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ルーテン国英雄伝 ブラックボールの謎
作:ちょこみるく



初めての客 1


ルーテン国英雄伝  ブラック・ボールの謎
 
22の島からなるルーテン国。この国は、さまざまな民族によって成り立っていた。それぞれの民族たちは、自分たちの得意な分野で社会の役割をそれぞれ担っている。この英雄伝は、他の多くの英雄伝と同じように静かな暮らしの中にある、普通の少年から始まる。




「トム、僕が勝ったら許可してくれるよね?」

ウィルは剣を顔の前に据えながら言った。
さわやかな朝の風がウィルの焦げ茶色の髪をなびかせた。
「何度も言わなくても、分かってるさ。そういうのは、勝つ自信がある時に言うもんだぞ」
「……」
ウィルは真っ向からトムを睨みつけた。トムはウィルよりも頭一個分高い。おまけに体もがっしりしていて、やせっぽちのウィルとは対照的だった。どこの誰が見ても、勝敗が一目で分かる構図になってきた。
それでも、ウィルは恐れなかった。
前を見据え、腕を高く振り上げる。
剣の柄が太陽に照らされきらりと光った。
行くぞ!
ウィルは勢いよくトムの方に向って走り出した。
だんだんとトムが迫ってくる。
トムは余裕の表情を浮かべたまま、微動だにしなかった。

あと2、3歩。
ウィルは剣を腕にぐっと力を入れ、めいいっぱい振り下ろした。
金属と金属のぶつかる音が、静かな山奥に響き渡る。
剣を合わせたまま、ウィルはトムを睨んだ。
相変わらず余裕の顔だ。ぶつかった衝撃で、剣を握る手に痛みが走ったが、歯を食いしばり堪えた。
トムは、ライラック色の瞳を見つめ、ふっと笑った。
「力…強くなったな」
褒めの言葉に、ウィルは素直に喜んでしまう。
「でも、まだまだだ」
トムはそう言うと、戦意がやや落ちたウィルを後ろに跳ね飛ばした。
「うわっっ!」
ウィルはその勢いに乗って、後ろに仰向けに倒れそうになった。
が、何とか踏み留まることができた。
いつもは、ここでウィルが倒れ試合は終わる。
ウィルは浮かれた。
やった!堪えることができた!
だが。
態勢をしっかりと整え、トムを見た後肩を落とした。
「ゴホッ。ゴホッ」
トムは咳をしていた。つまり咳のために、ウィルを跳ね飛ばす力が最後に緩んだのは一目瞭然だった。
でも、待てよ。
ウィルは思った。
どんな理由があれ、勝ちさえすれば許可してもらえる。
トムはまだ激しく咳き込んでいる。
チャンス!
ウィルは足を踏み込んだ。
そしてトムの剣をめがけて、飛び込む。

ほんの数秒のことだった。

剣を打ち付ける寸前、トムの剣がぱっと視界から消えた。
そして気づいた時には、ウィルは生い茂った草の上に仰向けに倒れていた。
剣はウィルの手を離れ、遠くに飛ばされていた。
「甘いな。それにしても、毎朝毎朝懲りないな、お前は」
トムはウィルの近くに来て、見降ろしながら呆れたように言った。
「さぁ、早くあきらめてフランクじいの所に行ってこい!」
「……」
ウィルは、ぼんやりと透き通った青空を眺めた。
白い雲がゆっくりと動いている。
また負けた。
ウィルが剣の達人トムを恐れない理由。
いつも負けているからだ。
数えきれないくらい負けている。
勝ったことは、一度もない。


今日は、勝つチャンスだったのに。
ウィルはぼんやりと思った。
そこは、いろいろな種類の鉢植えの植物がある部屋だった。
フラスコや顕微鏡など実験道具もたくさん置いてある。
見るからに難しそうな学術書も本棚に入りきらないくらいある。
頬杖をつき、ぼんやりとしているウィルの目の前で、一人の小柄な老人が懸命に何かを話している。だが一言もウィルの耳を通過することはない。
これは毎日の光景だった。
ウィルはこの老人、フランクじいに午前中、薬の調合の仕方を習っている。フランクじいはウィル達から100メートル程離れたところに住んでいる。この山奥にはフランクじい、トム、そしてウィル。この三人しか住んでいなかった。フランクじいの授業は、恐ろしくつまらなかった。毎日毎日椅子におとなしく椅子に座ってるだけでも、ウィルは十分に自分を褒めたかった。この授業で「忍耐」ということを、ウィルは一番に学んだ。
「いいですか、ウィル殿。ギザギザが不揃いなのがハリハリ草で、揃っているのがオート草だ。これをまちがえると大変なことになりますぞ。それと――」
 ウィルはこれみよがしに大きなあくびをした。がたがたのテーブルについて向かい合っている老人はウィルの無礼な態度を気にもとめず話し続けていた。もっともフランクじいはウィルが目の前で堂々と寝ていても授業を続けるのだが……。
ウィルは目をこすり、フランクじいをぼんやりと眺めた。トムはフランクじいを優秀な医族の一人だと言っていた。そこはウィルも否定しない。ただ、ウィル自身が薬学を学ぶ必要性があるということはどう考えても納得がいかなかった。トムは頑なに将来のためだと言ったが、それが役に立つ時が来るとはどうしても思えない。
何しろウィルは医族ではない。もっとも、ウィルはそんな味気ない族でなくてよかったと思っている。ウィルはその勇ましさを誇る士族なのだ。

この世界にはたくさんの部族がある。それぞれどこかの族に属し、それぞれの自分の族に誇りを持ち、それぞれの族がこの世界で担うべき役割を果たしていた。正直なところウィルはあまり部族のことについては知らなかった。医族と士族、そしてこの世界の政治を司る、王族とも呼ばれる賢族、その他にもいくつかの族を知っていたが、一般の人々の五分の一ほどしか部族の知識を持っていなかった。
ウィルは、他の事と同様に、両親のことについてもほとんど知らなかった。ウィルが1歳にも満たない時に、亡くなったらしい。だから寂しいとかいった感情は、全くなかった。ふとたまに気になって、小さい頃からトムに両親のことを尋ねることも何度かあった。だが決まってその話題になると、「今日は、勉強はかどったか?」などと言って、トムはすぐに話題をかえた。ウィルが知っているのは、二人が病気で亡くなったということだけだった。トムはどうしても教えようとしないので、ウィルはいつからか聞き出すのをあきらめていた。

トム、トム・ソルンはウィルを小さい頃から、男で一つで育ててきたが、ウィルの父親ではなかった。親戚でもなかった。あまり詳しいことは知らないのだが、ウィルの実の父親の親友らしかった。
一枚だけお母さんとお父さん、そしてトムがソファに座ってにこやかに笑っている写真があり、それはウィルとトムが住んでいる家(家というより小屋と言う方が正しいかもしれない)に飾ってあった。この家には珍しく、豪華な金でかたどられた額縁に収められていた。写真の下には薄黄色の髪の小さなラベルが貼ってあり、「ラゼルとエレンと」と黒いボールペンで書かれてある。トムの筆跡だ。


とにかくウィルはこの世界のことについてほとんど何も知らなかった。異常なほど。家の壁に貼ってあるこの世界の地図を眺めては外の世界に思いをはせ、行ってみたいと熱望したものだが、トムはいっこうにウィルを外の世界に出してくれなかった。外の世界の様子も教えてくれなかった。好奇心旺盛なウィルにとってはこれはとても耐え難いものだった。小さい頃はよく勝手に一人で山を降りようとしてトムにこっぴどくしかられた。
「俺に剣で勝ったら、許してやろう」
なかなか山を降りることをあきらめようとしないウィルに、トムは言った。
その日から毎朝ウィルはトムと勝負をしている。

トムがウィルに学ばせてくれるのは、フランクじいのつまらない薬学とトムが教えてくれる剣術だった。トムは素晴らしい剣使いだった。やや年をとっても衰えることのないその動きは、息を呑むほどだった。この剣術は、ウィルは薬学と違ってかなり真剣に学んだ。ウィルは一見とても貧弱な体つきだが、この分野には意外と長けていた。トムでさえ、剣術に関しては、ある程度ウィルを認めてくれている。トムみたいな立派な士族になることがウィルの夢だった。

 
ぎゅーっとウィルのお腹が鳴った。フランクじいは自分の古びた腕時計を見た。銀色の立派な時計だ。フランクじいには不釣り合いだと、ウィルは内心思っていた。昔、フランクじいが何かの賞でもらった腕時計らしい。時計の裏には、この国の守り神といわれるペガサスの絵が刻まれていた。
「おっと、もうこんな時間。時間が過ぎるのは早いですな。今日はこれくらいでよいじゃろう。ウィル様、今日のをちゃんと復習しておくのですぞ。後々役に立ちますからな」

「なんで僕は士族なのにばかばかしい薬学なんて学ばないといけないんだ」
ウィルは家に、いや小さな小屋に向かって歩く途中、ぼやいた。今までこのことで何度となくトムに抗議してみたものの全く効果がなかった。もっと士族として役立つものを教えてほしい。ウィルは小さなふもとの町のむこうに見える青い海を見ながら思った。
いつか、自分の剣を手に入れ、あの海を渡るんだ。あと三年。ウィルは、成人を迎えたらここを出て行ってもいいと言ってくれた。もう大人とみなされるからだ。十八歳、その時になったらこの山奥から大きな外の世界に出られるんだ!やわらかな春風がウィルの気持ちをぐっと高揚させた。



 
ウィルが帰宅すると、トムはちょうど外で薪を割っているところだった。
「しっかり勉強したか?」
トムがウィルをちらっと見、薪を割りながら言った。
「いつもの通りさ、トム。本当に退屈だよ。それなのにフランクじいときたら……フランクじいは、僕が目の前で死んでいても授業を続けるんだと思うよ。それよりお昼は?」
トムは薪割りを止め、顔をしかめてウィルを見た。
「お昼はもう用意してあるよ。スープを温めておいてくれ。それとウィル、何度も言うがばからしいと思うことでも真剣にしなければならない。いずれお前の役に立つのだから。」
「はいはい、分かったよ、トム。そのうちちゃんとするよ。もうお腹がペコペコさ」
ウィルは家の戸を開けながら言った。家に入ろうとするウィルに、トムが背後から追いかけるように言った。
「今日は夕方に客がくるぞ。部屋をきれいに片付けておけよ」


その何でもないように思われる言葉がウィルの耳を通り抜けると、ウィルは硬直した。その意味不可解な言葉を理解するのに長い時間を要した。他の人にとってはごく日常的な言葉かもしれない。だが、ウィルにとっては、いやこの家にとっては違う。客なんてこのちいさな家には一度も来た事がない。フランクじいを客と呼ぶなら別だが…。

 期待するのは早いぞ、ウィル・カシュー。ウィルは自分に言い聞かせた。そうだとも、トムはフランクじいことを言ってるのかもしれない。
「フランクじいのことを言ってるの?」
ウィルはゆっくりふりかえって言った。その顔にはそうでなければいいという気持ちがありありと出ていた。
「いや、違う。別の人だ。かなり遠くから来るんだ」
薪をつかみながらトムは言った。そして、ゴホゴホとせきをした。トムの風邪は最近ずっと続いている。
「誰?」
「俺の親戚さ」
トムは目に涙をにじませながら苦しそうに言った。

こんなことは今まで一度も無かった。非常事態だ。緊急事態だ。
客なんてよぼよぼのフランクじいがウィルかトムが病気になったときなどに来るだけだった。スープをお皿によそおっているウィルの心は、好奇心ではちきれそうになっていた。ウィルの少ない知人が、今日一人増えるのだ。トムの親戚とはトムの兄弟だろうか、それとも従兄弟だろうか。ああ、夕方が待ちきれない。ウィルは壁にかかっている時計を見た。午後一時。夕方って何時だろう。五時ぐらいだろうか、それとも早めの四時か。遠くからっていったいどこからだろう。
家の戸が開いてトムが汗を拭きながら中に入ってきた。
「パンも切ってくれたか?」
トムが椅子に腰掛けながら言った。ウィルは全然聞いてなかった。
「トム、その親戚はどこから来るの?」
トムは少し顔をしかめて答えた。
「それは、もちろん士族たちが住んでいる島からだよ」
「突然来ることになったの?」
ウィルはパンをトムに渡しながらまた聞いた。トムはパンを受け取り、バターをぬりながら答えた。
「二週間前から分かってたさ。ほら、フランクじいがお前におれに渡すようにと封筒を持たせただろう?あの封筒の中身がそのことについてだったんだ。手紙を届ける仕事をする蟻族たちは、うち宛の手紙もフランクじいのところに送るからね。」
ウィルはミルクを飲んでいたがゴホゴホ咽た。あの封筒の中身が客についてのことだったなんて。またフランクじいのウィルの苦情かと思った。中身を見ておけばよかった。ウィルが、名状しがたい後悔にひたっているうちにトムは粗末な昼食を食べ終え、畑仕事をするために椅子からたちあがった。トムは、ウィルが何を考えているか理解したようだ。あきれたように首を横に振りながらウィルに言った。
「自分の思考にふけるのは結構なことだがちゃんと後片付けをしておいてくれ。お客を招くのにふさわしい部屋にしておけよ」
「あ、それとウィル」
トムは思い出したように言った。
「その客は何日間かここに泊まる。この家は小さいからもう部屋がないだろう。だから不便かもしれないが、ベッドをもう一つお前の部屋に置かせてもらうよ。俺の部屋は本棚でいっぱいでそんな余裕がないのでね。ベッドは、物置にある古いやつしかない。後片付けが終わったら水で濡らした雑巾で拭いておいてくれ。多少はきれいになるだろうからね。ほこりまみれだったし。」
ウィルはぽかんと口を開けた。数秒の間にまた新たな好奇心が山のように押し寄せた。何日間かってどれくらい?いったいどんな用事でわざわざ不便な思いをしてまで泊まりに来るのだろう。しかも、僕と同じ部屋で寝るなんて、その人は知っているのだろうか。

「じゃあ、ウィルお願いだからな」
トムはウィルに質問する隙を与えないようにそうきっぱり言って、家の隅においてあるカマとかごをとった。



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