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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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4-44 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ11


 それは遠い昔のこと。
 まだこの大地の上に死人たちの王国が栄えていた頃。
 大いなる女神と六人の王たちによる統治が完全であった頃の話。

「もし『死人の森』すべてを支配下に置くことができたらどうする?」

 透き通るような少年の声が森の奥で響く。
 ヴァージルはオルヴァにいたずらっぽく笑いかけた。
 二人は『森』の中を流れる川の岸辺に並んで立ち、揃って複雑な呪文を紡いでいた。ヴァージルが水晶の石版を土中から出現させて、オルヴァがそこに文字を刻んでいく。力ある言葉を刻まれた|古代の魔導書〈せきばん〉が水面に沈み、死者の王国を守護する結界が強化されていく。

 『死人の森』には敵が多い。再生者を忌むべき悪霊とみなして討伐しようとする勢力との戦いによって『森』は少しずつ綻び、損耗していく。高位呪術師であるオルヴァとヴァージルは女王に請われて世界の修繕を行う役目を担っており、行動を共にする機会が多かった。

 その日も二人は『王国』の境界である川を訪れていた。作業工程も終わりに近付いたとき、ふと少年が零した野心とも妄想ともつかぬ戯れ言。それは軽く笑い飛ばすには不穏に過ぎた。オルヴァは沈黙したまま答えを返さない。

 ヴァージルはしゃがみこむと細い指先を水中に沈めた。時刻は夜、鏡となった水面には皓々と世界を照らす月が四つ浮かび上がっている。少年は自らの故郷である黄色い宝玉をそっと掬おうとするが、光は雫となって掌から溢れてしまう。少年はオルヴァに答えを催促するでもなく、一方的に言葉を重ねていった。

「みんなに聞いてるんです。カーティスさんは『大いなる死と夜の神々が導くままに』って言ってたし、パーンさんは『俺は好きなようにやる。自力で歩める者は好きにやれ。できないものは俺に平伏すか、後ろをついてくるかだ』とかいつも通り。二人とも、呪術とか鉄とかの時代に生きてた王って感じだったなあ」

 つまらなさそうに言うヴァージル。とはいえ、二人が生きた時代を考えれば当然の発言だった。彼らは王であると同時に呪術師であり戦士。パーンなどは物語や伝説で王として扱われているものの、史書などでは武将や軍事指揮官として記されることのほうが多い。

「アルトおじさんは『先人の歩んだ道を敬い、正しき美徳を重んじるのみ。さすれば王国は善き方向へと進み、悪しき障害は打ち払われるであろう』とか言ってさらっと軍拡とか侵略したいオーラ出してるし、ルバーブさんとお人形は『美しく完璧な王が全てを愛し、全てに愛される王国こそ至高』とか多分二人とも頭茹だってるし――これ大丈夫なのかなあ? 六王、原始人とアホばっかりですよ?」

 そして残る二人は狂人だった。
 オルヴァが望む王国の果てにはブレイスヴァの口があり、ヴァージルの望む政体はそもそも王国ですらない。少年もまた王では無いのだ。

「私には既に滅びが見えている。ヴァージルよ、お前は何を見ている?」

 オルヴァの問いかけを受けて、少年はあどけない笑みで答えた。
 爛々と光る兎の瞳が水面の月を血の色に染め上げていく。

「そうだね。僕は異界が見たいかな。今よりもっと美しい、異形の世界を」

「母の愛はいらぬか」

 夢見る少年を諭すように、オルヴァは静かに問いかけた。
 この幼い王子は時折こうした危うい面を見せる。
 今はまだ、オルヴァの前でちらりと野心を覗かせるだけに留めてはいるが。
 感情をたっぷりと込めて、ヴァージルが緋色の月を撫でさすった。

「与えられるだけじゃなくて、僕からも愛したいんだ。ねえオルヴァさん。異界の形って色々あると思わない? 死後の世界、森、あるいは洞窟。河なんかもあちらとこちらを隔てる境界線だ。あとは、夜、天、末世、月、他者、あるいは遠い星々――夢や眠りなんていうのもあるよね。あとは、海とか」

「夢に眠りに海。いずれも紀神ハザーリャが司る異界か。確かに『死人の森』にはそれらが欠けている。我らが女神はかの神を取り込んでいるにも関わらず」

 水面を見つめながら、オルヴァもまたこの漠然とした問答にのめり込みつつあった。揺らぐ月、歪む表情。水面は鏡のように二人の顔を映している。
 ヴァージルは川の流れる先に思いを馳せるように目を細めて、無造作に手を横に払った。月の形が乱れ、波が水鏡に映った像の全てを掻き消した。

「だからね、『それ』はきっとこれから生まれるよ――ううん。僕はもう『彼』が生まれる瞬間を見ている。オルヴァさんも、彼の事は知っているんじゃない?」

 刹那、オルヴァの脳裏に甦る捩れた記憶。
 幾通りもの時間軸、無数の可能性を織り込んだ過去現在未来すべての光景が早回しで想起され、その中でもとびきり奇妙な破綻した可能性を幻視したのだ。
 炎上する都、襲来する異形の怪物、未来からの闖入者、再演の旅路――。
 そして女王に従う、剣のような白い腕。オルヴァの瞳に理解の色が浮かんだのを確認すると、ヴァージルの表情が嬉しそうに華やいだ。

「六王が持つ巨大な生の欲動(リビドー)をも超える、最強の死の欲動(デストルドー)の担い手――回帰の剣を宿す亡者たちの王子」

 少年の瞳が危険なほどに輝く。
 オルヴァは憂慮した。少年はいずれ『死人の森』に破滅を招く可能性がある。
 決して看過できない。女王を守護する賢者として、危険の芽は未然に摘み取らねばならないのだ。オルヴァは少年に手を伸ばし、小さく名を呼ぶ。

「――ヴァージル」

 そして、小さな頭の上にそっと置いた。
 滅びの可能性。賢者はそこにブレイスヴァの影を見出した。
 畏れと共に瞑目し、祈りを捧げる。
 そして、少年の危険な野心を看過することに決めたのだった。
 ヴァージルの頭を優しく撫でる。くすぐったそうに笑う少年は年相応に愛らしく、オルヴァは彼がいつか見せてくれるであろう破滅の光景に胸躍らせた。
 信頼する賢者が期待通りの人物であったことに気を良くしたヴァージルは得意げに捲し立てる。

「ねえ、今の『王国』は権威によって一方的に支配あいされるだけのものだよ。もっと双方向的で、上からも下からも、隣人どうしでも支配あいし合うことができたら素敵だって思わない?」

 少年の理想を聞き流しながら、オルヴァは終末の夢想に酔いしれた。
 自らの支離滅裂な行動を振り返って後悔することなどない。
 彼の欲求は全てたった一つの結末に帰する。その過程で何が起きようと、終端は必ず貪られることだろう。

「おお、ブレイスヴァ!」



「――でもさ」

 ヴァージルは、オルヴァに聞こえないほどの声量で呟いた。

「未来を知っているからといって、それが正しさに繋がるとは限らないよね」

 破滅の未来を知り、それを望むオルヴァは絶対的な権威として民の上に君臨する。それがカシュラムの秩序であり滅びを礼賛する人々の最後の救済だ。
 ならばオルヴァの否定は何を意味するのか。
 少年は笑う。その赤い瞳は彼方を見据えていた。
 未来ではなく、遙かなる過去を。

 時間と空間はもはや意味をなさない。
 気づけば、オルヴァとヴァージルは何処とも知れぬ空間で向かい合っていた。
 浮遊する水晶の欠片、万華鏡のように煌めく様々な時空の光景、両者の間に置かれた背の高い卓。その上には巨大な遊戯盤が置かれており、二人は交互に戦局を動かしていた。

 様々な地形の描かれた六角形のマス目が緻密に並び、無限に拡張可能な遊戯盤は際限なく広がっていく。リアルタイムで動く戦場、高速で構築されていく城砦、呪力を生み出す生産拠点。オルヴァが過去に仕掛けた『墓標船』の布石が新たに十二のユニットを吐き出して盤面をかき乱し、二人の思惑とは関係無く動く意思を持った駒たちが縦横無尽に駆け巡る。

 ここは高位の言語魔術師だけが知覚できる空間。
 二人は初めて出会った瞬間から今の今まで、ずっとこの場所で遊戯を続けてきた。長い眠りについた後も、自動化された仮想使い魔に宿した疑似人格同士が対局を続けてきたのだ。コルセスカの浄界に飲み込まれ、遊戯の性質がヘクス制戦略シミュレーションとリアルタイムストラテジーを混ぜ合わせたようなものに変質してしまっても戦いは続く。
 二人にとって、世界は、あらゆる闘争は現実であると同時に遊戯でもあった。
 そしてそれがあらゆる言語魔術師に共通する世界認識である。

 ヴァージルの指した一手を受けて、オルヴァの瞳が未来を映す。
 『詰み』の結末を既に知る予言王にとって、あらゆる盤上遊戯は決まりきった作業に過ぎない。こうしてオルヴァと知恵比べに興じようとする物好きはヴァージルくらいのもので、彼に勝とうとする恐れ知らずもまた少年ただひとり。

「拡散したシナモリアキラも、不完全な滅びを繰り返すあなたも、共に綺麗な終わりを迎えられないまま僕のものになる。『今はまだ』という留保が物語をどこまでも遅延させていく。あなたたちは僕の掌の上で終わりのない物語になるんだ」

 少年の細い指先が駒を動かしていく。
 十二の兵隊、十字の冠を被った王、それら現実を象った水晶細工が盤上を動く度、万華鏡の世界に映し出された映像が切り替わる。第五階層と『死人の森』の王権を巡る六王たちの戦い、同時並行して行われていく異形の末妹選定――それら全てを制御下に置いて、超越者たちは現実を弄んでいた。

「パーンさんは盤外から飛んでくるから厄介だけど――じきに片付く。そうしたら今度こそ、オルヴァさんの番だよ。ううん、本当はもうほとんど終わってるんだ」

 言った途端、ヴァージルの姿が幻影であったかのように揺らいだ。青年期のオルヴァの姿が霞のようにぼやけ、曖昧なヴァージルの存在と同期して震える。
 少年の姿は一変していた。
 両目を布で覆ったその姿は兎の王子とは似ても似つかない。白を基調としたカシュラム風の衣装は少年の高い地位を示している。

「僕の名はオルヴァ。僕の名はシナモリアキラ。僕は君たちを統べる冥府の主」

 少年の変化に動じること無く、オルヴァは駒を進めた。

「私の過去を奪うか、簒奪の王子よ」

「幼い時代は僕の領分だからね。オルヴァさんだって時の全てを支配しているわけじゃないでしょう?」

 幼いオルヴァの姿、幼いオルヴァの声でヴァージルはそう言った。
 存在を巡る闘争は混沌として状況は刻一刻と変転する。
 互いが駒を動かし、呪いを紡ぎ、世界を幻視するたびに曖昧な現実は揺らぎ、たわみ、ひび割れていく。無数の時間軸が交錯する万華鏡の世界は脆く儚い世界のありようそのものだった。 

 盤上で戦いを演じているのはヴァージルとオルヴァだけではない。
 浮遊する『空の民』の駒は縦横無尽に動き回り、ルールなど知らぬとばかりに盤から飛び出しては好き勝手に乱入するということを繰り返している。盤面を無視して直接ヴァージルに飛びかかってくることすらあるほどだ。

 彼らの背後に映し出された無数の第五階層の光景、その中のひとつでパーン・ガレニス・クロウサーと兎耳のヴァージルが戦っている。戦場となっている男根城は崩壊しつつあった。盤上で王たちの干渉をはね除けながら抗戦を続ける機械女王トリシューラの策略はパーンをヴァージルの拠点に送り込み、更にはサイバーカラテランク一位という餌に釣られた者たちが殺到してきている。

 囚人らは逃げ出す機会を窺い、血に飢えた者らが拳や刃を掲げて走る。
 中傷者(ファルファレロ)と魔将ベフォニスがアキラの座を巡って激突し、英雄イアテムと雲の巨人マイカールが死闘を繰り広げた。炎が塔を加熱させる。熱狂を冷たいまなざしで見下ろしながら、ヴァージルはオルヴァに語りかけた。

「ねえオルヴァさん。カシュラムはやはり古すぎると思うんだ。あなたたちのやり方では前には進めない。聖油の権能には限界があるんだ」

 ヴァージルは駒を進めながら対面の差し手をやんわりと否定する。
 カシュラムの王オルヴァが司る権力は『叙任』である。
 その権能は位階を授け、官職に任ずるのみに留まらず、カシュラムのありとあらゆるものの『地位』を定めることができる。
 職業、身分、民族、宗教――。
 民族の名付け、歴史という物語の付与、切り分けと分断。
 ブレイスヴァを正しく恐れる者をカシュラム人といい、そうでない者をマシュラム人と呼ぶ。少なくともカシュラムではそれが世界の在り方だ。
 統治が更なる権力を生み、世界に高低差を作り出す。

 カシュラム人の王には任命権が与えられ、カシュラムにおける重要な役職は自然と一方を優遇する方に偏る。それが作られた枠組みであればなおさらだった。
 権力の集中は分断と火種を内部に溜め込む。
 ヴァージルはそれを指して愚かと断じた。

「カシュラムが孕む虐殺の呪いがそれだ。九罪源がひとつ、『地位』の権力は世界そのものを引き裂く呪力。高低差が叛逆を招き、挑むべき敵は自動的に生産されて、ちょっとした一押しで上も下も崩れてしまう――脆いんだよ、あなたは」

 少年期のオルヴァに扮したヴァージルの背後で、邪悪に笑う小さなワルシューラ。アイシャドウに縁取られた目を眇めて、主と仰ぐヴァージルの意のままに悪意を振りまく。片方には『奪われたままでいいのか』と訴えかけ、もう片方には『ならず者どもから先制攻撃によって身を守れ』と煽る。強硬で予防的な治安維持の政策を推し進めるように政府に働きかけ、市井には結束と武器の密売を促す。

 ワルシューラの独り芝居には意味が無い。
 ゆえにそれはオルヴァとカシュラム、そしてこの戦いに対しての『お前たちは無価値である』という宣告に等しかった。
 シナモリアキラという地位、ガロアンディアンや『死人の森』の王という地位、未知なる末妹という地位――その枠組みそのものが邪悪で滑稽であると、少年はせせら笑う。現在行われている全ての競争は無価値。

 相手の存在の根幹を否定し、更には幼少期に扮することで『自分が最初からやり直す』ことを示唆するヴァージル。言語魔術師の戦いは精神的にマウントを取り、勝利の上に自らの世界観を築き上げることで決着する。ヴァージルの紡ぐ呪文は着々とオルヴァの世界を切り崩しつつあった。

 少年の猛攻に対し、オルヴァは無言。
 静かに駒を運んでいくが、構築していたはずの盤面は崩壊していくばかりで、未来が見えているとは思えない打ち筋だった。憎しみが憎しみを呼ぶ闘争の渦は、全てを見通す賢者であっても制御不能ということなのか。オルヴァの内心は窺い知れないままに戦況は揺れ動いていく。

「オルヴァさん、やっぱりまだ不完全だね。狩人との戦いで疲弊しているのかな? 悪いけど、そんなありさまじゃこのゲームは僕の勝ちだ」

 防戦一方の相手を見下すように言い放ち、ヴァージルは配下の手駒を敵陣深くに切り込ませた。二人の意思とは関係無しに動く下界の『駒』たちを強引に支配して、望む盤面を構築する。この場所でヴァージルは上位者だった。
 少年の背後に広がる光景が変容し、幾つかの決定的な瞬間が映し出される。

 ヴァージルがパーンに切り札となる呪いをかける。
 『大入道(マイカール)』のシナモリアキラがイアテムを責め苛む。
 拡散したシナモリアキラをヴァージルの呪文が掌握し、オルヴァの存在が徐々に乗っ取られて上書きされていく。ヴァージルという少年の姿とオルヴァの少年時代はもはや一つに融け合っていた。歴史はかくも容易く改竄される。

 もはやオルヴァにできるのは苦し紛れに価値の低い駒を動かすことくらいだった。ヴァージルの影響力が及んでいない盤面に干渉し、状況に一石を投じる。
 小さな波紋。
 ヴァージルの長い兎耳がかすかに動く。少年は訝しんだ。オルヴァが、何か聞き覚えのある言葉を口にしたような気がしたのだ。
 普段の陰鬱あるいは狂的なオルヴァとは少しだけ違う――『誰か』に似た声で。

「――発勁、用意」

 今度ははっきりと聞こえた。ヴァージルの身体が震える。
 オルヴァの瞳が十字に輝き、その網膜内を極めて小さな文字列が流れていく。
 『サイバーカラテ道場』の文字が。





 男根城の内側に満たされた仮想の海水が振動し、遊泳する幽霊魚たちが逃げ惑う。洞窟に似せた人工的な岩壁に亀裂が走り、即席の改装が台無しになっていく。
 爆音、衝撃、ぱらぱらと落ちる建材の欠片――崩壊の時は近い。
 破壊の足音は着実に近づいてきている。少年は身震いした。

 男根城は内側から瓦解しつつある。巨大な塔の根本、奥の広間では巨大な氷塊が揺れ、壁際に垂れ下がる鎖が音を立てていた。繋がれた囚人たちが小さく呻く。
 ふたりの囚人のうち年若い少年の方――中傷者(ファルファレロ)は歯噛みした。束縛された四肢は動かず、この機に逃げることすらできない我が身を呪う。されど呪詛に力は宿らず、ただの精神的自傷で終わるのみ。隣で力なく項垂れている男ほどではないにせよ、度重なる尋問によって体力・気力ともに消耗しきっている。手枷の冷たさが生命力まで吸い取っているかのようだった。

 もうひとりの囚われ人――クレイとかいう青年はどうやら敵勢力にとって重要な人物らしく、先ほどまでヴァージルの手駒となった『公社』の者たちによる責め苦を受け続けていた。人の好さそうな笑みの後ろに冷酷な本性を隠した恰幅の好い老人、嗜虐的な笑みを浮かべる魔女の姉妹たちは嬉々としてクレイを嬲りものにして精神を屈服させようとした。少年が思わず目を背けてしまうほど残虐に。ちなみにファルはわずかな時間だけセージによって小突き回されていたが『ファルくんいじめてもつまんないし』と早々に飽きられ、放置されたまま想い人がクレイを楽しそうに虐めるのを見せつけられることになった。

 ちらりと横目で隣人の様子を伺うファル。
 裸の上半身は濡れており、白い肌に浮かぶ無数の火傷や蚯蚓腫れが痛々しい。長い髪が張り付く肢体は意外にも筋肉質で、女性的にも思える顔立ちとは裏腹に同性のファルですらどきりとするような色香があった。確かにこれは魔女たちが夢中になって構いつけるのも無理はない。その上、この男は精神まで強靭だ。どれだけ痛めつけても屈服するということを知らない。

 自分ならとてもこうはいかないだろう、と少年は密かに感服した。
 羨み、妬むと同時に敬意を抱く。ファルのアストラル体の深層には太陰の王妃が唱えた永劫の呪詛が刻まれており、彼が拷問によって屈しそうになった際には自動的に本人の脳を精神爆弾に変質させることになっている。セージが不用意にファルに触れようとしなかったのも自爆の気配を察知してのことだ。

「レミルスさんがいてくれたってのもありますけどね」

 小さく呟く。なんだかんだと言ってもあの虹犬の少年は頼りになった。この異常な城における数少ない常識人だ。かつて一度イアテムと交戦して親友の遺品を強奪したほどの腕前と聞いていた通り、イアテム率いる『眠れる三頭』らはレミルスがいる限りファルにちょっかいをかけてくることはなかった。
 現在、イアテムたちは侵入者の迎撃のために出払っている。カーティスを襲撃してあっけなく撃退された失点を取り戻そうと必死なのだろう。失敗した配下を見るヴァージルの酷薄な瞳と退屈そうな口調は今思い出してもぞっとする。

 そのヴァージルは、氷の牢獄に背を預けて静かに目を閉じている。どこか遠くにアストラル体を投射しているのだろう。ファルの見たところ、投射先は複数。
 この少年は多数の勢力を同時に相手取って互角以上に渡り合っていた。驚嘆すべき言語魔術師としての技量であり、異常なまでの精神力だ。
 ファルは圧倒的な実力差に打ちのめされた。無力感に苛まれ、屈辱に視線が下がる。眼鏡型端末も取り上げられ、封印によって呪文を紡ぐことも叶わない。

 深くため息を吐いた。
 爆音は徐々に大きくなり、騒乱の気配は今にもこの広間に到達しそうだ。
 隣人は意識を朦朧とさせながらも瞳から闘志を絶やしていない。
 本当に強い人間というのは彼のような者を指すのだろう。
 ――セージさんも、こういう人の方が格好いいって思うんだろうな。
 危機的状況にも関わらず、こうした感情を抱いてしまう自分をファルは情けなく思う。女々しくてやってられない――こんな思考を抱いてしまうのも、男根の城に長く囚われていたせいだろうか。

 そのとき、ファルは更なる異変に気が付いた。
 ヴァージルの様子がおかしい。
 城での異変を察知して投射していたアストラル体を戻したのかとも思ったが、どうにも奇妙だ。震える手で顔の輪郭を確かめるように撫でさすり、荒く息を吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返している。血のような瞳に重なるように、黄色い月の輝きが明滅している。

「黄の色号――? 異界、いや神々の呪法?」

 ファルは正体のわからない不安に襲われながらも目の前の異変を必死に分析しようと試みる。月の王子は小さな声で何かを呟いている。
 ヴァージルの表情、声の抑揚、そして視線の性質。
 やはり奇妙だ。何かが違う。決定的な異常を言語化できない。

 ファルは太陰(イルディアンサ)における二大種族、『アヴロノ』と『ウサギ』の混血だ。ある意味で、現代の月を象徴する『ウサギ妖精』と呼ばれる存在。
 ヴァージルもまた彼と同じ混血のように見えた。太陰の王家がウサギ種族のものである以上、最後の純血の王子と称されるヴァージルの場合は『妖精ウサギ』とでも呼ぶべきだろう。
 ウサギの垂れ耳と妖精の長耳を併せ持つ麗しの王子ヴァージル・イルディアンサもまた現代の太陰社会を反映した外見を――。

 あれ? と首を傾げるファル。
 純血、純血ってなんだっけ。史料で、絵本で、母親の昔語りで、恐ろしい狂王子ヴァージルのことは何度も見聞きしてきた。彼の事を知らない太陰の民はいない。
 昔々、太陰がまだ賑やかだった頃。
 カニや獅子、ワニやトカゲ、犬やウサギ、水運びや薪運び――大いなる司書の眷族たちが仲良く共存していた頃のお話――お決まりの文句と共に始まる伝承は、ヴァージルが出てくると決まって血塗られた結末で終わる。
 けれど、どうしてそうなったのか、歴史書にどのような詳細が記されていたのか、何故か鮮明に思い出すことができない。記憶に靄がかかったように――。

「これは何らかの記憶封鎖が、いや、歴史そのものが歪んで――?」

 疑念は曖昧に口の中で解けて、ファルの瞳が混濁する。
 半ば消えかかった意識が曖昧に溶けて、ファルは深い微睡みに落ちていく。
 夢の中ではヴァージルの容姿が目まぐるしく変化していた。
 アシンメトリーな長耳と垂れ耳の左右が入れ替わり、両耳がそろってアヴロノに、あるいはウサギになったりと変幻自在に姿を変える。
 ヴァージルの声は幾人もの少年が同時に囁いているかのように折り重なり、合唱じみた響きを奏でていた。
 異なる意思、異なる性格、異なる声質。
 ファルの混乱は頂点に達した。
 記憶が揺らぎ、現在と混ざり合う。 

 ――探れ。観ろ。そして解体しろ。

 誰かが少年に命じる。それは機械女王のようでもあり、十字の目を持つ賢王のようでもあり、あるいは名も形も無い悪魔のようでもあった。
 中傷者(ファルファレロ)十二の悪魔(マレブランケ)が一。
 『サイバーカラテ』の使い手でありながら、『言理の妖精』の担い手でもある呪文使いだ。ならば、この少年にしかできないことが一つある。

「言理の妖精――語りて、曰く」

 口の中で消えそうな呪文を呟く。
 そして少年は遡った。



 その日、広間ではヴァージルが氷の中のコルセスカを見つめながら陶然としており、壁際ではレミルスが棍から伝う電流でクレイに責め苦を与えていた。ファルはと言えば震えて縮こまるばかり。
 ヴァージルは囚われの姫君を見つめながら自分だけの世界に閉じこもり、虚ろな目でぶつぶつと何かをつぶやいている。その様子があまりにも狂気じみていたから、ファルはぞっとして目を背けてしまう。それでも透き通るような声は途切れ途切れに聞こえてきてしまう。ファルは泣きそうになった。腕が束縛されていることがこんなに苦痛だなんて! 耳を塞げればどれだけ気が楽になっただろう。

「ねえお母さん。お母さんはいつだって優しかったよね。あいつにいじわるされた僕の頭を撫でてくれた。でもおかしいよ。どうしてお母さんはあいつと一緒にいるの。あいつとの間に僕をつくったの? 汚い、汚い、汚い! あいつの血、血、血が、この肉が肉が肉が、穢れたあいつから僕が」

 しなやかな指で全身の肌という肌を掻き毟る。
 真っ白な皮膚が裂けて血が滲み、痛々しい肉色が覗く。
 黄色っぽい浸出液がヴァージルの指先で固化して、汚れきった指すら厭わしいと左右の指を擦りつけて自傷を続ける。

「お母さん、大好きだよ。大好き、だいすきなんだぁ――あのね、僕ね、姫を従えて、死人の森を完成させるよ。再生者という単一の秩序によって統べられる、美しい新世界を。異界の理によって立つ、全く新しい景色を見せてあげる」

 独白はそのまま呪詛となって大気に融けていく。
 断片的な言葉は意味が不明瞭で太陰出身のファルであっても理解できない。
 『再演』『父様』『浄化』『統合』『ウサギ』『純血』『さかさまの森』『冥道』『境界』――これらの単語が幾度も登場し、無秩序に散りばめられていくが、一貫した意味は見いだせない。出鱈目に単語を並べてそれらしい文章を機械的に作っているようにも感じられる。
 かと思えば唐突に両手で左右の耳を掻き毟り始めて、

「僕が、僕を、こんな、こんな――が因果の流れを滅茶苦茶にしたせいでもう僕でも解きほぐせない。この、穢れた穢れた穢れた穢れた穢れた――」

 などと激情を露わにして怨嗟の言葉を吐き出したりもする。
 控えめに言って錯乱しているとしか思えず、最後には膝を抱えて泣き出すからファルはもうどうしたらいいのかわからない。
 すぐ傍のレミルスに縋るような視線を向けた。

「たたた助けて下さい、ていうかあの人明らかにヤバイですおかしいですなんであんなのに協力しちゃってるんですか!」

 必死の訴えに、虹犬の少年は淡白な答えを返す。

「正直、『あの』ヴァージル様は俺も恐ろしいです」

「なら!」

「でも、ジャッフハリム解放戦争で勇士たちと力を合わせて『呪祖』を倒した偉大な言語魔術師でもある。俺たちにとって『銀』の賢者ルウテト様と六王というのは、大昔の英雄ですから」

 レミルスの視線はファルの恐怖とは性質を異にする『畏怖』だ。圧倒的な存在に対して震えて縮こまることと畏まって平伏することの間には大きな溝がある。

「なんか、地上とは『死人の森』に対する認識がずれてる?」

「みたいですね。ルウテト様は世が世なら天主として『山』の聖領を管理されていてもおかしくない方――危険な機械(がらくた)との同盟なんて本当は必要ない」

「あー。天主って、『下』の権力者でしたっけ」

 トリシューラに対する暴言は聞き流して会話を続けようとするファル。どうせ忠誠心など持ち合わせていない。レミルスはクレイに棍を押しつけながら続けた。

「権力というか、権威と尊敬を一身に集める方々です。かつて獅子王が従えていた十二賢者の正統なる後継、あるいは今も生き残っている本人たち。『上』の形だけ真似した十二賢者とはものが違う。何しろ獅子王の系譜に連なる貴種によって任命される本物です。まあ、ろくでなしのクソジジイもいますけど」

「獅子王の――? それってつまり、猫の信任を得て――」

 ファルには新鮮な、『下』を生きる者の世界観。
 気になる情報は幾つかあったが、『獅子王』という言葉がとりわけ耳に残る。
 なにか思うところでもあるのか、レミルスは氷の牢獄の中に閉じ込められている女性を熱心に見つめていた。

「テララ様は役目を放り出してどこぞの異界で遊び暮らしてる。いっそルウテト様が『白銀』とでも名乗って『灰』の座を乗っ取ってしまえばいいんだ。そうしてヴァージル様が『黄』、いや『黄金』の天主を名乗れば良い具合に収まる」

 ファルには今一つ理解できない話だった。
 少なくとも、この少年はヴァージルの味方でしかないのだと思い知る。
 救いはルウテトに対しても敬意を抱いていることだが――コルセスカに対する感情まではわからない。ファルは予断は厳禁だと甘い心構えを捨てた。

「それに俺は、サイザクタートの敵になりたくない」

 けれど、そんな風に言われたら張りぼての戦意など簡単に吹き飛んでしまう。レミルスの立場や行動はファルとは全く異なるものだが、ヴァージルのように理解不能な相手ではない。友人を想い、故国の英雄を敬うその有り方は十分に共感可能なものだった。クレイに対する尋問も、『眠れる三頭』のそれに比べればいくらか手心を加えているように思える。

「今のサイザクタートは仮想使い魔だけど、それでもサイザクタートだから。きっとヴァージル様は俺の事情を知った上であのサイザクタートを再現してる。それでも俺はあいつの――あいつが仕えるヴァージル様の味方でいたいんです」

 レミルスの述懐は続く。おそらく現実が見えていないわけではない。ヴァージルの危うさも正しく把握できているはずだ。それでも、虹犬の少年は機械女王と狂王子を天秤にかけて、後者に味方することに決めた――そこまで考えてファルは気付く。価値観によっては前者も十分に狂っている。消去法で後者を選ぶ人、もしや結構いるのでは。日頃の行いって大事だなあと実感する少年だった。

「サイザクタートは、あいつらの家系はただ主に忠節を尽くしたいだけ。何かを守り通す事が番犬の誇りだから、俺はそれを否定したく無い」

 正しさや信念とは関係なく、ただ友人と同じ道を行きたいという理由。
 思考停止と非難することは簡単だったが、ファルは彼を嫌いになれなかった。
 肩から力が抜けていくのを感じる。

「参ったな、それを言われると何も言えないじゃないですか」

 主への忠節、尊き存在への崇敬――そうした感情が彼には痛いほど理解できてしまう。『マレブランケの』中傷者ファルファレロとしてではなく、太陰のウサギ妖精ファルとして。『杖の座』のトリシューラに従っているのは形だけで、実際のファルは『呪文の座』のハルベルトの臣下だ。

「僕は猟犬(グラッフィアカーネ)さんを止める言葉を持っていません。説得は諦めます。好きにしてください」

 ファルの言葉を聞いて、虹犬はわずかに穏やかな表情になった。犬の顔でも、鼻や耳のわずかな動き、目の開き具合などで感情は出るものだ。

「もうグラッフィアカーネとは呼ばないで欲しい。レミルス。レミルス=プラパーシュ。それが俺の名です」

 ファルはそっか、と頷いて「じゃあ君はこれから僕の敵だね、レミルス」と言った。決別の言葉に悲壮感は無く、敵対が決定的になった二人の間に険悪さは無い。
 ヴァージルがレミルスを呼ぶ。虹犬の少年はクレイから棍を引いてその場を離れようとするが、去り際にこんな言葉を残していった。

「――ファルさんでしたっけ」

「うん、そうだけど。ああ、偽名も本名も両方ファルだよ僕」

 どうでもよさそうに「そうですか」と流してレミルスは続けた。

「一つ、教えてあげます。『ヴァージル様は二人いる』――正気の彼と出会ったら、その機会を逃さないで」

「それ、どういう――」

「そのままの意味です。いずれわかる」

 追及を許さずにレミルスはその場を離れ、それきり戻ってくることはなかった。
 ヴァージルの命で第五階層の覇権を巡る戦いに参加しているのだろう。
 それからしばらく、ファルはその言葉の意味について答えの出ない思索を続けることになる。



 意識が覚醒する。
 夢のような回想を終えて、ファルは改めて目の前のヴァージルを見た。

「そうか。鍵となるのは、きっと『ヴァージル自身の物語』だ。彼一人だけが再演の舞台で歴史に干渉されることを免れた。それにはきっと意味がある――」

 ヴァージルはわざわざオルヴァを介してシナモリアキラへの攻撃を仕掛けている。それはあの少年が『シナモリアキラではない』からだ。あの少年は六王の中で最もシナモリアキラ性が低い。ならば私がするべきことは一つ。俺は肩の関節を強引に外して縄抜けを試みる。激痛の中、ファルは意識に混じる複数の思考を感じていた。共有される自我、使役される肉体、しかし不思議と違和感は無い。ファルははじめから『彼』だったかのように振る舞う。

 語り手すら曖昧なままに、言理の妖精が呪文(ものがたり)を紡ぐ。
 ヴァージルは王子。太陰の呪われた子。
 『王』には、なれない。
 遠い昔、彼は叛逆に失敗したのだ。
 ならば叛逆によって弑されるオルヴァを殺すためには過去の運命を乗り越えなくてはならず、その為には再演の儀式が必要だ。
 『なぞらえ』の儀式。過去の克服。
 もう一人の『失敗した自分』がヴァージルの前に立ち塞がる。

 『妖精』が物語と文脈を手繰り寄せる。
 王になれなかった王子は、敗北の歴史を乗り越えるために現代で過去を否定する。この場所での戦いはそのための試練でもあった。
 そんなヴァージルにとってオルヴァは乗り越えるべき壁ではある。
 だが彼に挑む前に、少年は己の似姿を討ち滅ぼさねばならない。

「もう一人の、王になれなかった者。彼の名は――」

 呪文を唱えて、世界を歪める。
 願望は願い、要請された物語は必然。
 かくして現実は変容する。
 事態が動いたのはちょうどその時だった。
 壁が轟音と共に崩壊し、巨大な呪力が激突しながら広間に乱入してくる。
 まずは岩肌の巨漢。アストラル体の巨腕を背中から伸ばして警備用の使い魔たちを薙ぎ払い、凄まじい破壊を振りまいていく。

「見つけたど、ファルファレロ! 恨みはねえが、おらがシナモリアキラになるため、番付一位のおめえには死んでもらう!」

 ランキング一位など寝耳に水の情報を聞かされて目を白黒させるファル。迫りくる危機と敵の情報を処理するより先にイアテムと雲の巨人、更にロドウィとその娘の魔女姉妹たちが乱戦を繰り広げている光景が目に入る。少年は思わず叫ぶ。

「セージさん!」

「ちょっとファルくんうるさい、いまそれどころじゃ――うわなにあれ妖精いっぱいでめっちゃキモいしっ」

 ファルの姿を見て幼い表情を引き攣らせるセージ。
 わけがわからず傷付くファルだった。

「ハ――有象無象が、まとめて砕け散れっ」

 そして、巨大な三頭犬を殴り飛ばしながらパーン・ガレニス・クロウサーが登場する。漆黒のボディアーマーを身に着け、ノンフレームの眼鏡は膨大な情報を処理しながら頭部に呪術障壁を展開して幻影の兜を形成している。風圧で背後に流れる前髪が一房だけ青く染まっていた――呪いのように。
 続いて半ズボンにダブレット姿のアストラル体が番犬と人形を引き連れて到着。狂王子と称される呪文使いヴァージルの意識体、その仮想使い魔のサイザクタート、ラクルラール人形だ。

 彼らを同時に相手にして一歩も退かず、それどころか遂には男根城の奥の間まで追い詰めたパーンの強さには天井が無い。巨人の幻肢が唸りを上げて、広間はたちまち巨人たちの呪力で溢れかえった。
 屋内であるにも関わらず、彼らの頭上に幻影の刃が出現する。
 僣主殺しの裁きの剣。王国を滅ぼす権力の選定者が振り子のように揺れ動く。
 切っ先が選ぶのは、ヴァージルか、それともパーンか。
 ヴァージルの背後に『健康(インテグリティ)』、パーンの背後に『技能(スキル)』の断章が浮かび上がり、内側から大量の呪力を吐き出していく。

「いいよ、パーンさん。ここで決着をつけよう。断章ごと僕のものにしてあげる」

「ぬかせ。鬱陶しいラクルラールごと消し炭にしてくれる」

 六王の激突により空間が激震する。かくして死闘の幕が上がった。
 ファル(おれ)は小さくほくそ笑んだ。
 これでいい。『王になれなかった者たちによる王になるための戦い』という物語が呪文によって実体化する。急造の因縁を、妖精たちが楽しげに彩って盛り上げようとしていた。



 ひとつ、ふたつ、みっつ――薄く細長い水晶柱の先端に光が収束。
 それらは砲塔となって標的に狙いを定め、眩い光線を発射していく。アストラル体のヴァージルが操作するのは実体を有する水晶の翼、そこから放たれる攻撃も物理的な影響力を有している。

 高速飛翔する空の民すら回避不能な最速の光学兵器は、しかし命中する直前で捻じ曲げられてパーンの背後へと抜けていく。反撃はそれとほぼ同時に行われた。無造作に持ち上げられる機械の右腕。掌が砲口となって荷電粒子の光が閃き、ヴァージルに直撃。少年は防御用に残していた三枚の翼で霧のような障壁を三重に張り巡らせて膨大な熱量を減衰、無効化した。

「いい加減に終わりにするぞ。貴様と遊んでやるのにも飽きてきた」

「そう? 僕はけっこう楽しいよ。パーンさんのレベルに合わせてあげるのも」

 パーンの右腕は古代人が想像した未来技術で作り上げられた機械義肢。『杖』の叡智が唸りを上げ、光線と質量弾を織り交ぜた猛攻が半透明のヴァージルを襲う。
 実体の無い少年は既に肉体になど囚われていない。むしろそれらは高みに達した言語魔術師にとっては枷でしかなかった。自由なアストラル体のみで虚空を跳ね回り、呪文によって世界を騙して書き換える。

「物質階層でチャンバラでもしよっか。そういうの好きでしょう?」

「子守りなど柄ではない。カーインかミシャルヒが居れば任せるのだがな」

 架空の腕が舞うように翻り、その動きに付き従うように閃く水晶の柱。稲妻を纏った水晶が振動を始め、電気信号という名の呪文を構築していく。旋回する呪文の刃がパーンの義肢と激突し、火花を散らした。水晶が発振して出力する規則正しい基準信号がヴァージルの構成する無数の呪文群を統御し、完璧な秩序に満ちた仮想使い魔の軍勢がパーンの闘気とせめぎ合う。

 二人は空中で絶えず位置を変えながら、一瞬のうちに交錯し、火花を散らす。
 常人の目では正確に把握することすら困難な高速戦闘。
 凄まじい突風が巻き起こり、閃光が走ったかと思うと広間の壁面や床面、天井に爪痕が刻まれている――まるで怪奇現象だ。ファルなどは肉眼で状況を把握することをとうに諦めている。脳内に常駐させている仮想使い魔に情報を処理させることでどうにか異次元の戦いについていくことができていた。

 激戦は音より速い。しかし詠唱を一音に圧縮し、水晶板を魔導書として内側に文字列を表示することでヴァージルの呪文はパーンの最速に追いつくことができた。空の民が掌から放つ雷霆を長大な詠唱が迎え撃つ。

「荒廃の空より降り立つ硫黄、
 燃え立つ揺り籠より旅立つ跛行、
 穢れ者、骸の斧、興廃の王国を砕くは火口、
 六足獣の彷徨えるあぎと、
 焔河を泳ぎて熔融する炉心を喰らえ」

 少年が従える三つ首の番犬が吠えた。
 獣の前脚、その両脇から青い炎が発生してどこまでも伸びていく。定められた境界線の向こう側の光景が歪み、異界がその顔を覗かせる。
 骸と炎、鉄と水晶に彩られた死の世界。骨と皮ばかりの燃える馬蟷螂、融ける鉄の蛇、頭上に火を灯す蝋燭の民、絶えず噴火を続ける火山の連なり――異界の熱波が現世に押し寄せ、海の民の城が悲鳴を上げる。

「忌まわしきング=メドの仔ら、鋼鉄の喉笛を掻き切り嘆きの旋律を奏でよ」

 ヴァージルが呼び出した異界生物が一斉に境界を渡り、猛火を振りまいて絶叫した。溶岩の蜘蛛が走り、血赤色の鉱物花が炎の弾丸をばらまいていく。
 ヴァージルの猛攻は続く。サイザクタートが創り出した『門』を様々な異界と繋げ、異形の怪物たちを呼び出して使役する戦い方は典型的な召喚士のものだ。
 『サイバーカラテ道場』にはそうした『使い魔』に対抗するための戦術プランが数多く存在しており、パーンもまた生前の膨大な戦闘経験からそうした相手への対処方法は心得ていた。しかし。

「ち、相変わらず底が読めん奴だ」

「『冥道』がどれほどの広がりと深みを持っているのか、教えてあげるよ」

 ヴァージルが繋げている異界――ゼオーティアの『内世界』は広く知られている『隣界群』のいずれにもあてはまらない。古い時代を知るパーンすら知らない異形の世界が際限なく現れ、未知の脅威が絶えず襲い掛かってくる。
 更には従属させているラクルラール人形と魔将サイザクタートが圧倒的な呪力でパーンを攻め立て、着実に敵対者の体力を削っていく。
 とどめには無尽蔵に湧いてくる亡霊たち――『死人の森』の六王であるヴァージルは再生者たちの中でも思念体である亡霊たちを使役することに秀でていた。
 形の無い死者たちは仮想使い魔となってパーンに不正アクセスを仕掛け続ける。必死に防ぎ続けるパーンも、しつこい憑依攻撃に疲労を見せ始めていた。
 だが狂王子の力はそれだけに留まらない。

「ルバーブさんほど力強く大地を操る事はできないけど、彼よりは器用なんだ」

 ヴァージルの赤い瞳が一瞬だけ黄色い月の色に輝いた。
 長大な六角柱が次々と地面から迫り出して、パーンを下から攻め立てる。
 あたりはたちまち水晶の森と化していった。
 直後、無数の水晶柱が黄色い輝きを宿す。

「これは――?!」

 足下の煌めく森、その正体を理解したパーンの表情が強張った。森を構成しているのは水晶柱だけではない。石版集積回路をはじめとした半導体素子――石造りの魔導書や神殿、環状列石といった古代の呪術コンピュータの部品が大量に地面から迫り出しているのだ。ヴァージルの呪文に呼応してそれらが動き出す。
 響き渡る長大な詠唱。古い言語の連なりが奇怪な響きを奏でていく。

「踊れ後悔の塔、
 奔れ夢の骸、
 積み上がる愚者どもの王、
 忌まわしき運命の黒、
 風の瓦礫、逆説の稲穂、二色の虹、革命の天秤、
 罪貨呑みしは死海の大魚、
 繋ぎ喰らいて冥道の声を聴け、
 嗚呼何人も雲の翅を踏むことあたわず――」

 パーンはその長い詠唱を止める事はできなかった。
 水晶の森が張り巡らせた障壁がパーンの攻撃を妨げたのだ。時間稼ぎのための水晶柱を次々と粉々にしながら突き進むが、森の防護はしつこく侵入者を責め苛む。
 荒々しく猛る呪術結界はヴァージルの身を堅牢に守り、牙を剥き出しにして雷撃を放つサイザクタートがパーンの猛攻を真正面から受けきった。

 ヴァージルの呪文が完成する。
 詠唱がのたうつ。言語が空間を泳ぎ、荒天を引き裂く竜巻、あるいはとぐろを巻く大蛇のように上へ上へと伸び上がった。
 膨れあがった呪力が爆発し、パーンの浮遊する体躯が吹き飛ばされる。
 閃光を伴って現れたのは呪文で編まれた巨大な異形だ。
 複雑怪奇な呪文が精緻な機械部品のように、あるいは生物の体組織のように完璧に噛み合って生まれた呪文生物。仮想使い魔の極致にして呪文使いの奥義。

オルゴーの滅びの呪文(オルガンローデ)か――」

 パーンはひび割れた眼鏡で呪文の構造を解析しつつ判断を下した。
 だが、すぐにその判断を撤回することになる。

「何だ、これは」

 誕生時の凄まじい圧力が霧散した後、その場に残されたのは意外にも小さな仮想使い魔のみだった。
 小さい、といっても全長は相当なものだ。
 何しろ耳が長い。
 ヴァージルが抱きかかえられるくらいの体躯の数倍以上もある長大な耳は、あたかも翼のようだった。

「兎、なのか――?」

 珍しく困惑したように眉根を寄せるパーン。
 ヴァージルが生み出した仮想使い魔は途轍もなく耳の長い兎に見えた。
 体毛は冬のように白く、目は命のように赤く、耳は空のように広い。
 呪文で編まれた巨大な竜が襲いかかってくることを予想していたパーンが困惑するのも無理はない。

「まあいい。死ね」

 それでも拍子抜けしたまま油断するようなことは無く、パーンは即座に反撃に移った。右腕が機械の竜と化してヴァージルを襲う。ヴァージルが長い詠唱を開始した時から対抗する為に構築していた『杖のオルガンローデ』だった。独自の学習機能を備えた自律機動する鋼鉄の大蛇が牙を剥く。

 水晶の森を完璧に破壊し、サイザクタートの妨害を振り切ったパーンの必殺を期した一撃。ヴァージルはそれに対して何もせず、耳長の兎を抱きかかえたまま薄く笑った。奇妙な兎が、赤い眼でパーンを見る。その瞬間。

「なん――」

 パーンの右腕は大顎を開いて標的に食らいつき、喉奥から熱線を放って射線上の全てを焼き尽くした。
 咄嗟に身を逸らしていなければ心臓を撃ち抜かれていたことだろう。
 パーンは深く抉れた左肩を見ながら呻いた。
 左腕が落下し、右腕が主に対して敵意を剥き出しにする。
 ヴァージルではなくパーンに対しての反乱はあまりに突然だった。

 予想外の事態に動揺を隠せないパーン。
 自動義肢の制御プログラムに侵入して自滅させる――言うだけならば簡単だが、実行するのは高位の言語魔術師であるヴァージルであっても至難の業である。
 パーンが全身に張り巡らせている波動防壁は『正常な状態』を予め覚えさせておき、異常があれば検知するシステムだ。過去に発生した不正アクセスのパターンを学習していくサイバーカラテ道場式のセキュリティと違い、未知の攻撃にも対応できる。その堅牢さはヴァージルをして侵入困難と判断せざるを得ないほどだ。

 しかし、そのセキュリティはあまりにも容易く破られた。
 今やパーンの右腕――杖のオルガンローデはヴァージルの使い魔だ。
 咄嗟に右腕を分離して距離を空ける。これ以上肉体と接触させていれば、そこから全身に呪的侵入の魔手が及びかねない。

 長耳の兎と機械義肢。
 更には雷纏う三頭犬に不気味に笑う長い髪の人形。
 恐るべき使い魔たちを従えるヴァージルは不敵に笑いながら言った。

「身代金を支払えば返してあげてもいいよ?」

「殺すぞ」

 両腕を失ったパーンが憤怒に燃える眼でヴァージルを凝視する。
 あまりの熱で眼鏡が溶解し、そのまま床に落下していった。
 涼しげな表情のヴァージルは相手の邪視を受け流して再び使い魔たちをけしかける。パーンは失った腕を補うように肩の付け根から幻肢を伸ばして抗戦する――だが旗色は悪い。先程までの勢いが翳っているのは明らかだった。

 耳を翼のように広げ、白い兎が膨大な量の呪文を展開していく。
 ヴァージルは新たに生み出した仮想使い魔の頭を撫でながら、パーンが苦し紛れに放った雷を打ち消して言った。

「無駄だよ。ガレニスの稲妻ではこの呪いは破れない。このコはね、ただのオルガンローデじゃないんだ。たとえパーンさんが第五階層全てのリソースを使って機械竜を創造(クラフト)しても、稲妻の秘術で解体しようとしても、この『耳長のロワス』を倒すことはできない」

 その言葉を聞いたパーンはぎょっとして目を見開く。
 形成している幻肢に細波が走り、咄嗟にとった距離は必要以上に大きい。
 相手の反応を満足げに見届けたヴァージルは高らかに『宣名』を行う。

「矛盾の竜、耳長き司書妖精たちの王、最も若く最も古き摂理の化身。理をここに示せ――第六紀竜・ロワスカーグ」

「馬鹿な――」

 紀竜とは世界の諸要素を象った概念存在だ。それを従えている今のヴァージルは現在の第五階層で最も強大であると言っても過言では無い。
 パーンは歯噛みした。イアテムやラクルラールを従属させ、他の六王を同時に敵に回しても動じることのない圧倒的な自信――その根底にあるものを目の当たりにして改めて理解する。ヴァージルは紛れもない怪物だった。
 可愛らしい表情で、得意げに自慢する様子は少年らしくもあるが、発している呪力の量は剣呑そのもの。パーンの額から汗が流れ落ちる。

「オルガンローデを僕なりに改良してみたんだよ。第九紀竜は術者が自在に改良することで無限の可能性を宿す未知の竜だ。それならさ、他の紀竜を十分に理解してさえいれば、疑似的にその再現ができるんじゃないかって思ったんだ」

 ただの思いつきでできるようなことではない。
 ロワスカーグは太陰と、そしてかの地に存在する『神々の図書館』と繋がりが深い竜だ。太陰の王子という立場と、その傑出した呪術師としての才覚があってはじめて可能になる大技。ヴァージルの奥の手に、パーンは抵抗する術を持たない。
 兎の竜が展開する呪文の数々がパーンの幻肢を絡め取り、遂に地面に叩きつける。瓦礫と化した水晶の森が砕け、煌めく破片の中で呻くパーン。

「どうかな、僕の友達は。とっても強いでしょう?」

 仰向けに倒れているパーンの真上まで移動したヴァージルはそう言ってゆっくりと下降する。浮遊する少年に追随する異形の使い魔たち。パーンは血を吐きながらヴァージルを睨み付けた。

「は。虐殺した相手を亡霊として隷属させておいて『友達』か」

 苦し紛れの呟きにも、少年はにこやかに応じた。

「パーンさんがそれ言う? 山賊と巨人退治の大英傑、辺境の猛将――なんて格好いい美談っぽく伝えられてるからって、自分だけ綺麗なつもり?」

 山賊とは体制側に従わないまつろわぬ民、反政府勢力を指すこともある。
 多数派種族や民族が少数派を迫害、弾圧して辺境に追放すると、自然と山や森で生活する者たちが生まれる。
 彼らは多数派と違う秩序に守られた『異獣』。
 つまり賊として生きることになる。
 零落した神格である巨人もまた同じだ。勝利者である紀元神群――槍神教を中心とした神話から零れ落ち、邪神と見なされた敗北者たち。

「どうせパーンさん、巻き添えとか気にせず戦ったんでしょ? 女性や子供、老人や傷病者――非戦闘員をどれだけ殺したの?」

 挑発的な問いに、パーンは無感情に答えた。

「俺は地面を踏んで進むことなど無いが――お前、道を蟻の列が塞いでいたからと言ってわざわざその場所を避けて歩くのか?」

「歩かないよ。だって気持ち悪いし。ま、言わんとする所はわかったよ。パーンさんらしいね。王の器なんかじゃない」

 ロワスカーグが呪文の帯でパーンを拘束し、ラクルラールの融血呪が細い髪の毛となって広がり、サイザクタートが地面に奔らせる境界線が逃げ場を塞いでいく。
 亡霊たちが踊るこの空間はヴァージルの王国だ。
 もはやパーンには勝ちの目は無いように思われた。
 少年は掌をパーンの額に翳すと、何事か小さく呪文を唱えた。
 するとロワスカーグが長い耳でパーンの全身を覆い隠してしまう。

「ちょうど現世での肉体が壊れちゃって困ってた所だし――ねえ。僕、パーンさんの身体が欲しいなあ」

 言い終わるより早く、竜の耳の中で絶叫が響き渡る。
 骨を、肉を出鱈目に粉砕して圧縮していくような凄まじい異音。
 瞳に嗜虐の火を灯して、ヴァージルが語る。

「ラクルラールの六番目は上手くやったよね。アルトおじさんとルバーブさんのお人形を両方取り込んで2人分の王権を取り込んだのは素直に凄いよ。『アルトおばさん』はなかなかの強敵だ。対抗するためには僕も同数以上の王権を手にしないといけない――そこで提案。パーンさんとオルヴァさんの力があれば単純に数で上回れるよね? 協力してくれるとうれしいな」

 ヴァージルの姿がぶれる。
 磁力によって引き合うように、アストラル体のヴァージルにゆっくりと実体のヴァージルが近付いてくる。氷の檻に寄りかかって防御を固めていた実体が、ここにきて参戦しようとしていた。
 心身が重なり合うと同時、閃光が迸る。
 一瞬のうちにその姿はカシュラム風の白いローブを身に纏った少年に変化していた。両目を布で覆い隠していることが、かえって強大な邪視を持つことを予感させている。少年は目隠しに手をやると、ゆっくりと外した。


「時の三相のうち『過去』を司る少年時代のオルヴァ・ノーグ・スマダルツォン。似たものは同じ――僕こそがカシュラムの王となるべき王子なんだ」

 露わになったその瞳。
 兎の王子のように赤く、終端の賢者のように十字に煌めいていた。
 ヴァージルの姿がぶれる。断続的に出現する別人の姿。
 今の狂王子は幼き日のオルヴァであり、ヴァージルでもある。

「パーンさん。あなたは羊水の泉に浸かって赤子に戻っていく。若返りの呪いは冥道への誘い。母胎への回帰。僕たちはみな、母の愛を求めている――」

 ロワスカーグの耳が解け、その内側から一回り小さくなった誰かが現れる。
 それは幼くなったパーン・ガレニス・クロウサーだった。
 骨格レベルで縮んだ体躯、赤い頬、生意気そうな目、失われていても強い波動を放射する幻肢の両腕。サイズの合っていない服はだぼだぼで、元から地に足を着けていないこともあって足の裾はだらしなく垂れ下がっている。

 どこからかそれを見ていた蝶翅の水使いが鼻血を吹きながら、

「か、神! 最高にヤバ過ぎる幼術だし! ヴァージル様一生ついてきます!!」

 と妄言を吐いたが無視された。セージは震えながらパーンを念写。屈辱に震える少年は殺意を込めてヴァージルを睨み付けた。今や背丈は逆転している。自分より小さくなったパーンの頭を強く押さえつけ、ヴァージルは高圧的に振る舞う。

「それだけ弱体化すればもうラクルラールの支配にも抗えないでしょう? さあ、存在を明け渡して? 君は僕。僕は君――」

 青い呪いが、じわじわとパーンの小さな身体を飲み込んでいく。
 声変わりする前の幼い悲鳴が城内に響き渡った。



 男根城に悲鳴が響く。
 それは六王同士の激闘の結果であったり、地獄からやってきた巨人に追い回される中傷者(ファルファレロ)の必死な叫びであったり、あるいは地上の元修道騎士に蹂躙される海の英雄であったりした。

 イアテムは吼える。
 血を吐きながら、怨嗟を叫びながら、大量の炎と氷、稲妻と礫に襲われながらも必死に水流の剣を振るって巨人に立ち向かう。増殖する自己を延々と複製して挑み、その度に叩き潰されていく。

 圧倒的な力でイアテムの群を薙ぎ倒していく『大入道(マイカール)』は口から涎を垂らし、網膜に映し出されたアルマの映像を見、骨伝導で響くトリシューラの声を聴きながら戦っていた。彼の身体はここにありながらも心は彼方にある。

 虐殺者マイカール・チャーラムが望むのは罪の贖いだ。
 ティリビナの民、海の民をはじめとする異獣を討伐した英雄――その欺瞞に堪えられなくなった彼は、悪として裁かれ、責められることに救いを見出した。

「でも世界を読み替えて前に進むのは呪文や邪視の領分だ。杖の理とは違う」

 トリシューラは言う。では杖の贖いとは何か。

「それはね、マイカール。価値の零落と罪科の計量だよ。アキラくん(マイカール)――損失を補償しよう。お金で、現物で、役務で、呪術で、代替となる価値を創出するんだ。いい? 虐殺に対する模範解答はね、補償しかないんだよ」

 声が届いているのはマイカールにだけではない。
 トリシューラの音声はイアテムにも聞こえていた。
 機械的な声が男根城に響く。

「私なら、あなたの失われたものを補填してあげられる――私は、ウィッチドクターだから。あなたが一番に欲している失われたものをあげられる」

 その言葉に、イアテムは過剰なまでの反応を示した。

「女風情が、この俺に誇りを恵んでやると!? 思い上がるな魔女め!」

 強張った表情と震える声は何かに怯えるようでもあり、トリシューラの声はこころなしか柔らかくなっていく。

「精神的な苦痛に対しての補償もするよ。脳波の計測から始めて、ノルアドレナリンの時間当たりの平均分泌量を概算。当時から現在までに貴方の脳が被ったストレス値と、それによってもたらされた肉体への負荷をシミュレーションするよ。
個人差や環境、文化的社会的な損害もあるから諸々それも含めて、ガロアンディアン法が定める基準にのっとって補償額を算定します。そうしたらアルセミットに対して裁判を起こして賠償請求をしようか。大丈夫、ティリビナの民に対するスタンスが変化してきている今なら――今だからこそやる価値があることだよ」

 トリシューラの理屈で言えば、槍神教、あるいはアルセミットが補償をするのが筋ではある。しかし地上を支配しているに等しい勢力が虐殺の事実などを認めるかどうかは極めて怪しいところだ。にもかかわらず、トリシューラはさも自信ありげにイアテムに提案を続けていく。

 現在、地上にはティリビナ人特区が出来ている。アルセミットの世論は彼らを受け入れる方向に進んでおり、過去の蛮行を再度検討しようという動きが広がっていた。であれば、共存する前にすべきこととして責任の追及と謝罪、そしてティリビナ人や海の民への戦後補償を行うのが自然な流れと言える。

「聖絶は槍神の法には反していないけれど、もっと古い国際社会の法では当然アウトなわけ。だからこの案件では『塔』の魔女たちが被害者と『国家』――教会じゃないのがポイントね――の間に立って調停を行う予定なの。金銭以外の困難――居住、就業差別に対する補償や待遇改善について、ひとつの最適解となる環境を用意できるのがガロアンディアンってこともあるから、私たち『杖の座』はこの件では『呪文の座』と協調する――っと、こういう事情はそっちとは関係無いか」

 トリシューラの態度はサイバーカラテの暴走や事故、悪しき利用法による被害者に対しての答えでもあった。
 杖の――ガロアンディアンの機械女王としてのトリシューラのスタンスはこれからずっと『こう』だ。賠償金は国家が定める基準に照らし合わせて価値に換算して支払われる。そして国家にできる償いとはただそれだけしかない。

「私はお金持ち。技術立国ガロアンディアンの補償技術は世界一。そして『塔』の潤沢な資金と権力もフル活用できる。アルセミットから搾り取る準備は万端。やったね、勝訴の垂れ幕を用意しておいていいよ!」

「ふざけるなっ!」

 イアテムの絶叫が大気を震わせ、振り抜かれた水の刃が地面を砕いた。
 憤怒に染まる顔には血管が浮き上がり、今にも破裂しそうなほどに表情の筋肉が強張っている。憎しみが邪視となって具現化し、激流が渦を巻いて荒れ狂う。

「金だと? 我らの誇りを、死を、愚弄するかっ!」

 尊い命の犠牲、無惨に散った魂たちの価値を金銭に換算し、補填する――それは受け取り方によっては侮辱にもなり得る。イアテムにしてみれば、『金をやるから全て忘れろ』とでも言われているように思えたのだろう。

 どこからか聞こえてくるトリシューラの機械音声はしばし逡巡して、どう答えたものかを迷うように間を置いたが――彼女が続く言葉を発するよりも先に、マイカールが動いた。イアテムの放った水流が巨人の拳と激突して豪快な音を立てる。

「我が償いを拒むとはなんたる傲慢か!」

 あまりの言い草に、さしものイアテムも言葉を失った。トリシューラのものと思われる機械音声がノイズとなってかき消える。
 マイカールは憤慨しながらも傷付いたような瞳でイアテムを睨み付けている――『大入道』は、全くの本心からその言葉を発していた。

「我々とて戦いの中で死と痛みを背負った! 心にけっして消えぬ傷を負った者もいるのだぞ! 貴様らは自分たちの誇りさえ守られれば我々の苦痛などどうでも良いと言うのか! 我々とて人間だ。暴力の罪に苛まれ、過去を悔いることもある。せっかくこちらが歩み寄り対話する姿勢を見せたというのに、その態度は何だ? 人の痛みを知らぬ鬼畜外道どもめが!」

 マイカールは被害者の顔をしていた。
 悲しみと痛みに歪む顔、引き裂かれそうな心を抱えながら呆然とするイアテムを殴り、蹴り、嵐の呪術で叩きのめす。

「やはり、所詮は異教徒か。塵も残さず滅ぼす外に道は無し――だが我が償いを果たすまでは生きていて貰う」

 虫を見るような目でイアテムを踏みつけながら言うマイカール。
 機械音声は完全に停止していた。

「決めたぞ。お前たち海の民すべてに報いるため、まずは方々へ散った反乱軍の頭目たちを捕らえる。奴らは賞金首だ。その懸賞金を補償金に充てれば万事が解決、お前たちも共に旅立つことができて言う事はあるまい。安心せよ、この上無く立派な墓標を建ててやる。お前たちの首で贖う補償金でな」

 マイカールの耳にはもはや何も届かない。
 自己完結した巨人の全身が徐々に小さく縮んでいく。
 増殖したイアテムや配下の海の民、『公社』の精鋭たちが包囲して必殺の呪いを撃ち込むが、全く意に介していなかった。マイカールの瞳が濁り、どんどん小さくなっていく体躯は歪に捩れていくばかり。周囲の世界が穢れるように暗く淀んで、殺される度に何事も無かったかのように復活する。
 鼻にちり紙を詰めたセージが呪文でイアテムを援護しながら何かに気付いたように呟いた。

「やっば、あれ堕ちかけてるし。流石に小鬼(ゴブリン)の相手は勘弁」

 巨人の身体が堕落していくと共に凶悪な性質を帯びていく。マイカールの目に映る世界には、罪の償いの為に善き行いをする自分の姿と彼を導く美しいアルマの姿だけが存在していた。

「おのれ、マイカール! 貴様だけはこのイアテムが征服してくれる!」

 マイカールの邪視が強大ならば、床に叩きつけられながらも気炎を上げるイアテムの生命力も無尽蔵だった。どれだけ痛めつけても諦めないイアテムを見るマイカールは不思議そうに首をひねる。

「純粋な疑問がある。どうやってだ? お前は私よりも弱いではないか」

「ほざけ、この男根のイアテム、この程度で屈伏する男ではない! 我こそは屈伏させる益荒男の中の益荒男、猛々しき勇者の中の勇者である!」

 その物言いに、マイカールは失笑でもって応えた。
 ただ仰々しい言動を鼻で笑っただけではない。
 言葉の内容そのものに皮肉げな感情を向けて、イアテムを嘲笑したのだ。

「何がおかしい!」

「いいや? だが、なあおいイアテムよ。お前、今は『男根』のイアテムなどと名乗っているのか? そうかそうか。なるほど?」

 イアテムはそれを聞いてさっと青ざめる。
 マイカールはイアテムの足を掴むと強引に持ち上げた。
 凄まじい怪力に抵抗できず、吊り下げられるイアテム。
 帯から繋がった前垂れがめくれ上がり、足の付け根が露わとなった。
 周囲でそれを見ていたイアテムの配下たちがはっと息を呑んだ。

 マイカールはその部分に視線を向け、そして視た。
 いや。
 厳密に言うならば。
 マイカール・チャーラムは、その目で何も見てはいなかった。
 何も。

「『男根』のイアテム。そうか、立派な二つ名だ! 『男根』!」

「やめろ――」

 恥辱に満ちたイアテムの声は、どこか悲鳴のようにも聞こえた。
 マイカールはイアテムを高々と掲げ、彼の股間を周囲に見せびらかすように振り回す。そして繰り返し繰り返しイアテムの名を呼ぶのだ。二つ名を添えて。

「『男根』のイアテム! 男の中の男、雄々しき勇者、その名は『男根』のイアテム! ははは、立派な名だ。名は立派だ! 立派、立派だよ本当に!」

「やめろ、やめろ――見るな、見るな、見るんじゃない――」

 怒りを底に湛えた声がイアテムから漏れる。
 自分たちの英雄がいいように晒し者にされているのを見せつけられた海の民たちは絶望に満ちた表情で膝を着いていく。心の傷が連鎖するように広がっていった。

「我を見るな、我を蔑むな、我を憐れむな――」

 ぶつぶつと、力無く呟くイアテム。

「我を恐れよ。我が男根は剥き出しの暴力。悪しき敵を討ち滅ぼす抜き身の刃――内面を忖度するな事情を斟酌するな過去の体験を慮って言動に理解を示そうとするなこのイアテムの存在と行動に理由など無い、ただ我こそは絶対なる勇者であり男の中の男なのだそこに異論を挟むことは許されん――」

 その瞳から光が消える。
 周囲の部下たちの中には屈辱と悲しみのあまり涙を流す者さえいた。
 イアテムの敗北によって海の民の心もまた敗北する。
 それは実のところ、過去の再演でもあった。

「見えるぞ、イアテム。己を誇示するのは、見られる事に対する恐怖の裏返しだ。恐怖に打ち震える、その卑小な魂がよく見える。去勢された獣の遠吠え、雌に見向きもされない腑抜けの負け惜しみ、そのようなものは弱さでしかない!」

 言いながらマイカールは炎で槍を形作り、その熱をイアテムの股間に近付けていった。するとイアテムは何か恐ろしい記憶を呼び覚まされたかのように絶叫し、身を捩らせて逃れようとする。勇者の狂乱する姿に、部下たちもまた悲痛な表情で項垂れた。

「しかし頂点が折れれば簡単なものだな、心に信仰無き有象無象どもなど。所詮は蛮族の戦士か。それとも玉無しとは感染するものなのか?」

 イアテムの絶叫は悲鳴なのか怒号なのか判然とせず、マイカールの口調は更に愉悦を帯びて嗜虐の快楽に酔いしれていた。勿論、彼はイアテムに償おうという考えを捨ててはいない。二つの思考は彼の中で違和感無く同居していた。

「そういえば、焼き切ったアレはどうしたのだったか――ああそうだ! 奪うばかりでは哀れと思い、返してやったのだったな? 憐れみと施しもまた信仰の道。いかに戦とはいえ、慈悲の心が必要になることもある。それでイアテム、お前に感想を聞くのを忘れていた。自分のものの味はどうだった?」

 イアテムの叫びは、もはや言語であることを放棄していた。
 マイカールは思い出す。
 楽しさの中で、本当の自分を確信する。
 楽しかったあの頃、愉快だったあの黄金時代。

 相手が人でなく獣であるからどこまでも残酷に振る舞える地上の論理があるように、相手が獣でなく人であるからこそ残酷さが最高の娯楽になる外道の愉悦が存在する。それこそが殺人鬼(シナモリアキラ)の求める命の浪費なのだと、マイカールは狂ったように笑い続けた。



 横目でマイカールの狂態を見つつ、ヴァージルは呟く。

「滑稽な人類(ロマンカインド)生の欲動(リビドー)死の欲動(デストルドー)、その葛藤すら愚かしく救いが無い――醜いね」

 青い呪いによって存在を侵されていくパーンを見下ろして、太陰の王子は使い魔たちの頭を撫でた。

「完成された僕たちのような超越者こそが彼らを正しく統御して導いてあげるべきだとは思わない? そうした方が美しくなるのなら、醜さは消してしまうべきじゃないかな――僕はいい加減、下界の無秩序ぶりにうんざりしているんだ。愛しているからこそ憎らしい。好きだからこそもっと素敵になって欲しい」

 幻滅、失望、落胆。
 『人間』に期待することを止めてしまった、少年の達観がそこにあった。
 それを幼いと言うにはこの場所は醜すぎて、ますますヴァージルは倦んでいく。

「敗れていった人形の国に敬意を表して、これを恋と呼ぼうかな。僕らはいつだって恋い焦がれている。命の煌めきに、死せる世界の美しさに」

 浮遊してパーンの傍を離れるヴァージル。
 彼は壁際に鎖で繋がれている囚人の所に移動した。
 そうして、少年は力なく首を垂れるクレイの拘束を解いた。
 右腕を強引に掴み、赤い眼に呪力を込めて視座を押し付ける。
 命じた。

「これは剣。王国の剣」

 途端、ヴァージルの手に握られているものが剣になった。
 腕の尺骨を強引に刃に仕立て上げたような、歪な骨の剣だ。
 クレイという男は最初からいなかったかのように――否、奇妙な骨の剣こそ彼の真の姿であったかのように、刃はヴァージルの手に収まっていた。

 死人の森の女王ルウテトが生み出した再生者の王子――その本質の一端を引き出して、骨剣そのものとして振るう。切っ先が呪力を帯びて『死人の森』の権威を示した。天に揺れる幻影の巨剣と呼応するかのように骨剣が震えた。
 ダモクレスの剣は、王に相応しからぬ者がどちらであるのかを見定めるかのように揺れる。振り子の刃が次第にパーンの方を向き始めていた。

 幼くなったパーンは、青い髪に絡め取られながらも必死に足掻いていた。
 幻影の腕を伸ばす。
 囚われの姫君、閉ざされた氷の檻の向こうへ。
 求めるものはひとつ。

「俺は、俺だ――! この俺の存在を、誰かの好きにはさせん!」

 侵食するラクルラールの融血呪。
 青い猛毒に飲み込まれつつある幼い掌が伸びて、やがて呪いに飲み込まれた。
 氷には届かず、叫びは消えていく。
 その光景を見届けて、ヴァージルは満足げに微笑んだ。

 ――氷塊に、僅かな亀裂が入ったことにも気付かずに。





 夜の民の氏族が一、幻姿霊(スペクター)を『鏡の民』と呼ぶことがある。あるいは影の民と対比して『光の民』――対照的に思える二つの言葉は、実際には同じものを指し示しているに過ぎないのだが、古い言葉は『それ』を切り分けた。映された鏡像と現世の実像、二つの世界さながらに。

 遙けき神々の天空『エルネ=クローザンド』より分かたれた始まりの眷族種と、原初の深淵『スキリシア=エフェク』から生み出された夜の民とが混ざり合って生まれたと言い伝えられている幻姿霊は、スキリシアの四氏族の中にあってとりわけ掴み所が無い。

 森の深きに潜む人狼(ウェアウルフ)、呪詛と瘴気の闇に運ばれる吸血鬼(ヴァンパイア)、幻想の影を飛翔する青い鳥(ペリュトン)
 『大いなる自然への恐れ』、病や災い、不吉や黒い噂といった『悪い空気』、そして夜という『未知なるものへの畏敬』。
 夜の民たちが『人の幻想から掬い取った像』はありふれたものだが、それゆえに分かりやすい。

 だが、幻姿霊は曖昧な光の像だ。
 大気中に一定の濃度で散布された微粒子によって摸倣を行う点はいかにもな夜の民だが、その幻想の来歴は複数の伝承が混ざり合い、この種族がどのような性質を持っているのかを分かりづらくしている。

 時に、彼らは山を見下ろすほどの身の丈を持った巨人であるとされた。
 時に、彼らは海の彼方に見える妖しき炎であるとされた。
 時に、彼らは稲妻を撒き散らす恐るべき球体であるとされた。
 時に、彼らは誰かとそっくりなもう一人の自分であるとされた。

 そして最も古い伝承では、彼らは水面や磨かれた鏡面に映る『人真似をする異界の住人たち』であるとされた。
 『社会不安を招く』として地上で排斥される最も大きな原因となったこの伝承ゆえに、幻姿霊たちは古くから鏡から出現する暗殺者として時の権力者たちに恐れられてきた。『鏡を遠ざける』という古代ジャッフハリムの言い回しは、暗殺の危険を回避しようとする貴人たちの行動から生まれた。

 最古の鏡は水面だ。
 ゆえに、水に満ちた城砦の呪的警備を潜り抜けるのは彼――あるいは彼女――にとって容易いことであった。

 男根城ファルスの一室。何かの儀式場なのか、幾つもの窪みに水が満たされた用途不明の空間。風もないのに水面が揺らぎ、その中からするりと黒衣が抜け出してきた。衣が水に濡れた様子は無い。当然だろう、その影は水の中ではなく水面という鏡面から出てきたのだ。

 鏡の世界を行き来する光の種族。
 幻姿霊ミシャルヒは、そうして第五階層の中心に辿り着いた。



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