ソヨカゼの日常3
話を進めたいのに、少しでも伏線回収ということで進んでません……。
次話、シーイス編への繋ぎとして御覧下さい。
嵐が過ぎたソヨカゼの上空はまさに台風一過、小さな雲も吹き払われて青一色であった。洗われた大地から草と土の匂いが立ち昇り、海辺の常である潮風を相殺し、山国シーイス公国を思わせる空気が流れていた。
「ふう。無事繋留完了っと――。まだ波が高いけど、このくらいなら大丈夫でしょう」
「お疲れだったな。船はともかく寝てないだろう? 今日はゆっくりしろ」
沖に避難した龍驤を待機場所として嵐が去るまで飛び回っていた直時は目にクマを作っていた。船の状態だけに気を配れば良かったクベーラより疲労度は高い。
「クベーラさんも寝てないじゃないですか。ちゃんと休んでくださいね」
「そうさせてもらう。あと、嬢ちゃん達も労ってやれ。精神的にな?」
含み笑いをする巨漢の鬼人族を恨めしげに睨む直時。他人事だと思いやがって! と、いうところだろう。
《フィア、まだ起きてるかい?》
《……帰港したの? じゃ、もう寝る》
返ってきた念話は途切れそうだった。嵐の中、何度か飛んでもらったから無理もない。直時は「おやすみ」と返した。
(警戒屯所にはヲンさん達が詰めてくれてたし、マリーちゃんやエマちゃん達の様子も確かめたいし、ひと通り回ってから寝よ……)
クベーラを見送った直時は、大きな欠伸をひとつ。まずは居住区へと向かった。
「おはよう、マーシャさん。家の方は大丈夫だった?」
雨漏りには特に気を使って建てた隙間のない石造住宅である。しかし、窓までそうはいかなかった。透明な平面ガラスは一般に出回っておらず、気密性を高めるゴムも無い。
結局、木枠を取り付け、船の防水にも使っている瀝青を隙間に塗った。ガラスの代わりは木製であるが装飾性の強いブラインド型鎧戸。外側には頑丈さに重点を置いた厚目の雨戸を組み合わせた窓になっている。
このような直時の努力も虚しく、マーシャ達は皆、普段は風通しを良くするために開け放っていたりする。
多少の吹き込みが見られたが、皆、魔術で簡単に対応できたとのこと。直時はエマに紅茶を一杯もらってから他へと回った。
次に足を運んだのは、ソヨカゼの警護を司る屯所である。今は、暗護の城から派遣されているヲン爺達が起居していた。
この屯所はソヨカゼの北側に位置し、陸からの侵入に対して警戒している。その要が半地下式の中央聴音室で、地中から突き出たラッパ型の管が林立していた。
直時がヲン爺と話していた『石網』の末端がこれである。放射状に埋設した土管から異音を探る警戒設備で、担当には聴覚に秀でた種族があたっている。陸のソナーマンといった役割だ。聴覚が普人族並であっても、知覚上昇系魔術や改造した警戒魔術があればかなりの確率で異常を捉える事が出来た。
暗護の城と人魚族から警備に来てくれている人達には、希望する警戒魔術は無償で転写されていたが、実際に使用してみると大きな問題点も出てきた。
思いつきで新たな魔術を構築する直時であるが、彼の知識は二一世紀の日本が基になっている。聴音系魔術(陸での『地振感知』と水中での『音響感知』)という警戒方法ひとつにしても、元の世界では膨大なデータを取り、情報として蓄積しているのである。
警備に携わるこの世界の住人には、どの音が警戒すべきなのかが判らない。経験として知っている音と、新しい人魔術や石網という新しいシステムで聞こえる音の差が激しいからだ。
解決策は結局ひとつしか無かった。石網に響く音がどういった場合にどのように聞こえるのかを経験するしかない。野外に演習用の石網の聴音管を敷設し、魔狼達の足音やブランドゥの発着音や低空飛行時の音、人種の歩行音や支援魔術による高速走行音などを、聴音手として手を挙げた者には実際に目で確認しながら経験を重ねてもらったのである。
「フォッフォッフォッ。タダトキ殿、御活躍のようですな」
奥からヲン爺が姿を見せた。
「どうもー。ヲンさん達こそ見回り有難うございます。何か異常はありませんでしたか?」
「異常というほどではありませんが、用水路の様子が少し。川からの水門は閉ざしたのでございましたな?」
「きっちり閉めてきましたよ。増水してたんですか?」
「いえ。逆に少な過ぎるのです。何処かで詰まって余所へと溢れているのかもしれませんのう」
街中の用排水路はヲン達が確認してくれていた。取水口付近は直時が確認している。問題が起きたとすればその途中だろう。
「変な処から浸水しても嫌だし、確認に行って来ます。報せてくれて有難うございます」
ソヨカゼ川からは平地ばかりだが、平地だからこそ増水は怖い。溢れでた水が満遍なく広がってくる。
「他も回ってこられたのでしょう? 少し休んでいかれてはどうじゃな?」
「やることやってからゆっくり休みますよ。それより『石網』は浸水とか破損とかしてませんか?」
「土管(石製)といえど、密閉型ですからな。今のところ問題は起きておりませぬよ」
折角構築した警戒網だ。心配する直時にヲン爺は笑って答えた。ホッとしたのも束の間、彼は直ぐ問題の場所へと出かけた。
……巨大な山椒魚が水路に詰まっていた。
貫徹のうえ、昼過ぎまで気になるところを見て回って対処に追われたため、砦の自室へと帰ってきた頃には直時の目付きはかなり怪しい状態になっていた。
「……眠い。ひもじい。疲れた。でも大したこと無くて良かった……」
寝床の手前で気力が尽きて床に寝っ転がる。
「タッチィ、お疲れ様なのニャァ。こんな所で寝ては駄目なのニャ!」
嵐の間、マーシャ達についていたはずのミケが直時を出迎えた。フィアとヒルダは夜間の警戒飛行の疲れから就寝中である。
「布団で寝たいけど、汚いから嫌だ。でも、風呂入る元気、無い。だから、ここで寝る」
直時の瞳は焦点を結んでいない。途切れ途切れでミケに答える。
「あーもう! 清潔にしないと女の子に嫌われるニャよ。お風呂が無理なら魔術でも精霊術でも使ってキレイにするニャ。ほら、汚れた服は脱ぐニャ」
ぐずる直時に、お母さん宜しくミケが叱る。良い年をした男は脱皮する芋虫のように少しずつ衣服を床に残して寝床へと這いずっていく。八割がた意識が無い。既に頭が就寝モードになっているのだ。極限まで肉体を行使した疲れではなく、心が休養を求めた結果である。
ベッドへと一息というところでミケが直時の両肩を捕まえた。最終的にアンダーシャツとアンダーパンツ姿の人様に見せられない姿である。
安息の地へとあと一歩のところで拘束され悲痛な呻きが漏れる。その哀れな男の耳元で、猫耳の小悪魔が囁いた。
「ふかふかのお布団に入るにはキレイにしないといけないのニャァ」
「無理。めんどい。寝るぅ」
「うちがちゃんとキレイにしてあげるのニャ。柔らかくふかふかのお布団にも連れて行ってあげるのニャ」
「……マジで?」
「ニャふふふ。本当ニャ。だから――」
「――わかったにょー。もう何でも聞くからさぁー」
怪しげな呂律で答え、直時はなけなしの意識で魔力を練った……。
嵐の間、直時はフィアやヒルダに倍してソヨカゼ各所を飛び回った。雨に濡れては乾かし、泥に塗れては洗い落とし、龍驤ではクベーラに精神的に叩かれた。
身も心も疲れ果て、寝床に辿り着く前に何かがあったように思ったが、眠りから覚めるまどろみの中でも思い出せない。温かい布団に包まれて幸せだったからだ。
しかし、彼の感じる多幸感はそれだけではない。温かく、柔らかく、フワフワとしたモノが腕の中に感じられたのだ。
(新しい毛布、卸したっけかなぁ? 抱き枕? ぬいぐるみ? 良い抱き心地……)
ソレに頬をこすりつけると鼻が弾力のある何かに当たった。反射的にハムハムと甘噛みしてしまう。
「ニャうん」
顔のすぐ近くで甘えるような声が聞こえた。この時点で漸く意識が覚醒を始める。
左腕に感じる重さは人の頭部のそれ。甘い香りは女性のそれ。先程口にしたモノは大きな猫の耳だった。
直時は現状把握を途中で拒否してそのまま寝ようと思った。そう、これは夢。妄想が見せた夢だと言い聞かせ目を閉じようとして――出来なかった。
かろうじて開いた目の前の猫耳の向こう、ベッドの直ぐ傍に誰かが立っていた。数は二人。寝間着と判る薄衣から伸びる脚が艶かしいが、まったく彼の煩悩は刺激されない。二人の纏う雰囲気が喩えようもなく黒い。彼が感じたのは生命の危機であった。
「オハヨウゴザイマス!」
一瞬で目覚めた。対象の人物達を刺激しないようにと、ゆっくり身を起こす。冷や汗が流れるその首に白い腕が絡みついた。
「うニャーん」
「……へにゃーん(泣)」
甘えた声に答える直時は涙ぐんでいた。何かが切れる音が傍らの人物達から連続して聞こえた。
ボロ雑巾と化している直時を放置して、フィアとヒルダはミケに詰め寄っていた。部屋は竜と台風がランバダを踊った後のような惨状である。その間、ミケは影に潜んでいたようだった。
「ミケっ。貴様、タダトキの姉たる私の許しも得ずにっ!」
「ミケちゃん! 事後っ? 事後なのっ! 避妊魔術はっ?」
怒っているというより慌てているヒルダ。怒りながらも現実的なフィア。彼女達の詰問をのらりくらりと躱すミケは以下のような格好である。
ヒルダの寝間着は薄くて黒い布(透けてます)を、風呂あがりのタオルのように首に引っ掛け、両胸を覆い腰で別の紅い布で纏めているシンプルなものだ。背の翼に掛からないよう配慮してある。丈は腿の中程まで。結んだ紅帯のウエストで絞っていた布を広げて腰をスカートのように覆っている。下着は有尾人族用のローライズされた黒である。
フィアはゆったりとした白のノースリーブの上衣。丈はおへその上あたりまでで、風が吹くとえらいことになりそうである。下は同じ布地のキュロットパンツ。上衣と同様丈は短く、細いが健康的な素足が露わであった。
直時の寝床から出てきたミケは、大きな欠伸をしながら両手を上に上げて背筋を伸ばした。あられもない姿を予想していたが寝間着は着用していたようである。七分袖の白いワイシャツっぽいものだ。丈はあるが後ろは有尾人族用に燕尾服のように割れている。短めの尻尾が動くたびに下着がチラチラと見える。ヒルダと同じくローライズ下着で、色はクリームのようだ。
「まあまあ御二方。まずはこれを見るニャ」
ミケが後ろを向いてハラリと着衣を滑らせる。露わになった背中、左の肩甲骨あたりに薄っすらと桜の花が咲いていた。直時の刻印である。
「ちょっと待て! 私が花弁ひとつなのに、何故ミケが五弁で花になっているんだっ?」
ヒルダが憤る。
「その分小さいニャ。でもこれで保有魔力はヒルダっちと変わらないニャねぇ~」
「……その対価が身体?」
得意げなミケへとフィアが絶対零度の視線を投げた。普段の彼女達からは想像できないほど厳しい目だ。直時はノックダウンしており、幸いにもこの修羅場に気付かなかった。
「タッチィからは一晩自由にさせろって言われたニャ」
「ちょっと貴女っ!」
「――耳と尻尾を……」
ミケの声から張りが無くなる。添い寝で何も無かったという事実が、女としての自信とか矜持とかを傷付けたのである。逆に直時を襲うことも可能だったが、魂的に負けのような気がして止めたのだった。
激昂しかけたフィアとヒルダであったが、何故か納得した顔になる。節操のない男はお断りだが、朴念仁に過ぎるのも大概にしてもらいたいと、三人は顔を見合わせ、そろって溜息を吐いた。
カール帝国領内、帝都を含む直轄領に隣接する領地を持つ大貴族。アインツハルト侯爵は見事なカイゼル髭を震わせて眼前の青年に罵声を浴びせていた。
「『黒髪』め。この大事な時期にノコノコとシーイス公国に戻って来ただとっ? 先のヴァロア侵攻の計画倒れ、その元凶の分際でっ。精霊術師というだけでっ! 皇帝陛下が御厚情を身の程知らずにも袖にした下賤の輩がっ!」
「シーイス公国、及びリスタルへの侵入路は不明ですが、関係のある宿屋とギルドへは顔を見せたようです。『晴嵐』も同行しておりました」
激昂する侯爵の背後から小さいが良く通る声が聞こえた。老境に掛かる痩身の従僕である。侯爵の腹心にして帝国内外の情報に精通している切れ者である。
「尾行は巻かれ滞在場所は掴めません。しかし、数日内に王宮にて晩餐会が予定されているとのことです。遅ればせながら、リスタル防衛戦での働きを労うための催事のようです」
「ふんっ。我が国との密約に従ってリスタルを見捨てたくせに、今更媚びを売るつもりか」
小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。リスタルでのヴァロア軍敗退はカール帝国にとっても計算外だった筈だが、シーイス公王を笑うアインツハルト侯爵。更に言えば、直時へ最も媚を売るような条件を提示していたのは他でもないカール帝国であるが、そんな事は綺麗サッパリ棚上げしている。
いや、そうでもしないと侯爵の精神状態は平衡を保てなかったのだ。
ヴァロア王国のシーイス、マケディウスへの侵攻作戦を逆手に取り、ヴァロア領への侵略を上奏したのは他でもない彼である。失敗した事実を糊塗しようと、原因となった『黒髪の精霊術師』の能力を必要以上に大きく報告し、彼の取り込みが帝国の利益になるとして執拗にイリキアまでも追跡させたのである。
他国からも同様に彼に価値を見出し、追跡隊を放っていたため侯爵の報告が疑われることはなかったが、結果を出せなくては意味が無かった。当然の如く、他の重臣たちから責任追及の声があがり、アインツハルト侯爵の権力の足場が揺らぎ始めていたのである。
現在はフルヴァッカ攻略が停滞し、各貴族達がそれどころではないため権力闘争が控えられている――(皇帝が権力をガッチリと握っているため、戦功を立てる方が権益や出世に繋がるし、戦時に政争で国益を損なう行為は後々佞臣として誅される)――が、彼の失点が忘れられたわけではない。
ここで機会を窺っていた従僕が侯爵へ続報を報せた。
「シーイスとヴァロアの停戦条約ですが、盛り込まれた条項に不審な点がございます」
「どうせ雪竜に泣きついたのだろう?」
「不可侵条約は停戦、休戦の常ですが、通商条約まで入っております。友好条約の締結をしない状況では有り得ません」
「ヴァロアは孤立しているからな。フルヴァッカの件がなければ攻め込んでも良いくらいだ。シーイスが足元を見たということは?」
「仰る通り、報告ではシーイス側の関税は高めです。しかし、高過ぎる程ではありません。そのためヴァロア国内でだぶついた物資がシーイスへと急速に流入しております。支払いには我が国からの補助金が流用されているようです」
「物資調達をせっついたからな。マケディウスからの供給が細っている今、背に腹は代えられん。それはカールもシーイスも同じだろう。物資を右から左へ流すだけで関税分を儲けられるのは業腹だが」
北灰洋はブリック連合王国に抑えられ、マケディウスはエスペルランス王国の攻撃を受けた現在、海路での補給が覚束無い。
物がなくては戦にならない。
いくら傲慢な貴族とは言え、損得勘定に長けていなければ生き残れない。苦々しく思ってはいても、弁えているようである。
「それと、シーイス公国内で軍の移動が活発化しております。ほぼ全土において配置転換を行なっているようです。特にトリエスト回廊への軍備強化が目立ちます」
「名目はフルヴァッカの敗残兵への警戒だが、規模が大きいということか?」
「御意。後、未確認ですが例の『黒髪』一行へ何やら依頼をしたようです。関係あるかは不明ですが、国が主導して獣人共を一箇所に集めております」
「何処だ?」
「リスタルの東で施設部隊が作業に入っているとのことです。雪竜の領域が間にありますが、トリエスト回廊側と言えるでしょう」
「ふむ。真意はどうあれ、理由はなんとでも付けられるな?」
「名分はいくらでも作れます」
断言した従僕へ頷いた侯爵は目を閉じて黙考する。暫くして開いた瞳には猛々しい光が満ち、獰猛な笑いを刻んだ口元には犬歯が剥き出された。
「ブリックの海賊共から逃げ戻ったキールの軍がフルヴァッカへ向かっていたな?」
「キール・フォン・シュレシュタイン侯の軍は一〇日前後でトリエスト回廊を通過する予定です」
「奴の失態、忠臣として見逃すわけにはいかぬ。カール帝国、ひいては儂の礎となってもらおう。シーイスは属国としての分を弁えておらぬ。そろそろ名実ともにカール帝国の版図に入れようではないか?」
一頻り大声で笑った後、アインツハルト侯爵は眼前に控えている青年を睨めつけた。政治的に追い詰められてはいても、攻撃目標が定まったことで本来の獣性が戻ったようだ。
「貴様に後は無い。これが最後の機会と心得よ。例の部隊を与えてやる。シーイスをもぎ取る下拵えを調えよ!」
平伏した青年は侯爵が退室するまで頭を下げていた。扉が閉まる音と共に立ち上がり、肩まで掛かる金髪をひと払いした男は、カール帝国宮廷魔術師にして諸国を巡る冒険者、リシュナンテ・バイトリだった。
あまり艶っぽい話にはならなかったけれど、ミケさんもパワーアップです!
リシュナンテ再登場。良からぬ動きに……。