第46話 ふたり(最終回)
披露宴の段取りやら招待客の選定やらと準備に追われていると、3ヶ月なんてあっと言う間だ。
挙式当日―― メイクを施され、ウエディングドレスをまとった私は鏡の前のスツールに腰掛けていた。
胸元が大きくカットされたデザイン。露出した肌の上に乗せられたネックレスとエクステされた一束のカールした髪が垂れてアクセントになっている。
借りてきたドレスは、なんだかちょっぴり胸がきつい。それとも……この感覚はこれから迎える挙式への緊張の故だろうか。
「可愛らしい花嫁さんになりましたねー」
30〜40代くらいの介添えの女性が、鏡の中の私を見て話しかけてくる。
すっかり準備の整った自分の姿を眺める。
ここにいるのは、杉木喜和子。けれどドレスから私服に着替えた時、私はもう内田喜和子になっているんだ。
もう杉木喜和子としてあの家の門をくぐることはない。感傷めいた思いがよぎる。
無事結婚式を迎えることが出来るよう慌しい日々に紛れて、あらためてそんな事を思う余裕などなかったけれど。
ドアを開けて入ってくる和服姿の香織さんが鏡に映った。
挨拶しなくちゃ……。
「香織さん。今日はよろしくお願いします」
鏡の前から半身だけ向き直り、軽く頭を下げた。
「喜和子ちゃん。綺麗!」
「ありがとう……香織さん」
香織さんと雑談を交わしていると、またガチャリとドアが開く音がした。出入り口に視線をよこすとそこには白のタキシードを着込んだマスターが立っていた。
「あら。旦那様も素敵ですねぇ。白のタキシードって着る人を選ぶんですよ……」
介添えの人が私に聞かせるようにつぶやく。
お上手だと思ったけれど、実際、マスターに白の上下はとても似合っていた。
香織さんがニコニコしながら後ずさり、マスターに自分のいた場所を譲った。
「うわぁ……」
私の頭の先からドレスの裾まで、視線を走らせるマスター。綺麗だと言ってくれるだろうか。
でもマスターったら……。
「すごいな。プロのメイクアップテクニックは」
ちょ……マスター! 何てことを言うの? 晴れの結婚式で、いくら照れてるにしてもそれはないんじゃない?
もし、これが漫画だったなら、私のこめかみには怒りマークが描かれているに違いない。
私は、ガタリとスツールから立ち上がった。
「ごめんっ。堪忍して!」
さすがに今の言葉がまずかったと思ったんだろう。何かを予感して、マスターが叫ぶ。
ホントは照れてたんでしょう? でもそんな事を言うなら黙って微笑んでるだけでいいじゃない!
身軽に動くことが出来ない私は、立ったまま両手を前に出し、マスターを突き飛ばした。
そんな私達を見て、香織さんが笑いをかみ殺すようにハンカチで口元を押さえている。
教会のドアが開けられた。
兄に腕を預け、私は、ゆっくりとマスターのもとへと歩んでいく。
こう言うのってすごく恥ずかしい。マスターの顔を見たら笑っちゃうんじゃないかと思っていたけれど。
場内に流れる厳粛な空気の前には、ちっともそんな事はなくて。
迷いなく薬指にはめられた指輪。誓いのキスを交わしたマスターは、一緒に花火を見たときの表情だった。
ふっと涙ぐみそうになるところをきっと唇を結びこらえる。
今はただ一つ一つ起こることをしっかりと覚えておこう。
実感はすぐに身にせまってこない。嬉しさは、これから過ごす日々の中でじわじわと湧いてきて心を満たしてくれるに違いないから。
披露宴を終え、空港の出発ロビーまで見送りにきてくれたのは、家族と友人達だった。
花束は……一番の親友の愛に渡した。
それから友人たちと、ひとことふたこと言葉を交わし、最後に香織さんの前に立つ。小首をかしげ微笑む香織さんを見ていると、涙がこみ上げてきそうになる。
「香織さん。今日はありがとうございました。今までも……」
それだけ言うと、言葉に詰まった。香織さんには本当に最後の最後まで、言い尽くせないくらいお世話になったから。
香織さんは私の顔を正面から見据え、励ますように軽く肩を叩いた。
「マスター、ちゃらんぽらんに見えるけど、あれでなかなかしっかりしてるからついていけばいいのよ。あ。喜和子ちゃんの方がもっとマスターの事知ってるわよね?」
うんうん……と私は、何度もうなずいた。
搭乗受付開始のアナウンスがなっている。
行くぞ……って、マスターの目が言っている。
私は、もう一度、香織さんに……友人たちに向けて頭を下げると、黙ってマスターの後ろに続いた。
入り口付近で、最後にもう一度だけ振り向くと、小さく手を振った。
***
今、私の右隣のシートにはマスターが足を組んで座っている。
これからは、ずっと二人なんだ。
そもそものきっかけは、私の借金だった。
一体マスターは、いつから私のことを思ってくれてたんだろう……。いまだに謎だけれど。
「今日は、疲れたな……」
気遣うようにマスターが言う。
「うん。でも、みんなが祝ってくれて……嬉しかった」
「そうだなぁ。ああ……俺、少し仮眠取るよ」
私はこくりとうなずいた。
マスターは、一度目をつむったけれど、思い出したように起き上がった。
「喜和子」
「はい」
「愛してるよ」
え? 何? すっとんきょうに。あの、聴く心の準備が出来ていなかったんですけど……。
「ね。今、何て言った?」
慌てて聴きなおす。
でも、もうマスターは、すやすやと寝息をたてている。
あの。狸寝入りっぽいんですけど……。
「もう一度言ってよ!」
マスターの肩を揺する。
けれどマスターは目を閉じたままだ。
仕方ないなあ……。
「あとで、もう一度、聴かせてね」
マスターの耳元で囁くと、私もまたマスターの肩に頭を乗せ、そっと目を閉じた。
〜完〜 |