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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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4-3 王国


「それでは失礼しますね」

 と、ラズリ・ジャッフハリムは一礼してその場を立ち去ろうとしたが――思い直したように振り返って俺の方に駆け寄ってくる。

「先程、少し霊的侵入への防御に難儀なさっているように見えました。余計なお節介とは承知の上ですが、なんだか心配です。レゴンを一体お貸ししておきますね」

「いえ、悪いですよ」

 主に俺の心臓に。
 店員さんの影から剥離した異形の怪物がげらげらと笑っている。
 これ、俺が喰い殺されるんじゃないだろうか。

「この子たちは沢山いるので、気持ちばかりなんですが――それじゃあ、代わりにそこのお茶請けのお菓子をいただけませんか? わたくし、甘い物に目が無くて」

 ああ、そういう解釈をするか。するよな。
 焼き菓子を渡すと、店員さんはいきなりその場でぱくつき始めた。唖然としている内に全て平らげてしまう。早い。そしてかつて無いほどに上機嫌だ。これ単にお菓子欲しかったから口実で使い魔貸し出しただけなのでは。

 非常に幸福そうな表情を見ていると、まあいいか、という気分になってきた。意地汚い店員さんも可愛らしい。
 なんにせよ、彼女の好意を無碍にはしたくない。同じカード型端末の特性を活用して、データ通信によって召喚獣をこちらの端末の一枚に送信してもらう。

 とその時、彼女は何を思ったのかはっとして、

「レゴンをお貸しするかわりに、お菓子をいただく――日本語だと音が重なって――っく、やだ、くすくす」

 あ、何かツボ入ったっぽい。
 口をおさえて爆笑している姿を見ていると和むが、トリシューラの冷ややかな目が非常に恐ろしい。

 日本語は現在第五階層を発信地とした『流行言語』だ。
 漢字がプリントされた衣服がお洒落だとされ、トリシューラが立ち上げたファッションブランドであるドーラーヴィーラが関連商品を次々と生み出している。
 表意文字なので呪術を使う際には効率がいいとかなんとか。

「――し、失礼しました。姉を待たせているので、わたくしはこれで」

「はい、それでは、またいずれ」

 去っていく店員さんは思い出したように「おかし、おかしい――ふふっ」などと肩を震わせているが本当に大丈夫かあれ。

「姉、ねえ」

 ぽつりとトリシューラが呟く。
 ラズリ・ジャッフハリムには双子の姉がいるらしい。トリシューラとしては何かしら思うところがあるのだろうか。

 とりあえず、軽作業用ドローンに荒れた天幕内を整えさせる。
 幸い運ばれてきた夕食は無事のようだ。
 一悶着あったものの、どうにか二人で食事ができると思ったその時。

(はぁい、首尾良く撃退できたみたいねーざんねーん死ねば良かったのに)

 突如として思考に割り込んでくる声があった。
 ちびシューラを押しのけて、俺の視界のど真ん中に出現したのは緑髪に赤い瞳の少女。縮小されていても均整のとれた肢体が美しい。ていうか全裸はちょっと目に毒だ。おまけに目を閉じたり逸らしたりしても視界の中心に表示される視界ブラクラ仕様。嫌がらせ、いやご褒美かこれ。

(あら、ありがとう。トリシューラの使い魔なんてやめてこっちにこない?)

(シューラの使い魔なんですけど? 勝手にアキラくんの思考読むのやめてよね、この変態露出狂)

(は、黙りなさいなメンヘラコスプレイヤーが)

(なんちゃって吸血鬼のくせに!)

(張りぼて人狼のくせに!)

 出てくるなりちびシューラと取っ組み合い引っ掻き合いの喧嘩を始めた彼女の名前は、リールエルバ。なんか長ったらしい貴族としての名前があったらしいが忘れた。トリシューラによって呪具への移行と復旧作業が進みつつある脳内侵襲端末を操作して、ネームタグを検索――出てきた。リールエルバ・ヴォーン・アム=オルトクォーレンだ。長い。

 彼女の事は、トリシューラから『協力者』だと聞いている。三ヶ月前から激増したという『ドラトリア系夜の民』なる種族の権力者だとか。
 リールエルバの祖国、ドラトリアは政情が不安定で、槍神教の支配に抵抗して地上で孤立していたらしい。

 そんな中、三ヶ月前の『事件』が勃発した。
 第一階層のエルネトモランにドラトリア系夜の民――つまりは吸血鬼たちが大量に生まれる(感染する?)という事態になり、地上は大混乱に陥ったという。

 感染したのは市民だけではなかった。松明の騎士団の主力部隊や、槍神教や政府の高官たちまでもが吸血鬼化してしまったのである。

 当時、吸血鬼は『異獣』とされていた。
 しかし、エルネトモランに溢れかえった吸血鬼たちの数と戦力は、下手に排除しようとすれば手を噛まれる程度では済まない。

 『人』と『異獣』を峻別してきた槍神教の権力者たちは、自分たちが排除される側になってはたまらないと公式に吸血鬼たちを『人』であると認めることになる。

 リールエルバは吸血鬼が異獣とされてからずっと地下で『保護』されていたドラトリアの正統な王族であり、吸血鬼が公的な権利を認められたタイミングで表舞台に姿を現した。

 そして、ドラトリアはガロアンディアンと『国交』を持つことになった。
 第五階層の新国家ガロアンディアンなどと言っても、それはトリシューラが勝手に主張しているだけだ。第五階層の中でさえ万人に認められているわけではない。

 だが、わずかな承認さえあれば、それは呪力となって現実に影響力を及ぼす。それがこの呪術世界の理だ。
 ありとあらゆる種族が雑多に入り乱れるこの混沌とした階層には、既に一定数の吸血鬼たちがいた。

 世界槍の内部で孤立していたガロアンディアンと、地上の内部で孤立していたドラトリア。
 両国が相互に国家として承認し合い、それに槍神教が吸血鬼の眷族種復帰を認めたことで、不安定な両国の存在は事実上黙認されることになったのだ。

 地上で絶大な支持を受けている歌姫Spearが好意的な見解を示し、四英雄の一人コルセスカがやや特殊ながらも一応は『吸血鬼』であるという素性を明かした事も世論に影響を与えたらしい。

 トリシューラとリールエルバはいわば一蓮托生の運命共同体。
 片方が倒れればもう片方も倒れるという両輪あるいは両翼。
 なのに、何故こんなにも仲が悪いのか。昔色々あったらしいが、二人ともその事は頑なに語ろうとしない。

 とりあえず、話を進めないと始まらない。
 高速化された思考の中で疑問を提示する。
 このタイミングで出てきたということは、先程の修道騎士による暗殺にはリールエルバが関わっていたということだろうか。

(一応同盟を結んでいるのに、ごめんなさいねえ。強硬派を抑えきれなくって。でもね、あのくらいなら大丈夫だろうという信頼に基づいた判断ではあるのよ?)

(失態を演じたわりに態度でかすぎなんですけど? でかいのはウシチチだけにしとけってのー)

(あら嫉妬? 見苦しいわよこの貧乳)

(でかいのは乳輪だけにしとけっての)

(で、でかくないわよ普通よ! ほ、ほんとよ? ディティール不可視化してて見えないからって疑ってるでしょう、いいわよみ、見せ――って、できるわけないでしょ! うわーん、ニアー! トリシューラがいじめるー! 自尊心高いたかーいしてー!)

 何故こいつらはやたらと攻撃的なくせに異常に打たれ弱いのか。ていうかちょっと罵倒の品が無さ過ぎる。こいつのこういうところ、正直どうかと思う。
 あーほら反撃されて今度はちびシューラが涙目になってるし。
 適当に宥めて軌道修正させる。

(こほん。改めまして、報告のお時間よ。もう一度謝罪しておくわね。今のは私の方の手落ち。侵略派と聖絶派で足を引っ張り合ってる間は大丈夫だと思ってドラトリアに戻ってたら、病院修道会の親キロン派が機会を窺ってたみたいなのよね)

 ああ、それでキロンの仇とか言ってたのか。
 あの男はやはり人望の厚い英雄だったのだと改めて思い知らされる。

(今回の襲撃が失敗したことで、しばらくは松明の騎士団からのちょっかいは大人しくなるはずよ。ただ、複合巨大企業群とか探索者協会の方までは抑えきれないから注意してね。特に最近、【変異の三手】と【憂国士戦線】の動きが活発化しているって話を耳にしたから)

 リールエルバが言及したのは、四英雄の残り二人が率いる探索者集団のことだ。
 企業に所属する私兵集団と、国家の連合体に所属する公務員たち。
 ガロアンディアンに多い『無法者』的なイメージが強い探索者とはまた一風違った雰囲気の連中だと聞いている。

(それと、今ちょっとエルネトモランまで来ているんだけど。【鬼火】の部隊を動かしてそっちの方に向かわせたからよろしく。トリシューラが不在の間、第五階層の防衛に当たってもらうわ)

 ――うん?
 松明の騎士団序列十三位、【鬼火】のバル・ア・ムントは三ヶ月前に激増した吸血鬼系の修道騎士の筆頭にして、親リールエルバ派のとりまとめ役である。
 リールエルバ直属の兵隊の中では最も優秀な精鋭のはずだが、それをガロアンディアンに派遣して、交代でトリシューラが地上に行く?

「トリシューラが不在の間って、何だそれ。聞いてないぞ」

 思わず肉声でトリシューラに訊ねてしまう。
 すると彼女は、

「あっ、言うの忘れてた」

 などと手をぱちりと合わせて答える。

「おい」

「ごめーん。今度、言語魔術師試験で太陰イルディアンサに行かなきゃなの。というかそれは口実で、地上で会談とか直接顔出さなきゃいけない用事があって。しばらく空けるからお留守番よろしくー」

 言語魔術師試験?
 何だそれ。国際規格の資格試験みたいなのがあるのか。

(正解よアキラ。ちなみにそこのトリシューラは準一級言語魔術師。私は一級言語魔術師! 同時に受験するから、私が合格したら上級言語魔術師になってもーっと差が開いてしまうわね)

「無理無理。上級言語魔術師ハイストーリア試験ってここ百年くらいで三人しか合格者出てない頭おかしいやつだもん。リールエルバ、そう言って毎年落ちてるじゃん」

(何よ、そっちだってずーっと準一級止まりのくせに! それに今年こそ上級受かるわよ! ハルベルトに出来て私に出来ないなんてあるわけない!)

「ブラックとライムは別枠の変態だってば。寄り道してないで使い魔系統の支配力を磨けばいいのに」

 何かよくわからない話をし始めたが、まあ必要なことならやむを得まい。
 しかし、使い魔である俺を連れて行かずに大丈夫なのか。
 地上には未だにトリシューラを狙う勢力が犇めいている。月まで行くとしても、その途中で襲撃されないとも限らない。

「大丈夫だよ。アキラくんと会う前だって一人でやってきたし。むしろ、二人いっぺんにここを空ける方が良くないでしょう。それに、どうせヲルヲーラのラベルが残ってるから転移門がアキラくんを認証しないよ」

「そうだけど、万が一ってこともあるし――」

「アキラくん、私を守ってるって実感が欲しいの?」

 口を噤む。
 お前の忠誠は相手の都合を考えない自己満足かと問われてしまえば、口を閉ざすしかない。だが、その論法は卑怯ではないか。
 苛つきを冷たい感覚が消去していくが、胸から凝りのようなものが消えない。

「私が手の届くところにいないと寂しいのかな? ママが恋しい赤ちゃんみたいに? それとも私を縛り付けて監禁でもしてみる?」

「分かった、俺が悪かった。月でも地上でも好きな所に行けばいい。ただ、無茶はしないでくれ」

 こうなるともうお手上げだった。
 真正面からトリシューラに口で勝つのは無理だ。俺の弱いところを把握しきっている彼女はこういういやらしい点を正確に突いてくる。

 第四衛星イルディアンサはあらゆる勢力から中立を保っており、全世界が不可侵の協定を結んでいるとのこと。
 会談を行うのはうってつけの場所だ。

 そこで、トリシューラは地上の勢力――特に末妹候補の一人、黒血のハルベルト――歌姫Spearと対峙するらしい。

 三ヶ月前――俺は『事件』のあらましを知り、そして俺がトリシューラとコルセスカの使い魔になるのと時を同じくして、恩人であるアズーリアがハルベルトの使い魔になったことを知った。

 その事を知ったときの衝撃は筆舌に尽くしがたいが――幸い、と言っていいのだろうか。トリシューラとコルセスカの二人はハルベルトと積極的に敵対するつもりはないらしい。

 それも、『今の所』という但し書きが付く。
 最大の敵であるトライデントを打倒した後、最終盤となれば後は各々の目的を達成するために全力を尽くすのみ。

 トリシューラは積極的な妨害合戦をしている余裕は無いと言っていたが、未来などその時になってみないとわからない。
 状況はどのようにも変化しうるのだ。

 地上の危機を救った松明の騎士団の英雄であるアズーリアと接触することはできないままだが、末妹候補の使い魔である俺たちが再会する時、その関係性がどうなっているのかは不透明だ。

 しばらく前、トリシューラは俺にこんな忠告をしてきた。

「あのね、アキラくん。リールエルバが所属しているカタルマリーナ派――そしてハルベルトとは最終的に敵対するかもしれない。だから、覚悟しておいて」

「俺が、アズーリアと戦えるかどうか、ってことだな」

「ううん。そんなことは期待してないし、しなくていい。どうせできないでしょ」

 絶句した。
 彼女は俺の意思などまるで顧みるつもりが無かった。
 それはトリシューラの美点であり、俺が肯定した彼女が彼女である所以ではあるのだが、しかし。

「それは、俺の忠誠を疑ってるのか」

「貴方がどんな人なのか、信じてるから言ってるんだよ。アキラくんは自分にとってなにより価値がある『聖なるもの』を自分の手で切り捨てられない。それは私の時で証明済みだよね? だから、貴方が決めなきゃならないのは、私がこの手でハルベルトを、そしてその使い魔を殺すのを看過する方の覚悟」

 聖なるもの――それは、交換不能な価値を有するもの。
 値札を付けられない、価値の無い――言い換えればなにより価値があるもの。 
 俺にとってのそれはアズーリア、あるいはあの暗い森でもたらされた『救い』なのだと、トリシューラは指摘した。

「そのために用意した組織が【マレブランケ】――私とアキラくんのために存在する、『邪悪を為す爪』なんだよ。全員を異界の名前で縛って、ハルベルトの勢力を倒す為だけに構築した『対抗呪文』――彼らがいれば、アキラくんが直接恩人と戦う必要は無くなるから」

 そして、俺という使い魔の価値すらも交換可能だという事実を突きつける。
 理解していた――あるいは、したつもりになっていた事だ。
 トリシューラにとって、俺は数ある手段の一つ。
 選択肢の中で比較的重要というだけのものに過ぎない。

 必要ならばその他の選択肢を用いるし、最悪の場合は冷静に切り捨てることができる。それがトリシューラという魔女の俺にとっての好ましさだ。
 俺たち二人の間に、認識の齟齬は無い。俺がトリシューラに不満を感じているということもない。だが、『噛み合わない』という感覚がどうしても付きまとう。

 どうしたって、完全な納得なんて求めようが無い事くらいはわかっている。
 それでも時折、何かが軋むような気がしてならない。
 きっと、トリシューラはそれも織り込み済みで俺の言動を管理し、制御しているのだろうけれど。

 思考を冷たい霜が覆っていく。
 許容値を超えたストレスが排除されて、理性的に現在の状況だけを見据えた。
 余計な事は考えなくていい。俺はトリシューラの使い魔だ。
 必要な認識は、ただそれだけ。

 リールエルバはしばらく興味深げに俺を観察していたが、やがて話題を切り替えるようにして言葉を繋いだ。

(そうそう、お願いしていた【死人の森】の調査はどう?)

(難航中。【変異の三手】に先を越されたのが痛かったかな。【風の吹く丘】を優先したことが裏目に出たみたい)

(それは必要なことだったから構わないけど――ガロアンディアンを『王国』として呪術的に意味付けするためには古い『正統』の排除、あるいは継承が必須よ?)

 ちびシューラとリールエルバが話しているのは、第五階層にもう一つ存在する裏面――世界槍の内部で再構成された古代の世界のことだった。
 今俺たちがいる草原とは別に存在する暗い森。
 忘れもしない、魔将エスフェイルと戦ったあの世界こそ、【死人の森】と呼ばれる古い『王国』なのだという。

(正直、私情が混じっていることを否定できないからあまり強くは言えないけれど、一応利害は一致するはず。何か判明したら教えて――【死人の森の女王】の行方は特に)

 リールエルバの調査によれば、そこは滅んだ種族、再生者オルクスたちが築き上げた国家であり共同体であり隠れ里であるとのことだ。
 種族と共に森もまた滅びたが、乱数の偏りによってこの世界槍の中に再生されて以来、第五階層の中で『王国』としての意味を確立したんだとか。

(わかってるよ。ガロアンディアンが王国という権威としてこの世界の歴史に承認されるためには古い歴史と対峙する事が必須だからね。【変異の三手】を明確に敵に回してでも【死人の森】は攻略するよ)

 正直、俺にはよくわからない言い回しと理屈だった。
 が、要するにこの第五階層という土地に住んでいた者たちが先住権を主張しているのでこのままでは建国できない、ということだろう。

 トリシューラが第五階層の構造を書き換えたために古代世界では『更新』が発生しない。
 そして俺たちが草原で気楽に夕食を摂ろうとしていたことからもわかるように、二つの裏面攻略のうち、片方は既に完了している。

 コルセスカとゼドという四英雄のうち二人を自らの陣営に引き入れたトリシューラは、俺を始めとした機械兵団、更にはレオやカーインといった公社の面々を引き連れて【風の吹く丘】に侵攻し、草原に覇を唱えていた【風の王】ハルバンデフと対決した。

 草の民との戦いは熾烈さを極めたが、最終的にカーインが操るウィルスが馬を媒介して騎馬民族たちに蔓延し、とどめとしてトリシューラが戦術級のマジックミサイルを撃ち込んだことで趨勢は決した。

 マジックミサイルと荷電粒子砲を無効化しながら単騎で突撃してくる【風の王】を見たときはキロン以来となる死の予感を覚えたが、今生きているということは一応何とかなったということである。

 ――思い返すと、二度と戦いたく無いとしか言えない。トリシューラの強化外骨格を上回るパワーにコルセスカの超加速に伍する反応速度とか頭おかしいだろ。

 とにかく、ガロアンディアンの完全な建国を妨げる要因の内一つは排除済みだ。
 しかし、もう一つの『王国』である【死人の森】に関してはまるで成果が上がらないままだ。

 深く、暗く、広大な森は進もうとする者を幻惑する。
 浅い場所に点在していた遺跡は全て調査されたとのことだが、奥深くに進めば進むほど未踏破域――地図の空白は大きくなっていく。

 森の全容は、未だ明らかになっていない。
 散々迷わされた挙げ句に何の成果も無く帰還、という探索者がほとんどで、俺たちもまた再生者という種族の痕跡すら見つけられないでいた。

 そして、鍵となるはずの再生者たちの王国を統べる女王、ディスマーテル・ウィクトーリアという魔女。
 その女性が、影も形も見当たらないのだった。

 【死人の森】の象徴にして頂点たる古代の大魔女――言語支配者とかいうらしい――を見つけた後、取れる選択肢は主に二つある。
 魔女を打倒して古い『王国』を強引に征服するか、説得や和解によって『王国』の権威を引き継ぐか。

 そのどちらかをしないと、ガロアンディアンは正しく王国として認められないし、トリシューラは正統な『女王』としての権威を有することができない。
 現在の世界全てがそれを認めたとしても、世界に刻まれた歴史そのものがトリシューラを『女王』として認識しないため、呪術的に脆弱になってしまうらしい。

 要するに、「自分はガロアンディアンの女王だ」と言っているだけでは弱いので、何か試練を乗り越えたり権威を勝ち取ったり譲られたりして「これこそ女王である証明だ」と言えるようにしようという話だった。

 古い王国の女王、ディスマーテル・ウィクトーリア。
 新しい王国の女王、トリシューラ。

 トリシューラが己の存在を世界に証明し、依って立つ居場所を自ら築き上げるために、乗り越えなくてはならない試練。
 だが、肝心の試練がどこにいるのかもわからない。 
 目標は確かなはずなのに、先行きは不透明。

 【猟犬】として主人のためにやるべきことは、獲物の在処を嗅ぎ当てることなのだが――。
 気がつけば、日常に埋没したまま目標を見失いそうになっている状況に、少しばかりの苛つきと焦りを覚えている自分がいた。

(【死人の森】に関してはこっちでも文献をあたってみるわ。それじゃあね。アキラは私の牙を受けたくなったらいつでも連絡を――)

(用事が済んだらさっさと消えろっ)

 ちびシューラが飛びかかるとリールエルバは細かい霧になって消えた。
 最後に、気になる事を言い残して。

(ここ百年くらいで上級言語魔術師になった三人のうち一人っていうのはね、探索者集団【変異の三手】のリーダーにして四英雄筆頭として知られる男のこと。もし相対することになったら注意して。トルクルトアが生んだ万能の才人――グレンデルヒ=ライニンサルは、地上最強の男と言われているから)





 リールエルバが去った後。
 現実でもむくれているトリシューラをなだめつつ、すっかり遅くなった夕食を摂ることにする。

 と、何故かトリシューラがにこりと笑顔を作る。
 嫌な予感。

「アキラくんはお利口さんだからちゃんと綺麗にごはん食べられるよねー」

 配達されてきた紙箱が開かれ、背の短い草が生い茂る地面に落とされる。
 蓋が開いた中には、乾燥した各種の肉などが詰まっている。
 そして茶色のシリアル。見間違えようもない。
 わあい、低脂肪高タンパクの――ドッグフード。

「まずは乾燥させた牛ハツでしょ? そっちはマグロ。馬の腱、仔牛肉に鹿肉だってあるよ。もちろん中心は大麦や粟を使ったシリアル。海草と煮干し、お芋も完璧に入ってるし植物油や水分もしっかり含まれてる総合栄養食。色とりどりで形も可愛いでしょう。消化吸収にも配慮した、原産地保証付きの最高級食品だよ。アキラくんのために奮発したの。嬉しい? ねえ嬉しいでしょ。嬉しいって言え」

「嬉しいよ、もちろん、非常に、大変、極めて」

「そう。じゃあ食べて」

「ああ。テーブルの上に」

「食べて?」

 トリシューラは笑顔だった。
 足で紙箱を軽く押して俺の方に近づける。
 ――うん。色々怒らせてしまうような要因は思いつくんだが、多分これ注文したの俺が妙な事をしたり考えたりする前だよな?

「私、アキラくんに喜んで貰いたくてこれを頼んだんだ。アキラくんが色々と悩んでるのには気付いてた。だからね、ご主人様とペットっていう関係性をもう一度再確認しようと思ったの。最近、忙しくてきちんとしたお世話をしてあげられてなかったから。ね、ごはんをくれる優しいご主人様は好き?」

「好き、かな? 好き、だと思います」

「うん、いい子だね」

 頭をわしわしと撫でられる。身長が同じなので、こうした行為にもあまり無理がない。上から抑え付けられるような圧力を感じた。
 トリシューラは変わらず微笑んでいる。
 無言で、「跪け」と命令されていた。

 トリシューラの腕の力に逆らわずにしゃがむ。
 膝をついて、紙箱に顔を近づけていく。
 心に冷たいものが広がっていく。大丈夫だ。俺は犬。トリシューラの猟犬だ。ならばこれは当然のこと。むしろ喜ぶべきことではないか。

 手を使わず、口を付ける。
 後頭部に滑らかな感触。靴を脱いだ足の裏だと即座に分かった。はじめて触れられるわけではなかったからだ。

「大丈夫だよ、アキラくん」

 安らぎに満ちたトリシューラの声に、胸の中の冷たさが消えていく。
 頭を撫でる足の裏の感触が、ひどく優しかった。

「貴方の迷いも、貴方の苦しみも、全て私が取り除いてあげるから」

 ゆっくりと、愛おしむように。
 愛玩するとは、大切にし、可愛がること。
 そして慈しみ、楽しむこと。

 三本足の民、という種族のことを彼女から聞いたことがある。
 もし自分に三本足があるとすれば、それは俺だと彼女は言ってくれた。
 なら、俺にとってはトリシューラがそうなのだろうと思う。

「決断も責任も、全て私が引き受ける。だから、アキラくんはただその身体が動くままに前に進んで? つらいことの方が多いかもしれないけど、一緒ならきっと大丈夫。だって、貴方が道具として私の意思を肯定してくれるだけで、私は――」

 頭部を撫でる、優しい足裏の感触。
 口の中には主から与えられた餌の味。
 耳からは心が溶けてしまいそうなほど甘い言葉。

 感情制御のフィルターを突破する、俺の最大の弱点である幸福があらゆる情動を埋め尽くしていき、そして――。

「――何を、しているのですか」

 絶対零度の声が、天幕の中を震え上がらせた。
 草に霜が降りて、温度の低下に伴って凍結現象が世界の色を塗り替えていく。
 天幕の入り口に立ち尽くしていたのは、見るまでもなく『彼女』だ。
 冬の魔女コルセスカの登場だった。

「あ、あれ? 何でセスカがここに――攻略は?」

「サリアはアルマに任せてきました。多めに『吸って』おいたのでしばらく動けないでしょう。それよりトリシューラ。アキラの感情が乱れているので心配になって駆けつけてきてみれば、貴方は一体何を――」

「ち、違うよ? 合意の上だよ? 嫌がるアキラくんに無理矢理とかじゃないから! ほんとほんと! ねっ、アキラくん?」

「最後に言い残す事はそれだけですか」

「本当にいい感じのシーンだったんだってば! ご主人様とペットの心温まる交流の一ページっていうか――」

「ええ、アキラはとても良い使い魔ですとも。むしろ調教が必要なのは貴方ですトリシューラ。飼い慣らされていない狼には、躾けが必要ですよね?」

「きゃー! ごめんなさいごめんなさい!」

 さらけ出した氷の右目から邪視を放つコルセスカがトリシューラを追い回す。
 涙目を凍結させたトリシューラが助けを求めるようにこちらを見るが、悪い、さすがに無理。

「ひどいー! ご主人様を見捨てるなんてペット失格、あっごめんなさい私が飼い主失格でした許して下さい!」

 全身霜塗れでガクガク震えながら頭をぐりぐりとやられているトリシューラは、当分のあいだ解放されそうもない。
 しばらくコルセスカの折檻を受け続けることだろう。

 俺はドッグフードを見て、素早く残りを口の中にかき込んだ。
 意外にも味付けが濃く、おそらくは人間、というか俺専用に調整されている。
 醤油ベースの好きな味付け。はっきり言って美味い。

 こんなものの需要がトリシューラと俺以外に存在するとは思いたくないので、本当に俺の為だけに用意したドッグフードなのだろう。
 少しだけ可哀想に思ったが、俺はコルセスカの使い魔でもあるので主の意向には逆らえない。ごめんな、トリシューラ。

「うわあああん、ひどいよー!」

「ひどいのは貴方の性根です」

 泣き叫ぶトリシューラの悲痛な声と、コルセスカの正論が冷たく草原に響いた。
 『王国』だの『女王』だのと大言を吐いても、結局この辺が今の俺たちの立ち位置で居場所なのだろう。

 目的地である【死人の森】はまだまだ遠いようだった。
 ――本当にあれで女王なんてやれるのか、あいつ。





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