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この世界がゲームだと俺だけが知っている 作者:ウスバー
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第百二十章 はやすぎた未来


「――『憤激の化身』!」

 俺の叫びを契機としたかのように、キングブッチャーがその肉厚の巨体を揺らして俺に迫る。

 ブッチャーの動きは、あまり機敏とは言えない。
 しかしそれは、人間基準で考えた場合のこと。
 人間の数倍の大きさを持った存在が人間と同じように動作すれば、その速度もやはり数倍になる。

 その白い巨人の、渾身の振り下ろし。
 驚異的とも言える速度で襲いくる肉切り包丁を、俺は、

(……見える!)

 しかし身体を半身にして、紙一重で避けた。
 大質量の包丁が俺のすぐ脇を抜けていき、思わず身がすくむような風切音が耳元で鳴って、それでも俺の余裕は崩れない。

 興奮による錯覚か、あるいは本当に知覚が増大でもしているのか。
 ブッチャーの動きがいつもより遅く見える。
 身を包む万能感に、気分が昂揚する。

(これなら、行ける!)

 続いて俺を狙うのは、さきほど俺を吹き飛ばした、ブッチャーの蹴り。
 大質量を備えた巨人の足が、まるで壁のように俺に迫って、

(ここ、で、抜ける!)

 だが、その一撃も今の俺を捉えるにはおよばない。
 包丁と左足の隙間をすり抜けるように前に飛び込み、

「おっ、と」

 速度を制御し切れずに最後に前につんのめるが、何とか姿勢を回復した時には、俺は既にブッチャーの後ろ側に回っていた。
 さっき、あれだけの移動スキルを駆使しても不可能だったことを、スキルなしの移動だけでこなしたのだ。
 戦闘中だということは自覚しながらも、込み上げる感慨を抑え切れない。

(これが、イーナがくれた力! そしてこれが、速度3倍の世界か!!)



 バランスブレイカーとまで称されることのある『憤激の化身』。
 これはプレイヤーのみが習得可能な特殊スキルで、その習得方法はたった一つ。
 プロポーズイベントを起こして、『魔王の呪い』を発動させることだけ。

 効果以前に習得すると高確率でゲームが詰むというデメリットを抱えていてなお、この技は人気がある。
 実際、その効果はなかなかに強烈だ。
 『7743レポート』の希望の星とされるのもまあ納得出来る。


 まず、プラス効果のみに目を向けると『憤激の化身』は文句なしに最高のパラメーター強化スキルと言える。
 近くに味方がいる時に使うと不発になるなど色々と制限はあるものの、『30秒間全ての基礎能力値を3倍』というのは抜群の性能だ。
 今は改造によって効果は変わっているが、同じ能力強化系のパワーアップの魔法の効果がもともと『30秒間筋力のみを1.3倍』だったと考えれば、その凄さが分かってもらえるだろう。

 これだけでもずいぶんととんでもないが、実際にはここにさらにおまけがつく。
 『全ての基礎能力値』というのは、何も筋力や魔力、耐久や抵抗などの攻撃や防御に関わる物だけではない。
 それに加えてHPやMP、そしてさらにはスタミナや敏捷、運などと言った、レベルアップでは上昇しない能力値までもが、全てあまさず3倍になるのである。

 特に敏捷の上昇はおそろしいまでの効果を生む。
 3倍ということは、一時的にプレイヤーの敏捷値は300に至るということ。
 それは、全キャラ中最速のミツキの250すら上回る。

 もちろん、ミツキの体さばきは本人の天才的な技量と運動能力があってこその物なので、敏捷値が追いついたくらいでミツキと同じ速さで行動出来るという訳ではない。
 それでも普段の3倍の速度で移動出来るのは脅威ではあるし、3倍の速度で行動出来れば当然手数も3倍になる。
 その恩恵は、敵に対する圧倒的なアドバンテージとなりえる。


 だから、

(――取った!!)

 難なくブッチャーの裏に回った俺は、動きすぎる身体をもてあましながらも、自分の勝利を確信していた。
 いまだに俺を捕捉出来ていない巨人の右足に、不知火を振り下ろす。

「ぐっ!」

 しかし、その一撃でうめいたのは俺の方だった。
 俺の繰り出した攻撃はブッチャーの分厚い肉の鎧に阻まれ、十分なダメージを与えられない。

(これでも届かないってのか!?)

 信じ難い事実に、俺は愕然とした。
 パワーアップを使ってこそいないが、それでも俺の筋力には3倍の補正がかかっている。
 それが通用しないとは、俺も考えていなかった。
 驚きに、思わず動きが止まる。

 その一瞬の隙を突き、目の前の白い巨体が動く。
 振り向きざまの一撃。
 遠心力を活かした左腕の打撃を避けようと後ろに跳んで、

「っ、こんなっ!?」

 想像以上の距離が出る。
 最初に決めたはずの、半径3メートルという範囲を飛び出てしまう。
 あわてて制動をかけようともがくと、やはり想像以上の速度で足が地面につく。

(身体の反応が、鋭すぎる!)

 それが本格的に俺の身体のバランスを崩す結果につながった。
 何もないところでばたばたと暴れた末、俺は無様に尻もちをついた。

(落ち着け!)

 自分を叱咤する。
 幸い距離を取りすぎたせいで、何とかブッチャーの攻撃範囲からは逃れている。
 俺は出来るだけ自分の力をセーブするようにして起き上がり、体勢を整える。

 敏捷が3倍になれば、それだけ身体を動かすのが難しくなる。
 それは『憤激の化身』を使ったほかのプレイヤーも言っていたことだし、覚悟はしていたはずだ。

 それに、俺のさっきの攻撃が通らなかったのは、ある意味道理だ。
 俺の攻撃は、カスタムした不知火の攻撃力、パワーアップで約10倍に高めた筋力、補正の大きい横薙ぎスキル、の三つの柱に支えられていた。

 パワーアップ抜きでの横薙ぎが防がれたのに、今回の俺の攻撃は、筋力補正が3倍しかない上に、横薙ぎによるスキル補正もなかった。
 筋力の増強分ばかりに考えがいって、横薙ぎによるスキル補正をすっかり失念していた。
 頭を冷やして考えれば、あんな攻撃が通る訳がないと分かる。

(大丈夫。まだ、大丈夫)

 そう自分に言い聞かせる。
 打つ手はある。
 今度こそ横薙ぎを使うか、それでもダメならパワーアップも併用すればいいだけだ。

 ただ、『憤激の化身』中にパワーアップを使うのは少しだけ効率が悪い。
 筋力3倍の時に改造したパワーアップを使えば、3倍の10倍で30倍……とはならないし、それどころか、上昇分が累積して12倍、ともならないからだ。
 これは能力強化系のスキルや魔法、というより強化ステート全般の特性に由来する。


 パワーアップや『憤激の化身』で基礎能力を上げると言っているが、これは別に、キャラクターの持つ能力パラメーターを直接いじっている訳ではない。
 能力強化ステートというのは、分かりやすく言うとプラス効果の状態異常のような物だ。
 この辺りの関係は簡単に『キャラの基礎能力値×強化ステートの補正+装備などによる補正値=実際の能力値』という式で整理出来る。

 パワーアップなどが操作するのは『強化ステートの補正』の部分で、元値を直接いじっている訳ではないから、例えば改造版パワーアップ中にレベルアップして普段の10倍筋力が上がったように見えても、実際にはいつもと同じ数値しか上がっていない。
 しかも、『強化ステートの補正』の欄に適用されるのは、現在かかっている最高数値の物だけ。
 改造パワーアップと『憤激の化身』が同時に発動していた場合、改造パワーアップの補正だけが表に出ることになる。


 まあ、ここはないものねだりをするより『憤激の化身』中もパワーアップが使えることを喜ぶべきだろう。
 とにかく、『憤激の化身』だって使い始めたばかり。
 まだまだ、時間は……。

(……時間?)

 その瞬間、俺は自分が『憤激の化身』を使用してからの時間を見失っていることに気付いた。
 戦いながらスキルの効果時間を計ることなんて、普段であれば当たり前に行っていること。
 ただ、戦闘の興奮と思わぬ焦り、それから敏捷上昇による時間感覚の微妙な狂いが、その当たり前をいつのまにか不可能に変えていた。

(効果時間は、あと何秒残ってる? あとどれくらいで、俺は……)

 その事実が、俺をさらに焦らせる。
 この『憤激の化身』の能力強化には、大きな大きな反動がある。
 もし発動から30秒以内にあいつを倒せなければ、俺は確実に……。

「ステップ!!」

 焦りが俺を突き動かした。
 本能的な選択として俺が選んだのは、スキルによる移動。
 慣れ親しんだはずのスキルが、『憤激の化身』の効果によって体験したことのない加速を生む。

 だが、それで相手の虚は突けた。
 キングブッチャーのいまだ無防備な懐に入り込み、そこでステップをキャンセルして、横薙ぎに……。


「――え?」


 つなげられなかった。

 何千何万回と繰り返した、ステップからのキャンセル横薙ぎ。
 それは数ヶ月ぶりに失敗に終わる。

 ――キャンセルミス。

 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
 システム的な硬直と自失のせいで棒立ちになる俺に、目の前の怪物は嬉々として巨大な得物を振り上げた。

「……ぁ」

 口から間の抜けた声が漏れる。
 視界いっぱいに、赤茶けた色の、肉厚すぎて刃物とも言えない凶器が広がっていく。

 ――避ける術は、ない。

 ガリ、という嫌な音が頭蓋に響き、俺の意識は飛んだ。



 たぶん、俺が気を失っていたのはほんの数瞬の間だっただろう。

「あ、づ……」

 猛烈な頭の痛みで目が覚める。
 俺はぼんやりとしながら身体を起こし、

「――ッ!?」

 目の前に大写しになった巨大な白い足に、俺は即座に回避行動を取った。

(ステップ!!)

 身体に染みついた習性が、我に返るよりも先にステップによる回避を選ばせていた。
 崩れた体勢ながらかろうじてスキルが発動し、俺の身体はやはり横っ飛びに跳ねる。

 やはり慣れない加速感。
 だが、おかげでブッチャーの踏みつけから逃れる。
 あまり体感したことのない速度に感覚を狂わされながらもすぐに着地、横薙ぎでステップをキャンセルしようとして、

(またっ!?)

 タイミングが合わない。
 失敗する。
 ふたたびの硬直。
 横殴りに振るわれる肉切り包丁。

「……ぐ、ぇ!」

 胴体に当たる。
 息が詰まる。
 一気に吹き飛ばされる。

(これ、が……)

 だが、今度は意識は手放さずに済んだ。
 吹き飛ばされながらも、考える。

(これが、『加速の壁』か)



 『憤激の化身』は使用者の敏捷を大きく上昇させる。
 これは大きなメリットであると同時に、熟練の『猫耳猫』プレイヤーを苦しめる大きなデメリットでもある。
 高すぎる敏捷は、大きな恩恵と一緒に無視出来ない弊害ももたらすからだ。
 この現象は一部で『加速の壁』などと言われている。

 敏捷の上昇は、ほぼ全ての行動を加速、短縮する。
 それはスキルも加速させるということで、同時に、そのスキルの使用感、特にキャンセルポイントの位置を大きくずらしてしまうことにもつながる。

 敏捷が3倍になればスキルは3倍速くなり、結果キャンセルポイントは3倍早く訪れ、その長さも3分の1に短縮されてしまう。
 キャンセルのタイミングを肌で覚え、身体に染みつかせているような『猫耳猫』プレイヤーといえど、いや、そういうプレイヤーこそこの変化についていけない。

 そして一方で、敏捷の上昇ではどうしても短縮出来ない物もある。
 敏捷の上昇はほぼ全ての『行動』を加速させるが、そこには能動的行為ではない『スタン』や『ノックバック』、それに『技後硬直』などは含まれていない。
 スキルのキャンセルに失敗すれば、敏捷が上昇している状態であっても普段と同じだけの長さの硬直、隙を敵に提供してしまうということだ。

 だから、優れた『猫耳猫』プレイヤーほど速度の変化を嫌うとすら言われている。
 スキルをうまくつなぐことが出来れば、3倍に近い移動速度だって出せる。
 3倍の速度よりもスキルキャンセルが存分に出来る環境を選ぶというその選択はきっと正しい。

 あるいはミツキのような戦い方もある。
 技後硬直でせっかくの速度を殺すくらいなら、敏捷が高い状態でのスキルの使用は控えるというのも有効だ。
 おそらくその選択もまた、正しい。

(それでもっ!)

 そんな物では足りないと思うから、俺はこの道を選んだ。
 そんなやり方では到底およばないと思うから、この技を使ったのだ。

 鍛え抜かれたスキルキャンセルのテクニックは、ほとんど身体感覚と同じレベルまで俺の中に根付いている。
 しかし、速度が変わればその全て無駄に、いや、もしくは技を使う上での枷にすらなるだろう。
 俺がゲームで費やした時間、培った努力は、何の意味も持たなくなる。

(それ、でもっ!!)

 敏捷値は装備品の重量によってマイナス補正を受ける。
 例えば肉切り包丁のような重い物を持って調整すれば、今すぐにでも疑似的に敏捷を1倍にもどすことは可能だろう。
 だが、俺はそんな選択はしない。
 この速度に一瞬でも早く慣れるため、魔王を倒すその瞬間まで、俺はもう3倍状態以外でスキルを使わないと心に決めている。

 もちろん、失敗した時のリスクが大きいのは分かっている。
 その間の大きな戦力低下は免れないし、中途半端に3倍速に慣れると感覚がずれて、俺は1倍でのスキルも満足に使えなくなってしまうかもしれない。
 だが、それがどんなに困難な選択でも、俺の目的のためには絶対にこの速さが必要なのだ。

 全ては、魔王を倒すために。
 仲間から、いや、誰からも犠牲を出さないために!
 イーナの笑顔を、曇らせないために!!


(――俺はこの速さを自分の物にすると、決めたんだ!!)


 頭がズキズキと痛み、打たれた胸も熱を帯びてジンジンと痛みを訴える。
 身体は既に満身創痍で、制限時間までおそらく残りわずか。

 それでも俺は二本の足でしっかりと大地を踏みしめ、迫りくる白い巨体に不知火を構えた。



続きはまた明日
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