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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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4-58 あなたは理想の王子さま、私の素敵な王子さま




「そもそもの話、第五階層が『中立地帯』なんてお題目に守られて放置されてきた理由がおわかりかしら」

 ステージの裏手を人形のスタッフたちが忙しなく走り回るのを眺めながら、紫色の少女がぽつりと呟く。その肩の上、小さな人形が甲高い声で応答した。

「『死人の森』があるからでしょ? みんな知ってるよ。『上』も『下』も死者に怯えているんだ」

 アマランサスは退屈そうに「そうね」と頷いた。
 舞台設営は着々と進んでいる。じきに本番だ。このライブ対決でこの先の流れが定まる。シナモリアキラとトリシューラを下し、その力を人形たちの陣営に合流させることができれば勝利はぐっと近付くことだろう。思惑を秘めたまま、アマランサスは静かに言葉を続ける。

「同時に彼らは死者の軍勢を欲しがってもいるから、内乱が発生している今、両勢力は介入の機会を窺っている。国際社会の安定とかそれらしい名目でいずれかの勢力に肩入れし、勝者を傀儡にするのが手っ取り早いけど――やはり、正統な王権を確保するのが呪術的にも望ましい」

 『死人の森』という王国こそ最も古く、正統なるこの地の盟主に他ならない。
 だがこの森は火薬庫だ。危険な狼にも、強力な軍用犬にもなり得る。

「『上』の諸勢力と深く結びついたラクルラール派は王権を手にしたアルト・イヴニルにその役目を担わせようとしている。古い女神を男性性と槍の呪力によって打破することは、『上』の論理をこの地に打ち立てることに等しい」

「でも、一度王になっちゃえばあとは大きな裁量権が与えられる! 自由だよ!」

 王権の継承、ないしは交代。その形態は多様だが、いずれにせよ最後に玉座に座っていたものが王になることは間違い無い。
 たとえそれが傀儡であっても、王として力を蓄えることができればいずれその意思を『上』の大国も無視できなくなる。

「この戦い、『下』は完全に出遅れている。ここで私たちがシナモリアキラを打ち破り、トリシューラ勢力を取り込めれば流れは決まるわ」

 いつしかアマランサスの周囲には煌びやかなドレスを身に纏った人形たちが集まっていた。軍勢を率いる指揮官のように、アマランサスは戦場を見据えた。

「塔に力は蓄えた。あとは、お姫様の手が月まで届くかどうか。それだけよ」

 決戦は近い。硝子の瞳は真っ直ぐに前だけを見据えていた。
 彼女たちの頭上に垂れる青い糸は、不気味な沈黙を保ったまま動かない。
 ずっと変わらず、糸はそこに在り続けていた。



 暗闇の舞台に鳴り響く金属音。剣舞を彩るのは軽快な死の楽想。
 美貌の剣士が手刀を繰り出し、剛腕の勇士が水流を唸らせる。
 ここは白骨で埋め尽くされた異形の迷宮、攫われた舞姫たちが虚ろな目で見守る奈落の舞台。自らを庇い、攫われてしまった師ファウナを追ったクレイは闇の中で海の民の勇士イアテムと遭遇した。二人の男は互いを不倶戴天の敵と見定めて闘争を開始したが、両者が剣を打ち合わせて既に十数合。未だ決着は遠い。

 海の英雄が振るう水刃の切れ味はまさしく「イアテムの剣の如し」――喩えに引かれている本人の斬撃の凄まじさときたら、鍛えた鋼ですらトントロポロロンズ同然にするりと断ち切られてしまう程だ。
 しかし、ならばその斬撃を幾度となく受け止め、打ち払い、熾烈な撃剣を繰り広げているこのクレイという男は何者なのか。舞うような脚捌きといい閃光に似た手刀の冴えといい、地上有数の剣腕に全く引けをとらない。
 裂帛の気合いと共にイアテムが刃を振るい、弾かれたクレイが飛び退る。
 互いに息を整えるように間合いを図りつつ、両者はしばし睨み合った。
 ぼたり、と雫が落ちる。イアテムの剣は水毀れしていた。

「南東海に並ぶもの無き我が呪剣を砕くか、死人どもの王子! いったいその腕に何を宿している?!」

「陛下への忠誠。ただそれだけだ」

 少なくとも、クレイはその言葉を信じていた。
 彼の信念はそのまま呪力となって手刀を取り巻き、イアテムの呪剣を上回る鋭さと力強さを実現している。狂信は根拠が無いからこそ強靱であった。クレイは自負を滲ませて言い放つ。

「俺の剣と打ち合いたくば、音に聞く聖剣『切断処理』でも持ってくるんだな」

「生憎と我は修道騎士でも無ければ、かの『無敵の人』でも無いが――少なくともお前の剣は無敵ではないわけだ」

 イアテムはいいことを聞いたとばかりに口の端を吊り上げた。
 それから重心を少しだけ沈めると、片足から頭頂部まで縦軸が通っているかのような見事な旋回ピルエットを行う。回転につられるように、黒い影が衛星となってイアテムの周回軌道に乗った。

「サテライトオーブ・スキリシア」

 詠唱の直後、イアテムの姿が縦に割れる。
 雛鳥が卵の殻を破るように、イアテムの内側から現れたのは緑色の波打つ長髪を肩に流した黒衣の麗人だった。この世のものとは思えぬほどに美しく、女性とも男性ともはっきりしない。口の端からのぞく牙が妖しく輝いた。

「カーティス?!」

 クレイの動揺。奇怪な跳躍から振り下ろされた爪をどうにか防ぎ、二度、三度と回避。クレイの反撃が吸血鬼を引き裂くと、またしてもその肉体が裂けて中から新たな人物が出現した。今度は左右非対称の兎耳を持った少年だ。

「気付かなかった? もう僕たちの戦いはほとんど終わっているんだよ」

 高速の呪文詠唱により、兎が跳びはねるかのような雷撃がクレイを襲う。
 閃光と共にまたしても縦に裂けた少年の中から目隠しをした少年が現れ、その姿が青年、老人と変化して行く。成長と老いの果てに滅びを迎えた屍は、腐り落ちていく目をかっと見開く。十字の瞳が妖しく輝いた。

「終幕は近い。ねずみの女王も仕上がりつつある」

 屈曲した膝がしなやかに伸び、ばねのように胴体が弾かれる。オルヴァの足から更なる衛星が撃ち出され、発生した呪力により再度の加速。爆発的に詰められた間合いにクレイは対応しきれない。掌打がガード越しにクレイを打ち抜き、軋みを上げる腕ごと背後に吹っ飛ばされる。
 回転する小型衛星の内側で、またしても次なる六王が新生していた。

「舞台を整え、形式をなぞらせる。男どもによる王権争奪は成立し、英雄の種は私のうちにある――あとはお前だ、クレイ。誘えば来ると信じていたぞ」

 隻眼の男が吐き出した氷の吐息が倒れたクレイに迫る。
 クレイは咄嗟に転がって回避すると、跳ね起きて手刀を一閃した。空間を裂いて飛翔した『斬撃』の仕草が亜竜の王に到達し、その肉体を裂いた。

「集めた巫女たちの呪力も最高潮に達している。じきにアマランサスがシナモリアキラを取り込むだろう――そして我らが王アルト・イヴニルの覇道が始まる」

 新たに出現した美貌の男は長い髪を靡かせながら悠然とクレイに歩み寄っていく。グラデーションのかかった髪の美しさときたら地下の暗闇を全て照らし出しそうなほどだった。まぶしさに目を灼かれそうになったクレイは目を閉じて舞い始めた。闘争を意味する肉体言語魔術が破壊のイメージを具現化する。

「美しいな。だが俺の方が美しい。お前は蕾だ、クレイ」

 しかしクレイの舞いを意にも介さず、美貌の男の右腕が爆ぜる。
 幾重にも折り畳まれた鋼鉄の機械義肢が伸びて大蛇のように舞い手を襲った。
 クレイは舞踏を強制的に中断させられて地面に叩き伏せられてしまう。

「お前は弱すぎる。そんな剣ではこの俺を御することなどできん」

 高圧的な機械音声が義肢から響くと、男の全身が罅割れていく。
 その姿は変幻自在。イアテムに、六王に、次々と移り変わっていく何者かの周囲を四種の衛星が旋回し続けていた。頭を踏みつけられて動きを封じられたクレイは呻くように問いを投げかけた。

「お前――お前は、誰だ」

「私はリールエルバ。私こそがこの迷宮の主、地下のトップアイドル・狂イ姫」

 再びその姿が割れる。現れたのは言葉通りの少女の威容。
 立体幻像によって再現された吸血鬼の姫君だった。
 予定調和の答えではあった――なにしろリールエルバがこの白骨迷宮の最奥にいることは周知の事実。だが、それなら先ほどの変身は何だったのか。
 その答えを、クレイは既に知っていた。

「黙れ人形! ミヒトネッセとか言ったな――ラクルラールの手駒め、カーティスの末裔に扮して、一体何を企んでいる!?」

「まるで私がリールエルバの偽物みたいな言い方ね。私こそがリールエルバ――だってほら、見てよこれ」

 リールエルバの姿をした存在は、空間に幾つかの窓を出現させると指で弾いて見せた。空間を滑っていく小窓がクレイの目の前に大量の情報を表示した。
 それは、この地下アイドル空間で高められたリールエルバの存在承認。
 ファンたちからアイドルへの好意、悪意、性欲、嫌悪、嫉妬、執着――そうした混沌とした感情の全てがそこにあった。

「私はこんなふうに崇められている。承認を得ている。リールエルバとして認められている。たとえなりすましだって、それは今この瞬間には真実なのよ? なら私は、本物でもあるの。少なくとも舞台の上ではね」

 時に、役を演じるものは同一のアストラル体を身に纏う。
 今の彼女は誰が見ても『本人である』と認めざるを得ないだろう。
 舞台の上で『リールエルバ役』を演じている役者を偽物と指摘するのは、ただの無粋でしかない。ミヒトネッセの呪的変装はそうした性質のものだった。

「既に私たちの間に境界は無い。私が演じるのは『下僕たちに期待されている吸血姫リールエルバの役』。膨れあがったイメージが一人歩きするほど、リールエルバというキャラクターは扇情的になりすぎた。私は欲動リビドーによって増幅される彼女の力をもっと大きくしてあげただけ」

 画面の中で、目を背けたくなるような光景が繰り広げられていた。
 恥ずかしげも無く剥き出しの性欲を抱き枕にぶつける全裸中年男性、ポルノ画像にアイドルの顔を貼り付けたコラージュを拡散させる者、道行く異性に『いやらしい格好で誘っているんだろう』と怒鳴りつける者、マント一枚で糞尿を垂れ流す変質者、溜め込んだ体液を手にべっとり付けて握手会に赴く者、SNSの公式アカウントに卑猥な言葉を発する者――悪夢めいた感情の全てが一箇所を目指して解き放たれようとしていた。クレイが激昂して叫んだ。

「外道め、またしてもこれが狙いか。民を欺き、扇動し、巻き添えにする奸計を用いておいて何が覇道だ、貴様らに王たる資格など無い!」

 思い出されるのは、六王たちの内乱の引き金となった欲望の暴走。
 彼らが女王と王子、そして『死人の森』の王権を巡って争ったことが今の状況を作り出している。この魔女はまたしても悪辣な呪術で混乱を招こうとしているのだ。クレイは憎悪を込めてリールエルバを睨み付ける。刃の視線を涼しげに受け流して、女は艶然と微笑んだ。

「リールエルバを前にした信奉者たちはもはや理性無き豚。脳髄を海綿体に置き換えて、荒い鼻息だけで呼吸する下劣な獣。女王の権威を貶めるための道具よ」

「下劣なのは貴様だ、魔女め」

「褒め言葉だわ、王子さま。だって私はガイノイドの魔女。そのように造られた卑しい雌豚だもの」

 ぶうぶう、とおどけたように口まねして、魔女はぐいと足に体重を乗せた。質量のない立体幻像であるにも関わらず、鉄の塊のような重量がクレイを責め苛んだ。

「さて問題です。欲望の誘蛾灯、淫蕩の餌と成り果てたリールエルバの『本体』は今頃どうなっているのでしょう? 正解はこちらの広告をクリック、なんて」

「――貴様は邪悪だ、奸婦め」

 憎々しげな呟きが虚しく響いた。
 リールエルバの周囲を『富の断章』が舞う。それが原本なのか写本なのか、既に事実はどうでも良いことだった。何もかもが手遅れで、人形たちの策謀は始まった時点で既に詰めの段階に達していたのだから。

「これはね、あの子が今までにしてきた行動の結果に過ぎないの。そう見られる事を望んだのはリールエルバ本人。女神(アイドル)の権威はじきに失墜する」

 『断章』から吐き出された呪文の帯が触手となってクレイの四肢を絡め取る。身動きがとれないクレイはリールエルバのなすがまま。反撃を試みるも、女の肉体の一部だけが瞬間的に六王に変化してクレイの攻め手は容易く封殺されてしまう。

「無駄よ、無駄。私は英雄の種を孕み、その力を転生させている」

「何、だと」

「私は性玩具の魔女。男の精を胎内で受け止め、育み、子宮という異界(かくりよ)の呪力によって再生を促す――私という蛹を破る蝶のように、英雄たちは女の屍を踏み越えて転生するの。そして彼ら(わたし)異界転生者(ゼノグラシア)となる」

 屍と言いつつも魔女が滅びている様子はない――否、それは当然のことだ。
 英雄の苗床となったミヒトネッセは死に、しかし死にながらも再生者の理によって甦る。人形にして再生者という異形。奇怪な転生の術は『死人の森』の存在を前提としたものなのだろう。

「だが、あの六王をどうやって――まさか欲望を暴走させる呪術で」

 クレイの問いに、魔女は首を振って否定の意思を示した。

「六王たちとは寝てないわ――そんな隙があるはずもない。けどね、彼らは現世に甦るにあたってイアテム配下の戦士たちを寄り代にした。彼らと事前に情を交わしていれば、彼らが転生したことで事後的に私は『英雄と交わった』ことになる」

 彼女は魔性じみた手管で男たちを籠絡し、その力を我がものにしたのだった。
 驚嘆すべきはその精神力だろう。彼女は意識を六王たちによって塗りつぶされていない。恐ろしく強靱な自我が王や英雄たちを『純粋な力』に貶めているのだ。

「これぞ冥土忍法『異界転生』――六王たちは役目を終えた。あとは『森』を掌握して、『冥道』と『子宮』を揃えて降臨を待つだけ。欲しいのは『冥道』の鍵――ねえ、王子さま。あなたのことよ」

 女は屈み、そのほっそりとした手をクレイの顎に伸ばした。囁くような声と共に、クレイの耳に吐息がかかる。端整な顔にさっと朱が差した。

「あなたを抱くわ。その精の全てを私の中にぶちまけなさい。そうすれば私はもうすぐ王子さま、古くて悪いねずみの王さまを退治するの! そうして私はレッテを守る、トリシューラを攫いに行く――ああ、なんて素敵なんでしょう!」

 淫靡に、狂的に、女の叫びがクレイの耳朶を陵辱する。
 恥辱と恐怖と強引に喚起された性的興奮と――混沌とした感情が男を責め苛んでいた。呻くような、嘔吐を堪えるような呻き。ミヒトネッセの呪力は欲望を強制的に喚起する。それは催眠や呪いにも等しい本能への暴力だった。

「新王アルト・イヴニルの勅命を受けた私は王の剣となって古き女王を弑するの。お前たちを殺して、お前たちの形をそっくり引き継ぐ。破壊と再生の理をここに示すというわけ。もっとも、冬の魔女にはまだ用事があるから代替霊媒に女王を移す事になるけれど――リールエルバには悪いけど、生贄になってもらいましょう」

「俺の剣で陛下を害するだと。そんなことを許すと思うか」

「強がっても無駄よ、童貞くん。そんなに興奮して、期待しているのでしょう?」

 人形の手はその材質とは裏腹にやわらかい動きでクレイの身体を愛撫していく。背を、肩を、二の腕を、首筋を、頬を――直接的な場所へは決して手を伸ばさず、焦らすような干渉を繰り返す。寄せては返す、静かな波打ち際。快楽の侵食も波のようだった。甘やかな囁きは母が幼子に語りかけるそれで、その語りにこそクレイを苦しめるものの本質があるようでもあった。

「いい子ね、甘えたがりの強がりさん。怖がらなくていいのよ、素直になってくれればすぐに終わるんだから――ほぉら、お姉さんと遊びましょう?」

 いつしか女の姿は侍女服の人形に戻っていた。呪文の帯で拘束したクレイを膝立ちにさせると、自分は立った状態で彼の頬を撫で、口の中に指を突っ込む。嫌がる男の目を強引に開かせ、嬲るように舌をなで回す。

「いやらしい子。女の指を舐め回すなんて、ちゃんとした男の人はしないものよ」

 反論は封じられた。口の中に腕を突き入れられ、人形の腕が喉の奥まで侵入と離脱を繰り返す。

「あっ、がぅ、ぐっ――」

 苦しげに歪んだ表情を嗜虐的に見下ろしながら、ミヒトネッセはブーツでクレイの大腿部を踏みつけ、膝を蹴り飛ばし、執拗に両足の間の周辺ばかりを攻め立てた。迂遠な暴力は音楽的ですらあった。暴力のリズムが不吉な予感を掻き立てる。
 腕は休み無くクレイに侵入していく。蹂躙し、尊厳を否定し、未熟な内側を暴き立てようと口腔内を責め苛む。白い喉が蠢くと、ミヒトネッセはもう片方の手で喉仏を撫で、摘み、強めに刺激した。

「こんなにべちゃべちゃにしてくれちゃって。変態。異常性欲者。このマザコン」

 涎は潤滑油だ。侍女服の袖を汚しながらクレイの口腔に腕を馴染ませる。くぐもった声が苦痛を訴えると、人形の動きが更に激しさを増す。おぞましい抽送運動の果て、えずくクレイの頭を鷲掴みにしてミヒトネッセは囁いた。

「見なさい」

 するり、するりとスカートが持ち上げられていく。クレイは身を捩って逃れようとするが叶わない。もはやその表情には恐怖しかなかった。彼は性と欲望のただ中にいる。荒々しい淫蕩に殴りつけられるという痛みにクレイは耐えられない。それは最も原始的な暴力に他ならなかった。
 抵抗虚しく、クレイは長い髪を掴まれて無理矢理にまぶたをこじ開けられた。そして彼は目の当たりにしてしまう。持ち上げられた布の奥深く、球体関節の特徴が目立つ三角形の腰――両足の付け根でカタカタ、カチカチと小気味よく音が鳴る。
 歯を噛み合わせるような、金属工具の先を打ち合わせるような、硬い音だ。

「私はくるみ割り人形(ナットクラッカー)。ねじの壊れた性玩具」

 それは歯の生えた入り口であり、万力の付いた出口だった。
 それは何かを割るものであり、何かが欠けているものでもあった。
 壊れている。だからこそ狂的なそのかたちが成立している。
 ミヒトネッセ・ナットクラッカーは、性玩具のくるみ割り人形。
 魔女の罅割れ(クラック)は、締め付け、捩じ切り、割り砕く。

「淫れなさい、クレイ。私の下で惨めに喘ぐがいいわ」

 今度こそ、絶叫が迸った。
 クレイの下履きが強引に剥ぎ取られ、剥き出しの裸身同士が近付いていく。
 暗がりで剥き出しの情欲が接触するかと思われた、その時だった。

「破廉恥はそこまでよ」

 黄金の輝きが世界を埋め尽くし、横殴りの衝撃がミヒトネッセを襲う。
 吹き飛ばされた人形は壁際に叩きつけられ、ヒト型の陥没痕を壁に残して地面に倒れ伏した。硝子の目が驚愕に見開かれる。そこに立っていたのは、囚われていたはずのファウナであったからだ。

「馬鹿な、エントラグイシュの封印は完璧だったはずなのに――」

「あの程度の拘束で私を封じることはできません――と、言いたい所だけど」

 ファウナの細い身体がよろめく。咄嗟に駆け寄ったクレイが支えるが、彼は愕然としていた。少女の身体からはかつての充溢した気力が微塵も感じられない。血の気を失った唇が震える言葉を紡ぐ。

「少し、無茶をしてしまったわ。油断――いいえ、衰えたのね、単純に」

「そんな、どうして」

 震える弟子の頬をそっと撫でながら、ファウナはゆっくりと立ち上がった。
 両手を胸の前に持って行き、身体を傾けるノーマルアピール。基本となるアイドルの型だ。何千、何万と繰り返したであろう修練の成果。ファウナの精神が限界を迎えようとも、肉体が自動的に動きをなぞる。
 六王の力を用いて再度の襲撃を敢行したミヒトネッセは一撃で吹き飛ばされ、迷宮の天井近くまで高々と舞い上がった。頭から地面に叩きつけられた人形に、横ピースによる追い打ち。二本の指から迸った閃光が環となって人形を拘束した。

「これは時間稼ぎ。敵の力は強大よ、そう長くは保たないわ――クレイ、良く聞きなさい。あなたに『黄金のドレス』の真実を伝えます」

 そう言って、ファウナはクレイに向き直った。その瞳にはかつてない厳しさがある。彼女は何かを覚悟してこの場所に立っているのだと知れた。

「まずは、嘘を吐いてごめんなさい。あなたが『黄金』に選ばれなかったのはね、舞踏の技術が未熟だったからではないの」

「何故そんなことを」

 目まぐるしい展開に戸惑いつつも、クレイは師へ問いかける。信じていた大人に裏切られた子供のような不安に満ちた表情。硬質な態度はかくも容易く崩れてしまう――苦笑しつつ、ファウナは答えを返した。

「この『死者のドレス』は持ち主と生涯を共にする――生者しか身に纏えない、けれど死に寄り添わなければ選ばれない、そんな矛盾したドレス。持ち主の魂から黄金のドレスを引き剥がすということは、一対の矛盾した在り方を終わらせるということ。偽りの死者は、罰として物言わぬ墓標となる」

 その言葉が意味するところを、クレイはしばし受け止めきれなかった。
 ファウナは、再生者の国に身を置きながらも純粋な再生者ではない――クレイと同じように。ゆえにファウナとクレイだけがこの『黄金』に選ばれたのだ。
 だが『黄金』が選ぶのは、常に一人だけ。
 前世代の遺物は邪魔なだけなのだ。

「正しく継承を完遂するためには、私は自らの存在を砕く必要があったの。けれど私はあさましくも未来に縋ってしまった。私はもう一度、あなたの舞いをこの目で見たいと願ってしまった」

 それが私の、最初の罪。
 自嘲するように呟いて、ファウナはクレイを見据えた。
 文字通り、両の目を見開いたのだ。
 黄金に輝く魔眼がアイドルの世界観を映し出し、宇宙を塗り替えていく。

「クレイ、最後のレッスンよ。どうかあなたの手で私を貫いて」

「何を、言って」

 言いながら、クレイは、自分が『視』られていることを理解していた。
 暖かな邪視がクレイを包み込んでいた。
 悪意ある改変ではない――慈愛に満ちたまなざしを、彼は良く知っている。
 黄金のカードがひとりでに浮遊し、二人の間に留まった。

「あなたは王国の剣。六王を御する女王の手綱。けれど、今のままではあなたは六王には敵わない――それはあなたの本質が戦い競うことではなく、自己を高めることに寄っているから。あなたが攻め滅ぼす英雄ではなく、守り侍る従者だから」

「俺は、そう在りたいと信じてここまで来た! 俺は奴らと同類じゃない! 俺は俺だ、六王どもとは関係無い、女王の剣だ!」

 六王に対する恐怖と忌避、それがクレイを形作る礎だった。
 その意味で、確かに彼らはクレイの『父』だったのだ――その皮肉に気付けない、あるいは気付かないふりをしていた少年の歩みは自然と頑迷なものになる。

「あなたの愛は独りよがり――唯一の愛だけを見ているようで、きっと小さな自分の世界しか見えていない。クレイ、王子(アイドル)たらんとするならば、まずは周囲に目を向けるの。善も悪も無い、混沌そのままのファンを直視なさい。きっとそうすれば、あなたの舞いはもう一つ上のステージに辿り着ける」

 師と仰いだ相手からの言葉に、クレイは返す言葉が無かった。
 それをどうして素直に受け入れることができるだろう。
 これまでの生き方を見つめ直し、自分の殻を破る――口で言うだけなら簡単だが、それは何もわからない暗がりに足を踏み出すに等しい蛮行だ。
 恐れ――幾度となく、不安がクレイを責め苛む。
 この世界で、彼はただの道に迷う少年に過ぎない。
 それでも、時は容赦なく選択を迫る。

「私を殺して、クレイ。あなたの剣がなまくらでないと、人を殺せる刃だと証明するのよ。そうすることではじめて王国の剣は完成する」

 師を超え、死を越えていけ。
 敵と、競争者と、世界の全てと対峙してなおその力を示せる強さ。
 求められているのは覚悟の一振りだ。
 期待と重圧、迫り来る刻限。
 迷い、答えを出せずにいるクレイを、黄金の瞳が見つめ続ける。
 その輝きの内側に、クレイは自分自身を見た。
 そこに、至るべき理想がある。

「俺は――」

 光が弾け、答えが示された。
 満足げに微笑んだ女の口から、赤い雫が溢れ落ちる。
 それよりもずっと多い血液が胸元に突き入れられた右腕を伝っていく。
 赤色は二人の間に浮かぶ黄金のカードに注がれると、光輝く粒子となってクレイの全身を取り巻いていった。血で満たされた『黄金』はまるで杯。ファウナがそれを捧げ持ち、最期の力を振り絞ってクレイに差し出す。

「覚悟を。このドレスを身に纏った以上、いずれ命を捧げねばならない」

 その志を誰かに引き継ぐ、その瞬間まで。
 杯は血と共に光となり、輝きは薄く広く散ってクレイを包み込む。
 クレイの姿は徐々に光の中で変容していった。
 倒れ伏したファウナを抱き留め、黄金の瞳をもう一度だけ見つめた。
 女は生気のない顔でかすかに微笑み、何かを口にした。それきり力を失ったファウナの身体を足下に横たえると、クレイは言った。

「そこで、俺を見ていろ」

 もう一度、手刀がファウナを貫く。
 鮮血と共に抉り出されたのは、鋭い断面を晒す骨だった。
 クレイは女の肋骨を切断し、取り出すと、そのまま自らの脇腹に侵入させていった。水面に沈むかのように滑らかにクレイの体内に入り込む女の肋骨。新たな肋骨を得たクレイが立ち上がった時、その有り様は激変していた。
 何が変わった、と明確に言えるものはない。
 だが、確実に何かが変わっていた。根底から、何もかもが。
 血に濡れた手が唇に触れる。手を横に滑らせると、鮮やかな紅が引かれた。

 煌めくドレスは『コルヌー・コピアイ』の色合いを残した、ファウナの遺作。
 透明感のある(シアーな)仕上がり(テーラリング)薄手平織(オーガンジー)のドレス。胸元のシースルーや袖にひらひらした布は透け生地で、軽やかなボリュームを感じさせる。風合いと光沢を重視したコーディネートだ。

 クレイは今、女だった。舞いの型は女の型。装いも女。ならば彼は女である。
 しかし彼女は男だった。光の粒子が黄金に煌めくと、ドレスは次の瞬間には燕尾服ふうのステージ衣装に、あるいは勇ましい戦衣装に、布の多い舞い手の衣装にと変幻自在に切り替わっていく。可塑性のある無形のドレスを纏うクレイもまた、形を持たない存在だった。

 クレイは対峙すべき敵を見据える。ファウナの滅びと同時にミヒトネッセは呪縛を抜け出していた。彼女はクレイの姿を見た途端、盛大に笑い出した。

「あっはははははは!! お笑いね、何よ今の、死ぬ為に出てきたの、そいつ! 死んで男を成長させるために登場した女! ちょっとちょっと、幾ら何でも筋書きが盆暗過ぎない? どいつもこいつも、運命繰りで踊らされるお人形ごっこだなんて、茶番が過ぎて退屈だわ! 茶番、茶番、全部茶番! レッテじゃないけどね、もう何もかも適当でいいじゃないって言いたくなる!」

 投げかけられた侮蔑と嘲弄は、どこか捨て鉢さを感じさせる。
 憎しみを映したミヒトネッセの瞳をしかと見据えて、クレイは言った。

「俺は人形じゃない。進むべき道は俺の自由意思で決める」

 手刀一閃。遍く空から降り注ぐ不可視の糸が千切れ飛ぶ。

「俺だけが下らない操り糸を断ち切れる――ラクルラールの定めた運命など、俺が破壊してやる。師の屍も、陛下への忠誠も、全ては俺だけのものだ!」

 決意を込めた宣言。クレイの中で滾る熱とは対照的に、ミヒトネッセの感情は急激に冷えていった。

「――は? アンタそれ、まさか本気で言ってるの?」

 人形の言葉の底で、怒りがふつふつと煮え立つ。
 物分かりの悪い相手への苛立ち――そしてもどかしさ。この時ミヒトネッセが見せた怒りは、奇妙な事にこれまででもっとも柔らかい感情だった。
 そんな相手の態度には構わず、クレイは力強く言い切った。

「無論だ。俺はお前たち人形とは違う。全てを運命と諦め、悪意に唯々諾々と従うようなことは決してしない。俺は王国の剣として、陛下に害なすものを――いいや、『死人の森』の秩序を乱す全ての悪を許さない!」

 決定的に噛み合わない会話。
 ミヒトネッセの目が細められて、感情が一気に冷えていく。

「気付いてないんだ。そう、無自覚なのね――最悪」

 人形の視線がクレイの頭上に向けられる。
 そう、確かに彼にはラクルラールの支配が及んでいない。
 その意味で、彼の言葉は正しい。悪意の人形師による支配は彼の運命を左右することはできない。だが、それだけだ。

「やっぱり最低ねあいつ。だからトリシューラが残るのが正しいんだって、こんなの明らかだっていうのに、どいつもこいつも分からず屋ばっかり――」

 侍女服が裂ける。機械仕掛けの全身から多種多様な金属部品が迫り出して、異形の鋼鉄が針山の如き様相を呈する――変容は一瞬だった。
 次の瞬間、その場所にはアイドルが立っていた。
 浮遊する鋼鉄の翼と近未来的な外殻を纏った緑髪の歌姫。
 ツーサイドアップの髪型はアイドルらしく、マイクから流れる歌声は非人間的。
 リールエルバの容姿にミヒトネッセの人形性をミックスした、白骨迷宮の頂点を守り続けた最強の形態――『狂イ姫』。

「つまんない冬ごと殺してやる、『死人の森』。私は春の方が好きなのよ」

 対するは完全なる冬の舞い手。青ざめた騎手にして死の巫女姫。
 『死人の森の剣』は鋭利なまなざしを敵手に向けて言い放った。

「構えろミヒトネッセ――俺の、俺たちの剣舞が貴様を切り刻む」

「やってみなさい。人を超えた英雄の武踏と、人を超えた人形の魔声が織りなす神域のステージ――†囚焉(シュウエン)舞イ血ル妬環ノ華(マイチルトワノハナ)†が過激にお相手するわ!」

 かくして最大のライブ対決が始まった。
 ランキング戦・一位と二位の激突。
 白骨迷宮の頂点を巡り、アイドルたちは歌い、舞い踊る。


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