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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第3章 特権者のヒロイック・シンドローム、さもなくばアズーリア・ヘレゼクシュの憂鬱

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3-14 パレルノ山六千人殺し



「何読んでるの?」

 浮遊する端末から書籍テクスチャを立体投影しているリーナに問いかける。実体の存在しない純粋に情報的な書籍でも、幻覚呪術によって『手触り』を再現して重さや項をめくる際の紙の質感などを再現することができる。リーナは多分、『本を読んでいる実感』が欲しいタイプの人なのだろう。

「んー? こんなん」

 そう言ってリーナは背表紙を見せた。
 私は何かを言おうとして、しばらく迷った後に口を閉ざす。

 彼女が読んでいたのは、戦場小説あるいは迷宮小説と呼ばれる、その内容よりも社会的な利用形態に重きをおいて定義されるジャンルの小説である。
 その名の通り迷宮における待機中や休息中の暇つぶし、帰還途中での利用が考えられる。

 古くは駅の売店などで売っている駅小説などに起源を持つとも言われ、迷宮や戦場を舞台とした痛快な冒険活劇、あるいは反対に平和な故郷を想起させるような穏やかな話などが多い。

「私この人の作品が好きなんだよねー」

「そうなんだ」

「なんていうか、ふわふわしてて全体的に優しいっていうか。迷宮のお話もあるけど、そっちも殺伐としつつも穏やかな感じでさ」

「ありがとうございます」

「は? 何が?」

「なんでもないです。気にしないで」

 居心地が悪いような気がして身動ぎする。
 間に合わせで貸与されている呪動装甲の中は少し狭いような感じがする。私が肉体のサイズを変動させれば最適化されるのだが、『私』を歪めるようで抵抗感があるのだ。

 ラーゼフはあと一週間もあればまた新しい甲冑を用意できると言っていた。待ち遠しい。たしかきぐるみの魔女が完成させた既存の呪動装甲ではない、完全な新型だという話だったが――。
 そんなことを考えていると、背後からプリエステラに声を掛けられた。

「二人とも、みんなの準備が出来たよ」

 振り返ると、整列したティリビナの民たちの姿。
 以前訪れたティリビナの民の集落は、昼間であってもあまり印象は変わらなかった。強烈な陽光が木々で和らげられているからかもしれない。
 まとめ役のプリエステラからの報告。点呼は完了し、名簿にはきちんと全員分の名前が記されている。

「荷物とか、本当に大丈夫?」

「うん。元々いつでも出発できるように準備してたし、そもそも沢山ものを持つ習慣は無いんだ。必要なものはまた調達すればいいんだし」

 それに、とプリエステラは振り返り、列の後ろを示した。

「ミルーニャちゃんのお陰で色々と運搬が楽になったしね。本来捨てる予定だったものまで運べちゃった」

 列の後尾には、浮遊する絨毯や布などが『敷かれて』いた。その上には保護用の布に包まれた大量の荷物。子供たちが面白がって絨毯や荷物の上で跳ね回っている。列の移動と共に自動的に移動するあの呪具を用意したのはミルーニャだ。

 そのミルーニャは、現在列の後ろで小さな子供たちに囲まれている。
 どうやら懐かれてしまったらしい。

「ねーねー、なんか道具みせてよー、つうかタダでくれよミルーニャちゃんよお」

「おら都会モンが出し惜しみしてんじゃねえぞ」

「先日の件では死傷者こそいなかったものの、軽傷や心理的な衝撃を受けた者が多数おりまして。かくいう僕もその一人です。傷付いたなあーもの凄く傷付いたなあー」

「そうだそうだ、謝罪と賠償を要求する!」

「つまりさー俺が担当してた腕の付け根あたりのお陰であの石像がぶっ壊れたわけ。まあお前もいい勉強になったんじゃね? 世界は広いし上には上がいるってことなわけよ。そう落ち込むことないさ、生きてればいいことあるって、な?」

「――あ、あははは。そうですねー全く皆様の仰る通りですぅ」

 うん、『どうやら懐かれてしまったらしい』ということにしておこう。
 実のところ、こうしてここに来る前のミルーニャはかなり精神的に追い詰められていた。プリエステラは一度は敵として相対したミルーニャと和解したことをティリビナの民たちに説明してくれたらしい。

 いざとなったら間に入ってくれると保証してくれたので酷いことにはならないだろうと思っていたし、実際にあの程度で済んでいるので安心している。

 それに――と、私は同じく列の最後尾で寡黙に佇む二人の男に視線を向けた。
 見覚えのある、筋骨隆々とした体躯を晒した変態――もとい巨漢。
 そして黒い肌に祭服という静かな立ち姿。
 修道騎士ペイルと、黒檀の民の医療修道士イルスがそこにいたのだ。

 何でもラーゼフとハルベルトが動かせる人員を回してくれたらしいが、なんというか意外な人選ではあった。それとも必然的な人選なのだろうか。
 ちなみにナトは治療とか試験運転とかで来られないとのこと。

 以前プリエステラを助けた一件が効いたのだろうか、イルスを始めとした修道騎士――正体を明かした私やメイファーラに対しても、そこまで嫌悪感を示される事は無かった。勿論友好的な態度というわけではない。プリエステラを間に置いて、一定の距離感を保つ。それが最大限の譲歩だった。

 滅びつつあるパレルノ山から逃れる為には手段を選んでいられないという事情も大きいだろう。
 そしてもう一つ――私はここに来てペイルが最初にとった行動を思い出した。 

 私たちが姿を見せると、ティリビナの民達はかすかにざわめいた。プリエステラに説明を受けていたとはいえ、やはり松明の騎士団という敵の存在は威圧的に映るのだろう。
 それに、以前とは様子が違うとはいえ直接戦ったミルーニャの姿もある。

 そこへ、ペイルが無造作に前に出た。何故かミルーニャの手を無理矢理引っ張ってだ。そしてティリビナの民たちの前でこれ見よがしに大声を張り上げてこう言ったのである。

「おう、テメーの所為で全治一晩の大怪我しちまったぜ。詫びに一発ヤらせろや」

 私の槌矛が奴の顔面にめり込み、リーナの【空圧】が空高く巨体を舞い上げた。
 更にティリビナの民の少女たちから辛辣な言葉が浴びせかけられる。

「男ってサイテー」

「死ねばいいのに」

「×××腐って死ね!」

 震えるミルーニャをよしよしと慰めながら私は少しばかり思案したものだ。
 ――結果的に、彼の下品極まりない言動のお陰でミルーニャに対する敵意に歯止めがかかったような気もする。
 考えすぎだろうか。考えすぎかもしれない。

 思えば彼は初対面のミルーニャに強引に迫っていたし、先程は懲りずにリーナにまで声をかけようとしていたので、単にそういう人なのだろう。死ねばいいのに。
 そういえば同じように露出狂じみていたシナモリ・アキラはどうなんだろう。男はみんな同じ、みたいな偏見は持ちたくないけれど。
 願わくば、彼が理性的な人でありますように。

「準備が済んだなら急いで。あまり時間が無いから」

 落ち着いた声。
 今回の護送において先導者となる探索者サリアだった。軽装で、腰の革袋と二振りの短剣以外にはさしたる装備も身につけていない。探索者用の頑丈で汚れてもいい茶色の服は実用一点張り。栗色の髪が一房だけ編み込まれているのが唯一のお洒落だったが、その美貌は全く色褪せることはない。彼女には装飾など不要だった。
 ただ、存在そのものが強固なのだ。
 間違い無く、この中の誰よりも強い。頼もしさと安心感。

「よろしくお願いします、サリアさん」

 彼女は小さく頷いて、メイファーラと共に列の先頭に立つ。
 その少し後ろには私とハルベルトとリーナが控え、最後尾にはプリエステラとミルーニャ、ペイルとイルスという形になる。私たち九人でティリビナの民を挟み込む隊列である。

 午前中にパレルノ山の転移門に降り立った私たち【チョコレートリリー】とサリア、そして修道騎士二人の合計九人は急ぎ足でティリビナの民の集落を訪れ、既に撤収の準備を始めていた彼らを整列させ、護衛しつつ転移門へと戻る。

 彼らの一割程度は地獄へと向かい、五割ほどは第五階層に向かうらしい。残る四割――女性や小さな子供たちを中心とした者たちは智神の盾の保護下に入る。
 しかし、今この時を切り抜けなければその未来も存在しない。

 ――遠くで、何かが崩落する音がした。
 地震、土砂崩れ、あるいはもっと恐ろしい何か。
 九人でここに来るときとは違い、今回は表の山道を通るわけではない。
 私たちはこれから、パレルノ山の内部を複雑に走る迷路のような坑道を通っていくことになる。
 何故わざわざ暗く危険な坑道を通っていくのかと言えば、それは。

「始まった」

 岩壁に口を開けた坑道に入ろうとした私たちの頭上で、白い閃光が瞬いた。
 爆音。
 禿げた岩山の各所から、白い炎が吹き上がっている。
 あれは滅びの炎だ。
 今まさに、パレルノ山は死に逝こうとしている。

「来るときも凄かったけど、もう上は通れそうにないねー」

 メイファーラの暢気な感想も、どこか恐れを含んでいるようにも聞こえた。
 山が燃えている。
 白い炎、なにもかもを終わらせる終焉の揺らめきが、この古代世界を更新しようとしているのだ。
 本当は、あれが始まる前に護送ができればよかったのだけれど。
 とにかく、巻き込まれる前にこの世界を脱出しなければならない。

「アズ、行こう」

 隣のハルベルトに頷いて、私たちは出発する。
 白い炎に包まれて滅び行く世界。
 パレルノ山には、決して遭遇してはならない危険が幾つか存在する。
 その最上位――遠い過去、この呪鉱山そのものを抹消した災厄の記憶が、今まさに甦っているのだ。

「お姉様――」

 ハルベルトが、小さく呟く。
 キュトスの七十一姉妹。
 その上位九名、悪魔の九姉と呼ばれる恐るべき魔人たちが世界に残した爪痕。
 虐殺と破滅に彩られた、この世界の終わりが再現されつつあった。



 薄暗い道を私とメイファーラの呪動装甲が照らす。
 松明の騎士団という名称を体現するかのごとく、その紋章から光が前方へと放出されていた。

 その他にもハルベルトの呼び出した仮想使い魔が頭上からティリビナの民たちの視界を確保し、後方ではミルーニャの用意した呪具が光源を確保している。
 複雑に入り組んだ道は迷路のようだが、この辺りに住んでいたティリビナの民らの知識とメイファーラの千里眼があれば正しい道を進むことができる。

 更にサリアが有していた地図はこの上なく正確なもので、最前列で先導するサリアとメイファーラに従って私たち一行は順調に坑道内部を進む事ができていた。

「『隅から隅まで調べ尽くさないとクリアした気になりません』とか『手抜きして見落とした場所にレアアイテムがあったら一生後悔するじゃないですか』とか訳のわからないことを言われて結局地図が完成しただけの無駄足だったけど、まさかこんな形で役に立つなんてね」

「ひょっとして、コルセスカさんのお話でしょうか?」

 サリアの小さな呟きを拾ってみる。
 案の定、それはかの冬の魔女のことだったらしい。

「そう。前に来たときはまだ私たちも駆け出しだったから、とりあえず腕試しに単眼巨人と蛇の王とイキューを一体ずつ仕留めて帰ろうって話になったんだけど」

 余りにもあっさりと言ってのけたが、駆け出しで私たちが苦戦した怪物をあっさりと倒してしまうこの人が怖い。

「コアが折角だから師匠超えに挑戦してみるって言い出してね。【白焔】の出現地点に時間加速かけて無理矢理呼び出して、そのまま戦ったの。今まさに、真上で暴れてるあの白いやつと」

「どうなったんですか」

 私はごくりと唾を飲んで問いかけた。彼女たちの無事な姿を見ている以上、その答えは明白なはずだったが。

「負けた。それはもう命からがら逃げてきた。三人で全力の凍結食らわせて時間稼ぎしてる間に空間に裂け目作って追放するので精一杯だった」

「あの、それは勝利なのでは」

「どんな固有種や魔将だって正面から倒してきた私たち三人が、足止めして追放が精一杯だったって話よ」

 思わずぞっとした。洒落にならないどころではない。
 パレルノ山最大の脅威とは決して相対してはならない。戦いにすらならないのだと、私はそこで初めて実感したのだった。
 それにしても。

「コルセスカさんが星見の塔の出身だってことは割と有名なので知っていましたけど、お師匠様が【白焔】というのは初耳です。というか、意外です」

 冬の魔女というイメージからは遠くかけ離れている。悪魔の九姉に直接師事していたという事そのものには納得がいくのだけれど。

「正確に言えば、他にも【七つの風の主】とか【空虚大公】とか色々師事してた相手はいるらしいけどね」

 二人とも、私でも知っている有名なキュトスの姉妹だ。そんな錚々たる面々に鍛え上げられた冬の魔女コルセスカは、確かに英雄たり得る人物なのだろう。

「あの白い焔は、実際には燃焼という物理現象ではないの。抽象的な火の概念――ものごとの始まりと終わり。加速度的に進行していく時間的経過が理解可能な形として『翻訳』されているだけ。あの白い焔は全てを終端まで運んでいく膨大な時間流そのもの」

 ハルベルトが隣で解説する。
 言っている事が、わかるようなわからないような。つまり、【炸撃】や【爆撃】といった炎を操る呪術とは根本的に異なる性質の呪術ということなのだろうか。

「詳しいのね。貴方は智神の盾の所属だったよね。呪術にも明るいんだ?」

「智神の盾は、あらゆる知識を収集するから」

 顔をうつむけて、相手からの質問には必要最小限の答え。少しだけ喋りすぎたと後悔しているのかもしれない。
 サリアはそんなハルベルトの様子に気付いているのかいないのか、変わらない調子で喋っている。

「コアは『凍結』という概念を拡張させて時間を停止させる能力を持ってる――逆かな。時間停止の結果として凍結現象が起きている。いずれにせよ、あの子の適性は時間操作系の呪術だった。だから時間使いの【白焔】や空間使いの【七つの風の主】が師だったんでしょうね。【空虚大公】は良く知らないけど」

 時間を操作する――口で言うのは簡単だが、凄まじく高度な呪術である。
 自身の内的宇宙に干渉して体感速度を加速するだけでも凄まじい技量が必要であり、四大系統のどの手法であっても最高難度の呪術であるとされている。

 本来、時の流れは不可逆である。
 その流れを速める事ならば膨大な呪力を費やすことで可能となる。
 それは世界の在り方に反していないからだ。

 だが停止は明確に世界への抵抗である。減速ですら加速以上の呪力が必要になる。それも限定された空間のみ、分子運動を減速させて凍結現象を引き起こしたりする程度だ。

 現代呪術における戦闘の定石は【爆撃】などの熱や爆圧による攻撃を叩き込むこと。凍結はいかに強力であってもコストがかかりすぎて使えないとされている。
 それを主な戦闘手段として用いる冬の魔女が保有する呪力が一体いかほどなのか。そして、その彼女ですら倒しきれなかったという【白焔】とはどれほどの怪物なのか。

 戦慄する私の頭上で、またしても振動。
 先程から断続的に響いてくるこの音は、パレルノ山がゆっくりと滅びている証拠である。ぱらぱらと小石や砂が落ちてくるたび、私の心に焦りが生まれる。

「完全に下まで消滅するのは夜になってからだよ、アズ。落ち着いて予定通りに進んでいれば大丈夫」

「うん、わかってる」

 メイファーラの穏やかな声に心が落ち着く。
 今の所、坑道内部に敵は見当たらない。時折見えないところで鉱山妖精が甲高く鳴いていたりする程度で、隊列が乱れる様子も無い。

「【白焔】は上で暴れてるだけだから大丈夫として。問題はもう一つの方」

 サリアの言葉に、隣のハルベルトがびくりとする。
 その理由を私は知っていたけれど、ここで明らかにする必要の無いことだったから黙っていた。

「【死の囀り】の動きは不規則で、万が一ということもある。基本的に地上で歌ってるだけだとは思うけど、もし聞こえてきたら消音結界をお願い。私が陽動して遠ざけるから」

「あの、もう一度確認しますけど、それってサリアさんは大丈夫なんでしょうか」

「役目を替わって貰うとして、誰かやれる?」

 無理だ。それは死と同義である。

「生還できそうなのは私だけでしょう。だから私がやる。もちろん、最悪の場合は、だけどね。遭遇しないに越したことはない」

 そう言うサリアの口調には気負いが全く見られない。
 本当に、必要だからそうする、というだけのようだ。
 命知らずなのではなく、合理主義的な思考と確かな実力に裏打ちされた冷静な判断がそういった態度をとらせているのだろう。

 私はなんだか、頼りきりにしてしまっているようで申し訳無い気持ちになった。
 横目にハルベルトを見ると、視線が合った。
 囁き声で問いかける。

「大丈夫?」

「問題ない。でも、ちょっと悲しい」

「そっか。ハルにとっては大事な人なんだものね」

 こくり、と小さく頷く。
 ――【死の囀り】。
 パレルノ山における最大の恐怖。その片割れ。
 かつてこの鉱山を、恐ろしい災厄が襲った。

 悪魔の九姉のうち二人が出現し、殺戮の嵐が吹き荒れたのである。夥しい数の死体を積み上げたのは、キュトスの姉妹が第三位【死の囀り】カタルマリーナと第八位【白焔】ビークレットの二人。

 その記憶が刻まれたこの古代世界では、時折その暴力の記憶が呼び覚まされる。
 まるで世界そのものが悪夢にうなされるように。
 白い炎と狂乱の歌声がこの世界を破滅に誘うのである。

「でも、本人ってわけじゃないんでしょう?」

「うん。残響――亡霊みたいなものだって。知性の無い、暴力的な呪力の塊。だから気が楽。冷静なお姉様方を敵に回すなんて、考えただけで恐ろしくなる」

 【白焔】ビークレットがコルセスカの師であるように、【死の囀り】カタルマリーナもまたハルベルトの師であるという。
 敬愛する『お姉様』を、たとえその記憶の残滓だとしても敵に回さなければならないのは余りにも酷というものだった。
 護送の事を話し合っている時、その名前が出る度にハルベルトの表情が曇っていった事を、私だけはよく知っている。

「大丈夫、きっと戦うようなことにはならないよ。それにね、私だって恩を感じてるんだ。だからハルの戦いたくない気持ちはわかるよ」

 皆が自らの師の名前を恐ろしい怪物のように口にするのは、きっとつらいだろうと思う。だから、せめて私くらいはハルベルトの気持ちに寄り添ってあげたい。
 それに、恩を感じているというのも嘘ではない。
 私は、カタルマリーナという人に感謝しなければならない理由がある。

 遙か後方にいるであろうミルーニャの事を思う。
 私たちが今のように一緒にいられるのは、ハルベルトのお師様のお陰だ。
 【公社】――大企業ペリグランティア製薬はミルーニャに私を引き抜け、さもなくば秘密裏に捕獲しろという命令を下した。

 結果的に失敗した訳だが、そうなった以上ミルーニャに何のお咎めも無しというわけにもいかない。
 私は彼女を守って【公社】と敵対することすら覚悟したが、それをハルベルトは制止した。その必要は無い、と。

 ハルベルトの話によると、要するに派閥争いというやつなのだとか。
 ペリグランティア製薬というのは星見の塔の傘下にある企業であり、歴史の古い杖の一派閥そのものでもある。

 派閥の首魁たる呪術医ベル・ペリグランティアは、末妹の選定において杖の座に対して一定の影響力を有するが、その力は絶対的なものではない。杖の魔女には【空虚大公】を筆頭に有力な姉妹が他にも存在し、更には杖と使い魔の複合派閥にして最大勢力たるラクルラール派に取り込まれる危険性すらあった。

 そのため、どうにかして勢力を生き残らせようと、本来ならば記憶消去される筈だった予備候補を支援要員として確保して手元に置いたり、強引な手段で魔女の使い魔を引き込もうしたりしていたようだ。

 ――もしかしたら、私の他にも使い魔候補が強引な手段で勧誘されていたりするかもしれない。知ったところで、私には何も出来ないけれど。
 ミルーニャが私たちに襲いかかってきたのは、ペリグランティア製薬の表の顔である企業としての利益追求の他にも、裏の顔である呪術結社としての勢力争いという側面があったのだ。

 医学、薬学が魔女の専売特許だった時代は遠い過去のもの。
 純粋な杖の呪術のみを用いる呪術医たちの勢力は衰退し、現代では呪文の技術も必要とされている。

 ハルベルトが所属する呪文の派閥――カタルマリーナ派とペリグランティア派との間で、何らかの取引があったらしい。
 おそらくは呪文関連の技術供与。そして不戦協定、あるいは協力関係を結ぶといったようなものが。

 ハルベルトの話では、それは最大規模の派閥であるラクルラール派に対抗する為の措置であるということだった。
 星見の塔第六位全権代理ラクルラールは杖と使い魔の呪術師たちを束ねる超巨大な派閥を形成している。

 ラクルラール派は使い魔の座トライデントを筆頭に、杖の座であるトリシューラまでも擁する最大勢力である。
 どちらの姉妹が末妹になったとしても、その功績は派閥の盟主たるラクルラールのものになるのだそうだ。

 尤も、ハルベルトの話だとラクルラールはトリシューラの本来の庇護者である星見の塔第十一位【空虚大公】クレアノーズを幽閉、人質にすることでトリシューラを従わせているだけらしい。

 つまりトリシューラは潜在的にはラクルラール派の敵である。
 そして競い合うという選定の性質上、トライデントと対立することを止める事はできない。

 ハルベルトの当面の敵はラクルラール派とトライデントらしいが、トリシューラとは所属する派閥の上では敵同士でも状況次第で共闘が可能ということだった。

 いずれにせよ、私とハルベルトが正面からミルーニャを打ち破ったことで、カタルマリーナ派とペリグランティア派は共通の敵に対して足並みを揃えることを選択した。

 それはすなわち、ハルベルトとミルーニャの和解と、トライデントという共通の敵に対抗する為の同盟の成立を意味していた。
 長くなったが、私がカタルマリーナという女性に感謝するのはそうした理由だ。
 それに私のお師様であるハルベルトのお師様なのだから、これはもう大お師様とでも呼ぶべき方である。

「いつかお会いする機会があったら、きちんと挨拶をしないと」

 ぽつりと呟くと、ハルベルトが何故か動揺し始めた。

「あ、挨拶って、お姉様に挨拶して何する気なの」

「へ? 何って、色々ハルにお世話になってますとか、そういう事だけど」

「だ、駄目。まだそんなの早い」

「何が?」

「とにかく駄目ったら駄目」

 どういう意味だろう。お師様の仰ることは難解でよくわからない。
 わかるように精進せねば。
 そうやってしばらく平和に進んでいると、サリアが唐突に足を速めて一人だけ前に出ていく。

「どうしたんですか?」

 応答が無い。しばしの沈黙。
 ややあって、サリアは腰の短剣に手をやると、

「敵。守護機械が二、甲殻虫が三、這いずっているのは啜り管虫かな。この場所で接触すると背後への流れ弾が心配だな――後ろ、障壁お願いできる? 私が取りこぼしたら掃除お願い」

 言うが早いか、風のように前へと駆けて行ってしまう。

「サリアさん?! 照明も無しに無茶ですよ、って行っちゃった」

「仕方無いから障壁だけ張って待つ。アズとメイファーラは迎撃準備」

 ハルベルトの言葉に従って構える。背後の行進が一時的に停止した。
 その間、短槍を構えたメイファーラが首を傾げている。

「おかしいな、あたしには見えなかったんだけど」

「メイに見えなかったの?」

 坑道内部は呪鉱石が放つ呪波汚染のせいで天眼の索敵範囲が狭まっているという話だったが、それでもメイファーラの感知は信用できる。
 その彼女が気付いていないということは、敵は高度な隠蔽能力を持っているかよほど離れた場所にいるかの二つに一つだ。
 サリアが口にした怪物の種類からして、後者でしかありえないはずだが、だとすると彼女の索敵範囲は天眼の民よりも上ということになってしまう。

「サリアさんって、天眼の民だったりするのかな」

「うーん、そんな感じしなかったけど。あれは普通の霊長類じゃないかなあ。第九位っぽい雰囲気だったよ?」

 メイと話しているうちに、暗がりの向こう側から足音。
 敵かと身構える私をメイが止める。敵ではなくサリアらしい。

「後ろの人達を守るのが最優先だって聞いてたから、迎え撃つより遊撃したほうがいいかって思ったんだけど。まずかったら次からそっちの指示に従う」

「いえ、元からサリアさんの好きに動いていただくという契約内容でしたから。それに、サリアさんって斥候か猟兵ですよね? ならそういう動き方の方がいいと思います」

 かつてキール隊にいたときも、カインが単独で動く事がよくあった。設置式の呪符で罠を発動させる戦術を得意としていた彼は、偵察だけでなく独自の判断で戦闘を行うこともキールに許可されていたのだ。

 先制攻撃で相手を一方的に仕留められるならそれに越した事は無い。
 彼女が優秀なら、その優秀さを最大限発揮して貰えばいいのだ。今はティリビナの民の安全を確保することが一番優先されるべきなのだから。

 それからというもの、サリアは獅子奮迅の活躍を見せた。
 前後から接近する敵を誰よりも早く感知し、前方の敵を先行して仕留める。
 後方の敵を感知すると素早く端末経由で連絡し、知らせを受け取った最後尾のミルーニャが酸毒符の罠を設置して相手を足止めした後でプリエステラやペイル達が倒すというパターンが構築されていた。

 誰一人として傷付かない完璧な布陣。
 本来ならばこの坑道内部はもっと危険な筈なのだが、サリアという上級探索者の存在が危険の度合いを大幅に下げているのだった。

 恐るべきはその索敵範囲である。
 どうやら彼女は目ではなく耳で遠くの微かな音を拾っているらしい。
 以前、第五階層でシナモリ・アキラが似たような索敵方法でエスフェイルの攻撃を見切っていたが、優れた戦士というものはこういう芸当ができるものなのかと感心する。

 その超人的な聴力のためか、彼女は視界がなくとも気配だけを頼りに敵を倒せるらしい。曰く、灯りをつけるとこちらの居場所を教えてしまうので気配を殺して接近した方が楽に倒せる、とのこと。
 気配を殺すってどうやるのかまるで見当もつかないのだけれど、彼女は一体何者なんだろうか。それとも達人はみんなそんなことができるのか。

 ティリビナの民たちも寡黙についてきてくれている。
 プリエステラへの信頼によるものか、彼らの辛抱強さによるものか。
 彼らは樹皮に覆われた強靱な肉体を持っている。老人や子供も交じっているが、ミルーニャが疲労を回復させる生命の水を大量に用意してくれていたので、足が止まることもなく順調に進めている。

 これなら、予定よりもずっと早く到着しそうだ。
 こういう時、お決まりのパターンというものがある。前にパレルノ山に来たときもそうだった。楽勝だと思えた時に限ってそういう展開になる。

 勿論油断は無かった。
 そして、サリアという強力な探索者に加え二人の修道騎士までいる私たちの陣容に戦力の不安は無い。
 だが、どんなに身構えていてもどうしようもない事というのが世の中には存在する。それは天災であったり、不運であったりというような、本当にどうしようもないことがほとんどだ。

 白い焔が迫ってきたら、呪術障壁を展開しつつ急いでその場を離れよう。
 歌が遠くから聞こえてきたら、精神防壁と消音結界を張りつつ進行方向を変更しよう。
 そういう打ち合わせをしていた。
 そして、索敵に優れたメイファーラとサリアがいる以上、その脅威を見逃す筈は無い。対策は完璧。そう思っていたのだ。

 だから、『それ』が音もなく目の前に現れたとき、私たちの誰もが愕然としたのは無理もないと言えるだろう。
 『音もなく』――そう、それこそが最大の誤算。
 まさかおぞましき歌声で数多くの人々を発狂させたと伝えられているかの【死の囀り】が、全くの無音で接近してきているなどと、誰が思うだろうか?

 その上、実体無き『世界の記憶』であるため、気配すら捉えられない。
 愕然とするサリアの表情から、それが探索者の情報にない、前代未聞の出来事であることが窺えた。

「お姉様――」

 消えそうな声で、ハルベルトが呟いた。
 呪動装甲から放たれる光に照らされて、その輪郭が淡くゆらめく。
 亡霊の如く浮遊する半透明の女性。
 口には布が当てられ、右手には腹話術の人形。
 左手には帳面。

 はっとハルベルトが息を飲んだ。
 人形が両手で翅ペンを握り、燐光蜂の針から滴り落ちる自然由来のインクが帳面に文字を記していく。
 それは歌。
 無言で綴られる、狂乱の歌詞。
 【死の囀り】は呪文の魔女であり、歌の魔女でもある。
 ゆえに、その能力は音声による詠唱だけではなく――。

「逃げてっ」

 ハルベルトの悲鳴。リーナが紙と発光する文字を撒き散らし、メイファーラが短槍を構え、サリアが単身で風のように突進していく。
 絶望が満ちる坑道の中、燐光を放つ文字の群れが浮遊して内包する呪力を放出していく。

 帳面に書き記された文字列。それは呪文だ。
 あれこそは偉大なる魔女がたった今この場で書き記した、即席の魔導書である。
 ふと、私は気付いた。
 恐るべき悪魔の九姉の一人。
 その背後で、全身を複雑怪奇にねじり回したようになっている、あの肉塊のようなものは何だろう。
 サリアが発動寸前の呪文に斬りかかり、壮絶な火花を散らしているその向こう。
 成人男性と少女の二人を雑巾絞りのようにして、互いにぐるぐると縒り合わせたような――そして骨で皮を複雑に砕いて固めたようなあれは一体。

 メイファーラの甲冑が放つ光に照らされて、金色の瞳が露わになる。
 短槍と【空圧】が容易く押し返された。メイファーラとリーナが呪力の衝撃波のみで弾き飛ばされる。
 それでも私は、ただ呆然とそれを観察していた。
 金色の目。奇怪な二人分の肉塊。

 襲撃を警戒してはいた。
 時の尖塔やエルネトモランで私たちを襲うよりも、このパレルノ山で襲った方がずっと容易く私たちを仕留められるだろうから。
 守らなければならないティリビナの民がいるという事も襲撃者に有利に働く。

 だから、坑道を進みながら考えていた。
 以前は単眼巨人に使い魔を寄生させて襲ってきた。
 今度は一体どんな手で攻めてくるだろう、と。
 けれど、いつまで経っても襲ってこない。
 その理由がずっとわからなかったけれど。

 たとえば、その前にもっと恐ろしい存在に見つかってやられてしまったのだとすれば――?
 その結果が、あの二つの肉塊なのではないだろうか。
 俗に、呪文使いは遅いがゆえに最速の邪視者には勝てないと言われる。 
 だが、その常識を容易く覆す者は確実に存在する。

 逃げてと言ったハルベルトの判断は正しい。
 けれど、世の中にはどうしようもない状況というのがある。
 背後で、凄まじい轟音。そして悲鳴。
 崩落する天井から、純白の焔が坑道内部を焼き滅ぼそうと侵略を開始する。

 白い火柱の中から、燃えるような貴婦人がその姿を現した。
 悪魔の九姉による挟撃。
 それは、逃れようのない死を意味していた。



 かつて、この鉱山で大規模な殺戮が行われた。
 動機、原因は不明。突如として現れた魔人たちは、その恐るべき力を振るっておよそ六千人にも及ぶ人々を虐殺した。

 山麓の村の住人、働いていた鉱山労働者たち、応戦すべく現れたリクシャマー帝国陸軍。虎の子である単眼巨人部隊百体を含めて、総勢六千にも及ぶ命が無慈悲に消滅していった。

 誰も生き残らなかった。
 そう、だれも生き残れなかったのだ。
 私たちは、ただの一人も残さず全滅した。






 時間を加速させるのには膨大な呪力が必要だ。
 停止させるのも不可能に近い奇跡。
 遡るなど、もっとどうしようもない絵空事。

 けれど、取り返しのつかない悲劇に直面したとき、人はそれを強く願う。
 時間が巻き戻ればいいと。
 もう一度やりなおしたいと。

 だから私は、死んでしまって呪文を唱える口も無い私は、存在しない左手を掲げて、言葉を紡ぐ。
 無いはずの金鎖が、砕ける音がした。

 ――遡って、フィリス。



 そして私は、









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