挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
この世界がゲームだと俺だけが知っている 作者:ウスバー
92/239

第九十章 粘菌フィーバー

(くそ、冗談じゃないぞ…!)

 俺は必死で焦る気持ちを押し殺しながら、心の中だけで毒づいた。

 粘菌を駆除する時は決して近付かず、エリア外から対処するというのがセオリーなのだ。
 いや、あえて玉砕覚悟で自分で突撃していく勇者もごく一部には存在するらしいが、俺にはとても真似出来ないし、真似したくないと思っていた。
 なのに気付いたら囲まれていました、なんて、最悪にもほどがあるシチュエーションだ。

 しかも、こんな所で遭遇するなんて夢にも思っていなかったから、まだ奴らと戦う準備もしていない。
 俺の中に過去のトラウマと、最悪の未来がよぎる。

(落ち着け、落ち着け)

 冷静になれと自分に言い聞かせながら、俺は腰に手をやる。
 残念だが、これから悠長に冒険者鞄からアイテムを選んでいる暇はないだろう。
 俺はポーチに手を突っ込んだ。

(アクアエレメント戦用にこいつを用意しててよかった)

 ポーチからいくつかの毒薬を掴み出し、それをリンゴが牛乳を投げた辺りに放り投げる。

(これであいつらが毒状態になるかは分からないが、少なくともこいつに群がってる間、ちょっとした足止めには……)

 そんなことを考え、奴らが毒薬に群がったら行動を起こそうと、その行方を見守った。
 しかし、

(……来ない?)

 さっきとはまるで反応が違う。
 周り中から黄色の気配が強まっているのにもかかわらず、あのいやらしい粘菌どもは、毒薬に手を出そうとはしない。

 中身が毒だと見抜かれているのかと一瞬疑ったが、奴らにそんな知能はないはず。
 捕食対象を選り好みするなんてことは……と考えて、気付いた。

(そうか、優先順位!)

 辺りを見渡せば、このフィールドにはまだ木や植物など、粘菌が食べられそうな物が残っている。
 なのにあえて火を持っている俺たちに向かってきているということは、そういった物よりも、俺たちの方がおいしそうに見えているということだろう。

 粘菌に外を知覚するような器官があるとも思えないが、そこはまあ、ゲームの世界での話だ。
 奴らは設定されたパターンに従って、まるで目でも見えているかのように獲物に近付き、それを捕食していた。

 あいつらが元のゲームで捕食可能だったのは、人間とモンスター、それに武器などのアイテムや食品だけだった。
 ゲームが現実になって、木などのオブジェクトや、たぶんHPのないアイテムも食べられるようになったのではないかと思うが、それでもまだゲーム時代の行動パターンが生きているのかもしれない。
 木や毒薬などの昔食べれなかった物より、人間や牛乳などのゲームでも捕食可能だった物を優先して狙っているのだと考えられる。

(だったら毒薬を置いても効果がないか。
 だとしたら、もう……)

 俺が最後の毒薬を前に逡巡していると、

「貸して下さい」
「あ、ちょっ…!」

 焦れたミツキが素早く俺の手から薬を奪い取ると、それを闇の中に放り投げた。

 流石はミツキ、と言うべきだろうか。
 火の光が届かない範囲でぼうっとしか見えないが、ミツキの毒薬の瓶は狙いを外さず、そこらにうごめいていた黄色い影を直撃したようだ。
 だが、

「……何も、起こらないようですが」
「あいつらには状態異常攻撃も状態異常アイテムも効かないんだよ!」

 粘菌の様子に変わりはない。
 あいつらは状態によって色が変わるため、毒にかかれば緑色に、死亡すれば灰色になるはずだが、今回は何の変化も起きなかった。
 完全なくたびれもうけ、いや、毒薬を失った分、痛手だったとすら言えた。

「…ソーマ」

 気付けば、そろそろ光の当たる範囲にまで黄色い影が侵食してきている。
 ほかのエリアから粘菌たちが流入しているのか。
 それとも今もどこかでモンスターを食べて増殖しているのか。
 とにかくにも、奴らの数はこうやっている間にも増えてきている気がした。

「どうするのですか?」

 流石のミツキも、この粘菌の群れと切り結ぶつもりはないようだ。
 頭の上の猫耳も、「このきいろいの、こわいよー」とばかりにふるふると震えている。
 それを見ながら、俺はあらためて現状を整理する。


 推測にはなるが、この粘菌の大発生が起こったのはつい最近のはずだ。
 洞窟に入る前は普通にほかのモンスターにも遭遇していたし、ゲームだったならともかく、今の世界では流石に一つのフィールドを埋め尽くすほどに粘菌が大発生したのなら、その情報が街や道場にまで届くはず。
 また、このエリアにまだ植物が残っているということは、このフィールドに粘菌が侵入してまだ間がないということも示している。

 木を食べることに関しては情報が少なくて断定出来ないが、奴らが最初から『粘菌の森』の木々を食べて増殖していたとしたら、ここに来るまでの二週間という日数は遅すぎるくらいだ。
 初めの内は奴らも自分たちが木を食べられるということに気付いていなかったということもありえるし、粘菌は数が少ない間は動くこともあまりしないので、もしかすると森の木を食べ始めたのもそんなに昔のことではなかったのかもしれない。

 どちらにせよ、俺たちがここに来るのが一日早いか遅いかしていたら、いきなりこんな状況に放り込まれることはなかったはずだ。
 我ながらタイミングがいいのか悪いのか分からないが、それならそれで打つ手はある。

「とにかく、今は対策を練る時間が必要だ!
 さっきの洞窟までもどるぞ!」

 このフィールドにまだ侵入したばかりだとしたら、ここより手前のフィールドはまだ侵食されていないはずだ。
 少なくとも『流水の洞窟』について言えば、帰り道に粘菌の姿を見かけることもなかった。
 まず間違いなく、あそこはまだ無事だろう。
 だからひとまずそこまで逃げて、態勢を立て直す。
 それが、俺の出した結論だった。

 そこまで決めたなら、あとは全力で逃げ出すだけだ。
 俺は素早く指示を出す。

「ミツキ、松明を頼む。
 これで近付く奴らを牽制してみんなを守ってくれ」
「分かりました」

 ミツキが俺からたいまつシショーを受け取る。
 ミツキが早速こちらに向かってこようとした黄色の塊にシショーを向けると、奴らは火を嫌がって少し下がった。

「リンゴ、雷撃で後ろについてくる奴らを攻撃。
 全部は倒さなくていいから、足止めをしてくれ」
「…ん」

 返事と共に、夜の闇に雷光が走る。
 狙いは正確ではなかったが、相手は地面全体にびっしりと広がっている。
 ほぼ全ての雷撃が黄色いスライムに命中、絶命させ、黄色の海に灰色のまだらを作る。

(しかし、想像以上に多い)

 雷撃に照らされて視界が少し広がったが、思ったよりも俺たちを追っている粘菌は多い。
 この場のモンスターはほぼ狩り尽くしたということだろう。
 次のポップが来るまで、敵の目標が俺たちに集中することが予想される。

「くまにはこのポーチを預ける。
 中には属性の球が入ってるから、それを投げて……」

 言い終えない内に、俺の背中を器用に登ったくまが、ポーチから青の球を取り出して粘菌の群れに投げつける。
 青い爆発が広がって、その一帯にいた粘菌が死滅して灰色になった。
 属性耐性を持たず、HPが1しかない粘菌は、こんな下級アイテムの一撃でも簡単に倒せるのだ。

 しかし、奴らの恐ろしさはここからだ。
 俺が見ている前で、灰色になった粘菌の死骸に黄色い粘菌が群がる。
 そして瞬く間に増殖して、元の数を取りもどす。

 いや、実際には前より数は減っているはずなのだが、仲間の死体に釣られてやってきた個体があるため、数が減っていないように見えてしまうのだ。
 その光景には怖気を震うばかりだが、今すべきことは震えることではない。
 立ち止まっている間に、『流水の洞窟』方面にも粘菌が集まってきていた。
 俺たちが向こうに逃げるためには、こいつらをどかす必要がある。

 俺は自分たちの目の前に立つ黄色い壁に向かい、呪文を唱えた。

「『プチプロ―ジョン』!!」

 魔法の威力を下げていたことが幸いした。
 極限まで威力を下げられたその爆発の魔法は粘菌たちにダメージを与えることはなく、しかし進路上の粘菌たちをひるませ、吹き飛ばすには充分な効果を発揮した。

「行くぞ!」

 そうやって作ったわずかな隙間に飛び込むように、俺たちは先を進む。
 幸運なことに、まだ『流水の洞窟』方面は比較的包囲も手薄だ。
 徐々に狭まってくる包囲に肝の冷える思いをしながらも、俺は一縷の希望にかけ、さっき歩いてきた道をもどっていく。

(しかし、これはまずい、か…?)

 だが、粘菌たちの追撃は想像以上に苛烈だった。
 少しでも粘菌の包囲の薄い所を狙い、ジグザグに進んでいた俺たちだったが、時間を追うごとに視界に入る黄色の量が増えていく。
 一方、俺たちの方は無限に戦う能力を持っている訳ではない。

「くまさん…?」

 まず、くまの投げる属性の球が切れた。
 ポーチに入れられるアイテムは、種類も個数もあまり多くない。
 今から鞄を漁る余裕はないし、これは仕方がない。

 だが、足止めの攻撃がリンゴの雷撃だけになって、追いかけてくる粘菌たちの勢いが目に見えて激しくなる。

「くそっ!」

 今までより多少無理をして『プチプロ―ジョン』を使う。
 『射程』の性能を限界まで下げているので、敵に突撃するくらいでないとうまく使えないのだ。

 とにかく洞窟に逃げ込めばなんとかなる。
 そう自分に言い聞かせ、恐怖をねじ伏せながら敵に接近して魔法を使う。
 しかし、ようやく『流水の洞窟』の入り口が見えた時、その無理が祟った。

 俺はその時も粘菌の中に突っ込みながら魔法を使おうとしたのだが、

(……魔法が出ない?!)

 発生するはずの爆発のエフェクトがいつまで経っても生まれない。
 魔法の使い過ぎ。
 MP切れだった。

 敵の前で棒立ちになった俺に、黄色い波が押し寄せる!


「――ソーマ!!」


 俺を救ったのは闇を切り裂く雷光だった。
 目の前の黄色い波を雷撃が直撃し、その動きを一瞬だけ押し留める。
 その隙に俺はミツキに引っ張られ、かろうじて退避出来た。

「助かった、二人とも」

 俺は青い顔で礼を言う。

「…ソーマはぜったい、しなせないから」
「当然の事をしたまでです」

 頼もしい二人の返事。
 しかし、代償は大きかった。

 リンゴの背後への攻撃が一時的に途絶えたことで、俺たちを追ってきた粘菌たちが完全に追いついてきてしまった。
 それに、俺が低威力の攻撃で粘菌を出来るだけ殺さないようにしていたのは、粘菌は同族の死体に最優先で群がる性質があるからだ。
 前方の粘菌を殺したことで、完全に前にも回り込まれてしまった。

「囲まれ、ましたね」

 ミツキの重い声が胸を突く。

「…………」

 リンゴは何も言わないが、状況が絶望的だということは分かっているようだった。

 ――ニタァ。

 くまはこんな時でも気丈に笑っている。
 ……いや、気丈、かどうかは分からないが、とにかく笑っている。
 俺も、力のない笑いを返した。

 はっきり言って、状況は最悪だ。
 今はかろうじてミツキの松明が粘菌たちを押し留めているが、次の瞬間には襲いかかられてもおかしくはない。

 最後の決断をするべき時だ。
 俺は束の間、目を閉じた。

(……仕方がない、か)

 この場を無傷で抜けるのは不可能だ。
 俺は、左手の黄金桜を構えた。
 四方を取り囲む粘菌たちに向けて、ではなく、俺の掛け替えのない仲間たちに向かって。

 このままじゃ、全滅だ。
 だから、この中の誰か一人、いや、リンゴかミツキのどちらかには犠牲になってもらう必要があった。

「……悪い」

 俺はそう言って、黄金桜を振りかぶる。
 詳しく話をする時間などない。
 どんな非難を受けたとしても、俺は生き残るために足掻くつもりだった。

 しかし彼女たちは二人とも、武器を振りかぶる俺を見ても逃げる素振りを見せない。
 抵抗することもなく、ただ俺がすることを受け入れようとしている。

(本当に、ごめん!)

 心の中で謝罪して、俺が最後の手段を取ろうとした瞬間、


「ウォォオオオ!!」


 突然、横合いから恐ろしい唸り声がした。
 反射的に声の方に目をやると、

「ブラッディオーガ!?」

 このフィールドのレアモンスター、ブラッディオーガが遠くに見えた。

 ブラッディオーガは黒い肌をしたオーガ系のレアモンスターで、通常の個体よりも数ランク高い能力と巨体を誇るモンスターだ。
 そのレアモンスターゆえのHPの高さで生き残ったのだろうか。
 あるいは単に、ポップしたばかりなのだろうか。
 この場所に出てから初めて粘菌以外のモンスターを見たが、その命ももう長くはないようだった。

 必死に振りほどいてはいるが、もう下半身を半分くらい粘菌に取りつかれている。
 このままでは、粘菌に食い殺されるのは時間の問題だろう。
 だが、それを見て俺は決断した。

「ソーマ?!」
「何を?!」

 背中のくまをリンゴに放り投げ、俺は黄色い海に飛び込んで行く。

 『ステップ』で粘菌の海に片足を突っ込み、『ハイステップ』で足にまとわりつく粘菌ごと跳んで、『縮地』でブラッディオーガまでの最後の距離を詰める。

 足が食われる。
 何とも言えない、不気味な感触。
 だが、1程度のダメージでは、スキルは中断されない。

 『縮地』で暴れるオーガの足元までたどり着き、『ジャンプ』。
 それでも粘菌の群れを振り切れはしない。
 だが、オーガの弱点、頭部を射程に捉えた。

 ブラッディオーガやブッチャーなどの巨大なモンスターは、狙いにくい頭が弱点になることが多い。
 そして、弱点、クリティカルポイントに攻撃を当てれば、その時のダメージ、そして、状態異常の付着率は二倍になる!


「――『毒牙』!!」


 黄金桜によって発動された短剣スキルが、オーガの頭部に突き刺さる。
 やった、という確かな手応え。

「くっ!」

 そして、スキルを終えた俺の身体は力を失い、黄色い海に落ちていく。
 落下の途中、ブラッディオーガが粘菌の攻撃に耐え切れずひざを折り、その身体が全て黄色に覆われていくのが見えた。

(……ぁ)

 それを見届けるのと同時、俺の身体は地面に、いや、粘菌の海に落ちる。

「ソーマ! ソーマ!!」

 急速に黄色に塗り潰されていく視界の中で、俺は誰かの取り乱した声を聞いた。
 このままでは俺は数秒も経たずにこの粘菌たちに喰い殺されるだろう。


 ――だが、そうはならないことを俺は確信していた。


 そして、実際。

「…ソー、マ?」

 ほんの数瞬後、俺に取りついた粘菌たちは、俺の身体から離れていった。
 俺よりももっと優先すべき捕食対象を見つけたのだ。

 顔を上げれば、そこにはブラッディオーガの身体に群がっていく粘菌の姿。
 いや、もっと正確に言えば、オーガに張り付いた粘菌たちに群がっていく粘菌の姿が見えた。

 ――俺の目に映ったのは、場違いに色鮮やかな光景だった。

 粘菌たちの死体、灰色のそれに黄色が群がり、一瞬でその身体を鮮やかな緑に変える。
 生まれた緑は分裂し、新しい緑を生み、灰色になって動かなくなる。
 そこに新しい黄色が群がり、緑に変わって、また緑を生んですぐに灰色になって……の繰り返し。

 黄色、緑、灰色、黄色、緑、灰色……。

 奇妙に続くその色の連鎖は、ブラッディオーガの身体を中心に、あっという間に外へ、円を描くように広がっていき、

「行けっ!」

 俺の声援を糧にしたかのように、瞬く間にフィールド全域へと拡大していった。
 そして、

「助かったよ、ブラッディオーガ」

 いつの間にか力尽きていたブラッディオーガの巨体が粒子になって消える頃。
 もう俺の周りには、黄色い海なんてなくなっていた。

 ほんの数十秒程度の出来事だった。
 だがその数十秒の間に、フィールドを席巻していたイエロースライムは一匹残らず粒子になって消えていき、フィールドは唐突に夜の静けさを取りもどした。

 精神的な疲労で力が入らない。
 粘菌にしがみつかれた足がじくじくと痛む。
 起き上がる気力もなく、俺はごろんとその場で仰向けになった。

「は、はははっ!」

 それでも自然とこぼれる笑みに、俺はこぶしを握った。

「……大連鎖、成功」



 余談、ではあるが。
 今回俺が使ったこれが、絶望する全『猫耳猫』プレイヤーたちに希望をもたらした、あるプレイヤーが偶然にも見つけた粘菌への対処法。

 ――通称『粘菌全消し法』である。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ