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幻想再帰のアリュージョニスト 作者:最近

第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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4-23 欲望の在処


 【死人の森】が瓦解したことで、建国を目指す勢力が六つも台頭し、女王――すなわち王権を奪い合うという戦いが勃発した。

「やらせるものか」

 それに対抗すべく立ち上がったのは、女王ブウテトの腹心であるクレイ。
 イアテムの呪詛を受けながらもどうにか理性を保ち、手刀に呪力を宿らせて叛逆した六王たちに挑んでいく。風のように走り、コルセスカに歯の浮くような口説き文句を囁いているマラードに斬りかかった。

 マラードは大地を使役して地震を発生させようとするが、何故か大地は停止したまま。いつの間にか足下にはびっしりと霜が張り付き、次の瞬間凍結する。
 コルセスカの氷の右目が妖しい光を放っていた。

「はいはい凍れ凍れ。ちょっと落ち着いていただけますか。混乱し過ぎです」

「手緩い」

 クレイは止まらなかった。手刀を庁舎の壁に突き立てると、腕の力と身体のばねを使って跳躍、細かな壁の窪みや窓枠などを足場に壁を走る。そのまま壁を駆け抜けて、動けない状態のマラードに手刀を振り下ろした。
 硬質な音。鋭い棘とクレイの手刀が激突し、拮抗していた。

「ご無事ですか、我が王」

 ルバーブの声。だが姿は異形に変貌していた。
 身体を丸め、頭部や背中を中心とした皮膚からごわごわとした体毛を伸ばし、鋭角に硬質化させて棘にしたのだ。

 それは体毛を硬質化させた鎧にして槍。
 普通の人間の片腕ほどの長さはある鋭い棘。
 彼ら大地の民が、棘の民あるいは針モグラと呼ばれる所以であった。

「死ね、死ね、六王どもは全て死ねっ」

 地の底で煮えたぎる溶岩の如き憎悪が手刀に凝縮され、棘の接触部分がじわじわと切断されていく。このままでは押し切られると判断したルバーブは素早く身を低くして回避し、そのまま転がってマラードを抱える。

「ご無礼をお許し下さい」

 そのまま、主を抱えてクレイから引き剥がしていった。
 交戦していたルバーブがいなくなったことで動けるようになった俺はコルセスカの下に駆け寄る。敵意を振りまくクレイからの攻撃があるかと身構えたが、彼は触れれば切れそうな視線をこちらに向けると一言、

「協力しろ」

 とだけ言ってきた。
 相変わらず敵意や憎悪は感じるのだが、実際に敵対するつもりはないらしい。

「いいのか」

「俺が守るべき主は冬の魔女ではない。だが彼女が六王に拐かされれば陛下までもが魂を支配される恐れがある。不本意だが、ここは貴様と協力して冬の魔女を守る他に道は無い」

 六王は女王の弱体化をいいことに王権を簒奪――つまりブウテト=コルセスカを強引に妻にして【死人の森】を掌中に収めようとしている。
 誰かの下で大人しくしていられるような連中ではなかったということだが、クレイにはそうした野心は無く、純粋にブウテトに忠誠を誓っているようだ。

「というかですね。そもそもクレイは正統な王権を――」

「【死人の森ヒュールサス】の王は偉大なる地母神のみ。その原則を崩すわけにはいかない。俺は一振りの剣でしかない」

 コルセスカが何かを言いかけたが、クレイが強引にそれを遮る。
 あくまで一家臣でいようとするその在り方は、どこかマラードに対するルバーブの忠節を思わせた。
 騎士道などというものがあれば、それを体現して物語を紡ぐのはこうした男なのだろうと思う。

「クレイ、アルトとカーティスにはまだ仕掛けなくていい。少なくとも今はトリシューラの味方をしてくれている」

「手緩いと言っている。六王の増長はもはや捨て置けん、全員斬り捨てる」

 いきなり意見が合わない。
 制止の声も聞かずに動き出したクレイはまるで暴走する馬だ。
 頭頂部で揺れる黒い髪房を掴むと、がくんっと顎を仰け反らせて止まる。
 クレイは俺よりやや上、カーインより下の背丈だが、このポニーテールのお陰で髪を掴みやすい。便利だ。

「くっ、この、シナモリアキラッ! やはり貴様から殺す!」

「落ち着け突撃馬鹿。勝算も無いのに挑むな。とりあえず一番やばそうなヴァージルか一番ぐいぐい来てるマラードからどうにかするぞ」

 なんか自分より熱くなっている奴がいるせいで落ち着いてきた。
 コルセスカが表に出てきてくれたので、感情の熱が効率良く吸収されているというのもある。その代わりコルセスカは俺の感情を吸い取っているせいで「――どうしましょう、私、かわいいっ」と興奮してしまっているが、自己を肯定するのは邪視者的にはいいことのはずだ。何も問題は無い。

 ぐぬぬ、と親の仇を見るような目付きで睨まれるが無視。
 六王たちの動きを把握して、トリシューラと連携しつつこの状況をどうにかしなければ――そう思ったが、なにやら周囲の様子がおかしい。
 いつの間にか、その場の中心が切り替わっていた。
 視線が一箇所に集まっている。

「やはり見事だな。流石だよクレイ」

 マラードが笑った。愛情に満ちあふれた視線が向かう先は、コルセスカではなくその前に立つクレイだった。
 愛情の質が少し違う。そして、俺は気付いてしまった。
 他の六王もまた、クレイを同様の視線で見ていることに。

「その艶やかな髪は大地の民の証。美しい容貌は俺とセレス譲り。更にはルバーブの背中を見て育ったがゆえに素晴らしい忠義。クレイ・ディルトーワ・アム=ドーレスタ・エフ=ラフディ・ヒュールサスよ、お前はまさに俺とセレスの愛を証明する存在だ。どうかその調子で俺たちの絆を守ってくれ」

「黙れっ」

 自分の喉を引き裂こうとするかのような破滅的な悲鳴。
 クレイは、マラードの言葉を否定するように首を振るが、その度に揺れる髪房は確かに見事だった。ぬばたまのように黒い髪は男女問わず溜息を吐かずにはいられないほどの美しさだ。

「いいや、確かに俺がお前の父親だ。俺は彼女が大人になるまで待つと約束した――女神の誓約は絶対遵守。だが、模した人形を愛することまでは妨げる事ができない。結果としてセレスはお前を処女懐胎したのだよ」

 類感呪術――人形と交わることで、人形と関連した人物を妊娠させたとマラードは言っていた。妄想の類に聞こえるが、果たしてそれは事実なのか。
 コルセスカは指を頬に当てて「うーん」と首を傾げた。

「呪術を行う者に圧倒的な呪力があれば、そういう強姦も成立するかもしれませんね。ただ、守護している神格の加護を無効化して、且つブウテトの女神としての呪力を上回らないと――それに、基本的に子宮は冥府と直結している生と死の
境界ですから、下手すると死の呪いが逆流して死にますよ?」

 人形を経由した強姦はかなりリスキーとのこと。
 まあ、そうでなきゃこの世界は危険地帯過ぎるだろうとは思う。
 身に覚えの無い妊娠をする者が後を絶たなくなってしまう。

「あ、でも、ブウテトが望めば話は別ですね。あとは死が逆流しても問題無いほどの高位の再生者とか」

 コルセスカの補足で、マラードの主張があり得なくもないことになってしまった。なんということだ。割とショックを受けたが、すぐ傍でクレイがこの世の終わりのような顔をしているので平常心を保てた。顔面蒼白どころか身体をがくがくと震わせて今にも倒れてしまいそうだ。

「ラフディ王は相変わらず何も見えていない――わかっている、安心するがいい、クレイ。ブレイスヴァを理解しているのは我らだけだ。同じカシュラム人として、私がお前を導こう――終焉の腹の中で、我らは巡り会ったのだから」

 その上、クレイの親権を主張しているのはマラードだけではない。
 オルヴァが名乗りを上げ、他の王までもが続く。

「馬鹿どもめ。フェロニアは俺のものだと言っているだろうが。つまりはフェロニアの子もまた俺のものだ。許可無く触れるな――心当たりは特に無いが、どうせ旅の途中に水筒を回し飲みした時に間接的に口づけしたせいだろう。あれは空賊を演じた舞台だったか? どうやらこれも揺らいでいるようだな」

「ああ、ひょっとしたら私がたまにペルセフォネの影に口づけしていたせいかな。私たち吸血鬼は霊長類がするような交配手段以外でも増えるからね。私の因子を色濃く受け継いでいるようだし、きっとクレイは私たちの一部だろう」

「ふむ、考えてもみれば心当たりがあるな。我が軍では戦場に赴く前に愛槍に口づけをするという習慣があったのだ。そうか、知らぬこととは言え、今まで放置して済まなかったな。愚かな父を許してくれ。これからは私とディーテ、そしてクレイでガロアンディアンを盛り立てていこうではないか」

「何言ってるの? 僕が、骨を、墓を暴いて愛して、それで、それで腕が生まれたんだ。僕は、僕が、僕――うう、サイザクタート、サイザクタート、どこ、どこなの、暗いよ、やめろお前ら、それは偽りの歴史だ、再演のまやかしだっ」

 それぞれが好き勝手な主張を繰り返す。
 『女王』――いや、『姫』が自らと結ばれた歴史こそ正史だと言い張る六王たち。彼らは最も良く知られた感染呪術、【間接キス】によって生まれた子こそがクレイだと信じている。

(そっか、『子供の世界』ではキスによって子供が生まれる。【冥道の幼姫】は子供だから、双方の強大な呪力を考えるとあり得ない話じゃない)

 ちびシューラの分析は「そんなばかな話があるのか」と訊きたくなるような内容だったが、少なくとも六王はそれを信じたがっていた。
 更にちびシューラが言うには、再演呪術によって歴史を引っかき回したせいで因果が滅茶苦茶になっている可能性があるのだとか。元々、神々というものは伝承などに引き摺られやすいあやふやな存在だ。

 そのせいか、クレイの父親は未だ確定せず、揺らいでいるのだという。
 ちびシューラに頼んで個人識別用のネームタグアプリを起動してもらうと、視界にクレイの情報が表示された。
 そこには、数日前に登録されたクレイの姓名が滅茶苦茶になって並んでいた。

 クレイ・ディルトーワ・アム=ダーカンシェル・エイフ=ガロアンディアン・イルディアンサ・スマダルツォン・ガレニス・ドラトリア・ヒュールサス――

 思わずぎょっとする。そこから更に延々と『可能性としての姓』が続いているが、最も色濃く表示されているのはこれら、そしてもう一つ。
 ――『アーニスタ』。松明の騎士団第一位、ソルダの姓。
 地上にいる燐血の民には有り触れた姓とのことだが、捨て置ける名前ではない。現れては消え、点滅しているが、これはその可能性があるということ。

 姓の順番は次々と入れ替わり、消滅し、希薄化し、かと思えば強く濃く自己主張して名前に手を伸ばす。まるで、姓によってクレイという名を染め上げようとしているかのように。

「やめろ、やめろ、やめろっ!」

 名前を侵されそうになる――それがどのようなことなのか、俺には想像もできない。だがクレイは『父親候補』たちに呼びかけられる度に身体を震わせ、恐慌に陥る寸前の表情で幼子のように拒絶を繰り返す。

 女王の争奪戦から、クレイの父親を確定させるための戦いに状況が変化する。
 いや、二つは同じ事なのか。
 王国、王権、王位、継嗣――家族や共同体によって一つに繋がったそれらは、紛れもなく『使い魔』の呪術に属するもの。

「クレイよ、周囲を拒絶し、耳を閉ざしているだけでは何も解決はしない。どうかお前自身の意思を聞かせてもらえないか」

 アルトが一歩前に出て言うと、対抗するようにマラードが口を挟む。

「俺に似て美しい。どう見てもこのマラードの子だ。しかし、少々躾が必要なようだな。どれ、髪糸をつけてやろう。ラフディ流の人形教育だ」

 不穏な流れが続く。
 ふと、蓋の空いたマンホールから低い呟きが聞こえてくる。
 どろどろとした汚水のような響き。それだけでイアテムだとわかった。

「子供は親の言う事を聞くものだ。子供は親の言う事を聞くものだ。家長を敬わぬ家に未来は無い。一体誰のお陰でお前たちが生きていられると思っている」

 べちゃりと濡れた掌を地面に張り付かせて、粘液に塗れた男が地上に姿を現す。じめじめとした視線が、レオに介抱されているセージに向けられていた。肉体と精神を酷使して昏倒していた少女は、何かに弾かれたように目を覚ます。

「何を、やっている。さっさと我が妻と息子を連れてこい――それと酒だ。今の我には休息が必要なのだ――」

 消耗したイアテムの言葉に大した呪的強制力は無い――そのはずが、セージは哀れなほどに怯えてレオの手から抜け出してイアテムに従おうとする。
 しかし、古き神をその身に降ろした直後で心身共に満身創痍となっているセージはそのまま前のめりに倒れ込んでしまった。

「役立たずがっ! 這ってでも動け!」

「は、はい、お師匠様」

 涙ぐみながら言われたとおりに這いずるセージを、レオとカーインが強引に止める。異様な光景。そう思った俺こそがこの場ではむしろ異質だった。
 師弟関係、それは時に親子関係にも擬えることができる。
 セージにとってイアテムは父親同然の権力を持った相手だったのだ。
 その在り方を肯定するように、六王たちが理解を示す。

「正しき子供は正しき親の言う事に従うものだ。忠孝こそが尊ばれるべき道徳。それを理解しなければならん」

「叱るときに叱らないと、悪い子になっちゃうよね」

 ヴァージルはともかく、良識派だと思っていたアルトの言葉に衝撃を受ける。
 だが、良識とはそもそも何だろうか。
 生きた時代も文化圏も異なるアルトにとって、それはごく普通のことなのかもしれないと思い直す。

 アルトとダエモデクの物語を思い出す。
 ダーカンシェルという父神に対する忠孝を示す冒頭――だがそれは、父親の末期の慰めの為に妻子を生贄に捧げるという忌まわしいものだった。
 それが、彼にとって当然の道徳だとすれば。
 あまりの価値観の異質さに、思わずぞっとする。

 六王やイアテムの言葉が、異界の悪魔たちが口にする呪われた言語のように聞こえる。恐怖とおぞましさに震えるクレイの感情が、ほんの僅かだけ伝わってくるようだった。

「内側から滲み出る君臨者の風格。あれは赤の他人には出せん。忌まわしいクロウサーの血統だが、否定しきれぬものも存在する。ガレニスの獲得形質は遺伝するのだ。貴様の手は道具――ゆえに俺と相通じる」

「私たちの影はあらゆるかたちを内包している。どんな姿でも、君は私たちの子だよ。さあ、共に【死人の森ドラトリア】を再興させよう」

「違う、違う、私の子ではない。おおブレイスヴァよ! なぜ私から奪うのか! 何故全ては失われてしまうのか! 私の何がいけなかったというのだ、何故他の男に走った、ああああ私の子ではない、私は父ではない、裏切られた、寝取られてしまった! おのれラフディの王! 憎き敵よ!」

「何故こちらを見る?! 敵対していたのは何代も前のラフディ王だと何度も言っているだろう! そもそもどうやって過去の王の妻を寝取るというのだ、いかに俺が空前絶後に美しいとはいえ愛される範囲にも限界があるぞ!」

 クレイに直接語りかけていた六王たちは、次第に他の王へ攻撃的な意思を向けるようになっていく。
 元から不仲だったオルヴァとマラードの対立が真っ先に表面化した。

「ああああ憎い、憎い憎い憎い! 二人も愛する者を持ちながら従属しているだけなどと言い訳をする使い魔を殺したい! 呪われよ呪われよ呪われよ呪われよ呪われよ寝取られろおおブレイスヴァ!」

 何故か無性に胸が痛んでうずくまった。何故か近くで呻き声が聞こえたので見ると、同じようにうずくまっているルバーブと目が合う。どうしたのだろう。何か心に疚しいことでもあるのだろうか。

 何にせよ、オルヴァのあれは被害妄想だ。マラードが妻を奪ったなどと時系列を無視した言い掛かりに過ぎない。当時の王とマラードを混同しているのか最初から正気ではないのか知らないが――いや、もう因果関係や時系列など関係が無いのだろうか。何が真実で何が虚実かすら曖昧になっている。

「ふしだらな魔女め。これほど大量の男に隙を見せるとは、なんと破廉恥な女だ。英雄の妻としてあってはならぬことだぞ――教育だ、徹底的な教育が必要だ。野蛮な地上の文化に染まりきった奔放な雌を貞淑な正しい女にしてやれるのはこのイアテムをおいて他に無し!」

「不貞、また不貞を働くのか、ああブレイスヴァ、このようなことが――ならばどうする? 防がねば。避けようのない終わりが見えていても、また奪われるなど耐えられん――封印をしよう」

 イアテムが、オルヴァが、何か不吉な言葉を吐き出していた。
 気味が悪い、気味が悪い、気味が悪い。
 何だこれは?
 六王は――【死人の森】とはこんな集団だったか?

「誇張されている――これは、再演による汚染?」

 小さく、コルセスカが呟いた。
 ちびシューラが難しい顔をして掌に絵本のようなものを載せる。

(『本当は残酷な昔話』って感じかな。『本当は』っていう所が売り文句の昔話ね。実際に昔話って残酷だったり古代の価値観剥き出しだからキツかったりするんだけど、それが全てってわけでもない。子供に愛情を注ぐのは近代以降の価値観って言われてるけど、だからといってそれ以前、子供が完全に消費物とか奴隷みたいな財産だったかっていうと、証明できないでしょう?)

 そうか、グレンデルヒによる汚染。
 厳密にはイアテムやミヒトネッセによる干渉も大きかったのだろうが、いずれにせよ結果は同じだ。再演の舞台で定められた登場人物の方向性が現代の六王に影響を与えている可能性は否定できない。

(勿論、元々そうだった可能性もあるけど――史実なんてどうでもいいよ。問題は、歴史上の人物たちが登場する物語を、『本当は残酷な古代の価値観』っていう解釈で固定させてしまったこと。転生者として甦った彼らの存在はこの状態で確定してしまっている。修正は難しいよ)

 もし、再演を行ったのが俺ではなくもっと呪文に長けた――穏やかで優しく、善意を信じるような人物であれば、グレンデルヒの汚染すら書き換えて、綺麗な再解釈ができたのかもしれない。
 ある人物を思い出して、すぐに思考から雑念を追い払う。
 『それ』は今考えても仕方無い。幾ら何でも甘えが過ぎる。

 俺に出来ることは、あの舞台ではあれだけだった。
 結果が今の状況なら、受け入れて対処しなければならない。
 しかし、イアテムを起点として広がった醜悪は際限なく広がっていく。
 『杖』の世界では、溢れた水は元には戻らない。
 重力に従い、最悪が落ちてくる。

「我が妻よ、淑女にしてやろう――陰核及び小陰唇を切除した後、陰部を針と糸で縫合して封鎖するのだ。当然の処置を何故してこなかった? 己を恥じろ」

「ふざけるな、狂ってるのかお前っ」

 濁った視線がコルセスカに向けられる。咄嗟に間に入ったが、あろうことかイアテムの異常な発言に六王たちが次々に賛同する。
 吐き気がした。
 何だ、これは。

「なんと野蛮な。世の風紀はここまで乱れているのか」

 そう言ったのはマラードだ。

「裏切らないという証を立てる誠実さの表明だ。女性たちが自ら進んでする愛と献身の行為。何も狂ってなどいない」

 これはオルヴァ。

「下らん、女共が自ら望んでやっていることだろう」

 信じがたいが、パーンですらこれだ。

「文化の多様性は尊重しなければならない」

 アルトはそう言うような気がしていた。だが、しかし。

「純潔性を保ち、血統の確かさを受け継いでいく為に必要な呪術儀式だよね? 劣等の血が混じっても嫌だし、王族は処女じゃないと」

 ヴァージルは不思議そうな顔でこちらを見ている。

「昼の民の性差に根ざした伝統文化は面白いね。我が国でも積極的に取り入れたがいけなかっただろうか。だとすると、してはいけないことをどうして君たちは行うんだい?」

 カーティスが純粋な興味を向けてきた。
 汚染、汚染、グレンデルヒの汚染。
 イアテムの、ミヒトネッセの、誇張された性。
 視線の暴力に耐えきれずに、クレイがうずくまって嘔吐する。
 駄目だ、彼はもう戦えない。

 俺ですら、ここが呪術の世界だという現実を突きつけられて戦慄して動けないのだから。鳥肌が立ちそうなほど、単純に気持ちが悪かった。

「人権侵害だろうが、現代でそんな真似が許されるか」

「むしろこれは人権とやらに配慮した結果だと言えるのだが?」

 俺の言葉はあっさりと否定される。
 意味が分からない。
 配慮してそれだと?
 アルトが、オルヴァが、マラードが、イアテムが、口々に聞くに堪えない言葉を吐き出していく。

「昔からの禁忌や風習というのには、それなりの理由、納得できるだけの来歴があるものだ。多様性を尊ぶとは異質な価値観に歩み寄るということ」

「カシュラムではこれを法的に義務づけたことによって女性の地位が豚や馬などの家畜と同格になった。低かった女性の地位向上に寄与しているだろう」

「ラフディでも当時からこうしたことは女たちが率先して行っていた。自分たちの不利益になるようなことを、果たして進んでするだろうか?」

「女の権利ぃ? 馬鹿め、部族の勇者、偉大なる家長、英雄たる男を立て、献身するのが女の幸福だ。まあ百歩譲ってお前たち異民族の価値観を尊重するとしよう。だが、おい。お前それは本心か?」

「どういう意味だ」

 イアテムがねっとりとした視線でこちらを見る。
 なにか嫌な感じだった。俺の内面を探るような、いやらしい目付き。

「女に傅かれたくない男が存在するはずがない。もしお前が周囲を気にして本心を隠しているのだとすれば遠慮は不要、本当の事を言ってみろ。まあ、本当にそれが心からの言葉ならお前は男ではない。去勢された紛い物だ」

「――下らない誘導で、稚拙な呪文だな。お前のガキみたいな男性観が通用するのはお前のいたクソみたいな田舎だけだ」

「だがお前は女を守ろうとしている。力を振るおうとしている。お前と我の何が違う? 女という報酬無しに、お前だけの意思で戦うことができるのか?」

 凍り付く。
 それは致命的な刃となって俺に突き刺さった。
 俺は、トリシューラとコルセスカという理由無しに戦うことはできない。
 それはもはや俺という存在と不可分となった存在理由そのものだ。

 二人と切り離された俺は既に成立不可能だ。
 その在り方が、男としての欲望と切り離せるわけがない。
 それでも、苦し紛れに反論を口にする。

「ふざけるなよ。お前らが身勝手な理屈を振りかざして、コルセスカの意思を縛ろうとしているだけだろう。欲望を押しつけるな。選ぶのはコルセスカだ」

 空から嘲笑が響く。
 高みからパーンが見下ろしてきていた。

「笑わせるなよ未来人。『自分だけは違う』という顔をして良識派のつもりか? 自らの欲望すら直視できない貴様に、女神と契りを交わす資格など無い」

 俺は返す言葉を持ち合わせていなかった。
 根本的に、俺は六王やイアテムと何ら変わらない存在だ。
 だとすれば、俺にはコルセスカやブウテトを『守る』権利などありはせず、六王たちと同じ『奪う』者でしかない。

 特権的な立場など最初から無かった。
 ここには剥き出しの欲望と力があるだけだ。

「では――ゲームが成立したと見てよろしいですね?」

 静かに、氷のような穏やかさでコルセスカが呟く。
 振り向くと、氷の目に輝きを湛えた冬の魔女は既に世界の改変を完了させていた。劇的な変化は何も無い。
 だが、確実に世界の全てが根本的に書き換えられている。

 コルセスカの発動させた新たな浄界【コキュートス】は、森羅万象の理をコルセスカの世界観によって解釈する『視座』のことだ。
 その属性は『ゲーム』――そしてコルセスカが好きな漫画アニメ小説など色々な娯楽や物語。実のところそれは【神話の魔女】に相応しい属性でもある。

「無秩序な争いは被害を拡大させるだけ。迷宮攻略の陣取り合戦というルールを定める前の世界槍がそうであったように。それに倣い、この第五階層の戦いもゲームによって定めるということではいかがでしょうか」

 提案の形を取りながらも、それは事後承諾だった。
 コルセスカは、既にそのルールをこの第五階層そのものに適用させていた。
 群雄割拠する勢力が陣地を奪い合い、勝利した勢力が【死人の森】となって第五階層という内世界を掌握する。

「勝利条件は『王権』の獲得。貴方たちは女神との聖婚、他の王位継承者を蹴落とす、そういった手段を考えていたようですが――もう少し分かり易くしましょうか。トロフィーや点棒があったほうが目的がはっきりします」

 コルセスカの周囲に白い光が収束し、それが弾けると八つの書物が出現した。
 黒い装丁の書物は、【死人の森の断章】と呼ばれるものだった。

「これをゲーム参加者の『資格』とします。貴方たちには、これを奪い合ってもらいます。全てを集めた者が『王権』を手にする」

「魔導書のレガリアということか。なるほど面白い」

 パーンが不敵に笑う。
 自分が勝利することを微塵も疑っていない表情だった。
 そうして、八つの書物がひとりでに浮遊して持ち主に配られていく。

 第一断章【尊敬(レヴェランス)】はカーティスに。
 第二断章【技能(スキル)】はパーンに。
 第三断章【地位(ステイタス)】はオルヴァに。
 第四断章【健康(インテグリティ)】はヴァージルに。
 第五断章【道徳(モラリティ)】はアルトに。
 第六断章【愛情(ナラティブ)】はマラードとルバーブに。

 そして、第八断章【知識(リコグニション)】は俺とトリシューラの間を交互に行ったり来たりして、両方が所有者である事を示していた。
 第九断章【生存(ウィクトーリア)】はまずコルセスカの手に収まり、それからクレイの手に渡る。これは、二人が同じ組になるということなのか?

「要するに王者を決めるバトルロイヤルというやつです。勝ち残るのはたった一人。敗者の王国には【ダモクレスの剣】が落ちて滅ぶというルールは未だ有効みたいですし、丁度良いですから利用してやりましょう」

 コルセスカは何を考えているのか、更に事態を強引に進めていく。
 ゲームは全世界中継されるショウでもある。扇情的な広告が拡散され、スポンサーたちがどの王国を支援するか検討し始める。

 第五階層は舞台で、ゲームプレイヤーたる王は役者。
 そう、王とは大衆に望まれた為政者という『役』だ。
 かつてキロンと戦った時のように、人々の支持がそのまま呪力に繋がる戦い。
 誰が勝利するのか、どのような着順になるのか、既に賭が始まり、莫大な呪力が流動していく。見た目や伝承などから推測される設定で人気が決まっていく。
 今後の展開次第で、その順位も変動していくだろう。

「これは決定です」

「おい、コルセスカ、幾ら何でも勝手に――」

「そして、これが精一杯です。状況は整えたので、あとは何とかしてくれると助かります――勝ってくれるって、信じてますから」

 不意に、コルセスカの身体から力が抜ける。
 直後だった。
 毛穴から体内に侵入してくるようなおぞましい――

「なんだラクルラールか、驚かせるな」

 いつのまにかこっそり近付いて来ていた青い髪の人形が糸でコルセスカを雁字搦めに束縛していたが、何もおかしいことは無い――無い、よな?
 その場にいる誰も違和感を覚えていないように見える。
 ならこれは正常なはずだ。ああ、そういえばいつの間にかイアテムとセージが姿を消している。青い融血呪がマンホールへと続く道に滴っているが、下水道に逃げたのだろうか。

「くそ、こんな時に――」

 苦しげに呻いたクレイがどうにか立ち上がって俺の頭上に向かって手刀を降る。そこでようやく我に返った。まずい、精神を支配されていた。
 クレイが続けてコルセスカに放った手刀は無駄に終わる。
 彼女は糸に絡め取られて空高く連れ去られていた。

 浮遊する人形にパーンの放った融血呪が波濤の如く叩きつけられる。
 だがラクルラールは量と威力で劣る融血呪でパーンの一撃をいなした。
 柔よく剛を制す。
 呪術に適用できる理屈かどうかは知らないが、青い糸を精密に操作して束ねると、管のような道を作って激流を別方向に逃がしたのである。

「させるかっ」

 跳躍したクレイが手刀に呪力を収束させる。
 クレイは現時点でラクルラールをどうにか出来る数少ない一人だ。
 彼に託すしかない。そう思った瞬間、青い髪がクレイの全身を束縛する。
 コルセスカ諸共に捕らえられたクレイは、そのまま【断章】ごとラクルラールによってどこかに連れ去られてしまった。
 トリシューラの悲鳴と銃撃、追跡する【マレブランケ】たち、相争う六王、それぞれが『国号』を宣名し、勢力図が確定していく。





 かくして世界は一変する。
 その日、第五階層は引き裂かれた。
 王が乱立し、覇権を奪い合う戦国乱世が幕を上げる。
 あらゆる既知は破壊され、不可避の変容が未知なる世界を創造していった。

 未だ来たらぬ世界、しかしそれを知る者がいた。
 予言でも予測でも無く、ただ既知の経験としてそれを通過した未来転生者。
 争乱の渦中にいる生と死の女神のみがその結末を知り得る立場にある。
 ゆえに盤上を支配する指し手は今はまだ――

 ――たった『二人』だけ。

 どこかのいつか。
 魔女たちのゲームが、時空を超えて始まりを告げた。




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