シーイス公国動乱③
③なのに、まだ前座ですorz
リスタルから空へ翔け上がった三つの人影は、やや東よりに北へと向かっていた。翼を広げた竜人族ヒルダを先頭に、エルフのフィア、背嚢にミケを座らせた直時が続く。
「あれが白乙女山地、雪竜の住まう地だ!」
ヒルダが振り返って叫んだ。右手の山岳を指している。
真っ白な雪が山地全体を覆い、吹き降ろす風が山肌から空へと雪を舞わせていた。陽光を反射してキラキラと光っている。
山頂の万年雪は氷河を形成し、直時達が飛ぶ同高度の山麓まで押し出している。溶けた氷河は一旦地下へと吸い込まれ、野に湧水となって姿を現す。シーイス公国には、大小多くの泉や湖があり、内陸の山国にも拘わらず漁業も盛んであった。
ヒルダから合図があり、山麓の端の森、小川の近くへと着地した。昼食である。
直時が荷から弁当包みを取り出し、土の精霊術で作った岩テーブルに並べた。中身は、乾燥した海藻で包んだご飯、『おにぎり』である。朝食時、土鍋で炊いていたものだ。
味付けは塩だけのシンプルなもので、具は無しである。おかずは、卵焼きと野菜の浅漬けという典型的な日本の弁当だった。
「この辺りの空は風が冷たいわねぇ。やっぱり雪竜の影響?」
「ああ。尤も、気候にまで影響を与え得るのは、祖竜と古竜の数頭だけだがな」
小川から清涼な水を汲んできたフィアが訊ね、ヒルダが答えた。
「あとひと月もすれば大きな雪竜が舞うニャ。タッチィ、この辺の冬は雪竜が連れてくるニャよ。うちは寒いのは苦手だけど、一日で世界が真っ白になるのは、毎年見ていても綺麗なのニャ」
フィアと一緒に水汲みから戻って来たミケが言った。
白乙女山地を中心に、アースフィアの天井と呼ばれる山脈地帯を雪竜が飛ぶ。シーイス公国周辺では、その日が冬の始まりとされている。
「ふむ。『木枯らし一号』みたいなもんか……」
呟いた直時の脳内で「ひゅーんひゅーんひゅるるん――」という音楽が再生されていたのは内緒である。
「そう言えばミケちゃん。タダトキの刻印を貰ったなら、他の精霊とはどうなの?」
「まだ見えないニャ」
「人気も無いし確認しとこう。俺が使える精霊術をひと通り試すから、注意しててね」
「風の精霊と仲良くなれれば、うちも飛翔が叶うのニャ!」
「ちょっと待て。その前に私の刻印も、ミケと同じように花にしろ!」
ミケの適正を見ようとしたのだが、ヒルダが割って入った。憤然としている。
「ヒルダ姉さんの刻印は場所が場所だし、四枚の花弁を足すとなると不都合が……」
直時が言葉を濁す。『目立たない場所』と、左乳房の下部へ花弁を一枚刻印したのだ。バランス良く花にするならば、左乳房全体に広がってしまう。つまり、胸全体を露わにする必要がある。
「貴女の刻印を花にすると、どれだけ魔力が上がると思っているのよ?」
「それをお前が言うのか? タダトキの左腕――」
「ヒルダ姉っ!」
直時が遮った。視線には非難の色がある。
「……すまん。軽率な発言だった。フィア、くだらない妬みから馬鹿なことを言ってしまった。謝る。申し訳ない」
「妬み……か。貴女は正直ね。その気持、私にも少しは理解るから許してあげる」
元々魔力の大きい二人である。
フィアは、ヒルダが刻印による魔力増加より、単純に『桜花』の刻印を羨ましく思った事を理解した。ヒルダも、メイヴァーユの加護を持つフィアが、直時の刻印をもらう訳にはいかないがための妬心を含む諫言だったと悟った。二人はお互いに苦笑い。
「タッチィも罪な男ニャねぇ」
「ミケが元凶だろうが」
安眠を人質に刻印を強請られた直時としては、何かひとこと言ってやりたい。
「フィアもヒルダ姉さんも、刻印ぐらいするから喧嘩は無しの方向で。『桜花』型ね? ミケへのおまけは花弁がひとつね!」
「まとめてでは、何か嬉しさが半減するな。まあ良い。対価はお前の要求を一度満たすという条件で良いな? 本当に何でも良いぞ?」
「タッチィの意地悪ぅー! 花弁一枚はヒドイニャー」
文句を言いつつも嬉しそうに騒ぐ二人と違い、フィアは溜息を吐いている。
「私は貰えないわ。メイヴァーユ様から御加護を頂いているもの」
「そういうものなのか?」
問う直時へ残念そうに頷く。そんなフィアが、突然肩を震わせて膝を突いた。祈るように両手を組み合わせている。
直時はその様子に見覚えがあった。神霊からの言葉が伝えられているのだ。神妙な表情は普段のフィアとは別人のようだ。
『神託』を邪魔しないように離れていた三人。立ち上がったフィアは困惑しながらも、喜色を隠せないで駆け寄った。メイヴァーユから許可が出たのだ。
《私の加護を穢すことになる? フィリスティア、良くお聞きなさい。私は愛しいと思う者だから、慈しみたいと思う者だから加護を与えるの。束縛するためじゃないわ。そう考えない神霊や神々もおわしますけど、私は違う。愛子の幸せの一助となることを願っているの。私の加護を誇りとしてくれるのは嬉しいけれど、それが枷になるようなら悲しいことだわ――》
フィアは先程の神託を脳裏で反芻した。
「――私にもタダトキの桜花、貰える? 対価は……これからもずっと貴方の旅に付き合ってあげる!」
「はい、却下」
「どうしてよっ!」
かなり思い詰めた上での、決心の言葉だったのにあっさりと断られるフィア。
直時にしてみれば、『刻印』は『サイン』と教えられている。それをすることで労力を感じないのだから、保有魔力増大という効果もフィア達程重く考えてはいない。対価として「一生傍にいます」と取れることを言われても、直時は釣り合いが取れなさ過ぎて対価として受け取れなかったのだ。
(一生に関わる決断を『対価』なんぞで簡単に渡すなってーの! 確かにそれは望むところだけど、対価として受け取るモノでは断じて違う。男として勝ち取るべき代物だ! そういう訳で勝ちが見える状況までこの件は無しということにしておこう……)
「フィアもヒルダ姉と同じ条件じゃないと公平じゃないだろ? 必要になった時に、俺からの依頼を一つ無料で受けるという条件ね。ミケもそれで良い?」
フィアとヒルダとしては「タダトキの望むがままに応じる」と、言ったつもりなのに『依頼』にすり替えられて不本意な様子である。ミケはそれを見て笑いを堪えている。
「うちもそれで良いニャ。でもタッチィ、『刻印』を誰にでもホイホイあげては駄目なのニャ」
「それについては承知している。必要だと言ってくる身内以外にする気は無いよ」
直時は刻印について軽く考えてはいるが、誰にでもとは思っていない。フィアとヒルダも彼の発言に一応納得した様子である。
新たな刻印はお強請りの結果なので小さい桜花、しかし、本物の桜の花と同じ大きさということになった。望む場所は三者三様である。
ヒルダは首の後ろ。髪をかきあげなければ見えない位置で、同族の目を意識したのだろう。ミケはヒルダの一つ目の刻印が左下乳だと聞いて、胸元深くど真ん中。そして、フィアは左手の甲へと刻印を望んだ。彼女達の保有魔力については、もはや何も言うまい。ヒルダとミケが神々と地上人との間に産まれた神人族に匹敵し、フィアに至っては精霊の高位種である神霊の足元に届きそうな程になっていた。無論、直時はそのような基準は判らない。知らぬが仏である。
「ふう。色々と揉めたけど、最初の話通りミケの精霊適正を試そう。フーチ、チリ、クロベエ、ゲン、ホトリ手伝ってー」
直時の声に影から出てくる精霊獣達。
「皆は、仲間の精霊を呼び集めてくれ。じゃあ、いくぞー」
前半は精霊獣達へ、後半はミケへである。
直時を中心に精霊獣達が回りを囲み、それぞれが自分の属する精霊を喚んだ。フーチの前には小さな竜巻が、チリの前には踊る水が、クロベエの前には影が地で形を変え、ゲンの前では土が盛り上がり石になり土へと還るを繰り返し、ホトリの前ではゆらゆらと炎が明滅していた。
大きな精霊術ではないが、同時に並行して身につけた全ての精霊術を操る直時。ミケは目を瞠り、フィアとヒルダは直時の成長具合に頷いていた。
結果、新たな適正が三人共に現れた。ミケとフィアは土の精霊、ヒルダは火の精霊の姿を捉えることが出来た。それぞれの精霊術については今後の課題である。
「風の精霊ちゃん……。空飛ぶ野望がぁ……。うミューン」
ミケだけが落ち込んでいた。気持ちは理解るがゲンに謝れ!
新たな刻印とそれに伴う適正確認に時間を取られたため、一行は午後の旅を急いだ。風の精霊術に惜しげもなく魔力を費やした結果、一行がノーシュタットの街へと降り立ったのは、同日の夕刻だった。リスタル防衛戦の時、ヒルダとフィアが協力して王都ヴァルンから一日掛かったのだが、今回は二人共余裕を持ってこの時間である。
直時の刻印により風の精霊術を会得したヒルダと、直時の左腕を触媒に治癒し、謎の魔力増大を得たフィア、そして、『黒髪の精霊術師』当人による風の精霊術と補助魔術の相乗効果の賜物だった。
ミケの紹介で宿を取ることになったのは『岩窟の砦亭』。水の神霊、ヴィルヘルミーネの加護祭のおり、直時が宿泊した宿である。
宿の女将は、ダークエルフ、リタ・シュタイン。闇の精霊術を操り、ミケの師匠でもある。因みに、地上部分は夫であるドワーフ、ジギスムント・シュタインが武具店を営んでいる。
知るひとぞ知る絶対の守りを誇る宿屋で、未だに侵入を果たした賊は皆無。宿泊客の安全は完璧に守られている。
「お久し振りです。また、ご厄介になります」
「また、お会い出来て嬉しいですわ。その後のお噂はかねがね伺っておりましてよ? ミケがお世話になっております。――銀竜の姫様、晴嵐の魔女フィリスティア様、初めてお目にかかります。狭苦しい宿で恐縮ですが、精一杯歓待させていただきます」
直時に微笑を返したリタは、次いでヒルダとフィアに頭を下げた。
この宿の客室は全て一人用である。各自荷物を部屋に置き、受付前の小卓に集まった。今から夕食を注文するのも気が引けるし、四人が集まるには一部屋が狭い。外食にしようか? と、相談しているところへリタが声を掛けた。
「宜しければ夕食はご一緒にいかがですか? ミケがお世話になっておりますし、お代はいただきません。このところの慌ただしい国の様子等も、お話出来ると思いますよ?」
「姉御のところへも情報は入ってるニャ?」
「うちのお客様の中には、お代を色々なお話で頂いている方もいらっしゃるの」
事情を知るミケ以外へと、リタが説明した。
「ミケ、リタ殿はお前の身内と思って良いのだな?」
肯くミケに、ヒルダは警戒を解いた。フィアも信用したようである。直時だけは最初からのほほんとしている。緊張感の無い男である。
案内されたのは、受付カウンターの奥である。夫婦のプライベートな空間は、上の建物内ではなく地下に設えられていた。予定していたのか、武具店を閉めたジギスムントが食卓に食器を人数分並べていた。料理はどうやらチーズフォンデュのようなものらしい。小さな炎の上に乗った鍋で、とろりと溶けた発酵乳が食欲をそそる香りを上げていた。かなりの果実酒も入っているようで、飲兵衛である一同は頬を緩ませている。
調理の火は、ジギスムントの操る精霊術である。気性の激しい火の精霊を小さな火力で制御する手腕は、鍛冶を得意とするドワーフの面目躍如たるところだろう。
普段はリタの尻に敷かれている彼だが、火と土の精霊術を操る手練れであったりする。
和やかに始まった会食だが、ミケとリタのやりとりに皆が耳を傾けた。
「人身売買組織と、その顧客の一斉取締りがあったのは知っている?」
「姉御、耳が早いニャ。どうせ、うちらがその件に関わってるのも知ってるニャ? 保護された人達は、今何処ニャ?」
「大半は此処ノーシュタットの政庁ねぇ。あとは王都ヴァルンかしら」
「人数と種族は?」
「ノーシュタットには二千人強、ヴァルンに五百人弱。殆どが犯罪被害者で女子供の獣人族よ。あとは街住みの傷病者が少数。年寄りが多いわね。それと、世話役として街に残っていた少数が合流というところよ。種族は雑多としか判らないわ」
「姉御の伝手でも駄目かニャ?」
「耳に入ってくる分だけだもの。ああ。ミケ、貴女と同じ立場の者も紛れ込んでいるわ。連絡は殆ど無し。外からの面会はやんわりとだけど拒否されているわ。これ以上の情報は、仕事として依頼になれば動いて上げても良いわよ」
含み笑いするリタ。ミケはチーズをからめた塩漬け肉の角切りを口に入れ、むぐむぐと咀嚼しながら考え込んでいる。
同じギルド付き冒険者が潜入しているなら、ミケも接触を図りたい。リタへの依頼は魅力的だが、王府を刺激することになれば、ノーシュタットに店を構えている夫婦に迷惑が掛かるかもしれない。
「貴女が何を心配しているかは判っているつもりよ。私達も見くびられたものね」
「そういうことだ。この店に愛着はあっても未練は無い。俺の腕があれば、何処ででも店をはじめられる」
リタの言葉にジギスムントが太い腕に力瘤をつくって見せた。
「ミケちゃん、ヒルダがさっき聞いた通り、貴女の『身内』ということで良いのね?」
フィアが口を挟んだ。力強く肯いたミケにリタとジギスムントの目尻が下がる。
「今、私達はシーイス公国から指名依頼を受けています。そのひとつに集められた獣人族の――」
フィアが代表して事情を話す。三つの依頼。保護獣人族の受け入れ先の確保。受け入れ先が無い獣人族の入植地への護衛。ヴァロア国境での恣意哨戒飛行である。
「軍務卿の目的は、獣人族を準国民として受け入れる代わりに普人族の盾とすることであると予想しています。シーイス公国に忠誠を誓うならば、それも当然でしょう。しかし、我々の望みは獣人族の保護を第一としています。建前で発した依頼、『受け入れ先の確保』を逆手に、出来得る限り同族の郷へ送りたいと思っています」
「そのための根回しはギルドを通して進んでいるニャ。でも、そのためには是非とも詳しい情報が欲しいのニャ」
決心したのか、ミケが言葉を継いだ。
「宜しいでしょう。その依頼――」
「俺らで潜入調査してくれば良いんじゃね?」
あっけらかんと言う直時。全てに手がまわらない状況なら依頼も良いが、今は現地にいるのだ。自分達が動けば良いと思ったのである。
「王府もノーシュタット政庁も警備は厳重ですよ? 闇の精霊術の手練れでないと――」
「ミケの腕は御承知でしょうし、俺とヒルダ姉も使えますよ?」
「そう言えばそうだったニャ。でも、ヒルダっちは隠密行動にはちょっとニャァ」
「私は闇の精霊術を使えないけれど、隠密、隠蔽、撹乱系の人魔術はタダトキ同様に使えるんだからね! ヒルダは無理だけど」
「お、お、お、お前らああああああっ!」
ヒルダが叫んだ。少し涙目であったのはご愛嬌である。そんなヒルダへ、直時の好感度が上がった――強姉系の涙萌え――のは秘密だ。
「そうは言っても国が絡んでいるからな。妹分(特に強調している)の可愛いミケには、危ない橋はなるべくなら渡ってもらいたく無い」
ジギスムントが言った。
「リタ姉、いや師匠。鍛錬場をお借りしても宜しいですか? 私達に稽古をつけて頂きたいです。これは依頼です。ジギーおいちゃ……お兄さんにも御指導をお願いします。タダトキ、フィアさん、ヒルダさんも宜しいですね?」
「ミケちゃん。シリアスになるのは良いけれど、「さん」は不要よ。勿論依頼扱いで良いわ」
「ジギスムント殿は土と火の精霊術を能くすると聞いた。是非とも御教授願いたい」
「精霊術はフィアに教わっただけだし、俺もお願いしよう。授業料は各自で払ってね」
遠回しに調査を自分達へ依頼しろと言ったつもりだったジギスムントだったが、四人が四人とも予想外の答えを返してきた。リタはクスクスと笑いを堪えられないようで、面白そうである。
「貴女が自分から鍛錬場を望むとはねぇ。泣いても許してあげませんよ?」
「うっ……。うちは以前のうちでは無いニャ!」
「あ、戻った」
「タッチィ! うるさいニャア!」
過去にリタから受けた心的外傷を意識から外すため、直時に食って掛かるミケであった。
地下の客室から更に下、闇の精霊に封印されていた広大な空間が鍛錬場である。修行時代のミケは、この広さに気付かなかった。充満する闇の精霊に感覚を狂わされて、狭い穴蔵とだと認識していたのだ。
闇の精霊術師リタ、土と火の精霊術師ジギスムント。両者に教えを請う一同が整列した。
「え? 潜入なら闇の精霊術だろ?」
リタの前には直時ひとり。残りはジギスムントの前にいる。
「うちは適正のあった土の精霊術を覚えたいニャ」
「私は闇に適正無かったから、同じく土ね」
「当然火だ! 火の精霊術を身につければ吐息の威力も上がるに違いない!」
闇適正の無かったフィアはともかく、ミケとヒルダは自分の都合を優先したようである。
「リタさん。ミケとヒルダ姉は居残り特訓でお願いします」
「ヒビノさんのお願いならば、致し方無いですね。ウフフ。その御依頼、全力で遂行させてもらいますわ」
闇の鬼女に黒い炎が灯った瞬間である。自業自得とは言え、後ろめたくなった直時は誰もいない方向へ頭を下げた。
だんだんとヒルダとミケに遠慮が無くなってきたのは良い傾向ということで。