ソヨカゼの日常
諸事情により間が空いてしまいました><
体調と体重がようやく少し復活^^;
相変わらず話の展開が遅くて済みませぬ!
今回もまったりだったりします。
「良い所ではないかっ!」
ソヨカゼ全体を俯瞰しようと上空へと翼を広げて舞い上がったヒルダ。風を切って旋回しながら、精霊術で続いたフィアへと大声で言った。
住居こそまだ少ないが、噴水前広場は広く取られておりベンチだけでなく野外炊飯のための竈やテーブルも設置されている。噴水とはいっても普段はソヨカゼの西を流れる河から引いた水が、龍(直時の趣味で東洋の龍を模した)の石像の口から流れ出ているだけである。
しかし、毎日何度かは直時やブランドゥ、魔狼親仔が水の精霊術訓練と称して利用するため、様々な水の祭典が催される。狐人族のマーシャ親子とエマ、鼠人族クッカ、犬人族リノ、熊人族マルグリットの娼館組や、暗護の城から警護に派遣されているクニクラド配下の者達、律儀に交代で来ている人魚族の戦士達の良い娯楽となっていた。
そして、少ない住居に不釣り合いな程大きな港湾施設。
ヴァロア王国から譲り受けた空中騎兵母艦『龍驤』は、その巨体を岸壁に繋ぎ緩やかな波に身を委ねている。
乾船渠では数隻の小型船を造る職人たちの姿が見られた。指示を出し、取りまとめているのは鬼人族のクベーラである。彼は、暗護の城へ短期間帰っただけでソヨカゼに逗留していた。
造船の注文は直時からである。他の者に龍驤の操艦は厳しいため、手頃なサイズの船が必要となったためだ。
「あの岩山が守りの砦になっているのか? 頂上部は広い平地だな」
「そうね。ブランドゥの発着場になっているわ。直ぐ下が彼の巣よ。魔狼親仔と私達もあそこに住んでいるわ。緊急時の避難所もあるしね」
ヘリポートの様な遮蔽物の無い頂上部があり、庇の下には階下へと続く階段が大きく穿たれている。本当の非常事態には、直時が土の精霊術で出入口を封鎖することになっていた。
「おっ? タダトキが走っているぞ」
「『地走り』での高速走行も様になってきたわね。進路変更に風の精霊の力を借りているようではまだまだだけどね」
地上を疾走する人影に二人の視線が向く。『浮遊』を掛けずに、自身の足を使うことで任意の方向転換をしている。それでも『地走り』の推進力に負け気味で、曲がる時には大きく弧を描いてしまっている。時々見せる鋭角的な動きは、風の精霊術を使用しているのだ。
次の瞬間、直時の背後から黒い獣が襲いかかる。仔魔狼のホルケウである。魔術で走る直時よりホルケウの方が早い。追いつかれる寸前、直時が左へフェイントをかけ次の瞬間大きく右へと避けた。釣られたホルケウは標的を見失い派手に地面を転がる。
直時が伺うように回り込んで近付くと、倒れていたホルケウは素早く身を捻って跳びかかる。逃げる間も無く、直時は前脚で押さえ付けられた。見ていたヒルダとフィアの耳に「ベシャッ」と、いう音が聞こえる気がする倒されっぷりである。
「タダトキに案内させようと思っていたが、どうやら無理なようだな」
「ここ数日は留守にしていたから寂しかったみたいね。あの様子だと暫くは離してくれそうにないわねー」
眼下では、捕獲した直時の襟首を咥え、意気揚々と見守る父と姉の元へと戻っていくホルケウが見える。ヒルダとフィアは、どちらともなく顔を見合わせクスリと笑った。
その頃、ミケは獣人族の娘達の作業を手伝っていた。ソヨカゼの港のやや西側、砂浜である。所狭しと広げられた籠の上には、様々な魚介類と海藻が陽の光と海からの風を浴びていた。大きいものは竿に吊るされている。いわゆる干物である。
直時の試みで始められたことであるが、塩辛には拒絶反応を見せた獣人族の娘達も、この干物には抵抗が無かった。一夜干しや丸干し等、大変気に入ってしまい、保存食としてだけでなく毎日の食卓に欠かせない食材となっていた。他に人魚族から活魚の差し入れもあり、ソヨカゼでの動物性タンパク源は海産物が主になっていたりする。
「そろそろ陰干しする頃合い――ふんっ」
熊人族のマルグリットが作業中の他の者に言い、拳大の石を握り砕いて右手を振った。礫の散弾が唸りを上げて飛ぶ。腕力強化は熊人族の十八番である。
――グギャアッ。
上空で悲鳴が上がる。干物を狙って急降下していた鳥型魔獣が礫に叩かれ姿勢を乱し落下。必死で羽ばたき海面スレスレで持ち直した。這々(ほうほう)の体で逃げる姿を見て、仲間の海鳥達は距離をとる。
マギ(マルグリットの愛称)は警戒を緩めず、そのまま上空を睨んでいる。彼女の役割は天日干しする時間の干物の護衛である。
以前は追い払うのではなく狩っていたのだが、獲り過ぎたため「食べる分以上は狩るな! 保存食にするにも限度があるんだぞっ。獲り過ぎた分はマギんちの軒先で燻製の下処理するからなっ!」との直時の脅しに屈して追い払うだけとなった。実際に塩と香辛料をまぶして肉の水分を落とすため、マギの家の軒先にぶら下げられた。無表情なマギの顔色が変わっていたのは言うまでもない。
「わかったー。エマ、運ぼう。ミケさんもお願いしまーす。クッカは小魚と小エビをお願いねー。海藻は狙ってこないから後で良いよー」
「了解ニャ。生乾きだけど良いニャ?」
「うん。持って帰って『送風』で乾かすの。みんな、好きな堅さが違うの」
ミケの疑問に狐人族エマが答えている。干物は各自、好みの堅さに仕上げるのだ。直時の精霊術や人魔術なら短時間で干物生成出来るのだが味が落ちた。試行錯誤の末、天日干しは必要不可欠となったのである。ちなみにマーシャとマリーはお留守番だった。
犬人族のリノが腹を割かれて広げられた魚や軟体動物(イカ、タコ)の干物を竿から下ろし、ミケとエマに手渡す。積まれた干物に人魔術『浮遊』を施し重量を消去。各自が荷籠を背負ってソヨカゼまで運ぶ。マギは干物を背中に、石を詰めた革袋を左手に携え最後尾へ着いた。帰るまで鳥魔獣への警戒にあたる。
「クッカ。つまみ食いは良くない」
マギがこっそり小魚の丸干しをポリポリと齧っていた栗鼠人族のクッカを窘めた。
夜はまたしても宴会となった。名目はヒルダとミケの歓迎会である。直時は連夜の酒宴に苦笑いしていたが、娯楽の少ないソヨカゼでは、何かと口実を作って騒ぐことぐらいしかないのだ。新たに建て増しした集会所は、ほぼ宴会場として利用されていた。
この集会所は石造りであるということを別にすれば、高原の癒し水亭の食堂と似た作りになっている。カウンター席が数席と、その奥が厨房となっている。
また、集会所に隣接する食料庫は大きく余裕を持たせて作られていた。ソヨカゼで未だ自給出来ない穀物の保管庫。狩って解体した魔獣の肉(魚介類魔獣を含む)の冷蔵庫。直時が外出時に仕入れてくる野菜や果実の冷蔵室などがある。地下には酒蔵があり、様々な酒が着々と揃えられているが、消費も激しく半分以上の空きスペースがあった。
専門の料理人がいないため、宴会での厨房係は有志が受け持つことになる。今夜はリノと人魚族のアルドロヴァンディという壮年の男が名乗りを上げた。魚がメインの料理となるようだ。
宴会には、暗護の城の者や人魚族も混じって、各テーブルを渡り歩いたり、大皿の料理に挑んでいたりと皆が楽しんでいた。フィアとヒルダは同じテーブルで腰を据えて飲んでいる。
「ヲンさん、留守中何か変わったことは?」
「ふぉっふぉっふぉ。特に御座いませぬ。それと警戒網の増設は順調ですぞ。石網は噴水を中心に半径五百まで設置出来ております」
「クベーラさん。例の船はどうです?」
「あんな奇妙なモノは初めてだ。浮かべてみないと判らん。それより資材の加工が追いつかんのだ。ドワーフの鍛冶職人でも居れば良いのだが……」
「どうしたクッカ。え? 畑を増やしたい? 魔術『耕土』と『出水』は持ってるかい? 無いなら明日にでも転写するよ」
「種か苗もいくつか欲しいものがありまして……。お給金も貯まったので、お出かけ先で買ってきて頂きたいのですぅ」
直時は杯を片手に各テーブルを回って忙しなく話をしている。留守中の様子と手掛けている事案の進捗状況など、気に懸かることは多い。
「ご・しゅ・じ・ん・さ・まっ!」
クッカ達の隣のテーブルから、マーシャが袖を引っぱった。
「いい加減その呼び方は止めて……」
「ご主人様はご主人様だわさ。それより、あの人達とはどんな関係なんだわさ?」
小声だが棘のある調子で訊ねる。ヒルダとミケのことだ。
「あれ? 自己紹介は済ませたはずでは?」
「そういうことじゃなくてっ! 正妻はフィア様で納得してるけど、どっちが二号さんなのだわさ? 竜人族の人なら我慢するけど、猫人族ならあたしの方が先じゃないのかいっ?」
激してきたのか、後半は詰め寄るように迫ってくる。
「ちょっ! 声が大きい! 二人共そんなんじゃ無い! 西の方でお世話になった恩人だよ。ヒルダ姉さんは生き残るための術を教えてくれている師匠みたいな人だし、ミケは……」
「猫女が何さっ?」
どう言えば納得してくれるか考えるため置いた間を、どう勘違いしたのか眉を釣り上げるマーシャ。
(そう言えば狐って犬科だっけ? でも群れないし、どっちかって言えば猫っぽいんだよなあ。猫人族と仲悪いのかな?)
正確には猫目、犬科である。この世界ではどのような関係かは判らない。
「マーシャさん、怖いって! 言うなれば……、そうですね……。猫耳尻尾は避けては通れない男の浪漫だということでしょうか? 狐人族のふさふさ耳と尻尾と同様に、ぴこぴこする猫耳尻尾は抗えない魅力の塊なのですよっ」
「全く……。御主人様はまたそれかい? 本当に変わった御人だよ」
直時の力説に呆れ、露わにしていた妬心を溜息と共に消した。内心で「それはアンタだけだわさ」と、突っ込んでいる。女としての魅力より、普人族が嫌う獣人族の証を魅力だと言われて悪い気はしないが、胸中は複雑であった。
直時も男である。普段は鳴りを潜めている雄の性を思い出したかのような視線を感じることもあるのに、耳と尾以上には触れてこないのだ。フィアに操を立てているかとも思うが、何故こうも色欲を抑えているのかマーシャには判らない。
「もうひとつ言っておきますけど、フィアが正妻とか怖いこと言わないで下さいね。フィアもヒルダ姉さんと同じく、俺の師匠で保護者みたいなもんです。あと、俺はマーシャさん達を妾だとか、そんな失礼なことは思ってませんから! 只の雇用主です。借金返済が終わったら自由なんですから、御自分とマリーちゃんのこれからのことを考えて下さいっ」
きっぱりと言い切ったが顔を真赤にしているのでは、色々と疑問を残すところだろう。実際にフィアは直時の左手消失以来、何かにつけて近くで寄り添っている。
「身請けの時、惚れたって言ってたくせに……」
マーシャが恨みがましく睨んだ時、後ろから声が掛かった。
「タッチィが囲ったっていう娘さん達ニャ? 美人さんばっかりニャー。このエロ男!」
杯を片手に直時同様、あちこちのテーブルを巡っていたミケがやってきた。陽気な態度で直時の頬を指でグリグリすると、何故か場の空気が硬質化する。
「ど、どうもだわさ。改めて挨拶させてもらうけど、妾第一号のマーシャ・マクドウェルだわさ」
「ちょっ! マーシャさんっ。俺は別に妾とか縛る気は無いからっ! そもそも何もして無いのに変なこと言わないで下さいっ」
「ふ~ん。『自称』お妾さん第一号のマーシャさんニャ? うちはタッチィの戦友で命の恩人として慕われている冒険者、ミケラ・カルリンなのニャ」
売り言葉に買い言葉。猫耳と目元をピクピクさせながらも笑顔、しかし挑発的なセリフを返すミケ。
居た堪れなくなった直時はこっそりと席を立つ。火花を散らす獣美女二人を残して外の空気を吸いに逃げ出た。
「――お前も『姉』だそうだぞ?」
ヒルダが人の悪そうな笑みをフィアに向けた。離れているはずなのに直時達の会話は聞こえていたようである。宴会を楽しみながらも気を向けていたようだ。フィアも同じようで、不機嫌そうに頬を膨らませてそっぽを向いた。
「実際のところどうなのだ? これだけ女を侍らせてタダトキの奴は何もしていないのか? 普人族ならとうに手をつけていそうなものだが」
「あいつが普人族じゃないってのは貴女も知ってるでしょ? あの娘達の耳や尻尾を触って、「もふもふ~っ」て、言ってるだけみたい。ホルケウやブランドゥにも同じこと言ってるけどね……」
直時にとって色欲と魂を癒す対象は全くの別物なのだが、彼女達にそこまでの理解は無い。
「性欲が無いわけではなかろうに……。何か特別な風習や禁忌があるのか?」
「否定は出来ないけど……。抑える傾向が強くなったのは『神人』についてクニクラド様やエルメイア様に話を聞いてからね」
黒狼の郷での一件の後、再生しない直時の左手をどうにかしようとフィアは神々の許へ赴いた。メイヴァーユへ祈りを捧げ、個人的に訊ねもした。その情報全ては直時と共有している。彼が時折、上の空で考え込むようになったのはそれからである。
「寿命が神々のそれと等しいと聞いたのだろう? では、逆に長命種を娶るに遠慮は要るまい?」
「タダトキが気にしているのは多分、他の神人について聞いたからだと思う」
エルメイアが普人族(に溶けた妻たる神人)と獣人族との和解策を持ちかけたというリッタイトの神人。クニクラドが語った意思疎通の出来ない放浪の神人。メイヴァーユ達の住まう神域に閉じこもった神人。彼等は共に直時と同じ異邦の存在である。詳細は神々でさえ判らない話を聞いてから直時は考えに沈むことが増えたのである。
フィアは言い様もない不安を抱いていたが、ソヨカゼを自分の故郷としてより良い環境にしようと努力している姿も間近で見ている。直時と行動を共にすることで、その不安も日常に紛れていたのである。
「まあ良い。明日は久し振りに鍛錬の成果を見せてもらうとしよう。そこで理解ることもあるだろう」
「――ったく。貴女は闘争から離れたところでの判断は出来ないの?」
自信満々のヒルダに毒気を抜かれたフィア。苦笑しながらもどこか彼女を頼りにしているのかもしれない。
フィアとヒルダは、互いに杯をコツンと合わせた。
翌朝、昨夜の酒の影響を露程も見せないヒルダが直時を引っ張りだした。場所は風砦の北側に広がる平原である。
「タダトキっ! 修練の成果を見せてもらうぞ!」
闘いを前にして上機嫌な様子である。竜人族の性であるとは知っているが、直時は離れた所に集まった面々に溜息を吐く。フィアとミケの観戦は当然だろう。ヲン爺の顔があるのも理解できる。しかし――。
「ご主人ーっ! 頑張れーっ!」
「タダトキ殿ぉーっ、死ぬなー(笑)」
「ヒルダさまーっ!(複数)」
少しの声援と大多数の野次が飛ぶ。暗護の城から派遣されている警護達どころか、地上が苦手な人魚族、魔狼親仔までが観戦に集まっている。
数少ない直時への声援はマーシャとエマである。皆、朝食の弁当持参で物見遊山であった。
「なんでこんなことに……」
ヒルダの高いテンションとは逆に、直時の戦意は地を這っている。昨夜の酒は残っていないはずなのに頭が痛い。
「制限は特に無しニャ。精霊術も解禁ニャ。タッチィは槍で良いのニャ?」
立会人としてミケが仕切っている。確認したのは、直時の左手を慮ってのことだ。槍や棍など長物は本来両手で扱う武器だからだ。
「片手でも問題無いよ。槍術じゃなくて杖術だからね」
強がりである。片手の技も多いが、両手が使えなくては半分以下の技しか使えない。ただ、杖術は穂先には拘らない。体捌きと一体化した技が多いのも事実だった。
「私の剣術と固有術に隙は無いぞ? 精霊術は覚えたばかりで未熟と言わざるを得ないが、お前の人魔術や精霊術は発動に間がある。それは克服出来たのか?」
「人魔術は性質上どうしようもないかな? 精霊術はそこそこ上達したよ。複合精霊術は見たでしょうが?」
風と水、そして土の精霊術を同時に制御して作り出した全てを切断する石と水の鞭。ヒルダの口角が吊り上がる。期待しているようだ。
「即死以外なら精霊術の治癒で私が何とかするから、死なせない程度に頑張りなさい」
フィアの台詞は頼もしいのか恐ろしいのか判らない。直時としては、フィアの世話になるような事態は御免である。
対峙する二人。
ヒルダは愛用の黒剣を抜いて右手にぶら下げている。剣先は地面に着く寸前。力が入っているとは思えない、リラックスした姿だ。
対する直時は槍の中程を右手で掴み背中に隠し、左足を前にやや前傾姿勢。槍は背中で立てて構える。親指の先、地面側が石付き。穂先は背中越しに覗いていた。
何でも有りということだが、二人共いきなり精霊術をぶっ放すつもりはないらしい。
ヒルダが何の警戒も見せず、無防備に間合いを詰めた。直時からは剣を持った右手の甲が、前から横、そして後ろへと徐々に見えなくなる。
(逆袈裟!)
直時が悟った瞬間、一歩を大きく踏み込んだヒルダの刃が斜めに駆け上がった。
ヒルダが前に大きく踏み込んだと同時に、直時は左前に摺り足で進む。退くことも仰け反ることもしない。右肩先を黒剣が掠めた。初撃の回避に成功。彼は移動で体から離れた右手を引き付ける。その際、捻りを加えられた槍の石付きがヒルダの胴、体の中心線へ跳ね上げられた。
――ゴキンッ。
鈍い音と共に石突きが逆の軌跡を辿る。弾かれた勢いのまま退いて、最初の構えを取る直時。彼の攻撃はヒルダの左拳に迎撃されていた。殴って弾いたのだ。
(今のは何だ? 体捌きと槍の動きが連動しているようで予測がつかない)
侮っていた直時の攻撃に虚をつかれたヒルダである。直時は握り手を背後に隠したままだ。袈裟懸け、横薙ぎ、薙ぎ払い――……。手加減しつつも繰り出す斬撃は鋭い。ヒルダの攻撃を避けるたび、直時の槍は予想もつかない角度から反撃を返す。攻防を繰り返す内にヒルダは気付いた。直時は避ける動作における力の移動を右手に伝えている。振りかぶるのではなく追随する力を利用している。その力に捻りを加えることで、槍での攻撃に変化を与えているのだ。
ヒルダの口角が上がる。片手上段。肩口へと垂直に。直時は僅かに横へ。避け切れない。だが黒い刃は横へと大きく逸れた。
ここで直時は精霊術の使用に踏み切った。刀身へ一撃を加えた茶色の線は、そのまま剣を絡めとって耳障りな甲高い音を立てた。高速で流れる水流。その中を巡る角の立った石粒が刀身を削り折ろうとする。直時の複合精霊術、ウォーターカッターならぬ水砂カッターである。ビリビリと振動する剣をヒルダが力尽くで引き剥がす。黒い刀身に傷は無い。先に砕かれた短剣とはモノが違うようである。
「なんという頑丈な剣……」
「黒竜様から賜ったこの黒剣、その程度で折れると思うなよ?」
驚きを通り越して呆れる直時へ不敵に笑うヒルダ。
次に一歩を踏み込んだのは直時。水砂の鞭が横薙ぎに振るわれ、ヒルダは剣を立てて受ける。しかし、鞭は剣を支点に絡みつくように襲う。大気が撓み、次の瞬間弾けた。ヒルダの風の精霊術が直時の水砂の鞭を吹き飛ばす。
「ぷはぁっ。全然未熟じゃない!」
「いや。まだまだだ。だが遠慮は無用だ」
翼を広げたヒルダは地を這う低空飛行。切先を突き出し突撃。護風が周囲を巻いている。伸ばした鞭を弾かれた直時は土の精霊術。得意の『岩盾』をイメージ。人魔術ではなく精霊術、魔法陣無しで進路上に岩柱を林立させた。
「甘いっ!」
ヒルダの魔力が両腕に流れる。細い腕に破壊的な力と頑丈さが漲った。次々と砕かれる岩柱群。その粉塵に隠れて直時が接近に成功した。ヒルダの目前に水砂の鞭が唸りを上げるが、黒剣が風を纏って薙ぎ払う。
「後ろでしたーっ!」
直時が叫んで槍の柄を叩きつける。ヒルダの背に当たると同時に直時も腹部に鈍い衝撃を受けた。鱗に覆われた尻尾であった。重い! 肺の空気が苦鳴と共に絞り出され、堪らず飛び退く。ヒルダは体勢を少し崩した程度である。
「はいはーい。治癒しまーす」
フィアの精霊術、癒しの力が即座に二人のダメージを癒す。直時はともかくとして、ヒルダには治癒も必要ないくらいだが、どうやら出番を待っていたようだ。
「この程度で……。まあ良い。これで遠慮は無用だと判っただろう」
苦笑はフィアへ、後半は直時に向かってヒルダは言った。槍の穂先を使わないことに対しての苦言だ。
「了解。姉さん」
直時にもヒルダとフィアの配慮が理解出来た。くるりと槍を回してピタリと止める。小脇に挟んだ穂先はヒルダへと向いていた。
その後もヒルダとの手合わせは続いた。攻撃は少しずつ鋭さを増し、お互いに少しずつ傷つき、それをフィアが即座に治癒する。より鋭く、より激しく、力強い体術と精霊術の応酬。徐々に高みへと導くヒルダと、怪我を一瞬で治癒するフィアのサポートで、直時は自縄自縛の軛から少しずつ解き放たれる。最後には伸び伸びと力を振るうことが出来た。
槍と剣の鍔迫り合いと拳と蹴り、風が逆巻き砂塵と飛沫を吹き飛ばし影が揺れた。観客を巻き込まないよう二人は宙で向きあった。間合いは既に精霊術を主軸とした遠距離である。
「そう言えば火の精霊術はまだ拝んでいないな。火の精霊獣を手懐けたのだから当然使えるのだろう?」
「ホトリは手懐けたってか、勝手に懐いたって感じ。それに火の精霊って普通に見かけないんだよね」
自然に姿を見せる風や水、土や闇といった精霊と違い、火の精霊は火気が無い場所に姿を現さない。竈や焚き火でじっとしている姿を見ることはあるが、魔力を注ぐと制御が覚束無いほど暴れるという困った性質がある。火の精霊は取り扱いが難しいのだ。
「ならば、これで喚び出せるだろう」
ニヤリと笑ったヒルダは大きく息を吸い、胸の奥で魔力と練り合わせ勢い良く吐き出した。竜人族の固有術、吐息である。彼女の吐息は炎を得意としていた。
直時の眼前に紅蓮の炎が渦を巻いた。そこには確かに火の精霊達が舞っていた。
「風は炎の友 全てを巻き上げ焼き尽くせ!」
直時は炎の吐息と自身との間に酸素濃度を上げた上昇気流を作り出す。次に願う精霊は火の精霊。
(踊り狂え!)
直時の意を汲んだ精霊は、ヒルダの吐息を巻き込んだ風は爆発的な炎となって上空へ。虚空を焼く。ソヨカゼ上空に咲く巨大な炎は風と相まって地上までも暴風の渦に巻き込んだ。観客達の悲鳴が聞こえる。
周囲からかき集めた酸素が燃焼により急激に消費され、それを予測した直時は息を止めて後退。ヒルダの出方を伺おうとしたが、その炎を切り裂いて肉薄する人影が細めた目に映った。
「なんて無茶なことをっ!」
不意を突かれた上に、驚きで精霊術に集中出来ない。咄嗟に出した水砂の鞭も間に合わないと見た直時は槍を目の前にかざす。
――キンッ!
陽の光さえ断ち斬る黒い一閃。ヒルダの黒剣は直時の槍を握った右拳の少し先から断ち切った。はるか地面に落ちていく穂先側の半分。
「……参りました」
「うむ!」
煤にまみれた美貌に満面の笑みを浮かべるヒルダ。
「でもっ! でもっ! 俺の『盗賊の槍』がああああああああああ!」
空で声高に嘆く直時。
「す、すまん! まさか『銘入り』だったとは! しかし、えらくしょぼい銘だな?」
直時の悲嘆に暮れる姿に慌てるヒルダ。『黒剣』のように武器そのものに『銘』が与えられている業物は希少品である。直時の使う槍がそれとは思わなかったようだ。
後でフィアに盗賊からの戦利品だと聞き、直時には鉄拳制裁が下された。
複合精霊術は『水砂の鞭』で。