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この世界がゲームだと俺だけが知っている 作者:ウスバー
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第百六十九章 まどろむ街

くまが遠い……
「はぁ。まったく、お前は……」

 こいつにも地下のネクラノミコンを狙うという話はしていたはずなのだが、本を漁っているうちにすっかり忘れ、置いてけぼりにされたと思ったサザーンは、泣きながら図書館を徘徊していたらしい。
 ……迷惑すぎる。

 食事の時にちゃっかり加わっていた癖に、自分の欲望を優先して本を探しに行ったりするからこんなことになるのだ。
 俺が呆れていると、その間にあっさり立ち直ったサザーンが、セーリエさんを見つけて声をあげた。

「あ、貴様! ここの職員だな! 貴様に言いたいことがある!!」
「……なんでしょう?」

 その時、度重なる危機のせいでやたら敏感になった俺のセーリエさんのご機嫌センサーが警鐘を鳴らした。
 表情には出ていないが、これは本気で怒っている時の反応だ。
 大爆発の予感を察知した俺は、セーリエさんをとりなすかサザーンを止めるか一瞬だけ迷って、結果、

「…………」

 黙ってサザーンの自爆を期待することにした。
 やりたい放題のこいつには少しきつめのお灸を据えるくらいがちょうどいい。
 それに、ここでサザーンに怒りの矛先が向けば、土竜の件で俺に追及が行くことがなくなるかもしれないという素晴らしい計算である。

「これだよ、これ!」

 だが、事態は予想外の方向に推移する。
 不満の声と共にサザーンが突き出した物を見て、初めてセーリエさんの表情が曇ったのだ。

 怒れるサザーンが手にしていたのは、ノートくらいのサイズの小さな石板。
 そこには古めかしい筆致で光り輝く文字が刻まれている。

「邪神を封じた勇者たちの貴重な映像記録だと書いてあるから楽しみにしていたのに、触っても何も起こらないじゃないか!」

 そう言ってサザーンが振り回した石板は、展示室に飾ってある『邪神大戦映像記録』と書かれた展示品だろう。
 その見覚えのある石板には、

『やがて訪れる 勇者たる資質持つ者へ この記録を残す
 汝 英雄アレクスの意志を継ぎ 邪神を討たんと欲するならば
 古の勇者たちの軌跡を辿り その運命を見届けよ
 >>第一話』

 と書かれている。

 というかこいつ、展示してあるのを持ってきちゃったのか。
 全国にいる熟練の『猫耳猫』プレイヤーたち(その総数は数千とも数百とも、まあ少なくとも五十人くらいはいるんじゃね、とも言われる)がやれなかったことを平然とやってのける。

 ……まあ、おそらくは現実化に伴う仕様変更だろう。
 ゲームだとあの石板も壁や天井と同じ地形扱いで干渉出来なかったのだが、どうやらこの世界では自由に持ち運べるようだ。

 しかし、何も起こらないとはどういうことだろうか。
 石板の最後に書いてある『第一話』というリンクを触れば、それだけで勝手に動画が起動する仕組みになっていたはずなのだが……。

「申し訳ありません。それは観賞用ですので、実際に記録を見ることは出来ません」

 その疑問をさらに深めるように、セーリエさんが頭を下げる。
 俺としては悪くない流れのはずだったのだが、つい口をはさんでしまった。

「ちょっと待った! それ、そこの『第一話』の部分を触るだけで動くんじゃないのか?」

 俺だって、その石板を何度か使ったことがある。
 それで間違いないと思ったのだが、セーリエさんは首を振った。

「いいえ。わたしも試したことがありましたが、何も起こりませんでした」
「そんなはずは……」

 何か仕様変更があったのだろうか。
 俺がふたたび首をかしげると、

「じゃ、わたしがやってみようかなー」

 横合いから小さな手が伸び、サザーンの手から石板を奪っていった。

「真希? 何やって……」

 驚きの視線が集中する中、サザーンから石板を取った真希は、

「こーいうのはね。ごちゃごちゃ言わずに、まずやってみればいいんだよ」

 石板を高く掲げ、自慢げに話す。

「あ、駄目だって、待っ――」

 真希の次なる行動を悟った俺は、制止の言葉をかけようとするが、間に合わない。


「第一話スタート! なんちゃっ――」


 勇ましい真希の叫びが図書館に響き、

「……うぅぅ」

 その一瞬後、真希は自分の身体を抱くように丸まって、その場に座り込んでいた。
 全員、何が起こったのか分からず目を瞬かせる中、どこか怯えた様子の真希が、顔をあげる。

「……も、もどってきたの?」

 あの真希が震え声でそうつぶやき、俺の姿を見つけると、俺に飛びついてきた。

「そーま! こ、こわかったよぅ!」

 今日はよく飛びつかれる日だなと思いながら、その身体を受け止める。

「だから、考えなしに色々いじるなっていつも言ってるだろ」
「うぅー!」

 真希は俺の胸の中で不満そうな声を出したが、自業自得だという自覚はあるのか、反論はしてこなかった。
 仲間たちは真希の肩をぽんぽんと叩く俺を遠巻きに見ていたが、やがて代表してセーリエさんが前に出てきた。

「何が起こったのですか? あの一瞬で、彼女がそんなに怯えるなんて、もしやこれは相当に危険な……」
「ああ、いや。俺たちにとっては一瞬でも、真希にとってはそうじゃなかったんだ」
「はい?」

 俺はいまだ泣きじゃくる真希をよしよしとなだめながら、こう答えた。

「――真希はさっきの一瞬で、一時間にもわたる大虐殺を見てきたんだよ」



 簡単に言うと、この『邪神大戦記録映像』は、使うと邪神大戦と呼ばれる、過去の勇者が邪神を封印するまでの旅を見られるアイテムだ。
 その映像の一部はゲーム発売前の宣伝にも使われ、そのためかかなり力が入っている。

 一時間というゲーム内ムービーの中では頭一つ抜けたボリューム。
 本編以上に高いグラフィックの質に、迫力のあるカメラワーク。
 有名な作曲家を起用して作らせたという、一度聞いたら忘れられない勇壮な音楽。

 この圧倒的なポテンシャルは奇跡の調和を見せ、その全てが何かに仕組まれたかのようにマイナス方向に結実した。


 この作品、公式アナウンスによると全十五話らしいのだが、始まりとなる第一話は、勇者の村がモンスターに襲われて全滅するというお約束な話が展開される。
 つまり、話の最初で感情移入させた勇者の家族や友人が殺されていく様が、本編以上に質の高いグラフィックで、迫力のあるカメラワークによって、一時間という頭一つ抜けたボリュームでお送りされるという最悪の事態。
 一応レーティングの問題もあり、血などの描写は控えられているが、これはもう完全に嫌がらせ、いや、もはや拷問である。

 しかも、これもスタッフロールと同じで中断機構が用意されておらず、一度見始めたら汎用メニューを操作してゲーム自体を止める以外にやめる方法がない。
 メニュー画面が開けないこの世界においては、実質停止不可能だということだ。

 また、有名作曲家の曲の邪魔をしてはいけないと思ったのか、キャラクターの声は設定されておらず、大昔に流行ったというサイレント映画のような状態。
 さらに有名作曲家のギャラが予想以上に高かったのか、曲は一曲しか用意されていないので、しんみりする場面もほんわかする場面も、常に勇壮な曲で雰囲気を盛り上げ続けてくれるという神演出だ。

 何しろ一度聞いたら忘れられないインパクトのある曲が、一時間ずっと、途切れることなくループしている訳で、この精神汚染度はかなりのものだ。
 それから数日は頭からその曲が離れず、気を抜くと無意識に口ずさんでいるという状態になる。

 ついでに言うと、そのほかにもこの動画には、「視覚と聴覚以外がフォローされていない」という欠陥がある。

 普通、VRの動画というものは、身体感覚全てを登場人物と共有させるか、そうでない場合は必要ではない感覚はシャットアウトするのが通常だ。
 ただ、この『猫耳猫』では何を思ったか、プレイ中の感覚状態を維持したまま、視覚と聴覚のみ上書き、という訳の分からない方法を取った。

 理屈を抜きにして感覚的に言うと、「身体を図書館に置いたまま、目と耳だけ過去の戦場に飛ぶ」みたいになる。
 自分の両足は地についているのに視点は空にあったりして、これは相当な混乱を生む上に、目をつぶったり耳をふさいだりは出来るのに、それで視覚情報と聴覚情報をカット出来ない。

 半強制的に目からは大迫力の鬱動画、耳からは大音量の無限ループ曲、それ以外からは視覚や聴覚とは全く関係ない情報が入れられるという状態が一時間も続く訳で、これはどこの洗脳プログラムだという話だ。
 普通のゲームでは下手すれば回収騒ぎにまで発展しそうな問題だが、悲しいかな、ここまでたどり着いた『猫耳猫』プレイヤーにとってはその程度のこと、既に動じるどころか驚くようなことでもなくなっていた。

「う、うぅぅ。い、いきなりみんな消えちゃうし、わけの分からない場所にいるし、どうしようかと思ったよー!」

 しかし、『猫耳猫』慣れしていない真希にとっては驚きの体験だっただろう。
 俺は日本にいた時によくやっていたように真希の背中を優しく叩いて、落ち着かせてやる。

「な、納得行かない! どうしてマキには使えてこの天才魔術師の僕に使えないんだ!」

 すると今度は予想外の理由からサザーンが興奮してわめき始めたが、その理由には一応想像がつかないこともない。

「もしかすると、この『勇者たる資質を持つ者』っていうのは、プレイヤーのことなのかもしれないな」

 当然だが、ゲーム中のNPCに動画を観賞するような能力はない。
 まあ、ゲームではプレイヤーしか出来なかったことがこの世界の人間には出来たりするのでこれだけでは何とも言えないが、この石板がプレイヤー専用になっていたとしても不思議ではない。

 真希は『憤激の化身』も覚えていないようだし、魔王の最終形態にも反応しなかったようなので、プレイヤー扱いなのか微妙だったのだが、これがこの世界の人間には動かせないのなら、何かしらの特権を持っていると考えていいだろう。

「あとはこれを、俺が使えたら確定なんだが……」

 残念ながら、この石板には再使用までのチャージ時間があり、連続再生は出来ない。
 その証拠に、石板の最後には第一話へのリンクと新たに第二話のリンクが出ているが、そこに光が点っていない。
 確か、24時間経てばもう一度使えるようになるが、それまで触っても何も起こらないはずだ。

 ちなみに一話は一時間の大ボリュームだったが、それで力と予算を使い果たしたのか、第二話の再生時間はたったの十三分。
 さらに第三話は六分だけしかなく、四話以降はいまだに作成されていない。
 実に『猫耳猫』らしい竜頭蛇尾具合と言える。

「……しょうがないな。また明日、またここに来るか」

 俺があきらめと共に言うと、セーリエさんが予想外の提案をしてきた。

「いえ、でしたらその石板、持って行ってくださって構いません」
「え? いいんですか?」
「はい。普通の人間には使えないようですし、あの水没王子様に必要だと言えば、誰も文句を言いません。
 それに何より……こんな危険な物、図書館の中に置いておきたくはないですので」

 最後だけちらりと真希を見て言う。

 ……うん。
 何だか厄介払いされたような気がするが、願ってもない提案であることは確かだ。
 俺が石板を鞄の中にしまうと、サザーンがすり寄ってきた。

「な、なぁソーマ! もし続きが見れたら僕にもその話を教えろよ!」

 そう来たか、という気分だった。
 直接見れなくても、話を聞くことは出来る。
 それはその通りだろう。

「けどお前、こういうのに興味があるのか?」

 サザーンには魔法馬鹿というイメージしかないが、勇者とか好きなのだろうか。
 俺が尋ねると、仮面のアホ魔術師は自慢げに胸を張った。

「ふふん! 知らなかったのか? 僕の旅の目的は邪神討伐だ!
 適当な邪神の欠片を見つけて倒して、家の連中に僕の力を認めさせるのがとりあえずの目標だな」
「へぇ。そうだったのか」

 というか、サザーンにまともな目標みたいなものがあったことが驚きだ。

「でもお前、魔王とか生贄の祭壇の邪神の欠片を倒した時もいたじゃないか。
 それじゃ駄目なのか?」
「当たり前だろ! 魔王も邪神の欠片も、どっちもまともに戦ってないじゃないか!」

 まあ、そうか。
 水に沈めたりイエロースライムをけしかけたりで実力を認められるか、というとちょっと厳しい。

「だから僕は邪神の情報を手に入れるため、邪神大戦のことを調べてるんだ」
「ふーん」
「何だよ! 反応薄いな!」

 サザーンは怒るが、残念ながら俺はそっち方面の興味はあまりない。
 俺は『猫耳猫』のあらゆる情報を集めたが、はっきり言って世界観だの設定だのというものについては疎い。
 『猫耳猫wiki』にはそういう専門の考察ページなどもあってそれなりに賑わっていたのだが、俺のプレイスタンスは、そんなものを知るよりは一つでも多くのレベルを上げた方がいい、というものだったからだ。

 しかし、『猫耳猫』はただのクソゲーではなく、スペックとポテンシャルの高いクソゲーだ。
 要するにこだわりを持って作られていて、そのこだわりがことごとくマイナスになっている作品なのだが、だからこそ一部光る物はある。

 ほかの大作ゲームと比べても豊富なスキルや特別な魔法システムもそうだし、それ以外にも世界設定が驚くほど緻密だったり、ストーリーやイベントもびっくりするような精緻な伏線が組み込まれていたりもする。
 ……なのにスタッフ間の意思疎通がうまく行っていなくて結局設定が矛盾だらけだったり、ものすごい伏線を張っていたにもかかわらずそれを回収していなかったり、優れた部分が必ず帳消しになっているのも事実なのだが。

「まったく、しょうがないな。ほら、これでも貸してやるから勉強しろ!」

 そう言ってサザーンがマントの内側から取り出したのは、『じゃしん大戦 ~英雄王のたんじょう~』という児童書だった。
 こいつは、なぜこんな物をマントの中に入れているのか。

 こんなんより指貫グローブを返して欲しいのだが、と思いながら、人肌にぬくまった本に顔をしかめつつパラパラとページをめくる。
 そこには、俺もはっきりとは覚えていなかった色々なことが分かりやすく書かれていた。

 勇者アレクスが神の試練を乗り越えて神剣アルティヘイトを手に入れて邪神を封印したこと。
 邪神は本体と四つの欠片に分断され、国の各地に封じられたこと。
 アレクスには五人の仲間がいたが、彼らのその後も名前すらほとんど明らかになっていないこと。
 邪神を封印したアレクスはその地に国を作り、初代国王となったこと。
 その偉業と高潔な精神が称えられ、アレクスを聖人に戴く宗教が生まれたこと。

 そして、国王アレクスの許で栄える王都リヒテルの絵を見たところで、俺はページをめくる手を止めた。

「あれ? この形、最近どこかで見たような……」

 俺が当時の王都の全体図を見ていると、横からひょいっと真希が覗き込んできた。

「んぅ? ああ、これ、今の王都の形とおんなじなんだよ!
 王都の入り口にある地図とそっくり!
 ずっと前の街のはずなのに、すごいねー!」
「お前の立ち直りの早さもそれなりにすごいと思うけどな」

 などとちくりと言ってはみるが、いつもより真希の距離が近い。
 案外さっきのショックが尾を引いているのかもしれない。

「……ん?」

 俺がもう一度王都の絵に目をもどそうとすると、今度は逆側の腕に軽い衝撃。
 見ると、イーナが俺の肩にコツンと頭をもたせかけていた。
 俺がそちらに目を向けると、イーナはあわてて俺から頭を離して、笑った。

「え、えっと……わ、わたしも対抗しちゃいました。な、なんちゃって」

 意味が分からない。
 イーナも自分の奇行に焦ったのか、パタパタと手を振りながら提案する。

「そ、それより! まずは上にもどりませんか?
 わたし、短い時間に色々あったのでちょっと疲れちゃいました。
 とりあえず椅子に座って一休みしたいなぁ、なんて……」
「そうだな……」

 まだちょっと気になることは残っているが、本を読むのはどこでも出来る。
 今後のことなど、地下室から出て落ち着いて話をした方がいいだろう。

 俺たちが階段に向けて歩き出したところで、顔を伏せたレイラがやってきた。

「ソーマ。これ、返すね」

 そして、俺にネクラノミコンを突き出す。
 どうやら、受け取れということらしい。

「いいのか?」

 だいぶこの本に執着していたように思ったのだが、俺の言葉に、レイラは無理して作ったような笑顔でうなずいた。

「う、うん。ちょっと、悲しいけど、で、でも、私の我儘でソーマに迷惑がかかったら、その方がもっと嫌だから。
 だからそれは、ソーマが持ってて欲しい、な」
「そ、そうか……」

 本一冊に大げさだと思わなくもないが、売られていくわが子を見るような目で見られると、流石に罪悪感が湧いてくる。

「あー、その、今度またレイラに、何かプレゼントするよ」
「う、うんっ! じゃあそれ、一生大切にするねっ!」

 まだ買ってもいないプレゼントの運命が、もう決まってしまった。
 俺は何とか顔が引きつらないように注意して言葉を返す。

「あ、ああ。そうしてくれると、嬉しい、かな」
「よかった! ソーマが嬉しいと、私も嬉しいよっ!」
「……そう。それは、よかった」

 二人で重たい会話を繰り広げながら、俺たちは地下室を出た。



 元の場所にもどると、そこはあいかわらずの状態だった。
 テーブルに突っ伏したり、椅子の背もたれに身体を預けて寝ている人であふれている。
 唯一の生存者はやはりあの僧侶の女性で、みんなが居眠りをする中、彼女だけは一心不乱に作業を続けていた。

 作業が一段落したのか、よしっ、とばかりにガッツポーズをする彼女。
 その横には、分厚い本を器用に縦に積み上げて作った本のタワーがそびえたっていた。
 ……この人はほんと、何をやってるんだろう。

「――ハッ!?」

 見られていることに気付いた彼女があわてて態度を取り繕い、本の塔を見て難しそうに首をかしげるが、そこにどんな悩む要素があるというのか。
 そして、気を抜いたせいなのか本のタワーのバランスが崩れ、僧侶風の女性は崩れた本の下敷きになった。

 その光景に、思わず俺が頬を緩めた時、


「――なんですか、これは」


 背後、追いついてきたセーリエさんの口から、呆然とした声が漏れた。

(まずいな……)

 誰よりも図書館を愛するセーリエさんなら、利用者たちのこのだらけ具合を見て何も思わないはずがない。
 俺を呼びに来た時にも一度この光景を見ているはずだが、あの時はバタバタしていたし、本人も舞い上がって周りが目に入っていない状況だった。
 あらためてこの惨状を目にして、今は爆発寸前といったところだろうか。

「ま、まあ、いい陽気ですし、ちょっとくらいの居眠りに目くじらを立てなくても……」
「これがっ! あなたにはこれが、ちょっとくらいに見えるのですか?!」

 セーリエさんの怒声に、思わず身をすくませる。
 俺は一瞬、セーリエさんが大声を張り上げるほど怒っているのかと思った。
 しかし、

「何が、わたしの図書館に、一体何が起こっているのですか?
 こんな、こんなの、おかしい……」

 彼女は怯えていた。
 目の前に広がる光景に、この状況に恐怖を感じていたのだ。

 彼女の態度に触発されて、俺はもう一度辺りを見回す。
 もう一度、まっさらな気持ちでその景色を見る。
 すると、自然と喉が鳴った。

 ……そうだ。
 なぜ、不思議に思わなかった。
 ここにいる、目につくだけでも十数人はいる利用者のほぼ全てが居眠りをしている。


 ――そんなことが、本当に、ありえるのか?


「この図書館の入館料は、安くはありません。
 だから、ちゃんとした目的のある人しか、なのに、こんな……」

 セーリエさんがこぼす言葉に、じわじわと不安が広がっていく。
 2000Eの入館料。
 そんな大金を払った人間が同時に、こうやって無為に時間を過ごすことがあるだろうか。

 それに、そうだ。
 この光景を初めて見た時、ミツキはなんと言っていた?

『私達が最初に来た時には皆、もう少ししゃっきりとしていたように思いますが、時間帯が時間帯ですからね』

 俺たちが気付かなかっただけで、異常は少しずつ……。

「そーま。もしかして、ちょっと大変、かもしれない」
「真希?」

 俺の思索をさえぎる真希の声。
 そこにこめられた緊迫の響きに、俺は顔をあげる。

 真希はテーブルに近付き、そこに突っ伏した男の人の肩に手を置いたまま、泣きそうな顔で言った。


「――なん、でだろ。この人、ゆすってもぜんぜん、起きない、よ?」


 ぞわっと背中を悪寒が駆け抜ける。
 まさか、と思って手近なテーブルに駆け寄り、倒れた人に呼びかける。

「すみません、起きてください! 起きて!!」

 不安から荒っぽくその身体を揺らすが、反応がない。

「あっ!」

 焦るあまり力加減を誤り、その人を椅子ごと地面に引き倒してしまった。
 だが、それでもその人は眠ったまま。
 ピクリとも反応しない。

「何だよ、これ……」

 事ここに至って、俺はようやくこれを異常事態だと確信した。

 そして一番恐ろしいのは、ゲームには図書館にこんなイベントは起こらなかったということ。
 いや、図書館に限らず、集団昏睡事件なんて俺は体験したことがない。
 まったくの、未知の現象。

「助けを、助けを呼ばないと!
 この図書館は、攻撃を、何かの攻撃を受け、て……」
「セーリエさん!」

 叫びながらふらっとよろけたセーリエさんに駆け寄り、あわててその身体を支える。

「寝不足なのに無理をする、か、ら……」

 口にした言葉が、途中で凍りつく。
 朦朧とした目でこちらを見上げるセーリエさんを見て、最悪の予想が頭をよぎる。

 セーリエさんの、前回と今の異常。
 あれは本当に、寝不足なんてありふれたものだったのか?

「……まさか」

 その瞬間閃いたのは、妄想としか言えないような可能性。

 だが一度疑い始めたら、考え始めたら、そこから決壊まではすぐだった。
 ここ数日で見聞きしたもの、気にも留めなかった言葉の数々が、今になって一斉にあふれ出す。

 情報が、頭の中に渦巻き、駆け巡る。
 今まで目にした光景、耳にした言葉が、意味なく頭の隅に淀んでいたそれらが集まり、一つの形を作っていく。

 ――セーリエさんの不調。大聖堂の噂。魔術師ギルド。
 ――サザーンの言葉。魔法の陣。無事だった二人。
 ――イーナとの逃避行。天からの光。ミスリル盗難事件。

 ――そして、昔からずっと変わらない、王都の街並み。

 それら全てが、全部、全部関係していたとしたら?

「……確かめ、ないと」

 荒唐無稽だと思う。
 しかし、それを確認するには……。

「――外、だ」

 俺はセーリエさんを抱えたまま立ち上がると、

「レイラ、頼む」
「え? あ、ソーマ!?」

 レイラにぐったりとしたセーリエさんを預け、迷いなく駆け出した。

「ソーマさん! ま、待って!」

 後ろからイーナの声が聞こえるが、構わず走る。
 ピクリとも動かない人々の間を縫って、図書館の入り口に。
 カウンターに倒れ込んだ職員の脇を抜けて、図書館の外に飛び出す。

「――ッ!」

 外に出た俺は、図書館の中の異常と混乱とは正反対の静けさに、わずかに目を細めた。

 いや、この静けさこそが、異常だ。
 この時間だ。
 街の外れとはいえ、それなりの賑わいはあっていいはず。

「一体どうしたと言うのですか!?」

 追いついてきたミツキに、振り返らずに俺は尋ねる。

「ミツキ。今日、神社に行く時、誰かとすれ違ったか?」
「え? ……いえ、そういえば」

 近場だったし、急いでいたから気にも留めなかった。
 俺たちが神社に行くまでに遭遇したのは、たった一人。
 リンゴが介抱した、路上に倒れていた(・・・・・・・・)老婦人だけだ。

「……俺は、馬鹿だ」

 たぶん、俺たちが魔王を倒した直後から、いや、きっともっと前から、これ(・・)は少しずつ始まっていた。

 ヒントは、あまるほどにあった。
 ほかの誰が気付かなくても、俺は、俺だけは気付かなくてはいけなかったのに。

 いや、まだだ!
 失敗したのなら、ここから取りもどせばいい!

「みんな、これから――」

 俺が振り返って指示を出そうとすると、腕に軽い衝撃。
 見ると、イーナが俺の肩にコツンと頭をもたせかけていた。
 思わず苦笑が漏れる。

「イーナ。こんな時に、ふざけるのは……」

 言いながら、イーナに向かって手を伸ばす。
 しかし、イーナの身体はまるで俺の手をすり抜けるようにずるりと滑って、


「……え?」


 鈍い音を立てて、地面に転がった。
 そのまま、ピクリとも動かない。

「イー、ナ?」

 俺の口から、かすれた声が漏れる。

 ――だが、その言葉に栗色の髪の少女が答えることは、なかった。
+注意+
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