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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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4-10 二人の距離

 幻想再帰のアリュージョニスト、前回までは!

 転生者シナモリ・アキラはきぐるみの魔女トリシューラの使い魔である。アンドロイドであるトリシューラの存在級位を高め、最後の女神である【未知なる末妹】に至る為、二人は世界を貫く槍の中心で建国を行う。トリシューラを女王として戴く王国の名はガロアンディアン。足場を固め、仲間を増やしていく二人。そんな主従の前に四英雄の一人グレンデルヒ=ライニンサルが率いる【変異の三手】と古代王朝【死人の森】が立ち塞がる。次々と襲い来る刺客を退ける二人だったが、折悪しくトリシューラは言語魔術師試験のため単身月へと向かうことに。離ればなれになった二人はそれぞれ危機に陥る。どうにか強敵を退けたアキラだったが、一方でトリシューラは囚われの身となってしまう。その事実を知る者は誰もおらず、【変異の三手】は不気味に地下で胎動し、総攻撃の機を窺っていた。




 巡槍艦の朝は世界槍内部にある第五階層よりも早い。
 外界で日が昇ると共に光が差し込み、それに呼応するように活性化した地上太陽や天蓋鏡面パネルといった光源からも呪力が空間に放出されていく。

 日が高く昇っていくにつれて太陽光は地上の天蓋に遮られてしまうが、それまでに両世界の中間域に充溢した光の呪力はその日の光源を十分に賄える量だ。
 端末から光学投影された目覚ましシューラが元気よく飛び跳ねた。

(朝だよー朝だよー朝だよー)

 目覚ましシューラの頭を軽く叩いてアラームを停止させる。
 普段なら起き出して身支度を整える時間帯だが、俺の目は思い切り冴えていた。
 というか寝ていない。
 それもこれも、コルセスカに付き合って徹夜でゲームをしていたからである。

「もう朝か。というか、こんな事をやっていていいのか俺たち。トリシューラは言語魔術師試験だっていうのに」

 寝台で二人寄り添って、携帯型ゲーム機の画面を覗き込んでいる一晩だった。
 だらだらと、不健康に菓子だの茶だのを飲み食いしながら密着してひたすら遊び倒すだけ。自分を高める為に真剣に試験に挑もうとしているトリシューラの事を思うと少し申し訳無くなる。

 そういうと、コルセスカは「こっちだって大まじめです。ゲームとは全身全霊でやるものですから」と口にする。彼女はいつだって本気だ。彼女のこういうところを、俺は本当に好ましく思う。

 窓のブラインドから漏れ出す光に照らされて、コルセスカの右目が強く光を反射する。眩しさに思わず目を眇めた。
 散々楽しんでご満悦のコルセスカの表情はいつになく緩んでいる。硬質な氷に覆われた右側と対照的に、左側の表情は柔らかく、年若い少女相応だった。

 感情が僅かに波打つ。こちらの心が揺れた事を感じ取って、コルセスカがそれを吸い取ろうとする。あらゆるものを奪う氷の吸血鬼による呪術的感情制御。目に見えない繋がりから俺の感情という情報が奪われていく。

 が、寸前でコルセスカはそれを止めた。
 その感情の正体を察したためだ。それは俺にストレスを与えるものではない。だから、少しだけそれを吸い取って、心境を共有するに留めたのだ。

 俺がどんな事を感じ、思っているのかは全て彼女に筒抜けだ。
 なにもかも全て、共感されてしまう。
 俺の感情はコルセスカのものだ。だから、何も隠せない。
 羞恥すら奪われて、ただただ朝日に輝く異相を見つめることしかできなかった。

 二人分の羞恥に頬を染めて、コルセスカが視線を逸らす。
 俺は恥ずかしくないはずなのに、気恥ずかしさの痕跡だけを感じるという奇妙な精神状態に陥っていた。
 間が持たなくなって、無理矢理に言葉を捻り出す。

「そういえば、コルセスカは言語魔術師試験を受けなくていいのか?」

「私は既に一級ですから。特に必要な資格でもありませんし」

 そんなものか。
 トリシューラも一級から上は目指さないらしいし、とりあえず必要とされているのは一級の資格らしい。

「あえて上級に挑むのはあまり一般的ではない、とか?」

「ええ、ほとんど趣味みたいなものですね。リールエルバが果敢に挑戦し続けているのは、どちらかというとハルベルトへの対抗心からのようです。既に受かっているのにわざわざ受験し直して真っ向から対決してみせるハルベルトはハルベルトで律儀ですが」

 呪文の座の候補ハルベルトと直接会った事は無いが、中々堂々たる人物のようだ。PVの中の自信に満ちあふれた姿を一瞬だけ思い出す。トライデントとの戦いで一時共闘ができるとすれば心強いが、いずれ相対しなくてはならないと思うと身が引き締まる思いだった。

 気のせいか、少し寒気がする。
 コルセスカと長く寄り添っていたせいだろうか。少しの気怠さを感じながら、部屋の隅に置いてある湯沸かし機でお茶を入れる。

 再沸騰させて、コルセスカ用にとびきり熱くしたものだ。冬の魔女は熱いものや辛いものをよく好む。

 逆に冷たいものは当たり前すぎてあまりよく味が分からないのだとか。イメージに反するようだが、彼女の邪視は熱を知覚してそれを奪うというものらしいので、言われてみると納得できる好みだった。

 二人で朝のお茶を啜りながら、話題を今後についてのことに切り替える。
 四魔女による末妹の選定。
 トリシューラがハルベルトとの会談を終え、本格的に協調するとなれば、俺たちもまた新たに動き出さなければならない。

 しかし、コルセスカには火竜討伐、ハルベルトには大規模な呪術儀式という明確な目的があるのに対して、トリシューラのそれはあまりにも漠然としている。
 自己の完成。
 そのために、王国という足場を確かなものにすること。

 外敵たる【変異の三手】を打ち倒し、トリシューラを僣主と糾弾する古い王国【死人の森】を征服してガロアンディアンという基盤を世界に固定するのだと、トリシューラは言っていた。

 俺のするべき事は目の前の敵を排除することだけだが、しかしその後はどうするのか。まさか王国を作ってそれでおしまいというわけでもないだろう。
 その疑問に、コルセスカが熱いお茶に息を吹きかけて冷ましながら答えてくれた。熱いものが好きとはいえ、普通に火傷はするのでこういうときは慎重だ。

「トリシューラは自己の存在を世界に拡大、拡張することを望んでいるようですね。つまり、次の段階としてガロアンディアンの領土を広げるつもりでしょう」

「それ、地上や地獄との戦いにならないか。勝ち目は? というか、俺は第五階層の外だと【ウィッチオーダー】の能力が使えないんだが」

「ええ。今のアキラは第五階層から外に出れば左腕の力を使えない――なら、第五階層が拡大すればどうでしょう」

 一瞬、コルセスカの言っていることが理解できなかった。
 ガロアンディアンの領土を広げるのではなく、第五階層を拡大する?
 どうも、第五階層そのものを大きくするとかそういった意味ではないように思えた。彼女が言っているのはつまり。

「第四階層、そして第六階層が第五階層の勢力圏に置かれたなら。トリシューラが世界槍のシステムを改竄し、三階層分、あるいはそれ以上の領域をガロアンディアンにしてしまったなら」

 世界槍に内包された複数の世界。
 その小さな異世界の中心である第五階層で、他の階層を飲み込む、ということが言いたいらしい。

「つまり、他の階層を第五階層にする、ということか?」

「その通りです。そして、アキラを支援するガロアンディアンという『王国』の加護が一定まで高まれば、その外で左腕を行使することも不可能ではありません。恐らく、あと二階層分の拡大によって地獄あるいは地上でも全力戦闘が可能になると思います」

 足場であるガロアンディアンが強く大きく成長すれば、その力を利用したこの左腕もより強力になっていく、という理解でいいのだろうか。
 ガロアンディアンという王国を強化することは、トリシューラの存在を確かにすることに繋がり、同時に俺の力を拡張することにも繋がっている。

 魅力的な未来図ではあるが、問題が一つ。
 どう考えても、領土の拡張は波風を立てる。
 第六階層は大魔将が、第四階層は守護の九槍が守っているのだから。
 コルセスカはそれでも領土の拡張には積極的な姿勢を見せた。

「現在の中立という状況がいつまでも続いたりはすることはありません。戦いは避けられないと考えておくべきです。とはいえ、今のガロアンディアンが二正面作戦を実行するのは無謀としか言いようがありません。地上と地獄、双方と全力でぶつかり合えば圧殺されるだけ。しかも、その状況を誘発させて利益を得たい第三者からの介入も有り得ます」

「厳しいな」

「ええ。トリシューラはあれでかなりの秘密主義者――というか上位の自分が何を考えているのか、トリシューラ自身にもわかっていないふしがあるので、その思惑は不透明ですが――どうするつもりなのやら」

「とにかく、まずは地盤を固めて、それから第四もしくは第六に攻め入るって感じか。コルセスカの目的を考えたら地上側とは休戦したまま、第六、第七と侵攻していくのが一番いいんだろうが――問題は二つの階層をガロアンディアン領にすることを上が認めるかどうか、だよな」

 頭が痛い所だ。
 さくさく国土を拡大していければトリシューラの存在強度が増大して目的に近付くはずなのだが、周囲がどう動くかも考えて対処していかなければならない。

 そうした問題を考えると、太陰の王族であるというハルベルトやドラトリアの王族であるリールエルバとの関係性を深める事はやはり必要不可欠なのだ。
 トリシューラが上手くやっていてくれればいいのだが。

 俺は外交だとか交渉だとかいった細々とした事はわからないので、こうした実務面は全てトリシューラに委ねるしかない。
 その事が、少しだけ歯痒かった。
 コルセスカは、少しだけ声を和らげて言った。

「まずは、出来ることからやっていきましょう? まずは目の前の敵をなんとかしないといけません」

 確かにその通りだ。まずは当面の敵をどうにかしないことには、領土を広げるなんてことはできないだろう。
 それどころか、ハルベルト勢力が望んでいる第五階層での呪術儀式――ライブを行う事すらできない。

 国内の状況を一刻も早く安定させること。
 トリシューラを助けようと思うのなら、まずはそこからだ。
 氷の瞳と視線を交わして、意思を共有する。あの、普段は優秀なのに想定外の事態に直面すると途端に頼りなくなってしまう女王陛下を、俺たち二人は支え続けると決めていた。

 俺たちは感情を共有して、目的を共有している。たとえ本来は競い合い、排除し合わなくてはならないのだとしても構わない。
 トリシューラとコルセスカの力になる。
 それが俺の、そして二人の望みだ。

 話題は段階的に移り変わっていく。
 当面の目標ははっきりとしている。【変異の三手】と【死人の森】を倒すこと。
 しかし、これまで対峙してきた【変異の三手】の副長たちはいずれも強敵揃いだった。

 とりわけ、三人の副長の一人にして【死人の森の女王】でもあるディスマーテル・ウィクトーリアという魔女の強さは別格だった。
 この上まだ四英雄が控えているとなると、かなり厳しい戦いを強いられる事になるだろう。

 そこで、コルセスカは一つの対策を用意した。
 実を言えば、俺たち二人はずっと徹夜でその対策を練っていたのである。
 もちろん、ゲームしながらだ。
 ふざけているわけではない。コルセスカは常に本気だ。

「しかし、こういうゲーム――なんというかその、凄いな、色々」

「わりと有名な伝承ですからね。丁度、原典を下敷きにしつつかなり細部に拘ったつくりの伝奇ものがあったので、勉強も兼ねてと思いまして」

 コルセスカが用意したゲームはいわゆるロールプレイングゲームというジャンルのもので、実際の伝承が元ネタになっているらしい。
 その伝承というのが【死人の森の女王】なのだった。

 主人公である【死人の森の女王】――名前は変更可能らしく、コルセスカは実名でプレイしていた――を操作して、彼女が辿ってきた物語を追体験するというゲームで、ほとんど『史実』に近い筋書きとのことだった。

「つーか、六人の仲間が全員超絶美形の男で一人一人に個別エンディングがあるってこれ、女性向けな感じなんだが、史実なの? マジで?」

「多少の脚色はありますし、古代の伝承なので正確性には疑問がありますが、一番確からしいとされているストーリーがそれですね。あと、女王ですから側室や後宮くらい普通です普通」

 そう言われると確かにそうだな、と納得させられるものがある。
 ゲームの中では、最後に六人のうち一人と主人公が結婚し、子供と幸せに暮らしたという定番の締め括りが六通り存在していたが、史実だとどうなっているのだろうか。

「諸説有りますね。全員と結ばれるパターンが私の前世記憶では一番有力っぽいですけど、願望とか妄想補正が入ってそうなのであんまり当てにはなりません」

「そういや、前世かもしれないんだっけか。本当に前世の記憶なのか後付けで作りだした妄想なのか区別がつかないってのも厄介な話だな」

 まあ、『前世の記憶』なんてその程度ものと言ってしまえばそれまでだ。
 俺の前世だって本当にあるかどうか確かめたわけではない。失われた機械義肢やサイバーカラテだって実はこの世界の産物かもしれない。

 前世との通信はずっと途絶したままだし、実は俺自身こそが転生者だと思い込んでいるこの世界の住人という可能性もありうる。

「前世の自分がまだ生き続けてるってのも妙な話だな――いや、不老不死ならそういうこともあるか」

「というより、彼女が厳密な意味で『生きている』のかどうかも微妙なところです。それこそ一なるキュトスのように、『死が存在しない』というだけかもしれませんし」

 ゼドから地母神がどうのこうのという講釈を聞いた時にも思ったが、どうも【死人の森の女王】とやらはコルセスカたちキュトスの姉妹と縁が深いような気がする。こうして敵対することになったのも、恐らく偶然ではあるまい。

「そう、彼女の記憶――らしきものは、私の中に少しだけあります。それが幾多の伝承から読み取って解釈し直した私の妄想なのか、本当の彼女の記憶から流れ出した想いなのかはわかりません。ただ、予備知識として知っておけば何かの役に立つかもしれません」

 コルセスカはそう言って、自らの前世について語り始めた。
 それは【死人の森】の伝承とは少しだけ異なる、【銀の森】というバリエーションの一つだ。

「断片的な記憶。冬の森の中で、ずっとずっと、誰かを待ち続けている。ああ、でもひょっとしたらこれは別の私だったかもしれない。冬の魔女の伝承は、待つ話がとても多いから。それこそ、悠久の時を。長い長い冬を終わらせてくれる誰かをずっとずっと待ち続ける」

 誰かを待つというイメージが、俺の中で【松明の騎士】に繋がる。
 冬の魔女が待つ『誰か』とは運命の相手に他ならない。
 しかし、コルセスカはこれを否定した。

「いいえ。確かに、多くの伝承が『そう』であることは否定しませんが、これだけは違います。何故かと言うと、銀の森の伝承の中には迎えに来た松明の騎士を『人違いだ』と言って追い返すエピソードが存在するからです」

「――運命の相手じゃなかったのか?」

「そこが、銀の森の魔女伝承の難しいところでして。冬の魔女伝承と死人の森の女王伝承の双方と微妙に似通ってはいるのですが、どちらとも異なるのです」

 常に雪を被っていることから銀の森と呼ばれるその地の奥深くに、一人の魔女が住んでいると言い伝えられている。

「第二巡節の終わり。貴方にも馴染みのある暦で言えば、冬が最も深まる二月。始まりの前の終わり、生の前の死を象徴し、あらゆる罪を浄化される『世界の最果て』で、『私』は来るはずのない誰かを待ち続けている」

 彼女は誰かを待つ。
 ただひたすらに、待ち続ける。
 その在り方が、どうしてか胸に迫るような気がして――すぐにその理由に思い至った。

 愚直に誰かを待ち続ける。
 放棄された第五階層でひたすらに『約束』を盲信し続けるかつての俺と、その魔女のイメージが重なった。

 繰り返し繰り返し、悪夢として見せつけられた。
 アズーリアは来ない。そうだと分かっていても、約束を忘れられずにいた。
 コルセスカとトリシューラに出会わなかったら、俺は今でもああして屑のような生活を送り続けていただろう。

「――待ち人は、多くの伝承で語られる松明を掲げる聖騎士ではなく、名前も知られていない『悪魔』であるといいます。ゆえに、その伝承は『正しくない』とされ地上ではあまり好まれていません。邪悪な魔女が、聖なる騎士によって正しい道に引き上げられるというのが大神院が推奨する物語ですから」

「そんな話があるのか――冬の魔女の伝承なら俺もある程度検索して調べたけど、ほとんどが松明の騎士と結ばれるものばかりだったから、意外だ」

「ええ。ですから私は、この本当に私のリソースなのかどうかわからない話が好きです。一本道のストーリーよりも、選択の余地があるマルチエンディングの方が、やりがいがあるでしょう?」

 ルート分岐条件が困難であればあるほど、挑む楽しさもひとしおなのだと、またしても訳の分からないことを――けれど真剣に口にするコルセスカ。

「もっとも、この伝承は幸福には終わらないのですけどね。魔女は待ち人とは出会えず、銀の森の奥深くに消えていく。それがこの物語の結末――いいえ、結末とすら呼べない、物語未満の断章なのです」

 そこまで曖昧だと、さすがにまともな判断材料としては使えそうにない。
 ふと思いついたことがあったが、はっきりと言葉に出す事は躊躇われた。

 松明の騎士と結ばれないという伝承があるのなら、今のコルセスカもそれを参照することで別の運命を選び取れるのではないか、なんて。
 余りにも不確かすぎるその思考は、俺の願望でしかない。

 話の広がりも見込めなくなってきた所で、ひとまず二人で朝食の準備をしようと部屋を出ようとする。
 その時だった。

 ぐらり、と視界が傾いだ。
 床を踏みしめる足が正しく前に運ばれていくという感覚が消失して、全身を襲う倦怠感のようなもので意識が朦朧としていく。
 身体の自由の一切が失われて、受け身もとれずにその場に倒れ込んだ。

 コルセスカの声もどこか遠い彼方から聞こえてくるようだ。
 感じるのは、冷たさだけ。
 コルセスカの傍に一晩中いたことで、その感覚にはすっかり慣れきっていた。

 だから気付くのが遅れたのかも知れない。
 彼女から身を離して、暖かい飲み物を口にしても、身体を包む寒気は消えることが無かった。身体は既に不調を訴えていたのだ。

 感覚を切り離せるがゆえに、肉体の不調をある程度まで無視して行動できる俺だが、限界ぎりぎりまで動き続けた結果がこれだった。
 痛みや苦痛に鈍くなっている弊害である。

 普段ならちびシューラが体調を完璧に管理してくれているのだが、現在ちびシューラは敵の攻撃を受けて停止中で、本体とも同期不可能な状態だ。
 苦痛などのシグナルを受け取っているコルセスカは、そうした痛みに慣れっこなのか、許容できる範囲が広いのか、俺の状況に気づけなかった様子だ。

 それとも、もしかしたら俺と一緒に過ごす時間が、子供のように夢中で遊ぶ時間が楽しすぎて、俺の不調なんて些事が意識に入り込む隙間が無かったのかもしれない。だとすれば、それはそれで少し嬉しくもあった。

 身動きがとれないまま、わりと余裕のある事を考えている俺に取り縋って、コルセスカが悲痛な声で謝罪を繰り返していた。

「私が真っ先に気がつかないといけなかったのに、楽しくて、夢中になって、自分のことばっかり考えていて――最低だ、私。ごめんなさい、アキラ、本当に――」

「いい――俺も迂闊だった」

 コルセスカは冬の魔女。
 防寒対策も無しに冬の手に抱かれれば、体調の一つも崩そうというものだ。
 それはそれとして、今は呪術医であるトリシューラが不在だ。
 となると、必要な人手は一つだ。

「とりあえず、医者を呼んできてくれ――」

 情けなくも倒れ伏し、息も絶え絶えにそう頼み込む俺だった。




「四肢の厥冷けつれい、下痢、嘔吐、陽気の衰え――ふむ、寒邪だな。陰気を強引に用いたことで、臓に帰属する経絡が痛んでいたのだろう。そこに冬の魔女殿の強烈な陰気を浴びればこうなるのは必然と言えよう」

 寝台に横たわった俺の身体の各所を触診したカーインは、不安そうなコルセスカとは対照的に落ち着いた口調でそう言った。
 六淫操手りくいんそうしゅの字を持つこの男は、トリシューラとは別系統の『杖』を修めた呪術医でもある。

 レオの護衛として巡槍艦に滞在しているカーインはコルセスカの呼び出しにすぐに現れた。
 手際よく診察を行い、薬湯を与えてくれたことには感謝しなければならないだろうが、どうにも居心地が悪い。

 立場上敵対関係ではなくなり、すっかり馴れ合いめいた空気が生まれてしまってはいる。しかし、こうして明確な借りを作ってしまうのはあまり好ましくないように思えてならない。

 それもこれも、第一印象と、度重なる敗北経験のせいだろう。
 両腕が揃った状態での立ち会いは何度か行っており、そこそこ白星をあげてはいるのだが、初戦、そして二回目の戦いのような命を賭けた殺し合いはしていない。

 レオが望まないことをあえてしようとは俺もカーインも思わない。
 だが、その一方で、水入りになった第六階層の戦いの続き――全身全霊の命の取り合いをしてみたいという欲望も確かに存在しているのだった。恐らく、カーインもそれは同じだろう。

 だが、目の前の男はそんなことはおくびにも出さない。
 やはり、居心地が悪い。

「なんかもっと手っ取り早く治せないのか。いつかみたいに点穴とかなんとか言う技で一発で回復するとか」

「できないこともないが、今の君には負荷がかかりすぎる。麻痺などの後遺症が残る可能性があるが、構わないだろうか?」

「遠慮しとく」

 世の中そんなに甘くはない。
 大人しく静養しているしかないのだろうが、しかしそうなると困ったな。

「どうするかな、今日。休むしかないか」

「それが賢明だろう。君と立ち会う機会が減って残念だ」

 トリシューラに留守を任されているというのに、何とも情けない限りだ。
 今日の予定が崩れてしまった事を確認しつつ、後の事をマラコーダを始めとした道場の面々に頼もうと、枕元の端末を手に取る。

 その時、部屋の隅で丸椅子に座って悄然としているコルセスカが目に入った。
 俺から可能な限り離れようとしているのだが、それでも心配で部屋から出て行くことはできない――彼女の思考を推測するとこんな所だろうか。

 どうやら、俺が体調を崩したことに対して責任を感じてしまっているらしい。
 冬の魔女コルセスカは全身に膨大な冬の呪力を帯びている――呪われた身に寄り添い続ければ、その負荷は脆弱な俺の身体を損なってしまう。

 俺は呪術に対する抵抗が低い。
 それゆえに呪力の伝導効率が良く、呪的発勁をこれ以上無いほどに使いこなせる。しかし、これは一歩間違えば内側から俺の全身を破裂させかねないほど荒っぽい、繊細な取り扱いが求められる技術だ。

 付け焼き刃で摸倣したカーインの内功。
 それによる負荷は人工乳房に集中させて逃がしたはずだが、完全にノーダメージとはいかなかったらしい。俺の体内の『経絡』なる代物は大分傷んでいたのだ。何だそれリンパ系の仲間か。

 更に言えば、普段は春の魔女であるトリシューラが俺の恒常性の維持、つまり新陳代謝を完璧に管理しており、コルセスカの強大な呪力を中和してくれているというのもある。

 トリシューラの不在、内功を無理に使ったことの反動、そしてコルセスカとの長時間の過剰な密着。
 これらの積み重ねによって、俺の肉体は限界を迎えてしまった。
 何の事はない、タイミングが悪かっただけ、俺の自覚が足りなかっただけだ。

 だから、コルセスカがあんなふうに落ち込むことは無いのだが――。
 俺とカーインは、恐らく同時にぎょっとしてしまったと思う。
 コルセスカが、俯いたまま左目からひとしずくの涙を零していた。
 銀色の雫が凝固してぽろぽろと床に転がっていく。

「確か人参養栄湯があったな――薬を取ってこよう。私は600秒ばかり席を外す。見つからずに少し長引くかもしれないので、何かあれば端末に連絡したまえ」

 カーインからの、「何とかしろ」という言外の催促を感じる。もちろんわかっているが、どうしたものだろう。
 二人きりになった室内は静謐さに満たされてしまう。この中で、どんな言葉が適切なのかなんて、もちろん俺にはわからない。

 コルセスカは全身をばらばらにされても、使い魔のあらゆる感覚を引き受けても平然としていられるような超人だ。
 体調を崩している俺の苦しみは当然彼女に伝わっているだろうが、だからといって彼女が泣き出すとは思えない。

 不死なるコルセスカにとっての痛みや苦しみとは、自分ではなく他人のそれなのだと、以前トリシューラから聞いた。だとすれば、彼女があんな風に涙を零している理由は自ずと明らかになる。
 コルセスカは俺の痛みと苦しみを想って泣いているのだ。

 今すぐに起き上がって、彼女の傍に行きたいと思う――しかし倦怠感に包まれた肉体は上手く動いてくれない。
 感情を通して漠然とした意思だけが伝わったのか、コルセスカは俺の方を見た。
 青い左目が、不安定に揺らぐ。遠ざかったまま、か細い呟きを漏らす。

「私、貴方のことをきちんと案じることができていませんでした。ただ独り善がりに、自分の望みを押しつけただけ。その上、こんな風に貴方を傷つけてしまって、もうどうしたらいいか。私に、貴方の傍にいる資格なんて無いんです」

 俺は、先程までの時間が悪いものだったとは思わない。
 むしろコルセスカは、俺の感情を読み取って先回りした行動をしたようにも見えるが――重要なのは本人の認識と、結果だ。

「コルセスカ、自分を責めすぎだ」

「いいえ。だって私、最低な事を考えてます。これは貴方が思うような、優しさとか共感とかじゃない――ただの独善です」

 凍ったような表情で、コルセスカは絞り出すように言葉を発する。
 か細い声だというのに、喉を痛めそうなほどに悲しげな力が込められた音。

「私は、アキラが倒れた時、こう思いました。『やっぱりトリシューラがいてくれないと私たちは駄目なんだ』ということと、『トリシューラがいなくて良かった』ということの、二つを」

 前者はわかるが、後者がよく分からない。
 不可解な気持ちが伝わったのかどうか。
 コルセスカは自嘲するように呟いた。

「だって、そもそもトリシューラがいれば貴方が私の呪力に侵される事なんて起こらない。仮にそうなっても、呪術医のトリシューラがいればたちどころに体調は快癒するでしょう。そうしたら、私は貴方の苦しむ姿を独り占めできない」

「それは――」

「みっともないでしょう? 本当はあの子のほうが貴方には相応しいのに。あの子には貴方しかいなくて、私にはサリアとアルマがいるのに。こんな風に執着して、独占欲を剥き出しにして、挙げ句の果てにはカーインにまで嫉妬して」

 コルセスカを、過度に理想化したつもりは無い。
 しかし、『そのつもりは無い』だけで、実際の俺は彼女に余りにも大きな期待を寄せていたのではないだろうか。
 そしてそれは、感情を通して彼女に伝わっていたのではないか。

 コルセスカが吐露した内心は、ごく普通の心の働きであって、何ら咎め立てされるようなことではないと俺は思う。
 むしろそうした欲求を向けられていると知って少し気分が安らいだくらいだが、その事自体に彼女が苦しんでいるとすれば話は別だ。

 どうにかして、彼女の自責を取り除きたい。
 だが、その為には俺たちの間に横たわる距離は遠すぎる。
 コルセスカは俺を案じて離れていく。狭い一室の端と端。手では触れられず、けれどその氷の瞳には映り込むだけの距離。

「私は、本当は邪悪な性根をしているんですよ。独占欲や執着心が強いだけじゃないんです。誰かを意のままにしたい、ほしいままにしたい、支配したい、屈伏させたい、自分の庇護下に置いて管理したい、その人が苦しんで、悶えて、悩んで、悔やんで――そんな姿を眺めていたい。そんないやらしい衝動が、ふとした拍子に浮かび上がってくるんです」

 その時、刺激される記憶があった。
 既視感――あるいは、既知感、だろうか。
 コルセスカの独白に、何かが重なる。 

「苦痛に歪む顔が好き。自省を怖がる表情が可愛らしい。歩いてきた道を恐る恐る振り返るような自信の無さが愛おしくてたまらない。自分ではないものに拠り所を求めようとする弱さを抱きしめてあげたい」

 瞬間、コルセスカに違う魔女の姿が重なった。
 蜂蜜色の髪と灰色の瞳、死したる屍と生ける美貌の魔女。
 白銀の髪、青の瞳、氷の義眼と煌めく美貌――似ていない、ようでいて、よく見ればどことなく顔立ちの雰囲気に共通点があるような気がしてくる。

 後付けの感覚かもしれない。
 左右非対称な異相のせいで今まではっきりと意識した事は無かったが。
 コルセスカとディスマーテル・ウィクトーリアという魔女は、どこか似かよった所がある。

「夢を見るんです。前世の夢。色々なバリエーションがありますけど、銀の森の夢を見た後は、決まってこういう気持ちになります。私が私では無く、何か別のものになってしまうような、そんな感覚があって、とても怖くて――いいえ、私のことなんてどうでもいいですね」

 前世の因縁。
 コルセスカの参照元。
 二人の魔女は同じなのか、それとも。

「前に、調教だとか躾けるだとか言ってたのは、サリアの影響だけじゃなかったんだな」

「ええ。サリアの狂気で不安定になると、抑え付けていたものが意識の表層に浮かんでくるんです。以前、トリシューラが貴方に犬の餌を与えた事を咎めたでしょう? あれは、自分の中の嗜虐的な感情を誤魔化す為で――そして、あの子に嫉妬したからでもあるんです。本当に駄目ですね、私」

 本性、性癖、性質、性向――それが前世によって定められたものだというのなら、コルセスカに選択の権利など無い。
 それを咎める権利が誰にあるというのだろう。

 それでも、彼女はただ自分の内心を恥じていた。
 おそらくは、自らを律する為だけに存在する心の中の法に基づいて、自罰的になっているのだ。

「私は、こんな風に醜い自分が、赦せない」

「俺はそれでもいい」

 頭だけを横にして、コルセスカを真っ直ぐに見据えて言った。
 頼りなげに揺れる青い瞳。
 見返してくるコルセスカの目は、幼い少女のように思えた。

「全部受け入れる。使い魔になると決めた時から、お互いにそういうことになってただろう。だからいいんだ。俺はコルセスカのそういう所も好ましいと感じている。なら、少なくとも俺の前でだけは自分を責める必要は無い」

「でも、私は貴方を傷つけて」

「俺だって痛みも苦しみも全部コルセスカに預けてるだろ。傷つけてる度合いで言えば圧倒的に俺の方が上だ。むしろコルセスカはもっと俺を痛めつけないと帳尻が合わない」

「そんなこと!」

「そもそも浅ましく嫉妬して独占欲剥き出しにしてたのもお互い様だ。コルセスカの欲望は特別に恥ずかしいものじゃない。俺だって持ってるし、他の連中だって大小の差はあっても似たようなものだろう」

 それが卑しいものだというのなら交換可能。
 ありふれたものだというのなら代替可能。
 つまりは、価値を定めることができる。

 俺たちのこの感情が罪だというのなら、刑の量定を行ってしかるべき贖罪をしなくてはならないだろうが、加害者も被害者も、法を定めるのも全ては俺たち二人。
 俺たちの内心と、俺たちの関係性の中だけで起きた問題だから、相手に働きかけることでしか贖罪はできない。

 どこかで合意を形成して、許し合って、約束を交わさなければならない。
 関係を破綻させないために。維持していくために。
 俺には、コルセスカが自分を赦せないと思う感情も、前世から浮かび上がってくる欲望も、どちらでも受け入れる用意がある。

 それは誤魔化しだったのかもしれない。
 『どちらが彼女なのか』という問いに、俺はまだ答えを出せていないからだ。

 俺が感情を制御して決断をアウトソーシングしたシナモリ・アキラであるのか、それとも剥き出しの『誰か』――今となってはコルセスカと、恐らくはトリシューラしか知らない前世の俺――であるのか。

 【E-E】を失ってもコルセスカが感情を制御してくれて、トリシューラに行動と決断を委ねているからこそ俺はシナモリ・アキラでいられる。
 だから俺は何度転生しても、二人がいる限り俺のままだ。

 ならば、同じように転生者であるコルセスカを『コルセスカ』たらしめるものとは、一体なんだろう。
 そうだと彼女自身が確信できるものとは?

 無理矢理に身を起こそうとして、失敗する。
 寝台から転げ落ちそうになって、慌てて駆け寄ってきたコルセスカに支えて貰う。冷気が肌を刺して身を震わせた。後悔するかのように息を飲むコルセスカが身を離そうとするのを、両手の義肢を機械的に動かして掴んだ。

「楽しかった。だから、さっきまでの時間を否定しないで欲しい」

 俺が体調を崩したのは、子供みたいに徹夜でゲームなんかしたからだ。
 生後一歳にもならないとは言っても、いつまでも若いままではないのだから、こうなってしまうのも無理は無い――そういうことにしておこう。

「私も――私も、楽しかったです。また、貴方と、一緒に」

 それ以上は言葉にならなかった。
 凍り付いた涙を氷の右手で受け止めて、指先を彼女の頬に伸ばす。
 そして、当たり前の事実を、当たり前のように伝えた。 

「コルセスカがいないと、生きていけない」

 青い目がゆっくりと見開かれていった。
 視線が一瞬だけ逸れて、恐る恐る、こちらを窺うように瞳が向けられる。
 目と目が合う。
 掠れた声で、出来るだけ優しく言葉が伝わるように言った。

「だから、傍にいる資格が無いなんて言わないでくれ」

 コルセスカは言葉も無く小さく頷いて、そっと俺から身を離した。
 そして、何かを決意したように告げた。

「アキラ。私、貴方にしたいことが――してあげたいことがあります」 

 そして、彼女は一つの提案をしてみせた。
 その内容には少しだけ驚かされたが、それも心地良い冷たさの中に消えていく。
 穏やかな心でそれを受け入れた。

「ゲームをしましょう、アキラ。とある呪術儀式、その作法に則って、アキラの苦痛は私が責任を持って取り除く。ゲームの名前は、呪術儀式を参照して――そうですね、【星見の塔トーナメント】というのはいかがでしょうか」

 少しだけ調子を取り戻したコルセスカの左目からは、もう銀色の涙はこぼれ落ちることはない。



 もちろん、カーインが最初に指定した600秒なんてとっくに過ぎていた。
 端末で連絡すると待ちかねたように現れた奴は貧血と滋養強壮の薬を手にしていたが、俺たち二人を交互に見ると溜息を吐いて、あろうことかこのようなふざけた事をぬかした。

「悪いが、流石にその病に効く薬は無いな。時が経つのを待つか、二人でどうにかするといい」

「コルセスカ、俺の代わりに殴ってくれ」

「任されました。ではロウ・カーイン。氷柱がいいですか。右目がいいですか」

「待て、それは殴るとは言わないだろう――!」

 最後が締まらないのも、何というか俺たちらしいというべきか。
 朝日に煌めく氷の瞳が、心なしかいつもより美しく見えた。






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