再会、それぞれの想い
次の動きへの序章と飛ばした分の言い訳……。
100話なのにゴメンナサイ!m(__)m
シーイス公国リスタルで直時達の宴が混沌を深めている頃、王都ヴァルンの王城の一室、軍務長官ヘンリー・ギルサンの執務室で二人の男が向かい合っていた。
ひとりは勿論この部屋の主ヘンリーである。従卒や秘書官を下がらせ、対面している相手は誰あろうジュリアーノ公王であった。侍従や衛兵は部屋の外で待たせている。公王がお側付きを外に会う人物は、公国においてヘンリーだけであった。軍事機密の流出を防ぐためだとか、政に重要な情報をやりとりするためだとか理由を付けてはいたが、信頼のおける臣下と忌憚のない話がしたかっただけである。
「――カールに敵対行動と取られる懸念があり、近衛は動かせません。東部国境沿いには表向きは要請通り、トリエスト回廊保持の援護名目で第一〇一及び二〇一騎獣偵察大隊を派遣しております。他に東山岳兵師団を国境線に貼り付かせ、後方アロウザ駐屯地に北と南、両山岳兵師団を集結させ待機させています」
先ずはヘンリーの報告に耳を傾けるジュリアーノ公王。
「空中騎兵はどうなっておる?」
「翼手蜥蜴隊は航続距離、氷象鷲隊は速度に不安が残るため王都防空に。他は全騎、白乙女山地山麓、雪竜の郷の境界近くに設営した臨時空中騎兵基地にて待機中です。命令が下れば、公国のどの方面へも即座に出撃可能です。雪竜隊は念のため、雪竜の長から召集があったとの偽報を流しました」
ヘンリーからの報告は主に軍の展開状況である。内容は剣呑そのもので、フルヴァッカの残党より同盟国であるカール帝国に対する兵力配置となっている。
「何とかかき集めてはいるが、戦力が足りぬな。ああ、西方師団からも兵を引きぬいて構わぬぞ。例の件、ものになった。茶番だが明日は面白い見世物がある」
「ヴァロアの件ですな。賠償は上手く運んだのですか?」
「あの国は方々に敵を作ってしもうたからな。ほぼ、こちらの言い値であったわ。しかし、渡りに船だったが此度の急激な軟化は正直言って解せぬ」
公王ジュリアーノが眉間に皺を寄せた。交渉当初の見積りでは要求の三割が取れれば御の字だったが、八割以上の賠償が支払われることとなった。その代わり、不可侵条約の早期締結と民間の経済交流復活が条件となった。国の体面上、侵略の謝罪は遺憾止まりとなったが、事実上は敗戦を受け入れた形となる。
リスタル防衛戦の戦後処理が早期決着となった背景には、戦いに敗れた事もあるがヴァロア王国が白烏竜の件で竜族から不興を買ってしまったからとされていた。いわゆる『竜禍』である。とばっちりを恐れた諸国が関係を断ったため、四面楚歌となったヴァロアが雪竜と盟約を結んでいるシーイス公国へ下手に出た。少しでも竜族の怒りを和らげるためだと分析されていたが怪しくなってきた。
かの国は、王家同士繋がりのあるエスペルランス王国とも関係が悪化している。特にラガ島強襲に際して援軍を派遣出来なかったことが響いた。苦渋の選択として、ヴァロア王国はシーイスへと密使を派遣したとされていた。
シーイス側にはつい最近侵略の手を伸ばしたヴァロアと和解することに思惑はあったが、同じようにヴァロア側にも何かあるようだ。
「カールの北灰洋艦隊はブリックとの衝突は避け帰港。まぁ海戦はブリックの方が上だからのう。エスペルランスはラガ島を奪ったものの、海戦で流れた血が肉食魔獣を呼ぶ結果となり行動不能。央海はまだ荒れておるのか?」
「大小の肉食魚獣やそれを餌にする大型の鳥魔獣まで集まっており手が付けられません。今は危険海域になっております。商国マケディウス沖なので海運にかなりの影響が出ていますな。フルヴァッカ侵攻へと物資を優先した経緯もあり、ロッソから我が国への流通品が激減しております」
「ふむ。いい気味じゃと思っておったがそうもいかぬか。補給物資の供出はカールにもせっつかれておるしのう」
シーイス公国は農業、酪農が盛んであるが何と言っても小国である。生産量には限りがある。
「ヴァロアもしたたかですな。賠償金は払うが、その金で物資を買ってくれということでしょう」
「弱みばかりは見せられまいて。こちらにも益がある。精々足元を見てふっかけられないようにせねばな」
現在、ヴァロアの流通はほぼ国内だけになっており、今回の交渉は国外流通路の確保という一面もあった。
ヴァロア王国からの申し入れは一般人からは厚顔無恥も甚だしいが、国家の付き合いは普通ではない。密約、裏切り何でもあり、昨日の敵は今日の友で明日の敵なのである。地球でも、不可侵条約や停戦条約を馬鹿正直に守ったがために大損をした国もある。
兎も角、ヴァロア王国は国益を優先したようである。王族か貴族かは判らないが、関係各位の血気を抑える事が出来て、損得勘定に長けた実力者がいるようだった。
謁見では表面上シーイス公国側がヴァロアの使者を罵倒し、使者が個人的に平謝りしてみせるという茶番が演じられる予定だ。謝罪は彼の個人的な行動で、ヴァロア王国としては「ふんっ。済まなかったな」という尊大な見解を崩さない。
公式な使者にそんな言い訳が立つのかとも思うが、シーイス側はそれで良いと了承した。勿論王府の独断ではない。雪竜の長から許しも得た(興味を引かなかっただけという話もある)。
公王との謁見は入れ違いになったが、ヴァロアの使者は密書を交わして先程帰ったばかりだった。普通なら長期にわたる交渉を短縮出来たと喜ぶが、裏に隠れた事情を疑って情報部はヴァロア側の諜報へ力を入れることになる。
「例の件はどうなっておる?」
「竜姫からは色良い返事は皆無です。興味が無いとは思えませんが、机上の空論であると思われているようですな」
「絵に描いた城の王になってくれと言っても冷笑されるだけだろうな。次の段階には行けそうか?」
「ノーシュタットに二千。ヴァルンに五百ですな。入植はリスタル東の高地で既に直轄領として接収済みです」
シーイス公国全土から不当に酷使されていた獣人族を保護、ノーシュタットとヴァルンに保護していた。人身売買組織や奴隷商は捕縛され、財産を没収されている。リシュナンテがティサロニキを去り際に直時へと粛清を仄めかしたのは、実はこの計画が不自然に伝わったからであった。全ては隠密理に進められたため、不完全な情報がカールにもたらされたようである。
「ヒルデガルド殿にはこの構想と共に再度要請します。断られてもギルドを通して指名依頼を致します。それに加えて是非とも御報告したい事があります」
「申せ」
「竜姫の定宿に『黒髪の精霊術師』と『晴嵐の魔女』が姿を現しました」
「お前の耳にも入っておったか。これが吉と出るか凶と出るか……」
公王は直属の諜報組織を持っている。時を同じくして情報を得たようだ。ヘンリーは、少し考えた後口を開いた。
「ヒルデガルド殿が指名依頼を拒否された時は彼に――」
「それもひとつの手か……。黒髪の報告は受けておる。カール帝国のシーイス乗っ取りに見向きもしなかったのなら、案外使えるのかもしれん」
祖国を愛するが故に、祖国を試練へと進ませる決意をした二人の密談は夜を徹した。
高原の癒し水亭とその周辺は酷い有様だった。まさに死屍累々。酒精に撃沈された者とフィアとヒルダにぶっ飛ばされた者が横たわり、寝言や鼾がそこかしこから聞こえていた。放置されているのは冒険者と独身者で、殆どの住人達は回収に来た家族に怒られながら帰宅した。
「散らかしたままで心苦しいですけど、俺達もそろそろ帰ります」
「あら、何処にお泊りですか? うちは……空室は埋まってしまいましたね」
酔いつぶれた父、オットーに水を飲ませているアイリスが直時へと訊ねた。彼女も相当飲んでいたようだが、少し赤いだけで普段と変わらない。オットーの様子から母方に酒豪の血が流れているのだろう。
宿の空室は女性の酔客にあてがわれていた。流石にそのまま放置するわけにはいかなかったのだ。野郎どもはそのまま放置されている。ブラニーも床で大きな鼾をかいていた。
「今夜はミケさんちに泊めてもらうことになりました。うーむ、しかし酷い。明日、後片付けを手伝います」
あまりの惨状に直時が申し出る。
「ヒック。若い娘達は部屋に放り込んで来たぞぉ? ヒック。私の部屋も空けてあるから好きに使え。ヒック」
「アハハハハハハっ! タダトキぃ~、女の子いっぱいよ? あられもない姿の娘がいっぱいおっぱいアッハッハ! ――もいでやろうかしら?」
微妙にしゃっくりをしているヒルダと、笑い上戸の中に怖い台詞を混ぜるフィア。二人とミケが酔いつぶれた娘達を部屋へと運んだのである。ちなみに直時は触ら――もとい、運ばせてもらえなかった。
「うにゃー。それじゃ、帰るニャァ。タッチィはあんまり酔ってないニャ? ウチもすこ~し酔ったから、後は任せるのニャー」
ミケは普段より少し声が大きいくらいだろうか? それでも酔っ払っているようには見えない。直時は途中で厨房に逃げていたし、周囲の酔っ払い具合に引いてしまったのでそこそこ具合の良い酔いっぷりである。
ミケの任せるとは尾行に対する目眩ましの事だ。改造人魔術をひけらかすことは出来ないが、夜が更けた今、闇の精霊は最大限の効果を発揮する。直時だけでもミケの隠れ家が発覚する心配は無いと判断したようだ。
「それじゃ、また明日」
アイリスに挨拶をして宴を後にする直時。あからさまな酔っ払いエルフのフィアと、静かに酔っ払っているヒルダにびくびくしながら、自己申告の酔っ払いミケに続いた。
(やっぱり尾行はあるんだなぁ。ヒルダさん絡みか、俺のせいか……)
放った探査の風に複数の反応があった。影に隠れている精霊獣達も気が立っている。
「心配すんな。ダーイジョブ! まーかせて!」
小声で宥めた直時は周囲の闇の濃さを増す。視認不可となった時点で一切の気配を闇の精霊に消してもらう。ミケが小さく頷いて足を進めた。直時の頭の上には、いつの間に姿を現したのか闇の精霊獣クロベエがチョコンと乗っかっていた。
隠れ家へは何事も無く辿り着いた。ミケは人数分の寝床を用意するため家の中をひっくり返しはじめ、ヒルダは宿から持ってきた荷物から酒を出し、フィアは椅子に座るなりテーブルへ上半身を投げ出した。
直時は昼と同じく警戒魔術を編み、周辺への警戒を厳にする。精霊獣達も影から姿を現し、それぞれ配置へ着く。風獣フーチは風に、土獣ゲンは石床と同化、闇獣クロベエは闇に隠れた。水獣チリと火獣ホトリは迎撃担当であるが、姿を見せた途端にフィアとヒルダに捕まって遊び相手にされていた。
「ミケさーん。煙草を喫いたいんで、換気の良い所を教えて欲しいんですけど?」
警戒措置を取り終え、一息入れようと声を掛ける。トタタタっと走り回っているミケは無言。聞こえていない筈はないのに完全に無視であった。
「言葉遣い」
ヒルダがそっぽを向いたままぼそりと言う。宴の席で絡まれた原因である。フィアと同様に話せと言われたが、今更ながらに面映い。
「……ミケ」
暫く悩んでいたが、直時は小さく口に出した。顔が赤い。
「はいニャ!」
寝具を抱えたミケが足を止めた。満面の笑みと機嫌よくピコピコ動く猫耳と尻尾。直時は両手を挙げて降参のポーズをとった。
「煙草の煙が抜ける所はある? 無かったら外に行くけど?」
「台所はどうニャ?」
「調理場で煙草は気が引ける。外に行くよ」
「屋根にちょっとした板間があるニャ。ついてくるのニャ」
案内された二階の渡り廊下に、収納式の小さな階段があった。錘を結んだロープを留め金から解くと天井の一部が下りてきた。屋根裏の大小様々な箱をすり抜け、出入口と言うには小さい扉から外に出ると、傾斜のある屋根に水平の足場が組まれていた。
「物干し台?」
「洗濯物は庭に干すニャ。お星見用の板間なのニャ。日向ぼっこにも最適なのニャ」
シーイス公国に限らず、アースフィアには夏と冬の流星群を眺める習慣がある。大概は庭や公園で眺めるのだが、より高い場所で見ることが『通』とされている。家を建てた人物の趣味なのだろう。
「これだけ厳重に警戒、遮蔽、擬装してれば心配無いニャ。安心して一息入れるニャ。寝床の用意が出来たら呼ぶニャ」
ミケはそう言って家に戻った。人魔術、精霊術、さらに精霊獣の守護まである。それでも直時は闇の精霊術で視認阻害に周囲の闇を濃くし、『光学迷彩』を重ねがけした。煙草の火への配慮である。
「――普人族、普くあれと始母に望まれた人族かぁ……」
星空の下、床板に腰を下ろして屋根の傾斜に背中を預けた直時が呟いた。右手だけで器用に刻み煙草を丸めて火皿へ押し込む。吸口を咥え、初歩人魔術、着火の術式で出した炎から火を移す。
――スパッ。スパッ。ふぅー。
紫煙がたなびき、見上げた星空へと溶けていく。二口、三口。直時が吐き出した煙が風に揺れた。
「フーチか?」
細い鼬のような精霊獣が一瞬だけ直時の肩の上に姿を現し、また風に消えた。煙を散らせて遊んでいるようだ。酒で火照った体にフーチの起こす風が心地良い。
「エルメイア様からの依頼って他の『神人』も受けてたんだよなぁ」
直時はリッタイト帝国からの使者を思い出していた……。
ソヨカゼに接近した艦隊はリッタイト帝国のものだった。イリキア王国との戦闘を脇で見ていただけで、直接関係したことはなかった。鎖国中とのイメージがあり、先方から接触を図ってくるとは露程も考えていなかった直時達である。
《艦隊と接触。リッタイト帝国と名乗った。使者は第一王子シルムと言っている。戦闘の意思はなさそうだが不明。警戒して接近する》
《タダトキ殿。シルム殿なら儂も知っておりまする。言葉通り害意は無いでしょう》
直時からの念話はフィアとブランドゥ、ヲン爺とドゥンクルハイト、人魚族へと繋がっている。
《本当に危険は無いの? ヲンさん、根拠は?》
《リッタイト帝国とは長い付き合いです。王族とも面識はあります。何よりもクニクラド様が信頼する『神人』を守護神とする国ですし、タダトキ殿のことは伝えておいでです》
暗護の城はリッタイト帝国領内に在るし、神々が治める地が領域なら当然何らかの接触はあるだろう。直時は、「神人って他にも居るのか?」「個人情報は流さないでくれ」という疑問や愚痴を抑えて眼前に対処しようとする。
《……ソヨカゼは厳戒態勢のまま。マーシャさん達と護衛は砦で待機。人魚族は今の距離で包囲を継続。たまに浮上して姿を見せつけてやって下さい。リッタイトへは旗艦のみ接岸を許可。使者を受け入れます》
《了解よ。ブランドゥは上空哨戒を継続。私はタダトキと合流して誘導援護する!》
《お手柔らかにお願いしますぞ。儂と暗護の城からの者は会見場所の用意を致しましょう》
直時の決定にフィアとヲン爺が答える。
《それじゃあ噴水前広場で野外会見にしましょう。ドゥンクルハイトさん、同席お願い出来ますか?》
《地上を近付く者はおらぬ。我は構わぬが、仔等はどうする?》
《ハティさんとホルケウには砦周辺の警戒をお願いします。何も無いとは思いますけど避難した人達の護衛を頼みます》
魔狼、黒狼族の長が同席することで威圧を与えたい直時。一国を相手に交渉をするにはソヨカゼはまだ小さ過ぎる。ヲン爺の言葉を疑うわけではないが、折角作った新居である。簡単に攻められないように、出来るだけの牽制はしておきたい。
精霊術を操るのは、『神人』日比野直時、妖精族のエルフでメイヴァーユの加護を持つフィア、直時の刻印を持つ白烏竜ブランドゥ、黒狼族の長ドゥンクルハイトと海獣を従えた人魚族。加えて神々の一柱クニクラドの臣下もいる。戦力だけなら相当なものに映るだろう。
「いくらなんでも気負い過ぎだったよなぁ」
フィアの負傷がトラウマとなっていた直時。そのために現状で最強の布陣をもって出迎えたが、全てが杞憂に終わった事を思い出して赤面した。
リッタイトの王子シルムは最初の接見から最後の別離まで平身低頭だった。クニクラドの威光と思ったが違っていたようで、リッタイト帝国の守護神となった神人から、くれぐれも直時に対して粗相のないように念押しをされていたそうである。
会談は無理な要求や交渉は何一つ無く、お互いに名乗りあった後はリッタイト帝国の国情だとか、ソヨカゼで足りない物資とか、本当に当たり障りの無い話ばかりだった。しかし、世間話に混ざるようにリッタイト訪問の約束や、特に守護神である神人との会談の言質を取る等、抜かりのない使者振りを見せたシルムである。
直時の場合、ソヨカゼはまだまだ町とも言えない規模なので、国同士の交渉という意識は無く、「時間が取れれば遊びに寄らせてもらいますー。その時は事前に連絡入れますー」と言う程度の答えだったが、のらりくらりと確約を取らせないことが逆に評価されていたりする。
興味深い話の数々の中、直時が特に驚いたのが『神人』の話である。リッタイト帝国には積極的に関与している『神人』がいるというのだ。彼の御業で国民の大部分は『普人族の呪い』(直時としてはこの表現はどうかと思ったが……)から解かれたそうである。
バァルというその神人は普人族の因子を封じ、他の種族の因子を表に出すことで他種族への拒絶を抑制することに成功した。しかし、それは同じ普人族への反発を高める事になってしまった。リッタイトが西方諸国と相容れず、常に紛争状態である理由である。
ちなみに第一王子であるシルムは、普人族なら使えないはずの固有術を披露してくれた。腕を獅子のそれに変化させ、鋭い爪を伸ばして見せたたのだ。リッタイトの王族には獅子人族の血が濃く混じっていたようである。
神人バァルの研究は今も続いており、新たな異邦人である直時の来訪を待っているそうである。そして東西の断絶は、依頼主でありギルドを統括するエルメイアの思惑だった。無用の摩擦を起こさないために交流を抑制しているとのことだった。
「異世界の知識が役に立つかもしれないってのは判ったけど、俺は専門家じゃないからなぁ。聞きかじりの知識でどうにかなるものかねぇ?」
過剰な期待は重荷でしかない。直時にも何とかしたいとの想いはあるが、あくまでも出来る範囲でのことだ。
「まぁ、ぼちぼちやるしかないわなぁ。心配だってだけで来てみたけど、リスタルも順調に復興してるし、皆しっかりと地に足つけて生きている……。俺なんかがどうこう言うべきことなんて無かったのだろうなぁ」
宴の酔いに乗り遅れてしまい、更に独りになったことでだんだんと後ろ向きな感じになってきた直時。
そんな彼を元気付けようと散っていた精霊獣達が姿を見せる。フーチが肩に座って顔を舐め、クロベエが頭の上にモフっと乗っかる。座った脚の間にはゲンが鎮座し首を伸ばして顔を窺っていた。
ほっこりした直時は煙管を仕舞って、夜空の下で精霊獣達と戯れるのであった。
所変わって一階の居間である。ヒルダが取り出した酒を迎え酒というか追い酒というか、再び飲み始めたフィア達。寝床の用意が済んだところを捕まったミケも同席している。
「フィアちゃんは何故、今更『アスタの闇衣』で魔力を隠してるニャ?」
「そう言えばそうだな。ミケにはもう話してあるが、タダトキの『刻印』で魔力が増えたことは隠すほどでもあるまい。普人族から見れば、我等は元々大きな魔力を持つ種族と認識されているから、今更どれだけ保有魔力の差が大きくなろうが関係無いだろう? 監視している奴等に気になる者でもいたのか?」
ヒルダは、以前に較べて増えた魔力に対して一切自重していなかった。対してフィアは今、自身の魔力を撹乱していた。
「んーっとね……。ここの隠蔽と遮断は完璧みたいだし大丈夫かしらね。隠している理由はこんな感じ」
杯の中身をちびちびと飲んでいたフィアが、アスタの闇衣を解除する。突如として現れる高魔力源。ヒルダが驚きミケの顔が青くなった。以前のフィアとは比べ物にならない。今のヒルダを軽く凌駕する魔力量である。
「多分原因はこれね」
フィアは左腕を掲げてみせた。直時の左前腕を触媒にして再生した腕である。
「ちょ、ナニソレ! ハァ? フィアちゃん本人より左腕に魔力が集中してるのニャァ!」
魔力に敏感なミケが言う。元々フィアが持っていた魔力より大きな魔力が左腕に宿っていたのだ。
「生きた魔石とでも言うべきかしら? ともかく魔力の許容量がとんでもなく上がってるの。それにタダトキのあの力――」
「『存在の力』というやつか?」
「そう。それも感じられる。私にはそれを魔力へと変換することは、まだ出来ないのだけれどね」
直時が行う『存在の力』の増強は元の世界で言う仙道における『小周天』に似た我流の方法である。体の中心線が基本となっているため、左腕が起点となるフィアには逆に理解し難い感覚で直時の助言も今のところ無駄になっている。
「ズルいのニャッ! ヒルダっちも精霊術使えるようになってるし、ウチもタッチィの『刻印』をババーン! と、貰ってくるのニャ!」
走りだそうとしたミケの首筋をヒルダが捕まえる。
「――不味いのではないか? 普人族云々ではない、人族に限らず他の種族にとってもだ。タダトキの体は神器などより余程貴重な代物となってしまうぞ?」
ヒルダの懸念は、普人族より力がありなお力を求める同族である竜人族や他種族に対してである。普人族のように争いの武器として使うことはないが、強さのステータスとして利用されることを心配したのである。
「タダトキの体を、強化触媒として利用する輩は容赦しない。たとえ妖精族や竜人族、魔人族でも……」
フィアが据わった目のまま、低い声で答えた。酔い具合と相乗して恐ろしいオーラを放っている。
「それで続きなんだけどね。人魔術の『再生』系の治癒術で触媒となった者の特徴が施術対象に現れることは本来無い筈なのよ」
「確かに聞いたことが無いニャァ」
「タダトキの左腕、治癒は試したと言っていたな? 精霊術だけではなかったのか?」
ヒルダはいきなり斬りつけたときのことを憶えていた。フィアは確かにそう言った。
「精霊術の治癒は効果無し。人魔術の『肉体再生』はタダトキが嫌がったけれど試したわ。近い姿形の方が良いと思って、盗賊団を狩って材料に――」
「やっちゃったニャ?」
ミケがドン引きしている。
「――ってのは絶対に嫌だと拒否されたから、魚介魔獣とか食材として狩った魔獣で試したのだけど、全く効果無し。精霊術も人魔術も駄目だったから、自然治癒を促進するってことで死ぬほど食べさせたんだけど変化無かったわ」
魔狼ドゥンクルハイトの案だったが、食材がリバースして無駄になっただけでなく、何処かが裂けたようで最期には吐瀉物に血が混じってしまった。見かねた狐っ娘のエマが涙目しがみついてきたので中止したのだった。
食道や胃の傷自体は精霊術ですぐに治癒したので大事には至っていない。良くも悪くも精霊術の治癒はかなり万能なので様々な方法が試みられたのである。いざという時は「精霊術で治る」ということで、彼にとっては災難だったが、それだけフィアが必死になっていたとも言えるので、最初から最後まで律儀に付き合っていた直時だった。
「ところで二人共、『神人』って聞いたことある?」
「神々との間に産まれた子の事かニャ?」
「それは神人族だろう。族が付かないことから、固有の名称であると推測するが?」
「そうね。神人族も結構特殊な人族だろうけど、さらに特異な存在ね。タダトキのように異世界からの異邦人を『神人』と呼ぶらしいの。これはメイヴァーユ様、そしてクニクラド様とエルメイア様からもお聞きしたわ。そして、彼等は本来の世界と違うものをこの世界で得る。一番は寿命。生命力と言い換えても良い。元のそれより遥かに長い時間をこの世界で得るというの」
フィアはヒルダとミケの顔を交互に見る。初めて聞く話のようである。フィアは続ける。
「下位の異世界に来ることで、上位世界で使用していた不要となった『力』は、まず彼等の存在を存続させようとする力になる。その上で余った力がタダトキのように膨大な魔力や、普人族の始母のように御子に溶け込む能力などになるらしいの。余剰となった力はどんな奇跡にもなり得るけれど、アースフィアという世界の法にも影響されるようね」
フィアは神々との対話を思い出しながら語る。
「ということは――」
「タダトキの寿命は普人族より長い」
ミケの言葉を遮るようにヒルダが言う。肯くフィア。
「ふむ。フィアのタダトキへの態度が変わったのはそれが理由か……。発情でもしたか?」
揶揄するようなヒルダを睨むフィア。異を唱えたいが、そのことも切っ掛けではあったので否定したくても出来ない。
妖精族は本来その寿命故に性的欲求が希薄である。成人してから子を産む期間が長いため、伴侶を選ぶ目は厳しい。これは他の長命種にも言えることで、竜人族や魔人族、神人族(神人ではない)も同じである。
獣人族に関しては、種族毎に差があるため一概には言えない。短命なのは鼠人族で五十年前後、長命種では亀人族で五百年である。ミケ達、猫人族は意外と長命で三百年を生きる。
「……私は保護者よ。それにタダトキの左腕は私のせいだもの。それだけよ。ヒルダだって姉とか言わせてるし、そうでしょ?」
誤魔化したフィアは逆に問う。
「私は素直に可愛いと思っている。ま、弟分としてだがな」
ヒルダはプイッと横を向いた。最期の一言は照れ隠しだろうか?
「しかし……。そうか、我等と同等かより長く生きるのか……。これは訓練にも本腰を入れるべきだな」
「ヒルダっち、タッチィに戦闘ばっかり教えるのは止めて欲しいのニャ」
何か壮大な計画を目論んだヒルダにミケが食って掛かる。酔いと冗談に身を任せながらも日比野直時という一人の男に対する意識が微妙に、しかし、確実に変化していた。
翌朝、宿酔いの頭と身体に鞭打ちながら、四人は高原の癒し水亭の後片付けへと赴いた。治癒すれば楽なのだが、誰もしない。酒飲みの業というべきか、アースフィアには、「宿酔いを受け入れても酒を欲するのが真の酒飲み」であるという潔いのか駄目な人間なのか判らない言葉があったりする。ちょっと共感してしまう直時だった。
午前中を宿の清掃と知人への挨拶で過ごした。ブラニーやギルド、魔術店の若旦那達のところをまわった。
午後はミケの家の地下に設置した招き猫の石像に『影の道』を開きソヨカゼへ通路を繋いだ。ヒルダとミケを招待するためである。常人なら半日も闇の中を進むなど精神的な苦痛が大きいだろうが、闇の精霊術師であるミケとヒルダには苦もない道程であったようで、移動の道すがらソヨカゼの様子や聞けなかった分の近況を話していた。
直時達四人はシーイス公国とソヨカゼを行き来しつつ、直時の新たな生活と新たな試みに驚きと助言と苦言を、必要物資の調達には協力を、高原の癒し水亭には新たな食材を持ち込むことで数日を過ごしていた。
闇の精霊術を使うミケとヒルダは『影の道』を習得しようと直時へ詰め寄ったが、無機物への刻印や遠方の闇の精霊の動き、そして、影の道発動に必要な膨大な魔力量に諦めざるを得なかった。そのため、移動は直時任せとなり、自然一緒に行動するようになってしまった。
今はシーイス公国リスタルの町、高原の癒し水亭食堂である。
「おやっさーん! 塩辛の評判はどんな感じ?」
「タダトキよ。これは何というか……。生臭い上に見た目がな……。正直言って売り物になってない」
「ぬう! 酒の肴にもご飯にも合うのに……」
「まぁ、この国は山国だからな。それより塩は有難いな。最近は品薄でな。食堂組合でギルドに依頼を出そうかと言っていたが、もっと供給出来るか?」
カール帝国のフルヴァッカ征服に伴い、物資がそちらに集中している。マケディウス沖の魔獣は未だ去らず物流が滞ったままであった。だが、直時が影の道で遠国から出入国出来るといっても運べる量には限りがある。
「塩くらいなら集中して運べばある程度は持ってこれるかな。嵩張らない荷で言えば他は香辛料くらいかな?」
塩に関して直時には裏技があった。精霊術である。海水を真空状態で気化させ、塩とその他ミネラルに分離。土の精霊術で成分分離して製塩するのである。シーイスは山国であるためヨウ素などはある程度残せば良いだろう。
香辛料に関してはリッタイト帝国から購入が可能だ。資金についてはクニクラドへ奉納した神器の報酬として、暗護の城増築で地下から出土した貴石を腐るほど貰ったのでそれで支払いは可能である。神器自体も魅力ではあったが、わざわざ集めている品を要求出来ないし、物資購入のための金と流通し難い大粒の魔石を報酬として選んだのである。
「それは有難い。塩に関しては王府から依頼を出すことにしましょう」
オットーと直時の会話に割り込んだ男がいた。
「失礼しました。シーイス公国軍務長官を拝命している、ヘンリー・ギルサンと申します。黒髪の精霊術師殿には先のリスタル防衛戦で大変な助力を頂きました。改めて貴殿の戦功に感謝と賛辞を――」
カウンター越しにオットーと話す直時へ、護衛を連れたヘンリーが深々と頭を下げた。
西方メイン、東方ちょこちょこで進めようと思ってます。