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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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4-2 風の吹く丘



「それじゃあ、鍵はいつものやり方で発行されるので、よろしくお願いします。何かあったら端末に連絡下さい」

「はい、わかりました。お疲れ様です」

 裏手の事務所は整然としている。
 夜間勤務で入ってくれているシアナさんは俺と同じく『霊長類』系の種族(この言い回しにも慣れてきた)だが、概日リズムを呪術で変化させているために給料は昼間の事務員と同じである。

 この世界には主に夜に活動する種族がいるので、夜間勤務で時給を上げたりインセンティブを与えたりすることは基本的に無いのだが、無理をさせているようで申し訳無い。

 彼女は三ヶ月ほど前に地上から第五階層にやってきたサイバーカラテユーザーで、半人狼の母親を支えるべく道場事務の求人に応募してきた。
 地上で起きた例の『事件』に巻き込まれたらしいが、そんな陰を感じさせることもなく明るく勤務してくれている。

 道場破りに勝利した後、各種の手続きと誓約と業務記録を付けていたら少し遅くなってしまった。マラコーダに食事でもどうかと誘われていたが、待たせるのも悪いし次の機会ということで帰ってもらった。カード型端末からトリシューラに夕飯はそっちで摂ると連絡。ちびシューラが呆れたように即脳内返信。

(連絡されなくても伝わってるけどね?)

 『それっぽい』からメールで連絡しろって言ったのお前だからな?
 相変わらずご主人様は理不尽極まりない。安心する。
 俺は道場から出て、夜間照明のお陰で星が出る時間帯でも明るいままの第五階層を歩いていく。

 俺とコルセスカがキロンとの戦いで消耗し、昏倒した後。
 三ヶ月前に地上で起きた事件の概要は俺もニュースなどで把握しているが――あれ以来サイバーカラテというのはちょっとしたブームになっていた。
 三角帽子と箒と金色の目を一体にしたお馴染みの図像が視界に入る。

 街中に目立つ立体幻像の広告に映し出されているのは、クロウサー社が好調に作り続けているサイバーカラテ関連商品の数々だ。
 サイバーカラテをそのままこの世界で使う事はできない。
 ゆえに、サイバネティクスの代替としてオカルティズムが必要になる。

 電子制御義肢による身体性の拡張が一般的でない(あるいは適性の問題でできない)この世界の人々は、杖――つまりは呪具によって身体性の拡張を行う。
 高価なものだと『ガロアンディアン王室御用達(自給自足)』のきぐるみ妖精ドーラーヴィーラ製の呪動義肢や呪動装甲。
 ミドルプライスから廉価な製品は大手であるクロウサー社の多種多様な呪具。

 ニッチ産業でアルタネイフ工房の『環境に配慮したクリーンな』模造神滅具とかがあるが、キロンが使っていた神滅具のヤバさを思うと試す気は起きない。
 実際、この世界では神滅具イコールマイナスイメージで、売れ行きは今ひとつらしい。何故かトリシューラが勝ち誇っていた。

 どちらかというとペリグランティア製薬のスポーツ科学に基づいた霊薬ドリンクなどの製品の方が売れ行きは良い。
 道着やシューズはあまり評判が良くないのに(トリシューラが涙目になっていた)健康食品系やサプリメントの売れ行きが好調なのは、主な購買層が女性や老人だからだと思われる。

 『事件』で評判になったのは、サイバーカラテの『一般人でも強くなれる』という点だ。地上を襲った未曾有の災厄。それに巻き込まれた一般市民はサイバーカラテを用いて危機に立ち向かったという。

 認められたのは、護身術としての価値だったと言っていい。
 特に、治安がかなり悪い第五階層でその需要は高かった。
 道場がそこそこ上手く行っているのも、例の『事件』のお陰と言っても過言ではないだろう。

『これは何事にも言えることなのですが、ビジネスを始めるときには目的が必要なんですよ。夢と言い換えてもいいでしょう』

 街頭のモニタに大写しになっているのは、礼装である三角帽子に長い髪をアップにしてまとめた女性だ。はっきりとした目鼻立ち。眼鏡をかけた表情は凛々しい。
 まだ少女の面影を残す若さだが、それゆえに彼女を侮る者はいない。

 現役女子大生でありながら大企業の最高経営責任者ということで話題を攫った彼女の名はリーナ・ゾラ・クロウサー。
 ニュースで見たときは色々驚いたものだが、イメージ通り冷静で理知的、そして強い意志を持った才女のようだった。

 彼女とは三ヶ月前の一件で協力してもらって以来、今でも密にメールでのやり取りを続けている。内容は公的なことだけでなく私的なこともそれなりに多い。
 仕事の話をしている時の要点を良く押さえた効率重視の文面と、私的な会話をしている時の丁寧ながら絵文字などが使われた柔らかい文面のギャップに最初は戸惑ったが、人はみな多様な面を持っているということだろう。

 リーナは両手でろくろを回すようなポーズをとりながら喋っている。
 眼鏡がきらりと光った。

『目的地を明確に見据えていなければどれだけ勢い良く飛び立っても駄目ということですね。成功できる経営者がごく一部であるのは、最初の目測を誤るからだと言ってもいいでしょう』

 抽象的な事しか言っていないが、中々手厳しい。
 今は問題無く運営できているが、サイバーカラテ道場の第五階層支部も、ある程度目標を定めていかないとこの先は厳しくなってくるだろうか。
 経営などはトリシューラに丸投げしていた。少しだけ危機感を覚える。

『そして――えっと、えー、うーんと。あっ、そうそう! 歌姫Spearの新譜、もう聴きましたか? 私、アキラの感想が聞きたくて――あっちげえこれ別の原稿だ、ごっめーん! 各方面ごめーん!』

 ――こ、公開処刑だこれ。あらゆる意味で。お互いにとって。

(シューラ、あのコだけは良くわかんない)

 俺もわからん。
 いたたまれなくなって、その場を後にする。

(あ、アキラくん。巡槍艦戻る前に、ちょっと草原寄ってくれる? トリシューラ本体が今そっちなの)

 ちびシューラの言葉に、少しだけ眉根を寄せる。
 『また』か。
 仕方無い、と溜息を吐きながら、俺は階層の端――転移門へと移動した。
 向かうのは、第五階層の裏面。



 古代世界に入ると、そこには晴れ渡った星空が広がっていた。
 彼方で星が瞬き、四つの月(四番目の物理衛星以外は『呪術的な月』らしいがよくわからん)が幻想的に輝いている。

 風のそよぐ草原には果てがないように見えた。
 ここは俺がこの世界に放り出された直後、一番最初に巨大狼と遭遇し、アズーリアたちと出会った空間だ。

 果て無しの草原、あるいは【風の吹く丘】と呼ばれるこの古代世界は、【草の民】という騎馬民族たちがかつて聖地としていた場所なのだという。
 【風の王】ハルバンデフが史上はじめて草の民たちを統一した戦乱の世が当時のまま再現された古戦場。

 幾つもの古代遺跡が存在し、凶暴な野生の人食い馬が生息する危険地帯だが、現在この空間を飛び交っているのは浮遊する小型ドローン。大半はプロペラを旋回させて飛行するタイプで、形状は円盤型から球体型など様々。
 第五階層の住人が操る物質創造能力の応用、その極致。

「アッキッラくーん! こっちこっちー!」

 転移門のすぐ近く、大型の機器や天幕が並んだ仮設拠点の前で、見慣れた赤毛の少女が手を振っている。
 細い身体を浮き上がらせるタイトな上着で、立襟で左に打ち合わせがある絹の民族衣装。頭部には飾り付きの丸帽子。脳裏にモンゴル族のデールっぽい、という知識が瞬間的に浮かぶがなんのことやら。

 トリシューラは無人機の発着場を訪れて点検をしていたようだ。
 緑色の瞳の先で、彼方からも同じように飛来してくる無人機が弾丸や呪術を放ち、破片をばらまきながら戦闘を行っていた。

「あっちのほうは大丈夫だったんだけど、こっちがちょっと自動チェックにひっかかってねー。軽く直してきたとこ。疲れたよー褒めて褒めて」

「はいはい偉い偉い。お疲れ様」

 この場所で行われているのは、ドローンを駆使した模擬戦争だ。
 ガロアンディアンの『女王』トリシューラが提供・開示した無人兵器の製造技術がそれを可能にしていた。
 『人が死なない戦争』――トリシューラがどこまで本気なのかはともかく、一時的なガス抜き、緩衝材としては機能しているようだった。

(え? シューラは真面目だよ? そもそも今までだってただの一人も『人』は死んでいなかったわけでしょう。なら機械がそれを代行したとして、それは同じ事じゃない? シューラが提示してるのは、『機械が死ぬ戦争』なんだから)

 ――悪い。
 機械アンドロイドであるトリシューラの前でこういう思考をするのはどう考えても不躾だったし、半機械サイボーグの俺がするべき思考でもなかった。
 ただ、この話は散々議論した結果、『トリシューラの好きなようにさせる』で合意となったのでこれ以上突っ込んだ話はしないことにする。
 今はまだ。

 三ヶ月前の『事件』で多世界連合が派遣した迷宮の審判、ヲルヲーラは突如として暴走し、地上に対して事実上の侵略行為を働いた。
 上方勢力と下方勢力の双方が多世界連合に対して厳重な抗議を行い、後任の審判役は未だ転移を許されていない。

 侵攻側オフェンス防衛側ディフェンスに分かれての『迷宮の攻略合戦』というルールの枷が無くなり、双方が一斉に死力を尽くした侵攻を開始すれば、二つの勢力に挟まれた第五階層は無事ではいられない。

 情勢が不安定になった当時は全面戦争を覚悟した俺だったが、幸いというべきかそうはならなかった。
 恐らく、双方の勢力にもそれを望まない者がいたことが大きかったのだろうが、一番はなんといってもトリシューラの働きだろう。

「セスカがサクっとこのへん攻略してくれたから助かったよ」

「ゼドの奴と同盟結べたのもな」

 四英雄のうち二人がガロアンディアンに対して協力的なことは俺たちにとって非常に大きなアドバンテージだった。
 実のところ、非正規探索者たちの集団である【盗賊団】と同盟を結ぶまでには一悶着あった、というか俺とトリシューラは四英雄の一人、【盗賊王】ゼドと一戦交えたりしたのだが、一応現在では友好的な関係を維持している。

「――正直【小鬼殺し】の対策は間に合ってないんだけど、【痕跡神話】の三人に関しては攻略対象の遺跡が残ってるうちは一応安心だから。セスカがあの狂犬のご機嫌取りしてるうちはこっちに襲撃かけてくることは無いと思う――多分」

「不安だな。つーか俺まだそのサリアって人には会ってないんだが、そんなにやばいのか」

「うんまあ――クレイジー?」

「お前に言われるとか相当だな」

 コルセスカの仲間の一人、アルマとはもう顔合わせを済ませているのだが。
 人当たりのいい、明るく朗らかな女性だった。
 俺より体格が良く、恐ろしく強靱な重戦士で少し自信を喪失しかけたりもしたが、考えてもみればあのコルセスカを差し置いて前衛をやっているのだ、そのくらいは当然だった。

 問題は、もう一人のサリアという仲間が何故かやたらと俺とトリシューラを敵視しているらしいこと。敵視というか殺意を抱いているとか。
 コルセスカとアルマで抑えつつ交代で見張っているようだが、ほとんど猛獣扱いだ。とりあえず第五階層の裏面に存在する遺跡の攻略という目標を与えて怒りを発散させているらしいが、それもいつまで保つのやら。

 順調のようでありながら、幾つか目に見える爆弾を抱えている。
 それが今の俺たちと、ガロアンディアンの現状だった。
 ひどく危うい綱渡りを、第五階層は続けている。

 この草原で行われている無人機同士の争いもその一つだ。
 トリシューラはどういう伝手を使ったのか、地上の松明の騎士団と地獄の魔軍に渡りを付け、血みどろの戦いを回避してみせた。

 地上は内通者がいるらしいのでまだわかるのだが、かつて対峙した魔将たちの統率者、迷宮の主ベアトリーチェとも一時的な休戦協定を結んだというから驚きだった。説明によると同派閥の敵対勢力らしいが、正直意味が分からない。

 結局、今まで通りの迷宮攻略合戦に加えて、この草原での無人機同士の争いが誕生したのだった。
 第五階層に派遣された両勢力の操作者たちは、一定のルールに基づいてスポーツやゲームのようにドローンを激突させる。

 ガロアンディアンの技術力のアピールや協賛企業の利害関係などが絡んでいるらしく、この茶番じみた『戦争』はとりあえず実装から二ヶ月ほど経過しているが問題無く『運営』されていた。

 どうやら準備はとっくに済ませていたらしい。
 俺と正式に使い魔契約を結ぶ前の半年で、各種の設備や交戦規定、操作のノウハウや違反者への罰則など全てが完成しシミュレーションも完璧、あとは実装を待つばかり、という状況だったとか。

 それはつまり、第五階層がいずれ戦場になりうる未来を想定し、回避する手段を講じていたということでもある。
 『国境』に配備された数百機からなる杖型機械竜オルガンローデやドローン群、更には戦術級のマジックミサイルといった防衛システム。
 巡槍艦ノアズアークの『デブリ排除用』の主砲は数十万の軍勢を一撃で薙ぎ払えるとの触れ込みだが、どこまで本当なのかは不明。

「この状況、いつまで保つかな」

「行けるとこまでだよ。アキラくん、テント入ろう! 今日はねーアウトドアお食事にしまーす! 出前頼んだから一緒に食べよ?」

「わかった。ま、いつも自炊する必然性も特に無いしな」

「手作りの方が呪力が宿るからおいしいって説もあるけどねー。んー、アキラくん、私の愛情手作りごはんが食べたい?」

「余裕のある時でいい。出来るときは俺も作るし」

 適当に言葉を交わしながら天幕の中に入った。
 設えられた椅子に座って、今日一日の事をお互いに言葉にして報告し合う。
 それが、俺たちの間でお決まりとなった『儀式』だった。

 ちびシューラを通じて俺の視界、記憶を全て把握しているトリシューラにとって、言葉での報告などは今更だ。
 だが、『それっぽい』という理由でこの儀式は続いていた。

 虚しさを覚えるということはない。
 彼女は俺の言葉にいちいち反応して茶々を入れたりコメントしたり別な話題を混ぜて脱線したりと飽きずによく喋ってくれる。
 多分、彼女なりの努力なのだと思う。

「アキラくん、負けるのかっこ悪いからちゃんと勝ってね?」

「う。いや、あれは今のトップメタのアンチのアンチを警戒し過ぎたというか」

「言い訳もだっさい。いいからカーインに負けないようにして。これで二連敗だよ。最近たるんでない? 次、勝たないと口きいてあげないから」

「わかった。勝つよ。必ず勝つ」

「メンテもさせてあげないから」

「俺がお前のメンテナンスをしたがってるみたいな言い方はやめろ」

 益体のない会話をしていると、天幕の外から声がかかった。

「こんばんはー、出前迅速、シェイドランデリバリーです!」

 聞き覚えのある、耳に心地良い声。
 応対に出ると、黒いヴェールの向こうに見慣れた顔があった。

「店員さん、今日のバイトは宅配ですか」

「あら、お客様」

 薄いヴェール越しに見える顔立ちは非常に整っていて可愛らしい。
 どこか中性的な雰囲気。
 金色の目を少しだけ見張っている彼女の名前は、ラズリ・ジャッフハリム。

 少し前に知り合いになった、地獄の中心であるジャッフハリム出身の少女。
 姓はジャッフハリムという共同体そのものに養育されたために付けられたごくありふれたものとのことだ。
 『下』では公的に子供を養育する仕組みが整っているらしい。

 黒い制服は『下』の共同体、【影走りシェイドラン】への所属を示すもの。
 移動に使っているのは【影歩きシャドウウォーク】という呪術だが、とにかく迅速な宅配を行う優良『企業』と見なされている。

「遅くまでお疲れ様です」

「いえ、わたくしはこれで上がりですから――それに、概日リズムを昼に調整してはいますが、これでも夜の民ですので、遅くなっても平気なんですよ」

 正直よくわからない理屈だった。何か騙されて酷使されているんじゃないだろうか。彼女はブラック企業の論理を内面化してしまったのか。俺が立ち上がるべきなのでは? というか労基は何をしているんだ。

(あー、労働基準法の整備はまだちょっと。勤務時間とかの記録があれば勧告くらい出せるけどー)

「よしトリシューラ、即準備だ。店員さんを悲惨な労働環境から救い出す」

「なんかむかつく」

 半眼で俺と店員さんを睨み付けるトリシューラ。
 何を不機嫌になっているのだろう。女神である彼女に尽くすのは人類の使命である。自明である。自然の理と言っても過言ではない。

「過言だよっ! 何なの? キモいんですけど?!」

 途端に不機嫌になったトリシューラは店員さんが手に持っていた紙箱をひったくると、緑色の視線を巡らせて端末に送金する。
 それからじろりと彼女の頭から足下までを見て、

「このっ、私のアキラくんを誘惑してっ、ハツを串焼きにして喰ってやろうか!」

 いきなり店員さんの長い黒髪をぐいぐいと引っ張るという暴挙に出た。
 なんてことを。艶やかな髪が傷んだらどうするつもりだ。

「やー! やめてやめて、私おいしくないですよ! 痛い痛い、髪を引っ張らないで下さい!」

「大丈夫。私、料理上手だから。下手物の影磯巾着でも美味しくしてみせるから」

「こーわーいーでーすー!」

 痛みと恐怖に怯える表情も天使のよう――じゃない、助けないと。
 トリシューラをどうにか引き剥がす。

「がるるるる」

「何をやってるんだお前、失礼にも程があるぞ」

「だって、この糞ビッチがアキラくんを誘惑して! ていうかアキラくんは反省しつつ死んじゃえ! 最低! けだもの! 盛りのついた犬! 万年発情期とかもうお猿さんだね!」

「どっちだよ」

 ていうか猿だって色々なタイプがいるだろ。ボノボとかは擬似的な交尾をして緊張をほぐしたりするらしいけど。

「女王権限で命令する! 今度こそ去勢! 去勢です!」

 ガロアンディアンの女王としてそれはどうなんだ。
 暴君というか暗君になるぞ。
 内心で忠告すると、少しだけ大人しくなる。

「あのな、幾ら何でも理不尽すぎるだろう。俺以外に当たるのは止めろ。大体、コルセスカとかマラコーダと話してても怒らないのになんで店員さんだけ」

「だってそれは。何か――なんかヤなの! とにかく嫌! セスカは許せるしマラコーダは生物学的に男だからセーフだけど、この女の前だとアキラくんなんかデレっとしてて最低に気持ち悪い! あとクロウサー家のコとメールするとき顔が緩んでて気色悪い、有用な人脈だから黙ってたけどあれもほんとはイヤ!」

「わかった」

 頷くと、余計な雑念を思考から取り払う。
 俺が望んだだけ、冷たさが首筋から広がっていく。
 できるだけ神妙な表情を作ることを意識して、

「トリシューラが嫌がるなら、もうしない。トリシューラ以外の相手とは直接口をきかないようにするし、メールは事務連絡以外はしない。視界フィルタリングの強度を上げて、余計なものにフォーカスしないように設定する。設定管理はトリシューラがしてくれていい」

 向かい合い、緑色の瞳を真っ直ぐに見据え、一息に決意を表明した。
 すると、何故かトリシューラは露骨に狼狽え出した。

「えっ、いや、そこまでは――」

「俺はトリシューラの使い魔だ。主が望むならそれに全力で応える」

「うああ、えっとえっと。別に束縛したいわけじゃなくて。そんなふうに、アキラくんの自由意思を無理に操作したいとか支配したいとか、ちょっとしか思ってないからね? 本気じゃないっていうか、気持ちだけで十分っていうか」

 緑色の目を泳がせて、赤いお下げ髪をくるくると指でいじる。
 視界隅のちびシューラも妙にしおらしくなって、

(ごめんね?)

 などと言い出す始末だった。落差が大きすぎる。
 悄然としながら店員さんに謝罪するトリシューラ。
 普段は冷静なんだが、何なんだろうなこれは。何がスイッチなんだ。

 と、何故か店員さんが俺とトリシューラを見て溜息を吐いている。
 両手で口を抑えており、頬がやや赤い。
 この反応もよくわからない。とにかく頭を下げて謝罪する。日本語と共に礼儀やジェスチャーなども一緒に定着しているので謝意は伝わるはずだ。

「すみません、うちの主人が失礼を致しました」

「ふわー」

 だから何なんだろう、この反応。

「いえ、ごちそうさまですー」

「ご馳走になるのは宅配を受け取った俺たちなんですが」

「おあついですね」

「そろそろ春とは言え、まだ寒い時期ですけど」

 というか今は暦の上では冬だ。

「いいですね、憧れちゃいます」

 今のやり取りのどこに憧れる要素があったんだ。
 主従関係か? 忠実な使い魔が欲しいということかもしれない。
 トリシューラと出会う前なら立候補していた所だが、生憎ともう既に両腕とも捧げる主人が決まっているので無理――何故そこでちびシューラがはしゃぐ。

 その時、ふと店員さんの表情に鋭さが加わる。
 遅れて俺とトリシューラも気付いた。
 俺がナイフを、トリシューラが針を、店員さんがカード型端末を構えると、密かに接近してきていた連中がもはや気配を隠す必要が無いことを悟り、幻影の呪術を解除する。

 トリシューラが張り巡らせた警戒網を突破してここまで近づけるとは、かなりの手練れだ。
 地面からモグラのように這い出してくる者、カメレオンのように保護色で背景に溶け込んでいた者、気体が収束して人型を取る者――それぞれ皆、似たような甲冑を身に纏っている。

「きぐるみの魔女、お命頂戴する」

 松明の騎士団の修道騎士。
 新型の武装である神働装甲を身に纏い、寄生異獣を宿した異獣憑きという強敵たちが、暗殺部隊として送り込まれてきたのだった。

 最近は少し大人しくなってきていたと思ったのだが、やはりそうそう諦めてはくれないか。
 地上も一枚岩ではない。ガロアンディアンに対して友好的な勢力もあれば、今まで通り敵対的な勢力もある。それは彼女が以前所属しており、裏切ったという松明の騎士団の中でも同じことだ。

 俺たちは三ヶ月前、守護の九槍という最上位修道騎士の一人、廉施者キロンを倒した。ある派閥は敵に回しては厄介だから取り込んでしまおうと考えたが、逆により一層「何としてでも排除せねば」と決意を固くした派閥もあったらしい。

「忌まわしい悪魔め! キロン殿の仇!」

 修道騎士たちはそれぞれ同時に呪術、物理の両面から攻撃を仕掛けてくる。
 俺とトリシューラの投擲を回避し、呪術によって爆炎を放ち、突風によって牽制と火勢を増す事を同時にやってのけ、情報的侵入クラッキングを仕掛ける。

 ちびシューラが攻性防壁を展開してそれらを弾き、俺は右腕の布内部に格納された【アイス】を起動して攻撃プログラムを『殴りつける』。
 二人、背中合わせになって敵を迎え撃つが、連携のとれた攻撃には隙が無い。

 キロンを倒した、という事実は映像化されて世界に伝播している。相手には一切の侮りがない――どころか、死地に挑み、差し違える覚悟でこの場に来ているのだった。最悪、この場で自爆される危険性もある。

 錠剤を取り出して、左腕の起動準備をしようとしたその時だった。
 俺たちの目の前に、店員さん――ラズリ・ジャッフハリムが進み出る。

「折角お二人が仲睦まじくされているというのに――邪魔はいけませんわ」

 言うが早いか、彼女の全身が黒い影となって草の中に沈んでいった。
 【影歩き】の呪術。地上を走る者では到底追いつけないほどの凄まじい速度で敵陣に突っ込み、再び霊長類の姿で実体化する。

 ざわりと影が蠢いて、黒から朱色になったかと思うとバラバラに解けていく。
 無数の怪生物が彼女の周囲を取り巻くと、足下に影を保たない少女は掌を水面のように波打たせて長大な錫杖を体内から取り出す。

「喰らいなさい、レゴン」

 自身に向かって放たれた槍の刺突と呪術の嵐を、今まで彼女の影に擬態していた生物たちが牙を剥き出しにして食い散らかしていく。
 朱色の心臓に目と鼻と口と耳を付けたような異形の猛獣。
 ラズリ・ジャッフハリムの使い魔、悪霊レゴンだった。

 杖先の円盤にカード型端末を挿入すると、立体幻像の輝きが彼女の眼前に展開されていく。そこから喚起される召喚獣たちが修道騎士たちに応戦。
 蛙の戦士や半透明の精霊が修道騎士たちと激戦を繰り広げる。

 ラズリは片手で杖を持ちながら、もう片方の手で指をぱちりと鳴らした。
 瞬時に修道騎士たちが強制的に空間を移動させられて、少女の目の前に並ぶ。
 修道騎士たちの足下の影が持ち上がり、黒い十字架となって手足を吸着させた。

「磔刑に処す」

 束縛バインドの効果を持った【陥穽エンスネア】の呪術だと、ちびシューラが教えてくれた。
 ラズリがもう一度指を鳴らすと、天幕が透明化する。
 空が墜ちてきた、と最初は思った。

 星々の輝きが地上に届き、天幕を突き抜けてラズリの周囲を結ぶ。それらは図像となり文字となり呪術的な意味を持った星座を形成していった。召喚者にして支配者にして占星術師でもあるラズリの呪術が修道騎士たちを襲う。

天体マーディキの導きよ、令星ワリブの激怒を世に示せ」

 淡々とした詠唱。高まっていく呪力が光となって可視化されていた。
 右腕が脅威を感じ取って自動的に反応するほどの威圧感。
 いつもの穏やかな彼女からは想像もつかないほどの冷たい殺意。

「宇宙引き回しとする――【天与の王権ワリバーヤ】」

 ちびシューラですら「聞いたことがない」という呪術が発動した。
 閃光が迸り、その場にいたラズリ以外の誰もが忽然と掻き消えた。
 星座も、立体幻像も、召喚獣も、修道騎士たちも。

 透明化した天幕は元通り。
 彼女の偽りの影は以前のまま。
 そして、にこやかに微笑む『店員さん』。

「ごめんなさい、少し手間取ってしまいました」

 下方勢力の探索者は、その恐るべき力をまるで意識させない穏やかさで俺に普段通りの感情を向ける。
 【影の請負人シェイドランナー】ラズリ・ジャッフハリムの実力に慄然としながら、俺はかろうじて笑顔を返した――返せたはずだ。

 隣で、トリシューラがちびと動きを揃えて難しそうな顔で唸っていた。
 気持ちは分かる。





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