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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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死人の森の断章6-2 微睡む太陽と月のパペットリー

 そして、再び幕が上がる。



「お人形遊びを、しましょう?」

 そんな、賢者セレスの一言から全ては始まった。
 謁見の間で向かい合う王マラードと十三人目の賢者セレス。
 大臣や近衛兵、他の賢者たちは後景に退いてじっと二人の様子を見守っている。

 ところで少女の提案は、ひとつの背景事情に基づいたものである。
 ラフディの棘の民は球神ドルネスタンルフの加護を受けた種族であり、大地の民とも呼ばれている。体力、体格に優れるだけでなく、手先の器用さはあらゆる種族の中でも屈指であり、彼らが製作した呪具は高い品質を誇っている。

 高品質は信用を生み、その信用が多くの人々の間で共有されればされるほど商品価値は上がっていく。ラフディ製であることを示す焼印が付けられた品々には銘柄ブランドの呪力が宿り、価値は際限なく上がっていくのだ。

 近年の評価は、ラフディの守護神ドルネスタンルフの加護が弱まっていることもあり、最盛期には遠く及ばない。しかし品質そのものは維持されていた。
 とりわけ、人形――それもとある特殊な人形は、それが発明された国ということもあり、ラフディの特産品として有名だった。

「世界に名高い我が国の人形作りの技術を利用すると? だが、一体なぜだ」

 王が当然の疑問を口にすると、幼き賢者は柔らかく微笑んだ。

「人の形をしたものは、人に似ているがゆえにまじないの力を持つのです。人形を『似ている』と思う人の世界と、人を元に創り出された人形の世界が重なり合う時、それらふたつの間には強い関係性が生まれます」

「関係性とな」

「ええ。『恋』とはすなわち関係性のまじない。恐れながら、陛下は人と上手に関係を結ぶことができないという病気です。まずは小さな関係を作り上げ、保つ練習からなさいませ」

 マラードは、年少者にしか見えない相手からの無礼ともとれる発言を聞いてしばし考え込んでいたが、やがてその意味を己の中で咀嚼したのか頷いて言った。

「まあよい。たまには子供の遊びに付き合ってみせるのも王の器量というものよ。それで俺はどの人形で、どのような役柄を演じればいいのだ?」

「私が王様を。貴方様は王様に恋する乙女たちを演じてくださいませ」

 意外な答えに目を丸くするマラードだったが、続いての要求には流石に眉を鋭く吊り上げることとなった。

「そしてもう一つ。用意する人形は、このラフディの国宝たる至高の逸品にして下さいな」

「何を申すかと思えば、馬鹿な事を。あれは歴代の国王が王として球神から賜った加護の大半を注ぎ込み、ドーレスタ王家の血と髪の毛を仕込んだ至高の人形である。国事でもあるまいに、軽々しく持ち出せるようなものではない」

 目を見開いて捲し立てる王の答えに、セレスはそれでは仕方無いとばかりについと視線を逸らして応じる。

「あれが無くては私にはどうすることもできません。できないというのなら、お話はこれで終わりです」

 マラードは唸った。
 頭痛を堪えるように目を指で揉み、絹糸のように細い自らの長い髪の毛をいじりながら口を開いた。

「髪糸で繰る人形では駄目か。あれもまた、我ら大地の民が誇る世界有数の人形繰りの業なのだが」

「いいえ。あくまでも、球神の加護を最も強く受けた人形で『儀式』を行うからこそ意味があるのです。つくりごとで現実の貴方様の病を治そうと思えば、王たる器に相応しいまじないの力を持った呪物でなくては不可能なのです」

 少女の答えに、ますます唸り声を深くする王。
 背後から、従僕であるルバーブが王に考え直すように進言する。グレンデルヒに痛めつけられた直後であるためか、息も絶え絶えに王に軽率な行動をしないように諫めるその姿は忠臣そのものといった風情だ。

 だが、王として悩みながらも、今の彼には目の前の少女しか見えていないし、声だって幼く涼やかな響きしか聞こえていないのだ。
 悩みに悩みながらも、マラードはルバーブに言いつけた。

「宝物庫より、【ラクルラール】を持って参れ!」

「陛下、いけません!」

「ええい、この俺の言う事が聞けぬか!」

 傍若無人に振る舞う王に、ルバーブもそれ以上は逆らえず、大人しく指示に従うのみであった。
 しばらくして、肥満体の従僕が持ってきたのは赤子ほどの大きさの人形である。衣服などは身につけておらず、素体が剥き出しとなっていた。

 ――目が、ぎょろり、と。

 そう動いたような感覚をその場にいる全員が覚えた。
 なにも、呪的な作用ではない。追い目と呼ばれる、硝子製の眼球を使用したときに見られる現象で、光学的な錯覚である。

 くり抜かれた眼窩アイホールの中にある内側から止められたまあるい眼球は実際には微動だにしていないのだ。
 にもかかわらず、誰もがその人形に、なにかいい知れない活力、魔力といった神秘的な力を感じていた。

 まるで、がらんどうの筈の内部に血と肉と臓物と魂とが詰め込まれているのではないか、と思わされるような、異形の艶めかしさがその真っ白な、非人間的な裸体にはあったのだった。

 赤い絨毯の上に立たされたそれは、ふらふらとふらつきながらも自立し、更にはひとりでに歩き出した。意思を持っているかの如くに賢者セレスの目の前に立つと、腰を折り曲げて一礼する。見事なお辞儀だった。

 人形は光沢のある不可思議な材質で出来ており、美しく艶やかな髪と非人間的な、性別の無い胴体を備えていた。
 人形には一つの特徴があった。可動する関節部には、本来人体には存在しない部位である『球体』が嵌め込まれていたのである。
 マラードは詩を吟ずるかのような独特の抑揚で人形に語りかけた。

「偉大なる球神とその代理人たる王の名において命ずる。我が願いを聞き届けよ、ラクルラール。今からお前は俺が許すまで、そこな客人に従い、操り人形として振る舞うがよい」

 球神ドルネスタンルフを崇めるラフディにおいて、球形は聖なる形とされる。
 最も強く呪的な力を宿すと信じられている形であり、球形が生み出す力は様々な分野で利用されている。
 球体関節人形は、その代表例なのだった。

 ラフディの棘の民は大まかに二つの方法で人形を操る。
 一つは、髪の毛を糸にすることで、自らの肉体の延長線上として人形を操る髪糸繰りの業。
 もう一つは、球体関節人形の球形に祈りを捧げ、球神の加護によって遠隔操作する球体繰りの業である。

「これが我が国の至宝、【ラクルラール】だ。賢者よ、これで良いのだろう?」

 マラードが問うと、セレスは満足げに頷いた。
 王が人形に命じると、人形は器用に頷いて了承の意思を示す。それから少女に近付いて、もう一度お辞儀する。まるで知性があるかのような振る舞いであった。

「まあ素敵。よろしくね、小さなお人形さん」

 機嫌良く球体関節人形に手を伸ばして、見ている方が慌てるほどに気安く国宝に触れるセレス。一悶着があったものの、なにはともあれ、そうしてセレスの治療――と称した、その実は人形劇が始まったのだった。
 それは大まかな筋書きしかない即興劇である。

 セレスはラクルラールと名付けられたその人形に『お願い』をしてマラード王その人を演じさせる。
 一方、現実の王は大量に用意した女性型の操り人形を使って王を演じる人形に言い寄ったり、言い寄られたりして恋愛の騒動を引き起こす。

 普段の王の振る舞いを反転させたかのような光景。それでいて、人形劇の中の空間では普段通りの王の放埒な振る舞いが再現されているだけの日常が再演されるのみだった。

 マラード王の人形を繰る指先が乱れがちになっているのは、そうした転倒した状況が生み出す現実感の喪失ゆえだろうか。この世ならざる美しい長髪を指先に絡め、無数の女性型操り人形を手繰る手腕はラフディ人ならではの器用さだが、長く細い指の動きが今日ばかりは精彩を欠いていた。

 球体関節人形のラクルラールは用意された筒状衣服に身を纏い、沢山のひだを揺らしながら軽やかに女性型人形たちを翻弄し、玩弄し、飽きるとすぐに次の人形のもとへと渡ってしまう。

 忙しなく動き回る王の振る舞いについていくのに、女性たちは必死だった。
 女性たちは糸によって雁字搦めとなり、ある時は天から伸びる糸に縛られて身動きすらとれずに臍を噛み、ある時は他の女性と糸が絡まって解きほぐせないほどに関係が拗れたりとどこまでも不自由だ。

 しかし、糸によって操られている訳ではない球体関節の王は軽やかに糸を躱しながら跳躍し、操り人形たちの頭上を飛び越えていく。
 誰も、王をつかまえることはできなかった。

 女性たちを操るマラードは、どうしたらこの奔放で身勝手な相手を手元に留め置く事ができるのかに悩み、ほとほと困り果ててしまった。
 ついには、

「ルバーブ! ルバーブよ! 手が足りぬ! 手伝うが良い!」

 と配下に手伝いを命じる始末。
 セレスはにこやかな表情で王を見つめた。
 マラードは真剣に悩み、忠実なしもべに王の気持ちが分からない、どうすればあの奔放な男を留め置けるのだ、などと相談している。

 セレスはそんな王を満足げに見ていた。
 球体関節人形のラクルラールは、かくりと首を傾けて、王の声を摸倣する。

「おお、この乾き、この飢えはどうすれば満たされるのか! この苦しみはいかなる病にも勝ることだろう」

 そっくりな声真似をするラクルラールに、糸に繋がれた人形たちが同情するように擦り寄っていく。

「ああ、なんてお可哀想な陛下!」「私がお慰めいたします」「いいえ私が」「私が陛下に一番相応しいのよ」「どいて、糸が絡まっちゃう!」

 騒がしいその様子に対し、これ見よがしに鼻を鳴らして水を差す者があった。
 あからさまな侮蔑の表情でマラードやセレスたちを見下ろす長身の賢者――グレンデルヒである。

「何を始めるかと思えば、下らぬ。女に振り回されていては男としては二流。自らの力で屈伏させてこそ真の男というものだ」

 グレンデルヒは蓬髪を数本抜き取ると、ふうっと息を吹きかけてそれらを飛ばした。髪の糸は中空を滑るようにして人形たちの身体を絡め取り、マラードの指先から伸びて絡まった糸を切断した。

「何をする!」

「陛下のお悩みを解決したのです。何もかも断ち切ってしまえば問題など最初から起こらない。使い終わった道具は処分すれば良いのです。贅沢な消費は富める者の美徳ですよ、陛下」

 グレンデルヒは言いながら、更なる髪の毛を吹き付けて、糸に繋がれていない球体関節人形に狙いを定めた。

「折角の趣向です。この私が、陛下に真の王者の振るまいというものを教授いたしましょう」

 ラフディ国で随一と言われたマラード王の美しき髪は莫大な量の力が宿っており、鋼の刃であろうと燃えさかる炎であろうと、稲妻の直撃であろうとびくともしない堅固さを誇っている。

 それを断ち切った賢者グレンデルヒの蓬髪に宿る力とは一体どれほどのものなのか。いかに国宝といえど、このままではいいようにされてしまう。ラフディ国の誰もがその事態を恐れ、しかし手出しできずにその光景を見守るしかできなかった。

 髪糸が球体関節の各部に絡みつき、その動きを束縛し、強引に屈伏させようとする。マラードのあくまでも繊細な手付きとは異なり、力のみで己の意思を押し通そうとする剛腕の人形繰りであった。

 光の加減であろうか。
 その時、ラクルラールの黒目が、グレンデルヒを、まっすぐに捉え――。

「ぐぅっ?!」

 異変は、グレンデルヒに起きていた。
 周囲の者は一瞬我が目を疑い、そして幻を見せるまじないの存在を疑った。
 されどそのようなことは無く、それは確かな現実として賢者の身に起こった出来事だとすぐに知れた。

 壮年男性の片腕がぼとりと落ちて、肩から真ん丸な乳房が生えていた。
 否、それは埋め込まれていたと言った方が適切だったかもしれない。
 それだけではない。賢者の肉体は、異形の肉腫によって奇形化していたのである。無数の肉腫はグレンデルヒの関節に生まれ、全て『球形』をしていた。

「う、うおおおおおっ!?」

 腹部が妊婦の如く膨らみ、そこから逆向きに下半身が伸び上がっている。更に片足は片腕に置き換えられており、関節部は異様に膨らんでいて、球形に膨張を続けていた。

 肥大化した眼球もまた球形であるがゆえ、球神の加護が及ぶ。
 左の眼窩からは手が伸びており、右の眼窩からは小さなグレンデルヒ本人の上半身が生えている。それらも異形の球体関節を備えており、さながら肉の樹木のような有様であった。

「何と恐ろしい――これが古き神の怒りに触れた結果か」

 マラードが額に汗を浮かべながら言った。
 守護神は多くの場合人にとって有益な加護をもたらすが、時に荒ぶる顔を見せて災いももたらす。それが神というものだ。ゆえに神は畏れられ、崇め奉られる。

 球体関節人形に絡みついた髪糸が抜け落ち、更には本人の豊かな蓬髪が残らず抜け落ちていく。恐るべき量の髪が床に落ちたかと思うと、それらはどろりと溶けて絨毯に溶けていった。

 絶叫する賢者は神の怒りに身を蝕まれ、必死にもがいている。
 もがけばもがくほど肉体は球形の肉腫に蝕まれ、呪いは膨張して黄色の浸出液と赤い血液が鼻と口から流れていく結果となるだけであった。ごぼり、ごぼりと喉が鳴り、悪臭を放つ液体が大量に流れ落ちる。

「グレンデルヒッ! 一旦代われっ」

 と、その時髪が抜け落ちた禿頭に紋様のような溝が走り、強く発光する。
 途端、大量の肉が一瞬にして弾け飛び、肉の樹木の内側から逃れた巨体の人影が顔を隠しながら飛び退っていく。

「――やむを得まい。陛下は十三人目の賢者を自称する輩にご執心な様子。ここは大人しく退くといたしましょう――ですが」

 女性じみた声質が、限界まで低く抑えられて男性的な響きを作っていた。
 典型的な捨て台詞は、しかし不吉な予兆となってマラード王に突きつけられる。

「私の言う通りにしなかったことを、その邪悪な魔女の言葉を聞いてしまったことを、必ず陛下は後悔します。この王国には、いずれ災いが降りかかる。その時に確たる強さを持っていなければ、『真なる恐怖』に到底太刀打ちできないでしょう」

 そう言い残して、忽然と姿を消したグレンデルヒ。
 残された者たちは緊張の面持ちでその言葉が何を意味するのかを思案する。
 マラード王はというと、糸の切れた操り人形たちが床に横たわる様、哀れに打ち棄てられた様を見て、眉根を僅かに寄せていた。

 美貌の王が自らの手と人形たちとを交互に見て、無言のまま考えにふける様子を、賢者セレスと、それから従僕ルバーブはどこか安堵したように見つめていた。
 そんな時である。
 凶報が舞い込んできたのは。

「皆の者、空を、空を見よ!」

 賢者のひとりが、窓から身を乗り出して、なにやら筒状の呪具で空を覗き込むようにしていた。

「月が、偉大なるドルネスタンルフの化身が翳りつつある! それも四つ全てが、一斉にだ!」

 言葉通り、いつの間にか漆黒に染め上げられた空に浮かぶ四つの月が、残らず喰われたかのように光を絶やしつつあった。
 途端、場が騒然となる。

「月蝕だと?! それはまことか!」「一体何が起きているのだ」「凶兆なのか」「あれは球神になにか異変が起きていることを示しているのでは?」「占星術師殿、あれはどのような兆しなのでございますか?!」

 折良くその場には十二賢者が一人を除いて勢揃いしていた。その中のひとり、南十字の賢者と呼ばれるメドロ・カーマーン、偉大なる占星術師が言うことには、それは大いなる球神ドルネスタンルフの加護が弱まっていることに起因するらしい。

 極めて稀にしか起こらない、それこそ天文学的確率で発生する四つの月蝕。
 このラフディの加護は大きく二つある。
 多数派の大地の民はドルネスタンルフ、少数派の夜の民はマロゾロンド。
 特に人狼たちは両者の中間の種族であり、双方の加護を等しく宿していた。

 四つの月が隠れてしまうことは、双方の加護が消失することを意味する。
 ラフディという国に住まう者ならば天地がひっくり返ったかと思うほどの出来事である。賢者や重臣たちが集まって起きるであろう混乱とその収拾について話し合いを始める中、マラード王は何も出来ずに狼狽えるばかりであった。

 忠実な下僕に頼ろうと手を伸ばすが、肝心の肥満体は既に王を見ていなかった。
 彼は機敏に動き回り、部下である兵士たちに矢継ぎ早に指示を出していく。怠惰な王に代わって実務を行っているのはルバーブであるから、このような状況にあっても家臣団や兵士たちはまずルバーブに話を通そうとするのだ。

「コバルト翁、シェボリズ殿はおられないのか」

 ルバーブは二本足で立つ小柄な人狼に問いかけた。
 目が隠れるほどに毛深い狼は、恐縮するように腰を低くして答える。

「申し訳無いルバーブ殿、火炎侯は今ここにはおらんのだ。折悪しくドラトリア公国に向かわれていてな。お帰りは当分先になるだろうよ」

「ならばコバルト、速やかに軍師殿を呼び戻すのだ」

「それなら、私がひとっ飛びでドラトリアまで行ってくるよ」

 ふわりと浮かびながら、賢者ウルトラマリンが言う。 
 少女の肉体が変幻して、青い翼と蝙蝠の羽を兼ね備えた牡鹿とも鼠とも狼ともつかない奇怪な獣になる。変身者は一声鳴くと、空高く羽ばたいた。

「君たち大地の民は私の友達だからね。こんな時くらいは力になろう。なあに、気むずかし屋のシェボリズといえど、私が言えばすぐに来るさ。彼の一族は昔から私に頭が上がらないんだよ。こっちの方が先に大魔女様に弟子入りしたからね」

 軽やかにそう口にして、変幻する獣が月明かりの無い空へと消えていく。
 ルバーブは賢者に礼を言い、コバルトに向き直って別の用事を言いつけた。

「コバルトよ、私はこの場を離れる。陛下の身をお守りするのだ」

 老いた人狼は重々しく頷いた。

「承知いたしました」

 ルバーブは足早にマラードの目の前に近寄ると、幾つかの決定についての判断を仰ぎ、マラードにもわかりやすいように噛み砕いた説明を添えると、目を白黒させて混乱する王の委任を皆の前で取り付けた。

 それからルバーブは、外敵の侵入や民の暴動などが危惧されるので近衛兵らと共に自室に戻るように、とマラードに告げて、自分は足早にその場を後にした。
 国中が大きな混乱に見舞われる中、王には出来ることが何一つ無い。

 マラードは一人、感情の浮かばぬ表情で虚空を見つめる。ルバーブが去っていったあたりを、じいっと。長く、長く。やがて近衛兵らに促され立ち去っていく王の背中を、静かな灰色の瞳が見つめていた。






 かつて、この世に生きるもの全てを支えていた最高位の紀神ドルネスタンルフ。
 球形大地という神話が崩れ去り、その格が【大神院】を名乗る組織によって九位にまで落とされた後も、大地の加護と恩恵によって人々に確かな存在感を知らしめていた。

 だがしかし。
 絶対であるはずの存在が、今まさに『零落』しつつあった。 
 曲線、球の組み合わせによる独特の建築様式は街そのものを美術品として成立させている。普段は大地の民や夜の民が行き交う夜の街を、混乱が襲う。

 災厄は、まず墓の下から現れた。
 共同の墓地から、土葬された屍が這い出して地下の居住空間に侵入してきたのである。この異常事態の最初の犠牲者は地下に住む移民たちの末裔、人狼だった。

 屍が動き出し、更には人を襲う。
 脅威は地上にまで及び、その知らせを王宮が知った時には次なる災厄が引き起こされていた。

「災厄を引き起こしたのは人狼たちだ! 地下から屍がやってきたのがその証拠だ、そうに違いない!」

「やつらは影を操る夜の民なのだろう? ならば墓の下の屍を操れても不思議ではない。きっとそうだ!」

「人狼は屍と関係がある、穢れた種族だったのか!」

「やい余所者ども、災厄を呼び込んだのはお前らだろう!」

 声の大きな大地の民たちが、よってたかって数の少ない人狼たちを責め立てている。そんなことが都のあちらこちらで起きているのだ。中には、暴動に発展した地域すらあるようで、各所から混乱の声、更には火の手まで上がっていた。

「ふざけるなよ針もぐらども! 我らはそんなもの知らんわ! 勝手な印象を押しつけるんじゃない!」

「そうだそうだ、お高くとまりやがって! お前らが地上でのうのうと暮らしていられるのは誰が汗水垂らして働いてるからだと思っていやがる!」

「俺たちを勝手に地下に押し込めておいて、何かあったら何でもかんでも俺たちのせいってわけか! やってられるか、俺はもうスキリシアに移住するぜ!」

「でもよう、俺スキリシアの言葉なんてわかんねえよ」

「そんなもんこっちもだよ馬鹿。親もその前もラフディ生まれだ畜生め」

 威圧的に振る舞う大地の民と、それに反発しながらもどこか悲しげな人狼たち。
 そうしている間にも動く屍は次々と人々に襲いかかり、被害は拡大していく。
 ルバーブ率いる王宮の軍隊は必死に屍たちと戦うが、倒しても倒しても死人の軍勢は湧いて出てくるのだ。

「これでは切りが無い!」 

 叫ぶルバーブの前に、人狼が現れて、どうっと倒れ込んだ。
 見れば、全身に傷を負い、血を流し続けている。
 ルバーブが機敏に動いて人狼に駆け寄ると、彼に石がぶつけられた。

 見れば、彼と同じ大地の民たちが手に石を持ち、人狼に投げつけているのだった。口々に「出て行け」と叫ぶ姿を見て、ルバーブは表情を絶望に染めて地に頭を擦りつけて叫んだ。

「おお、神よ! どうか我らを見放し給うな!」

 祈りは届かず、第三の災厄が到来する。
 色のない鱗粉が漂い始めたことに人々が気付いた時、全ては手遅れだった。
 幾多の翼がはためき、凄まじい羽音と共に何かが大挙してやってくる。
 中心には、途方もなく巨大な有翼の大烏賊が無数の触手をうねらせており、その上に小さな人影が星々の光に照らされて腕組みして立っていた。

 否、軍勢を照らしているのは星々の光ではない。それらはとうに闇に覆い尽くされて消えている。
 淡く不気味な光を放っているのは、半透明で実体の無い亡霊の群だった。
 羽の生えた様々な異形の屍と、無数の亡霊たちを従えているのは、たった一人。

「愉快、愉快。少し不和の種をばらまいてやればすぐこうだ。多民族国家というのはかくも脆い。火種だらけのガロアンディアンすら崩せなかったダエモデクの奴は全く腑抜けとしか言いようが無いな」

 巨大な蝶の翅、構造色の煌めきを振りまく見目麗しい褐色の少年である。
 不遜な表情で、虫態の闇妖精が混乱する人々を睥睨する蝶の少年。
 その手には黒い皮表紙の本を持ち、足下の大烏賊が触手の一本で支え持つ旗には特徴的なニガヨモギを意匠化した紋章が描かれていた。

 戦慄するルバーブの隣に、いつの間にか賢者セレスが現れていた。
 浮遊する軍勢を険しい表情で睨み付けつつ、少女が言う。

「とうとう来てしまいましたか。あれこそは忌まわしきニガヨモギの紋章を掲げ、中原に覇を唱える魔王たち――【フレウテリスの悪夢の軍勢】です。あの少年は、恐らく【四方の王】が一人」

「まさか、ジャッフハリムの呪祖の手がここにまで及んでいたのか!」

 二人の目の前に降り立った麗しき少年は、耳の奥へと楽しげに駆けていくかのように無邪気な声で名乗りを上げた。

「我が名はフィフウィブレス=ハルハハール。この世で最も美しい、亡霊どもを統べる南方の王。盟主殿の意に従い、このラフディを平らげに来た。皆、大人しく我が死の軍勢に加わるがいいだろう」

 途端に発生した凄まじい暴風にラフディの兵士たちと、彼らが操っていた人形たちが一斉に吹き飛ばされた。

「愚かな! みだりにまことの名を晒すとは、よほど命がいらぬと見える!」

 人狼の呪術師たちが叫び、それぞれに呪文を唱えていく。
 しかし、彼らのまじないは何の効力も及ぼさず、それどころか少年が流し目を送っただけで陶然とした表情になり、喉を鳴らしながら地に転がって腹を露わにするという服従の姿勢を見せる始末だった。

「黴の生えた呪術理論を未だに使っているのか、時代遅れの夜の民め。この美しい僕の存在を掌握できるのは、対等な存在である他の三王と盟主殿くらいのものだ」

 少年の背後で揺れる不気味な紋章が輝き、その権威を広くラフディに刻み付けていく。死人の軍勢に占領された区画に次々と旗が立てられ、焼き印が押されていく。その度にラフディという国は塗りつぶされていくのだ。
 賢者セレスが前に出て、鋭く言い放つ。

「やはり断章はこの時間軸に持ち込まれていましたか。答えなさいハルハハール。貴方にその第六の断章を渡したのは、私では無いのですね?」

「何だい、君は。断章? ああ、この『鍵』のことか。これはかなり前に賢者を名乗る男に手渡されたものだよ。僕の霊王としての力を高め、冥府へと続く扉を開いてくれるのさ。はて、あれの名前は何と言ったかな? 確か、グ、グ、グール、いや、グレン?」

「私が譲ったのでなければ、それを持つ資格は貴方にはありません。速やかにそれを放棄なさい」

「イヤだね。この世で最も美しい僕は、自分より美しくない者には従わない。君のような醜い女の子の言う事は聞けないな」

 蝶の翅を持つ少年は、無数の屍をけしかけて大地を蹂躙していく。
 全ての元凶はこの恐るべき魔人であり、そして彼に力を与えているのは手にした黒い本であることは明らかだった。そして、それを彼に渡した何者かの悪意によってラフディは混乱に陥っているのだ。

 セレスはすっと目を細めた。
 その顔の右側が、どろりと腐乱して肉が落ちていく。
 後に残った白骨、空洞の眼窩が死のごとき視線で死人たちを睨み付けた。

「では、私も言葉ではなく力で語りましょう」

 途端、少女の足下から夥しい数の死人が這い出て空から、地下から湧いてくる死人に殺到した。
 腐乱した、あるいは白骨化した屍体は醜悪きわまりない姿で大地の民や人狼を襲う脅威に立ち向かい、次々と敵を撃退していく。

 同じ死人の軍勢であっても、圧倒的な練度の違いがそこにはあった。
 空を飛ぶ屍たちを残して軍勢が壊滅すると、フィフウィブレスと名乗った少年は不快げな表情で吐き捨てた。

「なんて醜い。引き立て役としてすら許容しがたい忌まわしさだ。ならば僕は、美しさで君を排除しよう」

 細い指先が項をめくると、彼の周囲を踊っていた光る亡霊たちがその数を増していく。亡霊たちは曖昧な輪郭をしている他は尋常な人体そのままであり、醜悪さや忌まわしさは無く、むしろどこか神秘的、幻想的で美しくすらあった。

「亡霊たちはね、自らの人生で最も美しい瞬間で現れるのさ。死とは永劫、それは永遠に残る輝きだ。さあ、君たちも僕の美しさに服従したまえ」

 フィフウィブレス=ハルハハールが言うと、巨大な蝶の翅から無数の鱗粉がばらまかれていく。それらが僅かな光を放つたびに、それを見た生者たちの目から理性が失われ、とろんとした表情で美しい少年に平伏していく。
 そんな中、賢者セレスが敢然と反論した。

「いいえ。いいえ。死とは美しいばかりではない。それは醜いもの。苦しいもの。忌まわしいもの。ただ見たまま、感じたままの肉の傷み、骨の軋みこそが死であり、生でもあるのです」

 その言葉には神秘的な力が宿っていたのか、醜く悪臭を放つ死人たち、骨ばかりとなった屍たちには触れられないはずの亡霊たちが、次々と薙ぎ倒されていく。
 空から降り注ぐ華麗なる亡霊たちと泥臭く戦う醜い死人たちとの戦いは長く続いた。互いに疲弊し、それでも決着はつかないまま。

「仕方無い、ここはひとまず退いてやろう。だが、次に来るときがお前たちの最期だと知るがいい!」

 そう言い残して去っていく死人の軍勢。
 ラフディを守りきったセレスは、力を使い果たしたようにその場に倒れ伏す。
 ルバーブが駆け寄って少女を抱きかかえ、大声で呪術医を呼んだ。

「どうもありがとう。ねえ、一つお願いがあるの。私はもう力を使い果たしてしまって戦えません。次に彼が来ればこの地を守りきれないでしょう。だから」

 少女はそう言って、視線を丸い王宮へと向けた。
 ルバーブが、何かに気付いたように驚きの表情を作る。
 セレスは左半分の顔で柔らかく微笑み、言った。

「あの子の心を折るのは、きっとあの子も認めざるを得ない美しい人でなくてはならないのです。だから――」

 その後の言葉は、右側の骨だけの歯の隙間から漏れ出て消えていったが、もはやその詳細を問うまでもなかった。






 ラフディの王と言えば、かつて共に戦ったガロアンディアンの無鱗王アルトの流した血と剥落した鱗を浴びて大いなる力を得たと言われ、その血に連なる者はみな諸外国から【地竜王】の渾名で呼ばれるほどの豪傑であるはずだった。

 長年の宿敵たるカシュラムとの戦争にも勝利し続け、平和になった後も軍隊の精強ぶりでは他の追随を許さぬほど、という評価を動かぬものにしている。
 そんな評判は、しかし内側から溢れ出た死人によって脆くも崩れ去る。

 霊王を名乗る恐るべき存在は去ったが、土の中から甦る死人たちは相変わらず各地で人々を襲い続けていた。
 延々とわき出す軍勢の脅威に兵士たちは疲弊し、限界は近いように思われた。

 未曾有の危機に王宮は揺れていた。
 賢者たちの助言を仰ぎながら、ルバーブを中心として事態の対応にあたるも、混乱は一向に収まらない。そればかりか、大地の民と夜の民との間に生まれてしまった溝、あるいは明らかになった断絶は今にもラフディを引き裂こうとしていた。

 そんな中、賢者セレスはマラードとルバーブを呼び、こう切り出した。

「解決方法がございます」

「それは、どのようなものだ」

 マラードは勢い込んで訊ねた。自らの統治する王国がこのような状況にあって、何も出来ぬ己に歯痒さを感じていることが焦りを含んだ態度から見て取れる。
 セレスは生真面目な表情で返した。

「未来の知恵を使います」

 奇妙な物言いに、二人は揃って首を傾げた。

「私は、未来から来たのです」

 俄には信じがたいことだったが、力あるまじない使いならばそういうこともできるのだろう、と二人は納得し、受け入れた。
 物わかりの良い男たちににっこりと笑いかけ、セレスは続ける。

「まず土葬を止めましょう。火葬という文化を徹底させ、法によって土葬を規制するのです。決まりを定め、王国という呪術の祭場にそれを定着させれば、王国そのものを対象とした呪術は破ることが可能です」

「なるほど。法を定めるのは王と議会の役目ですな。ただちに臨時の議会を召集しましょう。陛下、貴方様の号令が必要です」

「う、うむ、よくわからんが、わかった。良きにはからえ」

 マラードは険しい顔をしつつも、賢者と側近の判断を信頼して全てを委ねることに決めた。
 更にセレスは突飛な提案を続ける。

「そしてもうひとつは――情報的な墓地を作ることです」

「それは?」

 今度はルバーブも意味が分からずに、首を傾げるばかり。
 揃って不思議そうな顔をする男たちに、少女は球体と人形を取り出して言うのだった。

「これもまた、未来の知識。そして、未来の技術です」

 セレスの指示の下、急速に事態が進んでいった。
 その間にも月は隠され、更には太陽までもが黒く闇に飲まれつつあった。
 尋常な天体運動では説明が付けられない事態に占星術師たちも匙を投げ、人々は日に日に悪くなっていく街の空気に疲れ切っていた。

 じきにあの恐るべき霊王が戦いの傷を癒して戻ってくるだろう。
 そのあと、自分たちは一体どうなってしまうのか。
 セレスが呼び出した、この国のものではない死人たちの存在も人々を怯えさせる原因となっていた。

 外敵から人々を守ってくれていることは皆が理解していたものの、そのおぞましい姿には誰もが不気味さを感じずにはいられない。
 と、気味悪そうに恐れおののく女子供たちの前に、長い髪を揺らして歩く男が現れた。マラード王その人である。

 怯える民草に安堵を与えるべくその姿を見せたはずなのだが、不思議と人々は目を丸くしたり、小さく笑いそうになってそれを堪えたりと、かえって余計な緊張を強いられる結果となっていた。それというのも、

「おい、こら、よさないか!」

 マラードの全身に、土気色をした顔の赤子たちが群がっているのだった。幼くして命を失った赤子たちはなぜかみなマラード王に良くなつき、長い髪や長身を遊具と勘違いしているかのように、並外れた腕力で王の全身に猿のようにしがみつく。

 その間抜けな様子に、ついには女の一人が声を上げて笑い出し、連鎖するようにあたりは爆笑の渦に包まれた。
 王はなにやら複雑そうな表情をしながらも、命無き赤子たちを引き連れて不安がる民たちの間を歩いて、声をかけたり手を握ったりということを繰り返した。

 何かそれらしい優しい言葉、その時だけは安心できるような言葉を紡ぐことにかけては右に出る者がいないほどだったので、マラードの歩みによって街はいくらかの落ち着きを取り戻した。その道化のような格好を見て、味方をしてくれている死人たちに対する忌避感が和らいだことも確かだった。

 変化は、マラードのその行動の裏側で速やかに進行していた。
 セレスが指示し、ルバーブが中心となって国中の呪具職人たちを総動員してその呪具と祭場は完成した。

 曲線を描く独特な街路に神秘的な力が循環し、大地を走る流れが光となって王国を巡っていく。国民全員に呪石を埋め込み、特殊な溝を刻んだ宝珠が配られると、それは始まった。

 それから幾日かが経過して、フィフウィブレスが大烏賊に乗って襲来する。
 今度こそラフディを死の軍勢で飲み込まんと意気込んできた霊王は、王国の様子を見て目を見開いた。

「何だ、これは。何が起きたんだ?」

 王国の様子は一変していた。
 誰もがひとりでに喋る人形や宝珠を持ち、それに手をやって虚空に浮かぶ窓を操作している。

「死人ども、墓の下から甦れ!」

 霊王が号令をかけるが、何も起こらない。
 すると、マラード王、ルバーブ、そして賢者セレスがやってきて民に何事かを呼びかけたり、話し合ったりしている。内容はこうだ。

「命日をパスワードにしないこと! 皆の者、この決まりをしっかりと守り、個人でしっかりと管理するようにするのだぞ!」

「賢者殿。祈りの時間帯に一斉に墓地にアクセスするので、サーバーに負荷がかかってしまうのが問題だと報告がありました。突貫作業でしたが、落ち着いたら強化しないと鎮魂祭に耐えられないのでは」

「祈りを捧げる権利だけを与えられるわけで、墓地情報そのものは管理会社のものである、という点がやはりネックになってますね。権利関係はやはり法整備をきちんとしていかないと、恐らく相当揉めるでしょう。後で未来の判例を幾つか写しますから、参考にして下さいね」

「うむ、よくわからんが二人に任せよう」

「読み込みの遅さ、クライアントの質が悪いせいで民の間に不満が溜まっております。昔ながらの物理墓地が良かったと言うものも数多い様子ですな」

「昨日のアップデートで不具合があったのもまずいですね。今朝修正できたのは幸いでしたけど」

 霊王フィフウィブレスは唖然とした。
 自らの死人操りの術が、何の意味も成さなくなっていた。
 既にこの国に墓は無いのだ。
 そしてまた、屍体も全て焼かれてしまって原形を留めていない。

 であれば、それに関連して亡霊たちも出てくることができない。
 ラフディは不可思議な技術によって、およそ全ての墓という墓を情報化していた。既存の呪石と球体に呪力を見出す文化と技術を利用して宝珠型端末を作り、国民に無料配布。それを通じてあらゆる生活の支援を行うという施策であった。

 予想された凄まじい反発は、国家存亡の危機ということで強引に抑え込まれ、大規模な文化の転換は数日で行われたのだった。
 霊王は褐色の顔を気色ばませて、高らかに吠えた。

「ならば、醜い者たちよ、この美しい僕に見惚れろ、従うがいい!」

 鱗粉が撒き散らされ、魅了の呪術によってあらゆる者が平伏する。
 その光景を予期していたフィフウィブレス=ハルハハールはしかし誰も彼に見向きしない現実を目の当たりにして愕然とする。

 そして、国中の人々が宝珠型端末が空中に表示する窓に、見目麗しい男女が映し出されているのを見た。
 また、人ならざる美しさの人形たちを傍らに置いて髪を梳いたり、服と着せたり、話しかけたりしている者たちが大勢いることに気がついた。

「なんだこれは!」

「このような特産品がある国だというのに、だれもが球体にばかり関心を寄せているのがおかしかったのです。美しいものは、もっと沢山あるのに」

 霊王にそう教え諭したのは賢者セレスだ。
 既に別の者に強烈に魅了されている者たちを、蝶の闇妖精は魅了できなかったのである。

 彼女は人々が架空の美貌に入れ込み、作り出された人格に、その物語に入り込む様子をうっとりと眺めている。

「三次元ならばお人形遊び、そして無限に広がる二次元の世界――私が本当に伝えたかったのは、こういうことなのですよ」

「う、うむ、そうか。俺はてっきり、人形劇という小さな舞台で逆の立場を演じる事で、他者の心を慮れるように、この身の成長を促しているのだとばかり」

「はい? 何ですかそれ。私はただ、三次元の恋愛よりも架空の恋愛のほうが自由自在だということを陛下にお伝えしたかっただけですよ。ハーレムとか攻略して後は顧みないとか、そういうストイックさ、私はいいと思いますよ。飢えているなら貪欲にプレイしまくるがいいでしょう。そしてそれには無限に広がる二次元世界のほうがずっと効率がいい。人形を使ったのは、まずは三次元との境界線上のものを導入に使った方が抵抗感が無いかと思ったからです。この国の人は馴染み深いでしょうしね」

 驚くべき流暢さで捲し立てていく少女を、マラードはまじまじと見つめ、それから大笑いする。
 笑顔が辺りに伝播して、世界はゆっくりと明るさを取り戻していった。
 いつのまにか世界を包んでいた闇は消え去り、空からは太陽が顔を覗かせている。夜になれば、四つの月がまた姿を現すことだろう。

「ふざけるなっ、こんなものは認めないぞっ」

 空を飛ぶ異形の軍勢が、霊王フィフウィブレスの号令の下に地上に襲いかかる。
 だがその時、賢者ウルトラマリンが巨大な人狼を連れて戻ってくる。
 人狼種の英雄と呼ばれた火炎候シェボリズは高らかに吠えると口から猛火を吹き、死人の軍勢を残らず焼き尽くした。

 死者は古来より火葬に弱い。総崩れとなった軍勢は這々の体で空へと逃れていくが、それを見逃さずにセレスが鋭く叫ぶ。

「陛下、ウルトラマリン様のアエタイトをお持ちですか」

 賢者が贈り物として王に献上した、内部に石を孕んだ石のことである。
 マラードは頷いた。

「ああ、あれならば確か、ここに」

「それを天に掲げて下さいませ」

 王が言う通りにすると、セレスは口の中で小さく呪文を唱える。
 直後、小さな石がひび割れた。
 そして、中から夥しい数の猛禽たちが飛び出した。

 その大きさは明らかに石に収まるものではない。百を超す猛禽たちが次々と羽ばたいて、空へと逃れた死人たちを啄んでいく。

「百十一羽の霊鳥アキラは屍肉を啄む――空飛ぶ死人は、鳥葬に限ります」

 猛禽たちに襲われ、穴だらけとなった蝶の翅でどうにか逃げていく霊王に、もはや現れた当初の威圧感は皆無だった。
 人狼の呪術師たちが一斉に呪文を唱えて、剥き出しのまことの名を捕まえて束縛する。権威を失ったフィフウィブレスは容易く捕らえられてしまった。

 やむなく自らの名の半分を切り離し、霊王フィフウィブレスという自らの本質と最大の武器であった魔導書を手放した闇妖精は、ちっぽけな蝶々となって遠くへと逃げていった。

「――回収完了。どうにか丸く収まりました」

 黒い本を拾って、セレスが小さく呟く。
 かくして危機は去り、ラフディは救われた。
 セレスはゆっくりと振り返る。
 そこには、新たな文明の光に照らされた輝かしい王国の光景が広がって――

 ――寒々とした風が吹き抜けていくと、そこにはもの寂しい廃墟が広がるだけ。
 美しい曲線はあちこちが削れて歪な形状となり、少女は灰色の瞳でそれを眺める。右側の皮膚が剥離して、腐った肉が落ちていく。足下に積み上がる白骨の上に、生温かい血肉が滴った。

「実を言えば、このお話は悲劇なのです。愚かな王を最後まで見捨てなかった卑しい生まれの忠臣は、主人の代わりに命を落としてしまう。王はその時はじめて真実の忠愛がすぐ傍にあったことに気付きますが、時は既に遅く――王は失意の中で病に倒れ、国は滅亡する。そんな、史実を元にした物語」

 半分だけ屍となった少女の空ろな眼窩は、廃墟とそこに散乱する白骨死体、頭蓋骨をこつこつと叩く猛禽たちを見ていた。
 やがて無数の鳥たちが集うと、一ヶ所に寄り集まり、小さな球形となっていく。

 アエタイトと呼ばれる石に戻った霊鳥は、浮遊しながら少女の手元に引き寄せられていった。黒い魔導書と呪石を手にしたセレスは、淡々と続けた。

「後世の創作では、それでは余りに救いが無いと言って、王の胸の中に忠臣は生きているだとか、数々の忠言を思い出して王が再び立ち上がろうとするだとか、そういった改変をした作品もあります。これはもっと極端で、史実をなぞりつつも滅茶苦茶な設定を導入することで破局を回避するという筋書き」

 空ろな声で、セレスは廃墟を歩く。
 その場に残されたのは、彼女の他には二人。
 長い髪の王と、その従僕たる肥満体。
 少女の灰色の左目と、空ろな右目に映し出されているのは、どちらがどちら側であったのか。

「私は、それが嫌いなのです――語り直すということは、語り直される前の物語の死を打ち棄てて、忘れてしまうということだから」

 男たちは、黙して語らない。
 冷たい風が、いつしか曇天となった世界を通りすぎていく音が響く。

「私は、過去を指向する呪文が嫌い。だから私の『誓約』は未来を指向しているのです。おわかりになりまして、アキラ様?」

「お前は、コルセスカじゃないな」

 かちり、と白い歯を見せて少女が笑う。

「さて、今、この時の私が誰なのか。もちろん劇中では役柄が全てです。ですが同時に、役とは役者を表現するための容れ物であるとも言えるのですよ」

 軽やかに、幼い少女のように。
 くるくると回りながら、少女の髪が解けて踊る。
 右側の頭髪がばらばらと抜け落ちて、蜂蜜色の絹糸が風に攫われて舞い上がり、煌めきの残滓を残していく。それは生の余韻であり、死の痕跡だった。

「きぐるみの場合、役としての本質は外側に求められます。けれど、演劇というのはね、外側に役者が現れているのですよ。役は不可視で、見えていることになっているだけ。役者の中にある役、あるいは役者と観客の間に置かれた役――共犯関係が創り出す幻想」

「お前は何を言っている。セレス――死人の森の女王。これもお前の数ある名前の一つなのか」

「役が役を演じて、役者が役者を演じる。こんな転倒も、ありふれた手法に過ぎませんけれど」

 噛み合わない会話。
 そもそも、これは誰と誰が、いつどこで交わしている言葉だというのか。

「前世の記憶を持って生まれた『私』――それを自覚した瞬間、私は過去の私として覚醒する。貴方の知る現代の私は、演じられたものでしかなく、本当の私は『こう』なのです、と言ったら、貴方はどうしますか? ねえ、貴方の『ほんとう』とは、見たいものを見ることでしょうか。それとも、ありのままの事実を見つめる事なのかしら。邪視と杖のゼノグラシアたる貴方は、どちらを選ぶのでしょう」

 男の声は、黙したまま語らない。
 長い、長い静寂の後。
 悪戯めかして、少女が問いかける。

「問題です――私は誰で、今どこにいるのでしょう?」

「お前はコルセスカだ。俺の目の前にいて、トリシューラと並び立つ冬の魔女」

「そう、結局そこなんですね。新たなるガロアンディアンの女王――私はつまり、彼女と雌雄を決しなければ『私』としてこの世に立つこともできない。あら、日本語では、『雌雄』を決するなんて言い回しを使うのですね。何というか、これは」

 少女は溜息を吐くと、生身の左手で白骨の右側を撫でていく。
 すると、見る間に屍そのものだった右半身が生気を取り戻し、光に包まれて元通りの生きた身体へと変化するのだった。
 そして、満面の笑みを見せる。

「とっても、馬鹿馬鹿しいですね♪」

 世界が色づいて、活気を取り戻した都の中心で三者が向かい合う。
 ルバーブは全てを諦めた様に瞑目して、マラードはどこか穏やかな表情でセレスに問いかける。

「もちろん、我々は理解している。こんな光景は嘘だ。私たちは助からなかった。愚かな私のせいで、多くの人狼たちが苦難の運命に見舞われ、ラフディは死に埋め尽くされた。外敵の侵入から民を守る事もできなかった愚王が私だ。ルバーブの忠義には最期まで報いることが出来なかったな」

 今度は、セレスのほうが黙して語らない。
 微笑んだまま、張り付いたような表情でマラードを見つめる。
 王はどこか相手をまぶしそうに見返して続けた。

「貴方は、ただ過去を変えに来たのではないのだな。過去の死を無かったことにするのではなく、さりとて絶望のみを突きつけるのではない。希望のある結末を用意して、俺たちの慰めとしてくれるのか」

「いいえ。私は希望と絶望の両方を成り立たせたいのです。それは一つに繋がった、表と裏。生と死のように、切っても切り離せない内側にして外側の構造。私は、貴方たちにたった一つの選択肢を提示しに来たのです」

 言葉と共に、行き交う人々の全てが死に絶えた。
 しかし、今度は街が廃墟となったりはしない。
 燦々と太陽の光に照らされる中で、死人たちが陽気に歩き、笑い合う光景。

 白骨死体が土気色をした顔の子供を肩車して、欠損した四肢を繋ぎ合わせ、防腐処置を施し、綺麗な死化粧に彩られた女性が力の無い骨ばかりの夫の手を引いて、時には落ちそうな赤子を支えてやる。

 丸い看板の上、半球の屋根で工具を持つ身軽な骨の大工たちに、商店でかちかちと骨を打ち合わせて呼び込む売り子たち。女性に落とし物である耳や鼻、指などを拾うことで始まる恋。わざと指を落として気になる男性を誘うという技術。死臭を隠すために発達する香水文化。

 死人の日常風景は、どこか穏やかで平和だった。
 争い事が皆無ではないが、それは解決しようがしまいが、どちらも同じ事。
 時間に急き立てられることなく、強固な意思がぶつかり合うこともない。
 過度な暴力が笑いになるような、生と死の価値が零落した世界だ。

「滅びるのではなく、さりとてただ生き延びて繁栄するという『硬質な事実』に反することで世界の修正力に刃向かうのでもなく――死後を生きるという、その続きを、貴方たちに」

 セレスは、二人の男にすら詳細な意味がとれない言葉を紡いでいく。
 この戦いが、始めから『三つ巴』のものであったこと。
 過去を変えるべく再演を行うという儀式には、異界からの転生者と、賢者たる英雄だけではなく、もう一つの勢力が絡んできているのだという事実を、誰も気付いていなかったこと。

 三人目のプレイヤー、【死人の森の女王】は両者を出し抜き、自らの目的を遂げようとしていたのだということ。
 納得したように、王が頷いた。

「救われうる可能性を見せてくれたのは、貴方とは別の――我々を演じている者たちの思惑によるものか。彼らにも礼を言いたいが、さて、方法が分からないな」

「では、代わりにその救い主を象徴する石と霊鳥にお礼を言うといいでしょう」

「そうか。ではアエタイトに宿りし霊鳥アキラよ、礼を言うぞ」

 マラードとルバーブは死が満ちた王国を見て、満足げに頷いた。
 そして、二人は跪く。
 小さなセレスを主と仰ぐかのように。

「我らラフディの棘の民、救い手たる貴方に従おう」

「死人の森は、貴方たちの骸を包み込むことを『約束』します――けれど、ごめんなさい。今の私はグレンデルヒに力の大半を奪われてしまっています。今のままでは貴方たちをこのように活気ある世界に連れて行ってあげられません。だから、待っていて。すぐに残りの断章を取り戻して、ジャッフハリムを、グレンデルヒを、今の私を、トリシューラを打倒して、必ずや【死人の森】を再興させる。貴方たちの過去と未来の全てを取り戻す。『約束』です」

 セレスの言葉は不思議な力で世界を包み込むと、やがてラフディをゆっくりと眠りにつかせていく。
 それは子守歌のような呪文だった。
 急速に育っていく針葉樹が国土を覆い尽くし、そこは森の中に埋没していく。

 やがて冬が訪れると、冷たい風とともに白い雪が一帯に降り積もっていき、世界は銀色に移り変わった。人々は眠っていく世界を見ながら、遠い未来に想いを馳せるように目を瞑る。

「ああ、今は微睡みにこの身を委ねよう。俺は答えを得たのだ、麗しの女王よ。君との奇跡のような出会いこそが、本当だったのだと、俺は今、ようやく確信した」

 言葉は雪の中に消えていく。
 その先は、目覚めと共に熱を帯びて男の胸を焦がすであろうことを約束して、今はまだ、という留保を付けて先延ばしにされるのだ。

「どうか、今は穏やかに眠って下さい。たとえ千年の時を経ても、私は貴方たちを起こしにやってきます。この約束はけっして破られません。だから、死の眠りを怖がらないで」

 少女は決意を宿した瞳で銀世界を見据えた。
 その目の前に、球体関節人形のラクルラールが立っている。
 不思議とこの人形の回りだけは雪が降り積もることなく、世界から切り離されたかのように孤立していた。

「相変わらずね、ラクルラール。ゲームには参加せず、黒幕気取りで高みの見物といった所かしら」

 硝子の目は動かない。動いたような気がしたならば、それは光の加減でそう見えただけのこと。
 だが、確かにその時、人形はぎょろりと目を向いて少女を見た。

「全てが貴方の思惑通りに運ぶと思ったらそれは間違いですよ。グレンデルヒにも貴方にも、やられっぱなしでいるような魔女ではないってこと、よおく知っていますよね?」

 少女がそう言った時には既に、球体関節人形は姿を消していた。
 代わりにその場に残されていたのは、一揃いの人形たち。
 人形劇用の道具だった。

「――ご丁寧なことですね。そのつもりでしたし、使わせてもらいましょうか。たとえ誘導されているのだとしてもね」

 少女は長い髪を数本抜いて、人形を操った。
 眠れる森の下、じっと待ち続けている死人たちの業を使って、彼女は更なる過去を再演する。続けて演じられるのは、こことは別の王国の物語だ。

「古きガロアンディアン――滅びた竜王国、地獄へと堕ちた理想を掲げた、大いなる牙が統べる騎士の国。『新しい方』と戦う前の肩慣らしとしては、丁度いいのかしらね」

 灰色の目が輝いて、人形たちが動き出す。
 そして、物語は始まった。









 そのあと二人がどうなったかって?
 きっと結婚して、幸せになったことでしょう。
 お話というものは、だいたい最後は結婚式で幕を閉じるのです。

「だめ。私はまだ結婚ができる歳じゃないもの。きまりを破るのはいけないこと」

「ならばいくらでも待とう。大きくなったら一緒になると、約束してくれるね?」

「ええ、喜んで。約束しましょう?」

「ああ、約束だとも。たとえ、この身が朽ち果てても、君を迎えに参上しよう」

 ――もちろん、それがお約束なのです。
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