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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第3章 特権者のヒロイック・シンドローム、さもなくばアズーリア・ヘレゼクシュの憂鬱

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3-19 夢幻の果て

「――で、その後はみんなも知っての通り。そうして、黒百合宮に空から妖精が降ってきたんだ。私はその後もアズーリアと一緒にどこまで高く飛べるか試したり、空で雲の筆談したりしたけど――」

「言っておきますが、あのしょーもない悪口、下から丸見えでしたからね」

「ごめんなさい許して! えっと、とにかくあの不思議な時間の事は、多分だけど私よりもヴァージリア、じゃなかったハルベルトが直接本人に語った方が良いと思うんだよね」

 話を終えたリーナは、箒の柄を揺らして黒いウサギに締めくくりを譲った。
 思い出話はいよいよ終盤。
 最も念入りに封印されていた記憶。
 幻想に彩られた冬の終わり。
 そうやって思い出話を締め括ることで、アズーリアという存在の語り直しを完了させる。
 その為には、アストラル体のみを直接アズーリアの心に潜行させ、強く呼びかけなくてはならない。
 もちろん、アズーリア自身の反射的な防衛や、マロゾロンドの妨害も想定される。極めて困難な役目だ。
 そうすると、誰がアズーリアに直接呼びかけるのか、という問題が発生する。
 アストラル体の投射が得意な者――つまりはフォービットデーモンとして優れていた者が適任ではあるが、一番優れていたアズーリアは昏睡状態にある。
 ペレケテンヌルの加護を拒絶したことで呪術適性が低下したミルーニャ、空の民にも関わらず生来の怠け癖のせいか呪術適性が低いリーナ、その身を危険に晒すことを許容できないリールエルバとセリアック=ニアは除外された。
 一番適任なのは、霊媒としての専門的教育を受けてきたプリエステラであろう。彼女は現役のティリビナの巫女である。
 しかし、不安定な影世界にアストラル体を投げ出せば、容れ物として最適化された彼女の魂は容易く乗っ取られてしまう可能性があった。
 たとえマロゾロンドによって乗っ取られずとも、古き神の強力な精神干渉によってアストラル体が傷付けば、今度はプリエステラを常に脅かす守護神格がその身体を乗っ取りかねない。
 まさに今、アズーリアが陥っている危機に彼女も晒されかねないということである。
 メイファーラはアストラル体を投射することはそこそこ得意だが、どちらかというと自分のアストラル体を操作するよりも他人のアストラル体の動きを感知する方に適性がある。
 不用意に大勢で向かっても、かえってアズーリアの心を傷つけてしまう恐れがあるため少数が好ましい。
 というわけで、選ばれたのはハルベルトだった。

「ハルもまた霊媒だけど、ハルだけは神に肉体を乗っ取られる心配が無い」

 ハルベルトは、自分が適任である理由はもう一つあると説明する。

「ハルは妖精と兎の混血で、どちらかの守護神格を選択するのではなく、両方の加護を等量分だけ引き出して調和させている。妖精の守護者アエルガ=ミクニーと兎の守護者ラヴァエヤナの二柱は仲が悪い。だからこそできる手法」

 第三位のアエルガ=ミクニーと第六位のラヴァエヤナ。
 気紛れな妖精と秩序の司書。
 神々の力を引き出せる霊媒という存在の強力さに目を付けたカタルマリーナは、同時にその不安定さにも気付いていた。
 ふとした拍子に神にその心身を乗っ取られかねない危うい存在。
 それを阻止する為に、ハルベルトは生まれる前から呪いをかけられてきたのだ。
 神にその身を奪われるというおぞましい定めから身を守るために、その身をより強大な呪いによって守る。
 ハルベルトにとって全身にかけられた呪いは母と師からの愛だった。
 彼女は呪われている。
 最後の魔女になるという運命に縛られ、囚われている。
 しかしだからこそ、生まれついて神々の道具であるという宿命から解放されてもいるのだ。

「神の支配から自由になる力――運命に抗う力。これがあれば、マロゾロンド相手でも多少は持ち堪えられる」

「――ま、仕方無いですね。本当は私が行きたい所なんですが、悔しいことに技量が足りません。お願いですから、しくじらないで下さいよ、ハルベルト」

 ミルーニャは、静かな声でそう言うとハルベルトに頭を下げた。
 その光景の厳粛さに誰もが固唾を呑む。
 ハルベルトはしっかりと頷くと、その役目を請け負った。

「みんな、ありがとう。アズーリアは必ず取り戻す」

 決然と宣言して、ハルベルトは談話室から退出した。
 実世界へと帰還し、病院から移されたアズーリアが眠る宿舎の寝台に向かう。
 霊長類の身体で安らかな寝息を立てる幼馴染み。
 その左手をそっと握って、ハルベルトは目を瞑った。
 そして、闇に意識を沈ませる。



 アズーリアの心の中は、いつか見た影の世界のようだった。
 スキリシア――故郷である世界内部の異世界を心象風景として心に映し出しているのだろうか。
 静謐さに満ちた一面の闇。
 その彼方から、無数の触手が伸びてくる。
 アズーリアの精神を奪うべく古き神マロゾロンドが伸ばしている、高密度の呪詛そのものである。
 だが、常人ならば一瞬で絡め取られてしまうであろうその悪意を、ハルベルトは跳ね返す。
 膨大な数の触手は、ハルベルトに触れる直前、まるで不可視の障壁にぶつかったかのように行く手を阻まれ、押し返されてしまう。
 その身が内包する二柱の神格による加護――そして、彼女の全身に流れる黒い血液と蠢く血管が作り出す呪術の紋様。
 生まれ落ちるその前より、ハルベルトは師から神々の加護を調和させるための紋様を未分化なアストラル体に刻み込まれてきた。
 そして母から与えられたのは、娘が神々の力で内側から破壊されぬように、外側からの悪意で押し潰されぬようにと注がれてきた呪いである。
 『永遠の呪いの化身』と謳われた母がハルベルトにかけた強大な呪いは、その身に降りかかる生半可な呪いを全て打ち払う鉄壁の守りでもあった。
 呪いによって呪いを制す――その暴力的な発想はハルベルトがヴァージリアとして生を受けた時からずっとその身を守ってきた。
 だが、我が娘に対して呪いをかけるという行為に対して、母はきっと深く懊悩し、葛藤したに違いないとハルベルトは思っている。
 高位の妖精種アールヴ――それも光妖精リョースアールヴである母は、その種族の例に漏れず見目麗しく繊細で儚げな女性だった。
 生まれながらの貴人であり、浮世離れした一面が一般に言われる残酷さに転じる事もあったが、それでも優しく穏やかな、少女めいた人だった。
 我が子に定められたおぞましい運命。
 その苦難から守るために、自ら我が子を呪わなければならないという煩悶。
 自らの所業によって苦しみ、呪いによって呪われる母を見て、ハルベルト――幼いヴァージリアは思ったのだ。
 この人を守ってあげなければならない。
 いずれ、自分は母の強大な呪いによって殺される。
 そして、その呪殺が成就した瞬間に母もまた娘と運命を共にするのだ。
 自らの命を担保にした、絶対なる死の祈願。
 死の運命によって死を拒絶する、有限の『不死』――それこそが四魔女がそれぞれ有する、ハルベルトだけの不死性である。
 魂を蝕む呪いを解呪する条件――それは紀元槍に至り末妹になることのみ。
 母によって定められた死。
 運命そのものに刻み付けられた呪い。
 己の命と母の命。その二つを救うために、ハルベルトは絶対に末妹になると決めたのだ。
 無数の触手を跳ね返しながら、ハルベルトは全身を這い回るおぞましい呪詛と死の恐怖、そしてそれらを包む母の愛を実感する。
 あらゆる悪意を上回る、母から向けられた絶対の呪い。
 それこそが愛の証明なのだと、歓喜と共に闇の世界を突き進む。
 星見の塔に伝わる絶対の守り、【キュトスの羊膜】という名の地母神の力がハルベルトの道を切り開いていく。
 彼女には決して負けられない理由がある――だから、己の身を危うくしてまで誰かを助けに行くことは、母への裏切りに他ならない。
 だからこれはけっして意味のない寄り道であってはならない。
 末妹になるために必要な、使い魔の救出。
 ただそれだけだ。

「全く、手間のかかる弟子がいると本当に面倒!」

 憤慨しつつ、呪文によって仮想使い魔たちを従えてより深みへと沈んでいく。
 より先へと潜行していくに従って、触手の量、質が共に増大していく。
 圧倒的な攻撃の密度。
 使い魔たちが消滅し、自らも斧槍の形にした呪文で応戦するが、変幻自在に蠢く影の触手は斬っても払っても再生して襲いかかってくる。
 その時、拍手の音と共に触手の群れが次々とお菓子になっていく。
 棒付き飴、チョコレート、焼き菓子、スポンジ菓子、焼きたてのパイに焦げ目の付いたカラメル菓子。
 恐るべき脅威は次々と無害となり、漆黒の空間はたちまち色とりどりのお菓子に満ちていく。
 ハルベルトは、やはり、と小さく呟いた。
 いかにサリアが冬の魔女コルセスカの使い魔だとしても、古き神による侵攻をただ一人で阻止し続けられるはずもない。

「ありがとうございます、クリア先生」

 黒百合宮で過ごしていた頃からずっと自分たちを見守ってくれていた一人の女性の名を呼んで、ハルベルトは先へ向かう。
 遠く、世界に広がる触手を片端からお菓子に変えていく垂れ耳兎の特徴を持つ女性の姿が一瞬だけ見えた。
 白黒の耳と小さな帽子、そして片眼鏡。
 女性の口が動いたけれど、流石に何と言っているかまでは遠すぎてわからない。
 けれど、きっとまた何かよく分からない事を言っているのだろう。
 先を急ぐ。
 漆黒の鎧を身に纏い、二振りの短い氷の刃を振り回して触手を切り払っている何者かがいた。
 もはや意味を為さない絶叫は理性を失った狂人のそれだ。
 常人ならば耐えきれないであろう長きに渡って戦い続ける冬の魔女の使い魔。
 いや、おそらくその精神は疾うに決壊しているのだ。
 サリアは狂気に駆られるがままひたすらに目の前のものを切断していく。
 誰彼構わず噛み付くだけの狂犬。
 近付けばハルベルトとて無事では済まないだろう。
 その身を覆う影の鎧はゆらめくように輪郭を変え、時に蝙蝠となり時に霧となって持ち主の手足として触手を蹂躙する。
 それが、かつてサリアがコルセスカと共に挑んだ始祖吸血鬼の成れの果てであり、それを生ける呪動装甲にしたのがトリシューラであることまでハルベルトは知っていた。
 が、実際に見るとその戦闘能力は脅威的の一言だ。
 狂乱しながら戦うサリアは、古き神相手に一歩も退いていない。
 いつかあれと対峙しなくてはならないのかと思うとぞっとする。
 その為にも、自分には優れた使い魔の力が必要不可欠だ。
 暴れ回る狂犬を大きく迂回して、ハルベルトはひたすらに底を目指す。
 外圧が高まり、息苦しさを覚え始めた頃、ようやくそれは見えてきた。
 闇の中で微かに瞬く、青い光。
 アズーリア・ヘレゼクシュの心に、ハルベルトは到達する。

「【夢喰い虫メローリア】よ」

 出現した仮想使い魔は文字によって形作られた蝶だった。
 青く輝く鱗粉を散らしながら、仮想使い魔はハルベルトの道を作る。
 鱗粉が落とされた空間に穴が開けられたのだ。
 その向こう側には、この漆黒の世界とは全く別の世界が広がっている。
 そこは夢の世界。
 集合無意識の底、夜に浮かぶ月の更に奥。
 目の前に出現した青白い月に向かって、ハルベルトは勢いをつけて飛び込んだ。



 まず始めに、悪夢の群れ。
 それは、アズーリアの人格を否定するためにマロゾロンドが強制的に大量複製した悪夢の爆撃だった。
 氷に閉じ込められた九体の怪物と転生する魂、過ちによって解き放たれてしまった古代の魔女、奪われた妹の身体、故郷を蹂躙する暴力。
 そしてどうしてか突然に破壊は終わり――けれど去っていく妹を止められない。
 名前も声も失って、悲嘆に暮れ続ける無力な誰か。
 妹に余計な言葉をかけるだけかけて、迷惑ばかり押しつけて、その上大事な瞬間に呼び止めることもできなかった。
 ビーチェにもう一度会いたい。
 ベアトリーチェ、どこにいるの。
 地獄に繋がった扉に消えた妹に伸ばされた左手は、けれど永遠に届かない。
 ハルベルトはそんな悪夢を延々と見せられ続けた。
 おそらく、これがアズーリアの根源である最も強い傷であり欠落だ。
 夥しい数の絶望を抜けて、次なる悪夢の波がハルベルトに襲いかかる。
 一見すると暖かな思い出だった。
 松明の騎士団の一員として共に戦った五人の仲間たちの記憶が浮かんでは消えていく。
 それらはアズーリアにとってかけがえのないものではあったけれど――それを全て失った時の痛みはそれだけに大きく、深い。
 上層部の派閥抗争、そして直属の上官による私怨。
 第四階層の掌握者は、『味方殺し』の異名を持つ。
 地上側の兵力を無為に損耗させ、犬死にさせることに心血を注ぐ守護の九槍第七位は、攻略を停滞させ、敵対派閥の修道騎士を公然と殺害していく『有能』な存在として知られていた。
 その男に目を付けられたアズーリアは、理不尽な死の命令に抗うべく幾度も命令無視を繰り返し続ける。

「また君か、アズーリア・ヘレゼクシュ! 度重なる命令無視に独断専行、一体どれだけ営倉にぶち込まれれば気が済むんだ?!」

 理由を察しつつもそう叱責するしかできない上官もまた、第七位によって切り捨てられようとしていた修道騎士の一人だ。
 極限の状況でアズーリアの詭弁を弄した【扇動】と分隊長キールの【鼓舞】によって一種の催眠にかけられ、味方によって仕掛けられた罠を脱した彼は、内心はどうあれアズーリアたちに懲罰を与えざるを得ない。
 六人揃って懲罰の謹慎、清掃、そして更なる出撃。
 過酷な状況の中、六人の仲間たちに生まれていく奇妙な信頼。
 だが、そんな悪足掻きも長くは続かない。
 圧倒的恐怖の顕現たる第十六魔将イェレイドが侵攻してきたのだ。
 エスフェイルとは存在の密度そのものが違う――その上、それすら本体のほんの一部に過ぎない。
 しかし、フィリスという大魔将に通用するかもしれない切り札を持つアズーリアは決戦の部隊から遠ざけられた。
 万が一にも大魔将討伐の戦果を上げられては困る。
 そんな思惑によって、逆にフィリスが効果的に働かない哲学的ゾンビの死人兵団に寡兵で突撃することを命じられる。
 数だけは多いが、単純な障壁呪術で足止めが可能な低級の異獣。
 誤解する余地の無い、『無意味に死ね』としか解釈できない命令。
 アズーリアは悲壮に突撃の号令をかけようとした上官を見て、ついに最後の一線を越える。
 フィリスの力を使い、その場にいた者たちに希望を与え、より過酷な戦場へと駆り立てたのだ。
 守るばかりで無駄に兵力を損耗するばかり。
 そんな松明の騎士団のやり方にうんざりしていたアズーリアはあろうことか持ち場を放棄して第五階層へと侵攻した。
 地上側に侵攻している今ならば、第五階層の守りは幾らか手薄になっているはず。今のうちに地獄側に逆に侵攻を仕掛け、第五階層を奪ってしまえば『審判』によって定められた規則によって一時的に戦闘は中断される。
 ゆえにこれは広義の意味での積極的防衛である。
 などと、無理筋にも程がある理路を押し通したのだ。
 冷たい石の迷宮で、次々と仲間たちが斃れていく。
 罠によって分断され、ついには六人だけになる。
 要所を守護するのは精鋭種たる大狼種。
 第五階層の裏面である古代世界、逃げ場のない果ての無い草原での死闘。
 消耗したアズーリアたちは苦戦を強いられるが、そこに現れた謎の――

「ん?」 

 ハルベルトは首を捻った。
 何あれ。
 ごしごしと目を擦るが見間違いではない。
 全裸だ。
 男は全裸だった。変態だ。
 変態は謎の動きで大狼と渡り合い、遂には打ち倒してしまう。
 隻腕の上に右腕が奇妙な金属で覆われた男は、何故かアズーリアたちと行動を共にして第五階層を進んでいく。
 その格闘能力は端的に言って目を見張るものであり、優れた前衛であることが窺える。

「そういえば」

 とハルベルトは思い出す。
 確か、智神の盾の資料には不自然な点があった。
 魔将エスフェイルを討伐した時のアズーリアの報告。そこには、何者かによって改竄されたと思しき痕跡が残っていたのだ。
 それはアズーリアを英雄として担ぎ上げようとしている勢力にとって不都合な内容だったのだろう。
 なるほど、いきなり現れた変態の助力によって魔将討伐に成功した――こんな話、英雄譚に相応しいとはとても思えない。
 その後、変態は仲間の一人を殺してしまったことで錯乱する。
 ハルベルトがこいつは何を言っているのだろうと困惑していると、あろうことかその男はアズーリアに殴りかかる。
 いつか殺すと決意しながらも、ちょっと精神脆すぎてメンヘラなんじゃないだろうかとハルベルトはかなり引いていた。
 絶対に関わり合いになりたくない面倒くささであった。
 全裸の変態でメンヘラ。
 駄目だ、どうやっても英雄譚にならない。
 糾弾すべき槍神教の闇が、今だけは正しく見えてしまう。
 どこぞのメンヘラきぐるみ女コスプレイヤーと相性が良さそうなので、アズーリアとは関わらずにそっちの方に行ってもらいたいものである。
 そんなことを考えている間にも、アズーリアは変態の為に貴重なフィリスを使ってしまう。
 そんなアズーリアを『らしい』と思うが、同時にそんなのに使わなくていいのに、などとどうでもいい野次を飛ばしつつハルベルトは記憶を第三者視点から眺めていく。
 その後、ハルベルトから変態への評価は乱高下する。
 アズーリアへの攻撃を防いだ事で少し見直したり、その場から逃れる為に不埒な手で触れあまつさえ担ぎ上げた事でやはり殺すと決定が下されたり。
 その後、肩を並べて戦った仲間たちを手にかけるという悪夢を乗り越えつつ、遂にエスフェイルを打倒し、第五階層を制覇したアズーリア。
 変態にその場を任せ、一人地上に向かうが――その先に待っていたのは、理不尽な拘束と尋問だった。
 ハルベルトは強い不快感、そして怒りを覚えた。
 同時に納得する。
 これがアズーリアのもう一つの傷だ。
 放棄された第五階層で、変態はただじっとアズーリアを待ち続け、その後押し寄せた異獣の軍勢に引き裂かれる。
 直接見たわけではないため、その光景はアズーリアの想像に過ぎない。
 ゆえに、様々な死の光景が悪夢となって繰り返される。
 来る筈のない待ち人を待ち続け、果たされることのない約束を信じ続けながら、ありとあらゆる異獣によって引き裂かれていく。
 その断末魔はただの絶叫であったり、アズーリアへの恨み言であったり、または最後までアズーリアを信じ続けるものであったりした。
 真実がわからないアズーリアには、想像しかできない。
 ゆえに、悪夢の中には未だにその変態が生きているという結末もあった。
 だがその瞳は憎悪に濁り、裏切ったアズーリアへの殺意に染め上げられている。
 想像に過ぎなくとも、考えずにはいられない。
 未だにアズーリアを苛む罪悪感。
 現在進行形の悪夢であるため、妹を失った過去に準じるほどの重みでアズーリアを苦しめているのだ。
 その次に見せられたのは、和解に失敗し、ハルベルトの屍の上で高笑いするメートリアンの姿。
 他にも、ありとあらゆる方法で無惨に殺されるプリエステラと仲間たちの姿。
 悪夢、悪夢、そして悪夢。
 終わりがないかと思われた苦痛の光景を繰り返し見せられる。
 そろそろ精神も参ってきた頃、ようやく同じような光景が途絶えていく。
 ハルベルトはようやく出口かと手に持った呪文の斧槍を握りしめた。
 穂先に輝くのは色とりどりの光。
 黒百合の子供たちが語ってきた思い出話がその場所に宿っているのだ。
 この先に、アズーリアの心、その『核』がある。
 アズーリアの心の一番深い部分にこの『昔語り』を突き込み、無理矢理に話を聞かせる。
 マロゾロンドの攻撃によって無数の悪夢に苛まされ、自己否定され続けるアズーリアはひどく不安定だ。
 そこでハルベルトは不安定なものとして固定されたアズーリアの自我を強制的に上書きし、不安定では無かったことにする。
 事後的に生成された捏造された過去――『信用できない時制と語り手の解決』を利用した過去遡及的な心療治癒呪術。
 悪夢の通路を通過し、光に満ちた空間へと進む。
 そこにアズーリアがいるはずだ。
 ハルベルトは斧槍を構え、自らも呪文を紡ごうとして、

「は?」

 何これ、とまたしても呆然としてしまう。
 悪夢の先に、よくわからない光景が広がっていた。


















 私、青嶺瑠璃あおねるり、十六歳。
 ちょっと夢見がちだけど、ごくごく平凡な高校一年生。
 そんな私だけど、実はちょっとだけ普通じゃない顔があるんです。
 どんな顔かって? それはですね。

「お疲れ様です。今日も最高のパフォーマンスでしたよ」

 私はタオルとスポーツドリンクを手渡しながら通路を歩いていく彼女の一歩後ろに付き従います。
 控え室に入る姿まで颯爽としています。
 はあ、と溜息が出そうになるほどの素敵さで、もう倒れてしまいそうです。
 実際に倒れてしまうファンだって沢山いるんです。少し前まで、私もその一人だったというのだから世の中というのは不思議なもの。
 圧倒的に美しい一つ年下の少女は一体誰なのか。
 彼女こそ、今をときめく歌姫Spearその人。
 ミリオンセラーを記録したアルバムは現在進行形で伝説を更新中。
 私は些細な切っ掛けから彼女に見出されて、何とマネージャーを務めることになっちゃったんです。

「ルリ、これ邪魔。どけて」

「はい、ただ今!」

「ルリ、疲れた。マッサージ」

「はい、お任せ下さい!」

「ルリ、膝枕」

「はい、幾らでもどうぞ!」

「ルリ、お手」

「わんっ」

 こんな感じで、とっても綺麗だけど冷たい声で命令されると私は勝手に身体が動いてしまうと言いますか――でも不思議と嫌じゃないんです。
 これって私が変なのかなあとも思うけど、あのSpearのお手伝いができるというだけで嬉しくってそれどころじゃありません。
 私は学生なので、付き人として身の回りのお世話をしたりするのが主な仕事。
 もう一人のマネージャーであるリアンさんは昔『妹系アイドル』として売り出していたけれど余り成功できず、今は事務所の裏方に回って所属する芸能人たちをバリバリ売り出しています。
 対外的な交渉とか、企画の立案とか、広報のセンスとかがとっても優れていて、実はそういうのが向いていたみたい。
 どうしてかSpearとは仲が悪くって、いつも口喧嘩してばかりだけど――普段はとっても優しくて可愛らしい人なんだって、私は知ってます。

「ライブお疲れ様です。えっとですね、この後のスケジュールなんですけど」

 人気歌手である彼女のスケジュールは分刻みで管理されています。
 ちょっと――どころではない我が侭さでリアンさんが立てた予定はあっけなく壊れてしまうのですが、そこをどうにかするのが私の仕事です。

「めんどくさい。レッスンだけして帰る」

「え、ええっと。ラジオのゲストなんてそんなに喋らなくても大丈夫ですから」

「どうしてあいつはトーク系ばっか回してくるの。馬鹿なの。死ぬの」

 ここにはいないリアンさんに毒を吐く姿もまた麗しい。
 濡れたような黒玉の瞳、長い睫毛、疲労が残った表情――。
 ああ、でも駄目、ここは心を鬼にして、

「意味がわからない」

 突然、控え室の鏡が砕け散って、世界が引き裂かれます。
 呆然とする私の目の前に現れたのは、黒いフードを被っているけれど、紛れもなくSpearその人で――あれ? 二人いる?
 どうして、と困惑する私の目の前で、新しく現れた方のSpearはとても長い槍のようなものを振り回します。
 危ない、と叫ぼうとしたその時。

「駄目じゃないか、邪魔しちゃあ」

 私の足下で、なんと影が喋り出しました。
 ざわざわと沢山の影が森のように伸び上がっていきます。
 全てが真っ暗闇に包まれて。
 暗転。
 世界が消える。
 不具合が発生したので、最初からやり直し。




 私の名前は青嶺瑠璃。普通の十六歳だ。
 ――とは、少し言い難いかな。
 なにしろ私は高校生でありながら、アイドルとして売り出しているから。

「マリー! こっち向いてー!」

「きゃああああああマリー様あああああ」

 学校に登校しても黄色い声、パーカーのフードで顔を隠しても見つかれば騒ぎ立てられる。
 どうにかこうにか事務所に辿り着くと、マネージャーのメイがやってくる。

「モテモテだねー、あやかりたい」

「やめて。本心じゃないくせに」

 素気なくあしらう。
 けれど彼女は薄く笑って、

「ふふ、まあそうだね。でもいいじゃん。どっちにしても『あたしの』であることにかわりは無いわけだし」

 そういって軽く私の髪を撫でる。
 私の髪は短めだから、彼女の片側で束ねられた長く綺麗な髪が羨ましく感じられる事がある。
 近付いたお互いの距離を更に縮めようと私はそっと一歩を踏み出して、

「だからっ、意味がっ、わからないっ」

 硝子が砕け散るようにして世界が砕けていく。
 私は鋭く誰何しながらメイを背後に庇うが、足下から突然溢れ出した影の群れに飲み込まれて、遂には意識が遠のいていく。
 暗転。
 やり直し。




「スピスピのステージに来てくれたみんなー、元気にしてるぴょーん?」

 快活な声。
 溢れる熱気と凄まじい歓声。
 舞台裏で幼馴染みが活躍する姿を見守りながら、私はこれでいいんだと自らに言い聞かせ続ける。
 幼馴染みは歌手を志していたけれど――事務所はその容姿を生かしたアイドル路線で売り出すことを望んでいた。
 中卒で芸能事務所に就職し、共に同じ世界で支え合って行こうと誓い合った私たちは、依存にも似た関係のまま事務所の方針に逆らうことができず、そのままずるずると不本意な仕事を続けていく。
 けれどモチベーションの低さがパフォーマンスまで引き下げてしまったのか。
 それとも売り方が悪かったのか。
 本人の希望する路線と事務所の希望する路線が折り合うぎりぎりのライン――クールな歌姫系アイドルというキャラクターは全く成功しなかった。
 中途半端こそが失敗の原因だったのかも知れない。
 路線変更も致し方ない。
 厳しい現実。
 けど安心して。何があっても私は貴方の味方。
 今度は逆。
 可愛さで攻めるの。
 見て、今は兎のキャラクターが受けてる。
 この路線でファンのハートを掴むのよ!
 兎の垂れ耳にイメージを統一しましょう。
 今までの落ち着いていて謎めいた雰囲気を反転させるの。
 可愛く華やかで快活な、兎耳が素敵な誰からも愛される偶像アイドル

「ぴょんぴょーん! みんなー、いつもありがとー! スピスピ、精一杯歌っちゃうぴょん♪」

 与えられた役割を、震えて涙目になりながらも精一杯こなす貴方が、どこまでも愛おしい。
 ああ――なんて甘美なんだろう。
 こうして、いつまでもこの手の中にいてくれたなら。
 私はずっと、貴方の傍で穏やかな気持ちでいられる。
 貴方という主役を見つめながら、その輝かしい軌跡を見届けたい。
 ――本当に、それでいいの?
 そう自問する声を、必死に無視しながら。

「やめてやめてやめて絶対にありえない」

「いいかげんしつこいな君も」

 ああ、私の目の前で争う沢山の影と黒衣の女性は、私の内心の葛藤を可視化した天使と悪魔なのだろうか?
 私は胸を押さえて、静かに目を瞑った。
 暗転。
 やり直し。



「何度やっても同じさ。僕が無限に複製し続ける夢からは絶対に逃れられない」

「だとしても、諦めるわけにはいかない」

「アズーリアはこのまま心の奥底に封じ込められる運命なんだよ。こうして、幸せな夢を永遠に見続けながらね。本人が望んでいるんだ、この甘やかな夢の中で微睡み続ける事を」

「アズがどう思ってるかなんて知らない。ハルが欲しいの。それだけ」

「身勝手だね。そんな身勝手な相手に、可愛い我が子を渡すわけにはいかない」

「子供を束縛するだけしかできない、親の顔をした怪物にあの子は渡さない」

「ではどうする? この不毛な争いを続けて消耗するのかな?」

「持久戦では敵わない――だから、そちらのやり方を利用させてもらう」

「――何だって?」

 暗転。
 やり直し。




 ドン、と壁に手を突かれて、私は前にも後ろにも逃げ場が無い事を知った。
 控え室には二人きり。
 目の前には、ぞっとするほど綺麗な一つ年下の少女。
 背の低い私よりも高い目線、黒玉の瞳、繊細な造型の顔。
 息も止まりそうな距離で、紡がれる言葉。

「お姉ちゃん」

 間違い無く、心臓が止まった。

「ハルを守って」

「やめて!」

 突き飛ばそうとして、寸前で躊躇う。

「どうして。これがあなたの望むこと」

「そんなことない」

「あなたはハルに妹を投影してる」

「ちがう」

 否定の言葉はどこか弱々しい。
 自分でもわかってる。
 いつになく、彼女の機嫌は悪い。
 普段はぶっきらぼうではあってもとても優しいのに――今は不快そうに眉根を寄せて、冷たい視線を送ってきている。

「どうすれば嬉しいの」

 最初は、些細な口喧嘩だった。
 彼女が、ファンの女の子を連れ出して控え室に連れ込んで――その上で私に見せつけるように、あんなことを。
 私はそれを咎めたけれど、彼女はまるで意に介した様子が無くて。
 それから言い争いになって、ファンの女の子からは何様だとか偉そうにだとか言われて、ひっぱたかれたりもしてしまった。
 そうしたら、彼女はどうしてかその子を追い出して、それでも不機嫌な態度をとり続けて私の言うことを聞きもしない。
 彼女の考えていることが、まるでわからない。

「あなたはわがまま――わからずやのほしがりや」

 わがままって、それはこっちの台詞だと言おうとして、次の彼女の言葉に遮られる。まるで、刃の様な言葉だと思った。

「どうすればいいか、わからなくてイライラする」

 それも、私と同じ。

「こんなの初めて。あなたはハルを苛つかせる天才」

 それもだ。

「あなたは、理不尽」

 こっちの台詞だ。
 ずっと、同じ事を考えていた。
 ずっとって、いつから?
 骨花に襲われていた所を助けて貰った時?
 一緒に崖から転落して、二人きりになって喧嘩した時?
 それとももっと昔――唐突に現れて本を取り上げるという悪戯をされた時?
 脳裏に浮かぶ記憶はひどく空想的でまるで覚えがないものだったけれど、不思議と懐かしくてたまらないものだった。

「どうして欲しいか、ちゃんと教えて」

「放って置いて」

 口から零れ出た言葉は拒絶。
 だって、最初から私は相応しくない。

「だいたい、私は最初から貴方に釣り合わない。こんな化け物――こんな、知能が無い――脳すら存在しない下等な生き物、貴方の使い魔に相応しくない」

 使い魔候補は他にもいる。
 たとえばリーナだ。
 クロウサー家の人間は転生者の因子を有する。
 特別なグロソラリアとかゼノグラシアとか言ったって、リーナでも別に構わないはず。それに、あのサリアみたいな凄い人にはまるで敵う気がしない。
 迎えに来てくれて、嬉しかった。
 英雄扱いされることよりも、ずっと特別だと認められたような気がして、本当はすごく自分という存在が確かになった気がして――けれど、それは脆い幻想に過ぎないのだとわかっていた。

「交換可能性に、人は耐えられない」

 ぽつりと、彼女が口にした。
 その意図がよくわからなくて、私は首を傾げたけれど――次に放たれた言葉で、私は凍り付く。

「白いガーデニア、覚えてる?」

 唇を噛んで、目を逸らす。
 もちろん、忘れるはずもない。
 予感はあった。そうではないかと思っていた。
 けれど、それは余りにも自分にとって都合が良すぎて――夢見がちに過ぎて、知らない振りをずっとし続けてきた。
 本人からその正体を明かされるまで、私は卑怯にも待つことしかしてこなかったのだ。
 だって、ずっと憧れていた人が自分を迎えに来てくれるだなんて、下手な筋書き過ぎて私でも摸倣先に選ばない。

「ファンレター、嬉しかった」

 言葉は穏やかだけれど喜びに満ちていて。

「まだ反応が全然無い頃から、全部聴いてくれてるって」

 それは、偶然の巡り合わせだったかもしれないけれど。

「支えて貰ってるって書いてあって、びっくりした。そう感じてる人がいるって思えたら元気が出た。こっちこそ支えて貰ってた」

 私はずっと前から歌姫のファンで――だから当然、応援の手紙を送り続けていた。何かの記事で読んで以来頭に刻み込んでいた、彼女の好きな花を添えて。

「くじけそうになった時、あなたの言葉が支えになった。ガーデニアの白さを見て、故郷のお母様を思い出した。けれど、ハルにとってあの花が思い出させてくれる大切な人は一人だけじゃない」

 自分のささやかな行動が彼女に届いていた。
 その事がたまらなく嬉しくて――けれど、同時に心に暗いものが這い寄ってくる感覚があった。
 影が差して、闇が広がる。

「君はファン――つまり沢山いる内の一人だ。『特別』じゃない」

 小さな子供の声――生まれる前から知っているような、私の根本に存在するような力強い声。
 その致命的な指摘で、私の存在に亀裂が入っていく。
 ああそうか、私は特別じゃないと嫌なんだ。
 なんて傲慢なんだろう。
 恥ずかしい。
 このまま消えてしまいたい。
 舞い上がって、ばかみたい。
 ばらばらになって、希薄になって、小さくなって。
 闇の中に消えていこうとする私の左手を、強く握る誰かの存在を感じた。

「そんな言葉に惑わされないで。あなたの存在はあなた自身で定めるの。だから」

 強引に、引き寄せられる。
 黒玉の瞳が、決意の光に輝いた。
 それは己の命を――あるいはそれよりも大きなものを賭けた決死の覚悟か。
 それとも。

「ハルと――ううん、ジルと存在をかけて決闘して。勝った方が、ハルベルトの名を受け継ぎ、存在基盤を確立する。頷いてくれないとあなたを殺してジルも死ぬ。頷いてくれたらあなたかジルのどちらかが死ぬ。さあ選んで」

 私どころか、無数の影までもが呆然としてその言葉に圧倒されていた。
 どう転んでも滅茶苦茶な結果しか生まない選択肢。
 そして、私が選んだのは――。




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