挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

ブックマークする場合はログインしてください。
<R15> 15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

天使のいる煉獄

歴史異聞録 ~神ならざる神の導き~

※この作品には、つぶらや独自の解釈が含まれています。現実とそぐわぬ点もございますので、リアリティを何よりも大事とされる方は、ご注意ください。
 アンリが砂遊びを始めたのは、自分で走り回り、一通りの会話が可能になった四歳の頃。彼は幼稚園のない日は、いつも家の近くにある公園の砂場に、足を運んでいた。だが、彼は砂の城作りや、水を含んだ砂による泥遊びなどといったものには、一向に興味を示さなかった。
 手で、あるいは家から持ってきたシャベルで、砂場の砂をかき出しては、その縁にかがみこみ、まるで漏斗に設置した「ろ紙」を破らぬように、水溶液を注ぐ学生を思わせる、そうっとした動作で砂を盛っていくのだ。無論その場には手やシャベルで盛られた砂が、こんもりとした山となって残る。
 彼がその作業を行う回数や場所は、日によってまちまちで、公園の隅々まで歩きまわり、実に六十七の砂山を作る日もあった。初めのうちは親さえも首を傾げたアンリの振る舞いだが、やがて彼が何をしているのかを理解した者は、納得と黒い安堵感を覚えた。
 彼は蟻の巣を埋めて回っていたのだ。何ということはない。子供が地面を這いまわる、数珠つなぎの胴体を持った黒い物体に関心を持つことは実際にあるだろう。
 それを追い回したり、踏みつぶしたり、六本の足と二本の触角を順番にもいでいくこともあるだろう。
 しかし、それは子供を成長させるための必要悪として済まされる。蟻は子供ならではの、無邪気な残虐性を遺憾なく発揮できる、良いピエロなのだ。

 五歳になると、アンリは蟻の巣に砂を埋めることを止めた。砂を埋めることは、だが。彼は公園にある水飲み場から、バケツ一杯の水を汲んできては、それを砂の代わりに蟻の巣に注ぎこみ始めた。
 最初,アンリは容赦なく、一つの巣にバケツ一杯の水を使用した。そのためバケツが空になる頃には、巣は周りの土ごと埋め立てられてしまい、残ったのは汚物を垂れ流したような色の、大きな水たまりだけだった。
 次に彼は、少しずつ水を巣の中に注ぐことにした。だが、バケツの水は、じょうろと違い、注ぎ口が付いているわけではない。アンリの予期せぬ角度と量で、巣に降り注いだ水は、先ほどの勢いではないにせよ、小指の先ほどの大きさの穴を消し去るのに十分過ぎる力を持っていた。
 しかし、アンリは辛抱強く、出会う巣穴、巣穴に同じ作業を繰り返す。半日経つ頃には、彼は銅銭の穴を通して、油を瓶に注いでいく油売りのごとき正確さで、彼は蟻の巣にバケツの水を注ぐことができるようになっていた。やがて巣からあふれ出した水の中に、何匹かの歩く黒数珠の姿を確認できた。
 小さな手足を振り回して、悶え続けるその格好を、アンリは無感動な目で数分眺めると、踵を返し、家に戻って行く。その日は、もう彼は公園にやってこなかった。

 アンリはそのうち、蟻の巣より蟻そのものに手を出し始めた。彼は数日の間は、蟻を溺れさせることしかしなかった。
 だが、そのうちマッチに点けた火で、蟻が熱で溶けていく過程をじっくりと観察したり、蟻を家に持って帰って、回っている換気扇の中に放り込んだりと、蟻の死にこだわるようになった。アンリは蟻にとっての理不尽な処刑人となりつつあったのだ。
 ただ蟻たちにとって唯一の救い――というのも変な話だが――が、アンリがまだ幼いということだった。もし、大人が相手であれば、更に残忍かつ陰惨な殺害方法を思いつくだろうが、アンリはまだ、原始的な手段しか知らないのである。
 アンリは蟻以外の動物には、このようなことを行わなかった。その理由は、蟻という生物の個体の多さ、巣の分かりやすさ、非力さにあった。
 外を出歩けば、たいていは目に入る生物であるし、その分巣も見つけやすい。また蜂などと違って、巣に近づいたところで、危険はほとんどない。中には例外な蟻もいるが、少なくともアンリの近辺に、危険な種類はいなかった。
 しかし、アンリは決して満足していたわけではない。条件が合う生物がいれば、彼は蟻以外でも、平然と殺戮を行っていただろう。ただ、五歳の彼は行動範囲が狭かった。公園を除けば、自宅と幼稚園くらいしかなかったのだから。彼は自分の望みに適合する生物を、探しに行くだけの力を有していなかったのだ。
 早く大人に、もっと強いものになりたい。日々蟻たちの死にゆく様を見下ろしながら、いつしかアンリの心の中は、そのような想いでいっぱいになっていた。


 アンリが行方不明になったのは、小学校への入学が決まり、その祝いで買ってもらった自転車を、補助輪なしで乗りこなせるようになった、六歳の頃。彼は早朝に、体一つで自転車にまたがって出かけ、それきり戻ってこなかった。
 数日間の捜査の末、自宅から数十キロ離れた山の中で、彼の物と思しき自転車が発見されたが、アンリ本人は、とうとう見つからずじまいだった。
 彼の両親は涙に暮れたが、周囲の人間にとっては数週間もすると、アンリの存在はもはや小さな過去の記憶の一部に過ぎなくなっていた。
 アンリの失踪から一ヶ月が経った頃に、遠い砂漠の国の首都で、ある事件が起きた。
 突如として、大量の砂が天から降ってきたのである。その勢いは、二階建ての建物を半日で完全に埋めてしまうほどで、殆どの民家の屋根は、一日にして地面のタイルとなり、人々の足でその身を踏まれることになった。
 大型竜巻によって、砂漠の砂が巻き上げられたことが原因との見方もされたが、竜巻が観測されたことは、その国ではここ半年間、皆無であり真相は分からずじまいだった。
 その翌日、別の国は記録的な豪雨に襲われた。十日間に渡って降り続けた雨は、川を怒らせ、数え切れぬ木々と家屋と人を押し流し、国土の半分以上が、糞と見紛う色の土をむき出しにした湿地帯と化す頃に、ようやく止んだ、
 更にその数週間後には、世界全体の四分の一相当の森林を持つ国で、大規模な火災が発生。建造物や生物もろとも、主だった樹林を半月かけて炭にしてしまった。同じ頃、別の国では、あらゆるものを吹き飛ばす強風が発生し、近現代文明の産物はもちろんのこと、何千年という歴史を持つ、遺跡をことごとく打ち砕いていった。
 あらゆる天災があらゆる国で次々と起こった。当初は被害を受けた国に支援を行っていた巨大国家も、自国で被害が発生するようになると、その対応に追われざるを得なくなっていた。
 この異状の原因を究明しようとする学者も各国に多数いたが、それもやがてはいなくなった。相次ぐ災害に対し、復興の人手が追いつかなくなってきたため、彼ら研究者が現場に駆り出される羽目になったからだ。
 災害は世界中で起こり続けた。火災が、地震が、雪崩が、大風が、必ず毎日、どこかの国を襲っていた。その度に、その国が保有していた、世界的な古代遺産も、未だ完成を迎えていない高度な論文も、極秘に研究していた世界を何度も破壊できる兵器も、土や水の底に沈んだ。
 生き残った人々は、残った資源を使い、自分の命を守ることに執着した。政治、経済、マスコミといった、これまで人間社会を陰日向になって支えていたものは、すでに個々人の思い出の中にのみ存在していた。
 生きるための戦いを続けるうちに、人々は見えざるものに怯えることを忘れていった。自分が生まれる以前に、存在していたものに対する畏敬。死という未来への恐怖。それら全ては、目の前の脅威に比べれば、あまりに些細なものだったからだ。
 もはや人間には、現実を理解する頭と、動くための体しか残ってはいなかった。


 災害の勢いが落ち着いてきたのは、新たな家屋が並び立ち、長を中心とする集落が形成されるようになった、数百年後のこと。災害の時代を何世代にも渡って、生き抜いた者たちが、新しい社会を作り始めていた。
 前社会は一部の者の間で、伝説として語り継がれるのみとなり、人々は荒れた土地を切り拓きつつ、狩猟を行う日々を送っていた。
 ある日、かつて世界に災害が頻発し出した時に、真っ先に砂で埋もれてしまい、今は草むらとなっている首都の上で、猟に出ていた男が、地面に突っ伏していた少年を助け出した。
 その子供は男が身に着けている、毛皮の外套とは明らかに違う材質の服を着ていた。その子の四肢は男のそれに比べて、哀れなほどに細く、青白い。
 この子が何者なのかという疑問を、男の頭が導き出すことはなかった。ただ、このままではこの子は死んでしまう、という判断が、男を動かした。
 男は少年を背負うと、自分の家に向かってゆっくりと歩き出す。しかし、少年の身を案じていたその男は、少年が倒れていた地面の周囲に、無数のこんもりとした、小さな砂の山ができていることに、気づきはしなかった。
(了)

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
感想を書く場合はログインしてください。
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ