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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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幕間『甘い果実は腐り堕ちて』



 少年の舞う姿はこの世のものとは思えないほどに美しかった。
 事実、それは冥府に連なる呪われた踊り。
 そう、呪いだ。ひと目見た瞬間、少女は心を呪縛された。熱病にうなされ、来る日も来る日も雷光のような光景を目蓋の裏で想起するばかり。しまいには加熱した瞳は盲いて曇り、永遠の暗闇に舞い手の姿を幻視するようになった。
 少女の心と少年の舞いは分かちがたく結びついていた。
 以来、少女の瞼の裏では理想の舞いが演じられ続けている。
 四六時中、夢の中でさえ途絶えることなく、ずっと。

「見事な舞い姿の王子様、きっと心まで綺麗なのでしょう」

「あの流麗な剣さばきと言ったら! ヒュールサスの浄罪は彼に任せておけば間違い無いだろう。流石は我らのクレイ様だ」

「断食前夜祭に死霊の日のおとない、そして春備えの儀と並み居る候補を全く寄せ付けなかったそうよ。きっと次も殿下に決まりだわ」

 目が見えなくとも、聞こえてくる賞賛の声が確信を強くした。
 山の羊飼いだった母と共に都にチーズや羊毛を売りに下山するたび、耳を澄ませて彼の噂話が囁かれていないかどうかを確かめる。そして日毎に美しく育っているという彼の現在について想像を巡らせる。
 神殿の巫女たちへの指導も毛織物への祝福も、彼女にとっては片手間の仕事に過ぎなかった。先祖から受け継いだ数々のまじないや癒しの秘蹟、神域の芸術の全てはあの少年の舞いに比べればつまらぬ玩具に過ぎない。厳しい母が寂滅した後、それらの秘蹟を惜しむことなく民草に分け与え続けた少女はいつしか『羊飼い』として人々に崇められるようになっていった。

 すなわち、新興宗教の始まりである。
 女王への祈りを忘れて少女を崇める死人たち。
 彼女にとって群衆たちは普段世話をしている『仔羊』と大差が無かった。永遠の時に不安を抱く再生者たちの心を宥めておとなしくさせる。そんな風にして羊飼いとしての導きを惰性で続けていった少女は、終わりと遭遇する。
 待ち焦がれていた、あの刃の気配が目の前に突きつけられていた。

「言い残すことはあるか、偽りの羊飼い」

「――素敵な声。斬り殺されてしまいそう」

 そう呟いた瞬間、少女の中に熱が生まれた。
 彼女の中に生まれた感動が、認識の刃となってその肉体を両断したのだ。
 王国を蝕む邪悪として羊飼いとしての彼女は断罪された。
 だが『死人の森』に住まう彼女が簡単に死ねるはずもなく、その身柄は偉大なる女王の御前に引っ立てられた。そこで彼女は女王と何か言葉を交わしたのだが――その詳細は曖昧な記憶の底に隠れてしまっていた。
 いずれにせよ結果はひとつ。寛大な赦しにより少女は永い眠りの虜囚となった。再び目覚めた時にこそ恩赦を与えるという約束を最後に、少女の意識は途絶する。
 幾星霜の歳月が過ぎ去り、やがて少女はふたたび巡り会う。
 出会いはいつも唐突だ。それが彼女の運命であろうと、容赦なくやってくる。

「女、俺の衣装を作れ。勝つための力が必要だ」

 忘れられていると、すぐにわかった。
 当然だろう、当時の王国は無数の内憂に蝕まれていた。外からやってくる敵を討ち滅ぼすのが雄々しき六王たちならば、内側に生まれる病を切除するのが華麗なる冥府の王子だ。濯いだ罪の名を、彼は記憶していない。

 あの時と同じ、ひどく高圧的な声だった。見えなくともわかる。鋭い眼光が少女の心を鷲掴みにして、強引に言う事を聞かせようとしているのだ。だいぶ前に停止した心臓がぎゅっと縮こまって、血の通わない顔がかっと熱くなる。
 しかしどうしたことか。少女の研ぎ澄まされた霊感はそこにいるのが誰なのかをはっきりと告げていたが、夢想していたような甘ったるい感慨はまるで無かった。

「聞こえなかったのか、女。こちらを見ろ。それとも俺の言う事が――」

 冷えていく、冷えていく。何かが違う。どうしてだろう。
 あの頃、熱病に浮かされていた少女の時代が思い出せない。
 なんてこと。少女は愕然とした。こんなのバカみたい。
 だってそうだろう。少女が恋したのは剣としての彼だった。
 だというのに、今の彼は。
 死んでしまいたい、なんて。
 そう思えない再生者の身体が憎らしい。

 憎い、何もかも憎たらしい。
 誰だろう、舞う姿が見事なら心までそうに違いない、なんて言った人は。
 顔と技芸が優れていても、他がダメなら台無しだ。
 それが性格なら、最も悪い。
 目蓋の裏が冷えていく。嵐のような舞いの幻はすうっと消えていった。

「あなたの言う事は聞けません、王子様」

「貴様は『死人の森』の民だろう。俺は陛下をお救いする為に動いている。その俺に力を貸せないとは、陛下への不忠にも等しい発言だぞ。一度まではなかったことにしてやる、もう一度だけ機会を――」

「あなたの態度が気に入りません」

 絶句する気配。
 軽く微笑んで、冗談めかして笑う。
 内心では、もちろん笑っていない。

「そして、あなたの心のありようが許せません。私の『コルヌー・コピアイ』が織りなす衣装は祝福の願いを込めたものです。憎悪に塗れたあなたには相応しくありません――みにくい王子様」

 言ってやった、と少女は内心でひそかに拳を握った。
 多分、彼にこういう評価を与えたのは自分が初めてだと思う。
 記憶の中に強烈に刻まれた容貌は先の言葉を否定しているが、少女の執着はほとんど反転して少年への敵意にすり替わっていた。『みにくい』という評価は心にも無い嘘だが、同時にありのままの本心でもあった。

「聞こえませんでしたか? 分かりやすいように捕捉しましょうか。王子様、今のあなたはまるで槍のよう」

「な――貴様」

 案の定、少年は生まれて初めての罵倒にたじろいでいる様子だ。
 激怒して声も出せないかと思った少女だったが、その予想は裏切られる。

「俺の心の全ては陛下への忠誠と献身によって占められている。憎悪などという不純物が入り込む余地など無い。取り消せ、女。一度までは許す」

 なんだろう。
 苛立ちが募る。この人は、そこにひっかかるのか。
 この人の頭には、それだけしか――女王陛下への愛しか無いのだろうか。
 知っている。再生者なら、大いなる女王に傅くのは当然のことだ。
 でも、だけど、だって。もやもやとした気持ちが膨れあがり、少女は自らの内心を正しく捉えることができないままに言葉を吐き出した。

「そういう言い方しかできないんですか。これだから男の人って」

「なんだと」

「それに私は『女』なんて名前じゃありません。ファウナ・ボナ・デアが私の名前です。それともがさつな殿方は女風情の名前など呼びたくないのかしら」

 破裂しそうな空気の中、二人は光を介さず睨み合う。
 二人の接触は、概ねこのような決裂から始まった。




「祝祭が始まったらすぐに目を閉じなさい。死人の舞いは黄泉の喜び。私たち生者がそれを直視してしまえば魂は奈落へと引き摺られ、瞳は二度と現世を映すことはなくなるでしょう。いいですね? 絶対に、絶対に、どれだけ見たくなっても死人の舞いを直接見てはなりませんよ」

 母にそう言い聞かされた直後、ファウナ・ボナ・デアは失明した。
 ある時期の子供は親の忠告を疎ましがるもの。まして多感な時期の少女のこと、舞い手が王国有数の美男子とくればこっそり手指の間から覗き見してしまうのも無理もなかった。かくして少女は初恋に落ち、盲いた目でもがき続けることになる。
 もっとも。落ちた先の水底であっさりと冷えてしまったけれど。

 現世ではあれから千、あるいは万の季節が巡ったのだろうか。
 永劫とも思える時が失われた。死人たちの世界は一度終わったのである。
 血肉は凍え、しかし生者としての役割だけを背負ったまま、半死半生の奇妙な再生者としてファウナは森の片隅でひっそり眠り続けた。

 そして今。
 死人の森は再び現世に蘇り、ファウナは思いがけず新たな生を謳歌している。
 一族が受け継いできた秘蹟を甦らせるだけで人心は簡単に掌握出来た。
 羊飼いの仕事には慣れている。『仔羊さんたち』と呼びかければたちまち熱狂するものたちを従えて、少女は再生者たちを束ね上げた。
 女王の力は弱まっている。
 だとすれば、少女はこうするべきなのだ。
 遠い昔、偉大なる母と交わした言葉を思い出す。
 記憶の深い所にその教えは眠っていた。
 あの約束は、果たしてどんな呪いなのだったか。
 使命感に突き動かされるまま、少女は群を導いた。
 だが、彼女の時間は止まったままだ。
 死者たちの中でただ一人の半端な生者として、無明の闇を彷徨っている。

「ああ、でも――」

 懐かしい王子様、忘れもしないあの方もまた、正しい意味では死者ではないのだった。そして純粋な生者というわけでもない。
 まるで、ファウナのどっちつかずな在り方のように。
 だからなのだろう、彼女が再生者たちの王子に心奪われたのは。

 陽光が降り注ぎ、生い茂る草が風にそよぐ。
 青い匂いが舞い上がり、あたりにはたちまち命の気配が充ちていく。
 動物たちは気持ちよさそうに緑の寝床で寛いでいた。
 純白の化粧に覆われた冬の森は死人たちの楽土のはず。
 だがこの春めいた光景があるのは紛れもなく『死人の森』の中だった。
 古い神話や伝承の中で、『死人の森』は冷たい冬の王国だと伝えられている。
 それは間違ってはいないが、完全な正解でも無い。

 死の国にも生者はいる。命が育まれる暖かな土地がわずかながら存在する。
 森の柔らかな土、腐り積もった枝葉に育まれた命。
 そうした生命のエッセンスが凝縮された、小さな箱庭。
 元より生と死は表裏一体で、死の中であっても命は生まれてしまう。

 ファウナ・ボナ・デアたちの一族は、辺境の守人として血を繋いできた。
 動物たちの世話をしながら穏やかに日々を過ごす秘境の民。
 ひととき死の淵に迷い込んだ客人を歓待し、道を示す。
 彼らが森に留まるのか、それとも引き返すのか。
 臨死の際に見る夢のようなものだ。
 決断は来訪者たちの意志と神の気まぐれに委ねられるが、その間、客人たちは彼女たちの土地で幻のようなひとときを過ごす。

「彼女の髪は黄金そのもの。この娘を娶ったものは生涯裕福に暮らすことができるであろう――だったな。『死人の森』発生以前の神話に生きた古き民よ、やはり女王の秩序には従えないと言い出す気か?」

 理想と違う声、獣と同じ吠え。容姿はどうだろう。少女は周囲の動物たちの曖昧な知覚を介して相手の姿を捉えてみた。すると記憶通りの姿がそこにあった。長い黒髪を後ろで括った長身の男は美貌を鋭く研ぎ澄まして少女を睨み付けている。ファウナは視線の斬撃を瞼の盾で弾き返しながら言った。

「ついてこないで。しつこい人は嫌いです」

 言い捨てて、牧杖で地面を突きながら前へと進む。動物たちがその後を追った。
 そして、王子もまたその後ろに続く。
 クレイはしつこく協力要請を続けていた。
 ファウナからの怒りや嫌悪に近い感情など意にも介していない。
 王子の関心ごとはたったひとつだけだ。

「衣装を封じたカードはどこだ。その小屋の中か」

「ならず者のような真似をなさらないで。お家に招待されたいのなら、まずは相応の、あ、ちょっと、人を呼びますよ!」

 なんてわずらわしい荷厄介。あんなものがあると気取られなければ――いいや、そもそもあんな呪わしい代物さえなければこんなことには。ファウナは内心で苦々しい思いを噛みしめた。
 クレイの目的は既にファウナ個人に属する技術ではなく、彼女が所有する『ある秘宝』の奪取へと切り替わっていた。作ってもらえないのなら既に出来上がっているものを奪ってしまえばいい。ならず者の思考だが、彼は女王と王国のためと言い張れば徴発と称して何をしてもいいという理屈を掲げている。

「乱暴者。ひどい人。最低。今のあなたはいたずらに死を振りまいたシナモリアキラとトリシューラ以下ね、気高くお美しい殿下」

 足音が止まる。
 声は返らなかったが、激怒の視線が向けられているであろうことは想像に難くない。だが相変わらずファウナの盾は堅牢だった。負けじと言葉を重ねる。

「いいえ、今となっては彼らの方がましかもしれないわ。忌まわしい呪いを異界から持ち込み、個人の暴力を加速させたあの『サイバーカラテ道場』は、この世界で新たな可能性を見つけようとしている」

「何の話だ」

「アイドルのお話よ。それ以外に何があるの?」

 サイバーカラテの性質は、時に邪悪に染まりうる。
 それが暴力を司る以上、最悪の結末を招き寄せる事も有り得た。
 だが、あの異界のわざが物理的な力だけを扱うなどと、一体誰が定めたのか。
 それは先入観に過ぎない。実際には、違う文脈の力すら扱える。
 この地下アイドルの迷宮は、それを示す為の端的な舞台だ。

「彼らが気づけないままならば私が導いても良いと思った。あの方との約束もあるし、再生者たちを暴走する力から守るのは羊飼いである私の務めだもの。けれど、幸いにして彼らは辿り着きつつある。けど、あなたは駄目そうね」

「この下らないお遊びが何だ。虚飾を大仰に言い立てるのはよせ」

「サイバーカラテが嫌いなのね。それともあの異界転生者が? 気付いているかしら王子様。あなたの憎悪は、子供の癇癪だということに」

 今度の挑発には乗ってこなかった。
 逆に冷静になったようで、警戒するようにじりじりと距離を置かれているのがわかる。ファウナを取り巻く風は彼女に必要な事を教えてくれる。
 近くの出来事も、遠くの噂話も。盲目はこの世ならざる幽世を映し、千里の果てまでも見通している。

「私が導く仔羊たちの中にも『サイバーカラテ道場』をインストールしているかたがいるわ。あれはつまり、幻想なのね。誰だって強く在れる。英雄に、アイドルにだってなれるんだっていう、本当は成立しない夢。だってそうでしょう。みんなが特別になったら、英雄もアイドルも滑稽なだけだわ」

「なら、元から滑稽だったのだろう。下らない、何もかも」

「ええそうね、滑稽ではない素敵な王子様。女王の騎士、王国の剣、至高の舞い手――すべてご立派で高尚なこと!」

 もはや両者の間に横たわる断絶は決定的だった。
 同郷であることは互いに憎しみを掻き立てる要因にしかなっておらず、感情は不可視の剣と盾となってせめぎ合うばかり。
 言葉による解決など望むべくもない。
 だがファウナは剣など持っていなかった。相手をただ切って捨てるには、この瞼の裏に焼き付いた記憶は鮮烈に過ぎる。
 その執着が、続く言葉を吐き出させた。

「――機会を差し上げましょう、王子様。私が持つ最も美しく完璧なドレスは、それに相応しい心が備わっていなければ触れることすらできぬ聖なる衣。そしてこの衣装を欲する者はまず六つの試練を受けなければならないという言い伝えがある――それを突破せぬことには、たとえ私から力尽くで奪ったとしてもドレスはあなたの呼びかけに応えることすら無いでしょう」

 それは一族に伝わるしきたりでもあった。
 たいていの者は厳しい試練を前にして志半ばで心を砕かれてしまう。
 だが、潜り抜けた者にはドレスと向き合う機会を与えてやるのもまた彼女たちの一族に与えられた役目なのだ。

「この理は女王の眷族であろうと曲げる事はできない。私たちはあなたたちヒュールサスより古くから神話を守り続けてきたのだから」

「そんな時間など無い。一刻も早く陛下の下へ馳せ参じなければならないというのに、どうして邪魔ばかりする。気付かないのか。この場所は既に奴の影の中だ」

 当然、ファウナはクレイが懸念している脅威について気付いていた。
 しかし、そんなことは今の彼女にはどうでも良かった。
 王国の頂点が母から父へと切り替わったとしても、彼女の立ち位置は変わらない。『死人の森』よりも古い守人として在り続けるだけだ。
 ファウナは余裕の無い王子にいささかの失望と落胆を覚えつつ、少しの間考えてからこう言った。

「盗賊王ゼド、アマランサス、ミルーニャ・メートリアン・アルネタイフ、うずめ、ラリスキャニア、ロウ・カーイン、オルヴァ・スマダルツォン――」

「そいつらが、何だ」

「私のドレスを欲し、試練に挑んで敗れていったものたちです。ああ、私から力ずくで奪おうとして失敗した者も含んでいますが」

 クレイの気配が硬く強張る。
 闇の向こうで、男の闘志に火が付き始めているのがわかった。
 ファウナは淡く微笑みを作ると言葉を続ける。

「ええ。卑劣な盗人でさえ最後には試練に挑み、真っ当に敗れていきました。あなたはそれすらできないと――彼らと実力を比べられるのが怖いとおっしゃるの?」

「安い挑発だ――試練の内容を言え。すぐに終わらせてやる」

 きっと彼は、強がりにも似た不敵な笑みを浮かべていることだろう。
 その光景をかつての空想と全く同じ確かさで思い浮かべることができたから、ファウナもまた知らず笑みを浮かべていた。




「なるほど、オルヴァ王でも最後の試練は突破できなかったんですね」

「うん。駄目元でも挑む価値はあったからね。結局無謀だったけど」

 ミルーニャは立体幻像のちびシューラと会話しながら地下迷宮を歩いていた。前には小さなセリアック=ニアを頭に乗せたリーナが箒に腰掛けてふわふわと移動している。周囲を見回しながら、誰かを捜すように。

「にあ-。ねーさま、いない」

「せんぱい、ここも違うってさ」

 がっくりと項垂れるセリアック=ニア。少女の頭を撫でるリーナ。
 ミルーニャは端末に表示された地図にタッチペンでチェックを入れると、未調査の場所へと向かう。地図を覗き込みながらちびシューラが発言した。

「定期的に反応があるんだよね。それも上位ランカーがステージで活躍した直後に活発になる。やっぱりでっかいライブでシューラたちが盛り上げた所をそっちで押さえるっていうのが現実的かなあ」

「でしょうね。アマランサスとのライブに合わせてこちらでも動いてみます。ところで、何の話でしたっけ」

「ファウナが持つ伝説のドレス。眉唾だったけど、本物なんだもの。びっくりだよね。まあシューラはもっと凄いドレス作れるからいいけど!」

 ふんぞり返るちびシューラに、リーナが何となく拍手をした。つられてセリアック=ニアも両手を合わせるが音は鳴らない。更に得意がるちびシューラ。
 そんな小さな魔女に、ミルーニャは冷ややかな視線を浴びせて言った。

「あなたが作れるのは鉄のドレスでしょうに。各地から古い伝承をかき集めて織り込んだとしても英雄・青銅のランクがせいぜい。ファウナが持つ『あれ』にはとても及びませんよ」

「むっ。使い手が良ければ格上に勝てるだけのポテンシャルはあるよ」

 とはいえミルーニャの言葉そのものは否定できないのか、それきり頬を膨らませて黙り込むちびシューラ。
 フォローなのか、リーナが軽い口調で話題を変える。

「まーでも諦めはつくからいいよね。うちの歌姫が捜してるドレスじゃなかったし、奪い合いにもならないっしょ」

「いずれファウナと対決する展開はあるかもしれませんよ。そうなれば同じランクのドレスを持たない『Spear』が不利です」

 ミルーニャは冷静に彼我の戦力差を分析してみせた。
 実際のところ、ファウナというアイドルの順位はおかしい。
 というより、こんな所にいること事態が異常なのだ。
 わかる者にとっては明白だ。彼女はずっと加減をしている。彼女は地下でくすぶっていていいような人材ではない。正統な所有者であるというのに、あのドレスを使わないままなのがいい証拠だ。

 『歌姫Spear』でさえ、あのドレスを纏った者には敗北の可能性がある――ライブを見た観客たちの感情がダイレクトに勝敗に直結するライブ対決は残酷だ。ナルG環境でのライブならまず負けることは無いにせよ、地上の重力に縛られた戦いでは『Spear』とて決して無敗ではない。世界は広く、数々のアイドルたちが激しく頂点を争っている。アイドル界は戦国乱世にたとえられるほど苛烈なのだ。

「幸い、試練を突破できる者はここにはいません。影の海を泳ぎ切る、雲を夢の形に鍛える、自らの命の始点と終点を繋げる、黄泉の坂より生還する、混沌の砂粒から信念を拾い上げる、運命の糸を断ち切る――仮に全てクリアできたとしても、最終的にはドレスそのものに挑まなくてはならない。だから新しい脅威を恐れる必要はなさそうです。ファウナも野心家ではなさそうですし」

 試練の半ばで諦めざるを得なかったミルーニャにしてみれば、そう簡単に試練を突破されるのはやはりプライドが傷付く。短い期間ではあったが、『空組』として活動した経験は彼女にアイドルとしての自負をもたらしていたのだった。
 だが次の瞬間にもたらされた知らせによってその矜持が軋みを上げる。

「あ、先輩せんぱい。速報だって。クレイって人が試練突破したからファウナとライブ対決するってさ」

「はあ?!」

 リーナが示した端末の画面に、中継映像が映し出される。
 リアルタイムの迷宮内部。最も人が集まる上層の大ステージ前で、黒い剣詩舞師と黄金の羊飼いとが相対していた。




「私が課した六つの難題、よくぞ乗り越えました」

「笑わせるな、あの程度、造作も無い」

 息も絶え絶えにクレイは言った。
 漆黒のコートは見るも無惨なぼろ切れと化し、艶やかな黒髪は解けて痛みきっている。身体の至る所に細かな傷を負っているが、それ以上に疲労が激しいことが見ただけでわかる。ほとんど気力だけで立っている状態だった。
 だがファウナは容赦なく言葉を重ねる。

「しかしまだ足りない。あなたの舞いとその手の剣には曇りがあります。目を開かずともわかる――いいえ、今のあなたごときには開くまでも無い。あなたは憎しみによって己の切れ味を鈍らせている。なんという堕落。今のあなたのなまくらぶりを、女王陛下はお嘆きになっておられるでしょうね」

「まだ言うか。貴様ごときに陛下の何がわかる」

「お黙りなさい。あなたこそ、神域に立つ者の何がわかると言うのです? 考える事すら放棄したなまくら風情に、我々の心がわかると?」

 笑わせるな、と無言のうちに一喝する少女。
 もはや盲目の少女に容赦をするという思考は無い。
 王子をこの群衆が集う大舞台に連れてきたのは、思い知らせるためでもあった。
 彼の思い上がり、彼の怠惰さ、彼の幼稚さを糾弾する。
 高みから教育をしてやるという権力の行使は、少女の胸を甘やかに蕩けさせ、腹の奥から熱を吹き上がらせた。これは誰にとってもそうなのだが、クレイという美しく気の強い男に攻撃的な意思をぶつけるのはとても気持ちがいいのだ。

「死せる女王は既に先を見据えている。じきに暖かい春が訪れ、魔女たちは五月の準備を始めます。月が一巡りするあいだ続く大祝祭。歌い、踊り、神々が愛を交わす大いなる生誕の儀式。このアイドルたちの華やかな空間は、冬の間だけ地下で活力を蓄えて、芽吹く時を待っている種――あるいは冬眠中の動物たち。これを下らないと切り捨てるあなたには、世界がまるで見えていない」

 牧杖で足下を強く突き、ファウナは舞台袖へと向かう。
 久しぶりに本気の闘志を燃やす少女の魂に呼応して、彼方より飛来する黄金の輝き。金色のカードに封じられた秘宝がその全容を露わにする。
 無数のパーツに分かれた光がファウナの全身に次々と装着されていき、眩い光が世界を席巻した次の瞬間には少女の姿は神話の時代へと回帰していた。

「見せましょう。これからのあなたの戦いに必要な全てを」

 ドレスは、天界の曙光そのものであった。
 全体のシルエットは高原の民族衣装を思わせるエプロンドレス。きゅっと絞られた腰からふわりと広がるスカートには果物と花が一杯に詰め込まれた羊の角が飾られており、草花の刺繍は精緻を極めている。

 背後に浮遊する優美な装飾翼が広がった。黄金とも宝石ともつかない不可思議な輝きはこの世のものではないかのよう。羽ばたきは星々を招き、内に秘めた宇宙より幾多の動物たちを呼び寄せる。無限にも思える生命が溢れ出し、一つの惑星の生態系に匹敵する動物相がアイドルを中心にして完成した。星の命を統べるという女神にも等しいわざを示すと、彼女は満足したように動物たちを翼に戻していく。

 夢のような広がりを見せる幻影のオーラを纏い、天使と仔羊たちが乱舞する光の世界の中、勇壮な喇叭の音と共に彼女は降臨した。
 刮目するがいい、瞳を現世に囚われた俗人たちよ。
 これこそは『コルヌー・コピアイ』ブランドの起源。
 現代に残る凡百のコーデでは及びも付かぬ、まことの神秘。
 古の美を宿す魔性の衣にして永遠の豊穣を体現する動物相。
 この究極こそ『黄金』位のドレスに他ならない。

「エリルの七十星座から名前をとった青銅位以上の星座ドレス――その中で燦然と輝く九つの一等星、『黄金』。でもあんなドレスは記録に残っていない。今まで存在を知られていなかった七十一番目の星座ドレスにして十番目の『黄金』だよ!」

「新しい設定を出した上でいきなり例外をかぶせてくるのやめろよ」

 野次馬に紛れていた義肢の転生者と赤毛の魔女が騒いでいるが、ファウナもクレイも揃って無視した。相手にすると話がややこしくなるためだ。
 だが、今の解説は正しい。
 杖文明が生み出した鉄のドレス、英雄たちが纏う青銅のドレス、神々が戦うために作りだした白銀のドレス――それらを遙かに凌駕する永遠の楽土を体現する衣。
 それが内包するのは一つの小宇宙。それ自体が理想郷でもあるという神具。
 輝くその名は『黄金』。アイドルたちが求めて止まぬ頂点の星。
 クレイは眩しさに耐えながら呻いた。

「今まで、そのドレスを封じて戦っていたというのか」 

「ええ、そしてこの『理想郷の目』を使う機会は一度たりとて無かったわ。あなたに対しても、開眼の必要は無さそうね」

 舞台上に立つファウナの腕の一振りで、蹂躙が開始される。
 鳴り響く音楽は古きに想いを馳せる田園詩、その現代風アレンジ。
 静かな開幕から優美な調べ、ほっそりとした手足は『見えない』という恐れなど微塵も感じさせないままに動いていく。
 当然のことだった。ファウナほどのアイドルであれば、五感の一つや二つ、いや仮に全てを封じたとしてもパフォーマンスに影響が出ることなどない。
 完璧を通り越して魅了の魔力すら宿すまでに至った振り付けに視線を呪縛されたクレイは、驚愕に目を見開いた。

「まさか、そんな」

 彼の驚きの理由、その答えをファウナは知っていた。
 クレイはこう思っていることだろう。なぜファウナの舞いにはクレイのそれと同質の呪力が宿っているのかと。
 逆だ。ファウナたち一族が守り伝えてきた古き神秘が平地の民に伝わり、ハザーリャ崇拝時代のヒュールサスで巫女たちの儀式として用いられるようになった。
 クレイが学んできた技術の全ては、ファウナたちの技を祖とする枝葉である。
 だが時代が下るに従って不純物が混じり、劣化し、正しい術理を理解する者は数を減らし、神秘の質は落ちるばかり。

 ――ああ、だから。あんなにも純粋な、私たちの舞いに近い彼を見て、私は。

 きっとそれは希望だった。孤独な頂点に立つファウナにとっての、夢。
 余計な想起のせいか、心がわずかに波打つ。刹那、ステップが僅かに乱れた。
 瞬時に体を無数に分割して把握すると精密な制御で微調整。何事も無かったかのようにリカバリーを完了させた。

 付け入る隙を与えてしまっただろうかと自問する。
 が、即座に否定。同レベルのアイドルであればあるいは、というレベルのミスでしかない。観客の評価には影響しないし、今のクレイの技量では今のミスを凌駕する舞いを見せたところでこちらにはまるで届かない。

 そう、クレイも所詮枝葉だったのだ。
 永い歳月の中で鈍り、錆び付き、ありふれた槍に堕した。
 期待は失望へと転じたが、もしかしたらという未練が彼女をこの勝負へと導いていた。絶望によってクレイの心を折り砕くつもりはない。これもまた試練。圧倒的な力の差を見てなお挑んでくるならば良し。仮にできないような軟弱者なら、炎と雲の柱にて滅びを与えることも考えよう。

 ファウナは本来ならば三度連続で披露することができるマジカルアピールをあえて行わず、ノーマルアピールを行うに留めた。
 そもそも彼女の真の力はこの地下空間に留まるようなものではない。ここにいるアイドルたちはいかにレベルが高くとも所詮はアマチュア、セミプロの域。
 だがファウナ・ボナ・デアの力量は表側のトップレベルと競えるほど――どころか、美と芸術を司る神々に比肩するといっても過言で無いほどに卓絶している。

 曲が終わる。大自然そのものを具現化していた舞い――肉体言語魔術が役目を終え、展開されていた浄界が消えていく。極限まで高められたアイドルとしての力量は観客の五感を支配し、望むままの現実を体感させることすら可能としていた。
 しばし呆然としていた観客たちはやがて自分たちが現実に戻って来たことに気が付いた。前のめりに舞台の上の女神を見つめ、しばしの間を置いて歓声が爆発。
 天井から下がっているスクリーンには過去最大の得点が表示され、動物たちが集って喜びの歌を歌い出した。
 ファウナは柔らかく微笑んで、クレイに語りかける。

「さあ、あなたの番よ、王子様。まさか逃げるおつもりではないでしょう?」



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