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闇の十字星

神話を織りなすもの

作者: 小倉蛇

 谷山タロウがタクシーを降りたのは埼玉県秩父市の山奥だった。

 そこから林の奥へと分け入っていくと、モダンなつくりの瀟洒な邸宅が見えた。

 昼下がり、空は快晴だったが、その家の玄関は夕暮れ時のように暗かった。

「ここか……」

 ここに大和田先生が、と彼は思った。

 文芸誌『魔海』の編集者から依頼され、小説家の大和田鷹夫を訪ねて彼はここまで来たのである。

 アルコール依存症のため長らく一線を退いていた大和田鷹夫は、半年前『魔海』に久々の新作「闇の探求者」を発表していた。

 しかし復帰第二作「闇の襲撃者」の完成後、彼は行方不明になっていた。にもかかわらず、翌月に第三作「闇の召喚者」、翌々月には第四作「闇の調停者」が『魔海』誌に掲載されたのは、どこからか原稿のテキストデータがメールで送られてきたためであった。

 編集者がメールの発信元に問い合わせたところ、大和田は、静かな環境で執筆に専念したいため東京を離れたが心配しないでほしいと返信してきた。そのため編集者はメールのやり取りだけで第三作第四作を雑誌に発表したのだった。

 当初から予定されていた短編四部作が完結したのを機にライターの谷山タロウは、大和田へのインタビューを『魔海』編集部へ申し込んだ。その旨を編集者から伝えられた大和田は、他人には知らせないという条件で現在の住所を谷山に教えた。

 谷山タロウは、現在二十八歳のフリーライターで、SF、ホラー、ファンタジーといったジャンルに関しては小説を中心に映画やゲームも含めて豊富な知識を持つことで知られ、著書もあり複数の雑誌に連載も持っていた。谷山は、下品、低俗と貶されることの多い大和田作品に、独特な愛着を持っていた。たんに好きというだけでなく、人間心理の暗黒と神秘思想の関連についての深い洞察を読み取り、高く評価していた。そのこともあって彼は大和田からも気に入られていた。復帰の際にも過去の作品を紹介する文章を寄せていた。

 谷山はもちろん大和田の復帰をよろこんでいたが、行方不明の一件には不可解な印象を持っていた。今さら静かな場所でなければ仕事ができないなどとは、彼の知る大和田の性格からすればあり得ないことと思えたのだ。

 彼はインターフォンのボタンを押した。

 しばらく間があってから「入りたまえ」と囁くような低い声が聞こえた。

 ドアに手をかけると、鍵はかかっていなかった。

 薄暗い玄関に立っていると、奥から声が言った。「私はここだ、上って来てくれ」

 谷山は勝手にスリッパを履いて、声のした部屋へ入っていった。

 その部屋は、カーテンが閉ざされ、照明も消されていた。皮椅子にサングラスをかけた大和田鷹夫が腰かけていた。

「すまんね。体調がすぐれないもので、もてなしもできないが」

 サングラスの男が言った。

「いえ、お久しぶりです。大和田先生」

「まあ掛けたまえ」

 大和田は妙にゆっくりとした動きで向かいのソファーを勧めた。

 谷山はそこへ腰を下ろした。

「谷山君だったね。憶えているよ。三年ほど前は一緒に飲み歩いたね」

「ええ、では、記憶が失くなったわけではないんですね」

「記憶? もちろんだよ、なぜそんなことを言うんだね?」

 作家はぎこちない表情で訊ねた。

「だって、誰にも告げずにこんな所へ引っ越してしまわれたもので、もしかしたらと」

「ふふ、ここはね、古い知り合いの別荘だったんだが、金に困って手放したいと言っていたので買い取ったんだ。静かでいいところだよ」

「体が悪いんですか?」

「いや、まあ疲れが溜まっているのかな。しばらく休んでいればよくなると思う。それに目が、光に弱くなってね。暗くてすまんががまんしてくれたまえ」

「それでは、ここから会話を録音させてもらっていいですか?」

「ああ、いいよ」

 大和田は、まるでエジプトのファラオのように背筋を伸ばし、両手を肘掛けに置いていた。

 谷山はICレコーダーを取り出すと、録音状態にしてテーブルに置いた。

「このレコーダー、同じ型の物を大和田先生も持ってましたよね?」

「ん、ああ、そうだったかな」

「持ってますよ。僕が使ってるのを見て、取材のとき便利そうだと言って買ったじゃないですか」

「ふむ、そうか」

「実は僕、先生が行方不明だと聞いて、あのマンションの部屋へ様子を見に行ったんです。鍵は、先生が泥酔して僕が部屋へ送り届けた時に預かったのをまだ持ってましたからね。そこでそのICレコーダーを見つけました。蹴り込んだみたいにソファーの下に転がってましたけどね」

「そう……、それで」

「録音されていたデータを聞いたんですが、あれは一体?」

「どんな録音だったかな?」

「大和田先生の声で、アルコール依存症の治療を終えて、また小説を書き始めた、というところから始まって、《怪奇現象資料館》とかいう所から招待状のようなメールが来ていて、そこを訪ねると、奇妙な声に自分たちのために神話を書いてくれと依頼される……というような」

「ああ、それはねえ」作家はゆっくりと抑揚のない声で話した。「うん、小説のためのアイディアなんだよ。自分の体験を録音していた人物が、最後に怪物に襲われて録音が途切れるという感じでね。ラヴクラフトの「ダゴン」のようなね、まああれは手記だけれども。それで実際に録音してみたらどんな感じかと思ってね」

「じゃあ、あれは演技だったんですか。しかし最後の方なんか真に迫っていましたよ。その後には得体に知れない雑音も入ってましたし」

「まあ、どうせならと思ってね、いろいろ細工をしてみたんだよ」

「なるほど、そうだったんですか。ところでその録音の中で、今回の四部作のタイトルにも言及されていて、その時点では最初の二作が完成して、三作目は途中まで書いたところだ言っておられるんですが、これは実際の状況を述べたものだったんですか?」

「うむ、そうだよ」

「つまり、この時点では第三作「闇の召喚者」の後半と、第四作「闇の調停者」はまだ書かれていなかったと……」

「そうだね、それがどうかしたかね?」

「編集部で原稿のメールを見せてもらいましたが、そのあたり誤字や誤変換が異常に多くなっていました。かつての大和田先生ならこんなことはなかった」

「そりゃあ、まあ、ブランクがあったからね。昔の私とはちがうよ」

「いや、それにしても、やはり……」

「何だね、何が言いたいんだね?」

 その時、谷山は小さな蛾が、床で輪を描くように飛んでいるのを目に留めた。翅が紫色に輝いている。やがて蛾は、ふらふらと飛行し、大和田の脚に触れると、その途端にぽとりと床に落ち、それきり動かなくなった。

 その間、大和田のサングラスに隠された目が、じっと探るような視線を自分に向けているような気配を谷山は感じていた。

 彼は言葉をつづけた。「この録音の内容ですが、怪奇現象資料館で語りかけてきた奇妙な声の正体は、やはりクトゥルー神話でいうところの〈旧支配者〉ということなんでしょうか?」

「そう。そう思ってもらって構わんよ」

「だとすると、「闇の召喚者」の結末で主人公がミ=ゴに助けられ、「闇の調停者」では主人公はミ=ゴは人類の救世主だと言っている、この展開は結局、〈旧支配者〉は人類の味方であると宣伝していることになるんじゃないですか? 奇妙な声の要求通りに」

「ふん、つまり……?」

「つまり、あの録音はやはり創作じゃない。本当にあった体験を語ったもの……。ということは、大和田先生……あなたの精神はすでに……」

「ふふふ、何だというのかね?」

 谷山は、ほんの一瞬、大和田の額の真ん中に、赤い焔のような目が光るのを見た。

「そうか、やはりそうなんだ。僕にはわかっていた。だが、実際に会うまでは信じられなかった」

「ほう、何がわかっていたんだ?」

「僕の名は谷山タロウ。このタロウという名は、よくある“太郎”じゃない。タロット・カードを意味するタロウなんだ。母が占い師でね。僕は子供のころからカードを使う訓練を受けてきた。おかげで少しばかり霊能力がある」 

「君が両親のことを話してくれたことは、よく憶えているよ」

「記憶を読み取ることもできるわけだな。そうして大和田先生の小説の構想を別のものに書き換えたんだ。自分たちに有利なように」

「それで、私は何者なのかね?」

「お前の正体はわかっているぞ!」谷山は立ち上がり、人差し指を突きつけた。「《這い寄る混沌》ニャルラトテップだ!」

「ふふふふ、さすがだ谷山君」椅子の上の人物は、そう言うとゆっくりとサングラスを外した。両目と、さらに額の第三の目が赤く燃えていた。「私が見込んだだけのことはある」

「燃える三眼……」

「そう、君の言う通り、たしかに私はこの大和田鷹夫の精神を乗っ取り、好きなように小説を書いた。だが、所詮はすでにピークを過ぎた怪奇作家だ。世間に与える影響などたかが知れている。そうは思わんかね?」

「では、なぜ……?」

「ふふ、私の本当の狙い、それは君だ」

 三つ目から放たれる赤い光が谷山の身体を照らした。

「うっ、な、何をする気だ!?」

「ふふふ、君は若者に人気のアニメやゲームのクリエイターの多くと交流があるそうじゃないか。その上、父親は財務官僚、兄は経産省の事務次官だったね。私は君のその豊富な人脈が欲しいのだ。全ては君をここへおびき寄せるために仕組んだ罠だったのだ」

「ぐぐ、僕は……僕は、お前なんかに……操られは……し……」

 谷山は床に膝をついた。

「タロット・カードで鍛えた霊能力か。そんなもので旧支配者に立ち向かえると思ったか」

 暗黒の男は、拝跪するかのような姿勢になった青年を見下ろした。

 しばらくすると燃える三つの目から光が失われ、大和田の頭はがくりとうなだれた。

 それと同時に、谷山は糸で吊られた人形のようにむくりと身体を起こした。

 その顔には、三つの赤い目がほの暗く輝いていた。

《闇の十字星》シリーズはこれにて終了です。

六作通してお読みいただいた方ありがとうございました。

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