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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第2章 もしサイバーパンク世界の住人がオカルトパンク世界に転生したら

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2-19 サイバネティクスとオカルティズムの幸福なマリアージュ

 

 
 第五階層に響く歌声。スクリーンに映し出される歌姫の、それは満を持した新曲であった。
 ステージを背景に、空中で二つの影が交錯する。

 一方は虚空を馬の蹄で蹴り、蝶の翅が巻き起こす突風によって飛翔する人馬の聖騎士。
 もう一方は、虚空に生成した足場を次々に飛び移って聖騎士を追撃する両腕義肢の転生者。

 空中に固定した足場は、第五階層の創造能力を応用することで一時的に生成した床面だ。建造物を構成する六面の数と同じ、六枚の足場を形成する能力。飛行能力のない俺を空へと導く、即席の階段。

 相手と同じ土俵で戦うこと。それがゲームが成立する条件だ。
 キロン一人が絶対に負けないゲームが無いように、キロン一人に対して絶対に勝てないゲームなど無い。

 第五階層におけるゲームのルールは、そのルールを改変し合うというものだ。これをゲームと言ってはコルセスカに怒られそうな気もするが、キロンの方はそれで一度勝利しているのだ、相手側に文句は言わせない。

 相手が自らを主人公に見立てた物語によって勝利するというのなら。
 こちらは観衆の望む物語によって勝利すればいい。
 勝つための手段は、いつだって俺自身の外側にある。

 視界に表示されたPV数は微妙な上昇の度合いを示している。実際には歌姫のステージの添え物に過ぎないのだからこんなものだろう。余興や前座、プロモーション映像を彩るためのイメージ映像――その素材に使われているだけの、実につまらない戦闘。それがこの戦いに与えられた意味だった。

 リアルタイムで撮影されているという迫真の『演技』。その勝敗は観客の投票によって決定するという公平性を擬したシステム。明白に誘導された結果として、勝利者であることを求められたのは俺の方だった。

 逆転劇という物語の価値は必ずしも普遍ではない。世相を反映したその時代、その空間に生きる人々が求める展開というものに、たまたまなぞらえることができただけ。しかし求められた時、現実はフィクションと化し、現実の需要が空想を浸食する。俺達が命を削り合う戦いすら、消費される価値のひとつでしかない。

「俺の戦いを、愚弄するかぁっ!」

 キロンが目を血走らせて、漆黒の槍を突き出した。それを躱し、交叉するようにして右拳を胸に叩きつける。

 血混じりの唾液を吐き出して、キロンが吹き飛ばされていく。重力操作で落下の向きを変更して態勢を立て直し、再び上昇してこちらへと向かってくる。彼は気付いているだろうか。見下ろす者と見下ろされる者。その位置関係がもはや逆転していることに。

 トリシューラの呪術と策略は、敵対者を弱体化させる事に重点を置いたものだ。
 尊いものを零落させる、それは聖性の卑俗化にして周縁化。

 俺は弱くつまらない。ゆえに強大な相手を引きずり下ろして戦う。敵対者の信じる者の価値を貶め、万物の価値を交換可能なものへと斉しく変質させる。

 それが鮮血のトリシューラとその使い魔の戦い方だ。
 俺に力を与えているのは、低俗な好奇心や野次馬根性、ちらつかされた利益、撒き散らされた紙幣をかき集め、貪ろうとする原始的な欲求だ。全ては消費される娯楽である。

「こんな、こんな負け方が、あってたまるかぁっ!」

 俺が振るう力は悉く他者からの貰い物。俺自身の力など何一つとして無い。俺とキロン、どちらが強いのかという比較をすれば、答えはキロン一択だ。

 俺はただの、交換可能なパーツに過ぎない。それ故に俺という汚濁は聖騎士の崇高さを穢し、堕落させてしまう。

「俺は邪悪な異獣を滅ぼす! 異端の魔女を打ち倒し、死んでいった彼らに報いなければならないっ!」

 聖なる戦いを謳いながら、キロンは空中を駆け抜けていく。
 上から迎え撃つ俺の視界に、かつてのサイバーカラテ道場を模した新生サイバーカラテ道場の表示枠が展開されていく。胴着を来た小さな魔女が、最適な戦術を導き出して俺に未来を指し示す。

 聖騎士の強い意思を、俺は全力で否定した。
 暴力に聖も俗も、善も悪もありはしない。

 あるのはただ、速度と質量、そこから生まれる運動エネルギーのみ。この位置関係では、そこに高さすなわち重力加速度が付け加えられる。

(発勁用意)

 飛翔してこちらの土俵に入り込もうとしていた人馬を、正面から打ち下ろした掌によって思い切り押し出していく。その勢いのまま弧を描いて上昇し、天蓋へと近付いていくキロン。下から攻める愚を避けて、上空から弓による射撃の雨を降らせる。

 展開した氷の鏡がその全てを頭上に跳ね返し、天蓋の照明群が次々と破壊され、呪術の明かりが細く途切れていく。第五階層の頂点で無駄とわかり切った攻撃を繰り返す聖騎士の元へ、俺は一直線に突き進んでいく。

 俺が一度に形成できる足場は六段が限界だ。キロンの上空からの攻撃は、こちらが一度に上昇できる高度には限界があると見越しての判断だろう。キロン復活後の攻防で十四番が破損してしまった今、その判断は正しい。

 しかし、誰かが意図的に創造能力を移譲すれば、その限界は超えられる。踏み出した先に、七段目の足場が作り出された。空間そのものを凝結させたような、透き通った鏡面を晒す美しい氷。冬の魔女から受け取っていたその力で、俺は更なる跳躍を重ねる。

 八段目。上空から襲いかかる閃光と空間制御の檻を右腕の能力で無効化して、更に上へと駆け上がる。

 九段目。降り注ぐ雷撃呪術を多面鏡を砕いた氷の破片で散らしていく。

 十段目。度重なる右腕の酷使と慣れない七段以上の足場生成に、脳が悲鳴を上げ始める。猛烈な違和感を無視して、燃えさかる骨の槍の側面を叩いて軌道を逸らす。

 十一段目。防御も回避もできない不可視の重力子砲の一撃が迫る。サイバーカラテにおける『徹し』と『遠当て』の複合技術。巨大な質量に圧殺されるかのように俺の身体が粉々に砕け散り、その幻像を映し出していた十一段目の鏡面が破壊される。左腕から伸ばしたワイヤーが伸びているのはキロンの更に上。光学迷彩で不可視状態にある巡槍艦に向かってワイヤーを巻き上げ、俺は一気に上昇していく。横合いから放たれた弓の一撃を防ぎながら確信する。やはりキロンは厄介な重力制御を多用できないのだ。大技直後の隙を突くなら今しかない。

 十二段目。これが正真正銘の限界だった。たとえ誰かから創造能力を受け取ったり奪い取ったりしていても、俺自身が耐えられない。呪術の才能がまるで無い俺にとって、これだけの数の足場を同時に展開することは巨大な負担となる。十二段展開している今の時点でも既に酷い頭痛の自覚に苛まれていた。コルセスカに痛みを送ってはいるため行動不能になることはない。しかし、痛みがあること自体を認識できなければ自らが危険な状態にあることすら自覚できないため、完全に消し去ることはできない。頭部で鳴り響く警鐘が、これ以上は脳に深刻な損傷を負いかねないと告げていた。

 左腕を一番最初の形態――手の甲に歯車を乗せた黒い義肢に変えて、矢のように突撃する。位置関係はほぼ平行、真正面からの相対にあちらも覚悟を決めたらしい。黒い槍を構えてこちらへ渾身の突きを放とうとする。

 その動きに、迷いが生まれた。刹那の攻防の中で、あってはならない逡巡。しかしそれがキロンの命運を分けた。何かの直感に突き動かされたのだろう、間近に迫った脅威である俺から目を離し、槍を大きく横に薙ぎ払いながら振り返ったのである。それはここに来て初めて彼が見せた『払い』だ。

 空間を横切る一撃は空を切ったかに思えたが、それが成功した攻撃なのだと、その場にいる全員が理解していた。すなわち、俺とキロン、そして。

「トリシューラッ!」

 視界隅でちびシューラとの同期が切断された事を確認して、絶望の叫びを上げる。光学迷彩が破れ、頭部を破損した魔女の姿が露わになる。血のように赤い髪が、第五階層の空に舞った。

 事前に打ち合わせていた作戦はこうだ。天蓋近くで滞空する巡槍艦から降下し、フロート装置と光学・熱学遮蔽装置で姿を隠して接近していたトリシューラが、自我を形象化させた血液の針をキロンに投げ放つ。危険であっても、最後の保険としてトリシューラの力が必要だった。鮮血呪――同じ価値操作の呪術でキロンの回復能力を無効化し、決定的な一撃を与えるために。

 だが、今この瞬間、その目論見は潰えた。一切の感知に引っかからない完璧な奇襲だった筈なのに、キロンは神懸かり的な直感でそれを打ち破った。運命も神の如き力も失った筈なのに、彼は最大の窮地を乗り切ったのだ。

「君は最後に、他者を頼ると踏んでいた――どうやら俺は読み勝ったようだな」

 こちらの鼻先に漆黒の槍の石突を突きつけて、キロンは背を向けたまま自らの勝利を宣言した。
 俺は傲慢にもキロンの内面を推し量り、それによって相手を揺さぶって有利に立とうとしていた。

 しかし、俺が彼を観察して探っていたように、彼もまた俺を見ていたのだ。
 白い弓が閃光の矢を放ち、駄目押しとばかりにトリシューラにもう一撃を加えた。

 赤い髪が広がり、ゆっくりとその身体が傾いでいく。
 砕け散る破片。割れた頭部。脳の破壊。
 トリシューラの、完全なる死。

 過去の経験を振り返っても、ここまで心が冷えたのは初めてだろう。完璧に制御された理性が身体を動かす。目の前の石突きを右腕で掴み取り、強引に引き寄せながら左手でキロンの背中に打撃を放とうとする。

 キロンは、あっさりと黒槍を手放した。更に翅を羽ばたかせて【空圧】を己の背後に放ち、こちらへの牽制と移動を同時に行う。同化した黒槍を無理矢理引きはがしたせいで脊髄を始めとした全身から血が噴き出すが、即座に治癒する。その代わりとして新たな宿主を俺に選んだ呪われた武器が、こちらの右腕に無数の触手を伸ばしてくる。

 即座に振り向いたキロンが、己が最も頼みにしている武器を構えた。白い弓に番えられた光の矢。正確な照準。槍によって防御能力を奪われた右手。左手の防御は間に合わないしそもそも圧倒的威力で貫通される。

 死の確信を得て、心の内側に極大の氷塊が押し込まれた。
 致死の一撃。生まれた隙を見逃さずにここぞというタイミングで放たれる、キロンの切り札。純白の弓から放たれた無形の矢。破壊の極光は俺の頭部を過たずに撃ち抜き、今度こそ完全なる死をもたらしていた。拘束具としての役目を終えた黒い槍が元の持ち主の手に戻っていく。片方だけ残った眼球が映す最後の光景は、悲しみに歪んだ彫刻の美貌。

 かくして俺の意識は完全に消失した――

 

 ――『俺達』は見た。九層の秩序。多層化された心的領域を遊泳していく超上位自我エウダイモーン。炎を纏いながら巡り行く御使いフェーリムたち。無限に広がる暗黒の宇宙。天体を模した多層構造。地球の座には核となる脳。四つの衛星と四つの遊星、太陽が地球を中心に巡る。周回軌道はそれぞれ球層をなしており、夜光天、幽冥天、精霊天、太陰天、太陽天、土塊天、火力天、水晶天、そして天堂天の外側に無数の星々たちの層。天球層に座すのは燦然たる後光を背にした神々であり、また天を覆い尽くすほど巨大な竜であり、おぞましくも美しい異形の女性たちであった。『お姉様』と俺の口が動く。いや、声を上げたのは俺ではなくトリシューラだ。俺達の視点、意思、そして声はここでは同一のものなのだ。『これが私、トリシューラの宇宙観、いえ、世界観なのですか?』不安と歓喜。隠されたトリシューラの真実の一端。輝く彼方の星々に、衛星、恒星そして惑星。この宇宙はトリシューラのブラックボックスとなっている上位構造なのだ。『自己の完成』という目的の為にいずれ辿り着かなくてはならない場所。核心に近付けば、トリシューラは目的達成へと近づける。俺は手を伸ばした。その先に、勝利があるからだ。誰の? トリシューラの勝利に決まっている。そしてこの場において、それは俺の勝利でもある。俺達の左手が膨大な距離を飛び越え、天球層のひとつに届きかける。そして――

 

 ――直後、シームレスに意識が覚醒し、俺は眼前の敵を見据える。
 視界の端で、切り離したことによって砕けて散った俺の頭部が吹っ飛んでいくのが映った。

 そして知らぬ間に左拳が敵の真芯を貫いている。
 俺の意識が断絶している間に、事前に設定したプランに従ってインテリジェント義肢であるウィッチオーダーが自動で動いた結果だ。トリシューラが疑似再現した【残心プリセット】と言ったところか。

 だが、頭部を破壊された俺が目を見開いて存在しているのはどういうことなのか。
 勝利の確信が揺らぎ、驚愕しているキロン。無理もない。

「お待たせ! 新しいアキラくんだよっ!」

 頭上の巡槍艦から降ってきた『もう一人のトリシューラ』が、その手に『現在の俺』の思考を司る頭部を持って、頭部を失った俺の首に勢いよく差し込んだのだ。

 俺の身体は頭部を失ったことを認識すると、首のジョイントパーツ上部をパージし、接続部を露わにした。トリシューラはその部位にぴったりと、規格に合った俺の頭部を接続したのである。

 バックアップは大事だというトリシューラの言葉は正しい。頭部を分離式にするための処置は突貫工事だが上手く行った。肝心の頭のほうは、俺自身の模型が既に大量に製作されていた為に新たに作るまでも無かった。トリシューラの寝室に大量に俺の模型が並んでいるのを見た時はちょっと引いたが。

 あとは鮮血呪によって模造品を本物に変えるだけだ。発動の代償は、俺自身の死で贖う。
 ばかな、と声にならない声。

「なんという男だ。首から上を失っても戦い続けるなど、まるで団長殿のようではないか――!」

 正気じゃないと、絶叫している。
 俺は嗤う。その敗色に満ちた声を、嘲笑する。

「悪いがな、俺の故郷じゃ意識の連続性なんてのは、ナチュラリストかロートルの繰り言って扱いなんだよ!」

 俺が死んだからなんだというのだ。
 端からそんなもの、元世界で死亡した後、全く同じ存在を異世界に再構成するという転生システムを受け入れている時点で気にしていない。

 人は死ねばそこで断絶する。
 同じものを作って『転生』とするのも、壊れた頭部と同じ頭部を作って『生存』とするのも、大した差異は存在しない。是非も善悪も、それを成り立たせる根拠は等しく同質的なものだ。秩序も混沌も、貴賤も貧富も、生と死すらも、流転する世界の一表出面に過ぎない。万物は斉しく同じもの。それが、俺の身体に染みついた現代日本のごく一般的な価値観だ。

 そしてこの世界では呪術、すなわちアナロジーが最も強い力を持つ。
 一秒前の俺と今の俺は極めて似ている。同一の設計図に基づいて再現されたトリシューラは同じものである。

 呪術的に、これらの類似は同一だとみなすことが出来る。
 転生とは、似たものが時間と空間を超えて出現することに他ならない。
 ゆえに、『俺』はここに居る。

 足を置いた者に死を強いる、新たな十三番目の足場を踏みしめた。
 それは鮮血が凝固した、赤と黒の平面。俺の死を代償に生み出された、鮮血の魔女が用意する新たな地平。
 死を踏破して、その先へ進む。

「十三段目――ここがお前の処刑台だ、転生者殺し!」

 左手で回転する円環が、強烈な輝きを放つ。
 その特性【輪廻】の呪力が極限まで引き出され、俺という存在をトリシューラが繋ぎ止める。

(ありふれた死なんかで、引き離されたりしないんだからっ――!)

 死が二人を別つまで――それは無意味な誓いだと、死を弄ぶ魔女が叫ぶ。
 もはや死は俺達の別離や敗北を意味しない。望む限り転生し、意志ある限り挑み続け、死ぬ度に強くなる。敵が転生力とやらで上回るというのなら、こちらは二人分の転生力でそれを凌駕するのみ。

(アキラくんの死によって【鮮血呪】をトリガー。呪力を通せ、価値を否定せよ!)

 背後の屍を生贄に捧げて、鮮血の呪術が発動する。閾値スレッショルドを超えた価値の変動が超常の神秘を再現可能な現象に置き換えていく。
 お互いがお互いに、定められた誓約の文言を口にする。打ち合わせるまでもなく、そうすればそうなると、俺達には確信があった。

ヒエロス――」

 トリシューラが望み。

「――ガモス

 俺が受け入れる。
 そうして、鮮血呪はその使い手に新たな力をもたらしていく。

 鮮血スレッショルドのトリシューラ。【春の魔女】、【きぐるみの魔女】、【アンドロイドの魔女】。それらの名前に宿る呪力が、その本質を明らかにしていく。

 血のような色の髪をなびかせて、魔女の全身が赤い光に包まれる。爆発的に膨れあがっていく呪力が可視化されて稲妻となって迸る。
 俺の傍らで、トリシューラの肉体が内側から弾け飛んだ。

 それは破壊ではない。定められたように分離と展開を繰り返し、その内側に詰まった精密呪具の数々が圧縮されて異なる空間に格納されていく。残ったのは空洞のトリシューラ。まるできぐるみのようになった彼女の全身が薄く広がっていき、ばらばらの各部位が対応する俺の身体の各所に装着されていく。

 頭部から流れる深紅の微細放熱フィンがたなびき、テクスチャの消去によって肌色が黒銀となる。緑色の光学素子に俺の瞳孔が重なり、背中と腰に噴射口が形成されていく。

 更に左の義肢が軸たる骨格部分だけを残し、光の粒子となって雲散する。その上からトリシューラの左腕が覆い被さり、外側から光が収束して再び【ウィッチオーダー】がその姿を現す。

 自己の拡張、それは強化外骨格を纏う事。そして自らが他者と一体化すること。
 きぐるみの魔女の真なる能力とは、彼女自身が強化外骨格きぐるみになることだ。

 俺はトリシューラを着る。全身が彼女に包まれ、一体となっていく。その体構造は隅から隅までこの目に焼き付けている。彼女を知り、そしてこの全身で体感する。トリシューラの感覚、意識、言葉にできないような認識の細部に至るまで、情報の奔流が俺の中に流れ込んでくる。

(感じるよ、私の中に、アキラくんが入ってくる。なんか変なの。すっごくごつごつしてて硬いのに、柔らかいような気もするんだ。アキラくんらしいと言えばらしいのかな)

 暖かな感覚に包まれているという、圧倒的な安心感があった。いつまでも包まれていたいという甘やかな欲求を、しかし首筋から広がる冷たさが拒絶する。取り戻した理性で、外へと意識を傾ける。完全に同一となった俺とトリシューラの瞳が外界を高精度に捉えていく。

(地母神キュトスの【杖】性の欠片である最後の魔女トリシューラと、純粋な【杖】のゼノグラシアであるアキラくんが【聖婚】を行うということ。それは両者の相互補完を意味している)

 人機一体の境地。此則ちサイバーカラテの極意也。
 いつしか、トリシューラの思考が俺の中に流れ込んできていた。今まで一方的だった思考の流れ。それが双方向になっていつしか一つのものになっていく。

(シューラはアキラくんになり、アキラくんは私になる。新しい左手はその象徴なんだ。それはアキラくんの左手でありトリシューラの左手でもある)

 俺が俺でなくなった、という所までは行っていない。だが、意識の奥の方で確かな繋がりを感じているのも事実だ。誰かが、すぐ傍にぴったりと寄り添っているような感覚。

(二者の合一。今はまだ不完全で、機能もあと八つロックされているけれど、この段階を経ていずれアキラくんは【アダム・カドモン】に至る)

 翻訳がどのように行われているのかは知らない。しかし俺がいた世界の宗教的神話的な用語を参照していながらも、トリシューラの言葉は不思議と確かな未来への指向性を感じさせた。

(それは完全者の創造。いつか【アンドロギュヌスの左手】に辿り着く為に)

 それは。

「それは、誰が?」

 俺が? それとも、トリシューラが?
 答えはどちらでもない。

「私達が、だよ。アキラくん」

 その装甲は漆黒と銀、重なった眼光は緑、女性的なラインと男性的な力強さ、そして機械的な硬質さを複合させたシルエット。その背中から、後光のような呪力の光が放射されている。

 燃え立つ翼を広げたその姿は、炎を纏った天からの御使いを思わせた。

(アキラくん、新しい力を掌握できているのがわかる? さっきので制限状態だった【ヘリステラ】の出力が三割から十割にまで上昇してる。やっぱり、私達がトリシューラというシステムを知っていくことで、ウィッチオーダーの上位機能がアンロックされていく仕組みなんだ)

「なるほど、ってことは後八つか。早速行くぞ、射影三昧耶形アトリビュート・一番!」

(No.1【ヘリステラ】エミュレート!)

 そして、脳裏に一つのイメージが想起されていく。彼女は女王だった。勇壮な面差し、輝く両の眼、そして充溢する圧倒的な呪力のオーラ。その背には途方もなく大きな車輪が乗せられ、上方には禍々しい竜、下方には極彩色の猫、左右にはそれぞれ鴉と兎が鎮座していた。その身体を押し潰さんばかりに巨大な車輪を担ぎながらも、強靱な山羊脚で大地を踏みしめ、踏みとどまり続ける女性。彼女が押しつぶされずにいるのは何故か。その足下に、沢山の妹たちがいるからだ。彼女は長姉。七十一に分かたれた不死女神、その最初の一欠片。膝の屈伸と共に途方もない質量が持ち上がっていき、やがて最高点に達した車輪が天を突き破り、大地から隆起して女王と姉妹たちを乗せていく。回り出した車輪は、魔女達を乗せて果てのない旅路を進み始めた。

 そのイメージを、確かに左手で掴み取ったという実感がある。強く拳を握りしめて、俺は床を蹴って飛翔する。背中の噴射口から爆発的な呪力の炎が解き放たれて推進力となる。

「そのような見かけ倒しっ」

 次々と撃ち放たれる呪術と閃光の矢を縦横無尽な機動で回避して一瞬で間合いを詰め、その勢いのまま左拳を叩きつける。

 脚からではなく噴射孔から伝わるエネルギー。変則的な伝達経路に、トリシューラの【サイバーカラテ道場】は完璧に対応して見せた。視界隅の疑似身体が、背中から腕先へと伝わっていくモデルを表示している。

 キロンはそれを完璧に回避しながら反撃の刺突を放つが、今の俺達の反射速度は大幅に上昇している。右腕でキロンを減速させるまでも無く正確に弾いてみせる。更に腰部分の噴射角度を変えて制動をかけながら方向転換。側面に鮮血の足場を形成し、真横に蹴り出しながら今度は足から腰、胴、腕という正道を行く運動エネルギー伝達経路でキロンに渾身のカウンターを叩き込む。錐揉みしながら吹き飛んでいくキロンが、蝶の翅と馬の脚をばたつかせながら体勢を立て直し、血の唾を吐いてこちらを睨み付けた。

「装備の更新で能力が大幅に上昇している――体力、神経反射、知性、そして打撃力。全て底上げとはな。さしずめ機械仕掛けの【炎天使】とでも言ったところか――だが、それほどの強化、維持するだけでも容易くはあるまい。コストはさぞ重かろう。果たしていつまで支払い続けられるかな!?」

 キロンの揺さぶりは実のところ正鵠を射ていた。
 この状態は鮮血呪の代償によって俺達双方が【自己】を放棄したことによる副産物だ。欠落した自己同一性をお互いが補完することでその精神的な死を辛うじて防止するという窮余の策。決して死ぬ事を条件に発動する必殺技なんて格好の良いものじゃない。

 俺達二人はキロンとの戦いで『俺がシナモリ・アキラであること』『私がトリシューラであること』という自己認識をそれぞれ傷つけられ、一時的に戦闘不能に陥った。次にまた同じようなことがあった時に、必ずしもコルセスカが傍にいて助けてくれるとは限らない。

 だから俺達は一つの取り決めを交わしたのだ。どちらかあるいは双方の自己認識が損なわれた時は、その欠落を片方が埋めると。

 俺の傷に『トリシューラが思い描くシナモリ・アキラ』が流れ込み、トリシューラの傷に『俺が思い描くトリシューラ』が流れ込んでいく。二人の合一は傷の埋め合いなのである。

 しかし、ある程度まで自己の存在を確立してしまえば、それ以上の合一はお互いにとって毒にしかならない。『自分は自分である』という認識のためには、自分と同化している他者など邪魔でしかない。俺達は互いに拒絶し合わなければならない。

強制拒絶リフューズまであと270秒! なんか異物感すごいねこれ。うええってなる――アキラくん気持ち悪いから早く済ませちゃって! ただでさえ持続時間短いんだから)

 奇妙な事に、この状態に対しては俺とトリシューラで感じ方が異なるようだ。俺の方は安心感とか多幸感に包まれて心地良いのだが。個人差というか、非対称性みたいなものを感じる。実際の所、呪力による維持コストを支払うのは主にトリシューラで、外側で攻撃を受け止めるのもまたトリシューラだ。負担は一方的にトリシューラにだけのし掛かる。ここからは一切のミスが許されない。

 俺の真下に回り込んだキロンが移動しながら矢を連続で放った。跳ね返せば地上へ被害が及ぶ。それは周囲の反感を招き、俺を不利にする振る舞いだ。回避していくが、敵の狙いは俺への直接攻撃ではない。

 上から剥離した天蓋の破片が降り注ぎ、とりわけ大きな照明光の残骸が俺の視界を一瞬だけ遮る。残骸ごと撃ち抜く閃光の矢。出力を弱められた破壊光は残骸を無数の散弾に変えた。拡散して襲いかかる衝撃によってこちらの動きが停止する。稲妻の如き刺突と空間歪曲攻撃が、嵐のように空中を走り抜ける。

 その全てを赤く光り輝く軌跡を残しながら回避し、すれ違う瞬間に打撃を加え、確実にダメージを与えていく。

(死の中で私達は『鮮血のトリシューラ』の上部構造を垣間見た。その中で掌握したのは、ウィッチオーダー最強の九形態、最初の一つ。杖の奥義【化身】状態にある今、限定的にしか使えなかったその力を、完全に使いこなすことができる)

 ウィッチオーダーの下位六十二形態は、いかに強力であっても既存の呪具で再現可能な力でしかない。空間制御や熱学制御、短期的未来予測などの技術は俺の前世でも実現可能なものばかりだった。

 だが上位九形態の力は下位のものとは一線を画する。
 前世、現世、来世を問わず、あらゆる世界に共通する神話のモチーフ、幻想の原型。無数の異世界において共通点が見いだせるものの、ディティールが定まらないゆらぎの神話。

 その全てを貫くイメージの核心を抽出して鋳型に流し込む事で、絶対に揺るがない呪的強度を獲得する神話ミシック級の超呪術兵装。
 それはあらゆる神話と幻想を貫く、世界の始まりと終わりを繋ぐ槍。

(紀元槍――アカシックレコードとのダイレクトリンク形成完了。追加コンバージョン、タイプ【車輪の女王】いくよ!)

 トリシューラの外装と同化した左腕に光の粒子が集まっていく。手の甲の部位に車輪、あるいは歯車のようなパーツが追加され、それが高速で回転し始める。

(キュトスの姉妹No.1【ヘリステラ】、またの名を【車輪の女王】――私達キュトスの姉妹の頂点に立つ、一番上のお姉様。呪装機巧【アーザノエルの御手】が参照し、引用する能力特性は【輪廻】。車輪の女王の二つ名は複数の解釈があるけれど、そのうちの一つがキュトスの姉妹が無限に転生を繰り返すことを、車輪が回転する様子に喩えたというもの。キュトスの姉妹の長姉が司る【不死】は、【輪廻転生】なの)

 機械的な義肢の部品として回る車輪。それを見て俺が連想したのはむしろ歯車だった。機械仕掛けの腕が呪術によって息を吹き込まれ、不可視の力と噛み合った歯車が回っていく。左手の甲で快音を上げながら高速回転するこの車輪が輪廻転生を象徴しているのだとすれば、その生と死はかなりの急ぎ足で巡っていくことになる。

(輪廻転生の能力特性は、エネルギーの移転。消滅し、直後に出現したエネルギーをアナロジーに基づいて同一のものであると画定することができる。このことが何を意味するかと言えば――)

 入力されたエネルギーが義肢に内蔵された魔法円の集合体――呪術円陣によって変換されていく。各運動器系人工器官オーガニック・エンジンが唸りを上げて、シャフトとその周囲の人工筋肉繊維に送電を開始。呪力が渦を巻いて義肢の内部を荒れ狂い、回転運動から生み出されたエネルギーを動力と化していく。

 迫り来る閃光の矢。その向きを左手でねじ曲げると、勢いよく飛翔してキロンの懐に飛び込んでいく。大振りの攻撃に軌道を見切られて回避されるが、体軸の向きをずらすことで回転運動である拳打の軌道を急激に変化させる。逆回転。左からの打撃が裏返り、鏡映しのように逆側からの打撃に入れ替わった。

 理解を絶した攻撃を受けて動揺したのだろう、キロンの動きが一瞬だけ停止する。その隙を逃さずに次から次へと連打していく。その速度はトリシューラと同化したことによって飛躍的に跳ね上がっている。にもかかわらず俺の打撃をキロンは見切れずにいた。総体として速度は一定だが、遅い瞬間と早い瞬間が交互に切り替わることで打撃の瞬間が読みづらくなっているのである。

 普通に拳を振った場合、初速から最高速に達した瞬間に相手に命中するのが理想的である。しかし今の俺の打撃は最高速に達するまでの間に不規則に加減速が繰り返されるという常識を越えたものである。文字通りのギアチェンジによる増速。緩急をつけるための減速。出鱈目に拳を繰り出しているようにしか見えないのに、全体としては帳尻が合うという奇妙な現象。

 更には右から放った一撃が次の瞬間には左からの打撃に入れ替わり、それを放った直後には既に右拳を振り終わっているという異様な連撃。攻撃と攻撃を繋ぐ隙間が存在しないかのように動き、流れるような打撃を繰り出していく。途切れた運動が、別々の一点で繋がり、一つの動作として結実する。あり得ない軌道で突き進んだ左腕が、キロンの胸板に強かな一撃を叩きつけた。

 異常としか言いようの無い手応えだった。殴られた方も驚愕しているだろうが、殴った方はより愕然としている。無理な体勢で放った一撃である。威力が散ってしまい、軽い牽制程度にしかならないはずの打撃だと自分では思っていたのだ。にもかかわらず、拳から伝わる反作用は腕から肩、胴から腰、脚を通って足裏へと強烈な勢いで抜けていった。まるでそれが、完璧に安定した体勢で放った拳であるかのように。

 無駄になった運動エネルギー、断絶してしまった威力が、一つの流れの中に纏まって拳に集約された。信じがたいが、そうとしか思えない。つまりこういうことだ。死んだ運動エネルギーが、生まれ変わって再生した。

(類似点が僅かでもあれば、そこに連続性を見出す能力。アキラくんの動作は、全てが最適効率になる)

 左手の甲で回転する歯車に噛み合うようにして回る、架空の歯車。無数に増え続けるそれらは一つの巨大な機構を組み上げていく。

 幾何学的な模様が重ね合わさっていき、手の甲の歯車を中心として巨大な図像が完成する。周囲を取り巻く八つの歯車は途切れること無く回転し、その内側にはそれぞれ色褪せた空の台座が描かれている。中央の歯車の中には瞳の上で交叉する杖の紋章が描かれ、その真上の歯車のみが金色に輝き、その中には巨大な車輪を背負った山羊脚の女性の姿が映し出されていた。

(機巧曼荼羅を展開。サイバー空手・呪的発勁【輪廻】を用意)

「――廻れぇっ!」

 叫び、トリシューラから送られてくる呪力の全てを左手の歯車で回転させていく。迎え撃つキロンは度重なる打撃によってもはや満身創痍だった。一つ一つは小さな痛み、小さな打撲、小さな疲労でも、積み重なれば精神を削っていく。数多くの罠によってその能力の大半を削られたキロンにもはや逆転の目は皆無だ。

 それでもなおその目には諦めの色が宿らない。不屈の闘志を燃やし、積み重ねてきた修練のみを頼りに正確無比な射撃と雷光のような刺突を繰り出す。

 その姿勢はどこまでも正しい。何だかんだと策を巡らせて装備を用意しても、最後にものを言うのは鍛え上げた自らの武技のみである。俺もまた、同じルールでその勝負を受けよう。
 全身全霊の、サイバーカラテの技によって。

 右半身を前にして強烈に足下の虚空を踏みならす。その振動は大気中に一切拡散することなく左腕に集約され、全力の踏み込みすらも残らず歯車の回転が回収していく。漆黒の穂先が義肢の外装を滑っていく。穂先はどこにも突き刺さらずに俺の背後へと抜けていった。

 義肢による対刃防衛術。幾度も目にしてその最大速度と間合いを記録することで可能になる、護身と反撃に適した戦術モデル。鍛え上げられたその正確無比な一撃は、かえってサイバーカラテの機械的な分析と相性が良い。

 呪力が可視化されて放電現象を引き起こし、踏みだしから腰の捻転、身体のばねを最大限に利用した左拳の一撃が、閃光の矢すら自らの威力に転換しながら敵の正中線、胸の中心へと吸い込まれていく。

 静寂。
 一切の破壊をもたらさず、キロンの背中から膨大な呪力が弾けていく。

 全身を揺るがす衝撃に、キロンの目が一瞬だけ白濁し、直後に我に帰った。超回復能力を発動させて離脱しようとするが、既にその時俺達は次なる手を打っていた。そしてそれが、詰みの一手に他ならない。

(No.71改めNo.6【鮮血のトリシューラ】エミュレートッ!)

 不死の女神たるキュトスの姉妹、その最後の力がインテリジェント義肢に設定された条件分岐に従って解き放たれる。姿を変えた左腕、その外側に重ね合わせるようにして形成されていく積層装甲。

 強化外骨格。拡張された骨と皮膚。増強された人工筋肉。人間の限界を超えて、ただ圧倒的な暴力を叩きつける、その為だけに左腕は巨大さを増していく。

 【アンドロイドの魔女】の名を冠したこの強化義肢は、外装を追加していくことによって無限に自己を強化していく特性を持つ。力が足りなければ外側に付け加えればいい。どうせ中身のない俺のこと、秘められたポテンシャルとか積み重ねた研鑚とかを当てにしても仕方がない。

 勝てるなら魔女でも使う。つまり、俺の力など必要ない。勝つのはトリシューラだ。
 標本にされた蝶のごとく、展翅されたキロンが拡張し続ける左手に貫かれていく。

「屍肉を漁る、浅ましい雌狐めが――!」

 お互いが不死者同士という不毛な戦い。その不死性の在り方によって決着の仕方は異なるが、キロンのパラドキシカルトリアージはあらゆる致命傷を無効化してしまう。単純な物理攻撃は無意味だ。

 だが俺はあえてその単純な物理攻撃を選択する。キロンは軽傷や打撲を無効化できない。そしてもう一つ、おそらくはあえて無効化していないものがある。

 痛覚だ。
 体内に潜り込んだ左義肢はそのまま拡大と拡張を続ける。周囲の物質を強制的に取り込んで自己を強化するその特性故に、生物に叩きつけられればその骨肉を略奪してその内に取り込んでしまう、人食いの腕。

 しかしキロンはその再生能力故に心臓を奪われてもなお生命活動を続けていた。

「まだだ、まだ終わらん! たとえこの肉体が塵になるまで破壊されようとも、最後まで耐えきれば俺は絶対に死ぬ事が無いっ!」

「耐えればいい、確かにその通りだ。だがなキロン、それは一体いつまでだ?」

 拡大する左手を前に出しながら、俺は密かに右腕の周囲に展開した多面鏡から『それ』を手に取った。握りしめたのは、長大な柄。

「ナンバー七十一【氷血のコルセスカ】シミュレート――と、確かこういう言い回しでいいんでしたよね」

 どこか緊張感の無い呟きが、握りしめた氷の柄から響く。鏡の世界から現実空間に現れたコルセスカは、この瞬間の為に呪力を温存し、人としての機能すら放棄してその穂先の一点に集中させていた。姿の変わった彼女のもう一つの形態を、鏡から一気に引き抜く。

 空席となったウィッチオーダーの七十一番目の座に新しく加わった最強の兵装、【氷血のコルセスカ】がその封印を解き放つ。
 腕内部の鏡面空間から現れたコルセスカの本体。

 白銀の輝きを放つ、長大な刃と短い二本の刃を併せ持つ氷の三叉槍。余りにも穂先が長い為、むしろ柄の長い剣とでも形容した方が適切であるかもしれない。
 コルセスカの本質は、神話の中の魔女であり、また伝説の武器でもある。矛盾せず同居する曖昧な存在。魔女にして武器である、擬人化の魔女。

「冬の、魔女――何故だ。何故、我らが筆頭騎士の花嫁となるべき、貴方が――」

 苦痛に喘ぎ、息も絶え絶えになりながらキロンが呟く。その内容には大いに思うところがあったが、今はそんなことを問い質している余裕は無い。右手の氷槍に向かって叫ぶ。

「出番だコルセスカ! 美味しいところを、持っていけっ!」

 さんざん突きを入れられたお返しとばかりに、キロンの胸に氷の穂先を突き入れる。先端に収束した氷血呪が白い閃光を放ち、強力無比なる呪術効果を解放する。

 キロンの体内で発動した氷血呪は彼にとっての外界の時間を凍り付かせる。逆に言えば、キロンの主観時間は爆発的に加速するということだ。
 人食いの左腕が絶えず肉体を食い荒らし、苦痛を与え続ける中でのその行為が何を意味するのか。

 際限なく加速していく主観時間。
 無限に引き延ばされ続ける苦痛。終わりのない拷問。

「ぐ、が――あ」

 拡張する。拡大する。自己を肥大化させ、敵対者を残虐に駆逐することだけを目的として鮮血の魔女は適応し続ける。
 その左腕は、拡張しながら学習しているのだった。最適な拡張、最高の適応、最悪の苦痛の与え方を。

 自己複製と単純な条件分岐による適応。予め定められた論理回路プランの指示に従って、論理積、論理和、否定などの単純な演算を繰り返していく。それは苦痛の大小比較だった。A且つBである場合。AまたはBである場合。Aでない場合。特定の痛みを与えた時、その苦痛の度合いが1以上である場合その苦痛のパターンを継続し、そうでないならば他のパターンに変化する。早い話が総当たりで通用しそうな攻撃を試し続けているだけである。

 しかし、乱雑に複雑に拡大拡張をし続ける強化外骨格の装甲細胞群は、混沌の中にも次第に一定の秩序を生み出し始める。適者生存の進化的アルゴリズム。機械的に最も優れた戦略を求め、淘汰を重ね、ついには学習を重ねることによってゲーム理論的な協調を始める。

 効率化された自己最適化の工程がパターンの変化を加速させ、次から次へと新たな苦痛のパターンが発生し続ける。超加速したキロンの体内、その小宇宙の中で無数の命が生まれては死んでいく。

 極小の世界で、拷問官の生態系が構築されていった。それは文明などという高尚なものではない。苦痛を与えるためだけに生み出された機械細胞群が、より効率的に苦痛を与えるための次世代を作り出し、それを幾代も重ねていくのである。

 魚の群れのような同型の小型細胞が肉を食い荒らすというパターンがあった。大型の優れた拷問機械と、それを補助し維持するための奉仕細胞達で構成される王国があった。他の群れを摸倣し続ける、適応力に特化した集団があった。彼らにとってキロンは報酬であり資源であり生きる目的そのものである。その肉の畑を耕し、骨の樹から採集することで、無限の苦痛を得ることができる。

「あ、ぐぐ――ぎ」

 半不死であるキロンが、途方もない時間の中をただ苦痛だけを感じてかろうじて命を繋いでいる。無限の苦痛の中、その心の中にあったのは小さな五つの光だ。美しく、前途ある若者達。その煌めきを守りたいと思った。けれどそれは叶わず、その絶望は燻り続ける松明となって彼の目の前を照らした。戦え、諦めるなと自らに言い聞かせる。決して負けられない理由がそこにはある。記憶がある限り、廉施者キロンに敗北は無い。

 加速した時間流を一瞬だけ緩めて、俺はその不屈の心に僅かな楔を打ち込んだ。

「鮮血呪は価値を操作し、交換不可能なものを交換可能なものに変換する呪術だそうだ――なあキロン、お前はその回復の術で、一体何を何に置き換えた?」

「それは――致命的な死を、未来へ進むための生に――」

「そうだ。一回性の、取り返しのつかない死。どうしようもない仲間達の死、尊い喪失があるからこそお前は何度でも立ち上がれる――にも関わらず、お前は自らその死を貶めた」

 それは猛毒だった。気付かなかったわけではないだろう、ただ直視しないようにしていただけ――それでも俺は悪意を持ってその欺瞞を暴き立てる。相手の精神に侵入し、徹底的に蹂躙するために。

「お前にとって死は聖なるもの。だから鮮血呪で変換できたんだ。ありふれた生に。自分一人だけが生き残ってしまったという、卑俗でくだらない生にな。わかっているのか? お前がその力を使う度、自ら尊いはずの死の価値を貶めているということに! 失われた五人の死を、ありふれたものにしてしまっていることに!」

「違う! 俺は、違う、違う違う違うっ!」

 俺の下らないアナロジー、牽強付会で我田引水な詭弁に、キロンが半狂乱になって否定の声を上げる。冷静な判断力を働かせることができる状態ならまだしも、今の彼は長時間にわたり苦痛に苛まれた後だ。すり切れた精神と理性では理路整然とした反論も難しいだろう。

 もし彼が生を死よりも尊いと感じていれば、鮮血呪によってあらゆる生者に死を与える最強の転生者殺しが生まれていただろう。そうならなかったのは、彼が失った五人を深く想っていたから。そして、その適性が殺戮よりも治療に向いていたからなのだろう。

 讃えられるべき善性が、廉施者キロンを殺す。
 形の無い、交換不可能な想い。心の一番深い場所でその意思を支える、唯一絶対の記憶。

 その聖性を穢されたことで、不屈の精神がついに決壊する。
 だが死ねない。己に課した呪術が自動で肉体を修復し、死にたくとも死ねないという最悪の時間を強引に引き延ばし続けている。絶望の中、無我夢中で手を振り回す。そして、その右手に一振りの槍が握られていることに気がついた。メクセトの神滅具【自殺の黒槍】である。そして彼の脳裏に天啓のように舞い降りたひらめき。

 トリシューラの分析によれば、黒い槍が傷つける対象は、敵ではなく使い手自身である。
 穂先が敵対者の身体に接触した瞬間、使い手のそれと同じ部位に対して攻撃を行う、自傷呪術が仕掛けられた悪意の槍。

 その後、自らに与えた傷をコピーし、穂先で触れた対象にペーストする。その迂遠で強引な防御無視のプロセスが神滅具【自殺の黒槍】の能力だった。本来ならば相打ちにしか持ち込めない最悪の武装だが、キロンが使えば話は別だ。相手に傷を貼り付けた後で、瞬時に負傷を治してしまえば一方的に相手を貫き続けられる。

 『呪具には理不尽なまでの応報性と相応以上の反作用、どちらかあるいは両方が必要である』というのが呪具製作者エンチャンターとしての覇王メクセトの哲学であったというが、ただの悪趣味であることに疑いの余地はない。遠い過去で、最悪の呪具製作者が悪意に満ちた笑みを浮かべるのが容易に想像できた。

 意識が途切れそうになる激痛の中、キロンは黒槍の穂先を自らの頭部に押し当てる。彼の思考にはもはや反撃の意思が介在する余裕など無い。ただ目の前の苦痛から逃れたい一心で、必死になって苦痛から逃れようとするだけだ。このまま頭部を破壊すれば痛みを感覚することもできなくなる。この死にそうな程の痛みから解放される。生き延びる事ができる。

 死ねば生きられるという破綻した思考のままに神滅具の能力を発動させる。使用者と標的が同一であり、自傷の後にそれを参照して標的に上書きするというプロセスが異常を来す。使用者の傷と標的の無傷という状態の差異を比較して類似であると確認することによって神滅具の処理は正常に終了する。上書き処理の前に標的に傷が生まれているという異常。上書き処理を遅延させたままパラドキシカルトリアージによって負傷が修復され、それによって神滅具が正常に作動し、頭部に貫通創を上書きする。その傷を参照して、オリジナルとコピーが完全に同一である為に神滅具の処理は正常に終了できない。AとA'という結果を生み出すことがその役目であるのに、参照先は両方ともA'とA'だ。再びの修復と上書きを繰り返すが、何度やってもコピーをペーストしてそれをコピーして――その繰り返し。終わらない無限ループ。

 即死すら叶わない意識の限りない断絶の中で、途切れ途切れの懇願が響いた。
 その響きに、聞き覚えがある。半年前とは違う、これは俺が自ら引き起こした結果だ。

 自殺とは、己の意思によって望むものではない。外部からストレスを加え、自ずから死を選択させる。そのような脳の誤作動を強制的に引き起こす、人間の脆弱性を的確に突いた拷問。原始の時代から存在する呪術的クラッキング。自殺は外部から強制されることで引き起こされる、責任と行為者を錯誤させた呪殺のメソッドである。

 首筋から、冷たさが広がっていく。
 引き抜いたコルセスカの刃を鮮血が濡らし、瞬時に凍結させていく。赤い血の氷に染まった刃を水平に構えて、静かに宣告する。

「『介錯』だ、キロン」

 切腹――強いられた自死の苦痛を終わらせるための、止めの一撃。
 はね上がった首を吹き上がろうとする血液ごと凍結する。次の瞬間、苦痛からの救いだけを求める表情が、粉々に砕けて第五階層の空に散っていった。

 

 気がつけば、映像の中で歌姫のステージが終わりを告げているようだった。何やら俺が戦っている間にトラブルでもあったのか、軽い混乱が起きていたようだが、なんとか無事に幕を閉じることができたらしい。

 ほっと一息を吐きながら、合体を解除してモニターの裏側、ビルの屋上に降り立った。トリシューラと二人並んで向かい合う。

「てわけで、晴れて俺もトリシューラと同じ立場なわけだ。後輩として、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」

「うん、よろしくね。でも、あんな提案をアキラくんの方からしてくるなんて、びっくりしたよ」

 キロンは強敵だ。二重三重の策を用意しても不測の事態など幾らでも起こりうる。そうやって死亡してもトリシューラへの協力を続行するため、頭部の複製は必須であった。脳の神経回路のマップを取得してシミュレート、総体としての神経細胞の働きを完全に再現する。言うは易しだが、途方もないスペックのマシンと高精度なソフトが必要となる。

 だが、トリシューラが自己を複製可能であるという前提に基づけば、それは成功するはずだった。トリシューラという人を作れるのなら俺だって作れるはずだ。トリシューラが凄まじく単純な仕組みの質疑応答装置とか遠隔操作とかだったら俺は完全に死んでいただろうが、それでも俺はトリシューラがいることに賭けた。

 つまり俺という存在が今ここで思考しているという事実は、トリシューラが作られたアンドロイドであることも同時に証明する。一石二鳥だ。合理的に考えて、やらない理由が無い。

 まあ俺の借金が数桁増えるだけで何も問題は無い。数桁っていうか十桁以上増えてた気がするんだけどちょっと怖すぎて確認してない。一体どのくらいトリシューラの所で働けば良いんだ俺。一生?

「とはいえ、今ここにいる俺が実際に俺なのかは確かめようもないわけだが」

 もしかしたら俺の脳は最初に開頭手術をされたときに摘出されており、さっきまで水槽の中から遠隔操作していたのかもしれない。いや、ひょっとすると今も。知覚や認識の操作を疑い出すと際限が無くなる。

 いずれにせよ俺の脳に関してはもはや完全なブラックボックスだ。それは実行したトリシューラにとっても同様である。

「でも、自分でやったことなのに詳細がわからない、っていうことはちゃんと分かったよ。ちびシューラをアキラくんの中に刻印した時も同じ事があったけど、これで確証が持てた。更に上のレベルに、高次のトリシューラが存在しているのは間違いない」

 それが確認できたのなら、この試行にもそれなりの意味があったということだ。人工脳及び義体頭部によって生命活動を続けている俺は、定義上テセウスの船型、あるいは単にテセウス型とだけ呼ばれるサイボーグに分類される。が、まあサイボーグとアンドロイドの違いなんて大した問題では無い。重要なのは成果が得られたのかどうかだ。

「アキラくんの複製を実行した瞬間、ちょっとだけ見えたよ。最上位のトリシューラの姿が。やっぱりシューラは複合型だった。全部は把握し切れてないけど、主要なモデルは九つ。かろうじて確認できた一つが、自己組織化された脳細胞群のはたらきを、蓄積された情報に基づいて確率推論で最適化していくタイプのニューラルネットワークだった」

「セル・オートマトンにベイジアンネットワーク? またえらく古典的な。まあ他に八つなら、まだまだ浅い層ってことなのか」

「そうだね。でも私自身を探る端緒にはなったよ。本当にありがとう、アキラくん。貴方の協力があったから、ここに辿り着けた」

「まだスタート地点だろ。何も始まってねえよ。そういうのは全部終わってから言え」

 あと報酬もな。最後まで付き合ったら借金分と合わせてチャラになるくらいの肉体労働だろこれ。

 実感はともかく、現実には俺じゃなくてもできる仕事だし、大した事はしていないといえばしていない。主役はあくまでトリシューラであって俺じゃない。せいぜい交換可能な労働力として勤労に汗することにしよう。

 こほん、とかすかな咳払い。そろそろいいでしょうか、と言う声と共に、まだ俺の右手に握られていたコルセスカが白い光に包まれた。瞬時にその輪郭が歪み、人の形態を取り戻したコルセスカが険しい視線を隣のビルに向ける。

「二人とも、釘を刺すようで申し訳ありませんが――まだ終わってはいませんよ」

 鋭く向けられた凍結の邪視を、膨大な量の呪力が押し返していく。視認のみで発動する最速の呪術。景色を塗り替えていった氷が、更なる視線にさらされて溶けていく。固まっていく空間自体を上書きしていく現象は『融解』だ。コルセスカの技と同系統でありながら対極の性質を持つ新たなる邪視。

 その現象をもたらしているのは、無数の眼球だった。空中に浮遊する、夥しい数の目、目、目。数百、数千を超えてもはや万に達するのではないかという凄まじい数の、それは既に軍勢だった。

「邪視系使い魔、【八万の眼球アブロニクレス】――古代に失われた文明で崇拝されていた神とも、精霊であるとも言われています」

 コルセスカが解説を挟む――その八万って日本語における八百万みたいに沢山って程度の意味だよな? まさか本当に総数が八万なのだろうか。あの大群を見ているとあながち無いとも言い切れない。

 あの眼球を最初に見たのは第六階層。王獣カッサリオを呼び寄せた何者かの使い魔。次に見たのは第五階層が迷宮化した時。階層を書き換えた何者かの使い魔であるという。三度目がキロンを融血呪によって復活させた時。俺達が窮地に陥る時、必ずこの眼球型使い魔の姿がある。

 その主人が誰なのか。左右に立つ二人の魔女にはその確信があるようだった。俺もまた、漠然とした予感を抱き始めている。

「典型的な四番(げいじゅつか)気質。気鬱と自堕落を抱えた、他者を蔑む自意識の肥満体」

 どこからともなく響く、大量の使い魔が同時に喋っているようにも聞こえる声。その中に、どこかしらこちらを蔑み、否定するような強い悪意が含まれているような気がして、肌がちりつくのを感じた。

「まずはお見事、と言っておきましょう。氷血のコルセスカと鮮血のトリシューラ、そして忌むべき転生者よ」

「褒められて悪い気はしないが、まずは顔くらい見せたらどうなんだ?」

「姿を現さない非礼はお詫びしましょう。ですが姿無く実体無く形無く、目に見えぬ呪いを扱うのが我々使い魔の呪術師の戦い方なのです」

 確かに、自らは戦闘能力を持たず、他者を使役するという形式の呪術ならばそれは理に適っている。敵に回すと厄介なことこの上ないが。

 そしてキロンを裏から操って手駒にするという手口。はっきり言って陰湿だ。そのやり口はどこかあの邪悪な魔女、トリシューラを思わせる。とかそんなことを考えていたら後ろから脚を蹴られた。

 かなり強めの一撃だったらしく、コルセスカがふるふると震え出し、出し抜けにトリシューラに掴み掛かる。背後で開始される魔女同士の戦い。何やってんだこいつら。

「この機会に自己紹介を済ませておきましょう。わたくしは使い魔の転生者ゼノグラシア。最後の魔女候補の一人、融血のトライデントに見出された『使い魔を使う使い魔』にして、下方勢力のジェネラルたちを率いる元帥マーシャル。世界槍の迷宮支配者ダンジョンマスター

 知らず、身体が震える。
 魔将の統率者。つまり、俺の目の前に立ち塞がっているのは、地獄の総大将本人だと言うことだ。まさかそんな大物が地獄の底の第九階層ではなく第五階層に現れるなど、一体誰が予想できるだろう?

 トリシューラはキロンほどの強大な実力者がいれば感知できないのはおかしいと何度もこぼしていた。結局彼は自らの自己評価を操作して弱者を装ってこの階層に潜入したらしいが、この相手は一体どのような手段で感知の網をすり抜けたのだろうか。というか索敵ザルじゃねえか強敵の侵入許しすぎだろ。

 仮想視界で縮こまるちびシューラがサジェストした情報には、魔軍元帥の詳細なプロフィールが載っている。
 それはまさしく伝説上の人物だった。

 曰く、地上の生まれでありながら地獄に下った人類の裏切り者。
 曰く、神話の時代から火竜に仕え続ける地獄の聖女。
 曰く、死ぬ度に魂を別の肉体へと移し替える転生者。
 曰く、この迷宮の支配者ダンジョンマスター
 曰く、無数の使い魔を使役するビートダウンの魔女。

 尽きることのない、相手の危険性だけを伝えてくる情報の数々。吐く息は重くなり、首筋が冷えていく。残りの魔将とかすっとばしていきなり親玉とは景気が良いことこの上ない。こっちはキロンとの戦いで精も根も尽き果てる寸前だというのに、地獄の総大将は冗談が上手い。

「わたくしのあの世界での名はベアトリーチェ。この世界での名はセレクティフィレクティ。この身は二つの魂が融け合った二重転生者。以後お見知りおきを、日本人のサイバーカラテ使い。同じ立場にある者同士、仲良くしていきたいものです」

 その名前に、異様な引っ掛かりを覚える――今までにもあったことだ。この世界の連中は、どうしてかやたらと俺の前世からの引用を好む。しかし今の言い回しからすると、もしかしてこの相手は俺と同郷なのだろうか?

 俺の耳に届いているのは【心話】によるダイレクトな意味の伝達だが、よく注意するとその背後で微かに西欧語じみた響きが聞こえるような気がしなくもない。はっきりと聞こえた所で、その意味がとれるとは思えなかったが。

 二重転生者と彼女は言った。それはつまり、異世界から来た転生者の情報とこの世界で黄泉がえりを続ける転生者の魂とが結びつき、一体になっているということだろう。憑依されそうになって逆に肉体の主導権を奪い返したキロンとは違う。融け合って共存している状態ということか。
 それにしても。

「何度も転生を繰り返してる強大な魔女、ってつまり転生歴ロンダリングのこと?」

「わたくしを狡い詐欺師風情と一緒にしないでいただけますか?」

 幾分クリアになった声が、軽くキレ気味だった。感情が揺れたせいで正体を隠すための呪術が雑になったのだろう。揺さぶりの成功に内心で快哉を上げる。

「わたくしは貴方のような転生者が一番嫌い――転生先の世界とその世界に住む人々を蔑ろにして搾取を繰り返す恥知らず」

「否定はしないが、あの世界の先進国に生まれた時点で多かれ少なかれ他の世界を踏みつけにしているのは変わらないと思うが。気にしてたら生きていられない――ああ、そうか。ベアトリーチェとか言ったな。貴方が地獄側に付いてるのはアレか。地上の連中に差別され虐げられる可哀想な下の人類を助けてあげたいとかそういう理由か」

「――ええ、その通りですとも。何か問題がありまして?」

「無いな。立派な、そして崇高な理念だ。貴方は正しい。敬意を払うに値する――ところで、それは何をしているんだ?」

 眼球の群れの中央で、蒼い流体が渦を巻いている。第五階層に飛散した氷漬けのキロンの遺体、そこから溢れた融血呪の流体が浮上してたゆたっているのだ。その内側には十数個の輝きと、五つの神滅具、そして蝶の翅が閉じ込められているように見えた。

「回収ですわ。あの者が今までに集めてきた転生者の力。あなた方の力も融け合わせる事ができればと思っていたのですが、そうそう思い通りにはいきませんね」

「キロンを利用して転生者の力を集めるのが狙いか」

「それはついでの用事。わたくしは哀れなハルハハールの亡骸を取り戻し、第九階層にある生家の近くに葬ってあげたかっただけです」

「そうか。仲間思いなことだ。それで、転生者の力を集めてどうするんだ?」

「部下達に分け与えるのです。敵の力を奪い、利用する。地上の修道騎士たちもやっていることでしょう?」

「なるほど、効率的だ。しかし、その為にキロンをいいように使い倒していたみたいだが、その点は貴方の中でどんな風に帳尻が合ってるんだ?」

「彼は正義と己の傷を盾に自らの残虐な行いを正当化する恥知らず。わたくしはそのような輩を『人ではない』と認識しています」

 は、と笑う。それと似たような事を言う男を、俺は一人知っていたからだ。彼女の言い草はまさにその裏返しでしかない。
 そう考えた俺は、しかし次に続いた言葉でその甘い認識を改めることになる。

「貴方はこう仰りたいのでしょう? わたくしの本質は人と人でないものとを区別し排除する地上人の、そして転生者達のそれと変わりないものだと――その通り。わたくしは邪悪。見るに堪えない、直視すら憚られる醜悪。けれど、それでもわたくしは悪であることを選ぶのです。ええ、わたくしが堕落し、汚れることで守れるものがあるのなら、わたくしは喜んで鬼畜外道に成り果てましょう。その悪因悪果、残らず受け止め平らげてご覧に入れます」

 望んで悪を選ぶのだと、彼女はそう言っているのだ。その姿はまるで、己を邪悪な魔女だと規定する誰かのようでもあった。

 正直、少し甘く見ていた。キロンのような典型的なタイプを裏返しただけの――あるいはよくいる異世界ボランティア学生とかの類かと思っていたのだ。だが彼女は大まじめだった。異世界ボランティアが反乱軍のリーダーとかになってしまう、より重篤なケースである。やべえ本物だこれ。

「尊く思い、大切にしたいと願うものがあるのなら、その対極に卑しいと蔑み、排除し滅ぼしたいと願うものがあるのはごく自然なこと。価値は比較の中でこそ生まれる――どちらにも付かず、流されるままの貴方にはわからないことかもしれませんが、何かの味方をするということは、何かの敵になるということです。大切なものがあるということは、大切でないものがあるということ。人であるものがいるということは、人でないものがいるということです」

「極論だな。普通その『人』の定義ってのは知性とか生物学的な特徴とかを根拠に――あ」

「ええ。この世界は『人』の在り方が多様過ぎる――そしてそれを万人に認めさせるには、世界の在り方が呪術的過ぎる。これはこの世界の構造的な宿痾なのです」

 『人』の定義。その話題について、俺とトリシューラは特に慎重な姿勢をとらざるを得ないのだが――いきなり際どい話を振ってくるなこの相手。
 正直な所、参ったとしか言いようがない。俺は今、この相手に相対できるだけの足場が無いのだ。

 もしかすると『人』ではないと万人から否定されるかも知れない俺とトリシューラ。そんな俺達が、何を持って『人』とそれ以外とを峻別するのか、その基準を定めてしまうことは、危うい。

 どこがゴールかもわからない今、見通しもないままにそれをはっきりと口に出すことはできないのだ。

 先程俺はベアトリーチェに顔を見せろと言った。だが今となってはそれも愚かな真似だったと思えてくる。今の俺に、この相手の前に立つ資格はない。対峙し、打倒するに足りる材料が無いのだ。

 戦えば負ける。戦力の比較などではなく、ただそうなのだと直観した。
 おそらく相手もまた、それを理解していた。

「さて、どうしましょうか。主な用事は済んだものの、このまま貴方達を生かしておく理由も特にありません」

 無数の眼球が一斉にこちらを向いて、凄まじい呪力が周囲に充溢していくの感じる。冷たさが全身に広がっていくのを感じながら、密かに歯噛みした。

 と、今度は背後からコルセスカが前に出て、挑発するように右目を輝かせる。対する無数の目は、どこか面白がるようにして笑声を響かせた。

「此度の生では初めまして冬の魔女。それともお久しぶりと言うべきでしょうか」

 意外、というわけでもないのか。二人は既知の間柄のようだ。それも親しい仲などではない。長年の宿敵同士。そんな雰囲気だった。

「性懲りもなく他人の魂に寄生して甦りましたか、相補の魔女」

「寄生とは人聞きの悪い。わたくし達は共生しているのです。わたくしはただ、前世のわたくしたちに共感し、同じ道を往くと決めただけのこと。貴方に物言いを付けられる筋合いはございません」

「火竜の太鼓持ちの次は猫の腰巾着。随分と腰の軽いことですね」

「転生する度に違う男をくわえ込んでいる貴方にだけは言われたくありません。それにわたくしは変わらぬ忠誠と崇敬を大いなるメルトバーズ様に捧げております。トライデントに所属しているのはその為の手段に過ぎない」

「く、くわえ込んでなんか――いえ、確かに物理的には噛みましたけど。そんなの一回転生したらノーカンですノーカン! 前世の私がしたことを責められても困ります! ですよね?」

 そんな急に同意を求められても。正直に言えばちょっと気にならなくもないが、そんな事を口に出してコルセスカを不安がらせても仕方が無い。平然を装って頷いておく。しかしキロンが死ぬ前に言い残した『我らが筆頭騎士の花嫁』とは一体――ううん。

「ほら見なさい。私の使い魔はそういう小さな事を気にしない大きな器の持ち主なんです。貴方のお笑い怪獣軍団とは格が違うんですよ」

「ふふふ、言ってくれますわね。わたくしの可愛いペットたちを褒めてくださるなんて、光栄ですわ」

「その慇懃無礼で不遜な口調。相変わらずの性根ですね。何度死んでも進歩が無いところまで一緒のようです」

 いやコルセスカさんそれ人の事あんまり言えなくね? 口には出さないけど。

「どうせ今回も召喚コストに圧迫されて極貧生活でもしているのでしょう。今度から借金地獄の主とでも名乗ったらどうですか」

「よっ、余計なお世話です! ふん、保護者の脛を囓って生きている貴方には人を養わなくてはならないわたくしの苦労などわからないのでしょうね。人が寸暇を惜しんで働いている間、一体貴方は何をしていました?」

「ゲームしてました」

「――――貴方はわたくしが手ずから殺します。覚悟しなさい」

 静かな激怒を秘めた宣言と共に、途方もなく巨大な呪力が膨れあがっていく。ああ、コルセスカのおかげで戦いが回避不能に。まあどっちにしろ見逃してくれそうにはなかったが。

 身構える俺達三人。対するは万にも及ぶ使い魔の大群。
 張り詰めた糸が切れる寸前、不意に視線の一つが高層建造物の下を見る。瞬間、どこかで姿を隠している魔女が、はっきりとわかるほどに動揺を示した。

 眼球の群れは、一斉に眼を剥いて(最初から剥き出しみたいなものだが)ある人物を凝視した。

「そんな馬鹿な。ありえない。獅子王の――あの方がなぜここに?」

 震える声で、意味の掴めない事を呟くベアトリーチェ。眼球の群れが混乱し始めている。その視線の先にいたのは、猫耳をぴくぴくと動かしながら第五階層を走り回る、小さな姿。

「レオ?」

(そっか。やっぱあの子、地獄の貴種か何か――それも相当高位の『やんごとない身分』って奴だよきっと)

 ちびシューラが推測を口にする。口にしているのが古代の言語というのが不思議だったが、そうした古典語を日常的に使うような、生活空間の隔離が行われていたなら納得はいくのだという。呪力の質を高める目的で古い文化性を保持するのは、地方の王族などに見られる習慣らしい。地獄に多数ある国家群のどこかの王室の関係者である可能性を以前から疑っていたとか。

 記憶喪失の少年が、どれほど敵の魔女にとって重要な存在なのかはわからない。しかしベアトリーチェの戦意がほとんど消えかけているのは確かだった。

「あの子が言っていた古代語の話者というのはこの事――なんてこと。これは気づけなかったわたくしのミスだわ。レストロオセめ、これを見越して横槍を――フィリスといい、勝手ばかりして!」

 舌打ちしながら苛立ちを露わにする。遙か下方で、こちらの状況を一切関知せず走り回る猫耳の少年は殺人的に可愛い。

「仕方がありません。わたくしは所詮魔軍の元帥――その上の意向にまでは逆らえません。今ここであなた方を殲滅する事を【下】は望んでいない――であれば、ここは退くとしましょう。 今日はほんの挨拶程度ということで満足しておきます」

 なんか小さく「バイトのシフトもありますし」とかいう呟きが聞こえた気がしたが空耳かな?

 無数の眼球と蒼い流体が光に包まれて消失していく。その寸前で、コルセスカが小さく「凍れ」と呟いて、正確に五つの神滅具だけを凍結させて奪い返す。

「それは返してもらいます」

「――今回は見逃します。それではまた。わたくしの敵」

 そして、俺達の目の前からあらゆる光が消え去っていった。
 後に残ったのは、ただひたすら静かな空間。
 何かまとめる感じの事を口にしようとしたが、その前に首筋に問答無用で牙が突き立てられる。

「ちょっ! 何やってるのセスカ! それ以上吸ったらアキラくんが――」

「ん――後の事を任せました、トリシューラ。私はこれから敵の本体を追いかけます。まだそう遠くには行っていない筈。あの系統の呪術師は本体を叩けばわりとあっさり倒せます。つまり今仕掛けるべきです」

「いや無茶だろ、思い留まれコルセスカ! もう身体動かすの限界だから戦えるのも最後の一撃だけだってキロンとやり合う前に自分で言ってただろうが!」

「そうだよいいから帰って寝て! この中で一番やばい状態なのセスカなんだから」

「アキラから血を貰ったので大丈夫です。では行ってきます」

「ちょっと――?!」

 言い捨てて、素早く跳躍して建造物の上を伝っていくコルセスカ。死にかけとは思えない行動力だが、トリシューラ以上に無茶ばかりする奴だということはよく分かっている。

「ああもう! 仕方無い、追うぞ!」

「最低! ここは普通もうちょっと戦いが終わってめでたし的な流れになるところでしょあの馬鹿――!」

 ぎゃあぎゃあと喧しく騒ぎながら、俺達は慌ただしく走り出した。
 どうやらもうしばらく、気が休まることは無いらしい。

 振り回されて追いかけられて、どこまで行くのかもわからない、滅茶苦茶で無軌道な二人の魔女。それでも俺は、ようやく足りないものが埋まったように感じていた。足場と両手、それから未来。少なくとも、目を離して後悔することだけはしたくない。遠ざかる二人の姿を、一歩を踏み出し、手を伸ばして追いかける。

 

 ――その後、路地裏で力尽きているコルセスカを発見した俺はそのまま貧血で倒れ、トリシューラは俺達二人を引きずって地下の拠点に運んだとか。
 二人揃って寝台に横たわり、目覚めた瞬間から終わりのない説教と愚痴を聞かされ続けたという――。

 

 
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