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内緒のラブストーリー
作:藤村香穂里



第25話 マスターの友達


 ドアが乱暴にバタンと閉まる。
 すぐにマスターがつかつかと入り口に近づくと、戸をあけて大きく手を振り上げた。
 何してるんだろうと見つめていたら、どうやら塩を撒いたらしい。

「あはは……。よっぽどマスターは気分が悪かったんだねぇ」

 先ほどの常連さんが、頬杖をついてじっとマスターの様子を眺めている。
 マスターと同じ30代くらいの男の人。
 すっきりとした顔立ちで女形みたいで華奢で。
 小指を立てる仕草が似合いそうだなんて失礼な事を内心思う。

「あの。ありがとうございます」

「いいんだよ。折角、気持ちよくコーヒー飲んでるのに。あんなのがいると、ここの雰囲気が悪くなる」

 それから彼は言った。

「あー。あなたが喜和子ちゃんか」
 
 えっ? 何で知ってるの。
 常連さんなら、マスターが私の名前を呼んでいたのを聞いていたとも考えられる。

「そうですけど」

 怪訝そうに相手を見つめた。

「ああ。失礼。飯田たかしと言います。ここのマスターとは友達でね」

 戻ってきたマスターが会話に割って入る。

「彼は、香織さんの従兄弟なんだよ……」

「ええっ?」

 思わず、にこにこと微笑む飯田さんの顔に見入ってしまう。
 そもそも香織さんがこの『黒薔薇』を利用するようになったのは、従兄弟の紹介だと言っていた。
 ふと気になるのは、「あなたが喜和子ちゃんか」と言う言葉。
 一体、この人はどこまで私の事を知っているんだろう。
 喉元までその言葉が出かかったけれど、飯田さんとマスターは、このお店を開いた頃の話をはじめ、私は消化不良のまま2人の話に聞き入る事になってしまった。
 まだ週の半ばの水曜日。
 毎回、閉店までいてマスターに家まで送ってもらうわけにもいかないし、いい加減に帰らないと母がうるさい。
 丁度バスが来る時刻だし、話の途切れたところで帰ろうと席を立った。

「私は、これで」

「あ。喜和子ちゃん。そこまで一緒に行こう」

 飯田さんが言い、一緒に立ち上がった。
 初対面……でもないのだけど、なんだか気が引ける。
 戸惑う私に、「マスターもその方が安心するでしょう」と。

「ああ。年末だし、酔っ払いとか歩いてるからね。たかちゃん。頼む」
 
 私の同意を得ることもなく、勝手に飯田さんとマスターの間で話がついてしまった。
 マスターは、私を見てうなずいているし。
 マスターは友達だからいいけど、私にしてみればすごく気詰まりだ。
 仕事でこそ、窓口業務をしているけれど、どちらかと言うと初対面の人と話すのは苦手なのだから。
 じゃぁと挨拶すると、揃って『黒薔薇』を出る。 
 街頭に照らされた商店街を歩く。
 師走の商店街。
 しかもまだ夜の八時台とあって、人通りもそこそこ多い。
 トレンチコートの飯田さんとロングコートの私は、明らかに見た目にも不釣合いだと思う。
 こんな時、知人にばったり会ったら何と説明したらいいんだろう。
 悶々と頭の中によぎる思いを巡らせながら、ふと、さっき、喉元まで出かかっていた疑問をぶつけてみたくなった。

「香織さんに私の事を聞いたんですか?」

 男性であるマスターから聞いたのかとは言いにくかったから。

「ああ。うん。香織ちゃんから一緒にお茶習ってるってちらっと名前は出たことあったね。ま、盆と正月にしか会わないけど」

 従兄弟ならそんなものかもしれない。

「そうですか」

「どちらかと言えば、宏樹がね」

 マスターの名前を聞いて、ドキリとして体が熱くなる。

「え? マスターが話したんですか」

 とっさにとぼけた演技。
 その実、息を止めてどんな返事が返ってくるかを待つ。
 飯田さんは、私のほうを見てクスリと笑った。
 あ……。何か知っている表情。

「いや、一緒に呑みに行ったとき、丁度、宏樹の携帯が鳴った事があって……」

 マスターが電話に出た時の第一声が「喜和子ちゃん?」だったと言う。

「時間も遅めだったし。それから席を移動して親しげに話してたから、仲がいいんだと思ってね。」

 言われてみれば、「今、友達と飲み屋」なんて会話があったかもしれない……。

「宏樹の最近出来た彼女って、喜和子ちゃんの事だったんだ」

「ええっ!?」

 思わず、反射的に大きな声を出してしまった。

「違うの?」

「あ……いえ。はい」

 まだだぁれも知らないのに飯田さんにわかってしまった。

「あいつは、良い奴だよ」 

 わかってますよ。でなきゃ好きにはならない。

 飯田さんは、終始ニコニコした表情。
 その笑みが私を緊張させるんですけど。
 危うくバス停を過ぎそうになって足を止めた。

「あの、飯田さん。私はここで」

 そのまま2〜3歩歩いて行った飯田さんが振り向いた。
 そこで、私ははっと思い当たった。

「あの……香織さんにはまだ言ってないんです。マスターの事」

 大きな声ではっきりと口にした。

「あー。わかった。正月に会った時には黙っているよ。じゃぁ、喜和子ちゃん。またね」

「はい。おやすみなさい」

 手を振る飯田さんに私も手を振り返した。

  ***

 やがて仕事納め。
 今年最後の勤務日は職場の片付け物をしたりして、普段より遅くなったから、寄り道せずにまっすぐに家に帰る。
 年末年始休暇になれば、ゆっくりマスターのところに顔を出せるだろう。
 明日は、開店前の『黒薔薇』に行こう。少しは2人でいられるだろう。
 連日、晩御飯そっちのけで遅く帰って母にぶつくさ言われるよりもずっといい。
 ところがそんな甘い計画は、母と差し向かいでの晩御飯の席で崩れ去った。

「喜和子。おばさんの家に着物が届いたそうよ。明日、取りに行きましょう」

 え? 明日、早速マスターのところに行こうと思っていたのに。

「それで叔母さんの家の近くに日帰り温泉施設があるでしょう? そこに寄って……」

 勘弁してよ……。

「ええっ!? 仕事で疲れてるのに」

「だから温泉に行くんじゃないの。疲れがとれるでしょう」

 家でゆっくりして、マスターに会いに行くのが、私にとっては一番の癒しなんだけどな。
 叔母さんの家で着物を受け取って、すぐに帰ってくればいいじゃないのって思うけど。
 我が家は、父を亡くして5年が経つ。
 それより前に兄が結婚してしまったし。
 だから母はつまらなくて、休日に私と出かけるのを楽しみにしているんだ。
 文句は言ったけれど、とても厭とは言えなかった。


 いつもありがとうございます。
 作者は、8月は繁忙期の上、バースディー(誰も聞いていないって)があるので、更新は滞りがちになるかもしれません。
 が、書き続けたいと思いますので(口癖)よろしくお願いします。








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