盗賊と死と
微修正(H24 1/20)
戦争による荒廃で、治安悪化が続く普人族の国々。群をなした彼等は強い。だが、群をなしたがために群の意思に従わざるを得ない。
普人族は奪う。自分より弱い者達から。食料を、富を、そして命を。
民は流れる。酷使され、搾取され、絶望の一歩手前、一縷の希望に縋り。
僅かな財産と大切な家族を引き連れて、少しでも寛容な領主、少しでも勇敢な衛士、少しでも賢い王を求めて……。
そんな彼等ではあるが、群の中でこそ守られていた部分もあった。群なす生き物が、群を離れる。それを狙うのは捕食者の本能とも言えた。
ただ、捕食者は食い殺される獲物と同族だった。
現場に向かって銀の弾丸が疾る。異世界製折りたたみ自転車は、風の精霊の加速を受け砂塵を巻き上げる。
「助けてくれるのは有難いっ! 有難いんだけどっ! もうちょっと手加減してぇーっ!」
直時は高速走行する自転車を操るのに必死である。
先行したフィアを追い抜いてしまったが、自身が精霊術を行使したとは微塵も考えておらず、フィアの精霊術に便乗したとしか思っていない。
「あれか!」
無蓋の荷馬車が横転し、十人前後の盗賊達が走り回っている。
直時の死角になっている馬車の陰から聞こえる子供の泣き声。声に向かってハンドルを切る。
金属の鎧を纏った体格の良い(直時より頭一つ分背が高く、肩幅もある)男が、重そうな両刃の剣をゆっくり振り上げている。下卑た笑いは、相手が恐怖し泣き叫んでいるのを楽しんでいるのだ。
男に向かって突っ込む直時は、ブレーキをかけ、自転車を横倒しに滑らせた。完全に転倒しきらないよう、片足で地面を削りながら滑りこむ。
「何っ?」
後輪が男の足元を薙ぎ払い、弾き飛ばす。地面を滑る自転車から飛び降りた直時は、涙と埃で顔をぐしゃぐしゃにした子供へ駆け寄った。
「大丈夫かっ! 怪我してないかっ?」
五歳くらいの男の子を一二、三歳程の女の子が抱きしめ、庇っている。
傷を負っていない様子に安心するが、傍らの血溜りに倒れ伏す女性が目に入った。直時は息を詰まらせる。
「この糞餓鬼がぁっ!」
倒れていた盗賊が満面を怒りに染めて立ち上がった。直時の小柄さに実年齢を勘違いした男が叫んだ。気付いた何人かの男達も集まってくる。他は荷の略奪に夢中だ。
最初、警戒の色を見せたものの、直時の姿に余裕を取り戻したのか、周囲の仲間達はにやにやと笑っている。
「巫山戯たマネしやがって! なぶり殺してやる!」
怒りを露わに、余裕を取り戻し右手の剣を肩へ大仰に担ぎ上げる男。隙だらけであるが、それも当然だろう。直時は見ての通り丸腰である。体格も貧弱で童顔である。魔力を低く見せかけてもいる。
「覚悟は良いか? 糞餓鬼。楽に死ねると思うなよ?」
恐怖を煽るためだろう、血の着いた剣をこれ見よがしに見せびらかす。惨劇に硬直していた直時だったが、盗賊達の顔を見て次第に表情を無くしていく。
(嬉しそうにしやがって。コイツらは…、コイツラも、人を嬲るのが好きな奴らなんだ…。あー…ムカつくムカつくムカつくっ!)
無表情な裏で、怒りは極限まで高まっていた。頭の芯がキリキリと痛む。
(吠え面かかせてやっからな!)
周囲を素早く見渡す直時を、盗賊達は怯えたと思って一層笑いを高くする。
「おらぁ!」
大きく振りかぶった剣が振り下ろされる。
(そんな重そうな剣の大振りなんか当たるかよ!)
冷静に見切りつつ、ギリギリまで待って転げながら避ける。しかし、荒い息使いは余裕が無さそうだ。
笑いながら斬りかかるのは一人だけで、他はこの一方的な殺しを見物する気のようだ。続く横薙ぎを大きく後ろに飛んで躱す。返す払いはわざと掠らせた。千切れる服と一筋の傷。大袈裟に傷を手で庇う。
「ちょこまか逃げやがって! これでどうだ!」
初撃より早い袈裟斬り。それも避ける。盗賊の右手側へと逃げた直時をバックハンドの剣が追う。
(ここだ!)
躓いたかのように逆に前に出る直時。間合いが近過ぎ、剣ではなく手甲に守られた前腕に薙ぎ払われた。体格差のため弾き飛ばされる。直時は背中から馬車へ激突。崩れた積荷の横でよろめきながら立ち上がる。それを見て止めを刺すつもりになったのか殺気を漲らせて近寄る盗賊。
(武器は無い。攻撃魔術も無い。でもそろそろ援軍が、フィアが来る! だけど、それだけじゃあ嫌だ! このムカツク奴等に一矢報いる!)
「そろそろ死ね!」
盗賊は上体を反らして叫んだ。貯めた力を全て右手の剣に乗せて振り下ろす。直時は攻撃を待たずに男の横に素早く近寄った。刀身は掠りもしない。
今迄にない早い身ごなしに驚く盗賊。その右膝へスニーカーの靴底が横から軽く当てられた。直時は一瞬の溜めのあと、渾身の力を込めて関節を蹴り抜いた。
嫌な音と共に地面に倒れ込む男は、信じられないような眼で直時の顔と有り得ない方角に曲った自分の脚を交互に見る。
「ぎゃぁぁぁっ!」
仲間の悲鳴にも何が起こったか把握できていない盗賊達に向け、直時が魔術を行使する。
「風よ 吹き散らせ 『送風』!」
弱くは無いが、強くもない風が盗賊たちへ吹きつけた。目潰しのつもりか、積荷からこぼれていた粉末。穀物を挽いた粉を空中へ撒き散らしている。咳き込む盗賊達。胸から上は粉煙の中だ。
(上手くいってくれよ!)
そして、次の魔法陣を編む。
「ライター」
強い意志を込めた小声と共に、小さな炎が上がる。直時は魔術と同時に伏せている。
盗賊達を包む粉煙が閃光と炎に変わった。眼を押さえ、悲鳴をあげる男達。髪や衣服に燃え移った火を消そうと転げまわる者もいる。
可燃物の粉塵と空気が適度に混ざり合っている状態で静電気などで着火することにより起こる粉塵爆発である。坑道や屋内で起こることが多い現象だ。直時が狙ったのはこれであった。
(好機は今しか無い!)
脚を蹴り折った男の剣を拾い、のたうつ盗賊たちへ駆け寄る。
躊躇う直時の脳裏に先程までの、残忍で下卑た笑いを放つ男達の顔が甦った。チラリと子供達の無事を確かめ、顔を顰めながら盗賊達の脚へと剣を叩きつけて回る。膝や脛、足首を折られた男達の悲鳴と呻きを後に、残りの敵を探す。
「危ないっ!」
追い着いたフィアの叫び声。そちらを向いた直時を突然背後から襲った衝撃。左肩に激痛と冷気を感じて首を捻る。周囲の地面には1メートル程もある氷柱が刺さっている。その一本が大きく肉を裂いたのだ。
咄嗟に前方の味方、フィアへと走り出したが、すぐに転げてしまう。左脚を太腿の裏側から新たな氷柱が貫いていた。
急ぐフィアの目前で直時が倒れ伏す。彼の後方からは三人の男が魔法陣を展開し、攻撃魔術『氷槍』を放っていた。
(間合いに入った!)
標準的な人魔術の遠距離攻撃より遙か遠いが、フィアの精霊術にとっては射程距離内だ。
「風の精霊よ 汝は我が刃 切り裂けっ!」
フィアの命令に精霊達が彼女の魔力を巨大なカマイタチにして放つ。
突風が男達の間を駆け抜けた。次の瞬間、鎧ごと数個の塊に分割され散らばった。フィアは千切れ飛んだ男達を一瞥し、周囲に飛ばした探査の風で隠れた敵が存在しないことを確認。直時へ駆け寄る。
「生きてるっ? すぐに治癒するから!」
直時はフィアの声によろめきつつ立ち上がった。彼の足元には血溜まりが出来ている。
「ちょっと! 動かないでっ!」
直時は右手を上げてフィアの怒声を押さえ、無言で視線を一点に向けた。
くすんだ金髪を癖だろうあちこち跳ねさせた五歳くらいの男の子。明るい赤茶色の髪を肩口で切りそろえた十代前半だろう女の子。その傍らにうつ伏せに倒れていた母親であろう女性。
震えていたがさっきまで確かに生きていた。抱き合っていた姉弟にも、氷柱は容赦なく降り注いでいた。氷の槍は女の子の喉を裂き、庇った男の子ごと彼女の背中を突き抜いていた。
左腕を力無く垂らし、左足を引き摺って近寄った幼い亡骸の傍に膝を付く。
「フィア……。この子達の身体、綺麗にしてやってくれないかな?」
無言で追って来た背後のフィアを振り返らずに言う。
「命の灯が消えた身体に治癒は効かないの……」
フィアが首を横に振った。精霊術は万能ではない。
痛ましそうな声は幼子に向けたものか、それとも項垂れる異世界人へか……。
「そうか……」
左肩の傷を押さえていた右手で彼等の瞼をそっと閉じる。幼い顔が直時の血で塗れてしまう。彼はその血を丁寧に袖口で拭った。
周囲の静寂を呻きが破った。盗賊達の中に生き残りがいるようだ。苦鳴を漏らしていた男は一人だけ。他はもう息をしていない。
「痛ぇ。ううう……」
男の右膝は直時に叩き折られ、左の太腿には仲間の放った氷の槍が刺さっていた。
何かを引き摺りながら近寄る音に、男は呻きながら目を向ける。視線の先には、無表情で剣を杖替わりに歩み寄る小柄な黒髪の男がいた。
「ひぃっ!」
引き攣れた悲鳴を上げて逃げようとするが、両脚とも動かない。両手を必死に動かして身体を引き摺り、少しでも遠ざかろうとする盗賊の生き残り。
直時は男に向けて、ゆっくりと剣を振りかぶる。盗賊達の卑しい笑いに歪んだ顔と、恐怖に震える男の顔が、激しい怒りを呼び起こした。
血溜まりの中の母親と幼い姉弟の死に顔が脳裡を占めた瞬間、憎しみを込めた激情のまま渾身の力で男の頭に剣を振り下ろす。
―ザガッ!
振り下ろした切っ先は、男の頭を掠めて地面に深く刺さった。
「ハヒィーッ! ハヒィーッ!」
呼吸もままならず、涙と鼻水で盛大に顔を汚し、股間には染みが広がっている。汚物を見る眼で男を一瞥した直時は、踵を返す。
次の瞬間フィアが近づいた。
「グェッ」
振り返る直時の眼の前で、フィアが刺突剣を男の喉に突き立てていた。血泡を吹いた男が断末魔の痙攣を硬直に変え、動きを止めた。
直時は、目を大きく開き硬直していた。―キンッ。血を振り払った刃が納刀時に発した澄んだ音に我を取り戻す。フィアを見て溜息を吐き、苦笑いで問いかけた。
「これがこの世界か?」
「これがこの世界よ」
美貌のエルフは、直時の躊躇いを断ち切るように、強くはっきりと美しい声で応えた。
初めての戦闘です。精霊術まで気が回りませんでした。