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時売福人

作者:黒川うみ
 彼は疲れていた。
 傍目にもそれがハッキリとわかる格好で、普段大勢の人が行き来する大通りをテンポずれした足取りで進んでいる。シャツはよれよれで、顔は少しやつれ気味、目元にはくっきりと濃い隈ができて険しい顔つき、明らかに疲れきっている社会人そのままの姿だった。ただし彼の場合は別にリストラの憂き目等にあったわけではない。だが疲労しているということに変わりはなく、賑わいに欠ける平日の午前をふらふらと歩いていた。
 すれ違う人々は当然、彼を避けて通る。
 彼もそれを特には気にしない。否、気にする余裕がない。それでも足元を見ていた目線を上に上げ、不審げに何かを探すように辺りを見回す。その表情はやはり、暗い。心なしか頬も少し骨ばり、不精ヒゲがちらほらと見受けられた。
 少しして、はぁ……と重々しい溜息の後、彼はよろりと薄汚れた建物の煉瓦の壁に背を預けた。目を閉じ、うつむくのがやっとで、落ち込んでいる姿を隠すこともできないようだった。
 ひゅうっと吹いた冷たい風は、やつれた男の短い髪までも揺らして、さらに淋しげな姿にして去っていく。
 時計の針の刻みが五分を越えた頃、男は背中を壁から離してまたふらりと歩き出そうとして、不自然に足を止める。彼が寄りかかっていた建物の脇から細い道が伸びていて、男はそれを見ていた。
 驚いたと言うよりは、怪訝そうな顔である。
「行ってみるか」
 誰にも聞こえないくらいの小声で呟いて、彼はその路地に足を踏み入れた。
 特に珍しいことはなく、両手を広げては歩けない程度の道幅で、距離はあるものの向こう側に通りも見えている、いわゆる抜け道のようだった。薄暗さの中でも、空き缶が落ちていたり埃が積もっていたりしていないことから、路地を清掃する誰かがいるのだろうと思いつつも歩いていると、反対側に抜けていないのに道が開けて彼は、はっと顔を上げた。見てみると、左右にも道が伸びている。小さな十字路になっているらしく、右側は直ぐ行き止まりになるようだった。脇の建物の室外機が並べられている。
 左を見てみると、光が差し込んでいるのか明るくなっているように見えた。
 都会のビルが並ぶ中でなんだろうと、あれはなんだろうとふと足を向けて行くと、それは、彼の目には小さな箱庭のように映った。
「秘密基地?」
 思わず男は呟く。
 それもそのはず、都会で木が生えているのは歩道の端か公園と相場が決まっているからである。しっかりと開けた場所に芝生が生え、真ん中には大きい桜の木が太い枝を広げ、紅葉した葉はひらひらと舞い降りながらビルの隙間から差し込む陽の光を浴びていた。その木の側に小さな古びた家がある。
 木造の一階建ての建物で、正面に見える玄関らしき場所の戸は開いていた。格子に曇り硝子がはめ込まれた戸の横に、
『御茶処』
 そう描かれたのぼりが立っている。
 どうやら喫茶店らしいと男にも判別はついたのだが、のぼりをよくよく見れば色が変色してしまうほど年季の入った年代物というのがよく分かる。納得しづらいのは、なぜこんなところに老舗があるのかと言うことだ。彼はこの近辺の生まれであり、そしてずっとこの近くで育ってきた。不思議に思い首を捻りながら近づいてみると、戸に掛かっている木製のプレートには墨文字で営業中と出ている。
 一瞬迷い、男は見た目も古めかしいのれんをくぐってその店に入ってみることにした。
 彼は今、人を探している。が、まったく手がかりを得られずにいることに自身が焦っていることも、疲れていることも分かっていたので少し休もうと思ったのだ。
 トンっと踏み入れて彼は思わず目を見開いて床を凝視してしまった。
 土だ。
 今時都会では滅多に見られない土間である。そして客席も土の上に直接机の脚を置いているもので、椅子も座る部分は畳がはめ込まれていた。視点を変えると、靴を脱いで上がる畳の上に座布団が置かれている席もあった。彼は勿論、店の外側だけが古めかしいのかもしれないと思っていたのだが、どうやら筋金入りの老舗らしいと考えを改め直した。見回すと、少ない席に客の姿はなかった。それどころか店員すら見当たらない。
 よく考えるとこんな中途半端な平日の午前に客なんかいるはずもなく、店員が奥で仕込みなどをしているのかもしれないと思い当たることができた。店内ががらんとしていても不思議はない。
 しかし、入ってしまった以上そのまま出るのにも抵抗がある。何となしにもう一度店の中を見回して、レジらしき台の向こうに開いている戸に気が付いた。奥には着物姿の等身大人形が置かれている。男は初めそう思った。だが、実際には生きている生身の人だ。
 まだ小学生くらいの少女が目を細め、正座で姿勢を正し、男の方に横顔を向けていることから窓の外を見ていることと思われた。タイムスリップしたかのような既視感を覚える姿形に、彼は息を呑まざるを得なかった。
 少女はくすんだ臙脂の着物を着、黄色い帯を後ろで結び、少し黄ばみがかった白いエプロンを着ている。黒い髪は肩の辺りでばっさりと切りそろえ、赤い長い布をリボン代わりに頭の上で結んでいた。
 あまりにも時代錯誤な格好だった。だが、店の様式が様式なだけに、その姿が似合いすぎて絵画でも見ているような錯覚を起こしかける。事実、それで人形と見間違えたのだ。
 彼は驚いていた頭を少し振って、少女に声をかけようとして、また気が付いた。レジ台の上に可愛い呼び鈴が置いてあり、それが置いてある下に墨で半紙に、御用事の方はお鳴らし下さいと書いてあることに。もしかしたら店の別の住人がいるかもしれないと、少し期待してそっと呼び鈴を手に取った。
 リリーン……。
 意図して震わせたわけではない。持ち上げた振動で鳴ってしまったのだ。それは心に響くような澄んだ音色で店内に響き渡る。
「……え?」
 奥の少女が何度か瞬きして振り返る。男は思わず微笑んだ。余りに幼く、子供らしい可愛い仕草だったので、笑まずにはいられなかったのだ。
 少女は慌てて立ち上がる。
「す、すみません!」
 白い足袋で畳を蹴って、素早く下駄を履くと腕を使って指し示し、
「お好きな席にどうぞ」
 言いながらにっこりと笑う。営業用にしては過ぎた心からの笑顔だ。
 男もやつれた顔ではあるものの、微笑みながら窓際の椅子に腰掛けて、端に置かれていた御品書きに手を伸ばしてそれをじっと見る。メニュー自体は特筆すべきものはない。御茶処だけあって少々甘味系が多いような気がしなくもないが、幸いにも彼は甘いものが平気だった。
 彼が御品書きを見ているその側で机を軽く布で拭き、少女は先ほどいた部屋へ入って行った。どうしたのかとこっそり首を傾げると、彼女はすぐにもどって来た。手には大きめの鳥かごを抱えていてその中に、オレンジを主に見せつつ、緑や青や赤を鮮やかに混じらせた色合いのオウムがおとなしく入っていた。それをゴトっとレジ台の上に置いて、店の端に置かれたボンボン時計を見つめ、そして少女はまたぼんやりとして動かなくなった。
 とりあえずこんな時間にどうしてあんな年頃の少女が居るのかと言う疑問は置いておいて、男は御品書きに目を戻す。最初に目に入るのは御品書きという達筆の下の営業時間で、九時から六時半までとある。その下にあるたくさんの菓子名をぼうっと眺めていると、指先にざらりとした感触を覚え、無意識に板をひっくり返していた。何のことは無い、裏面にも紙が貼ってあっただけなのだ。彼はそれを一目で読んで、ほんの少しだけ首を捻った。
『貴方の時買います。お金ではなく幸せで。――店主』
 何のことかと思う前に甲高い奇妙な声が真後ろから聞こえてきた。
「時ヲ売リ、時ヲ買ウ、幸セガ欲シケレバ時ヲ売レ。時ヲ売リ、時ヲ買ウ、売ラナクテモ幸セハ来ルケドネ」
 作り声のような、子供向けテレビアニメの声のような……。
 反射的に振り向くと、歌っているのは鳥籠の中のオウムだった。
「時ヲ売リ、時ヲ買ウ、ソレガ幸セナノナラバ。時ヲ売リ、時ヲ買ウ、アナタニ幸セ届ケマショ」
 楽しそうに籠をガタガタ揺すって鳥が歌う。妙な光景ではあるが、最近のオウムは歌も覚えられるのかとしみじみ彼が思っていると、少女が行動を起こしていた。さっき居た居間の方ではなく別の戸の奥へ入っていってしまったのである。その動きを目の端で捉えつつ無言で御品書きに目を戻して再びぼんやりしかけていると、にゅっと白い手が伸びてきた。
「お待たせしました。お茶と三種の団子です」
 少女は慣れた手つきで盆から湯飲みと皿を置いていく。
「え?」
 男がぽかんと視線を上げると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「上に書いてあるでしょう? 五分経って決まらない場合はお茶と三種の団子のセットになりますって」
「あ――」
 言われて見てみれば確かに。どうして目に入らなかったのかと少し自分を情けなく思いつつも、男は少女に言葉をかける。
「そうか、ありがとう」
「いいえぇ。ごゆっくりどうぞぉ」
 のんびりまったりとした調子で少女が言うと、男の背中側でまた声がする。
「時ヲ売リ、時ヲ買」
「ユズ!」
 ただし今度は威勢のいい少女のツッコミ入りだ。
「お客さまを驚かせちゃだめでしょ!」
「ゴメ、ゴメ、モモ、ゴメ」
「謝ったってダーメ。静かにしてなさーい」
 鳥籠に歩み寄っていちいち指差してまで言う。まるで、少女とオウムの間では会話が成立しているようで、微笑ましくて彼は思わず吹き出していた。
「いや、いいよ。面白くて」
「ヲモシロイ、オモシロイ」
「どうでもいいけど、ユズ、なんでいっつも微妙に発音違うの?」
 言う少女は眉の間にしわを寄せている。
「もぅ……」
「ユズ、って言うのかい? その……オウムは」
 知らず、彼は何ヶ月かぶりに落ち着いて、和んだ口調で話しかけていた。
「あ、違います。ユズカ……柚の香りと書いて柚香って言うんですけど。ちなみに私は桃香です」
「桃の香り?」
 聞けば少女は笑いながら頷く。
「そうです」
「桃と柚か……春と秋だね」
 彼はどこかしみじみと呟いた。今となっては植物に季節感を感じる事はあまりないが、桃の花は春のものだし、柚の実は秋に成るものだから確かにそう言えなくもない。
 ずっ、とお茶をすすって彼は小さく溜息を吐いた。
「いいね、温かい」
「夏じゃありませんし、お茶は温かい方がいいと思うんですけど」
「あ、いや、そういう意味じゃないよ」
 彼は自分の半分以下の年齢の少女を穏やかに見つめ、
「ここしばらく淋しくてね。忙しいのもあって中々家にも帰れなくて……」
「奥様と喧嘩でもなさったんですか?」
 こんこんと下駄の足音を立てて少女が男の向かいの椅子に腰掛けると、彼は首を横に振る。
「そう言う訳ではないんだ。いや、そうなのかな……自分でもどうしてこうなったのかよくわからないけど」
「大変なんですねぇ」
「そうだね、大変なんだ」
 そして、彼はぽつりと自分に訊ねるように小さな声で呟いた。
「今どこでどうしているんだか……」
「誰かをお探しなんですか?」
「あ。」
 考えていたことが思わず口をついて出たらしい。
 ぽりぽりとやつれ気味の頬を掻いて、彼はためらいがちに頷いた。言おうかどうか迷ったようだったが、結局のところ苦笑交じりに口に出す。
「娘がね、君より少し大きいくらいの娘が、行方不明なんだ」
「それはまあ、大変ですね」
 全然大変そうでもなさそうに彼女はくすくすと笑む。それは全くの他人事に対しての笑いでもあったし、同情はしないと割り切った笑みでもある。ただ彼としては、下手にお気の毒に……と言われてしまうよりはずっと落ち着ける反応に感じられた。
 同情されるのには飽きているのだ。
 話せば誰もがそんな目を向け、また何の問題があったのかと好奇の視線を言葉にせず寄せてくる。
 そのたった一つの理由を教えれば、それと戦いながら休日は勿論仕事が終わってからもあちこち歩いて一人娘を探し続け、それでも見つからず、精神的にも肉体的にも限界が近いのは多分、誰が見ても分かることだろう。
 少女――桃香は、笑みをほんの少しだけ抑えて、別の意味で目元を笑ませた。先ほどの『くすくす』ではなく『にぃっ』と言う一種危険な笑い方だ。机の端に置かれた御品書きを手に取って裏面を上にして置き、客の視線を注がせる。
「あなたはどちらのお客さま? ストレスを誤魔化す為に甘いものを食べに来た人? それとも……私のお客さま?」
 男はきょとんとして、少女を見た。意味がまったく分からなかったのだ。少女は少し肩をすくめ、
「その様子じゃ道に迷って偶然ここに辿り着いたんですね」
 ほんの少し語調を変えて男を見据えた。
「迷ったと言うか……まあ、迷いはしたけども」
「じゃ、御説明しましょー」
 少女は椅子からぴょんっと降り、レジの台引き出しから何かを持って戻って来る。
 コトン、と机の上に置かれたそれは、子供の手に乗せられる程度の決して大きいとは言えない砂時計だった。
「これが、なんだって?」
「ここに書いて在る通り、」
 彼女は御品書きの裏を指差し、
「売りたい人がいれば、私は人の時を買うの」
「……時を、買う?」
「そう、時。時間。そうね、命や寿命って言った方が分かり易いかな、おじさんには」
「おまじないか、何か、かな?」
 彼は至極当然に眉を潜めてそう呟くしかない。ただ、少女は顔色を変えもしなかった。
「そう思ってくれてもいいわ。私はその人の時を買う。買うってことは等価交換だから、代金を払うわけ。でも、私は決してお金は払わない。お金の代りに渡すものは、『幸せ』」
「幸せ……」
「人によって幸せはそれぞれ。だから、運って言ってもいいのかもしれない。言い方を変えてしまえば、お客さんは幸せを時で買うわけね」
「……そんなことが、できる、のか?」
 彼は疑う以前にそう聞いていた。
「勿論、出来ない事はしないわ。……おじさん、よっぽど追い込まれてるのね。普通『馬鹿なこと言うな』くらい言うよ?」
「今は、すがれるなら悪魔にでもすがりたいところだよ」
 冗談混じりの言葉を吐いても彼は真剣そのものだ。それは暗に、彼女の言う通り追い込まれていることを否定しないと言うことでもある。
 桃香はただひとつ、と付け加える。
「注意するべきなのは、私が払うのは『幸せ』であって、願いを叶えることではないから。望む通りのことが起きるかは誰にもわからないの。もしかしたら、これから起こる幸せは時を売らなくても起こることかもしれないし、起こらないことかもしれない。そう言う点ではまさに『運』試しだったりするんだけど。それでも、あなたが幸せである形がそうならば、望みを叶えるのと似ているけれど」
「なるほど……」
「私は、押し買いはしないけどね。……さ、どうします? おじさん」
 桃香はにっこりと微笑んで待ちの体制を作った。他に客も居ないこの時間帯は、こうしてのんびりしていても誰に文句を言われることもない。今日は偶々この男が来たが、いつもならこのくらいまではぼうっとしたままなのである。この時間帯には、常連客がいるのだ。
 今日はほんの少し気が向いたから、自分から説明をした。
 男にとって大問題でも、彼女にとってはその程度の気まぐれでしかないのだ。
 男が黙っていると、またオウムが籠の中で歌いだした。
「時ヲ売リ、時ヲ買ウ、幸セガ欲シケレバ時ヲ売レ。時ヲ売リ、時ヲ買ウ、売ラナクテモ幸セハ来ルケドネ」
 どこか人を馬鹿にしたような愉快ともとれる声がワンフレーズ歌うと、桃香は立ち上がりにっこりと微笑んで、
「お茶のおかわり淹れますね。当店自慢の美味しいお団子でも食べながらのんびり考えて下さい」
 コトコトと聞こえる下駄の音はやはり、軽い。対して彼の悩みは、思考は、重かった。急須からこぽこぽと注がれる薄緑の液体をじっと見つめながら、彼は呟く。
「時を売り、時を買う……」
 オウムの歌う歌詞を意識せずに覚えてしまったらしい。
 考え事を半分放棄するように彼がぼうっとし始めると、ばっさばさという激しい羽音が耳を突いた。
「イラッシャイ、イラッシャイ」
「やほーぅ、ユズ、桃香ちゃん!」
 戸をくぐり、軽く手を上げて陽気すぎるくらい陽気に高らかに挨拶したのは、制服姿の女子高生だった。
 長めの髪は焦げ茶に染めあげられ、ふわりとかるくウェーブがかっている。スカートは、当然の如く膝上二十センチは軽いミニにされてしまってしたし、耳には赤い小さなビーズのついたピアスが二、三個ずつついていた。ただ、顔だけは化粧っ気がないので、幼げな感じを残したままである。
 桃香は呆れた様子で女子高生を見上げた。
「ミヤさん、また学校はサボりですか?」
「カタイこと言いっこなしよー。あ、かき氷ちょうだい。上にアイスのっけたやつ」
「……もう涼しいのにかき氷ですか? じゃ、ちょっと座っててください。氷出して来ますから」
「はぁい」
 ひらひらと手を振って奥の戸に消える少女を見送った彼女は、大股で歩いて、何故か座っていた男と同じテーブルの向かいに腰掛ける。さっきまで桃香が座っていた場所である。
 そして、
「この時間にお客さんいるなんて珍しいね。おじさんは悩み事かなんかあるの?」
 丁寧語や初対面の人に対する配慮、目上の人に対する気遣いなどまるで無視の口調で話しかけてきた。
「は……?」
「だって明らかに落ち込んだ顔してるしー。お仕事は? お休み? サボり? それとも、ぷー太郎?」
 サボりだったらあたしと同じだねとけらけら笑うと、彼女は机に置いてあった御品書きを横に除けた。無論、男には何が何だかわからない。
「き、君は……?」
「世間で言う不良女子高生、かな? あ、でも学校サボるくらいでタバコとかクスリには手ぇ出してないよ。そんなことしたら桃香ちゃんに立ち入り禁止食らっちゃうもんね。やっぱり程ほどに、楽しむ程度で遊ばないとでしょ。自分ってばちょっとババくさーって思うけど」
「えー……っと」
「あーごめんねー。あたし喋り始めるとストップ効かなくてー。聞き流しちゃっていいよぉ。あ、でも本当に珍しいねこの時間に。誰もいないと思って挨拶しちゃったよ、ちょっと恥ずかしかったねー」
 あっはっはとまるで屈託がない。が、男の言いたいのはそういうことではなく、
「なんで、この席に?」
 空いている席は他にあるのに、一人しか居ない客のいるテーブルにどうしてわざわざ座ったのか、ということだ。
「いやだって」
 少女は笑いが止まらない様子で言う。
「一人でちまちま食べるより誰かと一緒に食べた方が楽しいじゃん。甘いものは沈鬱した顔で食べるものじゃないって桃香ちゃんいつも言ってるしー、他じゃ出来ないからとりあえずここにいる間は実践してるんだぁ」
 は、はあ。
 分かるような分からないような、だ。
 男が首を傾げていると、奥から声が聞こえてきた。
「ミヤさーん、シロップ何にしますー?」
「もちろんみぞれ! アイスはバニラ!」
「はーい!」
 ごりごりとした夏っぽい音が響いて、そしてまた下駄の足音が聞こえてくる。
「お待たせしました、っと。……ほんとに食べるんですか?」
「うん」
 ガラス皿いっぱいに山盛りにされた氷の山のてっぺんにぽんと真っ白なバニラアイスが乗っかっているのを見て、流石に男も顔を引きつらせた。
「もう夏は過ぎたような……」
「ですよねえ」
 冷や冷やとした空気が漂う中、陽気な女子高生は大きめのスプーンを握ってちっちっちっと振り、
「わかってないわね。寒い時にカキ氷とアイスを食べる。これが贅沢ってもんよ。第一、味覚の秋って言うじゃない」
「……要するに、特に意味はない、と?」
「ま、食べたかっただけとも言うわね」
 店の少女のツッコミすら気にせずサクサクとシロップの掛かった部分と掛かっていない部分を混ぜ始める。そしてふと思いついたように彼女は年下の少女を見た。
「ついでに、いつものアレもね」
「はいはい」
 答えて、桃香はテーブルの上に置かれた砂時計を手に取った。
 りぃん……
 鈴が密やかに鳴るような音がして、ミヤは満足げに頷く。
「やっぱりここに来たらここでしか出来ないことしなくちゃね」
 冷たいアイスを頬張る様子を見ていた男は、
「?」
 と、首を傾げて少女を見た。少女はくすっと微笑みすら見せ、告げる。
「ミヤさんが時を売ったので、私が買ったんです」
「――!」
「驚くことでもないでしょ。いつものことだし」 
 はぁ、と桃香はため息をついて見せ、
「それなんですけど。一秒ずつ売ったってあまり意味ないと思うんですけど? 売る時間に比例するんですから、私が払う『幸せ』は」
「気分の問題よ」
「そういうものですか?」
「そーそ。……ぅー、氷ってこのキーンとくるのがたまらないわ」
 納得できなかったのは、二人の会話を聞いていた男だった。お茶を一口飲んで、食べるのに夢中になって静かになった少女に話しかける。
「君は、時を売った……のかい?」
「ん? んー、そーだけど?」
「……どうして?」
 彼にしてみればどうしてそんなことをするのかと、理由が聞きたかったのだが、彼女は腕を組んで考え込んでしまった。
「どうしてって言われてもなぁ……」
「悩み事があるとか?」
「いや、至って普通の日常だし」
「困ったことがあるとか?」
「ううん。別にないねぇ」
「……じゃあ、どうして? 幸せが欲しいから?」
「別に欲しくないよ」
 こんなあっさりとしていると、質問する側の方が困ってしまう。彼が怪訝そうに彼女を見ると、彼女は少女が店の奥に行くのを横目で見て、小声で呟いた。
「まあ、桃香ちゃんを信用してるのもあるけど……」
「けど?」
「あたし、多分何にも考えてないんだよね。運に頼るのは嫌いだし。でも、このお店は好きだから。居場所が欲しいから、なのかな」
 ためらいがちでも沈みすぎる事はない。どこか、自分の中で何度も悩んだ上での答えとして言っているような雰囲気さえある。
「あんま気にしてても仕方ない感じがするし、ね」
「そ、そう……」
 あっけらかんとして言われてしまえば、それ以上訊ねようがなかった。ただ、彼女が『時を売る』という現実では考え難いことを事実と思っていることはよくわかる。そして、その様子から少しとはいえ、彼女にとっての幸せが訪れているんだろうと思えなくもない。
「……ここって」
 独り言のように彼は言葉を紡ぐ。
「あの子が一人で切り盛りしてるのかな」
「あー、桃香ちゃん? どうも、聞いた話では店主さんは別にいるらしいんだけど、あたしも会ったことないなぁ。毎日のように来てるけど、他に店員さんも見ないし」
「……学校はちゃんと行かなきゃだめだよ」
「大分行くようになった方だけど。まあそれはいいのよ。人それぞれ、ってやつね」
 ざくざくと氷を食べているのを見ながら考えていると、ミヤは苦笑した。
「おじさん考えすぎなんじゃない? たまには頭ん中真っ白にしないとどんよりしちゃうよ」
「……それは、そうなんだけどね」
「悩むくらいなら、気休め程度に桃香ちゃんに売っちゃえばいいのに」
 見ただけで頭の痛くなりそうな山盛りのかき氷を着々と攻略して行く様子からも、彼女自身がそんなに深く考えていないことがわかる。
 そっと息を吐いて、さすがに彼も観念したように笑った。
「そうだね。そうしようかな」
「決まり? 桃香ちゃーん!」
 彼女は勝手に、元気いっぱいにスプーンを持った手を上げて少女の名を呼ぶ。ひょこりと顔を出した彼女に向かって微笑んだ。
「私にもお団子ちょうだい。餡子の。あと、お茶も」
「はい、分かりました」
 少女も明るい声で返し、すぐに奥からお盆を持ち、下駄を鳴らしながら歩いてくる。
「ミヤさん」
 そして言う。
「どうせなら何か昼食になるようなものでも作りますけど。何も食べないよりマシとは言え、甘味物で三食済ましてしまうのはやはりどうかと……また身体壊しますよ?」
 平然としつつも、どこか心配そうではある。言われた側は今までどおりの笑みを続けている。
「今はいいよ。ありがと」
 ひょっとしたら、彼女達にはこれが日常なのかもしれないと彼は思った。もしそうならば、とても微笑ましいことだ。
 小さな少女は客でもあり友人でもある彼女の心配をし、そしてその彼女は偽りもなくただ精一杯の笑顔でそれに応える。ある種の理想とも言えるものがここにあるのかもしれなかった。そうやって考えて行くと、自分の行方不明の娘にはこうやって安心して一緒に笑って居られる友人が居たのだろうかと、ついつい親の視点で思案してしまう。
 もし、居たとするならば、自分から姿を消すことは無いように思えた。
 桃香の頭を軽く撫でた女子高生は、やはり笑って言う。
「それと、今のお客さんはこっちね」
「はいはい。もう、学校サボってもいいですけど、あんまり病院サボっちゃだめですよ、ミヤさん」
「へーい」
 客の生返事に苦笑しながら、桃香は彼女の隣の椅子に腰掛ける。柚香という名のオウムは、今は静かである。
 人形のような少女は、じっと男の眼を見据え、微笑んだ。
「どうするか、決まりましたか?」
「ああ……」
 さして広くもない店である。奥に居たとは言え、男と彼女の会話はすっかり聞こえていたのだろう。
「ルールはお話しましたよね。どれだけの時間をお売りになられますか?」
 断定的に尋ねてきた。
 男は机に肘を付き、組んだ手の上に額を乗せる。悩んでいるようにも、迷っているようにも受け取れる。やがて、ぽつりと言った。
「いくらでもいい。もし本当に……見つけることができるなら……」
「うーん、娘さんが見つかるかどうかはわかりませんけど、賭けてみるのは面白いかもしれませんね。それじゃあ」
 桃香は砂時計を持ち上げ、
「一年分、でいかがでしょう。それ以上は受け付けない方針なんです」
 目で、いいですね? と問われ、男はゆっくりと頷いた。彼の戸惑いや焦りの感情は、事情を聞いていないミヤにもよく分かった。だが、横から口を挟んで茶化すような真似はしない。彼はこんな無作法な子供に対してさえ穏やかで、頭ごなしに注意したり怒鳴ったりできるような人ではないのだから、下手にからかえば今以上に自分を追い詰めてしまいかねない。能天気なようで、彼女は人を観察するのがクセになっているのだ。そしておそらくこの印象は、そんなには外れていない。
 それでもこの不思議なお店の少女がついているからには、きっと大丈夫なのだ。ここに来て救われた自分がそう思うのだから、多分、大丈夫なのである。
 のほほんとかき氷を食べ終えた彼女は、黙ってお茶に手を伸ばした。
「そうそう、取り消しは利きませんから、後から殴りこみとか逆ギレとかやめてくださいね」
「さすがにそれはないよ。ただの――気休めになればいいんだ」
「私もそう考えて下さるお客さまばかりなら歓迎なんですけどね。世の中、そうでない人もたくさんいますから」
 言って、少女はあっさりと砂時計をひっくり返した。
 一瞬、地面がぐらりと揺らいだような感覚を覚えて机の端を反射的に押さえ、それから一拍置いて、男は不思議そうに目を丸める。
「今のは……」
「対価はすでにお支払いしました。結果は人によって時差がありますから、気長にお願いしますね」
 にっこり微笑んだ桃香に、男はつられて笑う。
「そうするよ」
「さて、と。あんまり引き止めるわけにもいきませんけど、もう一杯、お茶、いかがですか?」
「ああ、そうだね……お願いしようかな」
「はい」
 ぴょこん、と元気に椅子から降りた少女は小走りに奥へ行く。その時唐突に、
「イラッシャイ、イラッシャイ」
 柚香が鳴いた。
 出入り口のほうを見ると、桃香とそう歳の変わらない少年が立っていた。黒縁の眼鏡をかけているが、賢そうな顔立ちをしていると、ぱっと見にも思えた。
 団子を食べていた女子高生は軽く手を上げて、
「や、マコトくん」
 笑って名前を呼ぶ仕草から、知り合いなのだと分かる。彼も常連なのだろうかと男が思っていると、急須を持って出てきた桃香は、あらあらと言うように微笑んだ。対する少年は、素気ない。
「お茶ときんつば」
 ぼそりと言って、わざわざ客二人から離れた席に座る。もっとも、元からそんなに広くはない店だから、近くと言ってしまっても決して間違いではないのだが。
 男と女子高生の湯飲みにお茶を淹れると、少女はまた奥へと引っ込む。一人で切り盛りするのは大変そうだった。長居するのも何だし、このお茶を飲んだら早々に店を出ようと思ってお茶をすする。だが、熱くじんわりと広がる心地がなんとも堪らない。団子も甘すぎず、非常に美味しかった。
 ここは確かに、隠れた名店なのだと納得できる味だった。
 久しぶりにのんびりとできたことを嬉しく思っていると、女子高生は挨拶すら返さなかった少年の方へと歩いて行った。
「ちょっとぉ、無視しないでよぉ」
 元気である。
 少年はうるさそうに彼女を見上げると、いきなり鼻で笑った。
「何の用事もないのに、何で相手をしなきゃいけないんだ?」
「んもう、相変わらず憎たらしいわね。そんなに素気なくされると泣きたくなるじゃないの」
「泣けば?」
「ほんっとに可愛くないわね」
「可愛くなくていいよ」
 なんと言うか、妙な会話だった。小学生と高校生の会話とは、こういうものなのだろうか。男が唖然としていると、そこに店の少女が加わった。
「もう、二人とも相変わらずですね」
「元気な証拠だけどねぇ、もうちっと愛想いい方が得するわよ、マコトくん」
「別に」
「っかー、ほんとに可愛くないっ」
 出されたお茶を飲みながら、マコトと呼ばれた少年は横目で男を見た。
「なに? まだあの変な商売してんの?」
「ええ、やってます」
 穏やかな桃香とは対照的に、少年は眉を潜める。
「いい加減にしなよ、あんな胡散臭いこと」
 男は、おや、と思った。
 会話から察するに彼もここの馴染み客なのだろうが、それにしては表情が険しい。変な商売、とはおそらく先ほどの時――時間の売り買いのことなのだろうと予想がつくが、見るからに嫌悪感が露になっている。
「まったく、子供の頃から頑固だと大人になっても頑固なんだからねぇ」
 ミヤもやれやれといった態度をとっているところを見ると、この少年は少女の行為を信じていないように思われた。
 とはいえ、男も完全に信じているわけではない。例え子供の遊びであっても、気休めになればいいくらいの気持ちだったのだ。この場で、客として少女のそれを全面的に信じているのは自称不良の女子高生だけだろう。それも、当然のような気がしなくはない。こんな本の中のような出来事を信じろということの方が、難しいのだ。だが、彼女等のやりとりは見ていて微笑ましかった。
 お茶を飲み終え立ち上がる男を見て、桃香はレジ台へと向かう。鳥籠のオウムはぬいぐるみのようにおとなしく止り木に留まっていた。無愛想に男を見る様子からして、もう歌ってはくれなさそうである。
「美味しかったよ、ありがとう」
「いいえぇ、こちらこそありがとうございます」
 間延びした語調のまま少女が精算を告げようとすると、慌しく誰かが駆け込んできた。
「イラッシャイ、イラッシャイ」
 このオウムは単に人が来るとそう鳴くらしい。だが、入ってきた人々はオウムの愉快な声を気にする様子はないようだった。
「あの……!」
 呼吸も整えず、レジ台に立つ少女に向かい、
「願いを叶えてくれるっていうお店はここですか!?」
 中学生くらいの男の子と女の子だった。
 男もそうだが、焦燥している人と言うものは皆同じような目をしているものらしい。切実なその様子を見て、男はすっと壁際に寄った。
「願いを叶えるわけではありません。時を買って、その対価として『幸せ』を払うだけです」
「何でもいいんです、助けて下さい!」
 あまり言葉が届いていない。
「妹が、妹が……」
「落ち着けって」
 一緒に居る男の子になだめられても無我夢中らしかった。桃香は溜息を吐いてレジ台の手前に歩み出た。
「他にお客様もいますから、手短にお願いします」
「あの、」
 まだ冷静な男の子の方が、女の子を支えながら言う。
「コイツの妹が交通事故に遭って、目を覚まさないんです。このままじゃ……それで……」
 どこかで歪曲した噂を聞いてここまで来たらしい。
 男の時と同様に、少女は人ごとのような笑みで、
「大変ですねぇ」
 のほほんとしている。気付けば、ミヤもマコトまでも、二人を凝視していた。
「お願いです、なんとか、助けてもらえませんか!」
 涙をぼろぼろと流す女の子に、桃香は冷たかった。
「私にはなんとも。先ほども言った通り、願いを叶えるわけではありませんから」
「なんでよ! なんで駄目なのよ!」
 ああ……。
 男はさっき少女から聞いた言葉を思い出していた。
 ここに来て、彼女の『商売』に望みを託すのは、自分のような気休めを求める人だけではないのだ。こんなに切実な思いを抱えて来る人も居る――。しかし、それは無茶なことだと思う。
 彼女の言葉通り、願いを確実に叶えるわけではないのだから。そんなこと出来るわけがないのだ。
 桃香は少し考える素振りをみせる。
「そう言われましても、ねぇ。そんな大事では売って頂く時も半端ではありませんし」
「いいわよ、あたしの命だろうがなんだろうが持って行けばいいでしょ! あの子を返してよ!」
 会話が咬み合っていない。
 この少女に妹を返せと言うのは筋違いもいいところだ。だが、今のこの女の子には言うだけ無駄なのだろう。すっかり理性を失ってしまっている。
「単に時を売ればいいと言うものではありません。あなたの言葉から推測させて頂くと、あなたの時を売って頂いても大して役には立たないと思いますし」
「何で!」
 溜息と共に少女は言う。
「妹さんが目を覚まさなくて辛いと言うのはあなたの事情です。目を覚まして欲しいというのもあなたの望みです。もし妹さんが死にたがっているならば、それは売るだけ無駄ということですよ? 他人の幸福を奪って幸せを得るなんて、私の主義に反します。平等とは言いませんが、少なくとも、私が関与する以上、そういうのは嫌なんです」
 なんとなく、少女はこういうことに場慣れしているように見えた。相手が慌てていても、理不尽なことを言っても、決して取り乱さない。
「ですので、私としてはあなたの妹さんから言われない限り、どうにも……」
「意識がないって言ってるでしょ!」
「落ち着けって」
 桃香は頭が痛そうに眉を潜めた。迷惑だと言う様がありありと浮かんでいる。その時、オウムがまた、あの歌を歌いだした。
「時ヲ売リ、時ヲ買ウ、幸セガ欲シケレバ時ヲ売レ。時ヲ売リ、時ヲ買ウ、売ラナクテモ幸セハ来ルケドネ」
「ユズ」
「時ヲ売リ、時ヲ買ウ、ソレガ幸セナノナラバ。時ヲ売リ、時ヲ買ウ、アナタニ幸セ届ケマショ」
「ユズ!」
 鳥籠の中のオウムは、何かを伝えたそうにばさばさと羽を羽ばたかせる。
 桃香は嫌そうに苦笑した。
「ユズ、あなたまさか、」
「時ヲ売リ、時ヲ買ウ、ソレガ幸セナノナラバ。時ヲ売リ、時ヲ買ウ、アナタニ幸セ届ケマショ」
「……」
 歌うオウムに一同がぽかあんとする中、少女は例の砂時計を手に取った。
「分かりました。それじゃあ、こうしましょう」
「え?」
「私が直接その妹さんにお尋ねします」
 動揺しきっている少女は、びくっと大きく震えた。完璧に足が引けている。
「もし妹さんが時を売られるのならば、きちんと買い取ります。それでいいでしょう?」
 仕方がなさそうな口ぶりだった。相当嫌らしいのは、傍から見ていてもはっきりと分かる。しかし動揺に心を支配されて上手く思考出来ない少女はいらないことを口にする。
「でも、どうやって……」
「それでいいかどうかだけ答えて下さい」
「あ、はい……あの、そんなことができるなら……」
 曖昧だが、少女は肯定と受け取って、鳥かごを土間に下ろし、オウムを籠の外に出してみせた。
「イッテキマス、イッテキマス」
 甲高い声で言ったかと思うと、唐突にばさっと外へ飛び出した。
「その子のところに案内して下さい」
「は、はい! ありがとうございます!」
 不機嫌な顔を消し、桃香は笑って男と二人に頭を下げる。
「私は少し出てきますので、札は準備中にしておきます。食べ終わったらそのままにして置いて下さい」
 それでは、ともう一度頭を下げて男の子と女の子に先導されて出て行ってしまった。
 店を閉めてしまって、いいのだろうか。
 思わずどうでもいいことを男は考えてしまうくらい、唐突だった。
「まったく。ああいう連中が来るからやめろって言ってるのに」
 残された少年はぼやく。うんざりした様子だった。女子高生のほうもやれやれと肩を竦めている。
「桃香ちゃんも大変だぁね」
 飲み込めないのは男だけのようだった。
「え、と……」
「ああ、いいんだよぉ。食べ終わったんならもう行ってさ。割とよくあることだからさ。やることがあるんでしょ?」
「あ、ああ」
 男がそれじゃあと財布を取り出すと、これまたミヤは笑う。
「だから、いいんだって、こういう時は。お金おいていかないでって桃香ちゃんがいつも言ってるんだから」
「そういうわけにはいかないよ」
 男は千円札を呼び鈴の下に置いて、それじゃあ、と軽く手を上げて店を出た。なんとなく、朝よりも気持ちが軽くなったような気がしていた。
「やれやれ、マジメだねえ、あのオジサン」
「まったくね」
「あれ、マコトくんももう帰っちゃうの?」
「あいつが居ないなら、ここに居たって仕方ないだろ」
 すたすたと勘定もせず出口に向かって歩く少年の後ろで、彼女も笑った。
「そうだね。マコトくんは桃香ちゃんラブだもんねー」
「違うっ!」
 こんなやりとりをしながら彼女は思う。まだ幼い彼は、あの少女がどんな存在なのか知らないのだと。だがそれは時が経てば自ずと分かることなのだ。だから今は黙っておく。
 自分が君くらいの時に、彼女に初めて会った時も、桃香は今と変わらない姿をしていたのだとは、とても言うことができない。

 大きな病院の個室の前で、彼等は立ち止まる。
「えっとあの、ここです」
「そうですか」
 桃香はそっけなく答え、病室へと踏み込む。そこには疲れた様子でパイプ椅子に座り込んだ大人が何人もいた。
「どこに言っていたの、あなたたち」
 中年の女性に問われても、二人は答えず、桃香の様子を探っていた。
 ベッドで寝ているのは、桃香やマコトとさして変わらないくらいの女の子に見えた。だから大人たちは桃香のことをこの少女の友人とでも思ったのかもしれない。何も言っていないのにぼろぼろと泣き出した。
 桃香は病室の窓を開け、外に手を伸ばす。
「ユズ、おいで」
 呟くような声が誰かに聞こえたとは思えない。だが数秒後に、少女の手にはオウムが留まっていた。
「え――?」
 周囲の動揺をまるっきり無視して、桃香は少女の枕もとの椅子に座る。
「柚香、やりなさい」
「ワカッタヨ、ワカッタヨ」
 それは突然のことだった。光を放ったわけでもなく、耳鳴りがしたということでもない。ただ、たどたどしく喋るオウムが、滑らかに人の言葉を操り出したのだ。
「もう、死にたい……痛いよ……」
「……!」
 桃香は少女に向かって話し掛ける。
「初めまして。私はあなたが時を売るのなら、それを買い取り、対価として『幸せ』を払うわ。あなたは、時を売る?」
「……時を、売る?」
 答えはオウムから返って来る。
 すべてが唐突のことで、誰も口を挟めない。
「それは、最後にお姉ちゃんたちと話すこともできるようになるの?」
「あなたが売る時の量にもよるわ」
「そんなこと言われても、私もうすぐ死んじゃうよ……」
「そう、それじゃあそれまでの話と言うことね」
 意識がないはずの少女が、オウムの口を借りて喋っているらしい。摩訶不思議な光景だった。
「じゃあ、私の残りのいのち全部あげるから、最後にみんなとお話がしたい……」
 私は願いを叶えるわけではないのだと、桃香は言わなかった。言っても、理解してくれそうになかったからである。
「残りの命すべて。本当にいいのね?」
「うん」
「分かりました」
 バサっとオウムは羽を広げ、外へと飛び立つ。まるで自分の役目は終わったと言わんばかりに。
 桃香は黙って砂時計をひっくり返した。変化は何も起こらない。だが、そのまま立ち上がって病室の扉を開く。振り向き際に、告げる。
「私はもう対価を支払いましたから。それでは」
 物静かで、でも、どこか怒っているような雰囲気を消さなかったのは何故なのか、病室でぽかんとする人々には理解できなかったかもしれない。
 だが――。
「おね、ちゃん……?」
 昏睡状態だったはずの少女に呼ばれ、彼女は扉から目を離し、ベッドへと駆け寄る。
「ごめん、ね……今まで、ありがとう……」
 弱々しいながらも笑みを浮かべ、最愛の人たちの名を呼んで、短い会話をして、そうして少女は息を引き取った。










 居間に正座で座り込み、桃香は深く息を吐く。
「馬鹿な人……」
 目の前には、柚香という名のオウムがきちんと鳥籠に収まっている。男が初めに少女を見つけたときも、彼女はこのオウムを見つめていたのだ。
 今日はもう店を開く気分にはなれない。準備中の札は下げたままだ。
「本当に、愚かな人」
 どんなに辛くても現状を耐え切れば、乗り切ることさえできれば、あんな結果よりも、もっともっと幸せになれただろうに。まあ、周りの人々も同じくらい愚かだったけれど。
 ぼんやりとそんなことを考え、そして思考から追い出す。
 きっと数日中に、今日の一番目の客だったあの男はもう一度尋ねて来る。今日とは違った晴れやかな笑顔で。
 それを思うと心が和む。本当に、あのくらいの気持ちで望んでくれるお客さまなら歓迎なのだ。
「モモカ」
 唐突に、オウムが少女の名を呼んだ。
 彼女は無言で目を細める。
「桃香。いつまでこんなことをするつもりだ?」
 それは一個の人格を持った者だからこそ発せられる言の葉。
「さっきの子は、お前が手を出さなければ持ち直したはずだぞ」
「本人が望んだことだから。私のせいではないわ」
 いつもなら、一度に買い取る時は一年分だけ。今回はある言葉を聞いてしまったがためにそれを当てはめなった。
『残りの命すべて』
 それに何の意味があると言うのだろう。まだ何年も何十年も生きられたはずなのに、答えを急いだ為にすべてを終わらせてしまった。だが確かに、苦しまずに、周囲にお礼を言って逝けるということは幸せなのかもしれない。それでも、少女は複雑な気分だった。
「……お前、いつまでこんなことをするつもりなんだ?」
 今までとは違う、はっきりとした意思を持って話すオウムを見つめて、少女は微笑む。
「当然、主お父さまが帰られるまで」
 普段は『人』としての意識がないオウムは溜息を吐くような仕草をして見せた。
「じゃあ、ずっとだな」
「ええ、ずっとです」
 例えもう帰って来ないと分かっていても。
 他人が売ってくる時を糧に生きているとしても。
「仕方がないやつだな」
 彼女に、一番に時を売った彼女の兄は、優しく笑い声を立てた。そうしてすぐにいつも通り、人としての意思が消え、オウムは歌いだす。彼の意識は不安定でいつ出てくるかは誰にも分からない。
「時ヲ売リ、時ヲ買ウ、ソレガ幸セナノナラバ。時ヲ売リ、時ヲ買ウ、アナタニ幸セ届ケマショ」
 ただひとつはっきりしているのは、『幸せ』という言葉を心から届けることは、少女のような存在にとっても、喜ばしいということだけだった。
「さて、と。それじゃあ私は仕込みしてくるね」
「イッテラッシャイ、イッテラッシャイ」
 すっと立ち上がってエプロンを見につける桃香に、話し掛けるようにオウムは歌う。
「時ヲ売リ、時ヲ買ウ、幸セガ欲シケレバ時ヲ売レ。時ヲ売リ、時ヲ買ウ、売ラナクテモ幸セハ来ルケドネ」
「ユズ、できるだけ静かにね」
「ワカッタ、ワカッタ」
 だが、その言葉をどこまで分かっているのか、オウムが歌い止むことはない。少女を慰めるかのように歌い続けていた。

 幕

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