第19話 熱3
「喜和子……起きなさい」
母の声。
……と言う事は朝なんだろう。
夜中に汗びっしょりになって1〜2度、目が覚めたっけ。
着替えるだけ着替えてまたすぐに眠ってしまったんだ。
体はそのままにぱっちりと目だけ開ける。
「どう?」
横になったままだとわからない。
ゆっくりと半身を起こす。
けだるさが体全体を包む。
当然ながらまだまだ本調子には程遠い。
昨夜ほどの熱っぽさはないけれど、ふらふらする。
昨日、あれだけ熱が上がっていて、今日すぐに仕事に行くなんて無理。
職場に電話する前に母の差し出す体温計を受け取り、熱を測る。
熱は、36度8分にまで下がっていたけれど、また上がってくる可能性もある。
幸いな事に今日は兄が家にいるから、医者に連れて行ってもらうようにと母は言った。
「喜和子。具合はどうだ」
「熱はないけど。だるい……」
ふわふわと歩いている実感がない。
思い通りにならない自分の体。
玄関に横付けされた兄の車に乗り込むと、助手席に体重を預ける。
兄は寡黙で、母みたいにあれこれと言わなかった。
昨日の夜遅く、マスターに送られて来た事は聞いているんだろうけど。
私もあれこれとしゃべらない。第一しゃべる元気などない。
マスターの車は車高の低いスポーツカーだったけれど、今日はファミリーユースのセダンだ。
運転する兄の横顔を見ながら、昨日、同じ位置にあったマスターのシルエットを思い浮かべてしまう。
マスターと4つ違いの兄。
見た目は、個人差でいくらでもカバーできるものなんだろう。
頭部の髪が後退している兄は、仮に38歳のマスターと同い年ですと言われれば、はいそうですかと納得できそうな風体だ。
とすると……マスターはあの年齢にしては、かっこいいかもなんて思いなおした。
診察を終え解熱剤と5日分の薬を処方され、「お大事に」の言葉を背に兄の車に乗り込んだ。
今日の明日じゃまだ仕事は無理。当然『黒薔薇』にいく事も叶わないだろう。
帰宅して、パジャマに着替えると、ベッドに横になった。
とにかく早く治さないと。
ああ、こんな仕事の繁忙期に風邪なんかひいて、なんだか情けない。
マスターにだって会えないし。
目を閉じて、昨日の出来事を呼び起こす。
マスターのほんのちょっとした言動に気持ちを量ろうとして。
食事を取って薬を飲んで、眠り続けた。
体が自然に睡眠を欲しているのか、薬のせいか、ほんとに馬鹿みたいによく眠ってしまった。
次に目覚めたときは、窓の向こうはすっかり暗くなっていた。
時計代わりの携帯を開くと、時間よりも先に受信メール1件の文字に目を奪われる。
今の時間は、18時20分。
このメールが何となくマスターのような気がして……。
いやマスターであって欲しいと、息を止めて開いた。
内田宏樹。
受信時刻15:56
やっぱり! マスターだ……。
その名前を見ただけで、甘ったるい感情が込み上げてくる。
『喜和子ちゃん。具合はどう?ゆっくり休んで治すこと!』
通りいっぺんの言葉。それから?
『あっ。このメールに返信は要らないから』
空白―空白―空白―。
それだけ?
こんな儀礼的な……。
しかも私に労力を使わせまいとメールの返信を要らないって言ってるんだ。
私が返信しなきゃ、その返事もないじゃない。
私だってマスターにメールしたいのに……。
ふと画面を全部スクロールしきっていない事に気づいた。
もしかしたら……。画面を下に下に送っていく。
『実は俺もね』
最下段にはそんな言葉があった。 |