知らないってーの……」
「いつまでも不平をこぼすな。しゃんとしろ」
ヒルダが隣の直時を叱る。その割に機嫌は良い。口調も弾むようだ。理由は直時の礼服であった。
黒を基調とした詰襟の騎士服は、袖口や襟元、肩口に金糸銀糸で上品な意匠を凝らした上衣である。下はこれも黒のズボン。外側に銀糸で鎖状の刺繍が真っ直ぐ縫い込まれている。足元は良く鞣された革長靴。高価な魔獣の革をふんだんに使用し、上品に輝いていた。
左腕にはいつものゴツイ篭手ではなく、体格に合った小さい篭手を義手代わりに装着していた。手袋は空気で膨らませており、動きは風の精霊術に頼る。戦闘ではなく食器を持つくらいの動作であれば問題は無い。
(ヒルダ姉の趣味とはいえ、豪華な詰襟学生服みたいなんだよなぁ。まさか、この歳になってこんなのを着ることになるとは……)
今回の晩餐会で直時が着ている礼服は、ヒルダが贈ったものだった。貴族騎士が好む絢爛な騎士服ではなく、どちらかと言えば軍服に近い。学ランもセーラー服も軍服が元になっているため、直時の感想もやむを得ない。
因みにフィアの注文はエルフ族の色が濃く、普人族の、それも王族主催の晩餐会には不向きであると見送られた。そして、ミケの注文である『紋付羽織袴』は、直時の記憶が曖昧だったせいか、試行錯誤を繰り返している最中で完成が間に合わなかった。
晩餐会の前に、ジュリアーノ公王への謁見があった。
直時の右隣には、揃いの騎士服を来たヒルダが立っている。露出度の高い普段着――本人曰く、動きやすいから。補足すると、竜人族の鱗は魔力を通わせることで並の鎧より硬くなる――とは違うので、別人に見える。
左隣にはフィア。白を基調とした長袖ドレスに、淡い緑と青の長い布をゆったりと巻きつけている。風に揺れる薄衣はまるで羽衣のようだ。左右の手首には凝った彫刻の黒檀のバングル、頭には白金のサークレットを付けている。森エルフ族の正装である。
そのフィアの左にミケ。彼女は真紅の夜会服である。大胆に胸元、肩、背中を露出し、長手袋を填めていた。胸元の大きな飾りリボンと、尻尾に結ばれた小さなリボンが艶のある中にも可愛らしさを演出している。意外な格好だが、師匠であるリタが強引に着せたとのこと。
横一列に並んだ一同へ、ジュリアーノ公王がリスタル戦役での功を労った。直時にとっては意外なことに、片膝を突いていた皆へ直ぐに立ち上がるよう促したのである。
これはヒルダが理由であった。なにしろ銀竜族の姫君である。重臣の間で揉めたが、時勢を鑑みた結果だった。国の威厳失墜を心配する声より、器の大きさを見せるという意見が多くを占めた。名分はなんとでもつけられるため、公王も軍務卿も特に反対しなかった。
因みに、他国の来賓は謁見に呼ばれていない。リスタル戦役には各国の思惑が入り混じっており、単に感謝の意を伝えるだけでも気を使ったからである。
「先の戦において、侵略軍を退けたヒルデガルド殿とフィリスティア殿、シーイスの民を助けたタダトキ殿とミケラ殿に、シーイス公王として最大の感謝と賛辞を贈りたい――」
王族との対面における儀礼は簡略化されたが、口上まで削る訳にはいかず持って回った言い回しが延々と続く。一同が内心辟易としてきた頃、空気を読んだ軍務卿が目で合図を送った。
「ささやかではあるが、我が国に大いなる福音をもたらしたそなた達への感謝の宴だ。存分に楽しんでもらいたい」
直時は目立たない様に小さく溜息を吐いた。固い儀式はこれにて終了である。控え室に戻り、晩餐会の会場へ案内されるのを待つだけだ。
直時達と入れ替わりに謁見の間を訪れた人物がいた。紫銀の髪を結い上げ、華美な紺色の騎士服に身を包んだ女性である。シーイス公国にとって重要な国の王族に、居並ぶ重臣に緊張が走る。
彼女の180センチに届こうかという長身から睥睨する目は、強い光を放っていた。
(勘弁してくれ……)
直時は、引っ切り無しに話しかけてくる者達にうんざりしながらも、完璧な愛想笑いを張り付かせていた。我関せずと、酒と料理に舌鼓を打つ他三名。彼女達へ話しかける者は少ない。ヒルダとフィアへ話しかける者は少数いたが、ミケに対しては皆無である。
リスタル防衛戦での立役者とは言え、竜人族とエルフは畏怖の対象。そして、獣人族であるミケは疎まれている。普人族として認識されている直時へ関心が集まるのは仕方無い。
晩餐会は立食形式だったが、王族をはじめ身分の高い者達には席が用意されており、腰を落ち着けている。主賓である直時達も同様だ。立食形式ではいつぞやの招致合戦が再燃し、混乱を招くことを懸念したシーイス側の処置であった。
それでも主賓席には権力者達が、あるいはその紹介として御機嫌伺いに訪れる。気軽な立食とは違い、着座しているため逃げることも出来ない。挨拶中に食事を続けるほど肝が座っていない直時は、豪華な料理を前に口にすることも出来ず、時折酒で口を湿らせるだけで彼等の対応に追われていた。
「漸く一息ついたか……。あーあ、折角の料理が冷めちゃってるよ」
「前みたいに露骨な誘いが無いだけ良いじゃない? 公王や軍務卿のいる前だから諸国からの来賓も控えているみたいね。まぁ、精々愛想良くしておきなさい」
「タダトキ、また来たぞ」
「――カール帝国アルテミア第一王女ニャ」
溜息を吐いた直時だが、ミケの指摘に背筋を伸ばす。シーイス公国の背後に見え隠れする大国の王族だ。王女だというのにドレスではなく騎士のような軍服である。
《でかい女の人だなぁ。こんな席で軍服って、王女は帝国の軍関係?》
《軍事については皇帝のカール七世が掌握しているはずニャ。アルテミア王女は確か将軍職を兼任して、軍への発言力はそれなりと聞いているニャ。帝国の軍務卿はお飾りだそうだし、意外と皇帝の懐刀だったりするかもニャ》
念話で情報を訊く直時。ミケも詳しい人物像を知っている訳ではないようだった。
「初めてお目にかかる。カール帝国、第五帝位継承者アルテミア・シルヴァンナ・カールだ。高名な黒剣の竜姫ヒルデガルド殿、晴嵐の魔女フィリスティア殿、御両名にお目通りが叶い光栄の至りだ」
他の者達とは違い、先ずはヒルダとフィアへと挨拶をするアルテミア。竜人族とエルフを前にしても物怖じしないのは流石である。
その後もヴァロア軍を壊滅させた戦振りを褒め称え、二人と言葉を交わしていた。無視された形の直時は、逆にホッとした様子で冷めた料理に手を伸ばす。ミケにどの料理が美味しかったかを訊ねて口に運ぶ。
(富、女、権力に興味が薄い。報告通りだな。それに獣人族と馴れ合っているか……)
アルテミアは、視界の端に映る猫人族と愉しげに食事をする直時をしっかりと観察していた。カールの王女である自分に話し掛けて貰えないことを、これ幸いとばかりの様子である。
ヒルダとフィア相手に、当たり障りの無い会話を終えたアルテミアは、直時の戦果には少し言及するだけで席を離れた。彼は賛辞に対して礼の言葉を述べて頭を下げただけ。カール帝国第一王女に対して興味を示すことは皆無であった。
アルテミアが主賓席を訪れたため、少しの間が出来た。周囲が勝手に大国カールの思惑を思い巡らせ、アプローチを見合わせた為である。直時はこの機を逃さず宮廷料理を貪欲に楽しんだ。
「ちょっと失礼」
「何処行くの?」
「フィアちゃん、聞いては駄目ニャ。お酒の飲み過ぎなのニャ」
「ああ、そういうこと」
直時が席から立つとフィアが即座に訊ね、それを諌めるミケ。フィアの心配性は既に過保護レベルである。自然現象は流石に察して貰いたい直時であった。
彼が会場を出ると同時に、声のない合図や念話が飛び交った。動こうとする諸国の者、牽制するシーイス側。目立たないよう扉を抜けても、無粋な追跡者達は衛士に阻まれてしまった。その中で、悠々と会場を後にする人物がいた。
「はぁー。すっきりしたぁ。しかし、高級品なんだろうけど果実酒ばかりだと面白みに欠ける。麦酒みたいにグイグイいける庶民派な酒は出ないにしても、もうちょっと強い酒が欲しいところだなー」
貴族用のやたらと広いお手洗いを避け、使用人用のそこから出てきた直時が愚痴を零す。交友が目的の晩餐会では、強い酒精は避けられることが多い。今宵の晩餐会でも蒸留酒は饗されていない。
因みに、迷いもなく目的地へと来られた理由は、宴会前には必要な設備の場所をチェックする習慣故である。
「騒がしい場所から離れられたけれど、早速お客さんか……。主賓が遅くなるとお招き頂いたシーイス公国に迷惑が掛かるので、直ぐに戻らないといけないのですが?」
前半は小さく呟き、後半を近付く人影に向けた。
「許しは得ている。少し話がしたい」
アルテミアが不敵な笑みを返した。
応接用の一室に案内された直時は、アルテミア王女の真意を図り得ないでいた。護衛であるシーイスの衛士をも下がらせ、差し向かいの席に座らせた彼女はいきなり頭を下げた。
「我が国の宮廷魔術師、リシュナンテ・バイトリが貴公に随分と失礼な事をしたという。国を治める者として恥ずかしい限りだ。申し訳ない。しかし、彼も祖国を慮っての事。どうか赦してもらいたい」
長身のアルテミアが軽く頭を下げただけでは、威圧感も伴って謝辞は伝わらないものだが、直時は、お気になさらずと、逆に深く頭を下げた。この辺り、謝られると弱い。甘いとしか言えないが、権威を笠に着る王族という印象が変わってしまう。
「貴公の御寛恕、大変嬉しく思う。その寛大な心におもねって、失礼になるかもしれぬ問いを赦してもらえるだろうか?」
「浅薄な自分に答えられる範囲であれば、出来得る限りお答え致します」
丁寧に頭を下げる直時。内心では警戒を解かない。強者が謙る場合、油断すべきではない。アースフィアに来る前、日本の社会でも当然の対応である。
(異世界に来てまで大凶は引きたくないからなー)
ここでつけこまれるシチュエーションとしては、商売上では袖の下や無理な値引き、それ以外では引き受け手のいない面倒な役職なのである。当然フォローは無い。慎重に次の言葉を待つ直時。
「リスタル戦役では、何故義勇兵として戦った? 逃げた冒険者も多いと聞いた」
「リスタルには知人がおりました。シーイス国軍が間に合ってれば、知人と一緒に避難していたでしょうね」
(ふん。情か……。つまらんな)
直時の答えにアルテミアは内心、鼻白んだ。利に聡いなら使いようもあるが、情にほだされ動く人物では使い捨てにしかならない。損得勘定が出来るなら行動予測がつくが、情で動く人間は情で敵にも回る可能性が高い。
(ま、情で搦めてしまえば只働きさせられるがな……)
色事要員を脳内でリストアップするアルテミア。
「貴公の精霊術はどうやって習得したのだ?」
「フィア――フィリスティア経由でメイヴァーユ様と、ヴィルヘルミーネ様に御目通りする機会がありました。詳しくは加護や刻印に関わってくるので御勘弁を」
(晴嵐の魔女か……。確かにあの者ならば人脈も広い。何を気に入ったのかは判らんが、その恩恵か?)
直時が答えをぼかしたことで勝手に想像を巡らせるアルテミア。
彼女は最後に問うた。
「貴公は大きな力を振るった。そして、シーイスを守った。しかし、シーイスには残らず、カールに靡かず、マケディウスを袖にして、かといってヴァロアにも付かなかった。そして、イリキアまで逃れたにも拘わらず、今、シーイスへと戻っている。貴公の目的は何なのだ?」
「リスタルで戦ったのは、知人を守るためです。仕官を断った理由は、結局『金』と『権力』だったからです。まぁ、魅力的な報酬でしたけど、提示された条件じゃ自分は『傭兵』でしかないですよね? 国に仕えるのなら、『国民』として心からその国で骨を埋めるべき理由が欲しいところです」
(そうか! 生まれながらの国ではないからか! そして、仕官目当ての冒険者とも違うということかっ)
アルテミアは気付いた。損得勘定というものは、前提があってこそ成るものだ。彼女とて、いくら金を積まれ自分だけが益を得ようと、依って立つカール帝国という祖国が前提である。群れを種族存在の核とする普人族には、何よりも拠り所が必要なのだった。
「で、シーイスに戻って来た理由はリシュナンテです。彼が自分の知人の危機を示唆したためです」
直時は『カール帝国のせいで』とは言わなかった。個人に責任を被せる逃げ道を残したのである。アルテミアを完全に敵に回さないように自分への逃げ道でもある。カールの王族が絡む面倒は抱え込みたくない。
「それについては重ねて謝罪する。奴には私から罰を与えよう」
国としてなのか、個人としてなのかを曖昧にされたが言質だけは取った。カール帝国に思うところのあった直時だが、一応はこれで良しとすることにした。遺恨はなるべく残さない方が双方のためと思ったからだ。
(奴を飼い馴らすことは難しいかもしれん。どうせアインツハルトとリシュナンテは既に動いている。いっそ始末させるか? 上手く運べば良いが、黒髪の同行者が並ではない。保険は必要だな……)
応接室に一人残ったアルテミアは何が祖国カールのためになるかを黙考していた。
所属する場所がある人と無いタダトキ。
ソヨカゼは、まだ秘密だし国というほどでもないですし。
次回、漸く依頼に着手!