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内緒のラブストーリー
作:藤村香穂里



第40話 家出


 マスターの事さえ口に出さなければ、母と私の間柄は、なんらかわりは無かった。
 まるっきりのいつもの日常。
 私の出勤前には、朝食の席でテレビを見ながら話題を振ってくる母。
 それにあいづちを打つ私。
 でも私には、マスターの話が出ないよう母が私を牽制けんせいしているように思えた。
 話が出れば、母もマスターの事を考えざるを得なくなるから。
 そんなのすぐにわかる。
 だって親子だもの。
 母が反対する理由は、ひとえにマスターが歳が離れている事やサラリーマン家庭の我が家にとって、自営業が異質だからのようだ。
 でもそれはマスターの人柄に対してのものじゃない。
 反対する理由になってないからこそ、話題にしたくないんだ。 
  
 晩御飯をとうに済ませた夜の10時台。
 リビングで、テレビのニュースを見ている母。
 お風呂からあがった私は、母と並んでソファーに座った。
 気配に気づいただろうに母の目線はテレビ画面に向けられたままだ。

「母さん……」

 ゆっくりと口火を切った。
 そこで、何? と聞き返してでもくれたら、その後が言い易くなるのに、母からは何の反応も無い。
 私がかしこまって話しかけるだけで、もう話題はマスターの事しかないと思ったのだろう。
 そのままの体勢で、ニュースを見続ける母。
 ピリピリとした緊張感が伝わる。

「マスターに会って欲しいんだけど」

 続けて話したけれど、相変わらず母はテレビのニュースに顔を向けたままだ。

「別に来なくていいのに……」

 低い声で、それだけ言った。

「だって会って欲しいんだもん。母さんは反対するけど……。マスターはいい人だよ!」

 母は、ソファーに座りなおすと、今度ははっきりと私を見据えて言った。

「そりゃぁ、わかりますよ。たまに話題にも出てたし、喜和子が熱を出した晩に送ってきてくれたでしょ」 

「じゃぁ、別に会ってくれてもいいじゃない!」

 つい語調が荒くなる。

「わかっているから会わなくていいんです!」

 母は頑固だ。
 そして私も母のその気性を受け継いでるって、親戚筋からは言われている。
 母は、わかっていて反対しているんだ。
 ぴしりとした物言いに、これ以上母と話しても無駄なような気がした。
 日を改めて、もう一度話そう。
 私は、それ以上何も言わずにリビングを離れた。


 それから日を改めて同じ時間帯に母に切り出してみるけれど、相変わらず母は同じ反応だ。
 そりゃぁ、数日で急に心変わりするなんて、考えられないけれど。
 ずっとこのまま膠着状態こうちゃくじょうたいが続いては、たまらない。
 反対する明確な理由も無いのに。

「今後、そう言う話は、聞きませんからね」

 テレビを消すと、母はリビングから立ち去ってしまった。
 私はソファーの上に膝を抱えてうずくまった。
 今しがたの母の態度が頭の中にリフレインする。
 パジャマのズボンから覗く冷たい足先に、こみ上げてきた涙がぽたりとかかる。
 もうこんな状態じゃ、何を言っても駄目かもしれない。

「あ〜あ。あんなに反対しなくてもいいのになぁ……」

 いつの間にか、兄が廊下に立っていた。
 スエットの上下姿で首にタオルを巻き、こめかみの汗をぬぐっている。
 丁度、お風呂から上がってきたところで、母と私のやり取りに出くわしたんだろう。
 兄は、ソファーの私の向かいにどかっと腰を下ろした。

「もう、あれは理由なんて無いな。感覚的なものだろう。喜和子が出て行くのがさみしいのもあるか」

 兄の話すことを聞きながら、テイッシュで涙を拭った。
 今、誰かと話すことは、億劫だった。
 マスターの事を話そうとしたら気分が高ぶって、また涙が出るかもしれない。

「兄さんは、反対しないの」

 鼻に詰まった声でそれだけ言った。

「まぁ、歳は離れているけど。好きなんだろう? 別にいいじゃないか」

 最初から、兄は割と寛大だった。その言葉が救いだ。

「まぁ……母さんには俺からも言っておくよ」

「うん」

 私はコクリとうなずくと、自分の部屋に戻った。
 部屋に戻ると、ベッドに横になり、もうひとしきり泣いた。
 

  ***


 ブロックチョコを湯せんにして溶かす。
 いっそ、ストーブの前にでも行って溶かしたかったけれど、お菓子作りは繊細さが命。

 湯せんとストーブで出来上がりに差があるとは思えないけど、マスターに贈るチョコ。
 作り方を守って、丁寧に作業を進める。
 溶かしたチョコに生クリームとラム酒を加え、成型する。
 私は、トリュフを沢山作り、ココアパウダーやチョコスプレーをまぶした。
 もっとも初歩的なチョコレートの作り方。
 成型後の形のいびつさは、トッピングでなんとかなる。
 固まったチョコを紙製のカップに詰めると、フィルムに包んでリボンで飾る。
 ラッピングを施すと、手作りチョコもそれなりにさまになった。
 途中、母がリビングにやってきたけれど、台所を占領している私の様子を見て、何も言わずに出て行った。

 正直、お菓子作りはあまりしたことが無い。
 まして手作りチョコなんて、今はじめて作ってみた。
 溶かして固めるだけなら同じ事。
 それなら市販品を買ったほうがいいと思っていたから。
 だから、私がバレンタインにチョコを作ってる風景なんて、母は初めて目にするはず。
 私の様子にマスターへの真剣さを汲んでくれればいいんだけど。
 黙って出て行くのは、マスターの事を話題にしたくないんだろう。

 ちょっと、厭な気分になったけれど。
 それでも、私は、すぐさま気持ちを切り替えた。
 明日は、水曜日で『黒薔薇』が休みだから、仕事を終えたら、すぐに向かおう。
 初めて、マスターと一緒に過ごすバレンタインだもの。
 ラッピングしたチョコは更に袋に入れて、通勤用バックに忍ばせた。

 

「早く帰って来なさいよ」

 朝食のテーブルで母が言う。
 昨日、チョコを作る現場を見ていたはずなのに、その言葉がわざとらしい。
 あるいは、今日会うことは承知の上で、マスターのところから早く帰って来いという意味かしら。

「今日は、マスターのところに行くから無理」

 母のほうを見ずに素っ気無く答えた。

「全く……仕方ないわねぇ」

 母にとっては、予想通りの言葉だったらしい。

「マスターと結婚できなかったら、私。一生独身で通すからね!」

 これほどまでに真剣に思っているのが、どうして母にはわからないんだろう。

「また、そんな脅し通用しないわよ……。大体、あなたは、飽きっぽいんだから」

 全く……もう。ブランド品を買い漁っていた頃と一緒にしないで。
 母の目から見れば、私は子供なんだろうけど、職場に行けばそれなりにきちんと仕事もしているんだから。
 その気になれば、ちゃんと自立してやっていける。
 
「マスターとは、結婚します」

「何度言っても無駄。駄目なものは駄目よ」

 もういやだ。
 母は私にネガティブな言葉ばかりをぶつけてくるんだ。
 こんな否定的な言葉をずっと聞かされたらどうにかなりそう。
 こうなったら、もう実力行使しかない。

「それなら私が勝手にマスターの所に行きます」

 はっきりと言い切ると立ち上がり、自分の部屋に戻った。
 ブランドのバッグにクリスマスコフレと基礎化粧品、2〜3日分の衣類を片っ端から放り込む。

 ボストンバッグを持ち、階下に降りると、台所近くで母と鉢合わせになった。
 私の格好を見て、母が何か言ったと思う。

 多分、引き止めようとしているんだろうけど、母の言葉はもう聞こえていなくて、振り切るようにそのまま家を出た。


 思わず家を飛び出してしまった喜和子。
 マスターはどうするんでしょう。








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