出発
微修正(H24 1/20)
直時とフィアは食事中であった。フィア特製山菜鍋と、直時が捕獲した魚の塩焼きがメニューである。鍋は例によって塩味であるが、淡白な味付け故に飽きがこない美味しさだ。魚は内臓を取り、開いた腹に塩揉みした香草を詰め、表面に軽く岩塩を振って小枝に刺して炙ってある。こちらも素朴ではあったが、上等な野外料理と言えた。
「はぐっ。あちちちちち! ほふっほふっ。あ、骨が挟まった」
豪快に齧り付いているのは誰あろうフィアであった。今は指を口腔に突っ込んで魚の小骨と格闘中である。
「いやまあ、あの飲みっぷりから想像はできたけど…。なんかこう納得いかない。ファンタジーなのに! あんなに綺麗なのに!」
ちょっぴり心の中の憧れのようなものが穢された気がする直時だった。
「さて、腹ごしらえも済んだことだし! 旅の前の持ち物確認です!」
野営の片付けを済ませた段階でフィアが直時へと宣言する。
「あーっと、了解。先に言っておくけど、俺は近所で買い物した帰りだからね? それと、お酒はあれで終わりだからね?」
「ちっ! もう無いのか……。まあそれはさておき、ヒビノは旅で必要最低限の装備は何も無し?」
「うぃ、まどまーぜる」
「意味わかんないし! はい! 全部出して!」
フィアの命令に鞄とポケットの中身を並べ始める。
まずは文庫本が新規と古本合わせて一七冊、新書三冊、漫画二一冊。結構な量である。鞄のサイドポケットに入っていたA5判の手帳(中身は住所録以外何も書いてない)三色ボールペン、黒ボールペン各一本。ポケットタオル1枚。ポケットティッシュ三個。銀製火皿と吸い口、黒漆桜絵の煙管(中型)一本。煙管用刻み煙草が二種類各三個。百円ライター二個(燃料部プラスチックが赤と青)。マッチ一箱。携帯電話。サングラス(自転車の風除け用)。茶革の財布と日本円三万二千852円。何の役にも立たないカードと名刺とポイントカード数枚。
「これと、そこにある自転車で全部」
立てかけてある折りたたみ自転車を指さす。(水筒代りに空になったワインのペットボトルを使おうとしたら、フィアに所有権を宣言された)
「使い方とか全く判らない物があるけど、とりあえず旅に必要な物は何も無いって事は判ったわ。あと、ヒビノって学者? 本の量が凄いんだけど」
フィアにとっては謎アイテムの数々。興味を惹かれつつも、必要な装備は無しと断じる。その上で、この世界にはない綺麗に印刷された本の山を指さした。
「本は全部娯楽だよ。お伽噺話とか絵本みたいなものかな? 学術書とか全然無いからね」
(役に立ちそうなものがなーんもないな)
開き直って胸を張る直時。
「小物とか本とかの異世界の品は追々説明してもらうとして、その手押し車はなんなの? 車輪が前後二個とか不安定過ぎるんじゃない?」
「そうかあ。ずっと押してたから使い方は判らないか。これは乗り物だよ。こんな風にね」
愛車に跨りペダルを踏む。路面が不安定なため、軽快にとはいかないまでもそれなりの速度で走りだす。
「おおお! 馬要らずの個人馬車? 凄い凄い!」
目を見張るフィアに、得意になった直時。
「こんなことも出来るぞぉ!」
鼻高々で重心を後ろにかけ、前輪を浮かす。いわゆるウィリーである。
―ドガッシャン!
調子に乗ったのも束の間、すぐに木の根に後輪を取られてひっくり返ってしまった。整地されている日本では無いことを忘れた報いである。
「あ痛たたた……」
旅に出る前に躓いた直時であった。
「結論から言います。ヒビノの旅への装備は皆無です。私の装備を利用させてあげるので、感謝して尊敬して恩に着るようにしなさい」
「――宜しくお願いします。くぅっ!」
見た目は年下の女性に頭が上がらず、何も言い返せない悔しさに涙目になっている。残念な美人エルフめ! とは心の声である。勿論口には出さない。
「ここら辺からだとロッソまで歩いて二週間はかかるか……。長い間ご迷惑かけまふ……」
やっぱり涙目であった。
「よろしい! じゃあ、旅の間ゆっくりとニホンってとこの話を聞かせてもらうからね」
「それはお互い様ってことで……では?」
「うん! 出発!」
異世界人と吟遊詩人の旅がとりあえず始まった。
力の限り愛車のペダルを踏む直時。息を荒げつつ、かつて無い速度を叩き出す。アスファルト舗装の無いただ踏み固められただけの地道。そこを走る折りたたみ自転車は3980円とは思えない速さだ。
「うわちゃあああああああ!」
横を掠める火球。速度の源は直時の生存本能だった。
「まだ追ってくるわねぇ。頑張るなあ」
暢気な声はフィアだ。
風の精霊術で飛ぶように駆けるフィアは、時折足を地につける程度だ。背後からの火球は全て風で逸らされている。直撃の心配は無い。
「ちょっ! 強盗ですかっ? 盗賊ですかっ? 神様が治める世界なのに治安悪いんじゃないんですかぁあああああああああ!」
矢が耳元を掠める音。恐怖を紛らわせるため、大声で叫ぶ直時。
「諦めが悪いわね。喰らいなさい!」
フィアから身の丈の倍程の竜巻が五つ、背後の盗賊達へと放たれた。
「避けっ! ぎゃあああああっ!」
弾き飛ばされる盗賊達。全員が錐揉みしながら大地と熱烈な抱擁を交わした。その後、起き上がってくる気配は無かった。
暫く距離を稼いだ後、汗まみれ、酸欠でチアノーゼ状態の直時とケロリとした顔のフィアが立ち止まる。
「全く! 普人族って、野蛮な奴が多いんだから!」
命を狙われたにしては、ちょっと怒っているだけのフィア。直時はハンドルに頭を凭れさせたまま、荒い息を吐いている。
「はぁっ。はぁっ。はぁっ…。ふぅー!」
何とか呼吸を取り戻す。
「フィア」
「ん?」
「これって普通?」
「これって?」
「あのっ! 盗賊とかっ! 攻撃魔術とかっ!」
「旅してたら当たり前よ?」
太い眉の間に深い皺を刻み、こめかみを揉む直時。
「この世界の一般常識にこんな危険なこと入って無かったんですが?」
「生存競争なんて、一般常識以前の事でしょ?」
「犯罪は生存競争じゃねぇーーーーーっ!」
「食べるための争いだからその範疇に入るんじゃない?」
直時にとってはびっくり理論が展開される。
(ちょっと待て! ここってこんな物騒な世界なのか? 俺はここでまったり生活なんて本当にできるのか? 自衛のために要塞が必要なんじゃないか? 重機関銃と迫撃砲と対地対空ミサイルと戦車を要求するぅ!)
激しく後悔と混乱の嵐が心中を吹き荒れる。
「神の教えは? 神霊の導きは? 精霊の愛は?」
「ん? 世界を拓け? 命を燃やせ? 傍にいるから頑張れ?」
「慈悲が無ぇーーーーーーっ!」
「自己の努力があたりまえじゃない?」
(おいおいおい! 異世界人の俺には釘刺しておいて、自分達の子は自由奔放なのかよ!)
直時はあまりの理不尽さに、世界に喧嘩を売りたくなってしまう。旅に出た初日、盗賊の襲撃を五度逃げ延びた二人は漸くゆっくりと歩む。
「なあ? 転写の一般常識じゃあ、争い事って種族毎の縄張りとか習慣とか侵さなければあんまり無いってなってるんだけど?」
「ああ。普人族以外はそんな感じかしらね。彼等だけは自分達の国を創ってはお互いつぶし合ったりしてるからね。たまに他種族に喧嘩売って大戦争とかもあるよ」
「――何で? そこら辺の所が一般常識に入ってないんですけど?」
普人族については直時にとって同じ種族と見做されるらしいから、詳しく聞いておきたいところである。
「んー。これはエルフである私の主観が入っちゃうから詳しく転写したくなかったのかもね……。普人族は人族としては最後に生まれた種族ってのは判ってる?」
直時は頷く。
神人族、魔人族、竜人族、妖精族、獣人族等、先に生まれた人族は大きな魔力、強い生命力、特殊な能力等を持っていた。較べて普人族は個体として極めて脆弱な存在だった。弱いが故に大きな群れを成し、その群れを統率するのは中でも強烈な欲望をもった者。しかし、いくらでも替えが利く程、種族で頭角を表す欲望を持つ者は多かった。
普く(あまねく)ある人族。『普人族』。彼等の個々の力は弱いが、その欲望、繁殖力(混血を成す力を含める)、群としての力は他種族に較べ凄まじいものがあった。
現在のアースフィア世界に於いて、各種族が自分達の定める住処を固守すれども拡張しないのに対して、普人族は常に拡散拡張増殖を求め、戦い、血を流している。過去においては、普人族と他種族の戦が多々あったが、個体能力の差と神々の干渉、そして何より普人族の欲望の強さによって殲滅戦は回避されてきた。
普人族が開発した人魔術はその使い勝手の良さが災いし、他種族にも簡単に習得され広まった経緯もある。
その捌け口として、普人族はこの大地において多数派となった同族に牙を剥いたのである。現在、国同士の戦争は小競り合いを除けば普人族同士のそれに限られているのだ。
「俺、普人族じゃない種族に入れてもらえないかな?」
平穏まったりゆっくりを旨とする直時の本音である。
「他種族には嫌われてるから無理ね」
「バッサリ斬られた! フィアってエルフだよね? やっぱり普人族は嫌いなのか?」
「種族間戦争は過去の話だけど、今でも売られたり、殺されたりとかあるからね」
彼女は言葉を濁す。出会って短くはあるが、初めて見る暗い表情である。
「なんだか町に行きたくなくなってきたな……」
同じくどんよりした直時。
突然フィアが前方に鋭い眼を向けた。
「どうした?」
「風が教えてきた。誰かが襲われてるっ!」
慌てて直時も眼を凝らす。街道の遥か先に炎が閃く。攻撃魔術だ。
「行くわよっ!」
飛び出すフィア。精霊術を使っているのだろう、あっという間に直時の視界から小さくなっていく。
「くっ! 急がなきゃ!」
ペダルに力を込めるも先行するフィアとの差は広がるばかり。
「俺にも力を貸してくれっ! 風の精霊達っ!」
そう。風廊の森で見えていた。半透明の虫の羽のような存在。フィアの手助けをする彼等に直時の声が届く。
精霊達の明るい笑い声とともに、直時の乗る自転車は加速した。
宙を翔るフィアは見た。
空気を切り裂き自分を置き去りにしていく直時を。
原稿ファイルが行方不明になってしまいました。うろ覚えでアップ(ry