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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第3章 特権者のヒロイック・シンドローム、さもなくばアズーリア・ヘレゼクシュの憂鬱

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0-1 『フォービットの魔獣』


 広大無辺なアストラル空間。
 そこは空であり海であり大地であり、宇宙であった。
 乱数によって自動生成された無秩序なフィールドには方眼紙のようなマス目が重なって表示されている。
 競技のために一時的に作り出されたかりそめの世界。呪術的に実在するが、物質的には存在しない世界だ。杖の技術体系では、脳に入出力される情報を操作してこのアストラル界を物質的に再現しようとする『仮想現実』や『拡張現実』というアプローチが幾度も試みられているが、公式な記録でそれが成功したことは一度も無い。
 必要ないからだ。当たり前の様に存在するアストラル界をわざわざ再現する意味が一体何処にある? 杖使いは車輪の再発明に終始してばかり――杖の技術は既に存在する神秘の後追いをすることしかできない。そんな常識が、この世界における杖技術の発展を妨げているのだった。『科学』という知の体系は、旧世界に遺された残骸として今も延命を続けているだけに過ぎない。
 広漠な世界に、十八のアバターが一斉に投下された。
 流星のように光の軌跡を描いて、彼らは天より降り注いだ。
 呪的な操作によってそれぞれがアバターの姿勢を制御。緩やかな落下、激震を伴う着地、ほとんど墜落同然のものなど、多様な動きを見せる彼らは、直後から熾烈な闘争を開始した。
 十八のアバターは、それを操る本人の真のアストラル体では無い。
 闘争の為だけに用意された、アストラル界を動くための一時的な呪的化身アバター。その名はデーモン。
 その場所で行われようとしているのは、十八のデーモンが入り乱れる競い合いだ。
 数多い候補者たちの中から、総合的な成績や資質などを考慮して選抜された十八名によって行われる魔女の戦い。いずれも末妹候補の中でも特に有望と目される成績上位者たちである。いずれ行われる真の『選定』で競い合う四人は、この十八名の中から選ばれることだろう。
 これはキュトスの姉妹第二位ダーシェンカが開催する呪術儀式にして事前選考だ。勝利した者は第十九番目の色彩『万色』の称号を獲得し、第二位ダーシェンカの教えを受けることができる。偉大なる次女の支援を受けることが出来れば、末妹の未来は確実に近付く。 
 これはゲームでありトレーニングでありテストでもある。
 真剣でないものなど一人もいない。全ては、最後の魔女になる為に。

「牙を剥け、赤かるあぎと、われらが怒りその身に宿し、鍵たる剣持てわれらが土塊の出自を否定せよ! われら、この身は水の御子、大海より出で暗闇に還る、深淵の申し子なりと知らしめよ!!」

 燃える車輪が、高らかに呪文を歌い上げる。
 フォービットデーモンナンバースリー。そのハンドルは真紅レッド
 炎のごとき鮮烈なアバターイメージを遠巻きに眺めながら、ナンバーワンである真白ホワイト――そのカラス型アバターを操作するメートリアン=ミルーニャ・アルタネイフは冷静に思考を働かせる。
 あの赤いデーモンの呪力波形には覚えがある。確かつい最近、星見の塔第一位の長姉ヘリステラが連れてきたザリスとかいう候補だったはずだ。星見の塔の長姉が選んだ末妹候補ということで、かなり噂になっていた。両足が失われており車椅子で生活していることも、その壮絶な過去を想像させて他の候補達をおののかせる一因となっている。彼女が用いる車椅子という道具も、車輪の女王の異名を持つ偉大なるヘリステラを想像させて、むしろ威厳を感じさせていた。
 その詳細な実力は不明だが、間違い無く優勝候補の最右翼だ。噂通りに強力な呪文使いらしい。攻撃してくれと言わんばかりの目立つ詠唱は挑発のつもりか。圧倒的な自信に気圧されそうになる。
 慌ててはいけない。自分はここでも未熟な弱者でしかない。冷静さを失ったら食い物にされるだけだ。じっと堪え忍び、機会を待つ。強者達には潰し合わせて、弱ったところを狙うのが最善の戦略のはずだ。
 雲のテクスチャにその白いアバターを隠しながら、ホワイトはその時を待った。
 巨大な呪文構成を練り上げつつあるレッドを、波濤のように飲み込もうとしている何かがある。途方もなく膨大な数の、それは青いアバターの群れだった。
 ナンバーフォー、真蒼ブルー。それが能力なのか、それとも元々群体のデーモンなのか。とにかく圧倒的な物量はまるで大海を荒れ狂う大波のようで、それはあっという間にレッドの全身を押し流してしまった。自然災害のごとき青い流体が通り過ぎた後に、敗北者を示す光点が浮かぶ。
 ホワイトは戦慄した。開幕早々の大物食い。優勝候補の一人が、あっけなく敗れてしまった。なんて恐ろしい戦いだろうと彼女は震えた。
 他の候補者デーモンたちも動き始めているだろう。自分も上手く立ち回って少しでもいい成績を残さなければならない。
 生き残るんだ。ホワイトは翼をはためかせて空を舞った。



 方眼を抜けていく無数の白い軌跡。前後左右からホワイトを襲う雲霞のミサイル。蒼穹を切り裂くカラスの翼が急速に傾いて回避行動をとる。
 完全に背後を取られていた。相手はしつこいスピードホリック。空中での機動はおそらくこちらより上。最高速、加速性、機動力、降下から上昇、旋回から減速まで、ありとあらゆる点でこちらを上回っている。
 勝っているのは多分、アバターが小型であるために攻撃が当たりにくいという点くらい。しかしそれゆえに敵は攻撃を直線的な光線から追尾型のミサイルに変更してきた。全くもって厄介極まりない。
 雲そのもののアバターで空の光景に溶け込んでいたこのデーモンは、ホワイトが近付くや否や獰猛な狩人の本性を露わにした。砲塔でもある三本目の足を背後に向けて即座に射撃シュート。白い輝線が空を走るが、細長い雲霞が限界まで拡大され、希薄になった敵デーモンは攻撃をすり抜けた。
 敵は存在密度を変化させることができる。一見万能にも見える機体特性だが、希薄になった状態から攻撃態勢に移行するのには時間がかかるようだ。
 ならば、とホワイトは断続的な射撃を停止した。攻撃の瞬間、実体を濃く凝集させたまさにその時をカウンターで仕留めるしかない。
 だがそんなこちらの狙いはあちらにも筒抜けだろう。自分の弱点を狙われないと考えるものはいない。攻撃の瞬間は相手が最も警戒している瞬間だと思っていい。
 ならば、どうやって攻撃を当てる?
 その時、フィールドを管理する乱数が強い向かい風を発生させた。ポイントブレイクレンジで強引に左スラスタを噴射させ、悲鳴を上げるカラス型の機体を強引に制御して曲線の軌道を描く。脳みそがぐるぐる回る。精神が悲鳴を上げる。グリュカが片腕を切り落とすが如し。今のホワイトは昔話の自殺志願者だ。
 ああ、勝っている部分はもう一つあった。自分はこういう最悪な逆境でこそ力を発揮するタイプだということ――あるいは、そうありたいと願っているということだ。
 瞬間的にこちらの機動を追い切れなくなった敵が警戒と共に実体を希薄化させる。散逸していく雲の粒子。強い向かい風に流されそうなその瞬間を狙い澄まして、ホワイトは虎の子の爆弾ボムを発動させる。
 炸裂した巨大な熱量はしかし希薄化した敵には届かない。だが、付随して発生した爆風は向かい風に逆らうようにして雲を押し潰した。
 風と風の挟み撃ち。軽く薄い敵に抗う術は無い。薄く引き延ばされたアバターの全体が、構造を維持できなくなるぎりぎりのところで停止。直後、細長い実体となって凝集していく。
 罠にはめられたと悟った相手は回避行動に移るがもう遅い。高速で飛行する雲を嘴からの通常射撃で撃ち抜いて、姿勢制御を乱した瞬間を狙ってすれ違いざまに足で引き裂く。背後で爆音。撃破ポイントが加算されて、スコアが表示される。
 雲型のデーモン、ナンバーセブンの明藍シアンを打倒したことを確認して、ホワイト=メートリアンは快哉を上げた。
 勝った、勝った、勝った!
 いい調子だ。初めての戦果。その上、同じ飛行タイプを実力で上回ったことは彼女の自信となった。それにあのデーモン、多分だけど操作していたのは――いや、余計な感情、余計な感傷だ。その対抗心は邪魔でしかない。
 ホワイトは気持ちを風に乗せて、気分を上向きにしようとした。
 ――この調子なら、他の奴らも何とかなるんじゃない?
 そんなことを思い始めていた時だった。
 地上から凄まじい呪力を感知して、ホワイトは咄嗟に身体を傾けて回避行動をとった。カラスの翼すれすれを熱線が通り過ぎていく。視線を眼下に向けると、異形のデーモンが無数の砲口をこちらに向けていた。
 機械仕掛けの狼。艶のない黒色を基調とした無機質なフォルム。仮にも動物を象っている筈なのに、その四足歩行は生物的というよりも何かの道具を四本、地面に突き立てただけに見える。
 四本の杖でその巨大な質量を大地にがっしりと固定し、全身から針鼠のように突きだした砲身や箱形のミサイルポッドから無数の弾体を雨のように発射する。それは地上から天へと逆向きに降り注ぐ集中豪雨だ。弾幕を必死に回避しようとするが、その圧倒的火力と正確無比な照準によってアバターの羽を撃ち抜かれ、ついには撃墜されてしまう。アストラル体を構成する呪力が散逸して、意識が剥がれていく感覚。かりそめのアストラル体デーモンと一体化するという状態が終了し、この箱庭世界に干渉できない本当のアストラル体に戻ったのだ。
 視界中央に、観戦モードの文字が流れる。
 ホワイトは自分が敗北し、脱落者となったことを知った。
 落胆し、悔しさに唇を噛みつつも、今の自分はこんなものなのだ、と冷静に分析する思いもあった。この敗北を糧に、次の勝利の為に成長しなければならない。大丈夫だ、自分はまだ折れていない。
 対策を練る為にしっかりと他の競技者の手の内を見ておこう。まずは、自分を打ち負かした機械狼から。
 そう思って地上を見ると、ホワイトを打ち負かした機械狼は劣勢を強いられていた。
 相手は一匹の黒ウサギだ。
 機械狼は先程のように弾幕を張っているのだが、ウサギ型デーモンはその身を軽やかに躍らせて、虚空を蹴って攻撃を回避していく。その動きからは美しさすら感じられた。
 自分との圧倒的な技量の差を突きつけられて、ホワイトは胸が苦しくなる思いがした。自分はあの黒いデーモンとその中にいる人物を知っている。フォービットデーモンナンバーツー、真黒ブラック。生まれる前から星見の塔の英才教育を受けて育ったという、魔女の中の魔女。黒のヴァージリア。天才にして秀才。自分よりずっと幼いのに、遙かに先を行く筆頭候補の一人。
 自分が目指す頂への道は、ああした怪物たちが犇めく荒れた坂道だ。
 生半可な覚悟では、この力の差を埋めることはできない。
 黒ウサギはついに機械狼に肉薄し、必殺の一撃を繰り出そうとする。
 その時、彼方から飛来した青い光線がそれを遮った。
 高速で飛来するのは氷でできた流線型のデーモンだった。槍の穂先めいた細長い本体に、後部から前方に放射状に突き出す二本の刃じみた両翼。
 氷の戦闘機とでも言い表せばいいだろうか。無機質ながらもどことなく生物的な意思を感じさせるその様子は、機械狼とは対照的だった。
 氷の全身で陽光を反射しながら、両翼の先から光線を放って黒ウサギを正確に狙う。黒ウサギも反撃を行うのだが、信じがたいほどの速度で慣性を無視した動きを平然と行う氷の戦闘機に次第に追い詰められていく。更に機械狼までもが氷の戦闘機に加勢し、不利を悟った黒ウサギは逃げの一手を選んだ。
 ――勝てないと見極めたら素早く逃げることも必要なんだ。
 次に活かそうと決心する。劣勢だったとはいえ、やはり黒のヴァージリアは優秀だ。
 どうやら共闘しているらしき機械狼と氷の戦闘機を観察する。
 その仲睦まじい様子――そしてどこか病的に寄り添う対のデーモンを見て、ホワイトはある噂を思い浮かべていた。
 まだ最終選定も終わっていないのに、『三叉槍』を襲名している候補者がいる。
 特別扱いを受けているというその二人は、今回の選定においても特別枠で出場しているらしいのだ。
 フォービットデーモンは十六色に加えて、明度の二色が番外として存在する。
 ナンバーセブンティーン、陽色フルブライト
 ナンバーエイティーン、陰色ノーレイ
 恐らくはまばゆいばかりの光沢を放つ氷の戦闘機がフルブライトで、艶のない黒い機械狼がノーレイだろう。
 特別扱いというだけあって、共に恐ろしく強い。二人合わせれば敵はいないのではないかと思えるほどだ。
 予想通り、コンビを組んだ両デーモンは縦横無尽に活躍した。
 ノーレイが要塞の如き大樹の深緑ティールを壮絶な砲撃で破壊し、フルブライトが閃光のごとき機動で三つ目トカゲの鈍灰グレーの正確無比な照準を振り切って逆に撃破。未来が見えているとしか思えない動きをする本紫パープルの虎型デーモンには劣勢を強いられたが、超人的な反射速度を誇る鮮朱ヴァーミリオンのグライダーが介入したことで乱戦となり、二人で組んでいた明暗のデーモンたちが勝利を収めた。
 その勢いを止められる者はもはやいないのではないか。そう思われた時、それはやってきた。
 大海が割れている。
 その光景を目の当たりにしたホワイトは、信じられない思いでぽかんと口をあけてしまった。それほどまでにそのデーモンは圧倒的だった。
 立派な角と翼を生やした牡鹿。その全身は空のように澄んだ色をしている。
 その優美な姿で、あり得ない数にまでその勢力を膨張させたブルーの軍勢を単身で引き裂いているのだ。膨大な量の弾幕を全て回避し、正確無比な射撃で瞬く間に青い群体を破壊していく。その機動と攻撃はまさしく脅威的だった。あまりに規模が大きいために相手をするのは無駄に消耗するだけだと見なされて遠巻きにされていたブルーがあっという間に撃破され、敗北を示す光となった。
 牡鹿は強敵を倒した直後だというのに油断を一切しなかった。
 まさしく戦闘後の隙を狙って襲いかかってきた真黄イエロー真緑グリーンの攻撃を軽々と回避し、架空の幻獣である黄色い翼猫と緑色の奇怪な深海魚のデーモンたちを一瞬で破壊する。そのまま高速で飛翔した空色の牡鹿は角から無数の光線を放つ。標的は明度を司る対のデーモン。フルブライトの光の如き機動に影のようにぴったりと追随して背後をとった牡鹿は凄まじい勢いで氷の戦闘機を攻め立てる。両のデーモンが空中を舞う。共にホワイトが辛うじて目で追えるぎりぎりの速度域で熾烈な攻防を繰り広げている。自分とシアンの戦いなどあの頂上決戦の前では霞んで見えた。悔しさに歯噛みする。
 弧を描き、曲線と曲線が雲を切り裂き、光線が敵機の軌道を正確に予測して放たれる。それすらも予測して行われる機動と射撃は、全てが相手を追い込むための駆け引きだ。両者の戦いは熾烈な心理戦の様相を呈していた。
 牡鹿の角が、地上で手を出しあぐねていた機械狼ノーレイに一瞬だけ向けられる。それが氷の戦闘機フルブライトの隙を生み出した。パートナーを案ずる心。単純な振る舞いと仄めかしによる心理的なクラッキング。的確にフルブライトの弱所を見抜いた牡鹿は生まれた隙を逃さずに正確無比な射撃で氷の戦闘機を撃墜する。激昂して嵐のような砲撃を開始する機械狼の弾幕を回避しながら一撃で黙らせて、牡鹿は危なげなく強敵を打ち破った。
 そして、それまでずっと機会を窺っていた黒ウサギ――真黒ブラックの渾身の爆弾ボムを自らも温存しておいた爆弾ボムで相殺して、牡鹿はブラックすらも一瞬で倒してしまう。
 他のデーモンも既に倒されていたのだろう。そこで終了の宣言が出される。天上に表示される、勝者の名前。
 フォービットデーモン、ナンバーシックスティーン。正規十六色最後の一人。
 澄明アズール
 試験機であった透明クリア光輝ブライト、そして鮮青セルリアンから得られたデータを基に開発されたという、極端な機体性能を誇る、全機体で扱いが最も困難だと言われているデーモン。
 並み居る怪物たちを圧倒した真の怪物。天才達をも上回る本物の才能というものを、ホワイト――メートリアンは生まれて初めて見せつけられた。



 ゆっくりとクレイドルの蓋が開いていく。揺りかごのような形の大型呪具はホワイト――メートリアンをアストラルの世界に誘ってくれる。独力でアストラル界にダイブできる能力があればこのようなものは必要ないのだが、そこそこの杖の適性とわずかな邪視の適性しか持たないメートリアンにとっては必須の呪具だった。
 クレイドルから出ると、訓練室の無味乾燥な白い壁が目に入る。卓上の折りたたみ端末を睨み付けているウサギ耳を発見。
 直接話しかけることなく、端末の通信アプリを立ち上げる。高速で打鍵して、挑発の文字列を送信する。

『ざまあないですねヴァージリア。見事な負けっぷりでしたよ』

『ノーレイに秒殺されてたあなたに言われたくない』

 ぐうの音も出なかった。実際の所、劣っているのは重々承知で、強がりのつもりで打ち込んだ言葉だった。

『最後のあれ、一体何者なんです? 貴方や明暗コンビをああまであっけなくやっつけるなんて。それにあのずるっこ(チート)としか思えないブルーの大群を一人で倒しちゃいましたよ』

『それだけじゃない。あのヴァーミリオンと開始からずっと渡り合って、パープルの未来予測を更に予測して攻撃に攻撃を命中させていた。ジルは最初そこに乱入して強敵を一網打尽にしようとしたけど、あっさりと失敗して逃げたの。最後の戦いは雪辱戦だった。ジルはあのアズールこそが最大の敵になると理解してずっと隠れてた』

『情けなーい』

『ヒットアンドアウェイ。逃げるべき時に逃げることが出来ない人は死ぬしかない。実際にあなたはそうやって撃墜されたし、ジルはこの方法で輝黄オーレオリン砂茶オーカーを撃破して獲得ポイントでノーレイに並んだ。被弾による減点も少なかったから二位のフルブライトに次いで三位。まあ、正直満足な結果とは言い難いけど』

『ていうか、一位との差が離れすぎですよね。ありえないですよ』

 二人の端末に表示された最終スコア。澄明ちょうめいのフォービットデーモンは、信じがたい成績でトップに君臨していた。六機撃墜。被弾ゼロ。他にもパープルとの交戦における低い自機消耗率と敵機の高い消耗率、ヴァーミリオンへの小破ダメージなどで加点されている。

『あんなとんでもない人がいるなんて聞いたことないです。あれって星見の塔のひとじゃないですよね? 他の拠点にいる候補者なんです?』

『政情の不安定な亜大陸の白百合宮にいる候補者はティールただ一人の筈だし、現在北方辺境に展開しているホルケナウの候補者数は五人から変動していないはず。予見眼のティエポロスと光のサンズの二人の名前は聞いているけど、それを上回る才能の持ち主がいるとは聞いてない』

 メートリアンは、ティールの大樹のようなデーモンや、パープルの未来予知じみた動き、閃光のような神経反射のヴァーミリオンを思い出した。

『ってことは、残るは東の黒百合宮ですか。確かドラトリアの姉妹姫とかクロウサー家の腐れご令嬢とかがいる、超絶いけ好かない場所でしたよね。ああ、そういえばどっかの王女様は更にいけ好かないんでした。もういっそ黒百合宮にでも住んだらいかがです?』

『あなたの富裕階層への屈折と偏見はともかく、確かについ最近、黒百合宮に四人目の候補者が連れてこられたという情報は掴んでいた。多分その候補者が』

『アズールというわけですか。最後の最後で、とんだ伏兵がいたものですね』

 メートリアンは暗澹たる気分になった。壁は高い。道は険しい。わかっていたつもりだが、登ろうとしていた山が実は小さな丘だったと知らされたような感じだ。
 ヴァージリアは左の垂れた兎耳をぱたぱたと動かして何やら思案している。彼女を見ていると何かこう名状しがたい衝動に駆られるのだが、それが何なのかメートリアンには判別しかねた。その手が耳を触りたそうにふらふらと虚空を彷徨っていることに、本人は気付いていないのだ。
 ぴくん、とヴァージリアの垂れ耳が水平まで浮き上がった。思わず後ずさりするメートリアンを省みること無く、ヴァージリアは端末を畳んで耐衝撃のケースに入れて席を立つ。

『どこに行くんですか』

 背後から送信される呪力を感知したのだろう。ヴァージリアは面倒そうに携帯端末を取り出して答えた。

『ちょっと黒百合宮まで』

『――それはまた。相変わらずえらくフットワーク軽いですよね、貴方って』

『場合によってはしばらく滞在するかも』

 ――もういっそ黒百合宮にでも住んだらいかがです?
 まさかメートリアンの言葉を真に受けたわけでもあるまいが、ヴァージリアの奇特な行動に思わず目を丸くする。

『珍しい。ヴァージリアが一つの所に落ち着くなんて』

『あの青いデーモンを操っているのがどんな候補なのか、直接見てみたい』

 確かに、それはその通りだ。
 その文章を読んだメートリアンは深く納得し、同意した。あれが頂点だというのなら、その実力を見極める事は自分にとっても有益なはずだ。
 メートリアンが顔を上げた時、ヴァージリアは既にその場所を立ち去っていた。
 不思議だった。重大な決意とか、運命的な切っ掛けとかがあったわけじゃない。
 それはふとした思いつき。
 目標にしている相手が注目しているからという理由もある。
 けれど、それ以上に、自分は不思議とその相手のことが気になり始めているのだ。
 空のような澄み切った色彩の、優美なデーモン。
 顔も知らないその相手は、いったいどんな候補者なんだろう。
 お姉様に相談してみよう。自分も黒百合宮に行く事はできないかどうか。
 多分きっと大丈夫。これは間違い無く、自分を更なる高みへと誘ってくれる。
 どうしてか、そんな確信があった。
 意気揚々と訓練室を出て、廊下へと一歩足を踏み出す。



 ――衝撃。尻餅を突いて、メートリアンは倒れてしまう。曲がり角で人に激突してしまったのだ。車椅子の少女はメートリアンを気遣うように声をかけようとするが、白い髪の少女は小さく縮こまって過敏な反応を見せた。

「ごっ、ごめんなさいごめんなさい私が悪かったです不注意でした謝りますから許して下さいぶたないでぶたないでぶたないでぶたないでぶたないでぶたないで――」

 両手で頭を抱え、涙声で神経症じみた謝罪を繰り返すメートリアン。強迫的な衝動に突き動かされるように、喉が枯れそうになるまで泣き喚く。逆に車椅子の少女の方が怯えを見せる始末だった。
 自らの醜態を、内心で冷静な自分がどこか他人事のように眺めている。
 ――まずは、こうなってしまうのをどうにかしないと。
 他人と満足に話すことすらままならない。ヴァージリアとだけはああやって素を出してやり合えるけれど、それは彼女とは顔を合わせることなく文字だけで会話できるからだ。彼女の方も、抱える事情ゆえにメートリアンとの声なき会話を続けていた。ヴァージリアはメートリアンが星見の塔でまともに話せる数少ない相手だった。
 ――別に、あいつが行くから私も行く、なんて理由じゃない。私は何処まで行っても一人。周りは敵でしかない。そうだ。みんな敵だ。みんな敵だ。みんな敵だ。
 誰に言い訳をするでもなく、自分に言い聞かせるようにしてメートリアンは決意を新たにした。
 黒百合宮に行こう。
 そして黒のヴァージリアよりも、謎めいたアズールよりもずっと優れた魔女になってみせる。
 そのための鍵が、きっと自分の前にはあるはずなのだ。

「ごめんなさいぶたないで下さいお願いします痛いのは嫌です生意気言いませんいい子にします許して下さいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 蹲って泣き続けるメートリアンは、結局その後で騒ぎを聞きつけて戻ってきたヴァージリアに手を引かれてようやく立ち上がれたのだけれど。
 兎にも角にも、そうしてその瞬間は近付いていった。
 時を同じくして白百合宮からも一人、虹のホルケナウからも一人、澄明のデーモンに関心を抱いた者たちが旅立とうとしていた。
 自らを高めんが為。単なる好奇心で。直感に従って。それぞれの理由を胸に抱えながら、四人の候補者が東方の黒百合宮へと向かったのだ。
 元からいた四人と合わせて八人の候補者達はそうして相まみえた。
 黒百合の子供たち。
 地上最後の魔境と言われるその場所で、飛ぶように過ぎていく幻想的な時間。
 こわれ物のような心と心が触れ合い離れる、儚いひとときが始まろうとしていた。



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