挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

90/183

4-12 Tournamented Celestial Gaze(the second volume)

 

 感染呪術。
 かつてトリシューラから受けた講義を俺なりに解釈すると、この呪術は関係性の拡張である以前に、身体性の拡張に含まれることになる。

 まず『あらゆる生命は元は一つのものであった』という認識を用意する。
 親子はもちろん近しい親族に至るまで、『起源が同一である』という点に繋がりを見出すことで、同質性を仮構するのだ。

 社会的形態としての『家族』を参照するのは使い魔呪術の領分だが、『血』や『遺伝子』を身体性に含めることで、杖使いでも『家族』と『自己』とを結びつけることが可能になる。

 人は皆、女性から生まれてくる。であれば、自然分娩を経た人は親族と極めて濃密に接触しており、強い関係性が見出せると言えよう。

 親族を感染呪術の対象――『本来は同一であった』と見なしうる範囲の拡張度合いは呪術師としての技量に依存する。
 トリシューラであれば三親等以内が『射程範囲』だが、より高位の呪術師は更に範囲を広げられるらしい。

 ゆえに、その呪いが発動した瞬間、対象となった相手――その正体を現した前世からの来訪者、力士ゾーイ・アキラもまた自分を含めた『家族』を虐殺されるはずであった。丸太のような太ももから汚泥を押し固めたような不定形の呪詛が女性の全身に広がっていく。

 高位の呪詛を力士に注ぎ込んだのは、蠍の尻尾。
 マラコーダはただ倒された訳ではなかったのだ。
 倒される直前、蠍の尻尾で反撃を繰り出し、感染呪術という名の毒素を注入していたのである。

 マラコーダの毒は注入した後で行動を制限する麻痺毒にするか、親類縁者を巻き込んで皆殺しにする凶悪な呪詛にするかを任意に選択することが出来る。
 遠隔操作可能な猛毒。
 それもまた、感染呪術の特性によるものである。

 接触の原理。
 一度接触したもの、あるいは一つであったもの同士が共感する遠隔作用。
 この原理原則があるため、およそ毒針を持つ生物の大半は何らかの呪術的な能力を有している。

 感染呪術は摸倣子を媒質とした『近接作用の拡張』であり、分離した身体をも自らの拡張部位として認識する杖と使い魔の複合呪術と言える。

 修道騎士が使う寄生異獣も、下の『怪物』たちの肉体の一部、すなわち爪、歯、髪の毛といった細胞を移植することによってその力を得るという『身体性と関係性の拡張』だ。

 【三本足の民】なる種族が使い魔や道具を自らの身体の一部として認識するのも、この感染呪術に含まれるらしい。愛用した道具、愛玩した動物であるほどにその呪力は高まっていくのだとか。あるいは、俺の失われた右の義肢にも何かしらの呪力が宿っていたかもしれない。

 親族や周囲の関係者を自らの身体の拡張部位として認識して呪力を働かせる。
 その呪術理論を押し広げることが使い魔呪術の基礎なのだという。
 『身体の一部』を『家族』に、『家族』を『共同体』に、『共同体』を『社会』に、果ては『世界』まで。

 『国家』も同じだ。
 ガロアンディアンも【死人の森】も、極めて巨大な呪術が固定された形式であると見なされる。

 マラコーダの【呪毒】は、ガロアンディアンという呪術基盤を参照してその力を引き出す。【マレブランケ】の長マラコーダは、依って立つ居場所から力を引き出してガロアンディアンに敵対する共同体を殲滅する、三本足の民と闇妖精の混血種である。

 構成員数千人程度の犯罪組織ならマラコーダ一人で容易く壊滅させることが可能であり、トリシューラが公社相手に強気に出られていたのも、現在【暗黒街】に跋扈していた犯罪組織の大半が壊滅するか弱体化するかしているのは、ほとんど彼女の働きによるものである。

 毒の精製に極めて稀少な素材と莫大な呪力を消費することが欠点ではあるが、マラコーダの【呪毒】は、ガロアンディアンが保有する破壊呪術の中で最大の広域殲滅能力を有する。

 国家規模の軍事費を食らいながら絶大な呪力を練り上げていく猛毒。それは共同体の呪力を他の共同体にぶつけるという、原始的な【権威の爆撃】であった。
 彼女は突如として現れた力士を状況から推測して瞬時に俺の敵であると断定し、トリシューラに委ねられている権限を行使して戦術級の大呪術を発動する。

 力士の体内に入り込んだ【呪毒】は対象者が所属する共同体の呪術抵抗を参照して、殲滅範囲を決定。
 現在のガロアンディアンと対象となる共同体の呪的権威を比較し、より大きな背景を有する側が勝利するという、極微な領域で行われる代理戦争。

 格上の背景を有する相手には通用しないが、格下なら圧殺できる。
 ガロアンディアンの権威が増せば増すほどにその威力は増していく。
 そしてここはガロアンディアンの中枢とも言える巡槍艦内部だ。その呪的権威はこの上なく強大であり、抵抗など無意味である。

 ――にも、かかわらず。

 ゾーイ・アキラは涼しげな表情のままだった。
 全身を覆い尽くそうとしていた【呪毒】が自然消滅していく。
 それは、彼女がこの世界のあらゆる文脈から切り離された居場所の無い転移者だから――ではなかった。

 居場所が無ければ、それはたった一人だということ。
 脆弱な個人が国家規模の呪的権威に匹敵することなどほとんど皆無だ。
 転生者・転移者を対象とすれば一撃で討ち滅ぼすことができる。かつての俺がマラコーダと対峙したならば、きっと余りにも容易く死んでいただろう。

 では、なぜこの転移者の力士は死んでいないのか。
 異世界で、強大な企業ないし国家に所属しているから?
 それはこの世界とは何ら関係が無いことで、切り離されている問題だ。
 摸倣子が無い俺の前世の事実が参照されるとは思えない。

 その答えは、すぐに判明した。
 透き通るような妙齢の女性の、この上なく忌まわしい声によって。

「国と国との権威比べ――僣主トリシューラは不在ですが、女王対決は私の勝ち、ということでいいのかしら」

 エントリーされていた名前は『ニケ』だったが、澄んだ中に艶を含んだ声は間違いようもない。
 蜂蜜色の髪と灰色の瞳。眩いほどの美貌だが、その右半分が朽ち果てた死人のそれに変貌するところを目の当たりにしたばかりである。感嘆の溜息も出てこない。

 黒衣のフードから顔だけを見せて、【死人の森の女王】が姿を現していた。
 死人の女王は力士の傍に歩み寄ると、隣に並ぶ。
 更にはクレイ、イアテムら副長がそれに続く。

 手刀であらゆるものを断ち切る美貌の肉体言語魔術師。舞うような動きで準決勝まで勝ち上がってきた彼は、次でカーインと戦う予定だった。
 そして、魚のヒレのような耳をした白髪の英雄。水の分身を遠隔操作する言語魔術師だが、この身体もまた本体ではないのだろうか。

 ともあれ、これで四人いた偽物の夜の民――その全員の素性が割れたわけだが、そうなると自然と浮かんでくる疑問がある。
 【変異の三手】の長、グレンデルヒはどこにいる?

 こちらの疑問など、あちらにとっては知った事ではない。
 女王はこちらを見て微笑んだ。

「ヴィク」

「ごきげんよう、アキラ様――今はヴィクではない気分なので、ニケと呼んでいただけませんか?」

「適当だなおい」

 それとも、呼び名を次々と変えることが何らかの呪術的意味を持っているのか。
 かつて俺がエスフェイルと戦った時、シナモリ・アキラがハンドルネームであったために相手の意表を突けた事が関係しているのかもしれない。

 ――前世の記憶がほとんど失われた今となっては、俺の『まことの名』を知っているのはトリシューラとコルセスカだけだ。
 しかし、前世からやってきたあの力士は、どうなのだろう。

 恐らく所属は保険会社関連。運が良ければサポートセンターの担当官だが、運が悪ければ『掃除屋』あたりか。
 エピソードの記憶は無いくせに、こうした知識だけは自然と浮かんでくるこの脳が恨めしい。

 しかし今は、彼女の背後に強大な呪術基盤である【死人の森】が存在しているという事実の方が重要だ。
 力士と女王、その二人が並んでいるということは、両者は手を結んでいるということに他ならない。

「首尾良く現地協力者が見つかって良かったよ。最初は色々トラブルに巻き込まれちゃってさあ、大変だったんだ」

 俺の推測を裏付けるように、ゾーイ・アキラ――ややこしいので今後ゾーイとだけ呼ぶことにする――はそう言った。

「利害の一致――といっていいのかな。どちらかと言えばお互いに妥協し合うことで共に目的を達成するっていう協定を結んだわけだけど。とにかく、今の私、ゾーイ・アキラは一時的にこの女王様の所に身を置いてるってわけ」

(ま、最初は不幸な行き違いから対立して、巻き添えでどこかの犯罪組織を壊滅させちゃったりしたけど、結果オーライというものだよ)

 ゾーイの隣に並んだ行司シューラがしたり顔で言う。
 その声は、既に聞き慣れた明るいソプラノではなくなってしまっている。
 愕然とする俺の目の前で、行司シューラの立体映像にラグが走り、その姿が一瞬にして切り替わる。

 ウェーブがかかった黒髪。濃茶色の肌。穏やかなそうな瞳。
 黒烏帽子に直垂、軍配団扇という行司の姿はそのままだが、行司シューラとは似ても似つかない、若い男性がそこにいた。

「お前は、誰だ」

「こっちは相棒のケイト。そんなに睨まないでよ。こいつのお陰で、当初は存在抹消予定だったのを折衷案で落ち着かせることにできたんだからさ。むしろ貴方は感謝してもいいくらいだよ?」

 この力士が、何を言っているのかわからない。
 それ以前に、今まで俺が接してきたちびシューラは、まさか全てこの男が演じていた偽物だったということなのか。
 だとしたら、トリシューラは。

「心配なさらずとも、僣主トリシューラの身柄なら私の方で預かっています」

 死人の森の女王が告げた言葉が練武場に浸透していき、ざわめきが広がっていく。アストラルネット経由で拡散される前に遮断するよう、レオが素早くセージに指示したことで巡槍艦の外部に混乱が波及することは避けられたが、しかし。

「トリシューラに、手を出したな」

 ここにコルセスカがいたならば。
 恐らく、二人分の激怒を抑えきれずにすぐさま『ニケ』に飛びかかっていただろう。今頃医務室で理由のわからない憤りに戸惑っているのではないだろうか。

 どれだけ睨み付けようとも女王の表情は涼しげなままだ。
 むしろ俺の視線を心地良く感じているかのように瞳を潤ませて、白い頬に繊手を添えて息を吐く。

 嫌な予感がする。第六感とかそういった超自然的(この世界では自然なものかもしれないが)なものではなく、ニケの表情がひどく嗜虐的に歪んだ、見覚えのあるものだったからだ。

 灰色の瞳が輝くと共に、その頭上に長方形の映像窓が出現した。
 そこに映し出されていたのは、案の定と言うべきか。

「トリシューラ」

 全身をバラバラに解体された、俺の主だった。
 両手両足が付け根から引き千切られて天井から吊り下げられていた。胴体は強引にこじ開けられて内部構造が露わにされてしまっている。テクスチャ呪術を破壊されて黒銀の地肌が全て露わになり、鮮血の如き髪は強引に毟られて無惨にも床に散らばっている。悪意を感じるのは、全てを抜き取るのではなく一部だけ残して顔にかかるようにされていることだ。緑色の眼球の片方、右目はくり抜かれて人工の視神経が目蓋から垂れ下がっている。常に微笑みを湛えていたあの表情は消えて、虚ろな視線を中空に彷徨わせるだけ。

「トリシューラ」

 馬鹿みたいに、彼女の名前を呼ぶ。そうしなければ、その輪郭を見失ってしまいそうだったからだ。
 俺の視線は虚空に浮かんだ画面に釘付けとなっていたが、耳からは多くの情報が入り込んでくる。練武場に集まった人々に、動揺と困惑が広がっているのだ。

 トリシューラがアンドロイドの魔女であることを、隠しているわけではない。
 だが、こうもあからさまに『そうであること』を見せつけられた事は側近たる【マレブランケ】たちでさえなかっただろう。

 当然だ。彼女の『メンテナンス』を赦されているのは、基本的には俺だけなのだから。その内部構造を知悉しているのも、星見の塔の製作者たちを除けば俺とコルセスカだけ。

 当然、怒りは湧かなかった。
 極大の――おそらくは過去最大級の冷気が俺の中で荒れ狂い、右腕が、そして首筋の穿孔痕からこんこんと湧き出す呪力が物理的な影響力を伴って俺の体表面に霜を走らせていく。

 頬にまで這い上がってきた氷に僅かな痛みを覚えるが、それも即座に消える。
 氷を張り付かせたまま、冷静に――この上なく冷静に、死人の森の女王を見て、そして宣言した。

「アトリビュート・七十一番」

 右腕の周囲に展開された【氷鏡】からコルセスカの【氷球】が出現する。水面のように揺らめく鏡から現れた氷の球体が青い光に包まれてその形状を変貌させた。負傷して動けないコルセスカだが、俺が呼びかければそれに応えて呪力の片鱗を貸し出してくれる。魔女と使い魔の双方向的な関係性が可能とする【鏡の扉】という呪術だった。

 青い輝きが弾けて、氷によって形作られた『それ』に確かな質感が宿っていく。
 それはちびシューラに似ていた。
 デフォルメされた二頭身、特徴を捉えた似姿。
 白銀と青の色彩を纏った彼女の名は。

「ちびセスカ、招きに応じて参上しました――死人の森の女王。貴方と【変異の三手】には報いを受けさせる。死よりも過酷な、英雄の精神すら歪めて壊す最悪の拷問で、徹底的に!」

 苛烈な宣告を行うコルセスカは、二人分の感情を束ねて冷たい激怒を放射していた。邪視による凍結が女王に襲いかかる。だが灰色の瞳が揺らめくと、青い輝きはあっさりと吹き散らされてしまう。俺たちの敵は頬に手を当てて呟く。

「あらかわいい」

 嘲笑われたのはコルセスカだけではない。
 さらし者にされたトリシューラの名誉もまた傷つけられ、その存在の強度が急激に低下していくのがはっきりと肌で感じられる。

 人々のひそひそと囁き交わす声が、コルセスカだけをひどく苛立たせているようだった。わかっていたことであっても、改めて目に見える形として『機械である』という事実を突きつけられたことで、『所詮は人形』という認識が強まりつつあるのだった。

 どれだけガロアンディアンの女王として尊大に振る舞っていても、それは所詮作られた思考、作られた言動。
 作り事の、偽りの知能ではないか。
 そう囁き合う声が、はっきりと聞こえてくる。

 もはや防寒対策が無意味となるほどに全身を凍結させた俺の思考はひどく冷えていたが、反面ちびセスカは激しく憤っていた。
 冬の魔女は烈火の如く叫ぶ。

「トリシューラは確かに『いる』んです! 第一、作り事だったら何だというのですか。妄想でも現実でも、トリシューラはトリシューラです。冬の魔女コルセスカが、神話フィクションの魔女がそうであるように!」

 自らが無数のフィクションの集積を参照して生み出された存在であるからこそ、そしてあらゆるフィクションを現実と等価であると見なす世界観の持ち主であるからこそ、神話の魔女に迷いは無い。

 フィクションと現実の境界を『無視』するという邪視の高等技法。
 見ないことは、ある意味で見ることよりも難しい。
 神話の魔女はそれを息を吐くようにやってのけた。

 ――それが、『今の自分とは関係無い』と切断処理した前世との境界をも無視する諸刃の武器であったとしても。

 『冬の魔女』という膨大な神話群が、小さな魔女の個我を塗り潰そうと襲いかかってくる。
 それでも、姉として妹の存在を守ろうとする青い瞳に迷いは無い。
 小さな身体が絶え間ない参照によって揺らぎ、蠢き、変幻していく。

 似ているが決定的に違う別人に。人ならざる武器に。脅威に満ちた幻獣に。
 そして――目の前で灰色の瞳を揺らめかせる、死人の森の女王に。

 女王の口の端にうっすらとした笑みが浮かび、同時にちびセスカの髪色が蜂蜜色に、左目が灰色に変貌する。表情は鏡写しのように相似形に。
 死人の森の女王の伝承と銀の森の魔女の伝承。

 もしかしたら前世かも知れない。そんなあやふやな噂や推測だけでも、この呪術世界においては参照が可能となってしまう。
 結びつけられそうになった両者を、俺は必死になって引き留めようとする。

 展開された鏡の中で幻影の右腕が動いて、多面鏡の内側で無限に広がっていくコルセスカの手を掴んだ。
 鏡の中に映し出された無数の前世、無数の冬の魔女が粉々に砕け散って、俺の掌に乗ったのは元通りのちびセスカただ一人だ。

 死人の森の女王は微笑んだまま、しかし僅かに落胆したように嘆息する。
 トリシューラを餌にしてコルセスカに仕掛けられた、存在を揺さぶるほど致命的な心理攻撃はどうにか凌いだ。
 ひとまずはちびセスカの勝利によって、トリシューラの存在は維持されたのだ。

 拡散した世界観が群衆の心理を塗りつぶし、凋落しかけたガロアンディアンの権威をかろうじて持ち直させる。
 強い怒りでトリシューラを貶める計略を阻止するちびセスカを見ながら、俺はあくまで冷静になろうと努めた。

 怒りを力に変えて戦うのはあちらに任せて、俺は思考するべきだ。頭脳となるトリシューラが囚われの身になっている今はなおさら。
 そもそも、どうしてトリシューラが囚われている?

 移動の最中に襲撃されたのだとしても、彼女には『再現性の不死』がある。
 未だ完全な不死に辿り着く道中であるため、無制限に生き返ることはできないが、意識総体レベルにはまだ余裕があったはずだ。

 つまり一回くらいなら死んでも構わない。
 さっさと自爆でもした後、巡槍艦内に待機している予備の機体を起動すればいいだけの話。自己同一性の問題で同時起動は余りやりたがらないが、その気になればトリシューラは物量と火力で敵を圧殺することさえできる。

 それをしない、というのは解せない。
 俺の知らない何らかの要因が邪魔をしているのだろうか。
 疑問に答えるかのように、偽シューラ――ケイトとか呼ばれていた男が人の良さそうな笑みを浮かべて口を開いた。

(いやあ、君たちは好ましい思想の持ち主だねえ。この世界で僕みたいなのは居場所が無いと思っていたけれど、中々どうして、捨てたものじゃあない――まあ、彼女を窮地に追いやっているのも僕なんだけれど)

「どういう意味だ」

 ケイトは肩をすくめて答える。

(なあに、ちょっとこの艦のシステムに侵入して、小細工をね。残念だが、予備のアンドロイドは起動できないよ。この世界のやり方に習熟するまでに随分と時間がかかってしまったが、わかってしまえば何と言うことはない。おかげさまで、僕も今やちょっとした『呪術師』さ。ああ、言語魔術師だったっけ?)

 前世からやってきた異世界人は、信じがたい事を口にしながら、その周囲に夥しい量の呪文言語を展開していく。
 それは物理的な影響力を伴ってコルセスカの邪視に対抗し、激突して火花を散らす。紛れもない一級の呪文だった。

「馬鹿な、呪術を習得したのか?! この短期間で?」

(僕たちの存在をこの世界に『翻訳』するのに少し手間取ったけどね。まあ、君が日本語を定着させてくれていたお陰で想定していたよりはスムーズに進んだよ。ありがとう。ただ、言語程度ならともかく、あれは良くなかったねえ。サイバーカラテって奴)

 ケイトは周囲に溢れかえっているサイバーカラテユーザーたちを見回して、深々と溜息を吐いて(もちろんただのジェスチャーに過ぎない)言った。

(君は事の重大さを理解しているのかな――異世界に文明を持ち込むということの罪深さを。歴史上の正しい道のりに従った発展を妨げ、既存の文化を破壊――)

「馬鹿じゃねえのか。素直に多世界連に技術盗まれるリスク避けたいだけって言えよ。だいたい、その思考はこの世界の人間ナメ過ぎだろうが」

(そうかなあ。悪いけど、この世界の呪術性を見ていると心配になるんだよ。未開の部族に高度文明を与えた結果として悲劇が起きることは往々にしてよくあるじゃないか、僕らの世界でもさ)

 否定は出来なかったが、それでも内心を悟られないように表情を作って吐き捨てる。飛び散った唾が凍り付いてちびセスカが嫌そうな顔をした。

「よくあるからここでもそうだろう、ってのはお前の言う呪術性とは違うのか」

「おや、これは一本とられたんじゃないのー、ケイト?」

 愉快そうに相棒の男を見やってからかう力士ゾーイ。
 ケイトは眉を顰めて、

(オーケイ、わかったわかった、その件に関しては僕が間違ってた。すまないね。けどさ――それはそれとして、君自身の違法性はそのままだよ。自覚はあるよね、『シナモリ・アキラ』?)

「何の事だ?」

 しれっと言い放つ。
 実のところ、今のような状況に陥ったときの事はトリシューラと相談してあった。つまり、前世から俺を裁くためにやってくる何者かについての対応をだ。

 俺がこの世界に転生した際、俺は前世に一度連絡してしまっていた。
 今思い返せば、あれは明らかに失策だ。
 右の義肢や体内侵襲機器といった前世の技術。

 それをあちら側の手違いか転生装置の故障か何かで持ち込んでしまった俺は、其れが露見すれば罪に問われる危険性があった。

 それを良しとしないトリシューラは長いこと世界間通信を妨害して俺の居場所を前世から欺瞞し続け、更には体内侵襲機器も自前のものに置き換えて言い逃れ出来るようにしてくれていた。右の義肢もキロンに破壊されなければ別のものに取り替えていく予定だったらしい。

 だが、それだけで見逃してくれるかどうかは怪しいものだ。
 既に持ち込んだ現代日本の技術は跡形もなく消滅している。証拠は無いので俺がその件で罪に問われることはないだろう。

 サイバーカラテもかなりギリギリだが、名前と理念が同じだけで内実は別物であると強弁すれば押し通せると俺たちは踏んでいた。
 事実だからだ。
 しかし、ケイトは真剣な表情で言う。

(先だっての事件で、多世界連合の翼猫が暴走しただろう。あの一件でこの世界には注目が集まっているんだ。一度拡散してしまったサイバーカラテを無かったことにするのは極めて困難だ。状況が落ち着くまで様子見、ということでこの世界の外部は大方納得したわけだけど)

「サイバーカラテは既にこの世界独自の文化になっている。日本人に今日から漢字使うな、元の場所に返せとでも言ってみるか? 現代の大陸で日本の漢字なんざほぼ通用しないと思うが」

(まあ、それも正論だ。けどね。僕たちが指摘する君の罪深さっていうのは、技術云々じゃあないんだよ。残念ながら)

「何?」

(君は重複転生者だ)

 想定外の事実を突きつけられた俺は、一瞬だけ思考が真っ白になった。
 知識として瞬時に出てきた、俺に関する事実。
 再構成型の転生は、要するに情報構造体のカットアンドペーストだ。
 しかし『貼り付け』を二回以上行ってしまえば、転生者を複数、それも同時に誕生させることが可能になってしまう。

 自覚は無くとも、俺という転生者は二つの世界に転生し、二通りの人生を送ることになってしまった――どうやら俺が遭遇したトラブルというのは、想定していたよりも遙かに面倒なものらしい。

(君は既に希望した転生先で二度目の人生を終えている。三度目の人生は、ちょっと契約の範囲外だね。だと言うのに君は権利を主張するのかな? 貴重なリソースを食いつぶして、空きを待っている人々を押しのけて転生設備を占有し続けるつもり? それって狡くないかな?)

「身勝手なことを! 元々そちらのミス、そちらの事故ではないのですか!」

 ちびセスカの反論に、ケイトは両手を広げてオーバーに仰け反ってみせた。それから軽く謝罪を繰り返す。火に油を注ぐような態度だったが、ケイトは構わずに言葉を繋いでいく。

(僕たちもボランティアでやってるわけじゃない。不正な転生はどうにかしないと。いいかな、君は本来生きていてはいけないんだ。そのリソース浪費は誰かを圧迫している。君が納付してくれた保険料を運用し、社員、役員、株主らの利益にしていかなくちゃあいけない。転生設備の維持費だって馬鹿にならない。重複転生で増大したコスト、我が社が損なう社会的信用度のことも考えてくれないかな?)

「知るか」

 本来生きていてはいけない――赦されない。
 誰かの犠牲の上に生きている存在。
 そんなことは知っている。知っていて、今も生きている理由は一つだ。

 それをこいつらが――トリシューラの敵が口にしたことが、とにかく気にくわない。許し難いというならば、それはこいつらの振る舞いの方だ。
 こいつらが俺の生存を赦さないことは正しい。だが肯定できるのはそれだけだ。
 ケイトは俺の言葉を無視して続ける。 

(そもそも転生保険は赤字が出やすい。需要があってもそれ単体ではコストがかかりすぎる。だからこそブランド化し、ショウビズとして様々な業界と結びつき、付加価値を生み出すことでやっと黒字化することが可能なんだ。それでさえ飽きられつつあり、際だった何かがなければ埋もれていくだけというのが現状だ)

 異世界転生保険を成立させている設備は金食い虫だ。転生者の情報構造体の維持だけでも莫大なコストがかかる。
 これを高所得者層以外にも普及させるためには、革新的な手が必要だった。
 それが異世界転生のコンテンツ化、エンターテイメント化である。

 転生者の新たな人生をフィクションとして鑑賞し、消費するという娯楽。
 デザイナーの脚本がどの程度まで当人の人生に干渉するかはそれぞれだが、それらはプロの手が入ってさえ徐々に飽きられつつある。

 俺の行動が記録されていたかどうかは不明だが、よくある転生モノとしてほとんど見向きもされていなかったのではないだろうか。
 しかし、意外なことにケイトはこう続けた。

(だが三ヶ月前、君の記録は発掘された。ヲルヲーラの暴走という不確定要素が影響して、多くの世界にこの世界と君という転生者が認識されたんだ。そして、埋もれている異世界転生コンテンツを紹介して業界を活性化させようとするボランティア――発掘屋の目に留まったわけだね。結果、ほぼ皆無だった君の物語というものに対する注目度が、そこそこ程度には上昇したわけだ)

 三ヶ月前。それは、サイバーカラテがこの世界に新生した時のことだ。
 そうなると、それを問題視するような――たとえば異世界人の人権保護を謳う団体が不用意な技術の持ち込みに目くじらを立てたであろうことは想像に難くない。

 文明は正常に、その世界のあるべき歴史に従って発展するべきという主張。
 異世界転生に際して、その世界の技術水準に合うように翻訳された能力オプションが付与されるのはこうした事情もあってのことだ。

「だからまあ、今このタイミングだとあなたを秘密裏に消すのも難しいんだよね。転生設備は厳重に稼動記録がつけられているから、正当な理由も無しに強制停止させることはできない。多世界連合の注目が集まっているこの世界で派手に動いて貴方を『消す』のも難しくなってしまった――昨今は人権派の目があるし、犯罪者への情報凍結なんかも長くてめんどくさい事情聴取ともの凄いお金がかかる現地調査が必要だしね。もちろん本社の負担で」

 ケイトの言葉を引き継いだゾーイは、うんざりしたように言った。
 秘密裏に俺を処理することが出来なくなった、そこで何かしらの代替案を【変異の三手】と組むことで実行しようとしている、ということだろうか。話の流れからして。だとすれば、奴らの狙いは何だというのだろう。

(安心して欲しい。僕らはもっと穏当な手段で解決を図ることにしたんだ。だから、このまま大人しくこっちに来てくれないかい?)

「断る」

 即答すると、ゾーイとケイトはにたりと笑って、獰猛にこう返した。

「仕方無いね、決裂だ」

(そうか。じゃあ実力行使といこう)

 事情説明をするとは言っても、最初からそうするつもりだったのだろう。
 膨れあがっていく戦意に身構えるちびセスカと周囲の【マレブランケ】たち。
 いつの間にかファルやカルまでもが集結しており、倒れ伏したマラコーダを除いて【マレブランケ】の面々が外世界人の前に立ちはだかる。

「力士だかなんだか知らんが、サイバーカラテを舐めるなよ」

 ブルドッグ面のカニャッツォが言い放つ。
 牙猪のチリアットもまた、傷を癒し、理性を【安らぎ】の呪術によって取り戻して指を鳴らしていた。
 巨漢二人とほぼ同程度の体格を誇る女力士ゾーイは鼻を鳴らした。

「は、サイバーカラテねえ」

 何が可笑しい、と俺を含むサイバーカラテユーザーたち、つまりはこの場にいるほとんどの者が反感を態度に表す。
 巻き起こるブーイングの嵐をものともせず、巨体の女は言い放った。

「その劣化ジークンドーで力士に勝てるとでも本気で思っている?」

「劣化、だと」

 恐らく、俺の眉は危険な角度まで吊り上がっていただろう。
 ジークンドーの意味が分からない者たちも、馬鹿にされたことはニュアンスから感じ取れた様子で、怒気を露わにしている。情動制御の呪術が作動して即座に沈静化していくが、溢れた呪力が練武場全体で荒れ狂い、可視化されたスパークが【変異の三手】たちを包囲して威圧する。

 ジークンドーはかの創始者の意志によって流派として残ってはいない。流派という形式に『縛られる』ことを嫌ったためだと言うが、実際はその名を冠した団体は数多く存在している。

 サイバーカラテの考案者たちがその開発に当たってジークンドーの流れを汲む団体を参照したのは事実である。
 しかしだからといって、その理念が劣化コピーであるかといえば、それに対しては「違う」と声高に否定せねばならない。

「上等だスモーレスラー。サイバーカラテの力、存分に味わっていけ」

 嘲弄は拳で否定すると勢い込んで、サイバーカラテユーザーたちがそれぞれバラバラの構えをとった。
 体調を崩して体が動かない俺だけは座り込んだままだったが、右腕を突き出してちびセスカを維持しているだけでも周囲の支援はできるだろう。

 しかし、向けられた敵意に応じたのは力士ゾーイではなく、ケイトの方だった。
 立体映像の青年は周囲に呪文を展開してあざ笑う。

(では証明しようか。これがその弱さ――脆弱性というものだよ)

 右腕で感じ取ったケイトの呪力は、およそ個人が生み出せる域とは思えないほどの巨大さだった。
 短期間でこの世界に適応した非実体の情報構造体は、既に熟達した技量の言語魔術師となっているようだ。

 一口に一級言語魔術師といっても、セージやファルといった普通の呪文使いとコルセスカやイアテムといった英雄クラスとの間には目に見えない実力差がある。右腕の感覚を表現するならば、『手触りが違う』といったところか。ケイトの実力は後者寄りだ。あるいは、上級言語魔術師に肉薄するほどに。

 ――妙な話だ。俺は上級言語魔術師に会ったことなどないはずなのだが。どうしてそんな比較ができるのだろうか。

 膨大な呪文流を阻止しようとセージとファルが防壁を展開するが、死人の森の女王とイアテムの妨害によってケイトの呪文が完成してしまう。
 実行された呪文が光を放ち、意味を成していく。
 それは、一瞬で完了した。

 俺だけはかろうじてちびセスカの展開した防壁によって難を逃れたが、その場にいたサイバーカラテユーザーたちにおびただしい数の呪文が絡みつくと、既に彼ら彼女らに付与されていた呪術の効果が消滅していった。

(言理の妖精語りて曰く、なんてね)

 それは広範囲に向けて放たれた対抗呪文、【静謐】。
 あらゆる呪術効果を無効化するその呪文によって、サイバーカラテの心技体を成立させている呪術――とりわけ精神を安定させる各種の呪術が消滅していた。

 三ヶ月前、この世界に拡散し、誰にでも使えるようになったのはサイバーカラテだけではない。
 言理の妖精と呼ばれる、呪文を司る第一魔将は、アストラルネットに接続できるものならば誰にでも使用が可能だ。俺も端末や右腕を介することでその呪文を唱えることぐらいはできる。

 俺が使っても軽い暗示が関の山だが、呪文の適性がある者なら話は別だ。
 ケイトはこの世界における言語魔術師に相当する資質を有している。
 更に、この世界の保守層が持っているような固定観念に囚われない外世界人であるため、新しいやり方を受け入れやすい。

 彼は、妖精使いと呼ばれる全く新しいタイプの言語魔術師なのだ。
 ケイトの【静謐】による効果は絶大だった。

 年若いファルが戦いの恐怖に怯え、牙猪チリアットが克服したはずの死への恐怖を思い出してしまい泣き喚く。元修道騎士のカルはかろうじて戦える様子だったが、激しい拷問を受けた事による心的外傷の為か、痛みに対する忌避感で青い顔をしている。ブルドッグ面のカニャッツォもまた敗北への怖れで腰が退けていた。

 皆、心が一度折れてしまった者たちだ。
 トリシューラの技術や第五階層の創造能力、サイバーカラテによって再び立ち上がることができた彼らは、心にかかる負荷を和らげる障壁が失われれば再びうずくまるしかない。

 かつて、キロンに徹底的に敗北した俺のように。
 今はちびセスカによって守られているからあの時のようにはなっていないものの、あそこで心折れているのは俺と全く同じ者たちだ。

 トリシューラはいつか言っていた。
 【マレブランケ】は呪文の座勢力に対抗するための手札。
 しかし、未だ陣容としては未完成で成長途中でしかない。
 それは、あちらの切り札である言理の妖精に対して余りにも無力だからだ。

 その為にはトリシューラがより言語魔術師として、女王として力をつけて、外敵からの呪術的攻撃を凌げるようになる必要がある。
 言語魔術師試験は、ガロアンディアンを守る為に乗り越えなくてはならない通過儀礼だったのだが、今はそこを突かれた形だ。

 場は騒然となっていた。
 【マレブランケ】以外のサイバーカラテユーザーたちも半数が恐れおののき、パニックに陥りかけている。

 元から探索者だった者たちはどうにか【変異の三手】の副長や外世界人の放つ威圧感に耐えているが、一度は四肢を失い心的外傷を負った者たちも多く、格上の相手に挑みかかることに耐えられるようには見えない。
 力士ゾーイが鼻を鳴らした。

「惰弱すぎるね。これがサイバーカラテが生む甘え、そして悪だ。くだらないものに依存してないで、ちゃんと本当の姿でかかってきなよ」

 指をくいと曲げて手招きする。
 挑発的に、そして見下ろすように。

「そんなふうに殻に閉じこもっているばかりで強くなれるわけがない。ちゃんと現実に向き合って、戦え。私が鍛え直してあげるよ――徹底的にさぁ!」

 こいつは俺の、倒すべき敵だ。
 だが、どうやって倒す?
 俺は所詮一般人の域を出ない――サイバーカラテユーザーとは基本的にそういうものだ。

 正規の訓練を受けた力士相手に、サイバーカラテは本当に戦えるのか?
 感情制御とは関係の無い寒気が背筋から脳にまで届き、全身が震える。
 逡巡しながらも、俺はちびセスカと共に力士とスモーレスリングに関する知りうる限りの情報をサイバーカラテ道場の共有記憶領域にアップロードしようとする。

 しかし、そこでケイトの妨害が入る。
 あらゆる経路からサイバーカラテ道場に流れ込んでくる力士についての情報、情報、情報。それらは有益なものではなく、当然のように全てが誤情報だ。

 撹乱目的のノイズ情報爆撃だった。圧倒的な量の『それらしい』誤情報にフィルタリングが突破されてしまう。
 このような非常事態の際、普段ならちびシューラが対応するのだが、死人の森の女王と戦った時に無力化されてしまったせいでそれができなくなっている。

 本体であるトリシューラも囚われの身である今、サイバーカラテ道場のセキュリティは低下していた。
 数多の『力士に対する有効な戦術』が提示され、戦えるユーザーまでもが混乱の渦に叩き込まれる。

 更に外世界人という謎めいた存在に無数の『噂』が折り重なる事で、その存在を掌握しようとしていた妖精使い、黒の色号使いたちが攻撃の機を見失う。

「殺しはしないよ。弱い者虐めはしない主義だし、無闇矢鱈と人を死なせたくないんだ。私は常識人で、倫理観がきっちりしてるタイプだからね」

 光学干渉呪術で姿を消して背後に接近していた公社所属の呪術師の頭を振り向きもせずに鷲掴みにしてそのまま握りつぶすと、ゾーイはそのまま死骸を投擲。豪快な一投によって人体が吹き飛び、呪文詠唱中だった呪術師が吹っ飛ばされていく。

「ただしヤクザは人ではないので『掃除』はするけどね。身元調査の結果、前職が【殺し屋】だって判明した誰かさんも、まああまり容赦しなくてもいいよね。要するに詐欺師だし。全く、事前の調査で弾いとけっての」

(まあまあ。偽装が随分と巧妙だったみたいだし、仕方無いよ。何しろ『青』案件なんだからね。知ってるかいアキラ、最近の社内では鹿の話題がタブーらしいぜ)

 意味不明なやりとりをする外世界人の二人。
 ドローンや公社の兵隊が殺到して攻撃を仕掛けるが、それらをものともしない力士は真の怪物だった。

 高位の杖呪術である銃も、怪物を使役する支配者の攻撃も、呪文による意味の操作も、邪視による改変も、全てをまともに受けきっている。
 それでいて平然と相棒と軽口を叩き合う女性スモーレスラーの底知れぬ実力に、周囲の者が一様に気圧される。

 現状の救いはトリシューラがさらし者にされたことによって、あの【変異の三手】が敵であると周知されたこと。
 だからといって、この場にいる誰もが戦力に数えられるわけではない。

 戦える者だけが戦うしかないのだが、その中に自分が入っていないことがどうしようもなくもどかしい。
 ちびセスカと死人の森の女王『ニケ』が睨み合い、壮絶な火花を散らす。

 更には無事だったカーインとゼドが飛び出して、それぞれ戦いを開始する。
 カーインはクレイと、ゼドはイアテムと。ケイトの呪文とセージの呪文がぶつかり合い、新参のグラッフィアカーネが粉砕されていくドローンの陰から飛び出して自分より遙かに巨大な力士に挑みかかっていく。

 かくして星見の塔トーナメントは中断され、ガロアンディアンと【変異の三手】との抗争が勃発したのだった。
 戦いは激化し、こちらにも甚大な被害が出ることは避けられない。
 ――そう、思っていたのだが。

 カーインと対峙したクレイが、一度もその手刀を振るう事無く膝を突いた。
 目、鼻、口から血を流し、苦悶とも怨嗟ともつかぬ呻きを上げてカーインを睨み付けるが、間合いを詰めた内家拳士はそのままクレイの眉間を貫手で突き、戦いは瞬きもしないうちに終わりを告げた。

烏兎うとは人体急所である奇穴の一つ。義肢の遅延動作でもさせねば、もはや立つ事ことすらできまい」

 どっと俯せに倒れ伏したクレイを見た俺は、改めてロウ・カーインという男の厄介さを実感した。
 空気感染するウィルスの最大射程距離は未だ掴めていないが、一メートルから二メートル圏内に入れば奴の掌の上だと断言できる。

 六淫操手。接触感染だけでなく空気、飛沫、と様々な感染経路から病の素を他者に送り込むという恐るべき呪術的武術の使い手。
 今回の試合形式では多くのカジュアル層への配慮で制限されていた恐るべき絶技は、【変異の三手】の副長を一撃で戦闘不能にするほどのものだったのだ。

 期せずして陽の部、準決勝の勝者が決定してしまった。
 この場にいる中で最も厄介な存在を理解した【変異の三手】側の動きは迅速だった。それぞれ対峙する相手の隙を突いて、女王が一瞥し、イアテムが水流を放ち、ケイトが呪文を送り込む。

 それらに対し、カーインは至極冷静に対応していった。
 天眼石の髪飾りが閃いて邪視避けの呪力がカーインに宿ったかと思うと、両手が円を描いていく。かつて俺が内力によって灰色の視線を受け流したように、カーインもまた同じ陰の柔法で邪視を凌いだのだ。

 俺の見よう見まねとは違い、磨き上げられた本家本元の技が邪視を受け流してイアテムの水流と激突、相殺する。
 勢いを減じた水流にカーインの指先が突き入れられたかと思うと、透明度の高かった液体に黒々とした汚れが混じる。

 空気を介して病を送り込むカーインが、水を介してその技を使えないはずもない。危険を察知したイアテムは水流を自らの指先から切り離す。その隙に放たれたゼドの銃弾が轟音と共にイアテムの胴体に風穴を開けた。海の民の形状が崩壊し、水の塊となって飛散する。

 ケイトの送り込んだ呪文は暫くカーインの周囲を回って攻め入る機会を窺っていたが、先に動いたのは包囲された側だった。
 素早く攻め込んで貫手を放つ。指先が向かうのは、実体の無い数字と文字の列――ケイトが放った呪文の群だった。

 誰もが、その光景に己が目を疑ったことだろう。
 カーインの指先から放たれた複雑怪奇な表意文字の群が呪文の中を逆流していき、ケイトに直撃したのである。情報体の青年は泡を食って叫ぶ。

(なんだこれはっ、ダウンローダ?! セキュリティが機能していない、管理者権限が勝手に――)

経絡秘孔セキュリティホールを突いた。この六淫操手が操る風邪ウィルスは、情報に対しても有効であると知るがいい」

 それは本気で言っているのか?
 何でもありかあいつ。似たようなことを前にも考えた事があるぞ。
 続けてカーインは虚空に向かって演武のような動作を行ってみせる。
 また何かを突いたのだろうか。

「サイバーカラテ道場に『気』を流し込んでセキュリティを強化しておいた。経穴を塞いであの外世界人についての分析を一時的に遮断するという乱暴な手法だが、ひとまず有り合わせのパターンのみで凌ぐことだ」

 前半、何言ってるのかちょっとわかんないですね。
 いずれにせよ、全力のカーインはこの上なく頼りになる戦力だった。
 相性の悪い死人の森の女王をゼドに任せて、力士ゾーイに立ち向かっていくカーイン。その視線が、一瞬だけこちらを向いた。

 すぐに逸らされて、カーインは風のように俺の目の前を駆け抜けていった。
 瞳に込められた意思は果たしてどのような性質のものだったのだろう。
 ただ、もどかしさが身体を疼かせる。

 そんな俺の心境に呼応したわけではないだろうが、その時、状況が動いた。
 懐の中で何かが蠢いているのを感じて、それを取り出す。
 普段使っている、カード型端末の一枚を。

 先日、店員さんに預かった『布石』がここにきて意味を持ち始める。
 俺のカード型端末の一つから飛び出した悪霊レゴン――グロテスクな臓物に顔の部位をくっつけたような怪物の姿が漆黒の靄につつまれたかと思うと、次の瞬間にはその姿が変化していた。

 少しだけ丸々とした、デフォルメされた二頭身。
 ヴェールによって顔が覆い隠されて金眼が控え目に輝く、それは美しくも愛らしい店員さんの姿だった。

「ちびラズリとお呼び下さい」

 夜の民の別名に、【コマロゾロンド】というものがある。
 マロゾロンドは夜の民が信仰する守護天使もしくは古き神の名で、『コ』というのは縮小の接頭辞であり、更に小さいという形容を重ねて『ちびコマ』なる呼び方をすると以前某修道騎士について調べたときに知ったのだが。

 この店員さん――改めちびラズリさんは、こう、まさにちびコマって感じである。凄い。どうしよう。まさかずっと俺の端末の中に隠れていたというのか。出番を『まだかな、まだかな』とかそんな感じで待ち焦がれながらうずうずしていたと言うのか。俺の端末の中で!

「早速ですが本題に、きゃあ! 何するんですか!」

 指先で軽くつつくと驚き慌てて、それから憤慨してこちらを睨み付けるちびラズリさん。なんというか、このままつつき回していたい気分である。

「馬鹿やっている場合ですか!」

 女王ニケの邪視を凌ぎながら、ちびセスカが叫ぶ。全くの正論である。
 俺は決然と誘惑を振り払って――振り払えない?! なんだこれ、魅了の呪術にでもかかったというのか俺は。永遠につついていたい。

 状況を無視した過剰な欲求が生存を脅かすと判断され、霜が首全体を覆い尽くしたところでようやく我に帰る。
 危なかった。ちびセスカがいなかったら死ぬまでちびラズリさんをつついているところだった。全く、天然で魅了の呪術を振りまいてるとか、恐ろしい人だな。

 白い目と涙目に挟まれつつ、改めて話を進める。こうしている間にも、カーインとグラッフィアカーネが力士と激闘を繰り広げているのだ。あまり余裕はない。

「今はみなさんが頑張ってくれていますが、このままではまずいと思います。特に、あの魔女の方と大きな方――外世界人の二人に不吉な星が見えますわ。わたくしたちが全力で動けない今、戦力は少しでも必要です」

「それはわかりますが、この状態では」

「ええ。ですから、わたくしがなんとかします。強引ですが、まずはわたくしたちだけで『統合』と『調和』を行ってしまいましょう」

 ちびラズリさんはどうやらこの大会の呪術的意味を理解している様子だった。
 小さな体で同じく爪楊枝のような錫杖を振りかざして呪文を唱え始める。

 星見の塔トーナメント。
 古来より繰り返されてきたという、魔女と戦士たちによる呪術と武芸の祭典。
 それは繰り返されるうちに呪術的な儀式としての意味を有するようになり、熱狂が頂点に達する決勝では巨大な呪力が発生するという話だ。

 今回は特別ルールで男女別にブロックを分けていた。
 これは男女が身のうちに抱える内力のうち、より多い方をぶつけ合わせ、練り上げられる呪力に偏りを発生させるためだ。

 失われた内力のバランスを取り戻す為に、練り上げられた陽の気を俺の中に注ぎ込んで正常なバランスに戻す。荒っぽい手段だが、呪力の伝導効率が極めて良い俺だからこそ可能な治療法ということらしい。

 俺の治療。それこそがこの大会の本当の目的だった。
 本来の予定では、カーインが陽の部、すなわち準決勝を勝利した段階で高まった内力を俺の内側に注入してもらう予定だったのだが、今はそれどころではなくなってしまっている。ちびラズリさんが勢い込んで言う。

「正直に言えば、カーインさんがお客様に熱い気を注ぎ込むのがとっても見たかったのですけど! あのクレイさんという方と激闘を繰り広げ、苦戦するカーインさん! そこでお客様からの叱咤激励! 立ち上がるカーインさん! 鮮やかな勝利! 復活して拳をぶつけ合うお客様!」

 店員さんの暴走が始まってしまったのだが、これどうすればいい?
 なぜか見事な声色を使って一人芝居まで始め出すちびラズリさん。
 スタンドアロンである。あらゆる意味で。

「決着をつけようか」「ああ、真の決勝戦を始めよう」「負けました。どうやら私が入り込む隙間は無いみたいですね」「コルセスカさん、気落ちしないで」

「は?」

 戦闘中にもかかわらず、ちびセスカが低い声を出してちびラズリを睨みつける。
 怖い。

「あっあっ、カーインさんが負けてレオさんに詰られるパターンからの、わたくしがクレイさんを倒して陰気ドレインからのお客様への注入もアリといえばアリですけど!」

「あなた何でもいいんですか」

「妄想の中でなら可能性は無限大なんですよ! あらゆるパターンを試してみないとわからないじゃないですか! そしてトリシューラさん帰還からの修羅場! 疎外され、お客様への不満を抱えるコルセスカさんとトリシューラさんはいつしかお互いの心に空いた穴を埋め合うようにして――!」

「あの、話進めませんか」

 店員さんが楽しそうで何よりなのだが、こんなことをやっている場合ではないのだ。今も力士の張り手でグラッフィアカーネが押し出されて壁に激突しているし、ドローンが床に叩きつけられて破壊されている。カーインもかなりきつそうだ。ゼドはゼドで呪文のストックを使い切ってしまっているので女王ニケに対して苦戦を強いられている。

 はっと我に帰ったちび店員さんは小さく咳払いしてから「ごめんなさい」と謝罪してくれた。また時間のあるときにゆっくり話してください。
 呪文を唱え終えたちび店員さんの姿が変幻していくと、丸っこいデフォルメ二頭身が少しだけ角張った、鋭い印象のものに変化する。

 夜の民は性別を持たない。あるいは、どちらの性別であるとも言える。
 普段は女性として振る舞うラズリ・ジャッフハリムは、今このとき男性的な姿に変化することで、身のうちに蓄えた陰の気を陽の気に変換したらしい。

 準々決勝まで到達したラズリさんは、凄まじい戦いと熱狂の呪力を身に宿している。しかし、それでも本来予定していた量には足りない。だが、ラズリさんには策があるようだった。

「儀式が不完全なせいで、カーインさんが練り上げる筈だった分はわたくしだけでは賄うことができません。ですから、貴方の中に眠る巨大な陽の気を、一時的に呼び起こします。幸い、今は活性化状態のようですから」

「俺の中に眠る陽の気?」

 活性化状態、というと、俺の左腕を稼働させるために必要なあの薬を飲んだことを言っているのだろうか。確かにまだ効果時間は継続しているが。
 ちびラズリさん――ちびラズリくん? とにかく店員さんは小さな錫杖を掲げて、俺の方を指し示し、囁くように呼びかけた。聞き覚えのある、その名前を。

「目覚めよ――カッサリオ」

 俺とコルセスカは同時に反応した。その意味を店員さんに問いただすより先に、下腹部に熱を感じて呻く。丹田のあたりから湯水のようにわき出てくる莫大なエネルギーが、全身を循環していくようだった。

 左腕がひとりでに換装されて、十番義肢ルスクォミーズ――すなわち王獣カッサリオの素材を核に据えた高火力兵装に変化していく。黒と銀の無骨なフォルムは煮えたぎるような陽の気と、獰猛ながらも完全に制御された獣性を宿しているようだった。

「店員さん、あなたは――」

「いずれ、全てをきちんとお話します。今はどうか、目の前の相手に集中して下さいますよう」

 肉体の不調は消え去り、体表を覆う霜はすっかり溶けていた。俺はどてらを脱ぎ捨てて立ち上がると、下に着ていた迷彩柄の道着を露わにする。
 店員さんに対して生まれた感情を凍らせても、肉体の不調は感じない。今はそのことは後回しだ。

「ありがとう、店員さん。すぐに終わらせて、授賞式までしっかりやりましょう」

「はい、御武運を。ちびセスカさん、及ばずながらわたくしもお手伝いします」

 強大な力を振るう女王に小さな二人の魔女が立ち向かうのを後目に、俺は自らの戦うべき相手を見据える。
 これは俺の因縁だ。だとすれば、俺が片を付けなければならない。

 決意を固めて力士の下へ走る。
 だが、駆けだした俺の目の前で、カーインが勢いよく吹き飛ばされる瞬間を俺は見た。それは、あまりにも一方的な暴力の発露である。

「カーイン!」

 たった一人で状況をこちらの優勢に変えてみせたカーインが、手も足も出ずに敗北していた。内功の技も、あの筋骨隆々とした巨体には通用しなかったということなのか。

 浮遊するドローンの銃撃。雨のように降り注ぐ銃弾が力士を正面から、頭上から、背面から襲い、公社の呪術師たちが雨霰と呪術を浴びせかける。

 グラッフィアカーネが掌から放出した青白い稲妻が禿頭に直撃して、凄まじいエネルギーが放散されていく。
 だが、力士ゾーイは涼しい顔のまま、びくともしない。
 野太い首をこきりと慣らして、退屈そうに一言。

「ウォームアップ終わった? そろそろ本気で来なよ」

 では、お望み通りにしてやろう。
 右腕の鏡経由でアストラルネットに接続し、左腕と胴着の拡張機能を解放。
 ドローンたちに攻撃パターンを変更するように指示、さらにセージに命じて公社の呪術師たちに攻撃の一時停止を依頼する。

 生まれた攻撃の穴に入り込んで、音もなく踏み込んでいく。
 力士の巨体がすぐ目の前に迫る。
 しかし、相手がこちらに気がつくことはない。
 俺は今、相手の感知に引っかからない状態だからだ。

(しまった、遮蔽装置だ! 接近されてるぞ!) 

 事態に気付いたケイトの警告も既に遅きに失している。
 ゾーイの背面から左の掌を心臓の位置に押し当てた俺の姿は、誰にも見えない。
 光学迷彩、熱学迷彩の機能を有した極めて高機能な杖呪術の精髄たる迷彩道着は、十番義肢と連携させてその効果範囲を拡張することで相乗効果を発揮し、俺の全身をあらゆる索敵の網から欺瞞する。

 これを購入したお陰で借金がまた膨らんだものの、悪い買い物だったとは思わない。既に死ぬまでトリシューラの下で働かなければならなくなっているが、装備品をケチってさっさと死ぬより遙かに賢明なはずだ。

 交換可能といっても、俺の復活はそれなりに高くつくのだ。キロンの時の頭交換でもう寿命まで働いた後もう一回頭をすげ替えて転生、ということをして寿命を延ばさないと借金が返済できない。そのために更にお金がかかり、借金を返す為の借金が――よく考えなくても詰んでた。まあそれはいい。

 周囲から趣味が悪いとさんざんこき下ろされたこの迷彩胴着が真価を発揮している間、俺からも外部が見えなくなる。しかし、右腕の周囲に展開した鏡が輝き、この世のモノではない光景を映し出すことで俺の視界は確保されていた。

 分子運動や電磁波を制御・遮断する遮蔽装置は、呪力までは遮断しない。それをすれば左腕の維持ができなくなるからだ。
 アストラル界と繋がった右腕はちびセスカの視界と繋がって、この広い練武場を見渡すための助けとなっている。彼女の氷の義眼が、俺のカメラアイだった。

 力士の位置と、俺が消失した瞬間から計算してそこにいるであろう場所を予測。
 幻像として表示される俺の姿が鏡の中で力士の背後に立ったのを確認して、俺は誰にも気付かれることなく掌を力士の背面に当てることができたのだった。

 回避も防御も許さない。
 渾身の熱学発剄。
 巨大な呪力エネルギーを放出して、力士の心臓を、全身を融解させて一撃で抹殺する。一度はキロンを撃破した、二桁義肢最大の火力を存分に味わえ。

 手応えは、確かにあった。
 その筈なのに。

 残心を怠っていれば死んでいただろう。
 横薙ぎの張り手を、とっさに後ろに跳躍して回避する。
 追撃を仕掛けてくる巨体と俺との間に割り込むドローンが次々と粉砕されていった。降り注ぐ炎の呪術は直撃するものの、力士は小揺るぎもしない。

 いや、本当にそうか?
 確かにある程度までのダメージでは力士の鍛え抜かれた肉体を貫くことはかなわないだろう。しかし、幾度も高熱や爆圧、更には銃撃をありとあらゆる場所に受け続けても生存可能と言うことがあるだろうか。

 よく見れば、ゾーイの肉体に攻撃が命中した瞬間、確かに体表面が削れていないだろうか。
 その時、言語魔術師たちの奮闘によってサイバーカラテ道場の感情制御システムが復旧し、いち早く立ち直ったカルカブリーナが加勢する。

 彼が新たに得た力、銃士としての技能。
 構えられた鳥銃から飛び出したライフル呪石弾が一直線に力士の眼球目掛けて突き進む。施条に刻まれた豆粒のような呪文がライフル呪石弾の軌道を誤差修正していった。

 弾丸を旋回させる呪文の名は【螺旋ヒリックス】。【空圧プレシャライズ】の上位に位置する大気操作の呪文は従来の滑腔式を遙かに上回る命中精度を実現していた。

 鍛えようのない眼球に潜り込んだ呪石弾は、衝撃を感知して自動的に内部の呪文を解放。炸裂した【爆撃イラプション】が頭蓋の内側から力士の頭部を爆砕する。粉々になった肉片の脳漿が飛び散って屈強な外世界人は即死した。

「わーお、やるぅ。大した命中率だ。やっぱ技術水準そんなに低くないじゃん?」

 ――確かに、即死したはずだったのに。
 愕然とするカルカブリーナに撤退を命じて、俺は姿を隠したまま右の掌底を叩き込み、そのまま背後に回り込んで肘打ち、更に双の掌を同時に叩き込む。床を蹴り抜く力をそのまま相手の背に撃ち込んで熱学発勁と共に肉体の内部を破壊。

 それでも、力士は小揺るぎもしない。
 確かに攻撃は命中している。
 夥しい数の攻め手を、この敵は回避しようともしない。

 破壊されたはずの頭部は、既に再生していた。
 その禿頭に刻印された刺青、あるいは溝が輝きを放つ。
 ナノマシン条が頭部からゾーイの顔面へと下り、顔の血管や筋肉を誇張するかのような複雑な模様が広がっていった。

 スモーレスラーは時に顔にペイントを施す。
 とりわけ、神事、伝統としての側面を重視する日本人力士は歌舞伎の伝統を取り入れた隈取りを行うことで知られている。

 スモーレスラーメイクは全身に広がり、壮絶なエネルギーが青白い電流となって巨体を取り巻いていった。
 肉体の義体化ではなく、遺伝子操作でもなく、生化学的強化でもない。
 力士の強さを裏打ちしているのは、もっと根源的なものだ。

 禿頭の女は傷一つ無い顔をにっと笑みの形にして、俺の身体を掴む。
 圧倒的な力で、小手先の技術など児戯でしかないとばかりにねじふせられる。
 豪快な投げ。背中から床に叩きつけられて、視界が白くなると共に息が詰まる。

 ありとあらゆるダメージが、一瞬で修復している。
 頭部を破壊されても復活するこの力士は、不死身だということなのか。
 その横で半透明の男性が得意げに口を開く。

(残念だけどね。『生き体』である限り、彼女は何度でも甦るよ。土俵際で粘ればまだ勝ちの目は見えてくる――現役時代の粘り腰は今も健在さ)

 自慢げに言い放つ行司姿の男は、カーインの仕掛けた攻撃からようやく立ち直ったのかゾーイの方の上に浮遊して直立する。

「流石に、ニンジャが使う分身の術みたいに『複数の自己を同時並列で操作する』とかはできないけどね。自己再生とか転移くらいなら余裕ってわけ」

 すべての攻撃を回避せずに受けきって、圧倒的な力を見せつける。
 その戦い方に、自然に口から未知の言葉が漏れ出る。
 失われた前世の知識、その断片。

「YOKOZUNA――なのか」

(ご名答。今世紀に入って初の女YOKOZUNAとなった人間兵器。それが彼女、ゾーイ・アキラだよ)

「もう引退してるっての」

 ゾーイ本人の言葉によれば、元、ということなのだろう。
 しかし、そんな人物がなぜ保険会社の掃除屋などやっているのか。
 ーー相手の事情など詮索しても仕方がない。
 いずれにせよ、難敵であることには変わらないのだ。

 挑みかかったグラッフィアカーネは機敏に相手の腕をとって投げようとするが、力士は熟達した動きで攻め手を読み切り、逆にビーグル犬の獣人を投げ飛ばす。
 合気の達人すら凌駕する柔術の冴え。剛と柔を併せ持つその手並みは紛れもなく土俵で幾度と無く難敵を打ち破ってきた歴戦の力士のものだった。

 続けてゾーイは、ケイトの呪文によって不可視化が解除された俺の両足首を脇の下に挟み込んだかと思うと、そのまま抱え上げて豪快に振り回す。
 精妙なバランス感覚が可能とする、独楽のような動き。回転軸となった力士が舞い手のスピンのごとく流麗に高速回転を続け、俺の三半規管が異常を来していく。

 パワーだけでは絶対にできない、神懸かり的なボディバランスが可能とする技巧と豪快さが複合した大技。
 この、技は。

「ぬおおおおぉぉぉりゃああああっ」

(はは、吹っ飛べっ!)

 ジャイアントスイング。
 際限なく増していく回転速度に、ほぼ地面と平行になった俺の身体。
 遠心力を利用しての解放。投擲された俺は頭部から壁へと突っ込んでいった。
 盛大に粉塵を撒き散らしながら途切れそうな意識でどうにか自分が生きている事を確認する。激痛は全て凍り付いて行くが、身体が動かない。

 咄嗟に道着の中に仕込んでおいた減速符を発動させるのが間に合った。
 追突のダメージを緩和することができたため、首の骨は無事なようだが、身体のあちらこちらが悲鳴を上げているのが肉体内部の冷気によって理解できる。

 しかしスモーレスラーはこちらの事情を斟酌などしてくれない。
 機敏な動きで走り出したゾーイは、そのまま空高く跳躍すると、虚空で消失。
 そして、よろけながら立ち上がろうとしていた俺の真上に出現した。
 転移テレポーテーション。情報構造体の離散と再構成。理屈としては転生と同じだ。

(喰らえ、テレポート・ボディ・プレスだ!)

 空間圧縮された練武場の天井は、非常に高い。
 その天辺に転移して自由落下してくる力士の巨体が、一直線に俺に襲いかかる。
 全身を引きずるようにして必死に回避。
 どうにか逃げ切った直後、背後で凄まじい轟音。

 粉塵の中から、爛々と光る目と傷一つ無い屈強な肉体が這い出てくる。
 突き出された四本貫手――『地獄突き』が俺の耳を掠めて床に突き刺さる。
 立ち上がりざまに繰り出した反撃の蹴りが顎を撃ち抜くが、力士は涼しい顔。
 素早く退いて相手の間合いから逃れる。

 強い。
 屈強な肉体によって裏打ちされた確かな技術。
 それを上回る迫力と豪快な取り組み。
 歩く兵器と言われる力士と正面からぶつかり合えば、待つのは当たり前の敗北のみである。

 カーインにグラッフィアカーネという敵手を打ち破った力士ゾーイは、紛れもなくこの星見の塔トーナメントを正式に勝ち上がった優勝者だ。
 そう、陰の部を勝ち上がった彼女が、クレイを下したカーインに勝利した以上、そう判断せざるを得まい。

 星見の塔トーナメントを勝ち残った者だけがガロアンディアンの『最強チャンピオン』に挑む権利を得る。
 ここで言うチャンピオンとは、現在は俺の事だ。無敗というわけではないが、三ヶ月の勝率で僅かにカーインを上回った結果である。

 その認識がこの場所に、そして俺に浸透した瞬間だった。

 ――意識が、ぶつんと。

「まさか力士が勝ち上がってくるとはね。いつの世も、人間にとって最大の脅威は単純な力ということか」

 ――断絶して。

「アキラーー?」

 ちびセスカの声が、どこか遠い。
 俺は不敵に笑いながら、目の前に立つ強者と向き合った。

「心が躍るな。それでこそ、だ。瀬戸際の攻防、命を賭けた駆け引き、全てがゲームの醍醐味というもの。いいぞ外世界人、私をもっと楽しませろ」

 何だ、今のは。
 口が、勝手に動いている。
 そうじゃない、今の発言は、確かに俺の思考と意思によって紡がれたものだ。

 この状況を正確に記述するならばこうだ。
 『俺が、勝手に思考している』――我ながら、意味がわからない。

「さあ、余興はここまでとしよう。ようやく身体も馴染んできた所だ。本当の戦いを始めよう――術技スキル準備セットしろ。決闘デュエルだ」

 俺は、俺の口は何を言っている?
 確かに文脈にそぐわない発言ではない。
 戦いの昂揚を楽しむ心も、俺の中には存在する。そのようにマインドセットすることで冷静さを保つというメソッドに従っているからだ。

 しかし、これは。
 何かが、決定的に違う。
 独りでに動こうとする左腕を、右腕が反射的に止める。
 高熱を持った機械義肢を瞬時に氷の右手が冷却すると共に、俺の思考が冷えていく。訳のわからない思考の波が収まって、得体の知れない言葉が消えていった。

「今のは、何だ」

 愕然と呟いて、自分の肉体が自分のものであるという確かな確信を得ようとする――が、どうすればそれが得られるのかわからない。
 自己同一性、思考の連続性など些細な問題に過ぎない。

 であるにしても、自分が自分のまま制御不能になるという感覚は完全に未知のものであり、覚悟の外側だった。
 動揺する精神が凍結していくが、その隙を突かれてしまう。

「うん、いい具合に仕上がってるね」

(あと一歩じゃないかな。儀式とやらの完成まで)

 いつの間にか目の前に接近されていた。
 危機的状況。ここは敵の間合いだ。
 千々に乱れる思考のまま退避しようとするが間に合わない。
 力士の張り手が迫ったその時、救い手は横から現れた。

「横から失礼するぜ――! 先に俺と手合わせ願おうか!」

 ブルドッグ面を獰猛に歪めて、瞳に闘志を燃やしながらカニャッツォがゾーイとがっぷりと組み合う。押し合う巨体と巨体。身長はほぼ同じだが、足の厚み、盛り上がった腕の太さはゾーイが上回っている。

 豪快な上手投げが決まり、倒されるカニャッツォ。しかしそのまま受け身を取って転がると即座に立ち上がり、再び相手に向き直る。

「俺はアンタみたいな奴とずっと戦いたかったんだ! 格上の怪物に力の限りぶつかって命を燃やし尽くす! かつての情熱が甦るようだ!」

 どうやらカニャッツォは力士の豪快な戦いぶりに心を揺り動かされたらしい。
 雄叫びを上げてその瞳が輝き、邪視が世界に干渉していく。
 朱色の輝きと共に独特の世界が構築された。といっても、ごく小規模なものだ。

 その背後に虹犬種族に特有な背虹が出現し、広がっていく。
 虹はカニャッツォとゾーイを取り囲んだかと思うと、四方に朱色の柱が出現して即席のリングを構築する。

 虹犬の大半は生まれながらの弓使いであり、邪視と杖の適性に優れている。
 カニャッツォの弓は特殊だった。
 彼は【虹弓】をリングとして展開し、磨き上げたロープワークによってバウンドし、自らが弾体となる戦法を得意としている。

 リング上の射手は深くロープにもたれかかり、沈むように、弦を引き絞るように、弾性エネルギーを蓄えていく。
 射出されたカニャッツォは矢の如き勢いでリング上を疾走した。

 投射武器は杖の呪術だ。ならば、このロープワークもまた弓の高位呪術に他ならない。牽強付会な独自理論に従って世界が歪曲し、カニャッツォはあらゆるものを貫き砕く一筋の流星となって力士に激突する。

 巨体の力士はそれを真っ向から受け止めた。
 呪術による攻撃でさえ、力士には通用しない。
 SUMOの起源を辿れば、それは古来神事であった。

 ゆえにサイバーカラテ同様――いや、その歴史が古い分だけサイバーカラテより膨大な呪力を包括しているのかもしれない。
 拮抗する呪力。迸るエネルギー。

 衝撃によってゾーイが押し出され、床が擦れて高熱を発する。
 しかし、決定打とはならなかった。
 元YOKOZUNAの、驚くべき粘り腰。土俵際で止まった力士がブルドッグと立ったまま抱き合い、膠着状態となる。お互い両腕を相手の首に回して動きが止まる。

 首相撲クリンチだ。
 しかし、静かな上半身とは対照的に下半身は熾烈な激闘を繰り広げていた。

 両者共に、下段へと蹴りや牽制を織り交ぜながら本命となる膝蹴りへと繋げていく。重く鋭い膝の一撃が入る度片方が呻き、熱い吐息がリング上の温度を上昇させていく。

 地味な熱戦を制したのは、力士ゾーイだった。
 蓄積したダメージに耐えかねて膝を突いたカニャッツォの頭部を脇に抱え込んだ力士は、そのまま身体が逆さまになるように真上に持ち上げた。
 そして、垂直に頭部から叩き落とす。

 無慈悲な脳天砕きブレーンバスターによってカニャッツォはどうと倒れ、かりそめのリングが夢のように消えていく。

(まだまだ、残った、残った!)

 ケイトは軍配団扇を構えたまま戦いの継続を主張。
 展開された呪文が呪術的金網となり、正方形の檻を作り出す。
 閉じ込められたカニャッツォはまたしても投げ飛ばされ、文字列の金網にぶつかってしまう。途端、盛大にスパークして青白い電流が彼を焼いた。

 更に爆発。そして炎上。
 ふらふらになりながらもどうにか立ち上がり、戦いを続行しようとするカニャッツォだが、目の前に力士の姿が無い。

 周囲を見回す彼の背後に、亡霊のように力士が出現。
 転移によって現れた相手の気配を感じ取り、振り返りざまに肘打ちを放つが、空振りに終わる。

 次々と瞬間移動を繰り返し、更には雷を放ち、燃えさかる炎を振りまいていくその様はもはやスモーレスラーというよりもイリュージョニストである。
 全身から煙を上げていくカニャッツォだが、まだかろうじて意識はあるようで、朦朧としながらも立ち上がろうとする。

 そんな彼の頭部に叩きつけられたのは、観客席に置いてあったパイプ椅子だった。ゾーイは転移して簡素な構造の椅子を手に取ると、それを武器としてカニャッツォを殴りつけたのだった。

 もはやこれは正常な試合ではない。紋様が走った呪術師じみた顔を獰猛に歪ませたゾーイ・アキラが高らかに哄笑する。
 ちびセスカたちと戦いながらも余裕を見せつけている死人の森の女王が、戯れるように手を振って呪文を描き出す。

 呪文の檻の中に突如として骨によって組み上げられた禍々しいデザインの棺が出現し、蓋を開ける。
 ゾーイは我が意を得たりとばかりにカニャッツォを棺の内側に叩き込むと、そのまま蓋を閉めてしまう。

 更にその手には、女王が生成した巨大な骨の杭。
 SUMOにおいては目つぶしと噛み付きが禁止されている他にルールは無いに等しく、真剣勝負においては一方の競技者の死亡で決着が着くことさえあるという。

 容赦など一切無い。ルール無用のデスマッチ。
 止められる者など、誰もいなかった。
 骨杭が棺の中央に落とされて、棺の隙間から赤々とした鮮血がこぼれ落ちていく。呪文の金網が消失して、戦いの終わりを告げた。

「てめえ、よくもカニャッツォを」

「それなりの男だったけど、まあこんなもんかな。けど、私から二十パーセントの力を引き出したことは素直に賞賛するよ」

「何だと」

 今、奴は、二十パーセントと言ったのか?
 不敵に笑う力士の全身が、急激に膨張していく。

 盛り上がった筋肉が厚みを増し、質量そのものが増大。
 身長すら伸びていき、二メートル未満だった体格は二メートル半に届こうかと言うほどになる。

 発達した筋肉は既に肉の鎧と言って差し支えない形状に変異しており、鋭角な肩からは絶えず電流が流れ出し、白目を剥いたゾーイは既に人の枠を踏み越え始めていた。

「そしてこれが、三十パーセント」

 剛腕がノーモーションで閃き、掌から放たれた空圧が俺を吹き飛ばしていく。
 力士の肉体は際限なく膨れあがり続けていた。
 分厚い筋肉の外側に複雑な呪文が組み上げられ、折り重なった情報構造体が新たな肉体となり、追加装甲として力士の全身を覆っていく。

「これが、四十パーセント」

 圧倒的な筋肉の塊の外側に、更に凄まじい脂肪の塊が乗ればどうなるか。
 打撃の威力は速度と重さで決まる。
 重さを極限まで突き詰めたのがSUMOである。

 膨れあがり続けていく肉、肉、肉。
 降り注ぐ呪術と弾丸の全てを受け止め、一切のエネルギーを吸収するそれはまさしく力士という戦士が纏う血の通った甲冑に他ならない。

 強靱な筋肉の外部に質量を付加して破壊力を増すという発想。
 強化外骨格ならぬ、強化外脂肪とでも呼ぶべきだろうか。生体と機械の分を問わず、肉体の外側に装甲を追加していく重戦士たちを人は力士と呼んだ。

「五十パーセント――さあ、いこうかケイト」

 見上げるような巨体を揺らしながら、筋肉と脂肪の塊と化した力士が言った。
 行司姿の男と力士の女が声を揃えて高らかに叫ぶ。

「発気、よぉぉぉぉぉい」

 それは、サイバーカラテの攻撃時に発せられるかけ声「発勁用意、NOKOTTA」とは全く異なる体系の格闘技から引用されたものである。その解釈は諸説有るが、サイバーカラテユーザーのほとんどは後者のかけ声を「残った」すなわち残心を戒め攻撃後の隙を消すためだと解釈しているものが多い。

 ところが、本家本元である力士たちにとってそれは「土俵際に残った」つまり勝負がついていないことを示し、押されている側への激励とも、押している側に決着の為に追撃を繰り出せとけしかけているとも言われている。時代が下るに従って行司だけでなく力士たちも口にするようになっていき、それがサイバーカラテにも伝わったのだ。

 この事実からわかることが一つ。
 共に、残心を怠らない――つまり不測の事態に備えた、実戦を意識した武術であるということだ。
 俺もまた、右半身を前にして構え直す。 

「発勁用意」

 この世界では、武術体系は呪力を宿す。
 サイバーカラテの呪力とSUMOの呪力が高まり、睨み合う両者の間で激しく鬩ぎ合い、可視化された呪力が激しくスパークする。

「NOKOTTA!」

「残ったぁっ!」

 叫んだのは同時だった。
 激突する二つの質量、優劣は開始前に既に明らかだ。
 ならば勝敗を決定するのはその外側にしかない。

 右腕の機能を解放し、【氷腕】が圧倒的な質量を停止させる。
 キロンの神速すら防ぎきる、絶対なる停滞の力。
 生まれた隙を見逃さず、左の掌を真上に突き上げるようにして、相手の顎下から莫大な熱量を解き放った。

 首の脂肪を焼き尽くしながら凝縮された熱学発勁が力士を貫く。
 炸裂した熱線が目指すのは、脳では無い。
 注意していなければ――それこそ俺が【氷鏡】でコルセスカの広い視界を借りていなければ気づけなかったであろう存在。

 遙か天井で浮遊する、不可視の機械だ。
 遮蔽装置を搭載したそれは、ゾーイの肉体を再生、転移させる一瞬だけ迷彩を解除してその姿を露わにする。ペイントのようなナノマシン条を活性化させて力士の巨体を操作する、あの浮遊ドローンこそがゾーイ・アキラの不死性の秘密だ。

 本体の外部化による不死。わかってみれば単純な仕掛けだ。
 頭蓋を通り越して天高くへと突き進んでいくエネルギー。
 十番義肢ルスクォミーズの、王獣カッサリオの一撃が安全地帯にいたゾーイの本体に直撃する――その直前。

(――残った)

 ケイトの不気味な声が響き、背筋に悪寒が走る。
 熱学発勁が呆気なく吹き散らされて、俺は攻撃手段を誤ったことに気付く。
 あの機械に搭載された遮蔽装置は、単純な感知への欺瞞だけではなく、攻撃への防御機能までも有していたのだ。

 更には、反撃機能までも。
 天から降り注いだ熱線が左手に直撃し、こちらを上回る出力に押されていく。
 掌が融解し、熱学発勁の放射機構が破損。
 同じ能力、そしてこちらを上回るパワー。

 真正面から最大火力で挑んだにも関わらず、通用しなかった。
 俺の完敗だった。

 頭部を再生させた力士ゾーイがその巨大な腕を広げている。壁が押し寄せてくるようだ、と間の抜けたことを思って、対応すら間に合わず強く抱きしめられる。
 遠くで誰かの悲鳴が響く。しかし、屈強な筋肉の塊に包囲された俺に周囲に意識を割く余裕は無い。

 力士の身体に強く引き付けられる。更に、体格差を利用するようにして上からのし掛かられた。
 背骨から肋骨にかけてが圧迫されて、背中が、腰が、膝が同時に悲鳴を上げて喉から息が漏れていく。

 熊式鯖折りベアハッグ
 スモーレスリングにおける必殺技にして決まり手の一つ。
 薄れ行く意識の中で、ケイトの声が聞こえた。

(さあ、そろそろ儀式は終わりだ。思考ロックを解除して差し上げましょう。初めまして、そしてご協力に感謝するよ)

 理解不能な言葉の羅列。
 俺を強く抱きしめる力士が、どこか優しげに囁く。

「おはよう――■■■■■■」

 その『名前』で呼びかけられた瞬間。
 まるで脳の奥深くを貫くようにして電流のような何かが背筋を走り、仰け反りながらがくんと顎を垂らし、白目を剥き、唾液を飛ばして、そして俺は――いや。

 『私』は、覚醒する。
 ああ、いい気分だ。
 まるで、生まれ変わったようだね。

「浄界――【闘争領域の拡大】」

 さあ、楽しい楽しい、ゲームの時間だ。









 何が起きているのか、誰もわからなかった。
 恐るべき外世界からの刺客、力士と戦っていたシナモリ・アキラの身に何かが起きている。その事を察しつつも、何がおかしいのか誰にも指摘できない。

 異常な事態に、コルセスカが病室から投射したアストラル体を宿したちびセスカは対応できずにいた。
 【変異の三手】の副長たちが攻撃の手を緩めてくれることはない。

 死人の森の女王、ニケ。
 この小さな身体では、その圧倒的な邪視に対抗するだけでも精一杯なのだ。
 絶え間なく詠唱されていく呪文を隣でちびラズリが相殺するが、それでも呪文使いとしての格の違いなのか、劣勢は否めない。

 そこに、公社に所属する呪術師の支援攻撃が加えられる。
 数人からなる言語魔術師の集団。
 彼らはその指先に小さな灰色の輝きを宿しており、特徴的な起句と共に万能の呪文が発動する。

「言理の妖精語りて曰く」

 対象の本質を解析し、あらゆるものを解体する始まりの呪文。
 灰色の輝きはそれぞれある程度確立された【静謐】の枠組みに沿って構築され、女王に向かっていく。
 しかし。

「【静謐】で私の解体はできませんよ」

 呪文は確かに成功していた。
 命中した無彩色の光は死人の森の女王である『ニケ』を完全に捕捉し、その存在を解体して見せた。そればかりか、その奥に隠されていた『ディスマーテル・ウィクトーリア』も同じ運命を辿ったのだ。

「この私に同じ呪文は二度も通じません――ニケに代わって、カロンとでもお呼び下さいな」

 続いて地獄からやってきた黒の色号使いが今は使う者も少なくなった古代呪術を発動。新たなる名『カロン』を掌握した彼は、その手に掴み取った名前に支配力を及ばせて従属を強いる。

 魔将エスフェイルが得意としていた術を、この無名の呪術師もまた会得していたのだ。死人の森の女王という伝説上の存在を下僕にできるという事実に歓喜した彼は、掌の内側で『カロン』の名が膨れあがっていくことに気づけない。

「劇物ですので、取り扱いにはご注意を」

 名前が呪文そのものとなって、夥しい量の水が虚空から流れ出す。
 青い河に飲み込まれた呪術師は、最後の瞬間まで悦びの感情を抱いたまま、掌握した名前と共に異次元へと追放されていった。

「そうですね。今度は『フェブルウス』とでも名乗っておきましょうか」

 宣名によって凄まじい呪力が炸裂し、周囲にいた公社の呪術師が片端から吹き飛ばされていく。そればかりか、ありとあらゆる呪術が解呪されていく。
 あまりにも異常だった。

 死人の森の女王フェブルウス――その名前は偽名でも数ある異名の一つでもない。彼女の本質を示す、最も力のある御名。宣名によって放出される呪力の莫大さが、使い捨てられていく名前の全てが本物だと告げている。

 圧倒的な力だけでは無い。余りにも異質な存在強度。
 ちびセスカにはこの相手が自分の前世であり参照元であるという事実が、ひどく遠く感じられた。

 対するフェブルウスは底知れぬ微笑みを湛えたまま、ゆっくりと力士の下へと近付いていく。
 いつしか、力士は抱きしめたアキラを解放していた。

 ちびセスカは嫌な予感がしてならなかった。
 まるであの時――キロンに決定的な敗北を喫したときのような。
 女王が口を開く。

「ご苦労さまです。貴方たちの助力に感謝します」

(利害が一致した結果さ。これで人権団体の追求をかわしつつ、問題が解決できるよ。こっちこそお礼を言いたいくらいさ)

「そうそう。私も人殺しはあまりしたくないんだ。気が重いからさ。折角ならみんなが笑っていられる結末がいいよね」

 朗らかに談笑する敵勢力の中心で、大きく伸びをする人物がいた。
 左右に首を曲げて凝りをほぐすような動きをする彼は、紛れもない、

「アキ、ラ――?」

 ちびセスカは、自信なさげにその名前を呼んだ。
 疑う余地など無いはずだ。
 そこにいたのは、紛れもない己の使い魔。

 百九十センチメートルほどの長身に、蓬髪を振り乱した四十代から五十代あたりの壮年男性。ストライプのスーツがすらりとした肉体を包み込んでいる。
 歳を重ねながらも整った顔立ちは、大胆不敵ともふてぶてしいとも、言い回し次第で印象が変わるような表情を作っている。

「え、あれ――?」

 アキラは、そんな外見だっただろうか。
 先程までは、確か道着を来ていた、のでは――?

「さて、さて。一人称では自らの容姿を事細かに描写する必要性が余り無いからね。特徴的な義肢という部位があれば、猶更そこだけに目が行ってしまうということもある――さて、こうすれば区別は付かないかな?」

 低く美しく、良く通る美声が練武場に響いた。
 これは、誰の声だろう。
 決まっている。シナモリ・アキラの声だ。

 アキラは『生身の腕』を掲げて指を弾く。
 一級言語魔術師であるちびセスカですら理解できないほど高度な情報構造が男を取り巻いて、凄まじい呪力が現実に干渉し、強く光を発する。

 光が収まった後、そこにいたのは服装をスーツから袖無しの道着に変化させたアキラだった。両腕は間違い無く左右共に氷と機械の呪術義肢。
 その首筋の穿孔痕からは、ちびセスカとの契約の証たる繋がりが今も確かに存在している。

 彼はアキラだ。
 その筈だ。あらゆる事実がそれを裏付ける。
 しかし、しかしだ。

「ちがう、違う! 貴方は、アキラではありません!」

 悲鳴のようなちびセスカの声に、アキラは薄い笑みを作って応じた。

「そうかね。では、私は一体誰だと思う?」

 両手を広げるシナモリ・アキラの姿と、およそ7,776,000秒前に公社が第五階層に流通させた紙幣に描かれた肖像が重なる。
 ちびラズリが、嫌悪感と共にその名を呼んだ。

「グレンデルヒ=ライニンサル」

 壮年の男は、正解を言い当てた生徒を賞賛する教師のように微笑んだ。

「いかにも。私のフルネームは、グレンデルヒ=アキラ=シナモリ=ライニンサルとでもしておこうかな。分割管理するよりも、一括して管理した方が使いやすい。そうは思わないかね、我が女王よ」

 遂にその姿を現した四英雄最後の一人は、シナモリ・アキラの存在と重なり合いながら巡槍艦の内部に君臨する。

 死人の森の女王フェブルウスは微笑んだまま小さく頷いたのみだった。
 グレンデルヒ=アキラはつまらなさそうに鼻を鳴らして、その後はフェブルウスを見向きもしない。

 四英雄筆頭、グレンデルヒ=ライニンサル。
 地上最強のプロゲーマー。
 TCG国際大会十連覇の呪術師。人呼んで【カードマスター】。
 星見の塔トーナメント初代チャンピオン。

 今まで姿を見せなかった【変異の三手】の頂点は、想像すらしていなかった場所に潜み続けていた。

「し、師範代に、何が起きてるんです――?」

 呆然と呟いた眼鏡の少年ファル。
 その疑問に答えたのは、外世界人のケイトだった。

(簡単なことさ。このトーナメントという呪術儀式を利用させて貰った。即興の作戦だったけど、思いの外上手く行くものだね。全く、こちらに有利になるようなことをしてくれてお礼を言いたいくらいだよ。まあ罠のつもりだったんだろうけど、こちらの戦力を見誤ったね)

 ちびセスカを始めとした一部の高位呪術師は、今起きている現象が何なのかを漠然とではあるが理解しつつあった。
 これは言語魔術師が得意とする現実の――あるいは過去の改竄だ。

 ガロアンディアンの主力であるシナモリ・アキラの存在を乗っ取る。
 かつてのキロン戦は広く知られてしまっている。
 ゆえに、単純に殺害しただけでは不死の魔女とその使い魔には勝てないと誰もが理解できているのだ。

 ゆえに、勝利のためには単純な暴力だけでなく、絡め手が必要になってくる。
 それこそが存在の上書き――結果だけ見れば、相手の生存や勝利を許容してしまうという曖昧な戦い方。

「そうだな。ふむ、あの辺りの時期が適切だろうか。私はシナモリ・アキラがキロンに殺された後、復活したアキラに偽装し続けていたのだよ。表層人格アキラを演じていた深層人格、それが私だ。きぐるみの魔女トリシューラは代替となる頭部の精密検査を忘れていたようだ――もっとも、準一級言語魔術師である彼女が、上級言語魔術師である私の偽装を見破れるとは思えないが」

 滅茶苦茶な事実を開陳したグレンデルヒは、キロンに殺害された後からトリシューラと聖婚を為し遂げて勝利したこと、それから今に至るまでのアキラの軌跡の全てが実は『アキラを演じていたグレンデルヒによるもの』だったのだという現実をアストラルネットに拡散していく。

 即座に松明の騎士団、巨大企業群、探索者協会がこれに便乗。
 無名の転生者ではなく、四英雄筆頭こそが暴走して外道に落ちた守護の九槍を倒したという『順当な物語』が構築されていき、納得が世界にもたらされた。

 クロウサー社が猛烈な反発と抗議を行うが、一度形成された世論は決定的な証拠か言語魔術でもなければ動かない。
 ガロアンディアンという勢力圏が【変異の三手】の傘下に組み入れられ、第五階層のありとあらゆる物質に三角形の紋章が刻み込まれていく。

 この世界で、ガロアンディアンで居場所を得た筈だったシナモリ・アキラという存在が否定、あるいは上書きされていく。
 過去に遡って書き換えられていく今までの出来事。

 トリシューラの下で戦い、共に過ごした日々。
 コルセスカと共に第五階層の裏面攻略を行った思い出。
 道場で門下生と稽古を重ね、道場破りを撃退していった時間。

 ちびセスカの内心にまで侵入してくる超高位言語魔術と浄界の複合干渉によって、記憶の中のアキラの顔が歪み、曖昧になり、グレンデルヒのものに変わっていく。もはや、本当のアキラがどんな人物でどんな容姿だったのか思い出せない。

 全てはアキラではなくグレンデルヒの演技だったことになってしまう。
 アキラが穢され、浸食されていく。
 そんな事実は耐えられないと、必死に邪視で抵抗するが、グレンデルヒの世界観は余りにも強固だった。

「たまらないな。交換可能性を突きつけ、『聖なるもの』ではなく『交換可能な別のもの』で構わないという事実を証明する瞬間の恍惚。女を奪う瞬間というのはこうでなくてはならない」

 グレンデルヒは傍らに立つ女王フェブルウスの腕を掴んで引き寄せると、指先で細い顎を持ち上げた。
 死人の森の女王は一切の反応を見せないまま、静かにちびセスカを見据えていた。その灰色の瞳に何かを見て取ったような気がして、小さな魔女は一瞬だけ眉根を寄せた。違和感は形にならない。そのまま、強く叫んだ。

「奪う――? 黙りなさい、誰が、貴方などに!」

 自分は奪われる者ではなく奪う者だという自己認識を強め、ちびセスカは右目を輝かせていく。発動する邪視は、しかしより強い確信によってあっけなく引き裂かれてしまう。

「私こそまさに卑俗化の呪術、鮮血呪の使い手に相応しい。このグレンデルヒ=ライニンサルこそが真のゼノグラシアにしてグロソラリアたることが、これでわかっていただけただろうか」

 グレンデルヒはアキラが使用していたカード型端末を操作して、内部から大量のデータを呼び出す。
 それは絵画だった。
 ありとあらゆる角度、姿勢で描かれた、シナモリ・アキラの容貌。

 キロンとの戦い以来、クロウサー家によって商品化され、大量に消費された物語。アキラとキロンは様々な形式に翻案され、キャラクター化された。
 立体の人形はいまいち売れ行きが良くなかったらしいが、相対的に廉価な漫画や小説は話題性もあってそこそこの売り上げだったという。

 そして、アストラルネットに拡散されたのは幾通りかのビジュアル・イメージを参照したファンアートだった。
 リールエルバによる情報操作によって、シナモリ・アキラの外見は地上人類に悪感情を抱かれにくいようなものに改変されていた。

 人種、文化圏、年齢層、性別によってそれぞれ印象が異なるという極めて繊細な制御が必要となる幻覚呪術。当時はアキラに利したその呪術が、この瞬間彼に牙を剥く。多彩なイメージが折り重なって曖昧となったアキラ像は、『本当の彼』という実像を確定させないままここまで来てしまった。

 そこにグレンデルヒによって改竄された映像が本人の端末から広まることで、『最も確からしい情報源』の呪力が現実世界を改変していく。
 グレンデルヒのヴィジュアルに上書き・改変されていくシナモリ・アキラ。

 過去の物語が語り直され、『主人公グレンデルヒ』が立ち上がってくる。
 言理の妖精語りて曰く、大量の描写こそが言語魔術師の力である。
 もちろん、世界中に拡散したかの第一魔将の力を、上級言語魔術師たるグレンデルヒが使えないはずもないのだ。

「一人称で語られ続けてきたこの『私』の物語。あえて自らの外見描写をしてこなかったのは、一人称ゆえにするまでもないからだ。そうだ、『この世には一人称しかない』のだよ!」

 その場で最も強く輝く無彩色の光が、この上なく強い『グレンデルヒの色』に染め上げられていく。
 言理の妖精を完全掌握した四英雄の一人は、カード型端末の中に封じ込めた第一魔将の欠片を掲げて叫んだ。

「遡れ、フィリス。アトリビュート・ヴァレリアンヌ」

 左腕が輝き、十四番義肢に換装が完了する。
 グレンデルヒは【扉職人ハイパーリンカー】ヴァレリアンヌを参照。

「これ以上、一体何を」

 問いを発したちびラズリに向けて、グレンデルヒは意味深な笑みを見せた。

「ヴァレリアンヌはハイパーリンカーだ。言語魔術師にとっては、空間を繋げるだけではなく、情報を繋げる力のほうがより有用だ。そうは思わないかね」

 グレンデルヒによる情報改竄はまだ終わってなどいなかった。
 むしろ、ここからが本番と言える。
 ヴァレリアンヌの強力な広報・情報拡散能力を利用して行われたのは、特定言説を世界に押しつけるという今までと同じ高位呪術。

 違うのは、その内容だ。
 それはシナモリアキラ本人だけではなく、彼が使用する武術、サイバーカラテへの攻撃であった。

 サイバーカラテ道場の力は数の力。
 その全てはシナモリ・アキラによるステルスマーケティング、つまりは自作自演の宣伝と評価でしかない虚栄の力だったというのだ。

「その評価は、全て偽りのものに過ぎない。実際には、サイバーカラテは大した事が無いのだよ」

 急落していく信用と共にカジュアルユーザーが減少。
 それに伴って信用度、存在強度、情報密度、その他諸々の『価値』が低下していき、実際に呪術としてのサイバーカラテの強度が弱まっていく。

 蓄積されたデータはそのままでも、次々と進歩していく武術にいつか適応しきれなくなっては、サイバーカラテという形式である意味が無い。
 『大した事が無い』という言説によって、実際に『大した事が無くなっていく』――それが数が力となるサイバーカラテの弱所だった。

「なんと卑劣な。ステルスマーケティングで情報弱者を騙し、無駄な浪費を強いていたとは。このようなことが赦されるわけがない。シナモリ・アキラは恥を知るがいいだろう。それに荷担した者もまた裁かれるべきだ――いやしかし、そんなことをする者が本当にいるのか? 実は一連のステルスマーケティング全て、シナモリ・アキラの自作自演だったのでは?」

 グレンデルヒの論理展開によれば、つまりサイバーカラテ道場に言及し褒め称えている者は全てシナモリ・アキラであると言う事ができる。
 導き出される結論は一つ。

 サイバーカラテユーザー=シナモリ・アキラ=グレンデルヒ。

 グレンデルヒは、全てのサイバーカラテユーザーを支配下に置き、自在に操り、その気になれば存在ごと上書きして『グレンデルヒ』を増やす事が可能となる。
 ユーザーレビューをネットに上げていた人々が次々とアストラル体の制御を奪われて、脳を掌握されていく。

 アキラ同様に上書きされているのだ。
 サイバーカラテユーザーが、次々と光に包まれていく。
 爆発的な光が消失した次の瞬間には、信じがたい光景が広がっていた。
 練武場に集結した者たちは老若男女の区別無く、一人残らず蓬髪の男性に変化してしまったのだ。

 ステルスマーケティング認定は古代からある【陰謀論】の呪文を攻撃用に調整した社会正義願望充足系の呪術である。

 だが、迂闊に否定すればそれは相手の思惑に嵌ってしまうことになる。
 サイバーカラテを擁護したために相手の餌食となった者たちは、今やグレンデルヒの一部でしかない。

 疑わしきは罰せよという世界観が練武場を包み込む。
 次に標的となったのは、かつての『事件』で真っ先に使用感を述べていたカルカブリーナだった。

(違う! 俺は確かにサイバーカラテを使ってあの最悪なエルネトモランを生き延びたんだ! 俺以外にも助けられた地上の連中は沢山いる!)

 否定の言葉は形にならずに消えた。
 感情制御呪術がクラッキングされて誤作動を起こし、危機的状況下にあると認識したカルカブリーナは生来の逃げ腰を発揮して、かつてサイバーカラテを賞賛した記録をこっそりと消去してしまったのだ。

 このままではステルスマーケティングに荷担したとされて、自分もまたグレンデルヒになってしまう。
 どこまでも保身だけを優先して、カルカブリーナはここでも裏切る。

「ほう、撤回するということはやはり自作自演だったということか」

 まるで本心からステルスマーケティングだと疑っていなかったかのように、グレンデルヒが呟く。もちろんその通り。とりあえず難癖を吹っ掛けてみることが言語魔術【陰謀論】の基本である。

 カルカブリーナの狼狽によってサイバーカラテの求心力は加速度的に失われていき、『やらせ』の宣伝によって盛り上がっていただけで実際には中身の無い武術だったとカジュアルユーザーたちが『気付いて』いく。

 最悪な事に、トリシューラは実際にばれにくいようにステルスマーケティングを仕掛けていた。その事実が暴き立てられたことによって、サイバーカラテの信用度は驚くべき勢いで失墜していく。

「私は正しかった! 正義の執行は達成された!」

 グレンデルヒが叫ぶと、横でケイトが満足そうに頷いた。

(これでサイバーカラテブームも下火になるかな。殺さずに問題を解決できて、サイバーカラテもどうにか影響力を弱めることができた。いやあ、めでたい!)

 力士ゾーイが巨体を揺らしながら続けた。

「ようやく終わりかー。結構長引いたよね、今回の仕事。まああとは適当に報告書でっち上げておしまい。細かいとこはよろしくね、ケイト」 

 ――これは、この場においては外世界人とグレンデルヒだけしか知り得ない情報ではあるが。

 シナモリ・アキラがオプション無しで異世界を生き抜いて、更には問題発生後も穏当に『帰化』して『現地人と共存』という前例を作ったことは、多世界にとって大きな意味を持つ。

 今回の件は、低価格転生のテストケースとして処理される予定だ。
 不祥事ではなく、あくまで当人の合意の下に行われた実験。
 情報の細部は転生保険会社に都合良く改竄され、かねてより推し進められてきた低所得層向けの転生商品が実用化されるのだ。

 これからは、大量の短期転生者プランが主力製品となる。
 コンセプトは『太く短い充実した転生』だ。
 一定期間の後、異世界でのサポートを打ち切るという契約内容の転生プラン。

 今まで転生が困難だった低所得層、外国人労働者、海外系日本人を狙った新しいビジネスが、シナモリ・アキラの『成功例』を根拠に開始される予定だった。

 現行のものより品質が悪い型落ちの設備は、いつ情報構造体の維持が解除されて転生者が消滅するかわかったものではない。更に言えば契約書類には契約者に不利な項目がわかりづらいように記載されており、保険会社は自由な裁量で転生者の行動を制御可能となる。

 シナモリ・アキラへの対応が抹消からより『穏当』なものに変化したのは、こうした本社の思惑も影響していた。
 最悪のシナリオとは、死ではない。
 知らない間に誰かに利用されることだ。

 シナモリ・アキラが生贄に捧げられたことにより、いずれこの世界には大量の転生移民が流入するだろう。
 そしてそれは、ある時突如として次元侵略者として牙を剥くかも知れない存在なのである。

 グレンデルヒとゾーイ、そしてケイトは無言で視線を交わした。
 密かに協力関係を結んでいた彼らの間には、もう一つの約束が交わされていた。
 地上に巣くう巨大複合企業体と全く同様の論理を内面化した、複数の世界にまたがる、より巨大な複合企業体。

 ただ実益と権力だけを追求する構造。
 その中に身を置く企業所属の探索者、グレンデルヒは、この世界の誰にも知られぬように異世界の多世界籍企業に接近していた。
 地上世界における最も優れた人材の引き抜きに、外世界の企業は好意的だった。

 この世界へ手を伸ばす第一段階として、まずはグレンデルヒを引き込みたいという思惑と、更なる力、更なる知識を欲望するという思惑が合致し、悪夢のような同盟が結ばれていたのだった。

「ふざけないで――ふざけないで下さい!」

 ちびセスカは怒号を上げた。
 アキラを否定されたこともだが、サイバーカラテへの悪意ある否定も彼女にとっては受け入れがたいものだった。

 ちびセスカは、関係の無い人の『肯定の感情』を否定する、他者の世界が存在しない、五分前に自分が世界を創造したのだと確信しているような人格がなにより嫌いだった。

 かつて彼女は新作の迷宮探索ゲームを購入し、最速でクリアーしてアストラルネットに感想をアップした。夢中になってやり込んだその感想は当然の事ながら好意的なもので、ほとんど推薦文に近い内容だったが、それこそ彼女の望むところだった。より多くの人にこの素晴らしいゲームをプレイして欲しい。

 その願いは、一瞬後、粉々に打ち砕かれた。
 クリアが早すぎる。
 関係者によるステルスマーケティングに決まっている。
 ということはこのゲームはそんな行為が必要なほど中身が無い、つまらないものに違いない。

 一方的な断定は強い影響力を伴って世界に浸透し、ゲームの売り上げは悲惨なものとなった。評判の悪化に伴ってゲームの製作会社は看板を下ろし、業界から消えていく。悪夢のような思い出。

 幼い魔女は、その時以来必死になって呪文の技を磨き続けた。
 ネットの海にダイブし、様々なコミュニティを渡り歩いて激論を交わし、特に意味も無くネガティブキャンペーンを展開する者たちに狂犬のように噛み付き、触れれば切れるナイフのように好きなゲームに攻撃を加える者を撃退した。

 長く、熾烈な戦いだった。幾度も敗北し、土を舐めさせられた。強固な信念を持って厳しい批判を振りかざす言語魔術師たちと鎬を削り合い、味方として現れた同好の士の不用意な発言でコミュニティごと叩き潰されたこともあった。

 果てのないネットバトルの末に得たものは、あまりにも虚しい結論。この不毛な戦いは根絶不能だという絶望。
 しかし、その中で得た経験と技術は幼い魔女の中に眠る呪文の才能を開花させていた。

 気がつけば『敵対勢力』にクラッキングを仕掛けて叩き潰し、世論の改竄すら行えるようになっていた。
 反論全てを叩き潰し、安らげる環境でただ好ましい作品を楽しみ、賞賛する。
 しかし、そこで彼女は気付いてしまう。

 そうして形成された世評は彼女自身が構築した『作られた評価』でしかない。
 知らず知らずのうちに彼女は敵対者たちが指摘するような『工作』を行っていたのだ。その事を恥じて以来、たとえ作品評価に関連して非道な事が行われていても干渉しないように心がけてきた。

 彼女は己の中に掟を定めたのだ。
 容易く世界を歪め、正しい評価を、人の純粋な想いを否定してしまうような呪術の使い方はやめようと。

 今、ちびセスカはその禁を破ろうとしていた。
 自らの世界観を満足させるために他者の世界観を破壊すると言う行為。
 それは極めて邪視的な呪文であり、二系統の複合呪術である。

 成功した瞬間、それは社会正義として世界に確定し、構築された陰謀が明るみに出て弾け飛ぶ。邪悪な企みを正義の心を持つ個人が阻止するという勧善懲悪物語が事象改変を引き起こすのだ。

 【陰謀論】の呪術は拡散されてしまった。特に関係の無い、暇を持てあました者たちが群がって呪文ソースを共有していく。サイバーカラテ道場を『攻撃しても良い』という空気を敏感に読み取って、正義感の快楽に良いながらサイバーカラテを、そのユーザーたちの人格を否定していく。

 ちびセスカは、そんな邪視者が大嫌いだ。
 邪視者が嫌いな邪視者。それが冬の魔女コルセスカである。
 末妹選定において邪視の座にありながら、浄界の発動ができない第五階梯の邪視者である理由がそれだった。

 炎のように熱く、氷のように凍てついた怒りが邪視と呪文となって具現する。
 ちびセスカはグレンデルヒを睨み付けて、声高に主張する。

「貴方はサイバーカラテに関する言及全てをステルスマーケティングだと言いますが、話題になっている以上、ステルスマーケティングを指摘、非難して炎上騒ぎを起こした者もまたステルスマーケティングに荷担しているに等しい!」

 強引な論理に対抗するためにはこちらも強引な理屈を使えばいい。
 そして、サイバーカラテ道場のステルスマーケティングによって利益を得る者とは誰か。この場合はただ一人だ。

「つまりグレンデルヒは実はアキラであり、サイバーカラテが力を増す事によって利益を得るサイバーカラテユーザーです! 貴方はグレンデルヒではなく、アキラだったということです!」

 コルセスカが言語魔術師としてのスキルを駆使して対抗する。
 詭弁を弄して相手の妄言をひっくり返すという荒っぽい呪文。
 理屈に合う物語を作り上げて整合性のある時系列を構築する。

 今までの、アキラをグレンデルヒが演じていたというストーリーに、更にそのような振る舞いをするグレンデルヒをアキラが演じていたという筋書きを接続。
 全ては話題性のための炎上マーケティング。

 アストラルネットが【炎上】という実在する高位呪術によって吹き上がり、サイバーカラテ道場の評価は更に低下していくが、ちびセスカはこれを許容した。グレンデルヒを否定してアキラを取り戻せれば幾らでもやり直しはきく。

 アキラを助ける。
 ただそれだけを考えていたちびセスカは、いつの間にか音もなく接近していた相手に気づけなかった。

 伸ばされた白い手が、ちびセスカの身体を掴む。
 死人の森の女王フェブルウス。
 どこか憐れむように、灰色の瞳が小さな魔女を見つめていた。

「駄目ですよ、それだけでは。やはり、貴方ではアキラ様を救えない」

 ちびセスカは愕然とした。
 女王の言う通り、状況は何も変わっていない。
 呪文は通用しなかったのだ。

 アキラは上書きされたまま。
 そして、フェブルウスの頭上に再び表示された映像内では解体されたトリシューラが囚われたままだ。

「そんな、どうして」

「存在の強度――名声値の問題ですよ」

「私だって、同じ四英雄の一人です! 冬の魔女の知名度が、グレンデルヒ一人に負けるとでも?!」

「年齢と性別の問題もあります。年若い少女の主張よりも、社会的地位の確かな壮年男性の方が『発言に重みがある』。事実とは関係無くね。星見の塔で育った貴方には実感しづらいでしょうが、この父権社会において『貴女』は、『男』よりも弱いのです」

 女王の瞳がどこか悲痛な色合いを帯びているように、ちびセスカには思えた。それは光の錯覚などといった物理的な理由ではなく、もっと直感的であやふやな根拠に基づいた推測だったが、なぜかちびセスカはこの自らの参照先らしき相手が哀れに思えてならなかった。

「地母神の裔は、すべて英雄に征服される定め。それが男根のメタファー、すなわち『槍』を世界の軸とするこの次元プレーンの基本法則」

 高らかに哄笑するグレンデルヒ。
 アキラとなった彼はその身に宿る日本語ミームを掌握すると、そこからガロアンディアン語に干渉を開始する。

 更に女王フェブルウスに命じてトリシューラの傍で待機させていた配下を動かさせる。手足の一部が白骨化した修道騎士らしき男が両手に巨大な呪力を収束させてトリシューラに迫る。解体されたきぐるみの魔女の頭上に、半透明の巨大な剣が出現した。

「さあ、言震ワードクェイクを引き起こし、ダモクレスの剣を落とそうか。ガロアンディアンを征服し、死人の森を顕現させよう。今この時より失われた眷族種である再生者オルクスが復活する。死人の森の軍勢と偉大なる六王を率いて、ワイルドハントの夜を駆け巡ろうではないか!」

 グレンデルヒ=ライニンサルの目的はこの期に及んでも未だに判然としない。
 だが、いま並べ立てられた事のたった一つでも為し遂げられれば、ガロアンディアンは壊滅的な被害を受けるだろう。

「彼は、一体何を」

「探索者としてはありふれた動機ですよ。彼はね、困難に挑むというゲームをしているのです」

 ちびセスカの呟きに、女王は静かに答えた。
 喧しく笑い続けるグレンデルヒとは対照的に、どこまでも落ち着いた女王フェブルウスの様子に、行動を制限されながらもちびセスカは不思議な感情を抱いた。
 もっと、この相手の事が知りたい、と。

「力によって奪い、闘争し、解き明かす。戦士とは、探索者とは、『男』とは、そういうものだとされている」

「そんなの、私だって!」

「ええ。ですから、彼の世界観に従えば貴女は男ということにされてしまうでしょう。冬の魔女男性説が採用され、上書きされる――それが敗者の末路」

 ちびセスカは女王の言葉にぞっとして彼女を見た。
 そして、灰色の瞳の奥に何かを見た。
 氷の瞳が、弱い邪視となって絡み合う。
 呪力が繋がる。

 両者の合意と協力があってはじめて成立する、目と目で語り合うという邪視と呪文の複合呪術。
 前世という繋がりが一瞬にして二人の間に膨大な情報をやりとりさせて――そして、ちびセスカは、コルセスカは、『冬の魔女』は全てを理解した。

 女王フェブルウスは灰色の邪視でちびセスカを捉えると、強烈な輝きで小さな身体を包み込んでいく。巨大な呪力が弾けたかと思うと、細い手に握りしめられたちびセスカは消滅していた。

 その代わり、フェブルウスに変化が訪れていた。
 蜂蜜色の髪が銀色に。
 灰色の瞳は右側だけが青色に。
 右腕が指先から凍結したかと思うと、硝子細工のような作り物じみた腕になってしまう。

「そう。私は、銀の森の魔女――浄罪者フェブルウス=コルセスカ」

 宣名によって発動した呪力の性質は、死臭の混じった突風ではなく、身も凍るような冷たい空気である。
 その場に残った者たち、かろうじて無事だった少数が瞠目した。
 ちびラズリは震えながらそれを見ていることしかできない。

「そんな、ちびセスカさん」

 存在を上書きされたのは、アキラだけではなかった。
 不死者を凌駕する、超高位の言語魔術。
 超越者たちは敵対する不死をいとも簡単に征して見せた。
 これより始まるのは新しい物語。

 主人公とヒロインはより練り込まれたデザインに更新され、過去の物語までもが遡及的に語り直されてリメイクされる。
 何も終わってなどいない。これは、新章の華々しい開幕なのだ。
 この物語は、ここからが本当の始まりである。そういうことになっている。

「ひどい、こんなことって」

「相変わらずね、フィレクティ」

 銀色の魔女は小さな夜の民を見やると、冷ややかに言い放った。
 びくりとして縮こまるちびラズリから視線を離して、そのまま立ち去っていく。

「貴方はずっとそのままでいればいい。誰もが共存共生できる世界。その夢を抱えて、未来永劫、存在しない救世主を待ち続けていなさい。全ての苦しみを何でもしてくれる姉に預けて、甘えるだけの生を送るがいいでしょう」

 酷薄な、蔑むような言葉。
 刃の様な鋭さに、ちびラズリは項垂れて、そのまま黒く丸い塊になってしまう。
 微かに嗚咽が漏れ聞こえて、それきり夜の民は動かなくなった。

「苦境にあって蹲るだけの者は、見るに堪えない」

 冷ややかな目が次に捉えたのは、死の恐怖に怯え続ける牙猪。
 チリアットは圧倒的な力を振るう力士とグレンデルヒ、そして女王に恐れをなして、練武場の隅で縮こまっていたのだ。

 もとよりトリシューラによる延命治療がなければ生きられない身。
 寿命によって疾うに死んでいるはずの命であり、いざという時にはガロアンディアンの為に命を賭けると誓ったはずだった。

 盟友ダエモデクの窮地に駆けつける途中で命が惜しくなり、尻尾を巻いて逃げ出した時も、その後で寿命が訪れて身も世もなく泣き喚きながら第五階層の迷宮を這いずっていた時も、そこをトリシューラに救われた時も。

 チリアットにはいつだって逃げるという選択肢しか見えない。
 死が確定しているから命を捨てる覚悟で戦う――そんなことはできないのだ。合理的だ、経済的だという命知らずのことなど知らない。痛いものは痛いし怖いものは怖い。十秒後に死ぬのだからいま命を捨ててもいい、などとは思えない。

 決断も恐怖も、何かで誤魔化して、自分以外に助けて貰わなければ、自分自身に誇れる行動すら選び取れない。それがチリアットという男だった。
 その無様な姿を、女王は上から睥睨して、言った。

「醜い――けれど、その醜悪さこそが尊い。ふさわしいとすれば、あなたです」

 理解不能の呟き。
 だが、フェブルウス=コルセスカの言葉にはどこか柔らかい響きが混じっているように、チリアットには感じられた。

 恐る恐る、頭を上げる。
 上を見た瞬間。

「では、これで決まりですね」

 氷の腕が振り下ろされて、絶対零度の貫手がチリアットの心臓を貫通した。
 一撃で絶命した牙猪の命を【生命吸収】によって奪い、存在の全てを氷の右腕の中に吸い上げていく。鮮血で満たされていく【雪華掌】はひどく禍々しい。

「さて」

 女王は死体の全てを腕の中に圧縮して格納すると、グレンデルヒを見た。
 高らかに哄笑するグレンデルヒは、勝利と目的の達成を目前にして昂揚している。つまり、隙が出来ている。

 千載一遇の機会。
 そんなものがあるとすれば、それは今を置いて他に無い。
 そして、静かに覚悟を決めて、命令を下す。

「出番よ、カイン」

 巡槍艦の奥、トリシューラの執務室から一直線にこの練武場まで駆け抜けてきた屍の狼が、硝子をぶち破って飛び出してくる。その口に、何かを咥えて。
 それは得体の知れない液体に塗れた、肘の辺りから食い千切られた左腕だった。








 自分が沈んでいくのを感じていた。
 意識はある。
 『俺』という存在が、何か圧倒的な存在に押しのけられ、上書きされ、変容していくかのような感覚。

 『下』の方でも外界で起きていることはわかった。
 コルセスカが俺と同様の運命を辿ったこと。
 トリシューラが、今まさに殺されようとしていること。

 そして、今ここに存在している『俺』もまた一瞬ごとに消え去り、塗りつぶされつつあること。
 冷えていく思考の中で、俺が思い出すのはカインのことだった。
 転生してすぐ、暗い森の中で俺が殺した相手。

 『介錯』した――こう言って赦されるのなら、初めて出来た仲間。
 自分が自分でないものになってしまうのが恐ろしい。自分が仲間たちの敵になってしまうことが嫌だ。だから、そうなる前に殺してくれ。

 俺はその感情を本当の意味で理解することはできなかった。
 何もわからないまま、ただあの悲痛な声を終わらせるためだけに右腕を振り下ろしたのだ。

 今、俺は別の存在になりつつある。そしてトリシューラを、彼女の世界を終わらせようとしている。
 ――だから、何だというのだろう。

 今更だ。何もかも、今更だった。
 俺が今抱いている感情が免罪符になどなってたまるものか。
 だとすれば俺は共感などいらない。感傷は感情ごと凍らせて、何もかも無かったことにしてしまえ。

 意識の底で蹲り、小さくなっていこうとする俺の頭上で、微かに声が響いた。
 どこか懐かしいような、あるいは聞いた事がないような。
 遠い遠い、母親が我が子に語りかけるような優しい声だった。

『赦します』

 そんなものは望んでいない。
 歯を食いしばって、強く頭上を睨み付ける。
 こちらの意思を無視して押しつけられてくる言葉を振り払い、敵意を持って消えろと叫ぼうとしたその時だった。

 目を見開く。
 氷の腕が、内部の血液を沸騰させながら強い輝きを放った。
 どこかで見た、その光。
 光の中から現れたのもまた、見たことのある誰か。

「カイン――?」

 腐乱した狼が、腕を咥えてやってくる。
 違うものになりつつある俺の元にやってきた、違うものになってしまった彼。
 それが、どのような意味を持つのか。

『それは、唯一の汚染されていない貴方』

 聞き覚えのある声――首筋と右腕にその存在を感じ続けている誰かに似た響きを持った言葉が、俺に道標を示す。

『シナモリ・アキラのバックアップ。感染呪術の基本原則を思い出して下さい。元々一つだったものは、呪力を宿す。遠く離れていても影響を及ぼし合う』

 元々一つのものであったシナモリ・アキラとその左腕。
 それらは呪術的に繋がっている。
 俺という本体が上書きされても、食い千切られた左腕にその存在の痕跡は刻まれている。

 だとすれば。
 関係性の拡張と、身体性の拡張。
 それらは、何を可能とするのだろう。

『全てをです――さあ、もう一度、遡って!』

 声に、どこか大人びた響きが混じって――そして、死した狼が俺の目の前に舞い降りる。咥えた左腕が、『俺』に触れた。
 更に深みへと沈んでいく自らの存在を感じながら、俺は彼を最後まで見続ける。人としての知性を失ったカインの瞳が、どこまでも優しく俺を見つめていた。










 ここはどこだろう。
 俺は周囲を見回した。
 そして、すぐ目の前に車椅子の女性が記述されていることに気がついた。
 記述――? 存在している、ではなく?

「ここは永劫線――『注釈の世界』よ。『主人公』や『語り手』であっても、ここまでは影響力を行使できない」

「貴方は? それに、注釈の世界?」

「早い話が、ここは『彼女』の領域だから不可侵ってこと。そして私は――何度か会っている筈だけど。ほら、キロンと戦った時とか、風の王を倒した時とか、つい最近も彼女と戦った時にちょっとだけ力を引き出してくれたでしょう?」

 女性が車椅子の車輪の部分を意味ありげに指差すが、よくわからない。
 がくりと項垂れる女性は、「そっかー」と残念そうに呟いたが、すぐに気を取り直して俺に向き直る。

 彼女は周囲がどのように設定されているかを俺に開示してくれた。
 そこには宇宙図が広がっていた。
 いつか俺がトリシューラと共に死の淵で垣間見た、世界の構造。
 多層をなす宇宙。

 九層を成す世界の一角で、車輪を背にした偉大なる女神が俺の左腕と繋がっているのを感じる。そこでようやく思い出した。

「そうか、貴方が、ヘリステラか」

「そうそう。本当は中立の私が介入するのは良くないんだけどね。グレンデルヒがああなっているのはこちらにも責任があるし――彼がこの世界に次元侵略者を招き入れて好き勝手にしようとしているのは見逃せない」

 星見の塔、キュトスの姉妹の長女は何らかの思惑があって俺に接触しているようだった。この不可思議な空間で、彼女は俺に何をさせようというのだろう。
 と、その時。虚空に突如として扉が現れたかと思うと、そこから緑色の髪をした少女が現れた。

「やっほーヴァレリアンヌ本人なのですよー、ノエレッテが留守なので私が【扉】を作りますねー」

「はあ」

 流石に十四番目の義肢を多用しているせいか、その度に脳裏に現れるイメージは記憶していたが、なんというかえらく気さくそうな魔女だった。彼女もヘリステラと同じく、星見の塔における『中立派』なのだろうか。

 ヴァレリアンヌが新たに出現させた扉が開かれて、俺はその先へ行くように指示される。その後どうすればいいかは追って連絡すると言われたが、これはつまり、どういうことなのだ?

「永劫線を通じて、古代へと遡ってもらうわ。グレンデルヒに勝利する為には、あなたもまたより強大な力を手にしなくてはならない。たとえば、その左腕の新しい機能とか、勝利への布石を置いてくるとかね」

 過去に遡ることで、後付けで勝つための伏線を用意する、ということか。
 確かにそれならば、絶望的な状況をひっくり返すことも可能かも知れない。

「古代世界にはその鍵があるはずです。というのはつまり――」

「はい、ここで言うと未来、っていうか過去が歪むからそれ以上は駄目」

 整理すると、俺がこの状況をどうにかするためには過去に向かう必要があり、そこで何かをすればいいのだが具体的にそれを知ってしまうと恐らくタイムパラドックス的な何かが起きてしまうので詳細は教えたくない、ということだな。

 良くある筋書きだ。しかし言語魔術師がほいほい言葉だけで過去を改竄しているというのに、俺は直接足を運んで過去を変えなければならないのか。

「不満そうだけど、やらないつもりはないのでしょう?」

「当然だ。トリシューラとコルセスカを諦めてこのまま終わるなんて選択肢は、三ヶ月前に消えてるんだよ」

 故に、迷いなど既に無い。
 俺が選ぶ前に、決定は外側に存在しているのだから。
 扉に足を踏み入れた俺の背に、小さく、ヘリステラが声をかけた。

「私の妹たちを、よろしくお願いね」

 会話の流れからすると、そう不自然ではないはずの言葉。
 だというのに俺は、その響きに奇妙なものを感じた。
 問い返す前に、世界が変転する。

 歪み、混濁し、次々と移り変わっていく光景。
 そして俺は、暗い森の中に降り立った。
 青ざめた月、風に揺れる木々。その空気に、不思議と懐かしさを感じる。

 そして俺は、それを見つけた。
 血に沈み、動かないままの狼の死骸。その傍らにしゃがみ込んで、小さな声で泣いている少女を。

 何故か俺はそれを一瞬だけコルセスカと見間違えた。そんなはずはない。目の前の少女は幼すぎるし、髪の色は蜂蜜色だ。
 こちらの気配を察したのか、少女が振り返る。怯えたように揺れる灰色の目と尖った耳、泣き出しそうな表情を見て、俺は即座にこの少女を殺すことを考えた。

 一目でわかった。これは幼き日の死人の森の女王だ。ならば、過去で俺がなすべきは彼女を殺して難敵を事前に排除しておくことか。その思考は純粋に合理的であったとは言い難い。解体されたトリシューラという光景が、凍らせたままの憎悪を呼び起こして思考に影響を与えているだろうからだ。

 しかし、怯え、震える少女を前にして拳を握りしめたとき、ふと気付く。
 彼女は、まだトリシューラを害していない。
 未だ行われていない罪を裁くことが、一体誰にできるというのだろう。

 幼い少女は、怯え、震えながらも、口を開いた。
 日本語ではないが、理解できる。
 レオが使用していた、古代グラナリア語の正確な発音で、少女は俺に懇願した。

「お願いです。私はどうなってもいいですから――この子を、助けてあげてください。とっても、とっても辛いって、死ぬのが嫌だって、苦しんでいるの」

 だから、どうか。
 自分よりも目の前の誰かの苦しみを耐えがたいことのように語る少女。
 その灰色の瞳の中に、誰かの姿を見て、俺は。
 最初に抱いた印象が、何も間違っていなかったのだと、そう理解した。



+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ