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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第2章 もしサイバーパンク世界の住人がオカルトパンク世界に転生したら

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2-12 リーナ・ゾラ・クロウサーより 

 

 
 状況を確認しよう。
 第五階層の覇権を巡って対立する【公社】とトリシューラの抗争は、当初トリシューラ優勢だと思われたが、俺の炎上や新たな紙幣発行などの応手によって状況は逆転。

 一時は俺に仲間になることを求めてきたコルセスカが【公社】に付いているのではないか、という疑惑も浮上。その行方は杳として知れない。

 加えて、【松明の騎士団】のキロンという男が現れ、俺にトリシューラを裏切れば地上に迎え入れるという誘いをかけてきた。

 ――そして、まず承諾することはあり得ないが、【公社】からも誘いがあった。
 トリシューラ、コルセスカ、【騎士団】、【公社】。
 それぞれの思惑はどこか不透明で、俺はその中からいずれかを選択しなければならない。

 昨日まではトリシューラの元に身を寄せると決めていた筈なのに、状況が少し動いただけでこうも決断が鈍るというのは、我ながら不誠実であると言う他無い。

「ま、仕方無いと言えば仕方無いよね。誰も敗軍の将に付きたいとは思わないだろうし」

 無感情に呟くトリシューラは、椅子に座ったままぐるぐると回って見せた。暢気な様子だが、その瞳は真剣なままだ。

「要するに、私が勝てばいいんだ。そうだよね、アキラくん?」

「や、まあそうだけど」

 それだけの単純な問題でも無いと言いかけてやめる。それくらいの事、トリシューラだって分かっているのだ。それでもそう言うしか無い、彼女の強さがそこにあった。

「昨日からずっと【公社】の呪的セキュリティが強化されてる。あっちにもそれなりに手強い言語魔術師がいるみたい」

「大丈夫なのか?」

「頑張る」

 今日のトリシューラは、昨日までとはまた一段と様子が異なる。
 頭部をすっぽりと覆う巨大なヘッドギア。無数のコードが据え置きの端末に繋がり、室内にはファンの回転する音がBGMとして響いている。

「アストラル界にダイブして、【公社】のサーバーに侵入アタックする」

「なんちゃってクラッキング描写やめろ」

「――何で怒ってるの? ちゃんとした、必要な準備なんだけど?」

「いや、わかってるけど! 異世界でこんなツッコミ野暮なだけだってわかってるけどさ!」

 うん、アストラル界が何とか言ってるし、呪術に関係した技術なんだってことぐらい推測はできる。
 しかしなんだろうなこのむず痒さ。
 直視できない。

「確かに、実際にはこんな『それっぽさ』は必要ないんだけどね」

「おい」

「それでも、こういう巷間に流布した視覚的なイメージは呪術的な強化に繋がるの。仰々しさは儀式に繋がるし、直観に則した外観が科学性の外――すなわち呪術の力を強固にする」

 この世界に来て半年だが、未だにこの妙な理屈には困惑させられる。
 戸惑うこちらを余所に、空中に立体映像の窓が投影。表示されたのは、盾と銃で武装したちびシューラだ。

 ポリゴンで構成された通路を飛行して進んでいく様は、旧時代のビデオゲームのようである。
 更に高速で打鍵するトリシューラ。

「その打鍵、一体何をしてるんだよ」

「打鍵速度は言語魔術師の技量とイコールだと見なされているの。だから速ければ速いほど侵入の成功率は上昇する」

 答えになっているんだかいないんだか分からない返事。
 その間にちびシューラが謎のアニメーションと共に壁を壊したりセキュリティを欺瞞したりと奮闘している。

 ぼんやりとその光景を眺めつつ、ふと俺は訊ねてみた。

「もし――コルセスカが敵に回っていたんだとしたら、どうするんだ?」

 しばしの沈黙。
 競争相手だと聞いてはいても、実際に二人が争っている場面を見たことがあるわけではない。

 実際に彼女たちが相争う事になれば、俺は恐らくトリシューラの側に付くことになるだろう。しかし、コルセスカに対してこの右手を振り下ろせるかと問われれば、幾ばくかの迷いが生じる。

 彼女は恩人だ。何の躊躇もなく敵対できるかと言えばそれは否である。

「お前がやれと言うなら、俺は構わないけどな。抵抗はあるが、それは感情制御でどうとでもなる。だから問題はお前自身の意思だよ」

 コルセスカと正面からぶつかる覚悟。
 お前にそれがあるのかと、俺は問いかけた。

 トリシューラの表情は大きなヘッドギアに覆い隠されてわからない。
 打鍵の音が響く中、いらえはどこか途切れがちに返る。

「わからない。けど、もしセスカが私と戦う事を選んだのだとしたら――私は、勝ちたい」

 その言葉に、どれだけの思いが込められていたのだろう。
 俺は彼女たちの間に横たわる膨大な時間を知らない。敵とか味方とか、そういう単純な二項対立では割り切れない関係性がきっとあるのだと思う。

 それでも、トリシューラは答えを選択した。
 ならば、俺も覚悟を決めなければならないだろう。
 その時、画面のちびシューラがいままでで最大の壁に行き当たる。

 赤熱する立方体が、次々と発光するエフェクトを射出してくるイメージ。それらを紙一重で回避していくちびシューラだが、圧倒的な物量によって次第に押されがちになる。

「大丈夫なのか?」

「話しかけないで」

 早口の拒絶が返ってくる。あ、これヤバイ状況だ。
 画面内部に、水滴をモチーフにした少女型のアバターが出現する。流体じみた少女は赤熱する壁を盾にしながら流水の鞭を伸ばし、ちびシューラに攻撃を加えていく。

 と思えばそれは囮だったのか、水流はその背後に伸び、画面のこちら側へと迫ってくる。
 その速度はまるで現実世界へと出てきそうなほどの迫真性であり――ってあれ?

「やばっ、トレースされたっ」

 焦るトリシューラの声。水流はそのまま画面から飛び出し、物理的な実体を獲得、そのまま等身大の少女の形をとる。水によって形作られた瞳がこちらを視認。どろりとした口が言葉を紡ぎ出す。

「見つけた」

 ちょっと待て。
 それが急を要する事態なのだと、脳が即座に認識しきれない。あくまでも情報的なやりとりで、即座に物理的な殺し合いに発展するわけではないのだと高をくくっていた。

 そうではない。これは呪術師同士の呪術戦。
 言うならば、銃口を突きつけ合った状態も同然だったのだ。
 こちらの認識が甘すぎた。

 右腕を前にして身構えるが、敵呪術師の攻撃の方が速い。
 水流は槍となって襲い来る。
 一つ、二つと回避するが、続く攻撃を躱しきれない。右腕の防御が間に合うかどうか。トリシューラの叫び声もどこか遠く、時間がゆっくりと流れていく。

 瞬間、水流の槍が一斉に凍結し、その動きを停滞させた。

「あれえ? 何これ」

 不思議そうな様子の水の呪術師。その周囲に、次々と氷の障壁が生成されていく。

「これ、セスカの【氷】だ」

 まあ、見たまんま氷ではある。

「そうじゃなくて、攻性防壁。セスカの、邪視者ファシネイターとしてじゃなくて言語魔術師ストーリアとしてのスキル」

「あー、何? 呪術師にも細かい職種とか専門分野とかがあったりするみたいな感じか」

「うん。私の職種クラス呪術医ウィッチドクターであるようにね」

 暢気な解説の間に、水で構成された敵呪術師の肉体が氷の障壁に押しつぶされ、次第に凍り付いて行く。

「アイス――つまりIntrusion Countermeasure Entrancementの頭文字をとってICEってことなんだけど」

「ごめん、聞き間違いだと思うけどさっき英語が聞こえたような気がした」

「意訳すると、侵入対抗入神機器って感じかな。呪的侵入に入り口で対抗する呪具、みたいな? 正確には呪具に記述されたプランが構築するセキュリティシステムのことなんだけど。エントランス、つまり変性意識状態への移行イン・トランスって意味もあるよ。セスカの場合、眼球という部位で侵入を感知し、呪力を受け入れることによって入神状態に意識を変性させるんだけど」

 こいつ、ツッコミを無視して話を進めやがる。その上、相変わらず何を言っているのか意味が分からない。

 惚けたやりとりと平行して断末魔を上げる敵呪術師。凍結した身体が砕け散り、同時に画面内部ではちびシューラが障壁の奧へと侵入を果たす。

「勝ったのか?」

「【公社】の言語魔術師のことなら、まだ生きてると思うよ。アストラルの一端を削り取られて、しばらくは再起不能だと思うけど」

 その隙に、ちびシューラは目的の場所に辿り着いたようだ。
 箱状のオブジェクトに取りついた二頭身のアバターはどこからともなくドリルを取り出すと、勢いをつけて内部へと穿孔していく。

「トリシューラ、さっきのは」

「――セスカが助けてくれたんだと思う。多分まだ第五階層のどこかにいて、こっちの動きを監視してるんだ」

「ってことは、コルセスカが敵に回ったってのはただの早とちりってことか」

「その判断も早計だよ。どうして姿を見せないのかは未だにわからないままだし」

 それはそうだが、単純に敵というわけでもないらしい。
 先程の助勢で劣勢だった状況がかなり改善されたようだし、それなりに信用してもいいんじゃないだろうか。

「うう~。なら、セスカのことは保留! 考えるのやめた! 後から決めればいいよもう」

 ヘッドギアを持ち上げて、膨れ面を見せるトリシューラの表情が、どこか嬉しそうに見えるのは、俺の気のせいではないと思いたい。

 

 トリシューラの【公社】への攻撃が功を奏している一方で、炎上騒ぎの方は未だに沈静化する様子が無い。
 ともあれ、現在進行形の炎上を消火しなければならない。

「明らかにこれ、仕掛けてる奴がいるよな。すっげえ古典的な手口だ。――相手がこちら側の動きを妨害したい連中だとすると、想定されるのはどこだ?」

「自分の所以外が魔将討伐の功績を残すのが気にくわない【騎士団】か探索者協会。あるいは、アキラくんを取り込んでおきたいけど、余計なことはされたくない【公社】あたり」

 全て【上】の勢力である。なんだか本格的に地上と対立し始めているようで頭が痛い。
 積極的に敵対する気は無かったのだが、こういうことをされて黙ったままというのはあまり性に合わない。

 元々エスフェイルとの戦いでは大した事をしていない自覚があるので、トリシューラの過度な持ち上げに心理的な抵抗があったのだが、このように他人から「お前は大した事をしていないから膝を丸めて縮こまっていろ」と言われるとかえって反発したくなる。

 つうかてめえらは何もしてねえだろうが。知ったような口をききやがって。
 古典的な手口はシンプルなだけに効果的だが、当然対処法も確立されている。こちらも古典的に行くまでだ。

「トリシューラ。騒ぎをまとめてるブログの記事投稿日時、ソースになってるスレッド立てとレスポンスのタイミング、SNSで情報拡散してるアカウントの作成日時を調べられるか」

「お、やる気になった? やっちゃう? 戦っちゃう?」

 俺の言葉を聞くと、待っていたとばかりに瞳を輝かせて反応するトリシューラ。視界隅でちびシューラがシャドウボクシングを始める。どうもトリシューラは、こちらの反応を窺っていた節がある。

「ああ。量が多いだろうけど、そういうの得意だろ? これはアンドロイドに対する偏見じゃないよな?」

「どっちかっていうとスペックに対する期待とか信頼だね。まっかせて。余裕だよ」

 トリシューラはそう意気込むと、猛烈な勢いで打鍵を再開する。浅はかな情報操作や工作など、見るものが見ればすぐにわかる。この世界の情報リテラシーは俺の見立てでは至極まっとうに高い。にもかかわらずあっという間に風説が流布され歪んだシナモリアキラ像が出来上がっていったのは、この世界が呪術的であるためだろう。論理に反し、直観に則した現実が常に目の前に存在する世界。そのような空間では、一度現れた世論は極端に膨れ上がり急速に固まっていく。

 裏を返せば、壊れる時も急速である。

「プロクシ通そうが端末変えようが、記述の筆致から個人を特定するのなんて言語魔術師にとっては朝飯前なんだから。あらゆるテクストには『筆致』や『文体』という呪術的痕跡が必ず残る。情報量が多くなればなるほど、統計に基づいた文体論的推定は容易になるの」

「それって証拠になるのか?」

「なる。なりすましや入れ替わりといった物理的な自演だって見破れるよ」

 ID晒すよりずっと効果的だと言いながら、トリシューラは工作を暴き立てていく。
 理路整然とした反撃。この時点でもはや趨勢は決していたが、そこに駄目押しが加わる。

 トリシューラのものより情報量が少ないが、別口から工作や自演を指摘する声が上がったのである。

 それが匿名ではなく、実名を明かしての意見の発信であったことも大きかった。身元の確かな探索者で、名前はリーナ・ゾラ・クロウサーという女性らしい。更に彼女は半年前にエスフェイルに敗れた三人の探索者のうち一人と知り合いだったらしく、彼は実力的に魔将に勝利できるレベルになく、探索者協会の抗議はただの言いがかりであると主張。

 更に情報の拡散が速すぎること、恣意的なまとめ方が多い事、それらが連動しておりタイミング的に工作である疑いがあることなど、こちらがやろうとしてた対策が次々と行われ、流れがあっという間に変わっていく。

 俺は詐欺師から一転して不当に貶められようとした被害者になり、同情的な世論が形成されて、かえって以前よりも同情や好感を集めたようだった。

「あのさ、ここまで全部トリシューラの自演とか無いよな?」

「アキラくんは私を一体何だと思ってるわけ?! そんなことしないよ! さすがに怒るよ!」

「悪い」

 さすがに失礼過ぎた。
 それにしても、世間の手の平返しの鮮やかさといったら。「生きてて恥ずかしくないの?」とかわざわざ日本語で書き込んでいた奴が同じ口で「ネットイナゴの標的にされるとか運が無いね」「本当に同情するわ」「また槍神かいい加減にしろ」などとSNSで情報を発信している。トリシューラの文体解析にかかればネット上の発言を元に同一人物であると特定することなど簡単らしい。俺はむしろトリシューラが怖かった。

「なあ、槍神って何だ?」

「上の宗教。槍神教のこと。松明の騎士団が最高神として崇めてるね。あと探索者にも信仰してる人が多いから、地上では最大のマジョリティかな」

 なるほど。そう言えば、キロンの話に出てきた気がする。

「しかし、このリーナ・ゾラ・クロウサーって人には感謝だな」

 こちらが動くまでも無かったようにも思えるほど、彼女の発言は決定的な影響力を有していた。

 当事者に近い人からの実名での発言は、その真偽はともかくとして情報としての確度が高そうに思える。事実かどうかはともかくとして、この場合はそれらしさというものが重要だ。

 炎上の当事者であるこちらが抗弁するよりも、こういう信用できそうな第三者の意見の方が素直に受け入れやすい心理が存在するのだろう。

「アドレス書いてあるけど、お礼のメールをしておきたいな。公開して炎上のネタになっても嫌だし、個人的に感謝を述べるって形で」

「うん、いいんじゃない? 私としてはイメージアップの一環として感謝文を公開したい所だけど、アキラくんが言うようなリスクもあるしねー」

 そうして俺が直接書いた感謝の意を示すメールに、しばらくして反応があった。

『私はただ、筋違いな理路を正したかっただけであり、お礼を言われるような事はしていません。あれは不当に他者を貶め、栄誉と利益を独占しようとすることへの個人的な怒りの発露であり、私の自己満足に過ぎません』

 文面から、正義感の強さが窺える。敬意を払うに値する善良さだ。丁寧でありながらも意思の強さを感じさせる文章から、謙遜というよりただの本心だと思われた。

『差し出がましい真似をしてしまったこと、むしろこちらからお詫び申し上げます。公式でより精度の高い反論をされていたようですし、私の行為は一般に余計なお世話と呼ばれる類のものでしょう』

 すぐさま返信する。
 そんなことはない、とても助かったしなにより感謝している。他者の苦境を目にして自ら正しいと思える事を行える貴方を尊敬する。

 何をこんなに熱くなってしまっているのか自分でもわからないが、そうしなければならないような気がして必死に相手への文章を綴った。

 相手が自分の行為を否定し、それを俺が肯定し直す、不毛で冗長な、第三者が見れば何をそんなに意地になっているのか、と呆れられるようなメールの応酬。

 トリシューラが作業をこなす傍らで、俺はずっとそんなやりとりを繰り返していた。
 そのうち俺は、あまりにも強く自分の行為に価値を認めようとしないこのリーナ・ゾラ・クロウサーなる探索者がどういった人物なのかに興味を持ち始めていた。

 不埒な関心である。文面から好奇心が滲み出ないようにするのに苦労してしまう。
 そうこうしている内、相手の返信の色合いが少し変化を始める。
 相手はどうやら、この件で俺が地上に対して悪印象を抱いてしまったのだと思っているようだった。

『この事で、貴方はきっと地上に対して不信や嫌悪を強めたことでしょう。怒りや憎しみを向けたとしてもそれは仕方の無いことです。ですが、もし今後地上の勢力が貴方に対して似たような、あるいはより敵対的な行動をとった時には、慎重に行動して下さい。おそらく貴方は、理不尽な事態が降りかかった時、自らの拳で状況を切り開こうとする人だと思います。しかし松明の騎士団は強大な組織です。どうか無茶をせず、ご自身の安全を優先して下さい』

 深い心配と憂慮が伝わってくる。この相手は、芯から善良なのだと確信する。
 俺はその心配が不要なものだと伝えようとした。相手の心を煩わせる重みを、どうにかして取り去りたいと思ったのだ。

『貴方は私が地上を憎むだろうと言いましたが、それは少し違います。一部だけを見て全体を判断できないということを、他ならぬ地上の探索者である貴方が証明してくれました。それに私は今、地上から来た人の世話になっていますし、なによりこの世界に来たばかりの頃、私は地上の人々に助けて貰いました。彼らは松明の騎士団に所属しており、ひとりを残して皆戦いの中で亡くなりました。これから状況が推移して、たとえば松明の騎士団と敵対することになったとしても、私は彼らのことを憎むことはできそうにありません。件の三人の探索者の方々に関しても、魔将に対して果敢に挑んだ結果であり、それに悪感情を抱くことは少なくとも私には無理です。彼らの冥福を祈ります。彼らのご友人であったという貴方には本来これを先に言うべきでしたね』

 しばらく反応が無かった。当然かもしれない。相手にとっては、本来知人の死を不当に利用されたという怒りが先にあった筈なのだから。俺の事はついでだろう。

 そう考えると、こうして長々とやりとりを続けている自分がただの迷惑な人だという気がしてくる。そろそろ切り上げるべきなのだろうが、こういうメールのやりとりってどうやってやめればいいのだろう。

 逡巡していると、向こう側からメールが来る。しかし、今度のは何か今までと様子が異なっていた。

『本当に、恨みは無いのでしょうか。聞けば貴方は魔将を松明の騎士の生き残りと共に倒した後、その騎士に放置され、見捨てられたといいます。そのせいで貴方は半年もの長い間、第五階層に取り残されてつらい思いをすることになった。本当に、その恥知らずな騎士を恨んではいないのですか』

 違和感と苛立ちが同時に浮かび上がり、混ざり合って思考にノイズが走る。この文面には妙なところがある。地上一般に対する偏見や反射的な悪意を心配するという話題から、いつのまにか特定の個人に対して恨みがあるかないかという話題にシフトしているのだ。

 そしてその違和感はすぐに塗りつぶされる。文中の恥知らずな、という言い回しに強い不快感を覚えて、それを訂正しなければ気が済まなかったからだ。

『そんなことはありません。むしろ、私はその人に深く感謝しています。貴方は恥知らずと言いますが、私はそうは思いません。何かの事情があったのだと私は思っていますし、そういう仕方の無い事情を抱えた人を恥知らず呼ばわりすることは、それこそ筋違いで、道理から外れているのでは無いでしょうか』

 何か、余計な事までも書き連ねようとしている。そう思うものの、手は止まらなかった。思うままに空中に表示された日本語対応のqwerty配列に指を打ちつけていく。

『この世界に来てすぐ、私はある出来事のために錯乱し、ある種の筋違いな思考に取り憑かれました。勝手な思い込みで、自分だけでなく他人や、既に亡くなった人の気持ちまで傷つけようとした。その思い込みを指摘して、どこに行けばいいのかも分からず混乱する私に指針を示してくれたのが、その人です。この世界に来たばかりの私がどうしようもない状況に陥った時に、あの人は手を差し伸べてくれた。その事に対する感謝は、どれほどの言葉を尽くせばいいのか分からないほどです。あの人がいなければ今の私はありません。そのことに対して感謝を伝えることだけを目標に、私は今日まで生きてきました。その意味で、私はあの人に救われ続けているのかもしれません』

 勢いに任せて書かなくてもいいことまで書いてしまった。思わず送信してしまったが余計な情報が多すぎる。きっと相手は引いているだろう。
 長いこと反応がなかった。ほらやっぱり。

 そのまま時が過ぎ、なんだか消化不全な感覚が残ったまま夜を迎え、未解決のタスクを抱えたような気持ちのまま床につく。
 その夜、寝付きはひどく悪かった。

『ごめんなさい』

 メールが送られてきたのは、深夜を数時間回った頃だった。『夢枕Guard』のお陰で熟睡中でも端末の振動を感知できたのが幸いし、すぐに反応ができたが、普通ならば寝入っている時間だ。緊急の連絡でもなければ非常識な行為と見なされても仕方がない。メールの文面から礼儀正しい人だというイメージがあったので、少々意外と言えば意外だ。

『ごめんなさい、ただ謝られても意味が分からないですね。個人的な都合ですぐに返信できず、このような時間に衝動的に送信してしまいました。これは本当に、私の個人的な問題です。ですから詳しく説明することはできません。そして今の私は、貴方に対して謝罪の言葉しか持ち合わせていないのです。理由は明かせません。ですが、どうか私の謝罪を受け取っていただけないでしょうか』

 正直な所、困惑していた。意味が分からない。相手もそれを理解していながらこのようなメールを送っているようなので、正確に意図が伝わっていると言えなくも無い。

『この期に及んで顔も見せずにいる非礼を、やはり文章でしか謝罪できない私の卑劣さをどうかお許し下さい』

 奇妙な言い回しだった。彼女は実名という個人情報を晒しているのだ。この呪術社会においてそれがどれだけ重い事なのか、俺は既に知っている。
 どうやらクロウサーというのは呪術の大家らしく、呪いをかけたりすれば返り討ちにあうのがオチだというから、そのへんの心配は不要らしかったが、それでも個人情報は個人情報である。

『よく事情が飲み込めませんが、訊かないで欲しいというのにこれ以上突っ込んだ質問をしようとは思いません。言葉のまま、受け取っておくことにします。何を許すべきかも分からないので、それ以上の事は申し上げられませんが』

 これだけだと素っ気なさ過ぎる。と、ふと思いついたことがあり、付け加える。

『それでもなお謝罪を続けるというのなら、代わりに頼みを聞いていただけませんか。私はその松明の騎士、アズーリアという人物のことを探しています。もしその所在を知る機会があったら、その時は私に教えて欲しい。実を言えば、このように自らの事を世間に喧伝しているのはそれが狙いなのです。そして、私が無事であるとアズーリアに伝え、もしこちらの安否に関して不要な懸念や心配を抱えていたら、それを取り除きたい。それが叶えば、私の目的はもうほとんど達成されたようなものなのです』

 地上にいるからといって繋がりがあるとは限らない。この相手とアズーリアが知り合いという可能性は残念ながら無いだろう。しかし敵対的な松明の騎士団に直接訊くよりは、迷宮で出くわすかもしれない探索者に頼んだ方がまだ望みがあるのではないだろうか。

 その後、しばらく返信は無かった。それほど本気の頼みではなく、ついででいいのだが。真剣に検討してくれているのだとすればありがたいのと申し訳無いのが半々という気持ちである。

 そろそろ寝ようかと思った時、メールが届いた。

『残念ですが、私にはその人に関する情報をお伝えする事はできません』

 まあ、仕方が無いと言えば仕方が無い。
 あまり期待はしていなかったのでそう落胆はしなかった。だが、この相手ともこれで繋がりが切れてしまうかな、とぼんやりと眠い頭で考える。

 文章には続きがあった。一体それは、どういった意図が込められていたものなのか。文脈が読めずに困惑したまま、それを読む。

『ですがきっと、その人はこう言うでしょう。貴方がそこに無事でいることを、とても、とても嬉しく思う。今もまだ、その場所で戦い続けている貴方を、私はいつか必ず』

 そこで、俺の意識は途切れた。

 

 いつもと同じ、出口のない悪夢を見た。
 不思議なもので、今が不安定だからこそ、代わり映えのしない夢を見ることでかえって安心感が生まれるようだった。

 憂鬱極まりないアズーリアを待つ時間も、どこか穏やかに過ぎていった。
 そんな不確かなモラトリアムも長くは続かない。
 差し込む光。
 朝だ、と思って見上げると、鋼鉄の籠手に包まれた手が差し伸べられていた。

「え?」

 かしゃん、と音がして、籠手が外される。
 あらゆる光を飲み込むような、色のない左手。五環の金鎖。

「遅くなって、ごめんなさい」

 息が止まるような静寂が世界を支配する。口を開こうとして動かなくて、手を伸ばそうとして失敗する。心臓が破裂しそうになって、それでもこの動作不良を起こした身体が動くのなら心臓くらい破れても構わないと叫び出しそうになる。ずっと求めていた。半年間。一瞬だって忘れることなく、待ち続けてきたのだ。

「私は、必ず貴方を迎えにいくから」

 直後、夢が弾けた。

 

 
 朝だ、という認識に、昨夜の意識が追いついてくる。昨日はキロンに対する返答の結論が出ないまま夜を迎え、次の日の午前中にトリシューラと話し合うことになったのだが、寝ても何かが解決したりはしないのだった。

 時間は非情に過ぎていく。
 目が冷めた時、手の中にある端末内には『力になれそうにない』ということを伝えるだけのメールが残るのみだった。眠りにつく直前に目にしたあの文章は、あるいは夢が見せた願望だったのだろうか。

 しばしの間、寝台に横たわったまま顔を伏せる。死にそうな程の羞恥に身体が震える。
 代弁でもいいから、アズーリアの言葉を聞きたいなどと。
 それこそ、恥知らずな欲望だろう。

 朝の光を浴びながら緩慢に身体を起こすと、もう何度目になるかも分からない、一日をまたいだメールが届く。

『昨夜はごめんなさい。力になれない我が身が不甲斐ないばかりです。ですが、今回の騒動で貴方の存命はアズーリア・ヘレゼクシュの耳にも届いたと思います。貴方の目的のほとんどは既に達成されている筈です。ですからどうか、これからはご自分の為に生きて下さい。その場所で無事でいることが分かっていれば、きっと安心する筈です』

 キロンの誘いを、もう一度思い出す。
 俺があの誘いに心を乱されている最大の理由は、アズーリアの存在があるからだ。

 だが、こちらの生存を伝えることに成功しているのなら、もう目的の半分は達成できているのではないだろうか? 俺は、ただアズーリアにもう一度会うためだけにトリシューラを売れるのか?

 いずれにせよ、今のところは目の前の事態に対処するくらいしかできない。いつだって俺はそういう風にしてきたし、これからもきっとそうなのだろう。

 この相手とも随分と長いやりとりになってしまった。というかよく付き合ってくれたものだ。よほど几帳面な性格をしているらしい。あるいは、お人好しなのか。

 文章だけの付き合いとはいえ、ずっと言葉を交わしてきたこの相手とこれきりだという事に味気なさを感じてしまう。喉の奥に小骨がひっかかったようなもどかしさ。言いたいことがあるし、それが何かはわかっているのだが、さてどうやって切り出そうか。そんなことを思っていたのは、どうも俺だけではなかったらしい。

 躊躇っているうち、俺はそれを相手に言わせてしまう。

『もしよろしければ、これからもこうしてお話していただけませんか』

 収獲と言えば、今回の一件での最大の収獲がこれだった。
 文章だけの繋がりではあるが、俺はリーナ・ゾラ・クロウサーという探索者の知己を得た。

 どうしてかやたらと俺なんかの近況を知りたがる奇妙な探索者。あちら側からは探索者としての迷宮内の冒険譚などを聞いたりして、空いた時間に情報をやりとりする。

 そんな、なんということのない関係が出来上がったのである。

 

 

 
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