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ふたりは聖夜に練り歩く

作者:淡園オリハ
 駅の入り口付近から街を眺めていると、赤や青、時々緑色の街明かりがぼやけて見えて、なんだか幻想的だ。
 いや、そもそも今日はすべてが幻想的だ。
 クリスマスという非日常の中ではなにもかもが尊いものに見えてしまう。

 普段はむかついてしょうがないカップルのいちゃつく姿も、まるで織姫と彦星の感動的な再会を見ているかのようにドラマチックで。
 生足を雪上に晒しながら居酒屋の呼び込みをするミニスカサンタのお姉さんは、まるで本物のサンタクロースのように、人々に笑顔と元気を配っている。ような気がする。

 そんなクリスマスの夜に恋人に会えば、それはさぞ感動的で魅力的な夜が過ごせるはずだ。

 足早にどこかへ向かう人々は、僕のように立ち止まる人の間をすり抜けていく。彼らは誰かを待たせているのだろう。
対照的に、スマホに視線を落としたまま動かない人も大勢いる。僕と同じように相手を待っているのだろう。

 恋人が来るのをじっと待つ僕らのその姿は、ペットショップの動物を思い起こさせる。
 一人、また一人と、相方が現れた人から駅を去っていく。その光景は、まさに引き取り手が現れた瞬間そのものだ。

 残り物の僕らは、次第に結束を強くしていく。
「頑張ろうな」「おう」「抜け駆け、すんなよ」「へへっ、お前こそ」
 そんな声が聞こえてくるようだった。実際、誰もそんなことは言っていなかったが。
 そうしてまた10分ほどが過ぎると、もうペットショップの動物は僕一人となっていた。
 結束が強くなったところで、所詮は他人。裏切るし、裏切られるのが人間なのだ。
 僕は人の世を憂う犬の気持ちになって、人間に生まれたことを嘆いていた。

 ひとしきり嘆き終えたあたりで、見慣れたコートが目に入った。彼女だ。
 颯爽と雪の降る町を歩く彼女は、僕より二つ年上。そして真っ直ぐで男勝りな性格。
 その性格を表したかのように真っ直ぐなブラウンのロングヘアは背中まで伸びていて、頭上では透明なビニール傘が揺れている。だいぶ雪が積もっていて重そうだ。
 大股で歩く彼女は、すぐに駅のなかへたどり着いた。僕の眼前で立ち止まる。

「ふう、寒かった……」

「お疲れ様。傘貸して、雪を払ってあげる」

「よいしょ、っと」

 彼女は僕が言うより早く傘をたたんで、雪をばさばさと払い落とす。
 あまりに近くで払うものだから、足に少しかかってしまった。

「……はぁ、遅くなっちゃった」

「ああ、時間? 明日は休みだよ? 別に、何も急ぐことは――」

「……切符買わないと」

「切符? いったいどこへ行くの?」

「なんだっけ、名前……えーと……一回行ったんだよな、名前なんだったっけあそこ。こ……こい……?」

「……こいじ?」

「あああ、そう、恋路! 名前がおかしすぎて忘れてた」

「ふつうはおかしな名前ほど覚えてるもんだと思うけどね……」

 彼女はその言葉を聞いていないように僕をすり抜けて、券売機へ。
 素早く切符を買うと、改札へ歩き出した。僕もそれについていく。

「なんか、久しぶり……恋路」

「まぁ、なんもないからね、あの辺」

「……思い出すなぁ、初めて行った時のこと」

「僕の両親に会ったんだよね、確か」

「めちゃくちゃ緊張してて、可愛かったなぁ……」

「やめてよ、恥ずかしい」

「なんか、昨日のことのように思い出せる……」

「……そんなに印象深かった?」

「……もう一度、会いたい」

「おかしなことをいうね、もう一度会うために向かってるんじゃないの?」

 彼女は答えなかった。
 怒らせてしまっただろうか。
 今のように揚げ足を取ったりしてからかうとすぐに腹を立ててしまうのが、長所でもあり短所でもあると思う。
 僕にとってはそういう子供っぽいところとかも含めて可愛い彼女なんだけど、彼女から見れば大人っぽくてかっこいい自分にプライドを持っているから、可愛いなんてほめた日には、拳骨が飛んでくる。
 まあ、それも若干照れて顔が赤くなっていたりするから、僕にとっては可愛いしぐさでしかないんだけど。

 そんなことを考えていたら、恋路駅に到着した。
 何もない、本当に何もない駅だ。
 周囲一面は田んぼで、近くに海があるから風が吹き付ける。厚着してきていなかったらどうなっていたことだろう。無人駅の切符入れに律儀に切符を入れて、彼女はやはり颯爽とした足取りで歩き出した。
 目的地は、僕の実家だ。

「やっぱり寒いねえ、風が冷たい、というよりは痛いね」

「…………」

 彼女は無言のまま、身体を抱くようにして寒さを耐え忍んでいた。
 顔を覗き込む。
 先ほどまでの勝気な表情は消え失せていて、何か、痛みを耐えているような、喰いしばったような表情をしていた。
 僕はあわてて自分のコートを肩にかけてあげる。雪国出身の僕は慣れているけれど、やはり関東出身の彼女にこの寒さは堪えるらしい。

「……あったかい」

「…………そっか、よかった」

 そのまま無言で歩くこと10分。見慣れた民家が見えてきた。
 田舎町だから、鍵なんかもかけていない。でもそれがなんだか暖かくて、来るものを拒まない感じが僕は好きだった。
 しんしんと降りしきるやわらかい雪の絨毯に、家から漏れる黄色っぽい明かりが投影されて、これまた幻想的だ。実家の明かりですら幻想的にしてしまうとは、クリスマス、恐るべし。
 彼女は少しコツがいる引き戸を手間取って開ける。律儀に玄関口で立ち止まると、大きな声であいさつをした。

「おじゃまします。すみません、夜分遅くに! あの、小岩井さん!」

 ほぼ叫び声のようなそれに呼応して、奥から見慣れた顔が走って来るのが見えた。サチだ。
 僕は何度もそうしたように腰をかがめて、サチの飛び込んでくるルートに身を置いて構える。
 さあ、いつでもこい!

「――わん!」

「ぇ……きゃぁっ!」

 サチは僕にとびかかると見せかけて、真後ろにいた彼女に飛びかかった。
 彼女は玄関から、靴箱の上に飾っていた幼いころの僕の写真を眺めていたから、サチに気付かないまま突進を食らい、そのまま後ろへ倒れこんでしまう。
 結果、可愛い声をあげながら雪の上にしりもちをつくという、またまた可愛い姿を僕に披露する羽目になった。
 サチ。ナイスだ。
 心の中で拍手を送っていると、背を向けていた廊下のほうから声が聞こえた。顔を見るまでもない、不思議と心が休まるこの声は、母だ。

「あらあら、えっちゃん、大丈夫かい?」

「あ、ああ、すみません小岩井さん……ちょっとよそ見をしてて」

「サチも久しぶりにえっちゃんにあえて嬉しいんだよ。さ、あがりな」

「サチ、普通に僕のことは無視したけどね、でもおかげで可愛い姿が見れたから許してやろうかな」

「おじゃまします。すみません遅くに」

 実家の少し古臭い匂いを嗅ぎながら、僕と彼女は家へ上がった。彼女はブーツを脱ぐのに手間取っていたから、先に居間へ向かう。

 少し前を歩くサチが足を踏み出すたびにぎしぎしと廊下が軋む。この廊下も、小さいころは大嫌いだった。
 友達の家はみんなリフォームをして綺麗になっていくのに、どうしてウチだけ……と、僻んでいたものだった。

 けれどこうしてたまに帰ってきたとき、20年前と変わらず軋む廊下を、僕は懐かしむことができる。
 変わらないものが変わらないままでいられる場所は、人間にとって必要なのかもしれない。
 立てつけの悪い玄関の引き戸も、軋む廊下も、のんびりした母親の性格も。
 変わることを強要されるこの世界で、変わらないままであればいい。

 そう、この、古ぼけた障子戸も、そのままで――――。
 そう思って、障子戸を引いた。

 いつも通りの居間。
 やけに厚みのあるこたつ布団、蜜柑。
 3分遅れた壁掛け時計。
 テレビだけは最新の、へんてこな部屋だ。

 その居間の奥、普段は襖で仕切られているはずの部屋は寝室で、今日は開けっ放しになっている。
 古い木とカビの匂いもそのままの寝室には、幼い頃の記憶と比べて一つだけ変化があった。
 僕と家族の寝室だったはずのその部屋に、何かがある。

 暗い寝室に向けて目を凝らす。
 和風の地味な部屋の左奥。黒と金の、化粧台らしきものが鎮座している。幼い頃の記憶にはないその物体は、地味な和室の中で異様な存在感を放っていた。
 居間をするりとぬけて、ソレのもとへたどり着く。
 仏壇だ。
 中央に置かれた写真には、屈託のない笑顔を湛える僕が映っていた。
 あんな風に笑えるようになったのは、彼女に出会ってからだろう。多分、隣には彼女が映っていたに違いない。

 遺影の中の自分を見つめていた。
 気が付くと後ろの居間に、彼女と母親がコタツを挟んで座っていた。
 彼女はブーツを脱ぎ終わり、母親はお茶を淹れてきたのだろう。湯気の立つ湯呑が二つ、用意されていた。
 もちろん、僕の分は、ない。

「わざわざ、今日なんて。いいのよ、えっちゃん。彼氏とデートにも行きたいでしょうに」

「いいえ、そんなことは。それに彼氏なんて居ませんし。私にとっては、キリストの命日というよりは、あいつの命日というほうがしっくりきますから、いいんです」

「えっちゃん……なにも、こんな日に死ななくてもよかったのにねえ……。本当に、人に迷惑をかけたままで、あの子は…………」

「小岩井さん……」

「えっちゃんみたいないい子が居てくれたってのに、あの子は、いったい何が気に食わなかったんだろうねえ……」

「……きっと、優しすぎたんですよ。あいつ。頼まれたら断れないし、私みたいな気分屋にも合わせてくれるし、不満、たまってたんだと思います。だから、気づけなかった私には、もう、一生…………」

 彼女が俯くのと同時に、母が口を開いた。
 普段のおっとりした声ではない。
 例えばそれは、僕が死にたいと母に告げた時のような、切羽詰まった時の声で、言う。

「なぁ、いいかい、えっちゃん。顔を上げな」

 母は両手で挟むように彼女の両頬を持って顔を上げさせた。
 彼女の泣き顔があらわになる。母は目をそらすことなく、強い眼差しを向けたまま続けた。

「あんたには、あんたの人生があるだろう。あいつには、あいつの人生があった。そのケリを、あいつは自分で考えて、つけたんだ。誰のせいでもない。自分の責任と、自由で、そう選択しただけさ。今になって、その自由や責任を肩代わりしようとしたって無理なんだよ」

「…………」

 悲痛、というほかない面持ちで彼女は唇をキュッと結んでいる。
 対照的に、母はそこまで言い切るとふっと口元を緩ませ、どこか自嘲気味に聞こえる声音で言った。

「だから、せめて、あんたはあんたの人生を、私は私の人生を、自分の責任と自由で生きていかなきゃいけない。あいつのぶんも。言ってること、わかるかい?」

「……っ、は、はいっ……」

 多分、多分だが。
 僕は彼女と母親に対して悲しみを与えてしまったのだ。それも、恐らく二人の人生にとって最も深い悲しみを。
 僕は自分の身勝手さを呪う。けれど、自死を選んだことは否定しない。してはいけないと思う。
 だから、身勝手だとは思うけれど、僕の居ない世界でも二人には笑って生きていってほしかった。

 母はきっと、彼女が僕の後を追うと思ったのだろう。
 彼女の真意は分からないけど、僕も彼女の姿を見てそんな気がしていたから、母さんが言ってくれた内容に、僕は心から同意する。
 二人には、二人の人生を生きて欲しいと願っている。

「あぁ、いけないね、歳をとると説教臭くなっちゃって……もう泣かないでおくれ、ただでさえ雪で湿気てるのに、もっと湿気てしまったらかなわないよ。家が潰れっちまう」

「すみ、ま……せっ、ん……なんか、止まらなくて……」

 がはは、と母は笑ったが、彼女はつられなかった。
 それどころか涙は勢いを増す一方で、母も僕も困ってしまう。
 けれど僕は、心の何処かで、こうも思っていた。
 嬉しい、と。

 彼女は、こうして泣くことがたまにあった。
 それは、誰かにとって嬉しいことがあったとき。
 それは、誰かにとって悲しいことがあったとき。
 そして、自分のせいで誰かが傷ついたとき。
 彼女はいつだって、その人を心から思って泣いていた。

 また怒られるかもしれないけど、僕は、彼女の、エリカのそういうところを美しいと思っていた。
 自分のためだけじゃない。本当に相手のために泣ける、そういうエリカの美点に憧れてさえいた。
 僕は今、この世界で最も美しい涙を目撃している気がして、震える。

 当のエリカは僕が見ているとも知らずに、まだ呼吸の整わない声音で言葉を発した。

「……僕は、エリカが、僕のために泣いてくれたなら、それだけで満足するだろう」

「えっちゃん、それは?」母が訝しげに尋ねる。

「あいつが、生前、言っていたんです。私に」あいつ、とはもちろん僕のことだ。

「……あの子が、そんなことを」

「私、あいつのために泣けたんでしょうか? 今泣いているのは、結局、自分が……悲しいからで、あい、つの……っ、いたみとかぁ……全然、わかっ、てやれてぇ……、なかったのかなって、思ってぇ……」

「えっちゃんがそこまで思っていてくれて、あいつが喜ばないわけないだろう? もうそんなに気負わなくていい。こうして来てくれるだけでも、あいつは天に昇るほど嬉しいだろうさ」

 その通りだ。
 僕はエリカが泣いてくれたことを、泣くほど嬉しく思う。
 エリカの気持ちが全て僕に向いていることを理解できたから。
 天に昇るほどかどうかはわからないけれど、たとえば幽霊が未練を果たして成仏するのなら、こういうときにするのではないだろうか。
 充足感、幸福感。身に余る暖かさに包まれて、僕は今満たされている。

 毎年、このクリスマスの夜にだけ、僕はこの世界に蘇る。
 他の364日の記憶はないから、仮説だけれど、僕はクリスマスの夜にしか蘇らないのだと思う。
 身体は戻らないから精神体のままで、僕は聖夜にエリカとデートをする。

 けれど、ふと、気になった。

 一度だけ、僕の行動がこの世界に影響を及ぼした瞬間があった気がする。
 あれは、そうだ。
 恋路駅から降りてすぐ。エリカと一緒に歩いている時。

 僕が寒がるエリカにコートをかけたとき、エリカは言った。
「……あったかい」と。

 僕が来ているコートを掛けたって、実際に暖かくなるわけではないのに。
 それでも、なにか理解の及ばないことがおきて、僕の想いがエリカに伝わったと言うのなら。
 僕の今日一日は、これまでの日々は、無駄ではなかったのだろう。
 エリカの寒さを和らげることができたのだから。エリカが僕のために、いま泣いてくれたのだから。

 先ほどから、身体が重い。
 うまく思考がまとまらない。
 もしかしたら、ほんとうに天に昇るほど、嬉しかったのかもしれない。
 何が?
 エリカの役に立てたことが。エリカが涙を流してくれたことが。

 それなら、ここで、お別れなのか。
 さいごに、すでに死んでしまったぼくにも、できることがあるとするならば。

 ぼくはかのじょを、えがおにしたい。

 ないているえりかも、うつくしいけれど。
 わらっているえりかも、かわいいんだ。

 ぶつだんのまえにすわる。
 みぎてをゆっくりとあげる。
 むかしならった、ちーんとならすこのかね。
 なまえは「りん」というらしい。
 うちならすぼうは「りんぼう」で、なんだかだんすができそうななまえ。
 ぜんりょくで、りんぼうをもつ。
 ちからがたりなくて、ぷるぷるとふるえるぼうを、いっきにりんにぶつけた。

「ちぃぃぃぃぃぃん……ちぃぃぃん――」

 しずかなよるに、りんのおとがひびく。
 えりか、どうか、こわがらないでくれ。

「――な、なんですか? これ」

「…………あぁ、あぁ。きっとあの子が、お礼を言ってるんだよ」

「あいつが……?」

「ああ。えっちゃん、泣いてくれてありがとうって、伝えに来たのさ」

「泣いてくれて………………」

 めを、ぱちくりさせてから、えりかはふきだした。

「――ふ、ふふっ、あはははっ、そうですか、あいつが。あっははははっ。 うん、確かにあいつらしい、ですね。泣かせた後に、ちゃんと笑わせてくれるんだ」

「……えっちゃんは、やっぱり笑ってたほうが、かわいいよ」

 かあさん、ないす。ぼくもそうおもう。
 ああ、もうなにもみえなくなってきた。
 もっと、えりかのえがおが、みたかった。
 さち、ありがとう。
 かあさん、ありがとう。
 えりか。ありがとう。

 ずっとずっと、わらっていてくれ。

 ずっとずっと、かわらないでいてくれ。

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