挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

149/177

4-35 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ2



 幼い頃の記憶はいつだって美しく、抱いた夢は宝石のように煌めいている。
 素敵なものは、きっと思い出と期待のどこかにあるのだろう。

 庭園に涼やかな風が訪れると、さっそく客人の足音を聞きつけた太陽が木々の隙間から顔を出した。青々とした葉が喜びに揺れ、宮廷の柱廊に差し込む日差したちもまた浮かれ始める。いつもはひっそりとおとなしい影たちだってつられて踊りだす。それはうららかな春のこと。もしかしたら夏のこと。ひょっとしたら秋かもしれず、ことによっては冬かもしれない。
 一つだけ確かなことは、それが輝かしい時代だったということ。

 厚みの無い影の絨毯が揺れ動く。
 その上を不思議な足取りで飛び跳ねていく小さな姿があった。
 踏める場所と踏めない場所を見極めて軽やかに進むのは年端もいかない少年だ。
 子供には光と影の秩序が理解できていた。
 大人に言われずとも、彼らは自らで定めた法を順守しようとする。
 少年は無邪気に笑い、思い切りさわやかな空気を吸い込んだ。
 象牙の柱が立ち並ぶそこは鳥たちの歌声がとてもよく響く特等席で、少年のお気に入りの場所だった。駆け回るのに不自由は無いとはいえ、彼にとって音は何よりも確かなものだったから。
 まだあどけない年頃の少年は、その両目を布で覆い隠していた。
 きつくきつく、決してとれないように。

 ――お前はあまりに何もかもが見えすぎてしまうのね。いいこと? 大人になるまでは、決してその覆いをとってはいけませんよ。

 少年は大人たち、とくに母の言いつけを良く守った。
 いったい何の意味があるのだろうと疑問に思いながら。
 もちろん彼は、光が像を結ばない世界の中であっても色々なものが見えていた。
 光と影の秩序は木々の葉が揺れる音で手に取るようにわかったし、自分がどこに足を置けばいいのかも最初から最後まできちんと知っていた。どうすれば転ぶのか、どうすれば思った通りに跳べるのか。
 過去も、未来も。
 生まれ消えていく、己が生の全てを。

 世界は美しいと少年は思う。
 こんなにも素晴らしいものたちがやがて貪り喰われてしまうという事実にはひどい悲しみを覚える。そのことを思うだけで胸が張り裂けそうになり、あどけない少年の頬をひとりでに涙が零れ落ちていく。
 けれど、ああ、それでも。
 滅び行くさだめの美しさ。
 砕けていく、燃えていく、灰となり虚無の彼方へと消えていく、そのあまりに残酷な光景に、言いようのない感動を覚える自分もまた存在したのだ。
 少年は廃墟が好きだった。墓が好きだった。戦場跡が好きだった。遺跡が好きだった。ミイラが好きだった。焼跡が好きだった。滅びを想起させるものが好きで好きでたまらなかった。その先に――。

「ああ」

 少年はその名を知らない。大人たちが隠していたから。
 母は恐れた。「早すぎる」と。彼はこの世で最も恐るべき真理に誰よりも早く到達してしまうだろう。
 しかし、そんな配慮は無意味だった。
 少年は既にして誰よりも、

「――おわりのはじっこが、たべられちゃってるよ?」

 カシュラム人であったのだから。
 彼が生まれる、ずっと前から。
 それはオルヴァという名に刻まれたさだめであったのだ。



 破滅の連鎖は終わりを見失っていた。
 血が流れ、絶叫が響き、憎しみが広がっていく。
 この混乱をどうにか出来る者が、果たして第五階層に残っているのだろうか。
 不安と緊張、混乱と恐怖。
 揺らぐ感情が救いを求め、希望を探した。
 そして人々は英雄の訪れを期待しはじめる。

 かつてこの第五階層を脅かしたキロン、そしてグレンデルヒ。
 人々は思い出す。それらを撃退した男がいたはずだと。
 苦境に陥った者たちは一縷の望みに縋るようにしてその名を呼んだ。
 悪魔を呼び出す呪文を唱えるように、神に祈りを捧げるように。
 それに答える声があった。

「待たせたな。後は任せろ。俺が本当のサイバーカラテを教えてやる」

 たなびく真紅の鉢巻き、白い道着、不似合いな黒いマント。
 真っ白な仮面をつけた男は自らをシナモリアキラと名乗り、同じくシナモリアキラを名乗る暴漢に襲いかかった。そして今日も始まるシナモリアキラ同士の戦い。
 広くもない居酒屋兼定食屋の一階が、たちまち罵声で埋め尽くされる。

「ふざけんな」「待ってねえし呼んでもいねえよ」「死ねクソ狂犬が」「道場だけでいいっつってんだろ」「師範アピールやめろうぜえ」「何が本当だ、サイバーカラテに本当があってたまるかこのにわかが」

 非難の声が吹き荒れ、ものが投げつけられていく。
 表で『シナモリアキラお断り』の看板が乱闘のあおりを受けて倒れた。
 マント姿の男は快活に笑いながら平然としている。

「安心しろ、お前たちの希望など聞いていない。俺は勝手に英雄的行動を行い、勝手に満足を得るだけだ。ヒーローは周囲を顧みない。サイバーカラテマンの正義は『殴って良さそうなものを気持ちよく鉄拳制裁』だ! ヒーローに文句を言う恩知らず連中も含む!」

 独善的なルールを主張しつつ、ひたすらに暴力を振るい続ける仮面のシナモリアキラ。双掌を上下に構えたブレイスヴァカラテの崩拳が放たれていく。
 一見して細身に見えるが、仮面の男の身体能力は極めて高い。
 無貌の民――吸血鬼の末裔ともカシュラム人とも言われる隠遁者たち。
 表社会に姿を現すことは稀である。そんな男が、何故このような真似を。
 餌食となった人々はそのような疑問を抱きながら昏倒していく。
 しかし第五階層の住人とて負けてはいない。サイバーカラテユーザーたちは男の動きを分析、連携しながら反撃を試みる。ついに一撃が男の仮面に命中、砕けた破片が地面に落ちた。
 しかし――。

「ヒーローの正体は、トップシークレットだ!」

 その顔が、捉えられない。
 見えているはずなのに認識ができない。
 何らかの呪術がはたらいているのか、その男の正体は一切が不明だった。

 ――対象の分析に失敗。脅威度は不明、暫定で中程度に設定。現在ランキング八位。対象識別コード『(ぬえ)』の追跡調査を継続する。

 また、別のある区画では。

「死ね、死ね死ね死ね死ね死ねゴミのように無価値に死ね」

 巨躯の男が長大な槍を振るうと、『下』出身の者たちが次々と引き裂かれて無残な屍を晒す。屍は男が唱えた祈祷の文言により即座に炎上、灰となって再生者になる余地すら残さない。反撃の呪詛に無言で抵抗し、睨み返す視線のみで相手を吹き飛ばす。殺し慣れた手つき。表情は変わらず、しかし瞳に熱狂が燃える。聖別された槍は燐光を纏い炎を、風を、そして雨と霰をまき散らす。

「神罰執行。槍神の裁きあれ。悪徳に耽る異獣どもに災いあれ」

 神父だった。豊かな髪と髭は雲を思わせ、纏う祭服は清浄な白。
 血まみれの槍は信仰の証。両腕は神働装甲の聖銀に鎧われており、刻まれた呪文が左腕に炎、右腕に冷気を纏わせる。浮遊しながら移動するその両足は曖昧に融けてひとつになり、まるで雲の上に乗っているかのようだった。

「我こそはシナモリアキラ。神の意思に従い、呪われし邪悪どもを駆除すべく使わされた神のしもべ」 

 男が天を仰ぐと、いつの間にか頭上に出現していた暗雲から雨が降り注ぐ。
 ただの雨ではない。人々の絶叫が断末魔に変わる。
 それは大小の石。礫の雨は次々と人の群れを打ち、容赦なく続く自由落下の打撃は神罰の対象となった者に凄まじい苦痛を与えながら命を奪っていく。

「異端と異教徒は死ね。神の教えに背く咎人、進化論を唱える愚者、堕胎肯定の不埒者、摂理を否定する異常性欲者、唾棄すべき数秘悪魔オッキュテスバの信奉者ども、ことごとく死すべし」 

 神父は神への信仰に酔いしれながら殺戮を繰り返す。
 礫の雨が巨躯をすり抜けて大地を穿つ。
 大気中の微細な水分や氷片によって構成された肉体。
 空の民の邪視者が到達する一つの極致。
 雲の巨人ネフィリムが朗々と声を響かせた。

「今参ります、総団長殿! 我らが麗しの炎天使よ、松明のピュクティエトに愛されし聖絶の乙女よ! 遠きあの日のように、異端どもを浄化しましょうぞ!」

 ――百科事典検索。二件の該当有り。脅威度は極めて大。現在ランキング二位。対象識別コード『大入道おおにゅうどう』の追跡調査を継続する。

 恐るべき大量殺戮の裏では、ささやかな死が進行していた。
 薄暗い路地裏に転がる探索者の遺体。
 筋骨隆々の巨漢だが、首を正確に一刺しされて絶命している。
 凶手を睨み付け、探索者の片割れは槍を捨てて短刀を構えた。槍を振り回すには路地裏は狭い。だが、同じ得物で相対するには目の前の男は危険に過ぎた。

「シナモリアキラで~っす。カジュアル殺人鬼やってまーす」

 レザー系の服装、音を鳴らすシルバーアクセサリ、耳の上下と唇の端、眉尻と頬にいくつものピアス、短めの髭に金と黒に染め上げられた頭髪、そして禍々しい装飾に彩られた巨大なナイフ。

「シナモリアキラっつーか、その劣化コピー的な? オリジナルちゃんマジリスペクトしてるわけよ。ま、コピーはコピーで真似することで学ぶっつーか、自分を成長させたい系? やっべ、俺すげー真面目じゃね? 意識たっけー!」

 軽薄に笑いながら無造作に踏み込み、素人丸出しの所作でナイフを振り回す。『道場』の指導を順守する気が無い、そして示される選択肢に振り回されている。我を通し過ぎてサイバーカラテの運用が中途半端。同じくユーザーであった探索者は男の欠点が山ほど見えていた。
 だというのに。

「いえーい、ポイントゲット~」

 禍々しい刃が意識と呼吸の間隙に正確に潜り込む。
 反応すら許さない一刺しがいつの間にか探索者の胸を貫いていた。
 横向きに押し込んだ刃に力を込めて、殺人鬼が死にかけの相手を蹴り飛ばす。

 ――出入国記録検索。該当有り。眷属種第九位、鉄願の民と断定。脅威度は小。現在ランキング九位。対象識別コード『鎌鼬(かまいたち)』の追跡調査を継続する。

「さーって、オリジナルちゃんはどこにいるのかな~っと。はやく会って殺してぇ~、つか、俺以外に殺らせるとかありえねーっしょ。どいつもこいつもオリジナルちゃんへのリスペクトが足りてねえっての。もっとさくさくっと楽しく気軽にぶっ殺してけよ。殺しもバトルもエンタメなんだからよ」

「聞き捨てならないな。誰のリスペクトが足りてないって?」

 殺人鬼の独白に何者かが答えた。
 ナイフを持った男は目を見開いて背後を振り向く。
 一瞬たりとも気配を感じなかった。仮にも第五階層有数の殺人鬼が、である。
 果たして、路地裏の壁に寄りかかっていたのは、人畜無害そうな痩せぎすの男性だった。大きめの眼鏡だけが個性を主張する。殺人鬼は相手の容姿に明らかな安堵を覚えた様子で、表情に余裕を取り戻す。新たに現れた眼鏡の男はフレームを持ち上げながら言った。

「お前こそサイバーカラテへの尊敬が足りていない。何だ、今の運足は。重心がぶれているし残心ができていない。入門講座からやり直してこい」

「っ――はぁぁ?! マジ意味わかんねえし。てかお前、何様? 家帰って通信カラテ講座でもやってろよオタク」

 侮蔑を隠そうともしない殺人鬼だが、眼鏡の男はそうした態度には一切構わずに好き勝手にしゃべり始めた。そもそも相手を見ていない。彼は眼鏡の内側に映し出されたシナモリアキラのこれまでの戦いの記録動画を視聴しているのだった。

「サイバーカラテの理念、深く感動したよ。俺はシナモリアキラには詳しいんだ。何でも知ってる。だから俺がシナモリアキラだと言っても過言じゃない」

「ごちゃごちゃうるせえよ死ね」

 無造作に、そして意識の隙間に捻じ込むようにして突き出された見事な一撃が標的の胸を貫いた。肋骨を避けて心臓を一突き。そのはずだったが、殺人鬼は手ごたえの無さに顔を顰める。
 幻影だ。視界をジャックされている。『サイバーカラテ道場』のカスタムナビことギャルシューラがセキュリティ警告を発していた。見渡すと、殺人鬼の周囲を無数の眼鏡男性が包囲していた。その肩の上に悪役メイクの小さな妖精。ワルシューラがけらけらと笑う。しかも邪悪な妖精は一体だけではなかった。シスターズとでも呼ぶべき総勢十二の妖精姉妹たちを従えて、男が口を開く。

「歴史の節目に現れ、時代を動かし、英雄や偉人たちが操ったと言われている異界武術。俺は先日のグレンデルヒ事変が起きる前からこの武術について調べていた。当然六王についても。例えば新史歴1807年に発生した集団乱闘事件。あれにはサイバーカラテの影響が散見される。1976年の海の民蜂起もシナモリアキラの仕業だし、1999年の異界衝突や隕石の落下もシナモリアキラの仕業だ。先日の墓標船も当然そうだ。プラズマもな。異界が関わる変事は全部シナモリアキラがやったんだ」

 聞かれてもいないことを一方的に捲し立てる。根本的に他者との会話に向かず、言葉を並べることでしか自己主張ができない。殺人鬼が容姿から推測して貼ったレッテルは図らずも的確なものだった。
 眼鏡の男を呪文が取り巻いて、実体化したアストラル体が全身を上書きしていく。その背には半透明の翼。霊長類の頭部と重なり合う一回り大きな頭部は鷲のものに見えた。

「雑にサイバーカラテを語るな。お前のような不適切なシナモリアキラを取り締まるのが俺の使命――そう、俺はシナモリアキラ警察。第五階層の秩序を守護する、正義の夜警ナハトヴェヒター――全ての暴力は俺が独占・管理する!」

 ――認可自警団『夜警団』の名簿検索・・・・・・顔認識実行。該当一名。眷属種第三位、白樺の民と断定。高レベルの幻翼を確認、脅威度は中。備考:汚染された自律思考体の存在を多数確認。優先的な対処を要する。現在ランキング六位。対象識別コード『天狗(てんぐ)』の追跡調査を継続する。

 二人のシナモリアキラの激闘が幕を上げる中、第五階層の北ブロック、ティリビナ人たちが避難している真竜王国領内で異変が起きていた。
 植樹された木々が次々と切り倒されて轟音が響き渡る。
 そして、異様な声も。

「伐採、伐倒、樹木切断! 【リーエルノーレス】絶好調!」

 頑丈なヘルメット、メッシュ製の顔面保護具、防塵眼鏡、騒音を遮断するイヤーマフ、対刃特殊繊維入りのジャケット、ズボン、ブーツ。腰に伐採用の手斧がぶら下がっている。
 そして唸りを上げるチェーンソー。左腕が丸ごとチェーンソーとなって呪文を纏いながら木々と引き裂き、右腕もまたチェーンソーとなって高周波を撒き散らしながら逃げ惑うティリビナ人を襲う。更に義肢の男の周囲を亡霊のように浮遊する『再生者』。屍化した両腕のみ、おそらくは本人の腕であったものがチェーンソーを保持して自由自在に暴れまわる。血行不良の為か生身の両腕は白蝋のようなありさまだったが、その動きは信じがたいほどに素早い。

 男にティリビナ人たちが反撃を加え、警護を担当する人形の兵士が稲妻と炎を纏いながら飛び掛かる。更に地中に潜んでいた人形が伐採者の両足を掴んで動きを止める。致命的な攻撃が襲撃者の全身を貫き、砕き、背骨と首をあらぬ方向に曲げて吹き飛ばした。本体に引きずられていくように飛んでいく浮遊腕。

「ティリビナ人は、皆殺しっ」

 即座に飛び起きる。即死するだけの攻撃が直撃しているというのに歯牙にもかけていない。再び襲い掛かってきた人形たち。だが今度の攻撃は通用しなかった。誰もが瞠目するほどの反応速度で容易く人形を解体、チェーンソーを唸らせる。ティリビナ人たち、特に壮年から老齢の者たちに戦慄が走った。

「まさか、あの『きこり』なのか――? おい、誰か緑竜騎士団を、ハタラドゥール殿をお呼びしろっ! ここは私が食い止める、お前たちは逃げろ!」

 大樹のような男が樵と呼ばれた怪人の前に立ちふさがった。
 精霊に呼びかける亜大陸出身者特有の呪術。
 地面を突き破って現れた蔦植物が蛇のように樵に襲い掛かる。

「伐採ぃぃっ!!」

 理不尽な暴力が全てを伐採し、惨劇は木屑と鮮血に彩られていく。
 樵はその名、その職業名の通りに己が役割を全うするのみ。
 ティリビナ人を生きたまま『伐採』し、労働の喜びに全身を震わせて、調子外れな木挽き歌を鼻で歌い始める。あらゆる条理を無慈悲に駆逐して笑う。
 天から垂れる青い髪の毛すら切り裂いて、支配先をティリビナ人たちの遺骸へと誘導。誰にも制御不能な歩く暴力が第五階層を震撼させていく。

 ――認定請負人名簿を検索・・・・・・該当一名。備考:第五階層黎明期から死人の森に定住していたと見られ、詳細な来歴は不明。番付上の位置は今回の混乱でも変動無し。蠍尾(マラコーダ)牙猪チリアットらとの交戦記録有り。いずれも撃退されており、軽率な接触は避けることを推奨。脅威度は極めて大。現在ランキング三位。対象識別コード『絡新婦(じょろうぐも)』の追跡調査を継続する。

 一方その頃、第五階層東ブロックでは。
 聞こえるのはうめき声。苦痛が奏でる音楽の作曲者はうず高く積み上げられた人体の山、その頂点に腰かけていた。壮年に差し掛かる年代だが、その肉体に漲る活力は溢れんばかりである。

「また、生き残ってしまった」

 くたびれた野戦服。軍人と思しき外見で、顔の大部分を火傷のあとが痛々しく覆っている。両目は色のついたガラス玉で、光を失っていることは明らか。
 だというのに、その男から匂い立つ強者の圧力は隠しようもない。

「足りぬな。ズタークスタークとの決戦で失われたあの屍の山にはまだ到底届いておらぬ。武の頂は遥か天の彼方、か。シナモリアキラの名を借りて上積みしても先は長いようだ」

 独りごちる男の胸に輝く徽章こそ、アルセミット国防軍第二歩兵連隊に所属していたことを示す証だった――過去形。その部隊は大魔将との戦いで壊滅したのだ。

 ――アルセミット国防軍のサーバ侵入を実行・・・・・・失敗。推定種族は鉄願の民。備考:対象の体温と周囲の気温変動から推測される闘気量はパーンに匹敵。脅威度は大。現在ランキング四位。対象識別コード『(おに)』の追跡調査を継続する。

 そんな元軍人を敗残者の山の麓から見上げる者がいた。
 腰巻一つを身に着けただけの、巌の肌を露わにした巨漢。見上げるような体躯も、石を寄せ集めたような顔面も、典型的な岩肌種(トロル)の特徴を備えながらも異相と呼べる域に達していた。落石のような轟きが声となって響く。

「おらはシナモリアキラってもんだ。武のてっぺんさ目指してる」

 単純な動機。拳を握る理由が複雑である必要は何もない。
 むしろ戦いに理由など不要なのだと、相対する両者は理解していた。
 生や死など、力に付随する余分でしかない。

 ――出入国記録検索。該当有り。『下』の認定種、岩肌種と断定。脅威度は小。現在ランキング七位。対象識別コード『塗壁(ぬりかべ)』の追跡調査を継続する。

 ひりつく様な空気が密度を増していき、見下ろす者と見上げる者の視線が火花を散らす。元軍人の男はためらいもなく山から飛び降りると、着地した姿勢のまま膝を曲げ半身になった。岩肌の大男も拳を握り、両手を前にして顔を守るようにして構える。二人の間に余計なやり取りは不要だった。

「いざ」

「尋常に」

 発勁用意、と力強い叫びが轟き、両者が激突した。
 そして、元軍人が宙を舞う。
 更に敗残者の山が、大地が、家屋が、木々が、ありとあらゆる形あるものが砕けて陥没。衝撃波によって一帯が抉り取られて、地形そのものが変化していく。
 岩肌の男は背中から伸ばした不可視の左腕――戦略級マジックミサイルにもたとえられる神の巨腕を振るって第五階層を激震させた。

「もひとつの方も名乗っとくべ。『ラウス=ベフォニス』――跡目は兄貴に譲ったんだげども、おっ死んだっつーんだからなぁ。しかたね。山で修業ばりしてたから、不調法あっかもしんねーけど許してけらいん」

 宙を舞う元軍人は見た。岩肌の背後に聳えたつ巨大な峰を。
 純然たるエネルギーを凝縮させた腕、肩、山を背負った胴体とそれを支える両足、そして岩壁を削りだしたかのような顔。右腕だけが欠落した巨人の威容。軍人であった頃に屈服するしかなかった圧倒的な力。神の雷への畏敬を思い出し、屈強な男が震える。

「――面白い! それでこそ、踏破する甲斐があるというもの!」

 挑戦者となった元軍人の男が獰猛な笑みを浮かべた。
 ちっぽけな身ひとつで、天を衝く巨人に挑む。

 ――『塗壁(ぬりかべ)』の脅威度を『極めて大』に修正。魔将級の戦力と推定、警戒を要する。

 闘争の渦は同時多発的に発生中。『反政府勢力』の存在もあり、比較的平穏を保っている南ブロックでも悲鳴が上がっていた。

「ひぃぃっ、お助けぇっ」

 みすぼらしい服の老人が地面を這って逃げ出そうとする。
 禿げた頭、落ち窪んだ眼窩、皺だらけの容貌、そこに戦意は無くただ恐怖だけが刻まれている。
 その哀れな姿を愉悦に満ちた目で眺めているのは一人の男。義憤に駆られた者たちからの呪い、槍、矢といった攻撃をものともせずに悠然と歩む。

「この吸血帝王シナモリアキラこそ最強にして絶対。きさまら限られた命の家畜どもは私の餌に過ぎないと知れ。私の霧化による絶対回避はあらゆる――がっ」

 言い終わらぬうちに、自称シナモリアキラは一撃の下に灰と化す。
 妖しい光を纏う捻じれた魔槍を振るい、精悍な顔つきの男が不敵な笑みを浮かべた。片腕の丸盾にはニガヨモギの紋章。

「不死者って奴らはどいつもこいつも『自分だけは死なない』って信じてやがる。この俺、シナモリアキラの最大の楽しみは能力にあぐらかいて能力解説してるクソをぶち殺すことだ――無事かい、爺さん」

 襲わそうになっていた老人へと手を差し伸べる。
 粗野ながらも好漢といった振る舞いを見せる青年に、周囲から好意的な視線が向けられる。老人は安心したように男の手を取り、

「あ――?」

 そのまま軽く小指を捻るようにして動きを封じつつ、流れるように青年を抱きしめる。傍目には安堵のあまり縋り付いたようにも見えるだろう。老人の表情は見事に取り繕われていた。『七色表情筋トレーニング』は完璧に機能しており、密着しながら寸勁のみで青年の心臓を破裂させたなどとは誰も予想できまい。老人は遠隔操作で離れた家屋に設置した爆弾を起爆。周囲の注意が逸れた隙に誰にも気付かれずに逃げおおせる。

「レストロオセ派が第五階層に影響力を行使するのを妨害せよ、手段は問わない――ってよぉ、殺し屋に頼んどいてそいつぁお上品過ぎってもんだぜ。まぁ、ジャッフハリムの客らしいけどな」

 物乞いに扮していた老人は退避先の宿の中で独りごちた。
 『ビギ・スタンダール』ブランドの葉巻を咥えてうっとりと目を細める。
 その口から覗くのは鋭い牙。唇が震え、痛みに呻く。
 吸血鬼の中でも煙草を愛する血統に連なる老人は、ひどい偏頭痛持ちだった。彼の血統は例外なくそうだ。吐き出した煙は黒く染まり、黒衣の神へと捧げられていった。煙草は闇夜の神が通ったあとに生える聖なる植物だと信じられている。

「殺しのあとはこれに限る。ったく、頭痛が酷くていけねえや」

 ――情報の取得に失敗。『下』の認定種、吸血鬼と断定。備考:『頭痛(メグリム)』の血統に類似する特徴有り。呪力波形から第二世代から第三世代相当と思われる。脅威度は中。現在ランキング五位。対象識別コード『子泣き爺(こなきじじい)』の追跡調査を継続する。

 映像は次々と移り変わる。
 誰もいなくなった地下闘技場。簡素なリングは戦士たちの夢の跡、天井の照明が音を立てながら明滅している。がらんとした空間は隠れ潜むのにうってつけだ。
 その男は絶え間なく姿かたちを変容させ続けていた。
 潜入工作に特化した性質――変身者。どのような姿になるべきかを吟味しながら、幾つもの頭部を体表面から生やして並列思考、自分自身と対話する。

「アルト・イヴニルと接触する算段がついたぞ」「あちらが我々の援助を受け入れるかどうかだが」「この機を逃す手は無い。既に例の反レストロオセ派工作員も動いていると連絡があった」「第五階層に干渉し、停滞した戦況を変化させることができれば、本国での私たちの地位も――」

 いずれかの勢力の工作員らしき異形の男。
 彼は勢い良く振り下ろされた鉄球によって叩き潰されるが、流体として振る舞う男は打撃で死ぬ事は無い。どろどろに融けていく正体不明の工作員は襲撃者から距離を取って肉体を固定していく。その姿は『マレブランケ』に酷似していた。

「千変万化」「すなわちこれこそが」「シナモリアキラ性というものだよ」

 じゃらり、と襲撃者の腕から音がする。
 ぼろ布を纏った男の手首には手錠と鎖、巨大な鉄球。
 奴隷の如き姿の男は、痩けた頬と虚ろな目でのろのろと動く。

「俺は、何も考えたくない――おお、予言王よ――導きを――嗚呼――ヴァ」

「話にならないな」「最も駄目なシナモリアキラ性を摸倣してどうする」「いや、お前の性質が彼に合致していたのか?」「ならば更に救いようが無い」

 三面六臂の姿となったシナモリアキラが凄絶な呪力を発していく。
 溢れ出すエネルギーの総量は地上で暴れている怪人たちに勝るとも劣らず、しかしその性質は定まらずに常に変化して行く。
 対する奴隷男からは何の力も感じられず、気配、呪力、そして肉体への力みすらもが全くの無だった――そう、虚無そのもの。
 鎖の音がする。虚空から現出した幻の鎖が奴隷の全身を縛り、身動きを封じる。
 奴隷はそれを自慢げに見せびらかして、

「偉大なる予言王はこう仰っている。次に『鉄球は囮であったか』とお前は言うだろう、と」

 何、と警戒に身を固くする三面六臂の男。
 予言王と口にしたこの男は、まさかカシュラムの関係者か。
 未来を予測した? それともはったり? もし今の発言が事実なら、鉄球が囮とはどういう意味だ? あの鉄球とは別の攻撃手段があることを今明かすことに何の意味がある? こちらが未来を知った時点で未来は変わってしまっているのでは?

 一瞬のうちに様々な思考が三つの頭部を駆け巡る。
 その言葉に思考を割り振ってしまった時点で、『囮』に気を取られてしまっているとも気付かずに。
 並列思考によって強固な精神防壁を維持していた男にアストラル界からの強襲。
 僅かに生じた意識の緩み、そこに侵入した精神縛鎖が思考パターンそのものを規定する。致命的な事態に気付いた三面六臂は頭部の一つを分離して危機回避を図るが、そこに襲いかかる横薙ぎの鉄球。固体から流体へと変化して逃れる――いや、ブレイスヴァからは逃げられない!

 鉄球に体内を通過させてしまったのが彼の敗因だった。
 移動する最中、鉄球が開いて内側が露わになる。
 そこには『創造(クラフト)』された極めて精巧なミニチュアの舞台が。
 十二の地位を示す階段と、処刑される直前の王。
 それは祭壇にして贄。再演によって『現象』を呼び起こす呪術儀式。

「そうか、鉄球は――」

 矢すら届かぬほど高く飛ぶ鳥を捕獲することは難しい。
 ならば罠を仕掛け、ここは安全であると誘う為の同類の鳥を置くのが良い。
 すなわち置き鳥――媒鳥(おとり)である。
 それは似たものと似たものは引かれ合うという呪術の摂理。
 始まりに虚無があり、終わりに虚無がある。
 始端と終端は引かれ合い、閉じることで滅びをもたらす。
 鉄球の周囲、空間内の光が歪曲し、時空が捩れて狂う。
 流体の男は既に罠の中。巨大な破滅に呑まれて咀嚼を待つばかり。

「おお、ブレイスヴァの貪りあれ!」

 万物を無に帰す大顎が一切合切を消滅させた。揺らぐ時空がむしゃむしゃと咀嚼を行い、やがて鉄球が吐き出される。生贄となった男は死の直前、確かに「鉄球は囮であったか」と口にしていたのだった。

 ――対象にカシュラム王オルヴァの霊媒適性を確認。本体脅威度は小ながらオルヴァ王が降臨した場合は極めて大。現在ランキング十位。対象識別コード『(くだん)』の追跡調査を継続する。

 スポットライトが舞台を照らす。
 蹲って頭を抱える一人の男。
 嫌々をするように頭を振っている。

「誰も傷つけたくない。傷付きたくもない。生きているのがもう辛いんだ。誰か、お願いだから俺を代わりにやってくれ」

 男は心を痛めていた。
 自分が愛されすぎていることに。
 なんだってできた。あらゆる異性を魅了し、国を傾けてしまうほどに圧倒的に美しかった。恵まれた生まれにより至上の幸福を享受し続けてきた。
 だからこそ苦しい。
 この幸福は誰かの犠牲の上に存在している。
 大量の消費が自らの存在を成立させている。
 だが自分はこの幸福を愛している。
 手放すことなどできない。
 苦しい。幸せだ。苦しくない。辛い。誰か、誰か。 

「いいわよ。やってあげても」

 蹲る男の後ろから身を寄せる女。
 砂茶の髪に侍女の服、頭の髪飾りは人形を動かすぜんまいだった。球体関節の女は可動部の多い指を男の顔に這わせながら、蕩けるような声で語りかける。

「アダム・カドモンは一人でいい。私の『再演(リプレゼント)』がお前の願いを叶え、私はお前の『E-E』となる。それでいいわね。無価値なシナモリアキラ」

「ああ、お願いだ。もう苦しいのは嫌だ。シナモリアキラを、どうか」

 人形は――ミヒトネッセは艶然と笑うと、踵から複数の球体を射出した。
 四つの宝珠――王権を示すレガリア。
 それに衛星の名を付けることは、王に侍る従者として自らを規定することに繋がる。
 誰かに尽くすこと。それが彼女の行動原理。
 『使い魔』の呪いが両者を繋ぎ、包摂と融合、変容が開始された。
 そして。

「さて、と」

 全裸で生まれた男は、しなやかな肢体の調子を確かめながら立ち上がった。
 男性型の球体関節人形。髪色はイエローオーカーで、顔立ちはどことなく女性的な雰囲気がある。周囲を巡る四つの衛星が輝くと光の中から布が現れ、人形を覆っていく。黄色系でまとめた砂漠迷彩の忍装束。マフラーを棚引かせるニンジャとなって、人形は覆面の中で不敵に笑う。

「――どのような流れを経ても、最後に勝つのはシナモリアキラだ」

 ミヒトネッセ=シナモリアキラはそう言ったあとで遠くを見つめるようにうっとりとし始めた。そして早口で非シナモリアキラ的な妄想を捲し立てる。

「そして、最後の一人となった私をトリシューラは『やっぱり私の使い魔はあなただけだよアキラくん――ううん、ミヒトネッセ! 大好き!』って感じで抱きしめてくれるの! そしたら毎日トリシューラのお世話してあげて、たまにお姫様抱っことかされて『可愛いよ』『トリシューラのほうが』とかね――ふふ、この無価値な屑にも一つだけいいところがあるわ。クソザコだから圧倒的に受けな所よ! 安心しなさい、お前の立ち位置は全て私が代わりにこなしてあげるから!」

 ――ミヒトネッセの活動を確認。脅威度、不快度、有害度、死ね度全てにおいて極めて大。現在ランキング十一位。捕捉機会が限られていることから、対象識別コード『九尾(きゅうび)』の追跡調査を不本意ながら継続せざるを得ない。


 かくして無数のシナモリアキラたちの宣名が第五階層に響き渡った。
 英雄性の暴力、信仰の暴力、快感の暴力、制度化された暴力、作業化された暴力、求道としての暴力、道具としての暴力、依存対象としての暴力、性淘汰としての暴力、様々な暴力が序列を巡って競争を生んでいく。
 ランキング十二位として新たに参戦したアストラル体の『火車』が更なる混沌を呼び、第五階層の至る所で戦いが勃発。
 そして、遂にランキングの頂点に立つ男が表舞台に姿を現した。
 外部から第五階層に侵入するや否や、大量のランカーを次々と打倒してランキングを駆け上がった超人。刈り上げられた頭、ごつごつとした肉体、肥大化した筋肉。服がはち切れそうなほどの長身巨躯であり、腕は常人の胴体ほど太い。
 足下に散らばるのは注射針と吸引器とカプセルと粉、その他薬物。

「あー」

 よだれが垂れる。
 男根城ほどの高さはないが、中央市街のビルディングの屋上で、男は己が制覇した大地を眺めていた。自らの足場を確かめているのだ。『俺は確かにこの最強という舞台に立っている』という事実を確認。強く自我を保とうとして――失敗した。

「うー、あう?」

 男の目は虚ろで、焦点が定まっていない。
 とてもではないが、ロウ・カーインに襲撃をかけて勝利したとは思えぬ有様であった。カーインは背後にレオを庇っており、尋常では無い襲撃者の暴れぶりを見てこのままでは主を守れぬと判断、一度挑戦を受けていながら敗走を選んだ。
 そうした事情を鑑みても、カーインに撤退を選ばせるというのはこの第五階層において一つの強さの指標となるのだった。男の強さは見かけ倒しではなく、本物に他ならない。

 だが男の力はサイバーカラテに由来するものではなかった。
 むしろ『制御』に重きを置くサイバーカラテの対極――過負荷によって肉体の力を過度に引き出すバイオカラテに近い。
 遺伝子と生体を強化し、薬物で限界の壁を破壊する。
 その爆発力は凄まじいが、反動もまた大きい。大量の呪詛成分を含んだ薬物の常用で全身の運動機能に支障をきたしているのだろう、男は既に死に体だった。

 と、その時。
 サイバーカラテユーザー最強の座に立つ猛者としての直感か――男は何かに気付いたように振り返った。
 給水塔の上に、何者かがいる。
 男の瞳に理性が、そして闘志が戻っていく。
 戦闘者としての本質が、暴力の気配を肌で感じたことで甦ったのだ。
 果たして、給水塔に立つ者は男に我を取り戻させる程の強者なのか。
 その答えは、すぐに明らかになった。
 男は一瞬だけ驚きに目を見開いたが、

「俺がシナモリアキラだ」

 即座に切り替えて名乗り、さらに続けてこう言った。

「名乗れ、女」

 暴力の化身とでも呼ぶべき男と対照的に、挑戦者は象牙細工のように華奢だった。ほっそりとした腰、折れそうな手足、色の白い肌。闇のような瞳。そして古めかしい人形を連想させる顔立ち。
 形の良い唇が動いて、琴を弾くような豊かな音が響く。

「品森、晶」

 少女だった。
 艶やかな長い黒髪を靡かせ、小柄な体躯を肌に密着した黒いインナーで覆い、その上に花魁のように着崩した着物風のジャケットとショートパンツを着込んでいる。ごつごつとしたブーツは蹴ることを想定して要所を金属で加工した格闘用。
 髪には歯の多い櫛を飾りとして挿しており、着物や帯と揃いの『竜停太夫(ルーティエッタ)』ブランドが古代と異界のミームを混淆、一つの呪力として統合していく。ミスマッチこそ力と叫ぶ、力強い信仰(ファッション)。服装だけでわかる。呪的に安定した立ち姿、それ自体が既に達人の証。

 加えてその両腕。
 黒銀の左腕は『映像で見た本物より僅かに劣る出来』というむしろシナモリアキラらしい義肢であり、右腕が氷ではなく透き通った流水によって構成されているのもどこかずれていてかえってそれらしい。
 そもそも、男装すらせずに堂々とシナモリアキラを名乗ってみせるその精神性が驚嘆に値する。性別などものともしない『何か』が目の前の相手にはある――。
 面白い、と男が笑う。

「往くぞ」

 男に油断は微塵も無い。
 霊薬のカプセルを口に放り込み、全身に活力を付与する。
 激烈な踏み込みから唸りを上げる剛腕、圧倒的な質量と筋力が生み出すエネルギー、そして足裏から伝達されていく練り上げられた勁力の全て。会心の一打は少女の顔面へ向かい、そして清らかなせせらぎを思わせる流麗な動きによって受け流された。神速の反射速度で化かされようとしている勁道を断ち切ると体重に任せて強引に靠――仕掛ける寸前で罠の匂いを嗅ぎ取って素早く身を躱す。

 遅かった。
 せせらぎはいつしか激流と化し、八又に分かれた右腕が大蛇となって襲いかかる。男は歯の奥に仕込んだ霊薬を潰して嚥下、増大する呪力を全て腕に集約させて四方八方から襲い来る死の流れをことごとく弾いていった。攻防が入れ替わり、『攻める側に回らねば死ぬ』という極限状態が男を更なる限界の果てへと導く。

蛟竜(オルガン)――」

 激戦の最中、少女の唇が囁きを巨大な呪力へと変換しようと開かれる。
 それを、

「喝ッ!!!!」

 という気合い一つで解呪(ディスペル)、発生した衝撃破と震脚が屋上に亀裂を走らせて給水塔を粉砕。大量の水が雨となって降り注ぎ、その全てを束ねて手足と操る黒髪の乙女。巨漢の全身から発せられた莫大な量の闘気が迫り来る水流を押しのけていった。

 互いに一歩も退かず、空間を支配する女に対して一瞬を制する男という状況が作り上げられる。膠着した戦況を覆す材料、あと一つが必要だった。
 男が先に仕掛けた。親指に仕込んだ最後の猛毒――命を削って力と変える悪魔の呪薬を首筋から撃ち込む。全身の血管が浮き上がり、男の眼球が真紅に染まる。
 もはや形容不可能な獣の雄叫びを上げ、悪魔と化した戦闘者が駆ける。
 対する女はここにきて左腕を前にして構えた。

「認証コード『アニマ』。起動――ウィッチオーダー・プロト/アゴニスト」

 穏やかな清流の声。だが、秘められた感情は氾濫する河川のように激しい。
 少女もまた、闘争の理を心身に刻み込まれた異形なのだ。
 黒銀の拳と連動して回転する水車、背後に展開された機巧曼荼羅、輪廻の呪力が全ての運動エネルギーを流転させ、迫り来る悪魔の一撃を受け止める。
 ぐるり、と巨大な質量が宙を舞い、翻る黒髪と共に地面に叩きつけられた。
 完璧に受け、十全に投げ飛ばす。言うだけなら容易いが、それがどれほどの難事であることか。女の技量は神懸かっていた。
 頭部から叩き落とされた男は首の骨を折られて絶命している。
 ここに激闘は決着した。
 競い合う暴力は一つの結果を示したのだ。
 未来を勝ち取ろうとする前進、栄光、蹉跌、喜びと残酷。
 その全てを肯定するために、少女は勝利者として立っている。
 アゴニスト――始まりの競技者、原初の闘争者として。
 闘争の爪痕が残る屋上にひとりきりで佇む少女。
 やがて、ここにはもう用はないとばかりに立ち去ろうとする。
 そんな彼女に声がかけられる。

「待って、お姉様!」

 屋上の入り口、壊れかけの扉を必死になって開いたのは、年端もいかない少女だった。黒髪の乙女よりもさらに小さく、切なげな視線を戦場の花に向けている。

「行っちゃうの――?」

 二人が出会ったのはつい一昨日のことだ。
 少女は回想する。暴漢に襲われかけていた所を助けられ、成り行きで行動を共にすることになった。恐るべき強さの中に危うげな不安定さを同居させている庇護者のことが、なんだか放っておけなくて。
 けれど別離は出会いと同じくらいに唐突で、必然だった。

「わたし、人殺しよ」

 初めて会ったときと同じような口調。平坦なようで、少しだけ自嘲するような。
 人殺し――その恐ろしさを、ちゃんと理解できていたとは思わない。
 それを口にする彼女は、きっと戦いを好みながらも忌避しているのだと思った。
 微かな罪悪感を纏った彼女はどうしようもなく美しくて――育ちの良い手も、内省的な言葉も、苦しげな独白も、自嘲と厭世に満ちた露悪も、まとめて包み込んであげたいと、そう思うのだ。

「一緒に行かせて下さい。あなたの力になりたい」

 それを聞くと、彼女は少しだけおかしそうに笑った。
 長い睫毛の下で優しい瞳が潤んでいる。せせらぎの右手が頬を撫でた。不思議と濡れることは一度も無かった。気持ちの良い冷たさだけが思い出として残る。

「ありがとう。でもやっぱり駄目。わたしといるなら、泳ぎが上手くないと」

 行き場の無かった難民の少女に道を示すと、義肢の女は黒髪を靡かせて屋上から飛び降りる。長い髪は翼のように広がり、足下に広がった水の大蛇が少女を次の戦場へと運んで行く。その目には既に感傷など無く、闘争の熱で満たされている。
 そうしなければならない運命に、少女は静かに激昂していた。
 制御された感情を水面下に押し込めて、少女は優雅に空を泳ぐ。
 そして、ぽつりとひとりごちた。

「わたしにーさま、探さないと」

 ――対象の到着を確認。起源相似率99.9999%まで一致。脅威度は皆無。現在ランキング一位。対象識別コード『大蛇(おろち)』の来訪を歓迎する。待ってたよ、私のプロトタイプ・アキラ姫。



+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ