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美味しい珈琲は如何?

作者:荷葉詩織
以前学校の課題で作成した掌編をサルベージ。テーマは「被災地とカフェ」です。カクヨムにアップしていたものをお引っ越ししてみました。
ちょっぴり切なくて優しい、みじかいみじかい物語です。感想お待ちしてます。
 からんころん、と涼やかなベルの音が響き渡る。
 ここは6年前の震災で被災地となった、とある町のまんなかにポツンと建つ、ちいさなちいさな喫茶店カフェ。――その名も「カフェ・ゆーとぴあ」
 周囲に建物は全くない。家も、店も、みんなみんな流され消え失せて。瓦礫さえ撤去され、本当になんにも無くなってしまった。
 ただひとつ残った此処だけが。あの日が来るまで、この町は確かに在ったと伝えてくれる。
 やわらかな陽光、春霞にけむる空は広く、蒼く。大地をデコレーションする若芽が眩しく映った。花の香を含んだ風が、そっとジャケットの裾と戯れ去っていく。――もう、6度目の春なんだ。
 だから。私は、此処に来た。



「ああ、いらっしゃい。めずらしいねえ、うちに客が来るなんて」
「いやその……ちょっと仕事で。あ、ブレンドお願いします」
「あいよ。甘くしとく?」
「……ありがとう、ございます……」
 照れくさそうにポリポリ頬を掻く、まだ20歳を少し過ぎたばかりとみえる青年は、羽織ったコートを脱いでスツールに腰かける。脇に置いていたショルダーバッグからずしりと重そうなカメラを取り出すと、
「あ、すいません。俺カメラマンなんですけど、差し支えなければ店内撮らせてもらってもいいですか? 個人的に撮りたいだけなんで、ネットにアップしたりはしませんから」
 店主と思しき恰幅のよい壮年の男性はにかっと笑って快諾した。
「へえ! 若いのに大したもんだなあ! かっこよく撮ってくれよ」
「はい。現像でき次第お送りしますよ」
「そりゃありがたい。こんなさびれた店でも、プロが撮るとやっぱり違うんだろうなあ」
 にこにこと満面の笑みで店主はカップにコーヒーを注ぎ淹れ、泡立てたミルクを垂らすと、表面に何かをさらさらと描きだす。それは見事なカメラのラテアートだった。
「わあ……! すごいですね! はじめて生で見ました」
「へへっ、どうだすごいだろ? ……死んだカミさんがさ、これからはこういう芸のひとつもできねえと儲かんねえぞってうるさくてよ。結局、ここがこんなになっちまったから、もう意味ねえんだが」
 溌剌とした表情を一転させ、店主はほろ苦く微笑った。深い皺の刻まれた目尻はうっすらと光っている。
「辛気くさい話になっちまったな。よかったら、お客さんの話もなんか聞かせてくれないか? どんなことでもいいからさ」
 美しいラテアートを写真に収めてから、青年はふっと小さく息を吐く。口許にはあるかなしかの薄い笑み。
「……決着を、」
 頬を冷たいものが滑り落ちる。ひやりと濡れた感覚がした。塩辛いそれがぽたぽたと木目のきれいなテーブルに丸い滴をつくる。
「決着をつけにきたんです。……あの日の自分に」



 2011年3月11日ーーpm2:46
 東北地方を未曾有の大災害が襲った。その被害の大きさなど、敢えて詳細に記すまでもないだろう。関連死も含めれば死者数は2万人を遥かに超え、普段はスポーツ大会やコンサートに使われる会場は、その多くが一面の死体で覆い尽くされたという。
 何より。毎年、3月に入ると各メディアが一斉に過去映像を流すせいで、日本在住の人々は大半が見知っている。平和で長閑なごく普通の町並みが、黒い波に包まれぐちゃぐちゃに溶かされていく、非現実な恐ろしい光景を。

 あの日ーー、「僕」は見捨てた。
 たったひとり、大切なんだって臆面もなく言えた「あの子」のことを。
 好きだった、はずなのに。守りたい、愛したい。ずっとずっと傍にいたい。死が二人を別つとしても。……そう、想っていた。思っていた、だけだったんだ。
 今も、頭の中を彼女が遺した最期の言葉が埋め尽くしている。
『どうか、どうか、生きて……生き延びて。私よりも、幸せになって』
 優しい、呪いのことのは。
 死が、今にも彼女を飲み込み冥界へ連れ出そうとしているのに。あの子はそんなことさえどうだっていいというように。ただ、「僕」の行く末だけを見つめていたんだ。
 掴もうとした彼女の手を。彼女自ら振り切って、笑ってさよならを告げてくる。
 リップの塗られた艶やかな唇が動いて。
 ありがと、そう言ったかに見えた。
 自分が助かることよりも。あの子は「僕」を優先し、あまつさえ幸せを願った。生きて、と祈るか細い声が、耳朶にこびり付いて今も離れない。笑っていたーー最期まで。
 あの子は笑って、死んでいったんだ。
 あの子の行く先が、きっと静穏で美しいところだといい。苦痛に満ちた最期を遂げたのならば、せめて。
「愛している」などと、どの口が言えたものだろう。たった1人の女の子さえ救えなかった、無力で愚かなこの自分が。それでも確かに、「僕」はあの子がいとおしかった。
 黒い波にとけていく、ちいさくて華奢な彼女の身体。手を伸ばし、もう届かないと悟る。そして、消えた。ーー跡さえ残らずに。
 今も、彼女の亡骸は見つからないまま。
(そして、それは、彼女だけでなく、)


 店主は一言も発することなく青年の告解に耳を傾けていた。声を震わせながら話を続ける青年からは留めどなく涙が溢れ、テーブル上を透明に汚している。
 しかし店主はそれを汚いとは思わなかった。ただ、青年が哀れだと思った。
 年月を考えれば、当時彼はまだ高校生かそのくらいだっただろう。大切な人間の死を背負う苦しみは、あの震災で妻を亡くした自分にも少しは分かる。でも、自分は既にあの時大人だった。だから死を乗り越えることは、難しかったけれども出来た。苦悩や痛みを飲み込むことは、いい加減慣れていたから。
 でも。繊細で柔らかく傷つきやすい心のままだった彼はどうだろうか。今もこうして向き合おうとする度に、見えない血が流れ出しているように思えてならなかった。
 けれどきっと、青年は労りも慰めも欲していないのだろう。彼が真に望むのは断罪なのかもしれない。けれどもそれは、店主には与えてやれないのだ。
 彼を裁く権利など、誰も持っていない。
 彼に罰を下せるのは、神様と彼だけ。

 カップに残された、冷めきったコーヒーを尻目に青年は席を立った。
「コーヒー、ありがとうございました。美味しかったです、とっても。……お話聞いてくれて、嬉しかった。……ありがとう」
 彼の手のひらから、チャリンチャリンと小銭が落ちた。受け取ろうとそれを手にし、店主は気付く。ーー現代の硬貨じゃ、ない。
 ばっ、と顔を上げ、絶句した。
 ーーそこには、誰もいなかった。
 ドアが開けられた音なんてなかったのに。忽然と彼の姿が消えている。何気なくテーブルを見て、あ、と店主は呟く。
「コーヒー、減ってない……」
 ゆらゆらと揺れる焦げ茶色の液体は少しも減っておらず、そういえば青年は一口も口にしていなかったと思い出す。まだまだコートの手放せない時期だからわからなかった。
 ……彼は、きっと、もうーー。

 カメラを描いたラテアートを寂しげに見つめ、店主は独りごちた。まるで、己に言い聞かせるように。
「お客さん、あんた……、バカだよ。こんな老いぼれ相手に謝るんじゃなくて、あの子のところにいってやりなさい。……きっと、あの子はあんたを待ってるはずなんだから」
 ふと、店主は死んだ妻の顔を思い浮かべた。
 ーーあいつは、俺を待っていてくれるだろうか。それとも、もう忘れてしまったのか。
 考えたところで詮無きことだと理性は告げている。それでも願う。
 また、君に逢えますように。それがどんな形でもいいから。

 ぽつんと置かれたままのカメラ。確かにここへ彼がやって来たことを証明するかのよう。一体何が写っていたのか。
 それは、今もわからないままこの店に飾られている。
 あの日から、何にもなくなってしまった町にある「カフェ・ゆーとぴあ」。
 ラテアートが得意な店主がたった一人で切り盛りする、ちいさくても温かい店。最近そこに、新しいウワサが加わった。

 ーー幽霊さえも涙を流す、とびきり美味しいコーヒーが飲めるんだってさ。

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