2−4<裏>泡沫のボディーガード
「ソラ!!」
<今のは間違いなく皐月じゃ、追いかけるぞ光貴!>
「ああ!」
<術式、展開!>
ソラが一瞬だけ姿を現し、青白く光る指先で空間に術式を刻み、認識誤認の術式を展開した。
人目が多いと効果が薄くなるのが心配だが、幸いなことに周囲に人影は見当たらない。
俺は手前のビルに駆け寄ると、思いっきりジャンプする。
「はっ!」
壁を蹴って、小道を挟んだ反対側のビルへと跳び、再び壁を蹴る。
三角飛びの要領で俺はビルとビルの間を跳び上り、屋上へと辿りつく。
ちらっと下を見る。
スーツ姿の通行人が小道を歩いているが、こちらに気付いた様子はない。
認識誤認の術式は機能しているようだ。
「ソラ、どっちへ行ったかわかるか!?」
<そこから5時の方角じゃ。まだ追跡できておる、そう遠くまで離れておらん>
「よし!」
俺は5時の方角へ駆けだすと、屋上から飛び出し、向かい側のビルの屋上に着地する。
そのまま屋上を伝って人妖を追いかける。幸い、この一帯はビルが立ち並ぶオフィス街だ。
屋上を今度こそ全力で駆けながら、俺はポケットから携帯を取り出した。
ボタンを操作して、通話ボタンを押す。数回のコールで、相手に繋がった。
『私だ。どうした永瀬?』
「新野さん! 人妖を発見、現在追跡中です!」
『何!?』
「人妖は女子高生を攫って、オフィス街を北東に向けて逃走中です。新野さんは今どこに?」
『私はいま電車が駅に着いたところだ。すぐにそちらに向かう』
「わかりました。俺は引き続き奴を追います!」
長ったらしい会話は不要だ。必要な事項だけを告げて、俺たちは電話を切る。
人妖の姿はなかなか見えてこない。
(スピードは向こうの方が上か)
<奴め、お主の存在に気付いたようじゃ。突き放しにかかっておる>
「逃がすかよ!」
日が完全に沈み、うっすらと星が輝きはじめた夜空に、俺の身体が宙を舞った。
【皐月side】
意識ははっきりしているのに、身体に力がまったく入らない。
指先一つどころか喋ることすらままならない状態で、私は人ではないナニかに担がれている。
(何なの、これ……)
不安とか恐怖とかの前に、まず思い浮かぶのは疑問だ。
ちょっと委員会の仕事で学校を出るのが遅れたけど、私はいつものようにお父さんの会社に向かっていた。
駅を抜けてオフィス街に入って、そこで、
「ねぇ、君。ちょっといいかな?」
スーツ姿の男の人に声をかけられた。
帰宅する時間帯だから、スーツ姿の人は珍しくない。どちらかというと制服姿の私の方が珍しい。
「はい?」
相手の声がやわらかい口調だったこともあって、私はあまり警戒心を持たずに相手に接した。
「人違いだったら謝るけど、もしかして君は天野社長のご令嬢の方かな?」
「ええ、そうですが?」
それを聞いた途端、彼は破顔した。
「ああ、やっぱり。あの男の言う通りだ。天野社長の娘がよくここを通るって」
心底から楽しそうな声で、そんな事を口にする。
それと同時に、どこか彼に違和感を覚えた。
さっきまでは普通の会社の人に見えたのに、私の事を知った瞬間、何か別のものになったかのような、そんな違和感。
怖い――。
この時、私は初めてこの人を警戒した。
「それで、何か?」
尋ねる私の声には、露骨に警戒の色が含まれていた。
それと同時に、無意識に足が一歩後ろに下がっている。
でも、相手はそれを気にした様子なんて全くなかった。
「楽しいなぁ、人間ってほんとうに楽しいなぁ。警察との追いかけっこも楽しいけど、人間っていう生き物そのものが実に楽しい存在だよ」
それどころか、目はこちらに向いているのに、私の事などまるで見ていない。
「ククク、ちょうど夜がくる。間もなく夜がくる。俺たちの夜がくる……!」
そして、私は自分の目を疑った。
男の顔が、目に見えて変わっていく。
表情が変化したとかじゃない、顔の形そのものが変わっているのだ。
それも、ヒトの顔ではない、ナニかに。
口は耳のあたりまで裂け、鼻の部分が異常に突出し、耳は尖り、目は横へ鋭く伸びる。
顔が変わった後のそれは、どこか狐に似ていた。
「ヒッ――!」
恐怖の声をあげた私に、ソレは楽しそうに歩み寄ってくる。
「ようこそ、人ならざるもの達、妖魔の夜へ、お嬢さん」
ソレの目がかっと開いたのを見た瞬間、いきなり身体中の力が抜けた。
(え――)
崩れ落ちそうになる身体を、いつの間にか目の前にまで近寄ってきたソレが支える。
(いや!)
抵抗しようにも身体が全く動かず、喋ることもできない。
「さあ、楽しい夜のはじまりだ」
そして、人形のようになった私を軽々しく肩に担ぎあげると、ありえない跳躍をした。
5メートルぐらいの高さまで一気にジャンプしてビルの壁に張り付くと、私を抑えていない方の片手と両足で、尋常じゃない速度で平らなビルの壁をよじ登っていった。
「チ、厄介なのに見つかったか」
私を担ぎながら、ソレは忌々しそうに呟いた。
「追いかけて来やがるってことは、退魔の人間か」
(追いかけて来る? これに?)
ソレが走っているのは空中だ。
屋上から屋上へと飛び移り、止まる事無く再び飛び移る。
それも、人間じゃ決してあり得ないスピードで。
もう確信した、コレは人間じゃない――。
そう思った瞬間、一気に恐怖が心を支配した。
(いや! 怖い! 誰か助けて!)
暴れたくても身体は全身麻痺したみたいに動かない。
助けを呼ぶ声は、決して外へ届かない。
私の目には、涙がたまっていた。
「せっかくの楽しみを邪魔されて堪るか……!」
吐き捨てるように言い放ちながら、ソレはまた屋上を駆ける。郊外の方へ向かっているようだ。
オフィス街側の郊外なんて、何もないから誰も行こうとは思わない。
だから、普段は誰も寄り付かない、人気なんてまったくない場所。
そんなところに連れていかれて、私は何をされるのか――。
『ボディーガードぐらいはやりますよ』
ふと、昨日聞いた言葉を思い出した。
本人は気付かれていないと思っているだろうけど、皆とっくに気付いている。
普段はふざけているくせに、たまに私たちを見守るように優しい笑みで見ている事に。
年に合わず落ち着いた雰囲気を持っていて、傍にいて安心できる、不思議な後輩。
(助けて、光貴君!!)
私の目から、一筋の涙がこぼれた。
<むぅ、だいぶ距離が開いてしまったか>
「くそ、やっぱり奴の方が速度は上か」
焦る気持ちを、歯を噛み締めて抑える。
ここで焦ってはだめだ。冷静に行動しないと、先輩を助けられない。
「奴がどこへ向かっているかわかるか?」
<郊外の方じゃ>
ソラが即答する。サポートの良さは流石だ。
「やっぱり郊外か」
オフィス街の方面で人気のない場所と言えば、あそこが真っ先に思いつく。
それ故に、あそこは妖魔が隠れるポイントになりやすい。
(好都合だな)
だからこそ、この地域担当の退魔師である俺は、郊外の地形を完全に把握している。
あそこは戦いの舞台になりやすいから。
実際、少なくとも二桁に昇る回数の退魔をあの地で行っている。
俺にとってあそこはホームグランドの一つ、庭当然だ。
<っ! 郊外付近で奴の気配が消えたぞ>
「また人に化けて気配を消したな」
郊外に隠れるつもりなのだろう。
たしかに、あの周辺には廃墟になった建物が多くある。
あそこで気配隠遁に優れた人妖を探すとなると、人海戦術のローラー作戦ぐらいしかないだろう。
だが、それは地の利が互角ならば、の話である。
「行くぞ、ソラ。かくれんぼの時間だ」
<うむ、鬼は我らじゃな。些か奇妙な気もするが>
「妖魔にしてみれば、俺たち退魔師は鬼みたいなものだろ」
だから後悔させてやる。人に害を加えたことを。先輩に手を出したことを。
俺は郊外を目指した。
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