剣客物語外伝/平山先生秘話PDFで表示縦書き表示RDF


剣客物語外伝/平山先生秘話
作:閉伊琢司


 忠孝真貫流の剣客、平山行蔵先生は悩んでいた。


 何をそんなに悩んでいたかは後述するが、強いて言うならば、己の剣というものに迷いを感じていた。

 兵法に肝要なのは平常心である。いかに剣技を磨こうとも、平常心なくしては名人といわれる様な剣は振るえない。一流の剣客としては、悩みなど断ち切ってしまわねばならなかった…。
 そのようなわけで、平山先生、夜明け前から木剣を振ってみたり、居合いを抜いてみたり、はたまた井戸端にしゃがんで水をざぶざぶ被ってみたりしたのだが、曇った心は一向に晴れる気配がなく、あたかも歌を忘れた金糸雀(カナリア)のごとくであった…。

 さすがの平山先生も、とうとう屋敷内の道場に居たたまれなくなって、朝からぶらりぶらりと四谷界隈を当てもなく彷徨(うろつ)いていたのであった…。

 膨張した積乱雲が江戸の町に重くのしかかっていた。空が異様に低い…。
 墨汁を()ちまけたように真っ黒な空は、朝から一触即発の雨曇りであった。

「蚊帳ぁ〜、幌蚊帳……」

 首筋に伝う汗を拭いながら、蚊帳売りが担いでいた天秤棒を降ろし、怨めしげに暗い曇天を仰いだ。甲州道を行き交う人達は、皆うつむき加減で早足に通り過ぎてゆく…。

 遠くで雷が光った。

 次いで、下腹に響く大擂鼓が打ち鳴らされると、下駄の音がそこかしこで走り出す。噎せ返る様な蝉の声が止んで、にわかに大粒の雨が柿葺きの屋根を叩き始めると、慌てて雨戸を立てる音や、洗濯物を取り込む女の悲鳴などで一時辺りは騒然となった。

「これは参った。近くに知り合いの家はなかったか…?」
 濡れながら帰るには、四谷伊賀町にある自分の屋敷は遠すぎる。平山先生は、この辺りに住む見知った顔を片っ端から思い浮かべてみた。

「そうだ……。梅ヶ枝の所へ行こう…」
 梅ヶ枝は、四谷鮫ヶ橋仲町に住む、美人で評判の常磐津の師匠である。

 彼は、ばしゃばしゃと草履で水を跳ね上げながら、表通りに並ぶ煙管屋と瓦屋の間の木戸を潜り狭い路地に入り込んだ。両側に棟割長屋が建ち並ぶ路地の突き当たりに、産土神である稲荷の小祠と並んでひっそりと梅ヶ枝の家はあった。平屋だが一軒家で、以前は揉み療治屋をしていた年配の差配が住んでいたらしい。どういう経緯で彼女がこの家に住む事になったのかは、平山先生の(あずか)り知らぬところであった…。

 何はともあれ、平山先生は、二度目の雷鳴を聞く前に梅ヶ枝の家にたどり着くことが出来た。久しぶりの雨に祠の生け垣に咲く竜胆(りんどう)の花が精気を取り戻し、青く艶めかしく水に煙っていた…。

 平山先生が雨戸越しに呼ぶと、梅ヶ枝はすぐに家の内から現れた。
「あらまあ、先生ったらぁ…、びしょ濡れじゃありませんか。ささ、どうぞ上がってくださいな」
 歳は、二十六か七。当時としては、すでに年増の域に達しているが、彼女が色っぽい柳腰で歩く姿にはえも言われぬ色香が漂っていた。

「ふう…、助かった。合羽も持たずに出てきたから、往生したわい…」
「さあ、その濡れた羽織を脱いで下さいな。お風邪でも召したら大変です」

 女やもめに花が咲くと言うが、棟割長屋とは別あつらえの離れの一軒家には、香しい女の生活感が満ちていた…。

 洒落者の彼女は、例えば役者が好むような柄の着物を選ぶ。
 今日は、梅幸茶で小六染の小袖を着流し、友禅染めの帯を吉弥結びにして、京橋の坂本屋で買い求めた美艶仙女香という高価な白粉で、襟足まで抜かりなく粋な女を演出していた。 

 水茶屋で働いていた娘の時分、深川佐賀町の水油仲買問屋の主人に見初められて妾となったが、後にその主人が流行風邪で亡くなるとこの四谷に移り住み、今は贔屓(ひいき)に唄などを教え日々の生計として暮らしていた。

「どうしたんですよう、急にいらっしゃるなんて…?」
 鼻に掛かった声で小首を傾げ、何人もの男を手玉に取った必殺の流し目をくれる。

「いやなに、別にどうという程の事でもないのだ…。久しぶりにお前の顔が見たくなってなあ」
「まあ嬉しい…。どうか今夜は、ゆっくりしていってくださいねぇ」

 平山先生は、綺麗に片づいた八畳間にどっかり腰を下ろすと、ようやく人心地がついた気分になった。

「何にも有りませんが、さあさ、先ずはお一つ…」
 手桶の水で冷やした諸白をとくとくとくと猪口に注ぐと、平山先生はそれを、への字に結んでいた大口を少し緩めて、くいっと一気に乾いた喉に流し込んだ。

「おやまあ…。先生ったら浮かない顔をして。どうかなさったんですか?」
「ん? ………うん」

 平山先生は、少し酔いが回ってきたところで、梅ヶ枝にぽつりぽつりと数日来の悩みを話し始めた……。


――――――――――


 事の起こりは、数日前…。

「ほう! 先生、こりゃあ凄ぇや」
 武器の収集が大の好きという物騒な趣味をお持ちの平山先生は、弟子の勝小吉に自慢の愛刀を見せびらかしていた。

 先ずは、左門字作三尺八寸の業物を、黒漆塗りの豪奢な鞘からすらりと抜いた。折しも格子窓から差し込む晩夏の陽射しに、(にえ)の激しい乱刃がぎらりと光った。

「ほう…。これはこれは……」

 お次は、優美な仁王清長作の一振でこれも三尺八寸。地刃に沸づいた刃紋がなんとも美しい。平山先生、にいっと会心の笑みを浮かべるのであった。

「いや…。なかなか……」

 続いて白鞘の大和国東大寺作の三尺五寸は、平山先生が秘蔵の一振。匂い立つような直刃の刃紋も美しく、小吉は、はあっと恋に悩む少女の様な溜息をついたものである。

「うーん…。お見事」

 極めつけは、無銘の剛刀でなんと五尺もある厚重ねの野太刀。その刃引きの刀身をぞろりと引き抜くと、片手でぶんぶん振って見せながら高らかに豪傑笑いをしたものであった。

「むわっはっはっは!」

「うーむ………」
 小吉は唸った…。確かに平山先生の愛刀は皆どれも美事な物であったが、こうあからさまに自慢されては、小吉としてもやはり面白くないというのが正直な感想であろう。

「どうだ小吉、美事であろう?」
「そうですねえ…。でも先生、刀は長けりゃ良いってえもんでもないでしょう?」
 こう、やり返したものであった。

 当時の武士が帯びる刀は、二尺三寸が定寸と決まっていたので、平山先生の刀は、どれも常識的に見て明らかに長い。ちなみに言うと、三尺八寸は約115センチ、五尺では約151センチもある。

「な、何を申す。刀は長い方が良いに決まっておる!」

 勝小吉は、幕末の傑物勝海舟の父で、息子を凌ぐほどの粋で豪気な男であった。いくら剣の先生とは言え、こう頭から決めつけられては引くに引けない。

「お言葉を返すようですがねえ、先生。長い刀は危急の時など咄嗟に抜きにくい。それに狭い室内で振り回せば、下手をすりゃあ鴨居に引っ掛かって、ものの役に立ちゃあしないでしょう?」

 そうぴしゃりと言われては、平山先生も短気な性分、とうてい引っ込みがつかない。豪傑顔を朱に染めて立ち上がった。

「馬鹿者! それは、扱い慣れていないからそうなるのじゃ。長い刀も、常日頃から手にしておれば、次第に使い勝手も良くなってくる」


――――――――――

 わたしゃ〜 どうでも〜こうでも〜 あの人ばかりは〜 あきらめきれぬ〜〜


 てん…てん……と雨音に抗うように、三味を爪弾く音がしんみりと流れる…。

 平山先生は、大きく一つ溜息をついた…。

「おぬしは、どう思う…?」
「……どうって、何がです?」
 梅ヶ枝が先生の猪口に酒を注ぎながら軽く(しな)を作った。彼女も酔いが回ってきたらしく、頬に紅がさしたようになっている。

「何がって、お前、ほら…、短いより長い方が良くはないかって話よ」
「そりゃあ、私は長い方が好きですよ……。だってほらぁ、奥に当たる感じが良い具合なんですもの……」
 平山先生は、笑顔を見せた。
「そうか、そうであろう。長い方が良い決まっておる。……うん、そうじゃ、そうに決まっておる……」
 嬉しそうに酒をくいっと(あお)るのであった。

「でも、先生…。長さもそうですけれど……、私は反り加減も大切じゃないかって思うんですよぉ…」
 平山先生、ぴしゃりと膝を打った。
「うん、そうじゃ。反り加減は確かに重要じゃ」
「あら…、やっぱり先生もそう思いますぅ?」
 梅ヶ枝は、平山先生の広い肩にしなだれかかった…。

「反りは刀の命じゃ。最近の数打ち物は、反りの加減が不味くてどうもいけない」
 平山先生は、次第に調子づいてきたらしく、手酌でもって猪口を盛んに口へと運んだ。
「そこへいくと、粟田口や一文字などの名刀と言われる古い物は、やはり野太いなかにも美しい反りを美事に醸し出している…」
 うん、実に美しいもんじゃと、にやけた口にくいっと酒を流し込むのであった。

「ねぇセンセ……。そろそろ床を敷きましょうか?」
「…ん? うん……そうだな」

 雷鳴が響く。平山先生は、再び遠い目になった…。

「………あの馬鹿共さえ、やって来なければ」


――――――――――


 平山先生と弟子の小吉が、長い方が良い、いや良くないとやり合っている所へ、折りも悪く、道場の玄関式台から大声で呼ばわる声がした。

「真貫流の平山行蔵先生に一手御教授願いたく参上つかまつった!」

 平山道場には、よくこの手の輩がやって来る。
 なにしろ、『他流試合勝手次第!』と看板に堂々と謳っているものであるから、巷では剣術の盛んなご時勢でもあり、多少なりとも腕におぼえのある者が、然らばと貧相な板門を潜るのも無理からぬ事であった。

 さあ、刀の長いの短いので弟子の小吉と口論になっていた手前、平山先生、四尺余はあろうかという大振りの木剣をびゅんびゅん唸らせながら、押しかけた七人の腕自慢達を道場の稽古場に通した。

 平山先生、一同をぐるーりと睨め廻して言ったものである。
「それでは、ご一同。これより、まとめてお相手致すゆえ、さあ、思う存分に掛かって参られよ!」
「なにおぅ! 我ら七人を同時に相手すると申されるか!? ううぬ…、おのれ小癪な。増上慢にもほがある!」
「能書きはよいから、さっさと掛かって来んか!」

 と言うような問答の末、一対七の勝負となったわけであるが、『常在戦場』を座右の銘とする剣客平山行蔵先生の事、七人掛かりとは言え一寸ばかり腕の立つ(にわか)名人ではてんで相手にもならず、さんざ打ち据えられた末に這々の体で引き上げていった。

「むわっはっはっは!」
 と平山先生、一際大きく豪傑笑いをしたものであった。

 さて、ここまでならばさしたる問題にもならなかったのだが、この平山先生が叩きのめした七人というのが、江戸でも屈指の名門道場『撃剣館』の門弟であったのにくわえ、七人のうち三人が骨を砕かれ二度と剣を持てない身体になってしまったから大変である。

 撃剣館は、門弟三千人を超える江戸でも屈指の名門道場で、武家や豪商の支援者も多く、また、渡辺崋山など当時一流の文化人なども籍を置いており、決して敵に回してはいけない相手であった。
 さらに、竹刀での稽古が主流の剣術道場において、野太刀のような大振りの木剣で叩きのめしたというのが非難を呼んだ。

 さすがの平山先生もこれはまずい事をしたと思い、弟子の小吉に詫び状を持たせたのだが門前払いを食らったうえ、果たし状ともとれる書状が、後日平山先生の元に届いたのであった。

 差出人は、撃剣館の道場主である岡田十松。神道無念流の達人にして禅の探求者でもあった彼の書状には、概ねこの様な事が書いてあった。

―――剣の勝負においては、己に劣るには勝ち、勝るには負け、これ皆ことごとく妄想虚事の畜生心にて、一切埒のあかぬ事と心得られたし。なれば、刻々工夫修行して畜生心を離れ、自性本然の中に勝利の備わる事を自得し、人生天理の自然に八面玲瓏、豁然と大悟せる事こそ剣の妙奥なり。

 要するに、世の中強い者が勝ち、弱い者が負けるのは当たり前であって、やみくもに勝利にばかり拘るのは愚かな事である。その事に気付かない限り、あなたは絶対に私には勝てませんよと言っているのである。

「…ううむ。……おのれ、岡田十松」

 試合は三日後…。

 さしもの平山先生も肝を奪われ、何となく暗示に掛かった様に心中を暗雲が垂れ込めたのであった……。


――――――――――


 そんな訳で平山先生、三日後の試合の事が気に掛かり、床入りしてからも何だかぼうっとしていた。

「んもう、先生ったらぁ…。どうなすったんですよう。今日は、さっぱり気が入らないじゃ有りませんかぁ」
「……うん?」

 雨戸の隙間から閃光が差し、一呼吸遅れて雷鳴が障子戸を大きく揺るがせると、雨足はいよいよ強まり柿葺の屋根に石の礫のような大粒の雨が降り注いだ。夜具の上に雨漏りが滴り落ちる…。

「あたしゃもう、疲れちまいましたよう。今度は、先生が上になってくださいな…」
「……ああ、そうか。……これは、済まん事をした」

 体を入れ替えながら平山先生は、もう一度、岡田十松との試合を頭の中で組み立ててみる事にした。

―――敵は何と言っても名門、神道無念流の岡田十松じゃ。やはり、最初は諸手左上段から間合いを詰め、一気に面を取りに来るであろうな…。しからば、儂は下段から後ろ足を引いて脇構えでこうやって腰を捻り、えいっ!

「ああ…。先生! それ、凄くいいわぁ……」

 雷鳴。

―――いやしかし、もし敵が試合巧者ならば、相中段から小技でこちらの右小手を奪いに来るかも知れん。その時は、やはり上段に戻して左から半円を描くように…こうして、やあっ!

「いやぁ…、センセ! そ、それ…とっても気持ち良いっ!」

 再び雷鳴。

―――いやいや。相手は音に聞こえた名手じゃ。下段から右足を踏み込み、鎬ですり込みながら諸手で水月を突いてくるかも知れん。そうなれば、儂は直ちに左から位詰めに進み剣先を下から跳ね上げ、そえっ! 

「ああん! もう駄目、セ〜ンセっ! 私、どうにかなっちゃいそう…」

 少しくぐもった雷鳴。

―――いやいやいや。敵を侮るな! 相手は飛ぶ鳥を落とす勢いの撃剣館。恐らく意表を突いて遠間より八相から大技を狙い、諸手大上段に振りかぶって落雷の如く袈裟懸けで一気にこう斬り下げてくるやもしれぬ。ええい、小癪な! なれば儂は小足三歩で素早く間合いを詰め、入身になると同時に下段から切っ先を摺り上げて必殺の一撃を、つりゃぁ!

「ひいぃっ! もう嫌ぁ…。私、腰が抜けちゃうぅ…」

 腰を揺るがす雷鳴が響き渡る。

―――ええい、面倒じゃ! こうなったら試合開始と同時に先手を取って怒濤の如く敵に詰め寄り、一撃のもとに敵の胸板を突いてくれる!

「あああぁぁ!」

―――そうじゃ、それじゃ! 何も考えずに、ひたすら突く! 突く!

「ああああぁぁぁ!」

―――突きの一手じゃあぁっ!

「あああああぁぁぁぁ! い、いくうぅぅぅぅぅ………」

 最後に、ひときわ大きな雷鳴が轟いた。

―――うっ……。

 剣客平山行蔵は、己の中に(くすぶ)っていた迷いの全てを吐き出した…。


―――うむ…。

―――これじゃ…、これで良いのじゃ。何も、深く考える事は無かったのじゃ……。

「わっはっはっは! 我、ここに至り剣の妙奥開眼せりぃーっ!」

―――

―――

―――

「………センセったら、凄いんだから………。私、もう死ぬかと思ったわ………」

―――それっ、剣術とはこれ即ち、殺伐する事と見つけたり!


 雨足は次第に弱まり、どこか遠くの方で微かに雷が聞こえた。

 剣客平山行蔵、四十一歳の夏であった………。


 完

( この物語は、完全なる創作であり、歴史的資料に取材したものではありません )


つまらない話で赤面しますが、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
エロをテーマに物語を組み立てたので、とっても変な作品になってしまいました。平山行蔵は、僕のヒーローなので、いずれは純粋な剣術物で描いてみたいと思っています。
(春エロス2008に出品しましたが、隔離部屋行きとなりました)













ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




◆BACK
小説家になろう